2016/07/13 - 2016/07/17
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binchanさん
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7月15日金曜日、旅行三日目。
やっと三日目になりました。
昨日は旧深澳線の廃線跡めぐりを縦軸に、基隆・瑞芳の産業史と地理を探訪しました。今日は基隆市内の古蹟を訪ねます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
6:30、一日の始まりはやっぱりバス停。
一回の旅行でバスとバス停の写真を100枚近くは撮っていると思います。撮るのはいいけど旅行記に乗せる必要はないのでは?と思うかもしれませんが、どこからどこへどう移動したのかというのは、私にとってはとても重要なんです。なのでほかの方の旅行記でも、移動経路がはっきりとわかるものは、ついのめりこんで読んでしまいます。 -
昨日同様、ホテル最寄りの「忠一路孝一路」バス停から乗車しますが、今日は「基隆市公車」の乗り場からです。
何番のバスが何分後に来る予定か、ちゃんと表示が出ます。(完全に当てになるわけではないですが…)
6:44、104路バスに乗りました。 -
下調べして、路線を選んで、15分近く待って乗ったのに…。経由が違うのに乗っちゃったよ。
というわけで、間違いに気づいたところで下車。よかった、まだ徒歩で何とかなる場所だった。 -
この日の予定は、海調處バス停で下車し正榮路にある頂石閣砲台へ行き、中正路に出て南下しながら、市長官邸、法國公墓と徒歩で見て回るものでした。
しかし乗ったバスが基隆市公共汽車管理處から正豊路に入り、海調處バス停は通らない経由だったんです。
ここから頂石閣砲台まで歩いていたのでは、たぶん今日一日の体力がもたないので、そこと市長官邸はバッサリいくとことにしました。後からチャンスがあったら行けばいいので。
ということで、正豊路を南へ。 -
バスの分岐点まで戻ってきました。
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バス停名「公車處」のとおり、目の前には基隆市公共汽車管理處。
ここの交差点南東に「基隆要塞司令官邸」があります。 -
こんな風に史蹟として案内板があるのですが、保存状態は悪いです。
1930年(昭和5年)に日本人木材商の私邸として建設されました。戦後、国民政府により基隆要塞司令官邸として利用され、2006年基隆市古蹟に指定されました。
この周辺は日本時代の高級住宅街で、多くの日本家屋が残されています。そのほとんどが戦後も官舎として利用されており、近年になって次々と古蹟に指定されています。基隆要塞司令官邸 史跡・遺跡
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しっかり石垣を積んで家を建てているあたりは、高級住宅街って感じです。
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覆いを作って保護していますが、ぶっちゃけ廃屋ですね。
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これが最もよく撮れてるかな。
当時の日本家屋は台湾檜をふんだんに使っていましたが、現在台湾では檜の伐採が禁じられているとのこと。日本家屋を復元するにも、資材の工面が難しいそうですよ。 -
司令官邸の隣にはなんだか魅惑的な階段が…。いかんいかん、上ってる場合じゃない。
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司令官邸から中正路を挟んだ斜め向かいに「基隆法國公墓」があります。
清法戦争紀念園区として古蹟指定されています。清と法國(フランス、中国語では仏ではなく法)の戦争で亡くなったフランス人兵士のお墓です。
この時、フランスが目的としていたのはインドシナ半島の権益だったのですが、ベトナムを保護国としていた清との直接戦争に発展し、当時清の版図であった台湾も戦場となりました。清法戦争紀念園区 史跡・遺跡
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1885年6月に天津条約にて戦争が終結します。
フランス人の墓地はその直後からあったそうです。1909年に再度整備され、1954年に現在の形になりました。 -
もちろんフランス語でも書かれています。
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紀念園区の案内板。ここと付近にある清側の戦没者の墓(民族英雄墓)を合わせて「清法戦争紀念園区」というのだそうです。
説明文は中国語と英語だけで、フランス語はないです。 -
中に入るとまずは「佛國墓地紀念碑」が目に入ります。
ここでフランスが「佛」になっているのは、1909年(日本時代)に建てられたから? -
清法戦争で戦場になったのは基隆や淡水といった北部だけではありません。実は澎湖諸島も攻撃を受け、いったんはフランス軍に制圧されています。ですので澎湖にも清法戦争の紀念碑があるのだそうです。「法軍萬人塚紀念碑」で検索すると出てくるはず。
澎湖の碑とここの碑はほぼ同じ形をしているそうで、この紀念碑の来歴ははっきりしないそうですが、おそらく澎湖のものと同じ時に造られたのだろうと説明文に書いてありました。 -
基台にはFORMOSE 1885の文字が。
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当初の墓地は400坪に及ぶ広大なものだったそうですが、1895年に日本軍がやってきた際に破壊されたりして規模は縮小したとのこと。それでも残された墓碑を集め、こうして守られてきました。
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墓碑が並んでいます。かなり風化していて墓碑銘もはっきりしません。
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この墓地について書かれたの石碑のようです。あまり上手に撮影できませんでした。
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澎湖の戦いで亡くなったDert海軍事務長とJehenne陸戦隊中尉の遺骨が、1954年の墓地再整備時にここに移されました。
同胞の多く眠る地に一緒に葬られて、少しは魂が安らぐでしょうか。 -
ヨーロッパの墓地で見かけるような形のお墓。
左がDertさんで、右がJehenneさんのもの。
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墓碑の付近にまた別の紀念碑があります。
こちらは1909年に建てらてたとはっきりわかっています。 -
背面には「佛國陸海軍人戦死者紀念碑」と彫られているらしい。
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基台にはフランス語で碑銘が刻まれています。
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これには説明板がなかったと記憶しています。おそらく遺骨を集めてここに埋葬しているのではないかと。
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墓地の出入口。
門にはきちんと鍵がかかるようになっていて、しっかり管理されているようです。 -
門柱に根を張る樹木。戦争の傷跡を覆うかのように。
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最後にもう一度、遠く地球の裏側で命を落とした兵士を振り返って。
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続いて、130メートルほど西にある「民族英雄墓」へ。
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こちらは清法戦争後に清軍の戦死者を悼んで立てられた紀念碑。
法國公墓とここを併せて、「清法戦争紀念園区」と呼ぶようです。 -
一時は台北までフランス軍の侵攻を許した清軍。戦死者も多数だったことでしょう。
初日に行った淡水の滬尾砲台から、清法戦争はずっとキーワード。 -
背面に碑文があり、拡大すると文字は読み取れるのですが、解読(翻訳)する力がないです。
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とりあえず四角柱の4面全部を写真に収めてみました。
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民族英雄墓があるのはコンテナ埠頭と高速道路の高架に挟まれた場所。ちょっと見つけづらいです。
清の時代に建てられた紀念碑は日本時代に道路工事のために撤去され、その後地元の人によって再建されたものの再度撤去(民族的シンボルになるのを日本当局が恐れたようです)。戦後ここにふたたび再建されました。 -
民族英雄墓付近のコンテナ埠頭。
これぞ基隆港という光景です。 -
高く積み上げらてたコンテナは岸壁と作業区域の塀の代わりなのかな?
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港と街区を仕切る塀には基隆の街が描かれてます。
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さて、次に訪問するのは中正路の向こう側。中正路、渡れるところ少ないんだよな〜。
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民族英雄墓以上に見つけづらいと言われる「北白川宮能久親王紀念碑」。意外とあっさりたどりつけました。
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台湾近現代史にかかわる史跡は世相によって扱いが変わるので、今はこの類の史跡の待遇がよい時期なのかも。
北白川宮能久親王紀念碑 史跡・遺跡
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説明文やパネルもしっかりありました。
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古蹟指定はされていませんが、歴史建築として認定され管理保存されています。
古蹟だとか歴史建築という単語を何の説明もなく使っていますが、つまりは台湾の文化財の呼び方です。
古蹟は1997年までは一級から三級まで等級がつけられていましたが、現在は國定、直轄市定、縣(市)定の三種類に分けられています。
歴史建築は直轄市定と縣(市)定があり、古蹟とまではいかないけれど保存に値する歴史的建築物ということのようです。
詳細な定義に関しては「文化資産保存法」をご参照ください。
http://www.boch.gov.tw/boch/ -
しかし遠目にも碑文が削り取られていることはわかりますね。
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紀念碑表側。
几帳面に碑文だけが削り取られています。昨日訪問した鹽寮の上陸紀念碑は、紀念碑丸ごと遺棄されてましたよね。 -
この説明文で碑文が「北白川宮能久親王御遺蹟地」であったことがわかります。
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紀念碑背面もやはり削り取られています。
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碑文の内容は説明板に載っていました。
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バス停の写真ですが、この後も徒歩移動が続きます。
一応最寄りのバス停を撮影してみました。
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