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5月3日、総武線両国駅で降りて<br />隅田川にかかる橋、8つを歩いて見た。<br /><br />即ち隅田川に架かる<br />1両国橋より、<br />2蔵前橋<br />3厩橋<br />4駒形橋<br />5吾妻橋<br />6言問橋<br />7桜橋<br />8白鬚橋まで<br /><br />北へ徒歩遡行である。<br /><br />写真に映ったスカイツリーを数えてみたら<br />「東京スカイツリー36景」だった。<br /><br /><br /><br /> 古くは千住より上流を「荒川」、<br />浅草近辺を「浅草川」、<br />駒形近くは「宮戸川」、<br />両国より下流を「大川」<br />と呼んでいた。<br /><br />昭和51年より<br />北区岩淵水門で荒川と分岐したところから<br />下流を「隅田川」と呼ぶようになった。<br /><br /> 江戸時代はわずか<br />下記の5橋だけが架けられていたが、<br />江戸幕府の軍事上の問題から<br />橋の架設には積極的でなく、<br />渡船がその役割をしていた。<br /> (1)千住大橋【文禄3年(1594年)】<br /> (2)両国橋(大橋)【万治2年(1659年)】<br /> (3)新大橋【元禄6年(1693年)】<br /> (4)永代橋【元禄11年(1698年)】<br /> (5)吾妻橋【安永3年(1774年)】<br /> <br />隅田川の渡しは<br />昭和39年佃の渡しを最後に全廃され、<br />明治40年 頃、隅田川には18ヶ所の渡し場があった<br />といわれている。<br /> <br />もっとも古いのは「橋場の渡し」で、<br />承和2年(835年)太宰官符に<br />「渡し船を2隻から4隻にふやせ」と記録にあるように、<br />今の浅草北部は平安時代、<br />すでに水路と陸路の要衡の地であった。<br /><br />表題写真は、両国橋である。<br /><br />両国橋の謂われは、<br />隅田川の西は、江戸時代武蔵国<br />その東は、下総国だった。<br /><br />武蔵と下総の二つの国、<br />両国を結んでいるという意味で<br />両国橋と名付けられた。<br /><br />この橋が架かったため、<br />本所・深川が江戸の<br />新市街として発展することとなった。<br /><br />橋詰の両側は、<br />賑やかな遊び場所としても開けた。<br />幕末からは、川開きの花火もあって江戸の<br />市民には喜ばれた。<br />現在の橋は、昭和7年(1932年)に完成した。<br /><br />余談になるが、<br />日本の橋梁技術が根本的に<br />変わるのは、明治維新を越えた<br />外国人技術者を招いた明治期である。<br /><br />また、大きく橋梁を変えたのは、<br />大正12年の関東大震災だった。<br />特に<br />隅田川の橋に重点が置かれ、<br />隅田川の橋という橋は、新しい技術と様式で<br />架け替えられることとなっていった。<br />

隅田川に架かる橋八景、両国橋から白鬚橋までの散策記、並びに東京スカイツリー三十六景

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2017/05/03 - 2017/05/03

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わき

わきさん

5月3日、総武線両国駅で降りて
隅田川にかかる橋、8つを歩いて見た。

即ち隅田川に架かる
1両国橋より、
2蔵前橋
3厩橋
4駒形橋
5吾妻橋
6言問橋
7桜橋
8白鬚橋まで

北へ徒歩遡行である。

写真に映ったスカイツリーを数えてみたら
「東京スカイツリー36景」だった。



 古くは千住より上流を「荒川」、
浅草近辺を「浅草川」、
駒形近くは「宮戸川」、
両国より下流を「大川」
と呼んでいた。

昭和51年より
北区岩淵水門で荒川と分岐したところから
下流を「隅田川」と呼ぶようになった。

 江戸時代はわずか
下記の5橋だけが架けられていたが、
江戸幕府の軍事上の問題から
橋の架設には積極的でなく、
渡船がその役割をしていた。
 (1)千住大橋【文禄3年(1594年)】
 (2)両国橋(大橋)【万治2年(1659年)】
 (3)新大橋【元禄6年(1693年)】
 (4)永代橋【元禄11年(1698年)】
 (5)吾妻橋【安永3年(1774年)】
 
隅田川の渡しは
昭和39年佃の渡しを最後に全廃され、
明治40年 頃、隅田川には18ヶ所の渡し場があった
といわれている。
 
もっとも古いのは「橋場の渡し」で、
承和2年(835年)太宰官符に
「渡し船を2隻から4隻にふやせ」と記録にあるように、
今の浅草北部は平安時代、
すでに水路と陸路の要衡の地であった。

表題写真は、両国橋である。

両国橋の謂われは、
隅田川の西は、江戸時代武蔵国
その東は、下総国だった。

武蔵と下総の二つの国、
両国を結んでいるという意味で
両国橋と名付けられた。

この橋が架かったため、
本所・深川が江戸の
新市街として発展することとなった。

橋詰の両側は、
賑やかな遊び場所としても開けた。
幕末からは、川開きの花火もあって江戸の
市民には喜ばれた。
現在の橋は、昭和7年(1932年)に完成した。

余談になるが、
日本の橋梁技術が根本的に
変わるのは、明治維新を越えた
外国人技術者を招いた明治期である。

また、大きく橋梁を変えたのは、
大正12年の関東大震災だった。
特に
隅田川の橋に重点が置かれ、
隅田川の橋という橋は、新しい技術と様式で
架け替えられることとなっていった。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 両国駅に降りると<br />両国地域のなりたち<br />の画像がずらりと並んであった。

    両国駅に降りると
    両国地域のなりたち
    の画像がずらりと並んであった。

  • 駅前には、<br />両国国技館の駅らしく<br />大相撲の横綱の大きな額が。

    駅前には、
    両国国技館の駅らしく
    大相撲の横綱の大きな額が。

  • 歴代の横綱の<br />てがたも。<br />左上は、双葉山のもの。<br />その右は、70連勝を阻んだ<br />安芸の海のてがた。<br /><br />その後、安芸の海は、<br />双葉山の70連勝を阻んだこともあって、<br />精進を重ね<br />1942年5月場所後、<br />照國萬藏と同時に横綱へ昇進。<br /><br />しかし<br />双葉山には、その後9連敗と二度と勝てなかった

    歴代の横綱の
    てがたも。
    左上は、双葉山のもの。
    その右は、70連勝を阻んだ
    安芸の海のてがた。

    その後、安芸の海は、
    双葉山の70連勝を阻んだこともあって、
    精進を重ね
    1942年5月場所後、
    照國萬藏と同時に横綱へ昇進。

    しかし
    双葉山には、その後9連敗と二度と勝てなかった

  • 江戸時代の両国の賑わいの<br />図

    江戸時代の両国の賑わいの

  • 駅から歩き始めると<br />すぐに回向院が<br />やはり目に付く

    駅から歩き始めると
    すぐに回向院が
    やはり目に付く

  • 回向院を大きく

    回向院を大きく

  • 回向院を左に見ながら<br />右へ歩くと<br />両国橋である。

    回向院を左に見ながら
    右へ歩くと
    両国橋である。

  • 違う角度から

    違う角度から

  • 両国橋から見ると<br />上流には、<br />総武線の<br />隅田川橋梁があった。

    両国橋から見ると
    上流には、
    総武線の
    隅田川橋梁があった。

  • 隅田川支流の神田川に架かる<br />柳橋が見えている。

    隅田川支流の神田川に架かる
    柳橋が見えている。

  • こちらは、<br />総武線の<br />隅田川橋梁

    こちらは、
    総武線の
    隅田川橋梁

  • 観光船が上流の方へ進んでいた。

    観光船が上流の方へ進んでいた。

  • 両国橋の上で、<br />自分を一枚撮影した<br /><br />背景右後ろに<br />微かにスカイツリーが

    両国橋の上で、
    自分を一枚撮影した

    背景右後ろに
    微かにスカイツリーが

  • 両国橋を渡り終えると<br />ひらがなで<br />りょうごくばし<br />とあった。<br />スカイツリーが左側に見えている

    両国橋を渡り終えると
    ひらがなで
    りょうごくばし
    とあった。
    スカイツリーが左側に見えている

  • 両国橋から、<br />総武線橋梁と<br />スカイツリーを

    両国橋から、
    総武線橋梁と
    スカイツリーを

  • 神田川の末端に架かる<br />柳橋である。<br />右は、すぐに隅田川である。<br /><br />柳橋は神田川に架かる<br />井の頭池から隅田川(大川)までの<br />神田川140の橋の最後の橋である。

    神田川の末端に架かる
    柳橋である。
    右は、すぐに隅田川である。

    柳橋は神田川に架かる
    井の頭池から隅田川(大川)までの
    神田川140の橋の最後の橋である。

  • 柳橋<br /><br />正岡子規が柳橋をテーマに詠んだ俳句が2つ<br /><br />春の夜や女見返る柳橋 <br /><br />贅沢な人の涼みや柳橋<br /><br />と紹介されていた。

    柳橋

    正岡子規が柳橋をテーマに詠んだ俳句が2つ

    春の夜や女見返る柳橋

    贅沢な人の涼みや柳橋

    と紹介されていた。

  • 柳橋のいわれなど

    柳橋のいわれなど

  • 違う角度から<br />柳橋を

    違う角度から
    柳橋を

  • 柳橋<br />横には、<br />船宿小松屋が

    柳橋
    横には、
    船宿小松屋が

  • 小松屋のその真ん前の<br />神田川船宿光景である<br />屋形船が並んでいた

    小松屋のその真ん前の
    神田川船宿光景である
    屋形船が並んでいた

  • 小松屋を<br />もう一枚

    小松屋を
    もう一枚

  • 住居表示は<br />台東区柳橋1丁目となっていた。

    住居表示は
    台東区柳橋1丁目となっていた。

  • 少し歩いて行くと<br />柳橋芸妓組合の神社が<br />あった。<br />極めて小さかった。

    少し歩いて行くと
    柳橋芸妓組合の神社が
    あった。
    極めて小さかった。

  • その横には、<br />浅草柳橋<br />名前の由来が<br />説明されていた

    その横には、
    浅草柳橋
    名前の由来が
    説明されていた

  • 隅田川テラス<br />川沿いを北へ歩くことになる。

    隅田川テラス
    川沿いを北へ歩くことになる。

  • あと二日で<br />こどもの日<br />隅田川テラス川沿いに<br />鯉のぼりが風にたなびいていた。<br />向こうには<br />スカイツリー

    あと二日で
    こどもの日
    隅田川テラス川沿いに
    鯉のぼりが風にたなびいていた。
    向こうには
    スカイツリー

  • こいのぼりと<br />スカイツリー

    こいのぼりと
    スカイツリー

  • スカイツリーを<br />両国橋過ぎたあたりから

    スカイツリーを
    両国橋過ぎたあたりから

  • こいのぼりが<br />たなびいて

    こいのぼりが
    たなびいて

  • 総武線橋梁をすぎる

    総武線橋梁をすぎる

  • このあたりから、<br />隅田川テラスには<br />安藤広重の<br />絵画が<br />石版で紹介されている。<br /><br />所謂<br />名所江戸百景である。

    このあたりから、
    隅田川テラスには
    安藤広重の
    絵画が
    石版で紹介されている。

    所謂
    名所江戸百景である。

  • 安藤広重の<br />絵画が<br />名所江戸百景

    安藤広重の
    絵画が
    名所江戸百景

  • 同上

    同上

  • 同上である。

    同上である。

  • 名所江戸百景<br />安藤広重

    名所江戸百景
    安藤広重

  • 同上

    同上

  • 同じく

    同じく

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 蔵前橋<br />昭和2年完成<br />三径間アーチ桁橋<br />、鉄筋コンクリート跨道橋<br />河岸道路があるので<br />四連アーチとなっている。<br /><br />蔵前(くらまえ)の名は、<br />幕府の御米蔵が<br />この地にあったことに由来する。<br /><br />その蔵の前の地というのが、<br />地名にもなったのである。<br /><br />このお米蔵は、<br />元和年間に大川端を埋め立てて建てられたが、<br />盛時には<br />数十棟もの蔵が建ち並んでいたという。<br /><br />

    蔵前橋
    昭和2年完成
    三径間アーチ桁橋
    、鉄筋コンクリート跨道橋
    河岸道路があるので
    四連アーチとなっている。

    蔵前(くらまえ)の名は、
    幕府の御米蔵が
    この地にあったことに由来する。

    その蔵の前の地というのが、
    地名にもなったのである。

    このお米蔵は、
    元和年間に大川端を埋め立てて建てられたが、
    盛時には
    数十棟もの蔵が建ち並んでいたという。

  •  「蔵前橋通り」にあり、橋名は地名に由来している。<br />蔵前の地名は、<br />江戸幕府の御米蔵で大阪・京都の蔵とともに<br />三御倉(みつおくら)と呼ばれていた<br />「浅草御蔵」がこの地にあったことに由来している。

     「蔵前橋通り」にあり、橋名は地名に由来している。
    蔵前の地名は、
    江戸幕府の御米蔵で大阪・京都の蔵とともに
    三御倉(みつおくら)と呼ばれていた
    「浅草御蔵」がこの地にあったことに由来している。

  • 蔵前橋と<br />スカイツリー<br /><br />蔵前橋の<br />黄色が映えていた。

    蔵前橋と
    スカイツリー

    蔵前橋の
    黄色が映えていた。

  • 蔵前橋を<br />下側から撮影

    蔵前橋を
    下側から撮影

  • 遠めに撮影

    遠めに撮影

  • 大きく撮影<br />黄色というよりも、<br /><br />黄金色と言ったほうが<br />相応しい。

    大きく撮影
    黄色というよりも、

    黄金色と言ったほうが
    相応しい。

  • ひらがな書きの<br />くらまえばし

    ひらがな書きの
    くらまえばし

  • 蔵前橋の上から<br />スカイツリーを

    蔵前橋の上から
    スカイツリーを

  • こちらは<br />漢字の<br />蔵前橋

    こちらは
    漢字の
    蔵前橋

  • 北斎ゆかりの<br />案内板もあった。

    北斎ゆかりの
    案内板もあった。

  • 同上である

    同上である

  • 蔵前橋を<br />通り過ぎて<br />厩橋との<br />中間地点で<br />蔵前橋を撮影

    蔵前橋を
    通り過ぎて
    厩橋との
    中間地点で
    蔵前橋を撮影

  • 蔵前橋を<br />通り過ぎて<br />厩橋との<br />中間地点で<br />黄金色の蔵前橋を撮影。<br />観光船は、<br />屋形船のように、<br />橋桁の下をくぐり抜けるので、<br />背丈はやはりないようだ。<br />

    蔵前橋を
    通り過ぎて
    厩橋との
    中間地点で
    黄金色の蔵前橋を撮影。
    観光船は、
    屋形船のように、
    橋桁の下をくぐり抜けるので、
    背丈はやはりないようだ。

  • 厩橋にやってきた。<br />明治7年<br />昭和4年完成<br />三径間下路式アーチ橋

    厩橋にやってきた。
    明治7年
    昭和4年完成
    三径間下路式アーチ橋

  • 東京都道453号本郷亀戸線(春日通り)を通す。<br />西岸は台東区蔵前二丁目、<br />および駒形二丁目を分かち、<br />東岸は墨田区本所一丁目。<br /><br />橋全体に馬を連想させるレリーフ<br />などが施されている。<br />橋名は西岸にあった<br />「御厩河岸(蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩)」にちなむ。

    東京都道453号本郷亀戸線(春日通り)を通す。
    西岸は台東区蔵前二丁目、
    および駒形二丁目を分かち、
    東岸は墨田区本所一丁目。

    橋全体に馬を連想させるレリーフ
    などが施されている。
    橋名は西岸にあった
    「御厩河岸(蔵前の米蔵の荷駄馬用の厩)」にちなむ。

  • 厩橋と蔵前橋の中間から<br />パンジーの花壇ごしに<br />蔵前橋を望む

    厩橋と蔵前橋の中間から
    パンジーの花壇ごしに
    蔵前橋を望む

  • 厩橋近くに<br />繋留された船など

    厩橋近くに
    繋留された船など

  • 3連のアーチが美しい。<br />緑色である。

    3連のアーチが美しい。
    緑色である。

  • 東側は、<br />ひらがなで<br />うまやばし<br />とあった。

    東側は、
    ひらがなで
    うまやばし
    とあった。

  • 大写しで

    大写しで

  • 東側から<br />厩橋を<br />渡る。

    東側から
    厩橋を
    渡る。

  • 「春日通り」にあり、<br />橋名は江戸幕府の御米蔵にある米を運ぶ<br />荷駄馬用の馬小屋があったことに<br />由来している。<br /><br />初めて架橋されたのは<br />1874年(明治7年)。<br />かつてこの辺りは<br /><br />「御厨河岸(おんまいがし)」と呼ばれており、<br />その河岸に「御厨(おんまい)の渡し」<br />と呼ばれた渡し舟があった。<br /><br />西側河岸には、<br />漢字で<br />厩橋となっていた。<br />左奥には、スカイツリー

    「春日通り」にあり、
    橋名は江戸幕府の御米蔵にある米を運ぶ
    荷駄馬用の馬小屋があったことに
    由来している。

    初めて架橋されたのは
    1874年(明治7年)。
    かつてこの辺りは

    「御厨河岸(おんまいがし)」と呼ばれており、
    その河岸に「御厨(おんまい)の渡し」
    と呼ばれた渡し舟があった。

    西側河岸には、
    漢字で
    厩橋となっていた。
    左奥には、スカイツリー

  • 厩橋と<br />スカイツリー

    厩橋と
    スカイツリー

  • 厩橋を<br />横断しながら<br />撮影

    厩橋を
    横断しながら
    撮影

  • 右には<br />スカイツリー<br />左には<br />アサヒビールの建物

    右には
    スカイツリー
    左には
    アサヒビールの建物

  • 駒形橋<br /><br />昭和2年<br />鋼アーチ橋桁橋<br />中央は上部に、左右は下部にアーチがある変形アーチ橋<br /><br />西岸は台東区雷門二丁目、<br />および駒形二丁目を分かち、<br />東岸は墨田区東駒形一丁目と吾妻橋一丁目を分かつ。<br /><br />橋名は橋の西詰にある「駒形堂」に因む。<br /><br />関東大震災後の復興計画により<br />現在の橋がはじめて架橋された。

    駒形橋

    昭和2年
    鋼アーチ橋桁橋
    中央は上部に、左右は下部にアーチがある変形アーチ橋

    西岸は台東区雷門二丁目、
    および駒形二丁目を分かち、
    東岸は墨田区東駒形一丁目と吾妻橋一丁目を分かつ。

    橋名は橋の西詰にある「駒形堂」に因む。

    関東大震災後の復興計画により
    現在の橋がはじめて架橋された。

  • 駒形橋と厩橋の<br />中間地点から<br />厩橋を<br />のぞむ

    駒形橋と厩橋の
    中間地点から
    厩橋を
    のぞむ

  • 厩の<br />屋形船

    厩の
    屋形船

  • 左に<br />駒形橋<br />右には<br />スカイツリー<br />そのあいだに<br />アサヒビールの社屋が。

    左に
    駒形橋
    右には
    スカイツリー
    そのあいだに
    アサヒビールの社屋が。

  • 駒形(こまかた)の名は、<br />浅草寺に属する駒形堂に由来する。<br />土地の人々によれば、<br />コマカタは清く発音して、<br />コマガタと濁らないと<br />伝えている。<br /><br />ここは古来、<br />交通の要地で、<br />”駒形の渡し”のあったところである

    駒形(こまかた)の名は、
    浅草寺に属する駒形堂に由来する。
    土地の人々によれば、
    コマカタは清く発音して、
    コマガタと濁らないと
    伝えている。

    ここは古来、
    交通の要地で、
    ”駒形の渡し”のあったところである

  • 駒形堂は、<br />浅草寺の本尊である観音像が、<br />この辺りから引き上げられたことにより建てられた<br />と言われている。<br />かつては、この辺りに<br />「駒形の渡し」と呼ばれた渡し舟があった。

    駒形堂は、
    浅草寺の本尊である観音像が、
    この辺りから引き上げられたことにより建てられた
    と言われている。
    かつては、この辺りに
    「駒形の渡し」と呼ばれた渡し舟があった。

  • 大きく駒形橋を。<br />駒形橋から<br />スカイツリーを

    大きく駒形橋を。
    駒形橋から
    スカイツリーを

  • 同上

    同上

  • 正岡子規は、<br />俳句がせんもんだったが、<br /><br />和歌も、作っている。<br /><br />  浅草の林もわかず 暮れそめ<br />    三日月低し、駒形の上に<br /><br />というのがあり、当時の景況がしのばれる。<br /><br />橋の上は、<br />かなり強風だった。

    正岡子規は、
    俳句がせんもんだったが、

    和歌も、作っている。

      浅草の林もわかず 暮れそめ
        三日月低し、駒形の上に

    というのがあり、当時の景況がしのばれる。

    橋の上は、
    かなり強風だった。

  • 駒形橋の上から<br />スカイツリー<br />アサヒビール社屋<br />などを

    駒形橋の上から
    スカイツリー
    アサヒビール社屋
    などを

  • 同上

    同上

  • 同じく<br />違う角度で

    同じく
    違う角度で

  • 駒形橋を<br />渡り終えた

    駒形橋を
    渡り終えた

  • 吾妻橋<br /><br />安永3年 (1774)<br />昭和6年完成<br />上路式三連アーチ桁橋<br /><br />この橋の西岸の交叉点には<br />浅草一丁目がかかり、<br />神谷バーなど、いわゆる浅草中心に近い橋である。<br />また、東岸にはアサヒビール本社などが入る<br />墨田リバーサイド地区がある。<br /><br />なお、サクラの名所として著名な隅田公園は<br />この橋がほぼ南端にあたる。

    吾妻橋

    安永3年 (1774)
    昭和6年完成
    上路式三連アーチ桁橋

    この橋の西岸の交叉点には
    浅草一丁目がかかり、
    神谷バーなど、いわゆる浅草中心に近い橋である。
    また、東岸にはアサヒビール本社などが入る
    墨田リバーサイド地区がある。

    なお、サクラの名所として著名な隅田公園は
    この橋がほぼ南端にあたる。

  • 吾妻(あずま)の名は、<br />古来、東国・関東地方を<br />総称するアズマの語に<br />由来している。 <br />また、本所の吾妻神社にも<br />ゆかりをもっている。<br />もとは、”竹町の渡し”のあったところが、<br />安永3年(1774年)に<br />住民によって有料の橋がかけられ、<br />大川橋と呼ばれたが、のちに<br />吾妻橋と通称された。

    吾妻(あずま)の名は、
    古来、東国・関東地方を
    総称するアズマの語に
    由来している。 
    また、本所の吾妻神社にも
    ゆかりをもっている。
    もとは、”竹町の渡し”のあったところが、
    安永3年(1774年)に
    住民によって有料の橋がかけられ、
    大川橋と呼ばれたが、のちに
    吾妻橋と通称された。

  • 「雷門通り」にあり、<br />江戸時代に<br />隅田川で架橋された<br />最後の橋である(1774年/安永3年)

    「雷門通り」にあり、
    江戸時代に
    隅田川で架橋された
    最後の橋である(1774年/安永3年)

  • 吾妻橋の上から<br />アサヒビール社屋<br />その左スカイツリー<br />その左奥は墨田区役所

    吾妻橋の上から
    アサヒビール社屋
    その左スカイツリー
    その左奥は墨田区役所

  • 同じく、<br />大きく撮影

    同じく、
    大きく撮影

  • 吾妻橋上から<br />駒形橋をのぞむ

    吾妻橋上から
    駒形橋をのぞむ

  • 吾妻橋上は、<br />浅草観光客で<br />溢れていた。

    吾妻橋上は、
    浅草観光客で
    溢れていた。

  • 赤い色が<br />特徴的である

    赤い色が
    特徴的である

  • 渡り終えると<br />スカイツリーが<br />ビルのガラスに<br />画像のように映えていた。

    渡り終えると
    スカイツリーが
    ビルのガラスに
    画像のように映えていた。

  • その横には、<br />勝麟太郎の銅像が<br />立っていた。

    その横には、
    勝麟太郎の銅像が
    立っていた。

  • 勝麟経歴

    勝麟経歴

  • 勝麟太郎銅像を<br />違う角度で撮影すると、<br />左には<br />スカイツリーが

    勝麟太郎銅像を
    違う角度で撮影すると、
    左には
    スカイツリーが

  • 吾妻橋を渡り終えたところから<br />スカイツリーを

    吾妻橋を渡り終えたところから
    スカイツリーを

  • 隅田川を渡ると、<br />すぐ対岸の右脇に見える水門が<br />源森川水門である。<br />隅田川と北十間川の接続点に<br />設置された幅11メートルの<br />ローラーゲート式水門。<br />江東デルタ地帯を守る防潮水門で、<br />通常は開放、<br />高潮や津波の恐れがある場合は<br />直ちに閉鎖される。<br /><br />水門名の源森川というのは<br />北十間川のうち、<br />隅田川から大横川までの区間の旧名。

    隅田川を渡ると、
    すぐ対岸の右脇に見える水門が
    源森川水門である。
    隅田川と北十間川の接続点に
    設置された幅11メートルの
    ローラーゲート式水門。
    江東デルタ地帯を守る防潮水門で、
    通常は開放、
    高潮や津波の恐れがある場合は
    直ちに閉鎖される。

    水門名の源森川というのは
    北十間川のうち、
    隅田川から大横川までの区間の旧名。

  • そのすぐ脇から<br />スカイツリーを

    そのすぐ脇から
    スカイツリーを

  • 隅田川支流<br />北十間川に架かる<br />枕橋。<br /><br />北十間川の<br />名称は、<br />本所の「北」を流れる、<br />川幅が「10間」の川であることに<br />由来する

    隅田川支流
    北十間川に架かる
    枕橋。

    北十間川の
    名称は、
    本所の「北」を流れる、
    川幅が「10間」の川であることに
    由来する

  • 枕橋にちなんだ<br />情景話

    枕橋にちなんだ
    情景話

  • 向かい側には<br />隅田公園があった。

    向かい側には
    隅田公園があった。

  • 言問橋<br />昭和3年<br />ゲルバー式鋼板桁橋<br />アーチ橋<br />両岸の隅田公園をまたぐ鉄桁とコンクリートの橋<br /><br />アーチなどがないので、地味な印象

    言問橋
    昭和3年
    ゲルバー式鋼板桁橋
    アーチ橋
    両岸の隅田公園をまたぐ鉄桁とコンクリートの橋

    アーチなどがないので、地味な印象

  • 「言問通り」に接しており、<br />橋名は、<br />在原業平の<br />名にし負はば <br />いざ言問はむ都鳥 <br />わが思ふ人はありやなしやと<br /><br />との歌に由来すると言われている。<br /><br />かつて、この橋の上流には「竹屋の渡し」、<br /><br />下流には「山の宿の渡し」(別名:枕橋の渡し)<br /><br />と呼ばれた渡し舟があった。

    「言問通り」に接しており、
    橋名は、
    在原業平の
    名にし負はば 
    いざ言問はむ都鳥 
    わが思ふ人はありやなしやと

    との歌に由来すると言われている。

    かつて、この橋の上流には「竹屋の渡し」、

    下流には「山の宿の渡し」(別名:枕橋の渡し)

    と呼ばれた渡し舟があった。

  • 言問橋を更に一枚

    言問橋を更に一枚

  • 真横から橋桁を

    真横から橋桁を

  • 桜橋<br /><br />昭和60年完成<br />三径間の連続X形曲線鋼箱桁橋<br />ポール型灯柱の夜間照明も美しい歩行者専用橋<br /><br />

    桜橋

    昭和60年完成
    三径間の連続X形曲線鋼箱桁橋
    ポール型灯柱の夜間照明も美しい歩行者専用橋

  • 台東区と墨田区の姉妹提携事業として<br />1980年に創架が始まり、1985年に完成した。

    台東区と墨田区の姉妹提携事業として
    1980年に創架が始まり、1985年に完成した。

  • 花見のシーズンには、<br />両岸の桜を楽しむために<br />多くの人がこの橋を渡る

    花見のシーズンには、
    両岸の桜を楽しむために
    多くの人がこの橋を渡る

  • 美しい橋で<br />周辺との景観との調和を考慮して<br />色彩や素材に工夫が見られる

    美しい橋で
    周辺との景観との調和を考慮して
    色彩や素材に工夫が見られる

  • ご覧の通り、桜橋は歩行者、自転車などの専用の橋

    ご覧の通り、桜橋は歩行者、自転車などの専用の橋

  • 橋の両端にモニュメントが。<br />写真は、瑞鶴の図 <br />双鶴飛天の図、原画 平山 郁夫 です。<br />真ん中の丸の中に二羽の鶴が。

    橋の両端にモニュメントが。
    写真は、瑞鶴の図 
    双鶴飛天の図、原画 平山 郁夫 です。
    真ん中の丸の中に二羽の鶴が。

  • 桜橋モニュメント<br />そしてスカイツリー<br /><br />モニュメント意匠<br />力強く21世紀へ向け飛び立つ姿をイメージさせ、<br />隅田川にも飛来した美しい鶴をモチーフとしている。<br />(平山郁夫画伯:東京芸術大学学長)<br />

    桜橋モニュメント
    そしてスカイツリー

    モニュメント意匠
    力強く21世紀へ向け飛び立つ姿をイメージさせ、
    隅田川にも飛来した美しい鶴をモチーフとしている。
    (平山郁夫画伯:東京芸術大学学長)

  • モニュメント意匠<br />力強く21世紀へ向け飛び立つ姿をイメージさせ、<br />隅田川にも飛来した美しい鶴をモチーフとしている。(<br />平山郁夫画伯:東京芸術大学学長)<br />

    モニュメント意匠
    力強く21世紀へ向け飛び立つ姿をイメージさせ、
    隅田川にも飛来した美しい鶴をモチーフとしている。(
    平山郁夫画伯:東京芸術大学学長)

  • そのモニュメントの<br />銘板

    そのモニュメントの
    銘板

  • 再び<br />スカイツリーを

    再び
    スカイツリーを

  • 同様に

    同様に

  • 桜橋の<br />クルーズ船<br />乗り場案内

    桜橋の
    クルーズ船
    乗り場案内

  • 桜橋を<br />過ぎて<br />白鬚橋までの<br />途中で振り向くと<br />このように<br />スカイツリーが<br />現れた

    桜橋を
    過ぎて
    白鬚橋までの
    途中で振り向くと
    このように
    スカイツリーが
    現れた

  • 白髭橋<br />竣工:昭和6年(<br />鋼アーチ、鋼トラス桁、橋長168.8m、幅員22.1m)<br /> 「明治通り」にあり、<br /><br />橋名は墨田区にある白髭神社に由来している。<br /><br />初めて架橋されたのは1913年(大正3年)。<br />隅田川では、最も古い渡し舟と言われている<br />「橋場の渡し」のあった場所で、<br />平安時代の歌人である在原業平が渡った<br />とも言われている。

    白髭橋
    竣工:昭和6年(
    鋼アーチ、鋼トラス桁、橋長168.8m、幅員22.1m)
     「明治通り」にあり、

    橋名は墨田区にある白髭神社に由来している。

    初めて架橋されたのは1913年(大正3年)。
    隅田川では、最も古い渡し舟と言われている
    「橋場の渡し」のあった場所で、
    平安時代の歌人である在原業平が渡った
    とも言われている。

  • 同上

    同上

  • 同上

    同上

  • 白鬚橋近くより<br />スカイツリーを

    白鬚橋近くより
    スカイツリーを

  • このあと、<br />桜橋まで戻り、<br />向島5丁目の<br />居酒屋<br />かどやで、<br />芋焼酎三大銘柄<br />魔王<br />村尾<br />森伊蔵<br />を飲んだ。<br />三銘柄ともに、<br />極めてリーズナブルな<br />値段だった。<br /><br />写真は、<br />もう暮れなずむ<br />スカイツリー。<br />

    このあと、
    桜橋まで戻り、
    向島5丁目の
    居酒屋
    かどやで、
    芋焼酎三大銘柄
    魔王
    村尾
    森伊蔵
    を飲んだ。
    三銘柄ともに、
    極めてリーズナブルな
    値段だった。

    写真は、
    もう暮れなずむ
    スカイツリー。

  • 桜橋<br />言問橋<br />と戻って<br />

    桜橋
    言問橋
    と戻って

  • スカイツリー<br />を写真に収めながら

    スカイツリー
    を写真に収めながら

  • 雷門へ到着した。

    雷門へ到着した。

  • 雷門<br />大写し

    雷門
    大写し

  • 仲見世通りは<br />人人人で、溢れていた。

    仲見世通りは
    人人人で、溢れていた。

  • 浅草寺

    浅草寺

  • 同上

    同上

  • 同じく

    同じく

  • 大きく撮影

    大きく撮影

  • これまた大きく

    これまた大きく

  • 遠目から撮影

    遠目から撮影

  • 逆に大きく

    逆に大きく

  • 浅草寺から見た<br />スカイツリー<br /><br />スカイツリー<br />画像<br />数えてみたら<br />36枚だった。<br /><br />隅田川に架かる橋<br />八景<br />といい、<br />色々な姿で映る<br />スカイツリーといい、<br />東京都心のさりげない一日の<br />ちょっと満足した散策だった。

    浅草寺から見た
    スカイツリー

    スカイツリー
    画像
    数えてみたら
    36枚だった。

    隅田川に架かる橋
    八景
    といい、
    色々な姿で映る
    スカイツリーといい、
    東京都心のさりげない一日の
    ちょっと満足した散策だった。

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