東山・祇園・北白川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
前日の奈良の節分がハードだったので、今日の京都はクールダウン的な位置付け。久しぶりの京都冬の旅を中心に割烹のランチとこまごま寺社回りを組み入れての一日です。<br /><br />京都冬の旅は、相国寺の塔頭、藤林院と妙覚寺。もう一つ入れる予定だったんですが、それぞれ係の方の説明が濃密なので、結局はこれくらいがちょうどよかったような。<br /><br />そして、こまごま寺社周りの方は、八坂神社、知恩院、相国寺、建仁寺、妙心寺。散歩の域を出るものでもないようなことでしたが、それでもそれなりに新たな発見がある。八坂神社で出雲神話を思い起こすなんて、意外な楽しさもありました。<br /><br />これで、二日間の旅はさくっと終了です。

イベント目白押しの奈良の節分から京都冬の旅へ(二日目・完)~京都冬の旅は、相国寺の塔頭、林光院と妙覚寺を訪問。これに八坂神社、知恩院、相国寺などの境内こまごま探索を絡めて、お楽しみは祇園 末友のランチ。短い冬の一日はあっという間に終わります~

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2018/02/04 - 2018/02/04

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たびたび

たびたびさん

前日の奈良の節分がハードだったので、今日の京都はクールダウン的な位置付け。久しぶりの京都冬の旅を中心に割烹のランチとこまごま寺社回りを組み入れての一日です。

京都冬の旅は、相国寺の塔頭、藤林院と妙覚寺。もう一つ入れる予定だったんですが、それぞれ係の方の説明が濃密なので、結局はこれくらいがちょうどよかったような。

そして、こまごま寺社周りの方は、八坂神社、知恩院、相国寺、建仁寺、妙心寺。散歩の域を出るものでもないようなことでしたが、それでもそれなりに新たな発見がある。八坂神社で出雲神話を思い起こすなんて、意外な楽しさもありました。

これで、二日間の旅はさくっと終了です。

  • 奈良から京都に回って、まだ早朝。今の時間でできることは限られますから、まずは、八坂神社の探索です。<br />八坂神社の西楼門は、祇園の交差点に面した赤い門。八坂神社といえば、この門を思い出すくらい、八坂神社の顔になっていると思います。<br />傷みがほとんどないのでそうは見えませんが、もともとは年明応6年(1497)築。桧皮葺だったものを江戸時代前期の永禄年間に瓦葺きに替えたという意外に古いものです。<br />なお、正面から日が当たるのは午後。写真を撮るなら午後の方がきれいです。

    奈良から京都に回って、まだ早朝。今の時間でできることは限られますから、まずは、八坂神社の探索です。
    八坂神社の西楼門は、祇園の交差点に面した赤い門。八坂神社といえば、この門を思い出すくらい、八坂神社の顔になっていると思います。
    傷みがほとんどないのでそうは見えませんが、もともとは年明応6年(1497)築。桧皮葺だったものを江戸時代前期の永禄年間に瓦葺きに替えたという意外に古いものです。
    なお、正面から日が当たるのは午後。写真を撮るなら午後の方がきれいです。

  • 西楼門を入ってすぐには、いくつかの小さな境内摂社が並んでいて、疫神社は、一番左手。祭神は蘇民将来命。祖神が宿を請うた際、粟の粥で厚くもてなしたので、子孫は災疫から逃れ繁栄したという言い伝え。傍らに説明板が建っています。<br />スサノオノミコトを主祭神とする八坂神社ですが、蘇民将来命は、スサノオノミコトと関係が深い神様。祇園祭では社頭や各山鉾にて「蘇民将来子孫也」と記した「厄除粽(ちまき)」が授与されるそうです。

    西楼門を入ってすぐには、いくつかの小さな境内摂社が並んでいて、疫神社は、一番左手。祭神は蘇民将来命。祖神が宿を請うた際、粟の粥で厚くもてなしたので、子孫は災疫から逃れ繁栄したという言い伝え。傍らに説明板が建っています。
    スサノオノミコトを主祭神とする八坂神社ですが、蘇民将来命は、スサノオノミコトと関係が深い神様。祇園祭では社頭や各山鉾にて「蘇民将来子孫也」と記した「厄除粽(ちまき)」が授与されるそうです。

  • 隣りの摂社は、太田社。正面には「太田社 白髭神社」と二つの名前が並んで書いてある小さな赤い神社です。<br />祭神は天孫降臨の道案内をした猿田彦神と天岩戸の前で神楽を舞った天鈿女命。天鈿女命は、猿田彦とともに天孫降臨のお供をしたという関係だそうです。詳しい案内板がありました。<br />ちなみに、スサノオノミコトは地上の葦原中国の開祖。天孫降臨は、天の国である高天原からやってくるものなので、ちょっと相性はあまりよくないかもしれません。

    隣りの摂社は、太田社。正面には「太田社 白髭神社」と二つの名前が並んで書いてある小さな赤い神社です。
    祭神は天孫降臨の道案内をした猿田彦神と天岩戸の前で神楽を舞った天鈿女命。天鈿女命は、猿田彦とともに天孫降臨のお供をしたという関係だそうです。詳しい案内板がありました。
    ちなみに、スサノオノミコトは地上の葦原中国の開祖。天孫降臨は、天の国である高天原からやってくるものなので、ちょっと相性はあまりよくないかもしれません。

  • 北向蛭子社は、舞殿に向かうちょっと手前辺り。祇園蛭子社と書かれた赤い幟に祇園えべっさんの石燈籠が狭い場所にギュッと詰め込まれて、商売繁盛の神様の賑やかな雰囲気がむんむん漂っています。<br />関西ならないと寂しい神社でしょう。

    北向蛭子社は、舞殿に向かうちょっと手前辺り。祇園蛭子社と書かれた赤い幟に祇園えべっさんの石燈籠が狭い場所にギュッと詰め込まれて、商売繁盛の神様の賑やかな雰囲気がむんむん漂っています。
    関西ならないと寂しい神社でしょう。

  • 大国主社は、そのはす向かい。北向蛭子社に比べると、こちらはちょっと地味な感じ。<br />大国主はスサノオノミコトの息子。スサノオノミコトを中心とするファミリー。スサノオノミコトから地上の葦原中国を引き継いで立派な国造りをする。しかし、天孫降臨で下ってきたニニギノミコトに国を譲るんですね。この辺りが出雲神話の世界。天孫降臨は宮崎神話の世界です。<br />ただ、なんといっても大国主命は縁結びの神様。八坂神社の摂社は、ちょこちょこいいとこどりをして、いろんなニーズに応えています。

    大国主社は、そのはす向かい。北向蛭子社に比べると、こちらはちょっと地味な感じ。
    大国主はスサノオノミコトの息子。スサノオノミコトを中心とするファミリー。スサノオノミコトから地上の葦原中国を引き継いで立派な国造りをする。しかし、天孫降臨で下ってきたニニギノミコトに国を譲るんですね。この辺りが出雲神話の世界。天孫降臨は宮崎神話の世界です。
    ただ、なんといっても大国主命は縁結びの神様。八坂神社の摂社は、ちょこちょこいいとこどりをして、いろんなニーズに応えています。

  • こちらの石鳥居は、八坂神社の正門である南楼門の前。正保3年(1646年)に建てられたもので、高さは9.5m。日本最大級の大きさです。ただ、額が架かっているのは八坂神社の内側に向かってなんでしょうか。表に向かって架かっていないのでちょっと変。せっかくの大きさなのに格が落ちるように見えてしまいます。

    こちらの石鳥居は、八坂神社の正門である南楼門の前。正保3年(1646年)に建てられたもので、高さは9.5m。日本最大級の大きさです。ただ、額が架かっているのは八坂神社の内側に向かってなんでしょうか。表に向かって架かっていないのでちょっと変。せっかくの大きさなのに格が落ちるように見えてしまいます。

  • 南楼門は本殿の南に位置し、実はこれが八坂神社の正門にあたります。高さ約14m、銅板葺きの2層構造。どちらかというと我々が普通に楼門をイメージするとおりの正統派の楼門といった風でしょうか。昨年、140年ぶりに本格的な修復工事が終わり、鮮やかな赤が蘇りました。

    南楼門は本殿の南に位置し、実はこれが八坂神社の正門にあたります。高さ約14m、銅板葺きの2層構造。どちらかというと我々が普通に楼門をイメージするとおりの正統派の楼門といった風でしょうか。昨年、140年ぶりに本格的な修復工事が終わり、鮮やかな赤が蘇りました。

  • 南楼門の脇。植え込みの中でほとんど目立たない場所ですが、藤屋と空也上人ゆかりの井戸というのがあります。<br />井戸は、明治の初めまでここにあった藤屋という茶店の井戸。井戸の清水を湧かして、参拝者に振る舞ったそうです。空也上人の方は、疫病の平癒を願い八坂神社に参拝したというもの。かつては、この南楼門が正面だったことを窺わせる遺構かなと思います。

    南楼門の脇。植え込みの中でほとんど目立たない場所ですが、藤屋と空也上人ゆかりの井戸というのがあります。
    井戸は、明治の初めまでここにあった藤屋という茶店の井戸。井戸の清水を湧かして、参拝者に振る舞ったそうです。空也上人の方は、疫病の平癒を願い八坂神社に参拝したというもの。かつては、この南楼門が正面だったことを窺わせる遺構かなと思います。

  • これは本殿の前に建つ舞殿。神社の中心は本殿ですが、ビジュアル的にはこの舞殿の方が目立っているかもしれません。周囲を提灯が三段重ねにびっしりと並んで、いつでもお祭り気分。祇園の華やかな雰囲気を象徴しているようにも思います。

    イチオシ

    これは本殿の前に建つ舞殿。神社の中心は本殿ですが、ビジュアル的にはこの舞殿の方が目立っているかもしれません。周囲を提灯が三段重ねにびっしりと並んで、いつでもお祭り気分。祇園の華やかな雰囲気を象徴しているようにも思います。

  • そして、これが本殿。現在の社殿は、承応3年(1654年)、徳川家綱が再建したもの。祇園造または八坂造と呼ばれる形式で、本殿と拝殿を一つの屋根で覆ったもの。本殿と拝殿を一体化して、間に「石の間」と呼ばれる一段低い建物を設けているのが権現造り。一体化しているのは似ていますが、見た目は全然違う。<br />

    そして、これが本殿。現在の社殿は、承応3年(1654年)、徳川家綱が再建したもの。祇園造または八坂造と呼ばれる形式で、本殿と拝殿を一つの屋根で覆ったもの。本殿と拝殿を一体化して、間に「石の間」と呼ばれる一段低い建物を設けているのが権現造り。一体化しているのは似ていますが、見た目は全然違う。

  • 外観の印象は御所の建物なんかと似ていて、余計な派手さがない穏やかな姿だと思います。

    外観の印象は御所の建物なんかと似ていて、余計な派手さがない穏やかな姿だと思います。

  • 境内にある祇園神水という湧水です。京都は市街地でも湧水は少なくないので、ここにあっても珍しいということはないのですが、それでもここは、パワースポット。この水を飲んでからすぐそばにある八坂神社の摂社、美御前社にお参りすると美人になるといわれているんですね。<br />ただ、ちょろちょろ出る水は飲むようにはなっていないような。眺めるだけでまあいいかなと思います。

    境内にある祇園神水という湧水です。京都は市街地でも湧水は少なくないので、ここにあっても珍しいということはないのですが、それでもここは、パワースポット。この水を飲んでからすぐそばにある八坂神社の摂社、美御前社にお参りすると美人になるといわれているんですね。
    ただ、ちょろちょろ出る水は飲むようにはなっていないような。眺めるだけでまあいいかなと思います。

  • 玉光稲荷社は、東側のもう境内の境目といった場所。祭神は、宇迦之御魂神。北に向かって石鳥居が建って、そこを入ると左手東に向かって本殿があります。まあ、小さな神社なので全体の構造はすぐわかります。形としては拝殿もあって、ちょろっと提灯もぶら下がっていました。<br />ちなみに、宇迦之御魂神はスサノオノミコトの8人の子供の一人。クシナダヒメの次に娶ったカムオオイチヒメとの間に生まれた子供。穀物の神様です。

    玉光稲荷社は、東側のもう境内の境目といった場所。祭神は、宇迦之御魂神。北に向かって石鳥居が建って、そこを入ると左手東に向かって本殿があります。まあ、小さな神社なので全体の構造はすぐわかります。形としては拝殿もあって、ちょろっと提灯もぶら下がっていました。
    ちなみに、宇迦之御魂神はスサノオノミコトの8人の子供の一人。クシナダヒメの次に娶ったカムオオイチヒメとの間に生まれた子供。穀物の神様です。

  • 大神宮社は、本殿の東側。白木の建物で、伊勢神宮みたいだなと思ったら、それもそのはず。伊勢神宮の天照大御神と豊受大神を祭神として祀ったものだそう。奥に内宮と外宮が二つ並んで建っています。

    大神宮社は、本殿の東側。白木の建物で、伊勢神宮みたいだなと思ったら、それもそのはず。伊勢神宮の天照大御神と豊受大神を祭神として祀ったものだそう。奥に内宮と外宮が二つ並んで建っています。

  • 悪王子社もその並び。ずばりスサノオノミコトを祭神としていて、「悪」というのは強力という意味なのだそう。霊験あらたかとかといったのと同じかもしれません。伊勢神宮の内宮・外宮を勧奨した大神宮の並びで仲良く鎮座しているのも面白いかなと思います。

    悪王子社もその並び。ずばりスサノオノミコトを祭神としていて、「悪」というのは強力という意味なのだそう。霊験あらたかとかといったのと同じかもしれません。伊勢神宮の内宮・外宮を勧奨した大神宮の並びで仲良く鎮座しているのも面白いかなと思います。

  • 日吉社は、八坂神社の東北部。ここまで来ると少し寂しいエリアです。<br />祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)。スサノオノミコトの息子であるオオクニヌシノミコトの和魂(にきみたま)とされています。ただ、日吉といえば、方位除け。八坂神社全体を守っている摂社と考えればいいかなと思います。<br />格子のデザインがちょっとモダンです。

    日吉社は、八坂神社の東北部。ここまで来ると少し寂しいエリアです。
    祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)。スサノオノミコトの息子であるオオクニヌシノミコトの和魂(にきみたま)とされています。ただ、日吉といえば、方位除け。八坂神社全体を守っている摂社と考えればいいかなと思います。
    格子のデザインがちょっとモダンです。

  • ちょっと裏通りっぽい一角ですが、ここは八坂神社の北側。本殿の裏手にあたる細い通路のような場所です。

    ちょっと裏通りっぽい一角ですが、ここは八坂神社の北側。本殿の裏手にあたる細い通路のような場所です。

  • 刃物社は、周囲は赤い囲いがあるんですが、祠のような本殿はこれ以上ないくらいシンプルなもの。料理で使う包丁などの刃物は京都が発祥の地。その刃物大神を祀っている神社です。感謝の気持ちを込めてここに建てられたものと思います。

    刃物社は、周囲は赤い囲いがあるんですが、祠のような本殿はこれ以上ないくらいシンプルなもの。料理で使う包丁などの刃物は京都が発祥の地。その刃物大神を祀っている神社です。感謝の気持ちを込めてここに建てられたものと思います。

  • その並びには、厳島社も。<br />名前からすると広島の厳島神社の関係かなと思ったのですが、祭神はスサノオノミコトの剣から産まれた市杵島比売命。舞踊・謡曲の神として崇められている神様です。

    その並びには、厳島社も。
    名前からすると広島の厳島神社の関係かなと思ったのですが、祭神はスサノオノミコトの剣から産まれた市杵島比売命。舞踊・謡曲の神として崇められている神様です。

  • 十社は、本殿の西側。10の小さい社が1列に並んだ建物です。<br />神様の長屋みたいな感じですが、宮司さんが朝早くから一つ一つ掃除をしていらっしゃいました。出雲大社の境内にもこうした長屋のような建物がありますが、それは全国から集まった神様の宿舎の意味でした。ここは摂社ですから、常設です。

    十社は、本殿の西側。10の小さい社が1列に並んだ建物です。
    神様の長屋みたいな感じですが、宮司さんが朝早くから一つ一つ掃除をしていらっしゃいました。出雲大社の境内にもこうした長屋のような建物がありますが、それは全国から集まった神様の宿舎の意味でした。ここは摂社ですから、常設です。

  • 絵馬堂は、八坂神社の西楼門を入ってすぐ左手。奉納した絵馬を飾って、たぶん、休憩所としても使われていたんでしょうが、かなり傷んでしまって、今では中には入れません。

    絵馬堂は、八坂神社の西楼門を入ってすぐ左手。奉納した絵馬を飾って、たぶん、休憩所としても使われていたんでしょうが、かなり傷んでしまって、今では中には入れません。

  • かろうじて外側にかけてある絵馬を少し拝見するくらいです。<br />以上で八坂神社はおしまい。しかし、意外なところで出雲大社や出雲神話を思い出してしまうことになりました。

    かろうじて外側にかけてある絵馬を少し拝見するくらいです。
    以上で八坂神社はおしまい。しかし、意外なところで出雲大社や出雲神話を思い出してしまうことになりました。

  • ここから知恩院に回ります。<br />南門は、円山公園から知恩院に向かう最初の門。比較的小さくてもお城の門のようながっちりした門なんですが、すぐ向こうには巨大な三門も見えてくるし、この門に注意を払う観光客はあまりいないかもしれません。<br />知恩院について説明する駒札が立っているので、ここからが知恩院なんだなと思うくらいです。

    ここから知恩院に回ります。
    南門は、円山公園から知恩院に向かう最初の門。比較的小さくてもお城の門のようながっちりした門なんですが、すぐ向こうには巨大な三門も見えてくるし、この門に注意を払う観光客はあまりいないかもしれません。
    知恩院について説明する駒札が立っているので、ここからが知恩院なんだなと思うくらいです。

  • さて、豪壮な建築が特徴の知恩院ですが、その象徴の一つがこの高さ24m、横幅50mのわが国最大、五間三戸の二重門である三門。

    さて、豪壮な建築が特徴の知恩院ですが、その象徴の一つがこの高さ24m、横幅50mのわが国最大、五間三戸の二重門である三門。

  • 元和7年(1621年)、徳川二代将軍秀忠の命で建立されました。バランス的にはちょっと頭でっかちの感じがしなくもないですが、だんだん慣れてくるとそれも個性のような気がします。

    元和7年(1621年)、徳川二代将軍秀忠の命で建立されました。バランス的にはちょっと頭でっかちの感じがしなくもないですが、だんだん慣れてくるとそれも個性のような気がします。

  • 私的には、むしろこうして横から見た方が美しいように思うのですが、いかがでしょうか。

    イチオシ

    私的には、むしろこうして横から見た方が美しいように思うのですが、いかがでしょうか。

  • ここから本堂の方に上がっていくには男坂か女坂。女坂は段が緩い坂で、三門に向かって右手の方にあります。石段の男坂の方が速く上がれるような印象もありますが、そこまででもない。そして、むしろ、三門の眺めは女坂の方からもいい。それが利点かなと思います。

    ここから本堂の方に上がっていくには男坂か女坂。女坂は段が緩い坂で、三門に向かって右手の方にあります。石段の男坂の方が速く上がれるような印象もありますが、そこまででもない。そして、むしろ、三門の眺めは女坂の方からもいい。それが利点かなと思います。

  • 三門の下に出て、

    三門の下に出て、

  • 男坂は、その正面。知恩院の本堂に向けて、まっすぐに上がって行く険しい石段です。この男坂と三門の組み合わせはとても迫力があって、ラストサムライのシーンの中でも印象的なカットとなりました。

    男坂は、その正面。知恩院の本堂に向けて、まっすぐに上がって行く険しい石段です。この男坂と三門の組み合わせはとても迫力があって、ラストサムライのシーンの中でも印象的なカットとなりました。

  • ちょっとしんどいですが、この坂から上る人がほとんどですので、がんばりましょう。

    ちょっとしんどいですが、この坂から上る人がほとんどですので、がんばりましょう。

  • 御影堂は、現在修復中です。完成は来年の平成31年。寛永16年(1639年)、徳川家光によって再建された建物は国宝なのですが、その圧倒的な大きさで知恩院のシンボル的な存在です。<br />御影堂は、浄土宗の開祖、法然の御影を祀るお堂。御影堂を寺の中心とするのは、西本願寺などの浄土真宗と同じ。開祖への思いが強い宗旨であることを感じます。

    御影堂は、現在修復中です。完成は来年の平成31年。寛永16年(1639年)、徳川家光によって再建された建物は国宝なのですが、その圧倒的な大きさで知恩院のシンボル的な存在です。
    御影堂は、浄土宗の開祖、法然の御影を祀るお堂。御影堂を寺の中心とするのは、西本願寺などの浄土真宗と同じ。開祖への思いが強い宗旨であることを感じます。

  • 経蔵は、男坂を上がって、そのまま正面奥に進んだところ。書院の裏手のような少し奥まったところです。<br />例のくるくる回す八角輪蔵が収められているので、経蔵。山門と同じ元和7年(1621年)に建てられました。宝珠をいただく方形ですが、その二重屋根は、三門とデザイン的に共通したものがあるかもしれません。<br />なお、内部は極彩色だそうですが、拝観はできません。

    経蔵は、男坂を上がって、そのまま正面奥に進んだところ。書院の裏手のような少し奥まったところです。
    例のくるくる回す八角輪蔵が収められているので、経蔵。山門と同じ元和7年(1621年)に建てられました。宝珠をいただく方形ですが、その二重屋根は、三門とデザイン的に共通したものがあるかもしれません。
    なお、内部は極彩色だそうですが、拝観はできません。

  • 経蔵から裏手の方に進んでいくと

    経蔵から裏手の方に進んでいくと

  • これは勢至堂。いわゆるよくある開山堂といったエリアです。<br />

    これは勢至堂。いわゆるよくある開山堂といったエリアです。

  • つまり、法然が終焉を迎えるまで、ここで念仏の教えを広められたとされる、いわば知恩院発祥の地。この建物は、享禄3年(1530)に再建されたもの。国宝ですが、扉は朝早くから開いていて、中に入ることもできます。まあ、がらんとした内部ですが。。

    つまり、法然が終焉を迎えるまで、ここで念仏の教えを広められたとされる、いわば知恩院発祥の地。この建物は、享禄3年(1530)に再建されたもの。国宝ですが、扉は朝早くから開いていて、中に入ることもできます。まあ、がらんとした内部ですが。。

  • もう一段高いところにあるのが、御廟。<br />法然上人の遺骨を安置しています。<br />

    もう一段高いところにあるのが、御廟。
    法然上人の遺骨を安置しています。

  • 石段を上がって、

    石段を上がって、

  • 廟堂は、方三間の宝形造本瓦葺。周囲には唐門のある玉垣が巡っています。<br />ちなみに、法然上人が亡くなったのは建暦2年(1212)。<br />比叡山で学んだ秀才が阿弥陀如来については、ただ出合ってしまったと説明していて、私的には逆にそのことに凄味を感じる。仏教の大衆化の扉を開いた人物だと思います。

    廟堂は、方三間の宝形造本瓦葺。周囲には唐門のある玉垣が巡っています。
    ちなみに、法然上人が亡くなったのは建暦2年(1212)。
    比叡山で学んだ秀才が阿弥陀如来については、ただ出合ってしまったと説明していて、私的には逆にそのことに凄味を感じる。仏教の大衆化の扉を開いた人物だと思います。

  • また戻って、今度は法然上人御堂へ。こちらは、いわゆる本堂にあたる建物で、この先が有料のエリアですが、内部の写真撮影は不可。

    また戻って、今度は法然上人御堂へ。こちらは、いわゆる本堂にあたる建物で、この先が有料のエリアですが、内部の写真撮影は不可。

  • でも、ギリギリここならOKかな。<br />たくさんの信者を集めて講和をしたりする場所なので、扉の向こうに現れる広々とした座敷は凛とした厳粛な雰囲気が漂います。観光で来ていても、やっぱりここはお寺なんだなと認識を新たにする。そんな建物です。

    でも、ギリギリここならOKかな。
    たくさんの信者を集めて講和をしたりする場所なので、扉の向こうに現れる広々とした座敷は凛とした厳粛な雰囲気が漂います。観光で来ていても、やっぱりここはお寺なんだなと認識を新たにする。そんな建物です。

  • 知恩院の七不思議は、鴬張りの廊下、白木の棺、忘れ傘、抜け雀、三方正面真向の猫、大杓子、瓜生石。方丈庭園の拝観コースの途中に、抜け雀、三方正面真向の猫はレプリカですが、本物も含めてポツポツと現れます。影堂に説明パネルがあるので、ここで確認してから有料エリアに入るといいと思います。

    知恩院の七不思議は、鴬張りの廊下、白木の棺、忘れ傘、抜け雀、三方正面真向の猫、大杓子、瓜生石。方丈庭園の拝観コースの途中に、抜け雀、三方正面真向の猫はレプリカですが、本物も含めてポツポツと現れます。影堂に説明パネルがあるので、ここで確認してから有料エリアに入るといいと思います。

  • 知恩院の方丈庭園は、小堀遠州と縁のあった僧玉淵によって作庭されたと伝えられる名園。

    知恩院の方丈庭園は、小堀遠州と縁のあった僧玉淵によって作庭されたと伝えられる名園。

  • 知恩院の有料コースは、主としてこの庭園を見るものです。

    知恩院の有料コースは、主としてこの庭園を見るものです。

  • 池泉回遊式とされていますが、書院の周囲に展開する庭であり、

    池泉回遊式とされていますが、書院の周囲に展開する庭であり、

  • 書院が巨大なので結果として回遊式となっているだけ。<br />つまり、二条城の二ノ丸庭園のようにどの方向から見てもそこが正面ではないかと思わせるような構造ではない。

    書院が巨大なので結果として回遊式となっているだけ。
    つまり、二条城の二ノ丸庭園のようにどの方向から見てもそこが正面ではないかと思わせるような構造ではない。

  • どちらかというと座観式の構造ではないかなと思います。<br /> 

    どちらかというと座観式の構造ではないかなと思います。
     

  • 以前、書院の特別公開とセットで見た時はそうは思わなかったのですが、

    イチオシ

    以前、書院の特別公開とセットで見た時はそうは思わなかったのですが、

  • この方丈庭園をメインにするだけだとちょっと満足感としては落ちるかなあ。

    この方丈庭園をメインにするだけだとちょっと満足感としては落ちるかなあ。

  • やや大味な印象もあるかもしれません。<br />

    やや大味な印象もあるかもしれません。

  • 知恩院の唐門は、大方丈玄関に通ずる門。寛永18年(1641年)に建てられました。<br />方丈庭園の拝観コースで靴を脱いで庭に出てすぐの正面に見える門ですが、ここからだと裏になるからでしょうか、桃山時代の彫刻を生かしたという豪華さはほとんどなし。むしろ、地味な印象しかありません。<br />勢至堂を見下ろす高台にあった唐門の方が豪華な印象です。

    知恩院の唐門は、大方丈玄関に通ずる門。寛永18年(1641年)に建てられました。
    方丈庭園の拝観コースで靴を脱いで庭に出てすぐの正面に見える門ですが、ここからだと裏になるからでしょうか、桃山時代の彫刻を生かしたという豪華さはほとんどなし。むしろ、地味な印象しかありません。
    勢至堂を見下ろす高台にあった唐門の方が豪華な印象です。

  • 帰りは黒門の方に降りて行きます。三門の少し北側。知恩院に上がる道として、この黒門からも九十九折の上り道、黒門坂があります。<br />黒門は、城郭にある長屋門風の堅牢な構え。飾り気が全くないので、撮影ポイントとしてはあまりお勧めではない。ここで一生懸命写真を撮っている人がいましたが、もっと撮影ポイントは他にもたくさんありますよね。ちょっと気の毒な気がしました。

    帰りは黒門の方に降りて行きます。三門の少し北側。知恩院に上がる道として、この黒門からも九十九折の上り道、黒門坂があります。
    黒門は、城郭にある長屋門風の堅牢な構え。飾り気が全くないので、撮影ポイントとしてはあまりお勧めではない。ここで一生懸命写真を撮っている人がいましたが、もっと撮影ポイントは他にもたくさんありますよね。ちょっと気の毒な気がしました。

  • 知恩院の黒門を出て向かい側に、ここはお国を何百里の歌碑があります。通りの脇に建つそれなりの大きさの石碑です。戦時中にはやった国威発揚の歌。戦争なんてきれいごとではなく、日本が大陸に向けて侵略していっただけのことなんですが、それにしても、なぜここにこんなものがあるのか。ちょっと違和感は否めません。

    知恩院の黒門を出て向かい側に、ここはお国を何百里の歌碑があります。通りの脇に建つそれなりの大きさの石碑です。戦時中にはやった国威発揚の歌。戦争なんてきれいごとではなく、日本が大陸に向けて侵略していっただけのことなんですが、それにしても、なぜここにこんなものがあるのか。ちょっと違和感は否めません。

  • ここからは、京都冬の旅。相国寺にやってきました。<br />ちなみに、相国寺は、京都五山の第二位、天竜寺の次に位置づけられています。

    ここからは、京都冬の旅。相国寺にやってきました。
    ちなみに、相国寺は、京都五山の第二位、天竜寺の次に位置づけられています。

  • 足利義満の庇護が厚く、末寺に金閣寺、銀閣寺も含まれると聞けば、すごい寺だなと思ってしまう。<br />

    イチオシ

    足利義満の庇護が厚く、末寺に金閣寺、銀閣寺も含まれると聞けば、すごい寺だなと思ってしまう。

  • 今日は行けませんが、私のお勧めは、一目二十木と呼ばれる方丈裏庭園。渓谷のような造りの向かい側に多種類の庭木が配されて、インパクトは強烈。天気がいい日も悪くはないのですが、幹がしっとり濡れた雨の日の風情もまた格別なんですよね。

    今日は行けませんが、私のお勧めは、一目二十木と呼ばれる方丈裏庭園。渓谷のような造りの向かい側に多種類の庭木が配されて、インパクトは強烈。天気がいい日も悪くはないのですが、幹がしっとり濡れた雨の日の風情もまた格別なんですよね。

  • さて、今日の目的はここ。相国寺の塔頭、林光院です。<br />

    さて、今日の目的はここ。相国寺の塔頭、林光院です。

  • 黒猫がうずくまった絵の看板が迎えてくれました。

    黒猫がうずくまった絵の看板が迎えてくれました。

  • ここからは、写真撮影禁止。<br /><br />  

    ここからは、写真撮影禁止。

      

  • 見どころとしては二つ。一つは紀貫之の娘の屋敷の梅だったという鶯宿梅。村上天皇が清涼殿の梅の木にと所望されたのですが、その娘が「勅なればいともかしこき鶯の宿はととはばいかがこたへむ」という一首を詠み、村上天皇も諦めたという梅。ただ、遅咲きなので、公開の時期にはまだつぼみのままでした。<br />もう一つは、「龍虎」「蓮」「松」といった水墨画の障壁画。雪舟を尊敬してやまないという中国の画家が最近収めたもので、瑞々しい仕上がりには目を奪われます。<br />

    見どころとしては二つ。一つは紀貫之の娘の屋敷の梅だったという鶯宿梅。村上天皇が清涼殿の梅の木にと所望されたのですが、その娘が「勅なればいともかしこき鶯の宿はととはばいかがこたへむ」という一首を詠み、村上天皇も諦めたという梅。ただ、遅咲きなので、公開の時期にはまだつぼみのままでした。
    もう一つは、「龍虎」「蓮」「松」といった水墨画の障壁画。雪舟を尊敬してやまないという中国の画家が最近収めたもので、瑞々しい仕上がりには目を奪われます。

  • なお、当寺は、薩摩藩ゆかりの寺。説明によれば、関ヶ原の戦いで薩摩に逃れる島津軍にこっそり船を提供し、これを援けた大阪の豪商。その後、その孫がこの寺の住職となり、今でも薩摩藩藩士の墓をこの寺が管理しているということでした。<br />これが薩摩藩藩士の墓。<br />

    なお、当寺は、薩摩藩ゆかりの寺。説明によれば、関ヶ原の戦いで薩摩に逃れる島津軍にこっそり船を提供し、これを援けた大阪の豪商。その後、その孫がこの寺の住職となり、今でも薩摩藩藩士の墓をこの寺が管理しているということでした。
    これが薩摩藩藩士の墓。

  • 近くにあるので、さっそく寄ってみました。

    近くにあるので、さっそく寄ってみました。

  • 引き続き、相国寺の境内。<br />いくつか塔頭をチェックします。

    引き続き、相国寺の境内。
    いくつか塔頭をチェックします。

  • 養源院は南西部の方。少し前に京都冬の旅で公開されたことがあるようですが、現在は非公開の寺。ただ、山門から中を覗くことはできて、本堂前にはなにかそれを意識したかのような美しい苔の庭。本堂の正面には「多聞天」と書かれた扁額が目立っています。

    養源院は南西部の方。少し前に京都冬の旅で公開されたことがあるようですが、現在は非公開の寺。ただ、山門から中を覗くことはできて、本堂前にはなにかそれを意識したかのような美しい苔の庭。本堂の正面には「多聞天」と書かれた扁額が目立っています。

  • 北の方に移動して、

    北の方に移動して、

  • この長得院も京都冬の旅で一度公開されたことがあるお寺。現在は非公開で山門から覗いてみるだけです。

    この長得院も京都冬の旅で一度公開されたことがあるお寺。現在は非公開で山門から覗いてみるだけです。

  • ただ、非公開であっても、境内の庭はとても美しく整備されていて、チリ一つ落ちていないといった感じ。緑も濃くて、覗いただけでも気持ちが安らぐようでした。<br />ちなみに、創建は室町時代の中頃。鄂隠慧巖(がくいんえかつ)国師によるもの。五山文学で有名な絶海中津(ぜっかいちゅうしん)の弟子だそうです。

    ただ、非公開であっても、境内の庭はとても美しく整備されていて、チリ一つ落ちていないといった感じ。緑も濃くて、覗いただけでも気持ちが安らぐようでした。
    ちなみに、創建は室町時代の中頃。鄂隠慧巖(がくいんえかつ)国師によるもの。五山文学で有名な絶海中津(ぜっかいちゅうしん)の弟子だそうです。

  • 相国寺から、今度は妙覚寺の方に向かいます。<br />がその途中に気が付いた西林寺。駐車場のようなスペースにお堂が建つだけの簡単な寺ですが、本尊は木槿地蔵(もくげじぞう)。<br />木槿は花のムクゲ。慶俊僧都がこの地に咲く木槿の中に勝軍地蔵尊を感得したというのが始まりだそうですが、ムクゲは確かに時々ハッとするほど美しい花。詳しい経緯は分からないでも、その名前を持つ地蔵はありがたい地蔵だと思います。

    相国寺から、今度は妙覚寺の方に向かいます。
    がその途中に気が付いた西林寺。駐車場のようなスペースにお堂が建つだけの簡単な寺ですが、本尊は木槿地蔵(もくげじぞう)。
    木槿は花のムクゲ。慶俊僧都がこの地に咲く木槿の中に勝軍地蔵尊を感得したというのが始まりだそうですが、ムクゲは確かに時々ハッとするほど美しい花。詳しい経緯は分からないでも、その名前を持つ地蔵はありがたい地蔵だと思います。

  • ほどなく、妙覚寺に到着。ここも京都冬の旅の公開中です。<br />

    ほどなく、妙覚寺に到着。ここも京都冬の旅の公開中です。

  • 今も大きな寺ですが、それもそのはず。

    今も大きな寺ですが、それもそのはず。

  • 織田信長はここを一番の定宿としていて、信長が京都に来た20数回のうち18回の宿泊がここだったよう。

    織田信長はここを一番の定宿としていて、信長が京都に来た20数回のうち18回の宿泊がここだったよう。

  • 本能寺より多かったというのは驚きです。<br />

    イチオシ

    本能寺より多かったというのは驚きです。

  • ここが入口ですね。<br />入ると、奥に奥に順路が続いていて、

    ここが入口ですね。
    入ると、奥に奥に順路が続いていて、

  • この日は本堂に現代アートの作品が展示されていましたが、やはり一番の見どころは狩野元信作の大涅槃図。例によって仏陀の死を悲しむ鳥や獣も描かれていますが、ぎっしり感が意外にない。一般的にはむしろぎっしりと描いて、画家の腕前をひけらかしたり、場面の臨場感を強調する涅槃図が多いと思いますが、この絵はそういったしがらみからは無縁。構図の巧みさが優れている証なのかなとも思います。<br />

    この日は本堂に現代アートの作品が展示されていましたが、やはり一番の見どころは狩野元信作の大涅槃図。例によって仏陀の死を悲しむ鳥や獣も描かれていますが、ぎっしり感が意外にない。一般的にはむしろぎっしりと描いて、画家の腕前をひけらかしたり、場面の臨場感を強調する涅槃図が多いと思いますが、この絵はそういったしがらみからは無縁。構図の巧みさが優れている証なのかなとも思います。

  • さて、これで昼食タイム。<br />予約していたのは祇園 末友。建仁寺の南側で、花街宮川町ももうすぐというエリアです。<br />

    さて、これで昼食タイム。
    予約していたのは祇園 末友。建仁寺の南側で、花街宮川町ももうすぐというエリアです。

  • 丁寧に水打ちをされた玄関から<br /><br />

    丁寧に水打ちをされた玄関から

  • 店内に入ると、立派な待合。

    店内に入ると、立派な待合。

  • 腰掛けた前にしつらえた路地庭に、<br />

    腰掛けた前にしつらえた路地庭に、

  • ここは何んといっても延べ段に迫力がありますね。

    ここは何んといっても延べ段に迫力がありますね。

  • ここで出てきたのは葛湯。しかし、この葛湯。柑橘系のしっかりした味わいで、けっこう酸っぱい。意表を突かれて、ちょっと先制パンチを食らった感じでしょうか。<br />

    ここで出てきたのは葛湯。しかし、この葛湯。柑橘系のしっかりした味わいで、けっこう酸っぱい。意表を突かれて、ちょっと先制パンチを食らった感じでしょうか。

  • 改めて、カウンター席に案内されての懐石料理が始まります。<br />

    改めて、カウンター席に案内されての懐石料理が始まります。

  • まずは、酢味噌のヌタですね。<br />器はわらびの柄が季節を先取り。この歪みを気取った形と縁には黒い口紅。いかにも京焼といった器です。      

    まずは、酢味噌のヌタですね。
    器はわらびの柄が季節を先取り。この歪みを気取った形と縁には黒い口紅。いかにも京焼といった器です。      

  • ヒイラギの葉っぱを乗せた土器のような器は「節分祭」。そうそう節分でしたよね。そもそも、今回の旅は節分の旅だったのに、すっかり忘れてしまってました。<br />ちなみに、ヒイラギは鬼を退散させる縁起ものです。

    ヒイラギの葉っぱを乗せた土器のような器は「節分祭」。そうそう節分でしたよね。そもそも、今回の旅は節分の旅だったのに、すっかり忘れてしまってました。
    ちなみに、ヒイラギは鬼を退散させる縁起ものです。

  • 蓋を開けると、黄金の椀に早変わり。やりますねえ。このいわしも陰の気を抜く縁起物。ヒイラギといわしをセットした「柊鰯」という言葉もあるようです。 

    イチオシ

    蓋を開けると、黄金の椀に早変わり。やりますねえ。このいわしも陰の気を抜く縁起物。ヒイラギといわしをセットした「柊鰯」という言葉もあるようです。 

  • 器の下には大量のいり豆。これもちょっとポリポリいただきましたが、ここで食べきれる量ではない。帰りに持ち帰りさせてもらいました。

    器の下には大量のいり豆。これもちょっとポリポリいただきましたが、ここで食べきれる量ではない。帰りに持ち帰りさせてもらいました。

  • 続いては吸い物。蒔絵の豪華さは金のお椀からの流れですね。

    続いては吸い物。蒔絵の豪華さは金のお椀からの流れですね。

  • 小さな蕪とか。七草のようなイメージでしょうか。

    小さな蕪とか。七草のようなイメージでしょうか。

  • そして、さざえのお造りとか

    そして、さざえのお造りとか

  • これは鰤とダイコンを組み合わせたかぶら寿司みたいなひと品。金沢の名物ですが、金沢のはめちゃめちゃおいしいですからねえ。ここのはそこまでのインパクトはないですが、まあそれを彷彿とさせるものにはなっています。<br />

    これは鰤とダイコンを組み合わせたかぶら寿司みたいなひと品。金沢の名物ですが、金沢のはめちゃめちゃおいしいですからねえ。ここのはそこまでのインパクトはないですが、まあそれを彷彿とさせるものにはなっています。

  • 海鮮シリーズの最後は焼き物です。<br />さっきの柊型の緑秞から、この赤絵の青海波。器の方もさりげなく遊び心が続きます。

    イチオシ

    海鮮シリーズの最後は焼き物です。
    さっきの柊型の緑秞から、この赤絵の青海波。器の方もさりげなく遊び心が続きます。

  • このお椀は、

    このお椀は、

  • 野菜の煮物。あちこち少し飛んだ流れに落ち着きを取り戻す役割でしょうか。

    野菜の煮物。あちこち少し飛んだ流れに落ち着きを取り戻す役割でしょうか。

  • そして、締めのご飯。

    そして、締めのご飯。

  • さっぱりと終了です。

    さっぱりと終了です。

  • デザートは芋羊羹。この薄さが上品な食べやすさのギリギリのところを突いていると思います。<br /><br />さて、お店はまだ9年の歴史と言うことでしたが、建物の設計からすべては今のご主人の手によるものだそう。若い板さんや中居さんとかのちょっと素人っぽい対応もまだ初々しさがあると思います。そして、最後にはご主人以下、玄関までのお見送りもいただいて、心を込めたおもてなしを感じました。<br />ただ、敢えて言えば、ここはまだまだ冒険の途中。あれをやってみたいこれをやってみたいの意欲満々で、今度来た時はまた全く違う味になっているかもしれないといった予測不能な匂いがあって、それも魅力の一つになっているでしょう。ただ、一方で、こちらはそれを試されたモルモットになったような感覚もないことはない。受け止め方によって、いかようにも感じられるお店だと思います。

    デザートは芋羊羹。この薄さが上品な食べやすさのギリギリのところを突いていると思います。

    さて、お店はまだ9年の歴史と言うことでしたが、建物の設計からすべては今のご主人の手によるものだそう。若い板さんや中居さんとかのちょっと素人っぽい対応もまだ初々しさがあると思います。そして、最後にはご主人以下、玄関までのお見送りもいただいて、心を込めたおもてなしを感じました。
    ただ、敢えて言えば、ここはまだまだ冒険の途中。あれをやってみたいこれをやってみたいの意欲満々で、今度来た時はまた全く違う味になっているかもしれないといった予測不能な匂いがあって、それも魅力の一つになっているでしょう。ただ、一方で、こちらはそれを試されたモルモットになったような感覚もないことはない。受け止め方によって、いかようにも感じられるお店だと思います。

  • お昼が終わって。。<br />せっかくの建仁寺なので、こちらにも寄ってみます。<br />勅使門から入って

    お昼が終わって。。
    せっかくの建仁寺なので、こちらにも寄ってみます。
    勅使門から入って

  • 三門に向かう。

    三門に向かう。

  • やっぱり目立つのは三門です。

    イチオシ

    やっぱり目立つのは三門です。

  • 三門を抜けた

    三門を抜けた

  • 正面は法堂です。

    正面は法堂です。

  • 法堂は、明和2年(1765年)。<br />五間四間・一重・裳階付の禅宗様仏殿建築。本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者を祀り、その天井には小泉淳の双龍。新旧の要素が組み合わさって、新たな魅力が加わりました。

    法堂は、明和2年(1765年)。
    五間四間・一重・裳階付の禅宗様仏殿建築。本尊釈迦如来座像と脇侍迦葉尊者・阿難尊者を祀り、その天井には小泉淳の双龍。新旧の要素が組み合わさって、新たな魅力が加わりました。

  • <br />で、ここからがこまごまチェック。<br />大統院は、建仁寺の境内、南東にある塔頭。路地のような参道があってそれを行ったドン詰まりのような場所です。ただ、非公開なので、山門から中を窺うだけ。まあまあの松の緑がありますが、特にどうということはありません。<br />本尊は聖観音。室町時代、建仁寺夢窓派の43代、青山慈永(せいざん じえい)により開かれたそうです。


    で、ここからがこまごまチェック。
    大統院は、建仁寺の境内、南東にある塔頭。路地のような参道があってそれを行ったドン詰まりのような場所です。ただ、非公開なので、山門から中を窺うだけ。まあまあの松の緑がありますが、特にどうということはありません。
    本尊は聖観音。室町時代、建仁寺夢窓派の43代、青山慈永(せいざん じえい)により開かれたそうです。

  • 建仁寺の境内、中央部ですが、道元禅師修行の遺跡というのがあります。小さな山石を寄せ集めたような感じ。その奥に三つの石柱が建っていて、これも何かを表しているんでしょうが、詳しくは不明です。<br />ところで、道元と建仁寺の関係ですが、道元は、延暦寺で出家した後、建仁寺で栄西の弟子、明全に師事。明全とともに宋に渡り禅宗を学びますが、宋の地で没した明全の遺骨を持ち帰り、再び建仁寺に入る。永平寺を開くのはその後です。

    建仁寺の境内、中央部ですが、道元禅師修行の遺跡というのがあります。小さな山石を寄せ集めたような感じ。その奥に三つの石柱が建っていて、これも何かを表しているんでしょうが、詳しくは不明です。
    ところで、道元と建仁寺の関係ですが、道元は、延暦寺で出家した後、建仁寺で栄西の弟子、明全に師事。明全とともに宋に渡り禅宗を学びますが、宋の地で没した明全の遺骨を持ち帰り、再び建仁寺に入る。永平寺を開くのはその後です。

  • 隣りに、平成の茶苑というのもありまして。<br />栄西禅師が中国からもたらした茶の800年が平成3年だったことを記念して、作られた茶園。毎年5月にここで初摘みした茶葉を開山歳忌にお供えするのだそうです。こんな街中なのに、意外にこのお茶の木は青々と勢いがあって、ちょっと不思議な気がしました。

    隣りに、平成の茶苑というのもありまして。
    栄西禅師が中国からもたらした茶の800年が平成3年だったことを記念して、作られた茶園。毎年5月にここで初摘みした茶葉を開山歳忌にお供えするのだそうです。こんな街中なのに、意外にこのお茶の木は青々と勢いがあって、ちょっと不思議な気がしました。

  • 桑の碑も同じ場所。<br />お茶をもたらしたことで知られる栄西ですが、そのお茶だけではなく、桑の効用についても積極的に説いていたよう。諸病を治す妙薬としています。ただ、特に説明はないので、何も知らないと違和感があるのは否めません。

    桑の碑も同じ場所。
    お茶をもたらしたことで知られる栄西ですが、そのお茶だけではなく、桑の効用についても積極的に説いていたよう。諸病を治す妙薬としています。ただ、特に説明はないので、何も知らないと違和感があるのは否めません。

  • 茶碑はむしろ分かりやすい。開山の栄西が宋から茶の種を持ち帰ったことが日本のお茶の始まり。その遺徳を讃える碑。青みがかった立派な石に茶碑と彫られています。<br />大陸からの文化は、仏教など朝鮮半島を経由して日本にもたらされたものが多いのですが、その一方で、このお茶のように直輸入されたものもある。ちょっと整理してみると面白いと思います。

    茶碑はむしろ分かりやすい。開山の栄西が宋から茶の種を持ち帰ったことが日本のお茶の始まり。その遺徳を讃える碑。青みがかった立派な石に茶碑と彫られています。
    大陸からの文化は、仏教など朝鮮半島を経由して日本にもたらされたものが多いのですが、その一方で、このお茶のように直輸入されたものもある。ちょっと整理してみると面白いと思います。

  • 西来院は、建仁寺の境内北西部にある塔頭。鎌倉時代の中期、南宋から禅宗を広めるために渡来した蘭渓道隆が住んでいた住持寺が始まりです。<br />

    西来院は、建仁寺の境内北西部にある塔頭。鎌倉時代の中期、南宋から禅宗を広めるために渡来した蘭渓道隆が住んでいた住持寺が始まりです。

  • 非公開で山門から中を覗くだけですが、それでも石畳の参道にポツポツ生えた松の緑が美しい。やっぱり、歴史がある塔頭は違うなという印象です。

    非公開で山門から中を覗くだけですが、それでも石畳の参道にポツポツ生えた松の緑が美しい。やっぱり、歴史がある塔頭は違うなという印象です。

  • 大中院は、建仁寺の塔頭ですが、花見小路の方にいったん境内を出たところ。<br />中国六朝時代の詩人、陶淵明の「燕舞春日長し」に由来する燕舞軒という茶室があるそうですが、いずれにしても非公開。山門から中を覗いても美的な要素はないし、小さな山門なのに車が停めてあったりして、雰囲気を壊している。残念なお寺です。

    大中院は、建仁寺の塔頭ですが、花見小路の方にいったん境内を出たところ。
    中国六朝時代の詩人、陶淵明の「燕舞春日長し」に由来する燕舞軒という茶室があるそうですが、いずれにしても非公開。山門から中を覗いても美的な要素はないし、小さな山門なのに車が停めてあったりして、雰囲気を壊している。残念なお寺です。

  • 興雲庵は、建仁寺の北西部にある塔頭。境内に鎮守社の陀枳尼尊天( だきにそんてん)が祀られており、宮川町など花街のお詣りが多いとされます。その唐門が特に雰囲気があって、かつては極彩色だったようだし、今でも十分に女性的な華やかな雰囲気を漂わせている。ちょっといい感じの唐門です。

    興雲庵は、建仁寺の北西部にある塔頭。境内に鎮守社の陀枳尼尊天( だきにそんてん)が祀られており、宮川町など花街のお詣りが多いとされます。その唐門が特に雰囲気があって、かつては極彩色だったようだし、今でも十分に女性的な華やかな雰囲気を漂わせている。ちょっといい感じの唐門です。

  • 堆雲軒は、建仁寺境内の北西部にある塔頭。表札がかなりかすれていて、堆雲軒と書いてある文字はかなり読みにくいです。本尊は如意輪観音。南北朝時代に始まっているようですが、どうかすると一般住宅に毛の生えたようなくらい。当然非公開ですし、観光的な要素はほとんどないと思います。<br /><br />建仁寺はざっとこんな感じです。

    堆雲軒は、建仁寺境内の北西部にある塔頭。表札がかなりかすれていて、堆雲軒と書いてある文字はかなり読みにくいです。本尊は如意輪観音。南北朝時代に始まっているようですが、どうかすると一般住宅に毛の生えたようなくらい。当然非公開ですし、観光的な要素はほとんどないと思います。

    建仁寺はざっとこんな感じです。

  • 建仁寺から仁和寺に移動して。<br />仁和寺の入口に建つ仁王門ですが、二王門ってなんでしょうね。屋根が二層の二重門の形式だというのも意味しているかもしれません。<br />

    建仁寺から仁和寺に移動して。
    仁和寺の入口に建つ仁王門ですが、二王門ってなんでしょうね。屋根が二層の二重門の形式だというのも意味しているかもしれません。

  • ちなみに、この門は、知恩院の三門、南禅寺の山門と並ぶ京都の三大門の一つです。ただ、私的には、この仁王像が好き。

    ちなみに、この門は、知恩院の三門、南禅寺の山門と並ぶ京都の三大門の一つです。ただ、私的には、この仁王像が好き。

  • 憤怒の表情がダイナミックで迫力がある。金網とかで囲われていないので自然な姿で眺められるのもいいと思います。

    憤怒の表情がダイナミックで迫力がある。金網とかで囲われていないので自然な姿で眺められるのもいいと思います。

  • ただ、何んともう閉門の時間。この玄関で拝観は諦めざるを得ませんでした。京都の冬の一日はやっぱり短いですねえ。

    ただ、何んともう閉門の時間。この玄関で拝観は諦めざるを得ませんでした。京都の冬の一日はやっぱり短いですねえ。

  • 仁和寺から妙心寺に移動しましょうか。袋中菴は、そのちょうど中間あたり。鉄筋コンクリートの建物です。寺のようではありませんが、近所の人に尋ねると、基本は葬儀場のよう。<br />あれれ。入口入ってすぐに仏足石があるのが唯一の見どころかなと思います。

    仁和寺から妙心寺に移動しましょうか。袋中菴は、そのちょうど中間あたり。鉄筋コンクリートの建物です。寺のようではありませんが、近所の人に尋ねると、基本は葬儀場のよう。
    あれれ。入口入ってすぐに仏足石があるのが唯一の見どころかなと思います。

  • 妙心寺の北門を入って、

    妙心寺の北門を入って、

  • 中へ。ここならまだこの時間でも歩けます。ここでも、少し塔頭チェックをしてみます。

    中へ。ここならまだこの時間でも歩けます。ここでも、少し塔頭チェックをしてみます。

  • 隣華院は、妙心寺の北門から入ってすぐの塔頭。山門には人形供養と書かれています。豊臣秀吉の嫡男、鶴松は、別名、棄丸。三歳で死去した鶴松の冥福を祈り、棄丸人形を祀ったことが始まりのようです。<br />非公開の寺なのですが、山門からは玄関前の広い庭とかがよく見える。白い砂地の枯山水形式が美しい。<br />また、寺は賤ヶ岳七本槍の一人、脇坂安治ゆかりの寺でもあります。

    隣華院は、妙心寺の北門から入ってすぐの塔頭。山門には人形供養と書かれています。豊臣秀吉の嫡男、鶴松は、別名、棄丸。三歳で死去した鶴松の冥福を祈り、棄丸人形を祀ったことが始まりのようです。
    非公開の寺なのですが、山門からは玄関前の広い庭とかがよく見える。白い砂地の枯山水形式が美しい。
    また、寺は賤ヶ岳七本槍の一人、脇坂安治ゆかりの寺でもあります。

  • 智勝院は、その並び。妙心寺の塔頭は敷地を広く持つ塔頭が多いのですが、こちらもそんな感じ。

    智勝院は、その並び。妙心寺の塔頭は敷地を広く持つ塔頭が多いのですが、こちらもそんな感じ。

  • 山門から奥が深い敷地。建物の中には入れませんが、少し歩くことはできます。<br />寺は、稲葉貞通が父、一鉄の菩提を弔うために創建したもの。稲葉一鉄は、織田信長、豊臣秀吉にも仕えた美濃三人衆の一人。春日局はこの稲葉一族から出たのはよく知られるところです。<br />

    山門から奥が深い敷地。建物の中には入れませんが、少し歩くことはできます。
    寺は、稲葉貞通が父、一鉄の菩提を弔うために創建したもの。稲葉一鉄は、織田信長、豊臣秀吉にも仕えた美濃三人衆の一人。春日局はこの稲葉一族から出たのはよく知られるところです。

  • 寿聖院も妙心寺の北側ですが、少し奥まった場所です。山門の脇に石田三成一族菩提所と書かれた石杭があって、ちょっとドキッとしてしまいました。<br />

    寿聖院も妙心寺の北側ですが、少し奥まった場所です。山門の脇に石田三成一族菩提所と書かれた石杭があって、ちょっとドキッとしてしまいました。

  • 創建は、石田三成が父、正継の菩提所としたもの。その後、三成の子、重家が入り、再建したのだそうです。境内に石田一族の供養塔がありますが、いずれにしても非公開です。

    創建は、石田三成が父、正継の菩提所としたもの。その後、三成の子、重家が入り、再建したのだそうです。境内に石田一族の供養塔がありますが、いずれにしても非公開です。

  • 天祥院もけっこう奥まった場所です。<br />

    天祥院もけっこう奥まった場所です。

  • 1645年、姫路藩18万石の藩主だった松平忠弘が父、忠明の菩提を弔うために創建。山門から入った境内はこじんまりしていますが、庭はそれなりによく整備されていて、ちょこっと散策させてもらいました。塔頭はそれぞれカラーがあるのですが、ここは比較的気軽なお寺です。

    1645年、姫路藩18万石の藩主だった松平忠弘が父、忠明の菩提を弔うために創建。山門から入った境内はこじんまりしていますが、庭はそれなりによく整備されていて、ちょこっと散策させてもらいました。塔頭はそれぞれカラーがあるのですが、ここは比較的気軽なお寺です。

  • 大通院は、妙心寺の北門から一直線に並ぶ塔頭の一つ。非公開ですが、それにしても門前の植え込みとか門構えとかにスキガなくて、ちょっと敷居が高いなあという雰囲気でしょう。<br />安土・桃山時代、秀吉の黄母衣衆であった一柳直末が妙心寺58世・ 南化玄興を請じて創建した寺。なお、末裔は、伊予西条藩の大名として明治維新を迎えます。

    大通院は、妙心寺の北門から一直線に並ぶ塔頭の一つ。非公開ですが、それにしても門前の植え込みとか門構えとかにスキガなくて、ちょっと敷居が高いなあという雰囲気でしょう。
    安土・桃山時代、秀吉の黄母衣衆であった一柳直末が妙心寺58世・ 南化玄興を請じて創建した寺。なお、末裔は、伊予西条藩の大名として明治維新を迎えます。

  • 大龍院は、妙心寺の西側。石段を少し上がったところに門があって、非公開ですし、取りつく島がないといったところでしょうか。<br />江戸時代の初め、米子藩17万5千石の藩主、中村忠一が父、一氏の七回忌に創建した寺。しかし、中村忠一は、家康の付けた後見であり叔父の横田村詮を誅殺。これが家康の逆鱗に触れ、お家は断絶となっています。あまりいい印象がない人物。<br />周囲を拒むようなこの雰囲気と重ね合わせて考えてしまいました。

    大龍院は、妙心寺の西側。石段を少し上がったところに門があって、非公開ですし、取りつく島がないといったところでしょうか。
    江戸時代の初め、米子藩17万5千石の藩主、中村忠一が父、一氏の七回忌に創建した寺。しかし、中村忠一は、家康の付けた後見であり叔父の横田村詮を誅殺。これが家康の逆鱗に触れ、お家は断絶となっています。あまりいい印象がない人物。
    周囲を拒むようなこの雰囲気と重ね合わせて考えてしまいました。

  • 霊雲院は、妙心寺の本坊にも近い中央部。<br />筋塀も格式の高さを表していて、京都冬の旅で公開されたこともあるようですが、普段は非公開。山門前に室町時代に作られた書院(御幸の間)が国の重要文化財という駒札が建っていて、ちょっと恨めしいですね。<br />内部には、狩野元信の障壁画が多数あって、狩野元信寺とも呼ばれるとか。山門から中を想像するのが精いっぱいです。

    霊雲院は、妙心寺の本坊にも近い中央部。
    筋塀も格式の高さを表していて、京都冬の旅で公開されたこともあるようですが、普段は非公開。山門前に室町時代に作られた書院(御幸の間)が国の重要文化財という駒札が建っていて、ちょっと恨めしいですね。
    内部には、狩野元信の障壁画が多数あって、狩野元信寺とも呼ばれるとか。山門から中を想像するのが精いっぱいです。

  • 妙心寺の梵鐘は、文武2年(698年)の鋳造と日本最古。国宝です。<br />本坊近くの鐘楼に吊るされていて、夕方5時くらいから突かれます。ゴーン、ゴーンとけっこうしばらくの間、音を聞くことができました。ただ、後で調べてみるとそれはCDの音?いいえ、そんな感じは全然しませんでしたが。。

    妙心寺の梵鐘は、文武2年(698年)の鋳造と日本最古。国宝です。
    本坊近くの鐘楼に吊るされていて、夕方5時くらいから突かれます。ゴーン、ゴーンとけっこうしばらくの間、音を聞くことができました。ただ、後で調べてみるとそれはCDの音?いいえ、そんな感じは全然しませんでしたが。。

  • ここは東海庵。今回、時間が間に合えば見てみたかった京都冬の旅の特別公開の寺です。ちょっと縁がなかったかなということでしょうか。

    ここは東海庵。今回、時間が間に合えば見てみたかった京都冬の旅の特別公開の寺です。ちょっと縁がなかったかなということでしょうか。

  • 玉鳳院は、妙心寺の境内の南側。妙心寺の数ある塔頭の中でもその豪華で威厳のある構えはトップクラスでしょう。5本線の筋塀に、唐門は平入りと妻入りの2種類があって、ちょっと考えられない意匠ですね。 <br />それもそのはず、この塔頭は、花園法皇が妙心寺に隣接して創建したもの。内陣には花園法皇の木像が祀られています。内部の建物の様子も少し離れた場所からはそれなりに見えるし、非公開ですが是非チェックしたい塔頭です。

    玉鳳院は、妙心寺の境内の南側。妙心寺の数ある塔頭の中でもその豪華で威厳のある構えはトップクラスでしょう。5本線の筋塀に、唐門は平入りと妻入りの2種類があって、ちょっと考えられない意匠ですね。 
    それもそのはず、この塔頭は、花園法皇が妙心寺に隣接して創建したもの。内陣には花園法皇の木像が祀られています。内部の建物の様子も少し離れた場所からはそれなりに見えるし、非公開ですが是非チェックしたい塔頭です。

  • 東林院は、妙心寺の東端。沙羅双樹が有名な塔頭で、花の季節になると公開されます。今回は、非公開の時期でしたが、山門には沙羅双樹と書かれていて、やっぱりそれにこだわりがあるようです。<br />ただ、以前、一度拝見したことがありますが、思うほどインパクトのあるものではないでしょう。また、沙羅双樹は意外にあちこちで見かけることができるし、希少価値もそれほどとは思えません。ただ、沙羅双樹といえばここというのは確かに京都では定説です。<br />妙心寺はざっとこんな感じ。暗くなってきて、さすがにもうこれで限界です。

    東林院は、妙心寺の東端。沙羅双樹が有名な塔頭で、花の季節になると公開されます。今回は、非公開の時期でしたが、山門には沙羅双樹と書かれていて、やっぱりそれにこだわりがあるようです。
    ただ、以前、一度拝見したことがありますが、思うほどインパクトのあるものではないでしょう。また、沙羅双樹は意外にあちこちで見かけることができるし、希少価値もそれほどとは思えません。ただ、沙羅双樹といえばここというのは確かに京都では定説です。
    妙心寺はざっとこんな感じ。暗くなってきて、さすがにもうこれで限界です。

  • ここから最後は例によってのB級グルメ。たびたびにとっては、ここからがまた腕の見せ所ですよ~<br />喫茶ガボールは、あのコロナの卵サンドを引き継ぐお店なんです。<br />

    ここから最後は例によってのB級グルメ。たびたびにとっては、ここからがまた腕の見せ所ですよ~
    喫茶ガボールは、あのコロナの卵サンドを引き継ぐお店なんです。

  • しかし、入口から店内の装飾は前衛的なロックカフェみたい。コロナとは似ても似つかぬ店構えですけどね。

    しかし、入口から店内の装飾は前衛的なロックカフェみたい。コロナとは似ても似つかぬ店構えですけどね。

  • さて、卵サンドを注文すると、確かにあの分厚い卵サンド。正直言えばそんなにうまいものでもないんですが、やっぱり何とも温かみを感じてしまう。コロナのご主人が店を閉めてから、その技を直接伝授してもらったのだそうで、これからも大事に伝えて行ってもらえたらと思います。<br />

    イチオシ

    さて、卵サンドを注文すると、確かにあの分厚い卵サンド。正直言えばそんなにうまいものでもないんですが、やっぱり何とも温かみを感じてしまう。コロナのご主人が店を閉めてから、その技を直接伝授してもらったのだそうで、これからも大事に伝えて行ってもらえたらと思います。

  • さて、もう一軒は、グリル富久屋。<br />河原町通りから松原橋を渡って、花街宮川町に入るすぐ手前。見るからにレトロなお店ですが、店内はパッと明るくて、ちょっとギャップがあるかもしれません。<br />

    さて、もう一軒は、グリル富久屋。
    河原町通りから松原橋を渡って、花街宮川町に入るすぐ手前。見るからにレトロなお店ですが、店内はパッと明るくて、ちょっとギャップがあるかもしれません。

  • いただいたのはフクヤライス。半熟卵とサイコロに切ったトマトの組みわせが目にも鮮やか。ご飯は炒飯だと思いますが、ソースのような醤油のような色あい。反面、その味はほとんどないので何で炒めているのかは分からずじまい。もしかしたら、これも色合いをつけるためだけだったのかもしれません。<br />

    イチオシ

    いただいたのはフクヤライス。半熟卵とサイコロに切ったトマトの組みわせが目にも鮮やか。ご飯は炒飯だと思いますが、ソースのような醤油のような色あい。反面、その味はほとんどないので何で炒めているのかは分からずじまい。もしかしたら、これも色合いをつけるためだけだったのかもしれません。

  • 近所の女将さんが食事していたり、芸者さんの名刺代わりのうちわが飾られていたり。なにげなく花街の香りがするのもいいと思います。

    近所の女将さんが食事していたり、芸者さんの名刺代わりのうちわが飾られていたり。なにげなく花街の香りがするのもいいと思います。

  • 花街宮川町も少し歩いてみましたが、やっぱりディープですねえ。近所の人に話を聞いてみると一見さんお断りの時代はもう昔のことだとか。今度はこの辺りでどっかに上がってみたくなりました。<br /><br />これで、今回の旅は終了。これから東京に帰ります。お疲れ様でした。

    花街宮川町も少し歩いてみましたが、やっぱりディープですねえ。近所の人に話を聞いてみると一見さんお断りの時代はもう昔のことだとか。今度はこの辺りでどっかに上がってみたくなりました。

    これで、今回の旅は終了。これから東京に帰ります。お疲れ様でした。

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この旅行記へのコメント (5)

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  • Marinさん 2018/12/27 16:52:57
    いいね、ありがとうございます。
    たびたびさんの旅行記はすごい力作ですね。素晴らしいです。
    今回八坂神社にも行ったのですが、ご神水には気づきませんでした。残念でした。次回、行ってみたいです。

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2018/12/27 21:53:03
    RE: いいね、ありがとうございます。
    京都はなんにせよ楽しいです。
    最近、源氏物語を読み始めまして。これでまた京都の観光力がアップしてくれないかなと思っているところです。

                              たびたび

    Marin

    Marinさん からの返信 2019/01/01 12:30:00
    明けましておめでとうございます。
    本当にそう思います。京都、病み付きになりそうです。

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2019/01/02 21:56:59
    RE: 明けましておめでとうございます。
    あけましておめでとうございます。

    今年もよい年でありますように。

                         たびたび

    Marin

    Marinさん からの返信 2019/01/08 00:37:55
    ありがとうございます。
    たびたびさんにとっても、よいお年でありますように。

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