2016/04/03 - 2016/04/03
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吉野山の花見の紹介です。紀の川とも呼ばれる、吉野川南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜が吉野山と呼ばれています。
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吉野山には、金峯山寺を中心とした社寺が点在します。14世紀の南北朝時代(1336〜1392年)には、南朝の中心地ともなりました。左に見えるのは、『村上義光公忠死之所』の石碑です。 村上義光公は、南朝の大塔宮護良親王の身代りとなって割腹した人です。
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イチオシ
金峯山寺の中心的な建物の蔵王堂です。その前に紅白の幕が張られています。その手前の柵の中に見えるのは、『四本桜』です。護良親王が、北条幕府の大軍に攻められ、最後の酒宴を開いた戦陣の場所を記念する桜のようです。
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金峯山寺の境内から見下ろした、門前町の光景です。通りの脇や、遠くの山の桜が彩を与えていました。
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手前の石碑の文字は、『後醍醐天皇導稲荷大神』の文字が、その背後の石碑には、『金峯山・蔵王堂』の文字がありました。京都を脱出して、吉野へ向かった後醍醐天皇が道に迷った時、ある稲荷社の前で『むば玉の暗き闇路に迷うなり 我にかさなむ三つのともしび』と願われた時、紅い雲が現れ、吉野へ導いたと云う伝説に因む稲荷を祀っています。三つのともしびは、現在の稲荷退社がある、稲荷山の三つの峰に祀られている神を指すようです。
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『後醍醐天皇導稲荷』の赤鳥居の光景です。その右手に、稲荷神社の謂れを記した看板がありました。
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吉野町名で記された、『後醍醐天皇導きの稲荷』のタイトルがあった説明看板です。延元元年(1333年)、後醍醐天皇が、京都の花山院を脱出し、無事に吉野山の行宮に到着された時のエピソードです。
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朱塗りの『後醍醐天皇導稲荷』の社光景です。後醍醐天皇(1288〜1339年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代初期にかけての第96代天皇で、南北朝時代の南朝の初代天皇です。
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『後醍醐天皇導稲荷』の近くから眺めた、金峯山寺の蔵王堂の光景です。
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店先に置かれていた、真っ赤なチューリップの鉢植えの光景です。赤色より、濃い朱色に見える色でした。
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同じ種類の真っ赤なチューリップの、別の鉢植えの光景です。二つの鉢とも、実に鮮やかな花の色でした。
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『吉野山郵便局』の光景です。曲の建物の前に、郵便局らしい赤いテントを張っての営業でした。各種の記念グッズが販売されているようでした。
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建物の隙間から眺めた桜の光景です。かなりの段差があり、高い石垣が見えていました。郵便局とは、道路を挟んだ反対側だったようです。
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イチオシ
建物の隙間から眺めた、桜の花のズームアップ光景です。満開の山桜の光景でした。
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ピンクのグラデーションが綺麗な、石楠花の光景です。『シャクナゲ(石楠花)』は、ツツジ科ツツジ属の植物です。
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『弁慶』の看板がかかっていたお店の玄関光景です。喫茶兼食堂のようでした。コーヒーのほか、ぜんざいなどの甘いものや、柿の葉すし等のメニューが張り出されていました。
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『寒晒・吉野本葛・八十吉』の看板が懸かっていた、吉野葛の老舗のお店です。ネット検索しましたら、嘉永4年(1851年)創業の老舗でした。
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東南院の山門光景です。東南院は、吉野山の宿坊の役割も担っていたお寺です。右の柱には、『大峰山護持院』、左の柱には『東南院』の表札がありました。
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『東南院』のタイトルがあった説明パネルです。冒頭に、開基は役行者の伝承があり、1300年の歴史があることが紹介されていました。
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東南院の多宝塔の建物光景です。先ほどの説明パネルには、この多宝塔は明治初年まで、紀州野上の八幡社にあった建物は、昭和12年(1937年)にこの地に移築されてものであることが記されていました。
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枝垂れ桜が満開だった、東南院の境内光景です。霊地霊山は、霊地を開くときに中心になる伽藍を建て、そこから巽(東南)の方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願したとされます。東南院にとっての伽藍は、金峯山寺です。
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同じく、枝垂れ桜が満開だった、東南院の境内光景です。東南院では、木造大日如来坐像が奈良県の指定文化財になっています。
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謎解きのような文字が揮毫された扁額です。三文字だけですが、読み解けませんでした。直感で判断した三文字は、『役行者』です。一番下の文字が『春』に見えて、最初は『役行者』とは読めませんでした。
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イチオシ
クイズのようだった、『役行者(えんのぎょうじゃ)』の扁額が何とか読み解けたところで、もう一度、東南院の多宝塔の紹介です。東南院は、金峯山寺より東南に位置することからの命名とされます。
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『東南院』の文字が刻まれた石碑の光景です。その文字の上に、『神変秘法・祈願道場』らしい文字も刻まれていました。東南院の大祭は 役尊報恩大護摩供です。毎年11月の第2日曜に行われているようです。蔵王堂の前庭で行われます。
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東南院の境内光景です。役行者の開基と伝えられる、1300年の歴史を持つお寺です。
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道路を挟んだ商店街の軒下から眺めた、東南院の山門光景です。
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岩総長・岸芳兵衛翁碑』の文字が刻まれた存在感のある石碑の光景です。台座には、『岩堀江組』の文字がありました。詳しいことは分かりませんでしたが、著名な宮大工の棟梁でしょうか。
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東南院の山門の屋根の光景です。芭蕉も貞享元年(1684年)秋に東南院を訪れ、『野ざらし紀行』に記しています。東南院境内にある句碑は、『砧打ちて我に聞かせや坊が妻』です。
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同じく、東南院の山門光景です。 『野ざらし紀行』は、貞享元年(1684年)秋の8月から翌年4月にかけて、芭蕉が門人の千里とともに出身地でもある伊賀上野への旅を記した俳諧紀行文です。『笈の小文』を経て、句文が融合した『おくのほそ道』へと発展する嚆矢としての紀行文です。
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東南院の敷地内にあった新しい造りの建物です。庫裏に当たる建物でしょうか、宿坊かも知れません。東南院の宿坊は、客室12室で、最大130名と紹介されていました。
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