2016/06/11 - 2016/06/11
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かつのすけさん
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赤穂浪士が討入をした吉良上野介の屋敷があった両国
現在ではその殆どが面影さえありませんが、この周りにはそれ以外にも江戸時代の旧跡がいっぱいあるようです。
そんな両国をぶらりとした後で訪れた 江戸東京博物館
江戸の街を感じた一日でした。
【表紙の写真】江戸時代の日本橋界隈(江戸東京博物館・模型)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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総武線で両国に来ました。
両国駅 駅
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ホームからも両国の街のシンボル両国国技館と江戸東京博物館が見えます。
江戸東京博物館は後でゆっくりと観るとして、とりあえず両国の街をぶらぶらしよう! -
駅前の国技館通りには数十メートルおきに力士像が。
さすが国技館のある街ですね!両国駅から国技館とは反対方向へ by かつのすけさん国技館通りの力士像 名所・史跡
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両国ビューホテル(旧 ザ・ホテルベルグランデ)の1階にあった観光案内所で地図を物色。
【両国2-19-1】両国観光案内所 名所・史跡
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両国二丁目の交差点を渡ると回向院。
回向院は明暦の大火で亡くなった方々を供養した万人塚が始まりで、天明元年には境内で勧進相撲が開かれたのが現在の大相撲の始まりでもあるそうです。
【両国2-8-10】回向院 寺・神社・教会
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そんなことで、回向院の山門の隣には旧国技館跡の高札(解説板)がありましたが、現在は全くその面影はありません。
戦前の国技館は回向院にあった by かつのすけさん旧国技館跡 名所・史跡
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そして回向院の参道脇には相撲関係石造群が建っています。
江戸時代から明治42年に旧両国国技館ができるまで、こちらの回向院で春秋の相撲の興行が行われていたそうです。
こちらの力石は昭和11年に相撲協会が歴代相撲年寄の慰霊の為に建立されました。回向院 寺・神社・教会
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回向院にはその他にも江戸時代の戯作家岩瀬京山や…
回向院 寺・神社・教会
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その兄である岩瀬京伝こと山東京伝や…
回向院 寺・神社・教会
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江戸時代の女流歌人加藤千蔭のお墓等があるそうです。
回向院 寺・神社・教会
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明暦3年(1657)1月、江戸市中の繁華街を焼いた有名な明暦の大火による焼死者・溺死者をはじめとして、入水者・牢死者・行路病死者・処刑者その他の横死者に対する供養のために造立されたものである。
もと、回向院本堂の向って右に存した三仏堂の前に建てられていたが、堂舎の位置がその後移転したにもかかわらず、この供養塔の位置はほとんど動いていないものと思われる。
総高3.0メートル、延宝3年(1657)頃建立された。願主は回向院第2世住持信誉貞存。
昭和62年(1987)3月20日 東京都教育委員会【解説板より】回向院 寺・神社・教会
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動物慰霊之碑や
東京都恩賜上野動物園 動物園・水族館
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犬猫供養の碑や
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馬頭観音堂なんかもあります。
回向院は人間はもちろん、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くものであったことによりこのような諸動物の慰霊碑がたくさんあります。 -
鼠小僧の供養墓
鼠小僧もある意味動物(鼠)?
お墓の前には「お前立ちをお削りください」と書いてありましたので、削ってみました。回向院 寺・神社・教会
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その隣には文化13年に建てられた猫塚もあります。
猫をかわいがっていた魚屋が病気で商売できなくなり、生活が困窮したところ猫が二両のお金を咥えてきて魚屋を助けた。ある日猫は姿を消し戻って来なかったところある商家で二両をくわえて逃げようとしたところを見つかり、奉公人に殴り殺された。それを知った魚屋は商家の主人に事情を話したところ、主人も猫の恩に感銘を受けて魚屋とともにその遺体を回向院に葬った という『猫の恩返し』の猫です。回向院 寺・神社・教会
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こちらのお地蔵さまは塩地蔵というそうです。
ご利益が叶ったら塩を供えるそうです。回向院 寺・神社・教会
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水子塚
水子供養の発祥の地でもあるそうです。
こちらの水子塚は寛政5年老中松平定信の命により造立されたとか。 -
回向院を後にして、隣にある住友不動産ビルの奥へ入っていくと
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両国花火資料館があります。
12時からということでしたが、時計を見ると12:01。
無料ということでしたので、入ってみることにしました。
【両国2-10-8】ビルの奥にあるこじんまりとした資料館です by かつのすけさん両国花火資料館 美術館・博物館
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中はかなり狭く、1室しかなく、所狭しと花火に関する資料が並べられています。
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更に隅田川方向へ。
両国橋の脇には大きな表忠碑があります。
日露戦争で出征され、護国の為に身命を捧げられた英霊を奉っている石碑です。
【両国1-11-2】表忠碑 (両国橋児童遊園) 名所・史跡
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隅田川には両国橋。
貞享3年に国境が変更されるまでは武蔵国と下総国の境であったことから両国と言われるようになりました。
ここは江戸時代の初めは下総国、隅田川の向こう側は武蔵国でした。両国橋 名所・史跡
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両国橋のすぐ南側には『藤代町跡』の高札(解説板)
享保年間(1700年頃)幕府が竪川の上流猿江辺りに材木置き場とするに当たり、毛利藤左衛門に代替地としてこの橋詰の7百坪を与えましたが、猿江の土地に比べると狭いため、幕府はオランダから献上された象の飼育を命じ、これを広小路の見世物小屋に出して利益を出させて帳尻を合わせようとさせたそうです。藤代町跡 名所・史跡
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駒留橋跡
駒留橋は藤代町と広小路の間の入り堀に架かっていた小さな橋で、ここに片葉の葦が生えていたところからこの入り堀は片葉堀とよばれたそうです駒留橋跡 名所・史跡
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片葉の葦は江戸時代のストーカー男が娘を襲い、片手片足を切り落とし殺した挙げ句に堀に投げ込んでしまった後この周囲の葦は片方だけの葉しか付けなくなったというお話。
片葉の葦 名所・史跡
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実は全て同じ場所 こんな感じになっていま〜す
【両国1-11】 -
江戸時代は現在の両国橋よりも南側のこの場所に橋がかけられていたそうで、その前には広小路と呼ばれる火除け地(広小路)が設けられていたそうです。
【両国1-2-11】旧両国橋 広小路跡 名所・史跡
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両国と言えば相撲と赤穂浪士
吉良邸に討ち入りした後で泉岳寺に向かう途中、赤穂浪士が休息した場所です。
と言っても、吉良邸から大した距離はないですが…
【両国1-11】高札 赤穂浪士休息の地 名所・史跡
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石尊とは大山のこと
大山詣をする前に水垢離を取り、体を清めた場所だそうです。
そういえばこの前大山に行ったとき
http://4travel.jp/travelogue/11125838
は軽装で行ったので、体を清めるなんてことは考えもしなかった(反省)
【両国1-11】高札 石尊垢離場跡 名所・史跡
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春日野部屋 国技館に近いこともあってか、両国には相撲部屋が点在しています。
上はマンションになっています。
【両国1-7-11】 -
与兵衛寿司は
毛抜鮓(現在の日本橋人形町)、松が鮨(深川)とともに江戸三鮨の一つに数えられていたお寿司屋さん。文政7年に小泉与兵衛(屋号・華屋)が創業したそうだ。寿司にワサビを使ったのはこの華屋与兵衛が最初だったそうです。
因みに現代のそんなような名前のチェーン店のお店とは関係ありません。
【両国1-8-9】与兵衛寿司跡 名所・史跡
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さきほど訪れた回向院。昔はここに正門があったようで、江戸時代は両国橋から正面にこの正門が見えたそうです。
そんな場所も今は幼稚園。
【両国2-8-10】回向院 寺・神社・教会
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竪川(上は首都高)を越えたところには江島杉山神社。
【千歳1-8-2】江島杉山神社 寺・神社・教会
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江ノ島弁財天と現在日本の鍼治療法の主流となり世界にも伝わる管鍼術を考案した杉山和一総検校が祀られています。
杉山検校は鍼の神、視覚障害者に鍼・按摩を職業として与えた方として尊敬されているそうです。 -
塩原橋を渡り再び竪川の北側に。
塩原橋 名所・史跡
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出羽海部屋 先ほどの春日野部屋はこの出羽海部屋から分かれた部屋だそうです。
【両国2-3-15】出羽海部屋 名所・史跡
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井筒部屋
【両国2-2-7】 -
忠臣蔵の舞台となった吉良上野介の屋敷の裏門の跡です。
吉良邸は現在ないので、当然こちらについても高札のみが建っています。
【両国3-10】吉良邸裏門跡 名所・史跡
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吉良邸のすぐ近くにある相撲写真資料館は実は写真屋さんのようです。
開館日は火曜日オンリー 当然この日はお休みでした。
【両国3-13-2】相撲写真資料館 美術館・博物館
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吉良邸のすぐそばに
中島伊勢は幕府ご用達の鏡師で、葛飾北斎を養子としたそうで、
一説によれば北斎は中島伊勢と妾である吉良方の剣客小林平八郎の娘の子とも…
【両国3-14-6】鏡師中島伊勢住居跡 名所・史跡
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本所松坂町公園は住宅街の中にこじんまりとあります。
【両国3-13-9】本所松坂町公園の中にある稲荷神社 by かつのすけさん本所松坂町公園 公園・植物園
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ここは赤穂浪士が討ち入りした吉良邸の跡。
吉良邸はこの辺り一帯約8,400?もの広さがあったそうで、この本所松坂町公園はそのほんの一部です。ここも周囲同様に住宅地となってしまっていましたが、昭和9年に地元の有志でこの土地を購入して旧跡を維持してきたそうです。本所松坂町公園の中にある稲荷神社 by かつのすけさん本所松坂町公園 公園・植物園
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公園の中 壁に囲まれているということもあってかかなり狭く感じますが…
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公園の中には吉良上野介も座っており…
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神社もある
赤穂浪士討入り後、吉良邸跡へ地所清めのために遷官され兼春稲荷が昭和に入ってから上野稲荷を合祀したそうです。本所松坂町公園の中にある稲荷神社 by かつのすけさん本所松坂町公園 公園・植物園
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みしるし洗いの井戸も。
この井戸で上野介の首を洗ったと言われています。 -
公園のすぐ前には本因坊屋敷跡。
囲碁の名門・本因坊の屋敷はもともと金杉橋にあった住居が幕府に接収されたためにこの地に移ってきたそうです。
【両国3-5-7】本因坊屋敷跡 名所・史跡
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さきほどの裏門から松坂町公園をはさんでこちらに吉良邸の正門跡がありました。
その大きさがわかります。
【両国3-6-7】吉良邸正門跡 名所・史跡
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両国小学校の敷地内には駆逐艦不知火の碇が展示されています。
【両国4-26-6両国小学校】駆逐艦「不知火」の錨 名所・史跡
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そのすぐ横には芥川龍之介の文学碑が建っていました。
石碑には『杜子春』の一節が刻まれています。
【両国4-26-6両国小学校】芥川龍之介の文学碑 名所・史跡
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すぐそばには時津風部屋があります。玄関の上には『双葉山相撲道場』と掲げられています。
【両国3-15-4】時津風部屋 名所・史跡
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そして近くには両国公園があります。
【両国4-25-3】両国公園 公園・植物園
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勝海舟生誕の地は両国公園の一角にありました。
珍しく解説板だけではなく、壁面には勝海舟の生涯が説明されていて、大きな石碑なんかもありました。勝海舟生誕の地 名所・史跡
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尺振八の共立学舎跡
共立学舎は、自由民権運動闘士の溜まり場と化したため、閉鎖されました。
【両国4-8】尺振八の共立学舎跡 名所・史跡
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京葉道路を渡り、芥川龍之介生育の地があります。
生まれたのは中央区京橋(現在の明石町)ですが、その後引き取られた母の実家(当時は本所区小泉町)です。
【両国3-22】芥川龍之介生育の地 名所・史跡
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という感じで、駅の南側は赤穂浪士の討ち入りの舞台等江戸時代の史跡や相撲部屋が点在していたり、回向院を中心とした門前町的な町でありました。
両国駅に戻り、駅の北側を歩いていきます。
両国国技館は駅のすぐ前にあります。
【横綱1-3-28】両国国技館 名所・史跡
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槍の名人俵星玄蕃は赤穂浪士杉野十兵次と親しく、吉良邸の討ち入りを知り助太刀しようとしたそうです。吉良邸も近かったことだし。
そんな俵星玄蕃の道場跡は両国国技館の所にありました。
【横綱1-3】俵星玄蕃の道場跡 名所・史跡
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両国国技館の太鼓櫓
両国国技館 名所・史跡
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そしてこちらが国技館の入口です
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中を覗いてみました
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そのまま北上していくと旧安田庭園にたどり着きました。
【横綱1-12-1】無料で小さな庭園ですが、ここも大名庭園でした by かつのすけさん旧安田庭園 公園・植物園
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この庭園は元々は笠間藩(のち宮津藩)本庄松平家の下屋敷で、明治になって岡山藩池田家の邸宅となったそうですが、明治22年に安田善次郎の所有となったそうです。
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鴨も気持ちよさそうに泳いでいます
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園内を一周してみました。
それほど広い庭園ではありませんので、10分くらいで一周できます。 -
駒留石
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都会の中のオアシスという感じです。
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かつてはこの水門から隅田川の水を取水して隅田川の干満を利用し、眺めの変化を鑑賞する庭園だったそうですが、現在では隅田川の水質汚染が園内に及ぶのを防ぐために直接接続は停止されています。
無料で小さな庭園ですが、ここも大名庭園でした by かつのすけさん旧安田庭園 公園・植物園
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横綱町公園にやってきました。
この一帯はかつて陸軍被服廠跡地。関東大震災では多くの犠牲者を出した場所ということで、園内には慰霊堂や復興記念館が建てられています。
【横綱2-3】横網町公園 公園・植物園
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震災遺難児童弔魂像は関東大震災で死亡した児童約5,000人の死を悼んで建てられたものです。
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こちらの慰霊堂は関東大震災の身元不明者の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂として創設され、後に東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀されています。
震災と戦災の被災者の霊を祀っています by かつのすけさん東京都慰霊堂 名所・史跡
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こちらの幽瞑鐘も中国仏教徒により寄贈された関東大震災により遭難死した死者追悼のための鐘だそうです。
幽冥鐘 名所・史跡
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こちらは公園内にある東京都復興記念館はかなり年季の入った建物です。
震災戦災の惨事を後世に伝えるために by かつのすけさん東京都復興記念館 美術館・博物館
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関東大震災の際に多くの人々がこの被覆廠跡地に逃げてきて、火災旋風で亡くなったということで、大きな被害を受けた場所。そんなことで、ここにその大災害の被害が展示されています。
写真は熱で溶け固まった硬貨 -
被災者はあまりに多くトラックで運ばれたそうです。
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2階へ
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震災後の様子
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震災だけではなく、戦災の遺品なども展示されています。
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こちらは『東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑』という長い名前の碑。
単なる石碑ではなく、大きさもかなり大きなものです。平和の永続を祈念して建設されました by かつのすけさん東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑 名所・史跡
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横網町公園から江戸東京博物館へ。
博物館に隣接して両国ポンプ所があります。見学会も行われているようです。
【横綱1-4-2】両国ポンプ所 名所・史跡
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江戸東京博物館 とても大きな建物です。
以前に来たのは5年くらい前でしたが、こちらの博物館は昨年リニューアルされました。
【横綱1-4-1】江戸東京博物館 美術館・博物館
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チケットを購入して
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こちらのエスカレーターで6階へ
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6階に到着し、ゲートをくぐると目の前に大きな日本橋が出現!
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この日本橋を渡って展示ゾーンへと向かいます。
橋の向こう側は E1 江戸城と町割り ゾーンとなっています。 -
日本橋から見下ろした下階の朝野新聞社の建物
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その脇では大道芸をやっていました
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こちらは橋の反対側に建っている原寸大に復元された芝居小屋(歌舞伎小屋)・中村座。
江戸三座の一つ。中村勘三郎の中村です。 -
橋を渡ると江戸ゾーンのになります。
寛永の町人地(日本橋北詰付近)のジオラマ -
人物の細かいところまで作られています。
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江戸時代の日本橋界隈を歩いている気分…
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江戸城本丸 大広間・松の廊下・下書院の模型
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大広間の金屏風
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江戸城
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江戸幕府初代将軍 徳川家康公
徳川家康像 名所・史跡
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松の廊下にあった松の襖
両国には赤穂浪士が討ち入りをした吉良邸があり、両国地域に因んだ展示が所々に見られます。 -
駕籠
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日本橋
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こちらの駕籠は実際に乗ってみることもできます
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5階へ移動して E2 町の暮らし ゾーンへ。
町火消のまとい -
江戸町人の人生
寿命は56歳…かなり短命でした -
当時の庶民の食事
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棟割長屋 寺子屋の風景
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E3 出版と情報エリア
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東海道中膝栗毛 十返舎一九作
現在の単行本くらいの大きさで意外と小さい本でした -
偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ) 柳亭種彦作・歌川国貞挿絵
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E4 江戸の商業ゾーン
寿司屋台 -
菱垣廻船は上方と江戸を結んだ物資輸送船
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三井越後屋呉服店江戸本店
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お店の中
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とても賑わっています
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江戸時代の貨幣
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看板
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神田明神山車
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こちらは祭りのジオラマ
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アップで
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両国橋
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町を行き交う人々
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橋の上を歩く人々
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橋の畔もにぎわっています。
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解体新書
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芝居小屋
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助六の舞台
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市川團十郎
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特別展『発掘された日本列島 新発見考古速報2016』(文化庁主催)
6月4日〜7月24日の間で開催、8月〜9月には大津市歴史博物館、9月〜10月には秋田県立博物館、11月〜12月には高知県立歴史民俗資料館、2017年1月〜2月には北九州市立自然史・歴史博物館で順次開催される予定です。 -
入るとすぐに縄文式土器が並んでいました
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縄文時代の遺跡から出土した黒曜石
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土器
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河原口坊中遺跡(神奈川県海老名市)から出土した板状鉄斧
当時の日本ではこれを作る技術がなかったそうで、大陸とのつながりを示すものらしい。 -
土偶
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意外とかわいい顔してます
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和同開珎 日本初の流通貨幣
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中津居館跡(山口県岩国市)から出土した一括出土銭
一括出土銭は65cmほどの備前焼の甕に推定4〜5万枚と見られる大量の銭が収められたものです。 -
E10 江戸から東京へ ゾーン
勝海舟江戸開城図 勝海舟も両国で生まれました。 -
東京ゾーンへ
さきほど日本橋の上から見た朝野新聞社 -
銀座のガス燈
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自働電話
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自転車は乗車可…やっぱり足がつかない。
昔の人は止まるときどうしていたのだろうか…?と、ふと思う。 -
第一国立銀行の模型
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郵便箱
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人力車
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明治の銀座の模型
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銀座を人間の目線で…
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銀座の街なみ
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ニコライ堂&鹿鳴館
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浅草の凌雲閣 実物は関東大震災で半壊し解体されました。
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クラシックカー
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昭和のトラック
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1970〜80年代の思い出の品々。懐かしいものも多々見られました。
給食も少しずつ変化しています。
赤と青の服は竹の子族の服 その下には ファミコン -
1980〜90年代
緑色の服はボディコン バブル絶頂の頃ですね〜 -
さきほど日本橋から見た大道芸。実は外国人観光客を対象としていたようです。
外国人の食いつきは結構良かったです。 -
ミュージアムショップの先は出口となっていました。
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博物館と駅の間には地下へ潜る総武快速線の地下への入口が…
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両国駅の昔の駅舎は昭和4年に開業
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両国駅の改札内には武蔵丸と白鳳の写真の下に
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力士たちの手形
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かつて房総方面への始発電車が多数設定されていましたが、東京駅地下ホーム完成とともにホーム設置スペースがなく総武快速線は両国駅を通過してしまうようになったため、始発電車もなくなってしまいました。
臨時電車などが発着するため3番線ホームがありますが、このホームはほとんど使われていません。3番線へと続く通路は写真ギャラリーになっています by かつのすけさん両国ステーションギャラリー 名所・史跡
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そんな3番線ホームに続く通路はステーションギャラリーとなっています。
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中央には赤絨毯が敷かれ、両側の壁には両国駅の歴史が写真パネルでつづられています。
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そして赤絨毯はホームまで続いていました。
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現在は通常ダイヤでは各駅停車のみが発着する1・2番線から、ホームに入ることができない3番線の臨時ホームを見ることができます。
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