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吉野山の花見の締め括りは、吉水神社でした。再集合時間までは、まだ余裕がありましたから、帰り道も、その周りの見学と撮影を続けました。

2016春、奈良の桜(12/13):吉野山(8):東南院、多宝塔、韋駄天山、金峯山寺・仁王門

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2016/04/03 - 2016/04/03

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旅行記グループ 2016春、奈良の桜巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

吉野山の花見の締め括りは、吉水神社でした。再集合時間までは、まだ余裕がありましたから、帰り道も、その周りの見学と撮影を続けました。

交通手段
観光バス

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  • 『世界遺産・吉水神社』の看板です。ここからは、吉水神社を見学した後、再集合場所に向かう途中での撮影です。東南院や、金峯山寺など、一度紹介済みの場所もあります。

    『世界遺産・吉水神社』の看板です。ここからは、吉水神社を見学した後、再集合場所に向かう途中での撮影です。東南院や、金峯山寺など、一度紹介済みの場所もあります。

  • 一度紹介した、『吉水神社・南朝皇居舊跡』の石碑です。今度は別の角度からの撮影です。今回見学しませんでしたが、日本住宅建築史上最古の鎌倉時代初期の書院が残されています。世界文化遺産に登録された建物の一つで、義経潜居の間、後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間などがあります。

    一度紹介した、『吉水神社・南朝皇居舊跡』の石碑です。今度は別の角度からの撮影です。今回見学しませんでしたが、日本住宅建築史上最古の鎌倉時代初期の書院が残されています。世界文化遺産に登録された建物の一つで、義経潜居の間、後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間などがあります。

  • 東南院の山門光景です。現在は、宿坊としても利用されています。7世紀後半とされる東南院の開基は役行者、山号は大峯山です。

    東南院の山門光景です。現在は、宿坊としても利用されています。7世紀後半とされる東南院の開基は役行者、山号は大峯山です。

  • 東南院の多宝塔の光景です。東南院がある場所の標高は356メートルと紹介されていました。中千本のエリアになります。境内の枝垂れ桜は、ほかの桜より一足先に咲くようです。

    イチオシ

    東南院の多宝塔の光景です。東南院がある場所の標高は356メートルと紹介されていました。中千本のエリアになります。境内の枝垂れ桜は、ほかの桜より一足先に咲くようです。

  • 東南院の堂宇の破風光景です。本堂の屋根は本瓦葺でした。東南院の境内には、本堂、多宝塔、庫裡と客殿の建物があります。

    東南院の堂宇の破風光景です。本堂の屋根は本瓦葺でした。東南院の境内には、本堂、多宝塔、庫裡と客殿の建物があります。

  • 右に常緑樹、左に枝垂れ桜を従えての本堂の鬼瓦の光景です。寛治6年(1092年)に白川上皇が金峯山に参詣された際は、東南院を宿坊とされたようです。白川上皇(1053〜1129年)は、第72代天皇(在位:1073〜1087年)で、その後、43年間に亘り院政を敷きました。『平家物語』の巻一には、白河法皇が『賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの』と嘆いたという逸話があります。

    右に常緑樹、左に枝垂れ桜を従えての本堂の鬼瓦の光景です。寛治6年(1092年)に白川上皇が金峯山に参詣された際は、東南院を宿坊とされたようです。白川上皇(1053〜1129年)は、第72代天皇(在位:1073〜1087年)で、その後、43年間に亘り院政を敷きました。『平家物語』の巻一には、白河法皇が『賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの』と嘆いたという逸話があります。

  • 神仏混交時代の名残でしょうか、東南院境内には、神社に付き物の鳥居がありました。小振りの石の鳥居です。

    神仏混交時代の名残でしょうか、東南院境内には、神社に付き物の鳥居がありました。小振りの石の鳥居です。

  • 格式を感じさせる、東南院本堂の檜皮葺の唐風の様式の玄関光景です。透かし彫りなどの彫刻も凝っていました。

    格式を感じさせる、東南院本堂の檜皮葺の唐風の様式の玄関光景です。透かし彫りなどの彫刻も凝っていました。

  • 格式を感じさせる、東南院本堂の唐風造りの玄関光景です。締め切られた板戸の前に、青葉が出始めた桜の花が飾られていました。

    格式を感じさせる、東南院本堂の唐風造りの玄関光景です。締め切られた板戸の前に、青葉が出始めた桜の花が飾られていました。

  • 『大日如来』の金文字が記された扁額の光景です。その上に、お寺では『鰐口』と呼ばれる鈴がありましたが、綱は外されていました。ネット情報によれば、この鰐口には永禄7年(1564年)の銘があるようです。

    『大日如来』の金文字が記された扁額の光景です。その上に、お寺では『鰐口』と呼ばれる鈴がありましたが、綱は外されていました。ネット情報によれば、この鰐口には永禄7年(1564年)の銘があるようです。

  • 桜の花越しに眺めた東南院の多宝塔の光景です。歴史の古い東南院ですが、多宝塔が一番人気の建物になっているようでした。

    イチオシ

    桜の花越しに眺めた東南院の多宝塔の光景です。歴史の古い東南院ですが、多宝塔が一番人気の建物になっているようでした。

  • 再集合場所のバス駐車じぃおうに向かう途中の撮影です。往きにも撮影した、『寒晒・吉野本葛・八十吉』の看板があった老舗の光景です。

    再集合場所のバス駐車じぃおうに向かう途中の撮影です。往きにも撮影した、『寒晒・吉野本葛・八十吉』の看板があった老舗の光景です。

  • 家の方が用意されたらしい、毛布の上に寝そべっていたワンちゃんです。穏やかな顔付きから、かなりの高齢のように見受けました。余生を一番好きな場所で過ごしているようです。

    家の方が用意されたらしい、毛布の上に寝そべっていたワンちゃんです。穏やかな顔付きから、かなりの高齢のように見受けました。余生を一番好きな場所で過ごしているようです。

  • 『韋駄天山』の説明看板です。増長天の八将の一神、韋駄天に関する説明と、その名を冠した韋駄天山についての粗油買いが記されていました。

    『韋駄天山』の説明看板です。増長天の八将の一神、韋駄天に関する説明と、その名を冠した韋駄天山についての粗油買いが記されていました。

  • 韋駄天山に登る石段の光景です。標高370メートルの韋駄天山の台地からは、蔵王堂、上千本、中千本が見晴ら説展望台になっていることが、先ほどの説明看板で紹介されていました。

    韋駄天山に登る石段の光景です。標高370メートルの韋駄天山の台地からは、蔵王堂、上千本、中千本が見晴ら説展望台になっていることが、先ほどの説明看板で紹介されていました。

  • 修復工事で、積み直されたように見えた石垣の光景です。その石垣の上に立った建物です。金峯山寺の建物の一部のようでした。

    修復工事で、積み直されたように見えた石垣の光景です。その石垣の上に立った建物です。金峯山寺の建物の一部のようでした。

  • 積み直されたように見えた石垣の上には、石垣と角度がずれた建物がありました。これも金峯山寺の堂宇の一部のように見えました。

    積み直されたように見えた石垣の上には、石垣と角度がずれた建物がありました。これも金峯山寺の堂宇の一部のように見えました。

  • 修復工事で、積み直されたように見えた石垣のズームアップ光景です。石材の種類は様々なようです。<br />(追記)平成16年(2004年)から、石垣の『孕み』や『窪み』の調査が行われ、調査から9年間をかけて完成した積直し工事でした。石材店は、石材の確保に苦労されたようです。<br />

    修復工事で、積み直されたように見えた石垣のズームアップ光景です。石材の種類は様々なようです。
    (追記)平成16年(2004年)から、石垣の『孕み』や『窪み』の調査が行われ、調査から9年間をかけて完成した積直し工事でした。石材店は、石材の確保に苦労されたようです。

  • 中千本の一番低い場所か、下千本の一番高い場所の桜光景です。今向かっているバスの駐車場は、下千本のエリアになります。

    中千本の一番低い場所か、下千本の一番高い場所の桜光景です。今向かっているバスの駐車場は、下千本のエリアになります。

  • 崖下から眺めた金峯山寺の建物光景です。修復工事の準備に入った仁王門ではなく、本堂の蔵王堂のようです。

    崖下から眺めた金峯山寺の建物光景です。修復工事の準備に入った仁王門ではなく、本堂の蔵王堂のようです。

  • 金峯山寺の仁王門光景です。『平成31年大修理着工予定』の表示がありました。国宝の金峯山寺仁王門は、寺内で現存する最古の建造物とされます。延元3年(1338年)頃の再建とされ、南北朝動乱の際にも焼失を免れたと伝えられます。

    金峯山寺の仁王門光景です。『平成31年大修理着工予定』の表示がありました。国宝の金峯山寺仁王門は、寺内で現存する最古の建造物とされます。延元3年(1338年)頃の再建とされ、南北朝動乱の際にも焼失を免れたと伝えられます。

  • 金峯山寺の仁王門の正面光景です。金峯山寺仁王門は、明治時代の解体修理以後、二度の修理が施されてきました。今回は3度目の平成の大修理です。

    金峯山寺の仁王門の正面光景です。金峯山寺仁王門は、明治時代の解体修理以後、二度の修理が施されてきました。今回は3度目の平成の大修理です。

  • 振り返って眺めた、国宝の金峯山寺仁王門の光景です。上階には工事用のネットは懸かっていませんでした。

    振り返って眺めた、国宝の金峯山寺仁王門の光景です。上階には工事用のネットは懸かっていませんでした。

  • 金峯山寺の近くで目にした擁壁の光景です。油断をすれば、大規模な地滑りになりそうにも見えた、地肌が露出した壁面光景でした。

    金峯山寺の近くで目にした擁壁の光景です。油断をすれば、大規模な地滑りになりそうにも見えた、地肌が露出した壁面光景でした。

  • この辺りは、既に下千本のエリアに入っているようです。中千本エリアからは、かなり下って来ました。

    この辺りは、既に下千本のエリアに入っているようです。中千本エリアからは、かなり下って来ました。

  • 『サザンカ(山茶花)』を使った生垣のようです。赤い花が目を楽しませてくれました。ツバキ科ツバキ属の常緑樹です。

    『サザンカ(山茶花)』を使った生垣のようです。赤い花が目を楽しませてくれました。ツバキ科ツバキ属の常緑樹です。

  • 『さこや』の看板があったお店です。『創業二百余年・露天風呂・静の湯』の看板もありました。古くは本居宣長、頼山陽等が泊ったとされる老舗の温泉宿でした。

    『さこや』の看板があったお店です。『創業二百余年・露天風呂・静の湯』の看板もありました。古くは本居宣長、頼山陽等が泊ったとされる老舗の温泉宿でした。

  • 老舗の温泉宿、『さこや』の前で咲いていた『ユキヤナギ(雪柳)』の花です。バラ科シモツケ属の落葉低木です。

    老舗の温泉宿、『さこや』の前で咲いていた『ユキヤナギ(雪柳)』の花です。バラ科シモツケ属の落葉低木です。

  • 来迎山・弘願寺の石段と山門の光景です。阿弥陀如来立像を本尊とする、高野山真言宗のお寺です。再集合の時間までもう少しありましたから、立ち寄ることにしました。

    来迎山・弘願寺の石段と山門の光景です。阿弥陀如来立像を本尊とする、高野山真言宗のお寺です。再集合の時間までもう少しありましたから、立ち寄ることにしました。

  • 来迎山・弘願寺の境内光景です。赤い番傘と、地蔵尊の光景です。元は、金峯山寺の、末『上ノ坊』と呼ばれていたようです。

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    来迎山・弘願寺の境内光景です。赤い番傘と、地蔵尊の光景です。元は、金峯山寺の、末『上ノ坊』と呼ばれていたようです。

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2016春、奈良の桜巡り

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