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神武天皇2600年大祭が行われていた、橿原神宮の紹介です。この日の午後3時から今上天皇の参拝が行われました。12時に一般参詣者の参内は締め切られ、午後唐は、平成天皇の参拝に備え、警護が始まりました。

2016春、奈良の桜(3/13):橿原神宮(3):2600年大祭、八重紅枝垂れ、染井吉野、稲荷社

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2016/04/03 - 2016/04/03

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旅行記グループ 2016春、奈良の桜巡り

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旅人のくまさん

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神武天皇2600年大祭が行われていた、橿原神宮の紹介です。この日の午後3時から今上天皇の参拝が行われました。12時に一般参詣者の参内は締め切られ、午後唐は、平成天皇の参拝に備え、警護が始まりました。

交通手段
観光バス

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  • 社殿の中に置かれていた大太鼓の光景です。敬神の文字が記されていました。日本では神社は太鼓、お寺は鐘のパターンがほとんどですが、中国や韓国では鐘と太鼓を併用しているお寺を多く見かけました。鐘楼ではなく鐘鼓楼です。その他にも、木魚などを含めた4点セットなども目にしました。

    社殿の中に置かれていた大太鼓の光景です。敬神の文字が記されていました。日本では神社は太鼓、お寺は鐘のパターンがほとんどですが、中国や韓国では鐘と太鼓を併用しているお寺を多く見かけました。鐘楼ではなく鐘鼓楼です。その他にも、木魚などを含めた4点セットなども目にしました。

  • 名札はありませんでしたが、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』のようです。一重の枝垂れ桜より後に満開になります。2〜3分咲といったところでした。

    名札はありませんでしたが、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』のようです。一重の枝垂れ桜より後に満開になります。2〜3分咲といったところでした。

  • 『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』らしい花のズームアップ光景です。華やかなピンク色でした。エドヒガン系の園芸品種の桜の一種とされます。

    イチオシ

    『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』らしい花のズームアップ光景です。華やかなピンク色でした。エドヒガン系の園芸品種の桜の一種とされます。

  • 更にズームアップした、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』らしい花の光景です。『遠藤桜』、『仙台八重枝垂』、『仙台小桜』や『平安紅枝垂』などの呼び名もあります。

    更にズームアップした、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』らしい花の光景です。『遠藤桜』、『仙台八重枝垂』、『仙台小桜』や『平安紅枝垂』などの呼び名もあります。

  • 2600年大祭が行われていた、橿原神宮の境内光景です。式典の参加者らしい、制服姿の人を多く見かけました。記念品が入った袋が手に提げられていました。

    2600年大祭が行われていた、橿原神宮の境内光景です。式典の参加者らしい、制服姿の人を多く見かけました。記念品が入った袋が手に提げられていました。

  • 昭和14年(1939年)に建造された、外拝殿の建物光景です。背後には大和三山の一つ、畝傍山が控えています。その麓にある橿原神宮の神域は、広さ役50万平方メートルとされます。

    昭和14年(1939年)に建造された、外拝殿の建物光景です。背後には大和三山の一つ、畝傍山が控えています。その麓にある橿原神宮の神域は、広さ役50万平方メートルとされます。

  • 見学を終えて、出入口の南神門に向かう途中の光景です。この日は今上天皇(平成天皇)のご参拝がありますので、一般参詣は12時まででした。右端の建物が神楽殿、その左が参集所のようです。神楽殿は、『本殿とともに安政2年に建造された元京都御所の神嘉殿で、明治23年当神宮創建の際、明治天皇から下賜されたものです』と紹介されていました。

    見学を終えて、出入口の南神門に向かう途中の光景です。この日は今上天皇(平成天皇)のご参拝がありますので、一般参詣は12時まででした。右端の建物が神楽殿、その左が参集所のようです。神楽殿は、『本殿とともに安政2年に建造された元京都御所の神嘉殿で、明治23年当神宮創建の際、明治天皇から下賜されたものです』と紹介されていました。

  • 南神門に向かう途中の左手方面の光景です。社務所の建物の一部のようです。12時近くになりましたので、出口に向かう人の姿ばかりになりました。

    南神門に向かう途中の左手方面の光景です。社務所の建物の一部のようです。12時近くになりましたので、出口に向かう人の姿ばかりになりました。

  • 退出した後で、振り返って眺めた南神門の光景です。行きも帰りも同じ神門を潜りました。橿原神宮のHPには、『南神門は素木建の八脚門で、屋根は切妻造の銅板葺』と紹介されていました。

    退出した後で、振り返って眺めた南神門の光景です。行きも帰りも同じ神門を潜りました。橿原神宮のHPには、『南神門は素木建の八脚門で、屋根は切妻造の銅板葺』と紹介されていました。

  • 手水舎(てみずや)の光景です。午前中の参拝時間が終わり近くになりましたので、使用する人の姿はありませんでした。

    手水舎(てみずや)の光景です。午前中の参拝時間が終わり近くになりましたので、使用する人の姿はありませんでした。

  • 橿原神宮の見学を終えて、次は深田池の周りの桜の紹介です。ソメイヨシノが五分咲近くになっていました。深田池は、奈良時代に造成された境内南部にある池です。広さは、5万平方メートル弱です。

    橿原神宮の見学を終えて、次は深田池の周りの桜の紹介です。ソメイヨシノが五分咲近くになっていました。深田池は、奈良時代に造成された境内南部にある池です。広さは、5万平方メートル弱です。

  • 塊になって咲いた、ソメイヨシノ(染井吉野)の枝先のズームアップ光景です。少し蕾も残っているようですから、8〜9分咲といったところでしょうか。見頃でした。

    塊になって咲いた、ソメイヨシノ(染井吉野)の枝先のズームアップ光景です。少し蕾も残っているようですから、8〜9分咲といったところでしょうか。見頃でした。

  • ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雌です。カモ科マガモ属に分類される鳥類で、オナガガモ(尾長鴨)、マガモ(真鴨)、コガモ(小鴨)などと並んで、日本で最も普通に見られるカモ類とされます。

    ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雌です。カモ科マガモ属に分類される鳥類で、オナガガモ(尾長鴨)、マガモ(真鴨)、コガモ(小鴨)などと並んで、日本で最も普通に見られるカモ類とされます。

  • ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雄です。雄の頭部は茶褐色で、和名はこの羽色を緋色に例えたことに由来するようです。

    ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雄です。雄の頭部は茶褐色で、和名はこの羽色を緋色に例えたことに由来するようです。

  • 餌を貰いに、岸辺にやって来たヒドリガモ(緋鳥鴨)の群れです。ユーラシア大陸の北部の寒帯地域やアイスランドで繁殖し、冬季はヨーロッパ、アフリカ北部、インド北部、中国南部、朝鮮半島、日本などに渡り越冬するようです。

    餌を貰いに、岸辺にやって来たヒドリガモ(緋鳥鴨)の群れです。ユーラシア大陸の北部の寒帯地域やアイスランドで繁殖し、冬季はヨーロッパ、アフリカ北部、インド北部、中国南部、朝鮮半島、日本などに渡り越冬するようです。

  • 同じく、餌を貰いにやって来たヒドリガモ(緋鳥鴨)の群れです。時として、数百羽の群れになることもあるようです。この日も、深田池全体では百羽は超えていたようです。

    同じく、餌を貰いにやって来たヒドリガモ(緋鳥鴨)の群れです。時として、数百羽の群れになることもあるようです。この日も、深田池全体では百羽は超えていたようです。

  • ヒドリガモ(緋鳥鴨)の群れの光景が続きます。50羽ほどの一団のようです。

    イチオシ

    ヒドリガモ(緋鳥鴨)の群れの光景が続きます。50羽ほどの一団のようです。

  • 後ろから眺めた、ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雌です。地味な羽の色です。

    後ろから眺めた、ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雌です。地味な羽の色です。

  • ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雄です。雌よりは、少しお洒落な色合いです。

    ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雄です。雌よりは、少しお洒落な色合いです。

  • 先ほどとは反対向きに浮かんでした、ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雄です。

    先ほどとは反対向きに浮かんでした、ヒドリガモ(緋鳥鴨)の雄です。

  • 橿原神宮の一角にある、長山稲荷社入口の赤鳥居の光景です。御祭神は、宇迦能御魂神(うかのみたまのかみ)、豊宇気神(とようけのかみ)、大宮能売神(おおみやのめのかみ)です。

    橿原神宮の一角にある、長山稲荷社入口の赤鳥居の光景です。御祭神は、宇迦能御魂神(うかのみたまのかみ)、豊宇気神(とようけのかみ)、大宮能売神(おおみやのめのかみ)です。

  • 長山稲荷社入口の赤鳥居のズームアップ光景です。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が、日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっています。『イナリ』は『稲荷』と表記するのが基本ですが、『稲生』や『稲成』『伊奈利』とする神社もあります。

    長山稲荷社入口の赤鳥居のズームアップ光景です。京都市伏見区にある伏見稲荷大社が、日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社となっています。『イナリ』は『稲荷』と表記するのが基本ですが、『稲生』や『稲成』『伊奈利』とする神社もあります。

  • 『橿原神宮末社・永山稲荷社御由緒』のタイトルがあった説明看板です。御祭神は、先に紹介した三神です。古くからの地主神と紹介されていました。

    『橿原神宮末社・永山稲荷社御由緒』のタイトルがあった説明看板です。御祭神は、先に紹介した三神です。古くからの地主神と紹介されていました。

  • 『永山稲荷社』の石碑と赤鳥居列の光景です。橿原神宮のHPでは、開運厄除、五穀豊穣、商売繁盛の神様と紹介されていました。先ほどの説明看板にも同じことが記されていました。

    『永山稲荷社』の石碑と赤鳥居列の光景です。橿原神宮のHPでは、開運厄除、五穀豊穣、商売繁盛の神様と紹介されていました。先ほどの説明看板にも同じことが記されていました。

  • 昼時でしたから、深田池の周りは昼食の弁当を食べる人で混み合っていました。正装の方が多くいましたから、2600年大祭に参加された人達のようでした。

    昼時でしたから、深田池の周りは昼食の弁当を食べる人で混み合っていました。正装の方が多くいましたから、2600年大祭に参加された人達のようでした。

  • 深田池の周りの染井吉野らしい桜の木の光景です。見頃になっていました。花が塊になって咲く性質を持った個体のようです。

    深田池の周りの染井吉野らしい桜の木の光景です。見頃になっていました。花が塊になって咲く性質を持った個体のようです。

  • 深田池の周りのソメイヨシノの花のズームアップ光景です。咲揃った枝先を選んでの撮影です。ほとんど蕾は残っていませんでした。

    深田池の周りのソメイヨシノの花のズームアップ光景です。咲揃った枝先を選んでの撮影です。ほとんど蕾は残っていませんでした。

  • 深田池の周りのソメイヨシノの花のズームアップ光景が続きます。次も咲きそろった枝先を選んでの撮影です。満開状態でした。

    イチオシ

    深田池の周りのソメイヨシノの花のズームアップ光景が続きます。次も咲きそろった枝先を選んでの撮影です。満開状態でした。

  • 同じく、深田池の周りのソメイヨシノの花のズームアップ光景です。塊になって咲いた花が、ほぼ満開でした。深田池を泳ぐヒドリガモの姿が背後にありました。

    同じく、深田池の周りのソメイヨシノの花のズームアップ光景です。塊になって咲いた花が、ほぼ満開でした。深田池を泳ぐヒドリガモの姿が背後にありました。

  • 深田池の周りのソメイヨシノの花のズームアップ光景です。幹から蕾が伸びて、満開前の薄いピンク色の花です。

    深田池の周りのソメイヨシノの花のズームアップ光景です。幹から蕾が伸びて、満開前の薄いピンク色の花です。

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2016春、奈良の桜巡り

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