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神武天皇2600年大祭が行われていた橿原神宮と、神宮南の深田池の畔の桜などの紹介です。橿原神宮参拝の後、次は吉野山に向かいました、

2016春、奈良の桜(4/13):橿原神宮(4):深田池の畔の桜、表参道、橿原市街

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2016/04/03 - 2016/04/03

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旅行記グループ 2016春、奈良の桜巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

神武天皇2600年大祭が行われていた橿原神宮と、神宮南の深田池の畔の桜などの紹介です。橿原神宮参拝の後、次は吉野山に向かいました、

交通手段
観光バス

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  • 橿原神宮の南側にある、深田池の周りの光景です。染井吉野らしい桜の木の光景です。少しだけ蕾が残った、8〜9分咲といったところです。一見して、満開といった見頃を迎えていました。

    橿原神宮の南側にある、深田池の周りの光景です。染井吉野らしい桜の木の光景です。少しだけ蕾が残った、8〜9分咲といったところです。一見して、満開といった見頃を迎えていました。

  • 白い花と赤っぽい葉がモザイク模様になった、『ヤマザクラ(山桜)』の枝先光景です。ソメイヨシノとは違った趣のある光景です。

    イチオシ

    白い花と赤っぽい葉がモザイク模様になった、『ヤマザクラ(山桜)』の枝先光景です。ソメイヨシノとは違った趣のある光景です。

  • 『ヤマザクラ(山桜)』の枝先光景です。満開を過ぎ、すでに花が散っていました。かなり大きくなった新芽は、赤っぽい色を保ったままでした。

    『ヤマザクラ(山桜)』の枝先光景です。満開を過ぎ、すでに花が散っていました。かなり大きくなった新芽は、赤っぽい色を保ったままでした。

  • 深田池の中の光景です。甲羅干しの亀さんと、鴨さんたちが仲良く石の上で休んでいました。深田池ではヒドリガモ(緋鳥鴨)産の大群がいましたが、この鴨さんたちは、つがいのマガモ(真鴨)のようでした。左が雄で、右が雌です。亀はほぼ日本全土に分布する、外来種のミシシッピアカミミガメのようです。

    深田池の中の光景です。甲羅干しの亀さんと、鴨さんたちが仲良く石の上で休んでいました。深田池ではヒドリガモ(緋鳥鴨)産の大群がいましたが、この鴨さんたちは、つがいのマガモ(真鴨)のようでした。左が雄で、右が雌です。亀はほぼ日本全土に分布する、外来種のミシシッピアカミミガメのようです。

  • 深田池の光景です。深田池には、対岸に渡ることができる橋が設えられています。その橋の光景です。頭上にソメイヨシノの枝がありました。

    深田池の光景です。深田池には、対岸に渡ることができる橋が設えられています。その橋の光景です。頭上にソメイヨシノの枝がありました。

  • 深田池と、池の畔のソメイヨシノの光景です。先ほど紹介した、甲羅干しの亀さんと、鴨さんたちが仲良く休んでいた石が、右下近くに見えています。奥の方には、周回道路の一部のような橋が架かっていました。

    深田池と、池の畔のソメイヨシノの光景です。先ほど紹介した、甲羅干しの亀さんと、鴨さんたちが仲良く休んでいた石が、右下近くに見えています。奥の方には、周回道路の一部のような橋が架かっていました。

  • 深田池の畔の光景です。2600年式典に参加されたらしい人達の昼食タイムでした。お零れに与かろうと、ヒドリガモさんの大群が集まっていました。

    イチオシ

    深田池の畔の光景です。2600年式典に参加されたらしい人達の昼食タイムでした。お零れに与かろうと、ヒドリガモさんの大群が集まっていました。

  • 利用する人の姿がなくなった、橿原神宮の手水舎の光景です。橿原神宮の創建は明治23年(1890年)4月、紀元2550年とされる年に明治天皇により創建されました。

    利用する人の姿がなくなった、橿原神宮の手水舎の光景です。橿原神宮の創建は明治23年(1890年)4月、紀元2550年とされる年に明治天皇により創建されました。

  • 90御角度を変えて眺めた、手水舎の光景です。日本最古の正史とされる『日本書紀』において、日本建国の地と記されたのが橿原です。

    90御角度を変えて眺めた、手水舎の光景です。日本最古の正史とされる『日本書紀』において、日本建国の地と記されたのが橿原です。

  • 南神門付近の光景です。すでに入場は制限されているようでしたが、参拝を終えた人達で混雑していました。

    南神門付近の光景です。すでに入場は制限されているようでしたが、参拝を終えた人達で混雑していました。

  • 手前が『二の鳥居』、その先に見えるのが『一の鳥居』です。背中が見えるのが、参拝を終えて帰る人達です。

    手前が『二の鳥居』、その先に見えるのが『一の鳥居』です。背中が見えるのが、参拝を終えて帰る人達です。

  • 参道脇の灯篭列の光景です。すべての灯篭が同時期に建てられたもののように見えました。ポールがいした鉄筋コンクリート製で、上部が木製のようです。

    参道脇の灯篭列の光景です。すべての灯篭が同時期に建てられたもののように見えました。ポールがいした鉄筋コンクリート製で、上部が木製のようです。

  • 同じく、参道脇の灯篭列の光景です。高さが揃い、仕様も同一に見えました。

    同じく、参道脇の灯篭列の光景です。高さが揃い、仕様も同一に見えました。

  • 参道脇の灯篭列のズームアップ光景です。寄進者の名前と、寄進額が記されていました。この付近の灯篭は300万円です。

    参道脇の灯篭列のズームアップ光景です。寄進者の名前と、寄進額が記されていました。この付近の灯篭は300万円です。

  • 参道脇の林の光景です。落ち葉が散り積もり、緑の下草は生えていませんでした。

    参道脇の林の光景です。落ち葉が散り積もり、緑の下草は生えていませんでした。

  • 広々とした、表参道の中間付近の光景です。参道脇に大きな木が聳えていましたが、上空は開けていました。

    広々とした、表参道の中間付近の光景です。参道脇に大きな木が聳えていましたが、上空は開けていました。

  • 表参道の中間付近にある、小川と橋の光景です。三つの橋が架かっていました。川は『宮川』、中央の橋が反りを持った『神橋』、その左右の橋は、反りのない『平橋(ひらばし)』と呼ばれているようです。参道の入り口方面に向かって左側の平橋です。

    表参道の中間付近にある、小川と橋の光景です。三つの橋が架かっていました。川は『宮川』、中央の橋が反りを持った『神橋』、その左右の橋は、反りのない『平橋(ひらばし)』と呼ばれているようです。参道の入り口方面に向かって左側の平橋です。

  • 参道の入り口方面に向かって中央の『神橋』です。その是非はともかく、かつて、この橋を渡ることができたのは、限られた人達だけかも知れません。

    参道の入り口方面に向かって中央の『神橋』です。その是非はともかく、かつて、この橋を渡ることができたのは、限られた人達だけかも知れません。

  • 参道の入り口方面に向かって左側の橋です。ほとんどの人が、中央の橋を渡っていました。橿原市界隈は大和川の水系が多いようですが、名前は分かりませんでしたが、この川もその支流の一つのようです。高取川支流の桜川の可能性が高いようです。この辺りでは、『宮川』と呼ばれているようでした。

    参道の入り口方面に向かって左側の橋です。ほとんどの人が、中央の橋を渡っていました。橿原市界隈は大和川の水系が多いようですが、名前は分かりませんでしたが、この川もその支流の一つのようです。高取川支流の桜川の可能性が高いようです。この辺りでは、『宮川』と呼ばれているようでした。

  • 参道中央の『神橋』の袂から眺めた橿原神宮方面の光景です。前方に見えているのは、二の鳥居です。

    参道中央の『神橋』の袂から眺めた橿原神宮方面の光景です。前方に見えているのは、二の鳥居です。

  • 武骨な造りの石灯篭の光景です。とにかく大きな石灯篭は、周りの人との比較で、一目瞭然です。

    武骨な造りの石灯篭の光景です。とにかく大きな石灯篭は、周りの人との比較で、一目瞭然です。

  • 対になった石灯篭の、もう一方の光景です。石灯篭と表現するより、石で出来た建築物、石楼のような光景でした。地震対策なども施された造りのようにも見えました。

    対になった石灯篭の、もう一方の光景です。石灯篭と表現するより、石で出来た建築物、石楼のような光景でした。地震対策なども施された造りのようにも見えました。

  • 石灯篭とバランスをとったようにも見える、『橿原神宮』の文字が刻まれた、巨大な石碑の光景です。材質も同じように見えますから、同時期に造られたものかも知れません。

    石灯篭とバランスをとったようにも見える、『橿原神宮』の文字が刻まれた、巨大な石碑の光景です。材質も同じように見えますから、同時期に造られたものかも知れません。

  • 『橿原神宮』の文字が刻まれた、巨大な石碑の近くから眺めた、同じく巨大な石灯篭の光景です。

    『橿原神宮』の文字が刻まれた、巨大な石碑の近くから眺めた、同じく巨大な石灯篭の光景です。

  • 振り返って眺めた大鳥居の光景です。表参道に位置する高さ9.8メートルの『一の鳥居』です。その先に『二の鳥居』も見えています。高さ10.5メートルの『二の鳥居』の方が、一回り大型です。

    振り返って眺めた大鳥居の光景です。表参道に位置する高さ9.8メートルの『一の鳥居』です。その先に『二の鳥居』も見えています。高さ10.5メートルの『二の鳥居』の方が、一回り大型です。

  • 『畝傍山特別保存地区』に関する、地図入りのお知らせ看板です。『歴史的風土保存地区における行為の制限についてのお知らせ』の長いタイトルが付いていました。

    『畝傍山特別保存地区』に関する、地図入りのお知らせ看板です。『歴史的風土保存地区における行為の制限についてのお知らせ』の長いタイトルが付いていました。

  • 橿原神宮の敷地に隣接する飲食店の光景です。『茶屋・れんげ』の看板がありました。橿原神宮の敷地内のようにも見えました。

    橿原神宮の敷地に隣接する飲食店の光景です。『茶屋・れんげ』の看板がありました。橿原神宮の敷地内のようにも見えました。

  • 左手の石碑には、『橿原森林遊苑』、右手に見える石碑には、『橿原森林植物園』の文字が刻まれていました。ネット情報では、10万平方メートルのエリアに、15万本、450種類以上の植物が生い茂っているようでした。

    左手の石碑には、『橿原森林遊苑』、右手に見える石碑には、『橿原森林植物園』の文字が刻まれていました。ネット情報では、10万平方メートルのエリアに、15万本、450種類以上の植物が生い茂っているようでした。

  • 新しい方の石碑に、『橿原森林遊苑』と記されていた樹林の光景です。起源は昭和15年(1940年)の紀元2,600年祭とされ、昭和29年(1954年)に補植され、森林植物園としてオープンしたようです。

    新しい方の石碑に、『橿原森林遊苑』と記されていた樹林の光景です。起源は昭和15年(1940年)の紀元2,600年祭とされ、昭和29年(1954年)に補植され、森林植物園としてオープンしたようです。

  • これで2600大祭の橿原神宮と、染井吉野や紅八重枝垂れ桜などの紹介はおしまいです。次に向かったのは、吉野山です。

    これで2600大祭の橿原神宮と、染井吉野や紅八重枝垂れ桜などの紹介はおしまいです。次に向かったのは、吉野山です。

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2016春、奈良の桜巡り

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