2016/04/03 - 2016/04/03
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旅人のくまさんさん
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吉野山の花見の紹介です。修験道根本道場の金峯山寺は、世界文化遺産に登録された蔵王堂や、仁王門などがありますが、仁王門は修理作業の最中でした。
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イチオシ
お土産屋さんの店先光景です。葛粉や葛粉を使った各種の食品が展示されていました。下の段が、葛粉の素材、上の段が葛粉を使った葛饅頭などです。
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イチオシ
ほんのりとしたピンク色の花を咲かせた、紅枝垂れ桜の光景です。常緑樹をバックにした光景です。ちょうどいい見頃を迎えていました。
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同じく、空をバックにした、ほんのりとしたピンク色の花を咲かせた、紅枝垂れ桜の光景です。
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紅枝垂れ桜の花のズームアップ光景です。八重咲ではなく、花弁が五枚の一重咲でした。
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前方に見えてきたのは、現在修理中の仁王門です。金峯山寺の蔵王堂などとともに、世界文化遺産にリストアップされている建造物です。
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『修験道根本道場・金峯山寺』の文字が刻まれた石碑の光景です。修験道は、山に籠もり厳しい修行を行うことにより悟りを得ることを目的とする、日本古来の山岳信仰が、仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教です。修験者は、山伏とも呼ばれます。
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『国立公園吉野山・バス停・観光案内図』のタイトルがあった案内看板です。見所とバス停がイラスト付きで記されていました。
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逆光での撮影になりましたが、満開の山桜の光景です。吉野山は金峯山寺の本山であり、ご本尊である『蔵王権現』の神木が桜とされます。このため、平安時代から桜が植え続けられてきました。現在では3万本とも言われます。
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下部が仁王門と同じ高さの位置の石垣光景です。二段に分けて積まれていました。右奥に、仁王門の建物の一部が見えています。
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石垣の下から見上げた上部の光景です。木々の間から見えている建物は、蔵王堂の側面光景のようでした。
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修復工事中の国宝の仁王門の光景です。石段を登って、内側から眺めた光景です。康正2年(1456年)の再建とされる、重層入母屋造、本瓦葺の楼門です。仁王像は、鎌倉末期に造られた仏師康成の作とされます。
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石垣の下に並んでいた石碑群の光景です。左手前の石碑には、『姫路第二龍王講・大峯登山三十三度供養』の文字がありました。ほかの石碑も参詣記念の碑のようでした。
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金峯山寺の中心となる国宝の建物、本堂に相当する蔵王堂です。豊臣家の寄進で再興されたもので、扉金具の銘から天正19年(1592年)の建立と確認されています。高さ34メートルのこの建物は、木造の古建築としては東大寺大仏殿に次ぐ規模とされます。
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イチオシ
蔵王堂の正面入口光景です。『蔵王堂』の大きな文字が記された赤提灯が吊るされていました。右側の柱に、『長日祈願護摩供』の表示がありました。
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金峯山寺・蔵王堂の軒下の飾りの紹介です。雅楽を奏する三人の男性と、牡丹らしい花のレリーフです。一番右の奏者の持つ楽器は、笙のようです。
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四人ほどの人物像があるようです。その所作についてはよく分かりませんが、ほかの飾りから推測しますと、この図柄も器楽演奏のようです。背景は緑の松に梅の花のようです。
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三人の奏者のレリーフ像です。一番左が琵琶のような楽器、あとの二人は横笛などの吹奏楽器です。背景の植物は菊の花のようです。
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洒脱な文字が揮毫扁額のズームアップ光景です。右から読んで、『金峯山寺』の文字がありました。
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『世界文化遺産・国軸山金峯山寺』の文字が刻まれた新しい石碑の光景です。『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界文化遺産に登録されたのが、2004年ですから、それ以降に建てられた石碑です。
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模様が入った、お洒落な前掛けを身に着けた狛犬の光景です。吽形の雌獅子です。
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同じく、模様が入った、お洒落な前掛けを身に着けた狛犬の光景です。口を開けた阿行の雄獅子です。
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『天満宮』の扁額が懸かった赤鳥居を持つ社殿です。平成10年(1998年)の台風7号による大被害を受けましたが、平成13年(2001年)に復旧された威徳神社です。
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奈良県指定の文化財の『威徳天満宮』のタイトルがあった説明看板です。社伝によれば、平安時代の天徳3年(960年)、日蔵上人により菅原道真公を祀った神社と説明されていました。
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威徳神社の本殿光景です。桃山時代の様式をよく伝えている社殿は、豊臣秀頼(1593〜1615年)によるものと伝わります。秀頼は秀吉の三男、秀吉の側室であった茶々(淀殿)の第二子です。茶々は、有名な浅井(あざい)三姉妹の一人です。秀吉亡き後は、豊臣家の実権を握りました。
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銅葺き屋根の立派な建物ですが、額は懸かっていませんでした。透かし窓から見える中の光景は、何も置かれていない空き家のようでした。
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紅白の幕と蔵王堂の光景です。その手前の柵の中に、『四本桜』の内の1本が見えています。この場所は、原稿年(1333年)、後醍醐天皇の第二皇子の大塔宮護良(もりなが)親王が、北条幕府の大軍に攻められ、最後の酒宴を開いた戦陣の場所とされます。
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『四本桜・銅灯篭』と、『二天門跡』の二つのことが記された説明看板です。四本桜は護良親王所縁、青銅の灯篭は重要文化財です。二天門跡は、護良親王の身代わりとなった村上義光公が壮絶な最期を遂げた場所とされます。
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境内末社でしょうか、いくつもの赤鳥居の神社が並んでいました。この赤鳥居の扁額の文字は、『久富大明神』です。左右に神の使いの狐の像があるお稲荷さんです。
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1本だけの赤い鳥居に掲げられた扁額の文字は、『吉富稲荷大明神』です。左右の灯篭の奉納者の名前が記されていました。
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頑丈な石柵で囲われ、金属製の扉の中の石碑の光景です。風化して文字は読み取れませんでした。石の柵には、岩組総講中の文字がありました。『講中(こうじゅう)』は、神仏に詣でたり、祭りに参加したりする信仰者の集まりを意味します。
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