2016/05/03 - 2016/05/05
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PHOPHOCHANGさん
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今年のGWは2日と6日を休んで最大10連休って方も多かったようですが、ツレもPHOも暦通りに出勤しなくちゃならないモンで、ど真ん中3連休が唯一のお出かけチャンス。何しろ合流するまでに半日かかりますからね。
となると賞味使える時間は3日のお昼から48時間、混雑やら渋滞やらに巻き込まれてる余裕は有りません!レンタカーもキッチリその分借りました。
青春18きっぷの無い期間では有りますが、いつもの4時44分最寄り駅発から乗り継ぎを開始し、11時18分に岐阜に到着しました。一足先に着いていたツレをカフェから呼び出して、オリックスレンタカー岐阜駅前店に向かいます。去年も同じスケジュールでしたが、レンタカーはバジェットでした。今年はオリックスの方が安かったのですよ。
今回の目的地はPHOが郡上八幡とその周辺の鍾乳洞、ツレが温泉と言うリクエストで、最終日の12時までにレンタカーを返却するところから逆算し、4日の泊まりを下呂温泉にしました。すると3日は郡上八幡泊まり?いえいえ、ちょっと雰囲気を変えてと言うか、例のごとく予算の都合上、カジュアルなひるがの高原のホテルを選択。此処は夕飯が「鶏ちゃんを食べるか否か」と言うシンプルなもので、所謂旅館のお仕着せ食の苦手なPHOには有難い選択肢でした。大浴場も在ったしね。
心配なのはお天気でした。GW中、雨の予報がたまたまPHOのお出かけ中日の4日、それも3日の午後から下り坂と言われていたからです。雨の高原って洒落になりませんからね。
郡上八幡と周辺の鍾乳洞と決めたのは、万一お天気が悪くても、そこそこ楽しめるだろうと考えてですが、3日早々に雨が降り出すようなら、先に郡上八幡に立ち寄ろうとも思っていました。お蔭様で、お天気に関してはホント恵まれ、一度も傘のお世話になりませんでした。
さて、昨日来たばかりだと言うのに、明日はもう帰るだけです。
今日1日をフルに活用しなければなりません。つか、毎回毎回忙しく動き回ってばっかりです(とは言っても、逆にゆったりした旅程じゃ物足りなくてイラつくだけだと思います)。
ひるがの高原を出発し、朝一番に郡上八幡城、その後市内を散策し、お昼を何処かで食べたら午後は下呂温泉に向かう国道256号線の途中に在る鍾乳洞を訪れ、岩屋ダムから東仙峡金山湖の橋巡りって言うのが今日の予定です。
まずは日本最古の木造再建城、郡上八幡城へ
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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郡上八幡城へは城山公園が臨時の駐車場になった。誘導されるがままに行ってみたところ、何とまだ2台目(勿論次々と車は入って来たけどね)。もうちょっと早ければ天守閣側に停められてたかもなぁ。
公園らしくジャングルジムの在る一角が藤棚になっていた -
山内一豊と妻千代の像。
千代のお金で一豊が馬を買って、それが出世のきっかけになったと言う逸話を基にしてる(ってか、一豊と千代ってそればっかり) -
千代の出自は諸説あり、『寛政重修諸家譜』の山内氏系譜によれば、浅井氏家臣の若宮友興の子である説が有力とされており、近江国飯村(現在の滋賀県米原市飯)で生まれたとされている。この説では、一豊の母が、飯村のある宇賀野の長野氏のもとに身を寄せており、近隣の娘たちに縫物を教えていたが、その中に若き日の見性院がいて、目に留まったとされる。
その一方で、岐阜県郡上市の慈恩寺が所蔵する美濃郡上八幡城主・遠藤氏の系図に、東常縁の子孫である遠藤盛数の娘が山内一豊室であるとの記載があったことなどから、遠藤盛数の子説も有力になってきている。また見性院が、遠藤盛数の孫遠藤亮胤を山内家に仕官させるよう言い残したことも盛数の子説の根拠である。さらに安藤守就(一豊の姉、通の夫である安藤郷氏の兄)の娘説や、同じく美濃の豪族である不破重則の妹説もある。
by Wikipedia -
お城は更に山道を上らねばならぬ
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車道を兼ねたジグザグな道を上り、石垣に沿った階段を上って、ようやく‥
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見晴らしの良い所に出た。山の麓を走ってるのが東海北陸道だから、今ほぼ西を見てるって事だね
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公式サイトによれば、郡上八幡城は戦国時代末期の永禄2年(1559)、遠藤盛数が砦を築き、稲葉貞通、遠藤慶隆の興亡を経て大普請され、寛文7年(1667)、6代城主遠藤常友の修復によって幕府から城郭として認められるに至りました。
その後、井上氏・金森氏が相次いで入部。宝暦騒動で金森氏が改易された後、丹後国宮津藩から転封した青山幸道によって殿町に居館が築かれ、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸・松の丸に改められました。
明治4年(1871)の廃藩置県とともに廃城となった城は、翌年から石垣を残してすべて取りこわされました。現在の城は、昭和8年(1933)、当時の大垣城を参考に再建され、木造4層5階建の天守閣等は郡上市重要文化財に、一帯の城跡は県史跡に指定されています。
更に詳しい沿革については、http://castle.gujohachiman.com/history -
入城チケットに色々種類が有るらしいけど、どれにしようか?
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ちょっとでもお得なのを買っておこうと思いつつも、そうそう時間を費やせないので、確実に行こうとしてる博覧館とのセット券を選択
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これ見たら秋の紅葉の頃が楽しみだね
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力石、何だか可愛い
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細かい事なんだけど、石垣の積み方、上の方(前面は3割くらい)と下の残りが違わない?そう言えば色も?組み直しだとしたらどっち?
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色々と紆余曲折の有った八幡城の沿革。
特に宝暦義民の一揆は前の旅行記でもちょっと触れたけど・・http://4travel.jp/travelogue/11128225 -
この景色の見えるところには売店が在って、郡上八幡天然水サイダー飲める。
http://shop.gujohachiman.com/products/detail.php?product_id=755 -
入城券はこの右側でチェック。いざ城中へ
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天守。こう見ると木造感無いよね
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天守のホンの数歩手前でさっきまでとは違う方向が見えるようになった、東
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そうそう、特筆すべきはこの音。キュッキュッ、ギシギシって絶え間無くかなり大きな音がする。ガチでず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと途切れる事無く木の悲鳴みたいな音が鳴り続ける。鴬張りの廊下が360度在るってイメージ
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築80年以上の木造だからね
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金の弩標。って何?
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宝暦5(1755)年、江戸金森藩邸に提出した16条と17条の訴状の写し。「困窮している百姓たちは、これ上検見法にされては生きてはいけない。願い通り定免法であれば、多くの百姓が助かるのでお願いしたい」旨書かれてる
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2000年公開映画「郡上一揆」の1シーン。
城下御蔵会所へ千人余の農民たちが強訴し、検面法廃止と十六ヶ条の願書を提出する場面 -
各階に資料展示とともに窓が設けられていて風通しが良い
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急な階段が中央部に在り、その周囲は見透かせる。ちと怖い。木造ならではって感じ
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何たって目立つ郡上八幡総合スポーツセンター「月舟蓋」。
60mスパンの鉄骨アーチの上に12組の30mスパンの丸太トラス梁を乗せたドームであり、 樹齢300年の天然檜丸太を600本も使用している。トラス梁が弓月形で舟に見え、それが合わさってドーム(円蓋)を構成しているため、別名を「月舟蓋」と名付けられた。
ドームの形と質感が消防士のヘルメットに見えると専らの噂 -
額縁のような窓
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やっぱり石垣、違うよね。上の方が下より水捌けが良い(苔が生えてるのは下の方の色が濃い石の部分)のは判るけど・・だとしたら、どうやって部分的に積み替えるの?
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まだまだ白が綺麗
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新緑の季節もなかなかビューティフル
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凌霜の森。何の事だか良く判らなくて、チラッと覗いただけで踵を返しちゃったんだけど、此処に「凌霜隊」の慰霊碑が在ったんだよね。
会津人にとって「郡上八幡」と言えば、「凌霜隊の故郷」以外のなにものでもありません。
幕末の動乱期において、小藩でしかない郡上藩4万8千石が生き残るために取った苦渋の選択だったとは言え、一方で300名の藩士を薩長を主力とする新政府軍に服属させながら、もう一方では45名の藩士を「無届脱藩」という形ながら旧幕府側への応援部隊として出兵させるという両面作戦をとったのです。
「真田丸」みたいなの。
結果。
家老の息子で弱冠17歳の朝比奈茂吉を隊長とする郡上藩凌霜隊は、関東から奥羽へ転戦しつつ会津に至り、あの激烈な籠城戦を白虎隊などの会津兵とともに戦いながら、ついに終戦を迎えます。
そして、郡上の国許へ強制送還された彼らを待っていたのは、「罪人」というレッテルを貼られた上での「揚屋入り(収監)」でした。藩当局は、自らが密命をもって出兵させておきながら、新政府の目を恐れて凌霜隊を捨石としたのです。
環境が劣悪であった揚屋で、凌霜隊士たちは次々と病魔に侵されていきます。このままであったなら、罪人として全員が薄暗い揚屋で命を落としていたかもしれません。
しかし、この非人道的な処置を見かねて、彼らの救済に立ち上がった人々がいました。
「郡上藩のために命をかけてきた者たちが、なぜこのような人道に外れた処置を受けねばならないのか」
声も高らかに、藩当局を糾弾したのは領内にある103もの寺々の住職たちで、その中心に立ったのは慈恩寺の淅炊和尚だったということです。
彼らはその後長敬寺に移され、釈放されましたが、世間の目は冷たく、隊士の殆どは離散してしまったそうです -
凌霜の森から天守を望む
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首洗い井戸跡。
この辺りは駐車場として利用されるまでは杉や雑木の生い茂る湿地帯で、この案内板の立っている辺りには1基の浅井戸が潰されていた。
その昔、この井戸は「首洗いの井戸」と言い継がれ、慶長の戦いに際して討ち取られた寄せ手の名の有る武士の血や泥で汚れた首が、この井戸で洗い浄められ、首実検に供されたと言う -
郡上市(旧八幡町)のマンホール。
清流を泳ぐあまごのデザイン。 名水百選で一番目に指定された宗祇水の在る地だけあって、いかにも水が綺麗と言う感じ。
さて、これからその綺麗な水の流れる市内を散策するのだ♪
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