2016/07/13 - 2016/07/17
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binchanさん
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7月13日水曜日、旅行一日目。
11:45に桃園空港に到着し、タクシーで八里の船着き場へ、渡し船で淡水へと渡り、中正路界隈を少し散策したところです。
時刻は13:37。
淡水中正路で流しのタクシーを拾いました。行き先は滬尾砲台。淡水にある清時代の砲台跡です。
今回の旅行、台湾鉄道の旧深澳線の廃線跡をめぐる計画から始まり、その拠点となる基隆を研究、するとそこに「砲台」という旧跡が多く残っていることがわかりました。砲台は主要な港各所に造られており、この淡水にも保存公開されている砲台があることがわかったわけです。淡水は歴史的に基隆とつながりが深いですから、どうせなら寄ってみようということになりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
淡水中正路でタクシーを拾って滬尾砲台へやってきました。
タクシーには待ってもらって、このあと淡水駅まで行く予定です。 -
入場料は80元。悠遊カードでも払えます。
80元でここの砲台と紅毛城、小白宮三か所を見学できます。切符と一緒にこのシールを渡されますので、見えるところに貼っておきます。私は砲台しか見なかったのでちょっともったいなかったかな。 -
ここの砲台の「砲」は正式には石に駮が正しいのですが、変換できないので「砲」で代用しています。(臺も台にしてます。)石駮は砲の古い字体で、意味はだいたい同じのようです。
滬尾は淡水の古称です。 -
17世紀までは淡水(滬尾)の地に軍事拠点と呼べるようなものはなかったようです。
1628年にスペインがSanto Domingo城を建て海防に努めたのが始まり。その後その城はオランダによってAntonio要塞に変えられました。それが現在の紅毛城です。その後の鄭氏時代、清時代には淡水の海防はあまり重視されていなかったようですが、1884-85年の清法戦争(清とフランスがベトナムをめぐって争った戦争)で台湾も戦場となり、台湾東北部の海防が重要になってきます。
1886年、台湾巡撫だった劉銘傳によって砲台建設が始まり、ドイツ人技師の監修のもと西洋式の砲台が造られました。それがこの滬尾砲台です。
正面には劉銘傳の「北門鎖鑰」という銘が残っています。淡水滬尾砲台 史跡・遺跡
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塀は二重になっていて、間はこんな通路になっています。
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門を入ります。
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ここの砲台は私が調べた限りでは、実際に戦いに使われたことはないようです。
清法戦争の際にはまだ造られておらず、乙未戦争時の日本軍は淡水には上陸を試みませんでした。
ただ、付近に現在は残っていない別の砲台があり、それは清法戦争時に使用されたようです。
滬尾砲台は日本時代には砲兵の訓練場として利用されていたとのこと。
戦後は軍の管理下にあり、永らく観光客が立ち寄れる場所ではありませんでした。1980年代以降、こうした軍事拠点が徐々に史跡とされ一般に公開されるようになっていきます。
台湾の海沿いにある史跡が、最近まであまり有名ではなかったのはこういった事情からだと思われます。このあと行く基隆にもこの手の史跡がたくさんあります。 -
中央が今くぐってきた入口。手前が門の内側です。
内側は長方形の広場になってます。一部建物があり、ほかは操兵場になっていたそうです。 -
分厚い塀の内部は事務室や倉庫、兵士の居住場所になっていました。
一部は入って参観できます。 -
内部は明かりもあって意外と広々。
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こちらはちょっと趣の違う部屋。
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部屋と部屋は甬道という通路でつながっています。廊下みたいな感じ。
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こちらは砲台に通じる通路。
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西砲台に出ました。
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滬尾砲台には12インチと10インチの後装式アームストロング砲各1基と、8インチのクロップ砲2基が配備されていたそうです。
この砲座には10インチアームストロング砲が配置されていたと思われます。
この砲座の南側にクロップ砲が1基置かれていたようです。(なぜかそこはスルーしてしまった。) -
反対側から。
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この砲弾型の穴に砲弾を置いていたんでしょうか?
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東側の砲台に来ました。
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こちらには12インチアームストロング砲が設置されていたはず。
ここから淡水河口を狙っていたとのことですが、こんなに遠くから届くのかな。 -
こちらの砲弾型の穴は西のよりもちょっと大きい。12インチだからね。
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砲台から外側の通路が見えます。
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展示室もあります。
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内部は日陰なので比較的過ごしやすい。
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清法戦争時の配置図。
これによると、より河口に近いところに「Fort Blanc」という要塞があったらしい。 -
砲台の全体図。
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清法戦争時の様子。
滬尾砲台は1886年から建造開始なのでこの時はまだない。 -
ここはおそらくもう1基のクロップ砲が設置されていた場所。
子供たちが見学に来ていました。日陰に集まって説明を聞いています。 -
こうした案内看板に従って見学します。私は最初気付かず適当に回ってしまいましたが、この通りに回った方がわかりやすいです。
また、順路にはところどころ係員さんが立っていて、行く方向を教えてくれます。 -
塀の上を歩いています。下の部屋の通気口がキノコのように突き出ています。
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砲台の隅には見張り台のようなところが。あれが観測所(敵艦の配置を観測するための施設)の役割なんでしょうか?
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内側の広場。四角くなっているところはおそらく建物の跡。
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淡水の昔の写真も展示してありました。民國19年は1930年です。
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日本が台湾にやってきて最初に造った鉄道は淡水線でした、と書いてあります。そうか、基隆から新竹の鉄道は清時代にできていましたからね。
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商業港として栄えた淡水も日本時代の後期には水深が浅くなり、大型の船が入れなくなってきました。そして隣の基隆にその機能が移行するようになり、1941年夏、ついに最後の船が出航し、淡水の国際港としての役割に終止符が打たれました。
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淡水のアイコン的人物、マッカイ先生の家族写真もありました。台湾人女性と結婚されたんですね。
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地面を見たらレンブ(台湾の高級フルーツ)が落ちていました。
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見上げてみたら樹上にレンブが。へえ〜、レンブの木ってこんなに大きいんだ。
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20分ほどで見学を終えてタクシーに戻ると、運転手さんが眺めのよいポイントを教えてくれました。
木々の間から見える河口が涼し気です。 -
さらに、日本建築があるというので連れて行ってもらいました。
砲台の駐車場の奥にこの門があります。この先に日本建築があるからねと言われ、まずはこの門の写真を撮っていたら、「いや、それじゃないから」って。いや、それはわかってますって。 -
門の中にトイレもありました。
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ここからが日本建築の家みたいです。
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見学は無料。
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さっそく灯篭発見。
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別の角度からの全景。
一滴水紀念館 史跡・遺跡
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一滴水紀念館、聞いたことあるなあ。
現地の案内版は適当に見てきてしまったので、帰ってきてから調べました。
台北ナビによりますと、阪神淡路大震災の復興支援をおこなっているボランティア団体が、1999年に台湾で発生した九二一大地震の被災者支援を通して台湾と交流を持ち、日本の古民家を台湾に移築しようということになったそうです。
この古民家は文学者水上勉の生家で、福井県大飯町から5年の歳月をかけ解体・移築されたもの。2009年に完成しています。
あら?運転手さんに「地震で倒れてしまったヒノキ造りの家を建て直した」と言われた気がしたんだけど…。ぜんぜん聞き取れてないのか、運転手さんも何か勘違いしていたのか…(たぶん前者だな)。 -
ウィキペディアなどいろいろ調べてみても、1915年(大正4年、水上勉が生まれたのは大正8年)に、大工の棟梁だった父の覺治さんが自ら建てた家だと書いてあります。しかし、水上勉の生い立ちを調べてみると、土地を持たない貧しい一家で、小さな村には大工仕事もなく、父親は棺桶を作ったりして糊口をしのぐ極貧生活だったとされています。
でもこの家、とても「極貧」には見えませんよね。
内部は撮影禁止だったので様子はこちらで。
http://www.taipeinavi.com/miru/177/
村の素封家の薪小屋に住んでいたという記述もあるので、その素封家の家なのでしょうか?
この件は私が調べた限りでは詳しいことがわかりませんでした。ご存じの方、コメントお待ちしております。 -
駐車場に戻ってタクシーに乗りこみ、MRT淡水駅へ。
ここからバスで基隆へと向かいます。淡水駅 駅
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14:32、淡水から基隆への862路バス(基隆客運・淡水客運共同運航)がやってきました。
14:40発の便です。 -
このバス路線は台湾省道2号線を走ります。
2号線は淡水から宜蘭県の蘇澳まで、ひたすら海岸線に沿って伸びている沿岸路線。前回の旅行では基隆から頭城付近まで2号線を走るバスに乗りました。最近鉄道が旅のテーマになっていることが多いですが、道路に注目するのも面白いかも。
写真は撮れませんでしたが、私的な見どころをいくつかチェックしていました。
まずは白沙湾あたりから見える富貴角(この写真がそうです)。台湾本島最北の岬で、遠くに見えるボールみたいなものは、多分レーダー基地。富貴角で調べてもこれに関して何も出てこないのできっと軍のやつ。
次は石門洞。穴の開いた岩があるだけなんですけど、道路際にあって車内から出も岩穴の向こうの海が見えます。何かの都合でそこでバスが停まってくれると写真を撮れるんですけど…。
続いて台湾第一原子力発電所(第一核能発電廠)。別名金山核電廠。石門洞からはすぐです。
さらにもう一つ台湾第二原子力発電所(第二核能発電廠)が続きます。これを過ぎるとあの野柳地質公園があります。
別に原子力発電所に思うところがあるわけではないのですが、なんだか目に入っちゃうんですよね。そういえば一滴水紀念館の移築元福井県大飯町も原発の町ですね。石門洞 ビーチ
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なんて言っている間に野柳地質公園の入口が見えました。公園は2号線からはちょっと離れています。
ここを過ぎると間もなく新北市と基隆市の境界を越えます。バスの車内電光板にもちゃんと「基隆市に入りました」と表示され、案内の文言が基隆市公車(市バス)仕様に変わります。具体的な文言は忘れてしまいましたが、「乗車中は席を立たないで」とか「携帯電話で話す際は小声で」といった案内文が変わるんです。ちょっとした発見で面白かった。
最後は基隆市街地の混雑。三方を山に囲まれた基隆市街地は平地が少なく、高架道路と狭い道、橋のオンパレードです。翡翠灣 ビーチ
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