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奈良の桜見物です。名古屋をバスで出発し、最初に橿原神宮に向かいました。午後からの見学予定でしたが、午後は今上天皇の参拝があるため、急遽午前中に変更となりました。

2016春、奈良の桜(1/13):橿原神宮(1):名古屋駅から奈良へ、橿原神宮、鳥居、神門

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2016/04/03 - 2016/04/03

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旅行記グループ 2016春、奈良の桜巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

奈良の桜見物です。名古屋をバスで出発し、最初に橿原神宮に向かいました。午後からの見学予定でしたが、午後は今上天皇の参拝があるため、急遽午前中に変更となりました。

交通手段
観光バス

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  • バスツアーの出発地点、名古屋市地下鉄の赤池駅前の光景です。2台のバスがここから出発しました。もう一台は先に出発し、もう1か所に立ち寄って奈良に向かいましたが、こちらのバスは直行でした。

    バスツアーの出発地点、名古屋市地下鉄の赤池駅前の光景です。2台のバスがここから出発しました。もう一台は先に出発し、もう1か所に立ち寄って奈良に向かいましたが、こちらのバスは直行でした。

  • 同じく、今回のバスツアーの出発地点、名古屋市地下鉄の赤池駅前の光景です。名鉄との連携で、地下鉄で豊田市駅まで乗り換えなしで行くことができます。豊田市には自家用車で行くこともありますが、地下鉄もよく利用しています。

    同じく、今回のバスツアーの出発地点、名古屋市地下鉄の赤池駅前の光景です。名鉄との連携で、地下鉄で豊田市駅まで乗り換えなしで行くことができます。豊田市には自家用車で行くこともありますが、地下鉄もよく利用しています。

  • 赤池駅前を出発し、名古屋市南部を通って西方面に向かいました。伊勢湾にかかる名港トリトンを通過中の光景です。名港トリトンは、伊勢湾岸自動車道の内、伊勢湾岸道路(国道302号)の愛知県東海市〜海部郡飛島村間の東海ICから飛島ICの間にある、三つの橋の愛称です。

    赤池駅前を出発し、名古屋市南部を通って西方面に向かいました。伊勢湾にかかる名港トリトンを通過中の光景です。名港トリトンは、伊勢湾岸自動車道の内、伊勢湾岸道路(国道302号)の愛知県東海市〜海部郡飛島村間の東海ICから飛島ICの間にある、三つの橋の愛称です。

  • 同じく、名港トリトンを通過中の光景です。『トリトン』が海の神ポセイドンの息子であることと、『トリ』が『三つ』を意味することから決まった愛称です。三つの橋の名前は、東から名港東大橋(700メートル)、名港中央大橋(1170メートル)と名港西大橋(758メートル)です。

    同じく、名港トリトンを通過中の光景です。『トリトン』が海の神ポセイドンの息子であることと、『トリ』が『三つ』を意味することから決まった愛称です。三つの橋の名前は、東から名港東大橋(700メートル)、名港中央大橋(1170メートル)と名港西大橋(758メートル)です。

  • 名港トリトンは世界的にも珍しい、大規模な往復6車線の海上斜張橋梁群とされます。今渡っている橋は名港トリトンより西側の橋だったようです。名港トリトンの西側には、トゥインクルと呼ばれる橋があります。木曽三川を渡る双子の橋、木曽川橋と揖斐川橋に付けられた愛称です。

    名港トリトンは世界的にも珍しい、大規模な往復6車線の海上斜張橋梁群とされます。今渡っている橋は名港トリトンより西側の橋だったようです。名港トリトンの西側には、トゥインクルと呼ばれる橋があります。木曽三川を渡る双子の橋、木曽川橋と揖斐川橋に付けられた愛称です。

  • 名古屋を出発して2時間弱で到着したサービスエリアです。後で調べてみましたが、場所が特定できませんでした。

    名古屋を出発して2時間弱で到着したサービスエリアです。後で調べてみましたが、場所が特定できませんでした。

  • 場所が特定できなかったサービスエリアの光景です。『名神高速開通50周年』、『伊勢志摩サミット開催』などのキーワードはありましたが、肝心のSAの名前が、写真のどこを探しても見つかりませんでした。旅行計画書にも細かな工程は記されていません。

    場所が特定できなかったサービスエリアの光景です。『名神高速開通50周年』、『伊勢志摩サミット開催』などのキーワードはありましたが、肝心のSAの名前が、写真のどこを探しても見つかりませんでした。旅行計画書にも細かな工程は記されていません。

  • 2回目の休憩所、『針テラス』に到着しました。名古屋駅からバスで出発し関西空港発のエミレーツ利用の時によく立ち寄った道の駅です。すでに奈良県に入りました。

    2回目の休憩所、『針テラス』に到着しました。名古屋駅からバスで出発し関西空港発のエミレーツ利用の時によく立ち寄った道の駅です。すでに奈良県に入りました。

  • 『針テラス』は、奈良市針町の名阪国道(国道25号)と国道369号沿いにある道の駅です。『T・R・S(テラス)』は、『Tea Time Resort Station』の略です。<br />

    『針テラス』は、奈良市針町の名阪国道(国道25号)と国道369号沿いにある道の駅です。『T・R・S(テラス)』は、『Tea Time Resort Station』の略です。

  • 『針テラス』の建物光景です。時計の針が10時10分辺りを指していました。赤池を出発してから2時間40分ほど、1回目の休憩のSAからは1時間ほどが経過しました。

    『針テラス』の建物光景です。時計の針が10時10分辺りを指していました。赤池を出発してから2時間40分ほど、1回目の休憩のSAからは1時間ほどが経過しました。

  • 同じく、『針テラス』の建物光景です。エミレーツ航空だけでなく、カタール航空利用の時にも、立寄ったことがある針テラスです。

    同じく、『針テラス』の建物光景です。エミレーツ航空だけでなく、カタール航空利用の時にも、立寄ったことがある針テラスです。

  • 橿原市に到着しましたが、今上天皇が橿原神宮に参拝に来られたことで、交通規制が行われていました。この交差点の信号も、すべて赤信号でしたが、すでに天皇が通過され案したので、数分後に通常の信号に戻されました。

    橿原市に到着しましたが、今上天皇が橿原神宮に参拝に来られたことで、交通規制が行われていました。この交差点の信号も、すべて赤信号でしたが、すでに天皇が通過され案したので、数分後に通常の信号に戻されました。

  • 今上天皇は、午前中は畝傍山東麓の北側にある神武天皇御陵に参拝されたようです。午後の3時からは、橿原神宮に参拝されるとの情報も入りました。

    今上天皇は、午前中は畝傍山東麓の北側にある神武天皇御陵に参拝されたようです。午後の3時からは、橿原神宮に参拝されるとの情報も入りました。

  • 神武天皇2600年大祭の参加者の方達です。それぞれに日の丸を手にしていたのは、天皇陛下御夫妻のお迎えのためのようです。秋篠宮ご夫妻も同行されているとの情報が伝わっていました。

    神武天皇2600年大祭の参加者の方達です。それぞれに日の丸を手にしていたのは、天皇陛下御夫妻のお迎えのためのようです。秋篠宮ご夫妻も同行されているとの情報が伝わっていました。

  • 神武天皇2600年大祭の準備がされていた、神武天皇御陵の入口付近の光景です。崩御されて2600年の大祭ですから、紅白の幕ではなく、青と白の幕を使ったテントでした。神武天皇即位2600年記念行事は、昭和15年(1940年)に行われています。当時の国のスローガンは、『贅沢は敵だ』、『遊楽旅行廃止』などでした。

    神武天皇2600年大祭の準備がされていた、神武天皇御陵の入口付近の光景です。崩御されて2600年の大祭ですから、紅白の幕ではなく、青と白の幕を使ったテントでした。神武天皇即位2600年記念行事は、昭和15年(1940年)に行われています。当時の国のスローガンは、『贅沢は敵だ』、『遊楽旅行廃止』などでした。

  • 橿原神宮に到着しましたが、普段使用できる駐車場は、特別警備のため使用できませんでしたから、この交差点近くでバスを降り、歩いて橿原神宮に向かうことになりました。紀元2600年行事の行事終了後に一斉に貼られた大政翼賛会のポスターは、『祝ひ終つた さあ働かう!』の標語でした。

    橿原神宮に到着しましたが、普段使用できる駐車場は、特別警備のため使用できませんでしたから、この交差点近くでバスを降り、歩いて橿原神宮に向かうことになりました。紀元2600年行事の行事終了後に一斉に貼られた大政翼賛会のポスターは、『祝ひ終つた さあ働かう!』の標語でした。

  • 既に警戒態勢に入っていた橿原神宮の参道光景です。一般の参拝客は12時までで締め切り、その後は、更に厳しい警戒態勢に入るようでした。

    既に警戒態勢に入っていた橿原神宮の参道光景です。一般の参拝客は12時までで締め切り、その後は、更に厳しい警戒態勢に入るようでした。

  • 平成12年(2000年)に橿原神宮の鎮座110年と、ご祭神の神武天皇の即位2660年の節目の記念事業で建設された、崇敬会館です。 研修室などの養正殿、常設展示の宝物館や飲食・休憩施設が設けられているようです。

    平成12年(2000年)に橿原神宮の鎮座110年と、ご祭神の神武天皇の即位2660年の節目の記念事業で建設された、崇敬会館です。 研修室などの養正殿、常設展示の宝物館や飲食・休憩施設が設けられているようです。

  • 『橿原神宮境内ご案内』のタイトルがあった案内看板です。地図の中に主要施設の番号と、その写真が表示されていました。左側の写真が神宮の主な建物、右側が主な周辺施設の紹介でした。

    『橿原神宮境内ご案内』のタイトルがあった案内看板です。地図の中に主要施設の番号と、その写真が表示されていました。左側の写真が神宮の主な建物、右側が主な周辺施設の紹介でした。

  • 表参道の入口に建つ大鳥居の光景です。かつての橿原鳥居は、皮剥鳥居や御陵鳥居と呼ばれていましたが、現在の呼び名は白丸太鳥居です。現在の橿原神宮の鳥居は、昭和13年(1938年)に建設された『明神鳥居』の様式です。

    表参道の入口に建つ大鳥居の光景です。かつての橿原鳥居は、皮剥鳥居や御陵鳥居と呼ばれていましたが、現在の呼び名は白丸太鳥居です。現在の橿原神宮の鳥居は、昭和13年(1938年)に建設された『明神鳥居』の様式です。

  • 『旧橿原鳥居』から、『明神鳥居』に代わった、現在の鳥居の光景です。『明神鳥居(みょうじんとりい)』は、柱は亀腹(かめばら)の上に立って内側に傾き、笠木・島木の両端が上に反り、額束と楔がある形式のものです。木製では朱塗りが多いようですが、皮剥鳥居と呼ばれた、『旧橿原鳥居』の伝統を引き継いだのでしょうか、地肌のままのようです。

    イチオシ

    『旧橿原鳥居』から、『明神鳥居』に代わった、現在の鳥居の光景です。『明神鳥居(みょうじんとりい)』は、柱は亀腹(かめばら)の上に立って内側に傾き、笠木・島木の両端が上に反り、額束と楔がある形式のものです。木製では朱塗りが多いようですが、皮剥鳥居と呼ばれた、『旧橿原鳥居』の伝統を引き継いだのでしょうか、地肌のままのようです。

  • 寄進の灯篭が立ち並ぶ、参道脇の光景です。祖rうぇぞれに寄進者の名前と金額が記されていました。金額は、エリアごとに100万、あるいは150万円と同額でした。

    イチオシ

    寄進の灯篭が立ち並ぶ、参道脇の光景です。祖rうぇぞれに寄進者の名前と金額が記されていました。金額は、エリアごとに100万、あるいは150万円と同額でした。

  • 前方に二つ目の鳥居が見えてきました。参道の入口の鳥居は、『大鳥居』あるいは『一の鳥居』と呼ばれていますが、こちらの鳥居は『二の鳥居』です。

    前方に二つ目の鳥居が見えてきました。参道の入口の鳥居は、『大鳥居』あるいは『一の鳥居』と呼ばれていますが、こちらの鳥居は『二の鳥居』です。

  • 2600年大祭で大勢の人出があった橿原神宮の参道光景です。近代の創建ですが、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社とされます。

    2600年大祭で大勢の人出があった橿原神宮の参道光景です。近代の創建ですが、奈良県内では春日大社と並んで初詣の参拝者数が多い神社とされます。

  • 『二の鳥居』が目前になってきました。鳥居の様式は、『一の鳥居』である『大鳥居』と同じ明神鳥居の様式でした。鳥居の起源には諸説がありますが、8世紀頃に現在の形が確立したようです。

    『二の鳥居』が目前になってきました。鳥居の様式は、『一の鳥居』である『大鳥居』と同じ明神鳥居の様式でした。鳥居の起源には諸説がありますが、8世紀頃に現在の形が確立したようです。

  • 記念撮影に応じられていた、明治天皇の玄孫(やしゃご)の竹田恒泰さん(1975〜)です。現職は、皇學館大学現代日本社会学部非常勤講師のようですが、作家、タレントとしての活動がよく知られています。平成19年(2007年)から平成26年(2014年)までは、母校の慶應義塾大学大学院の憲法学の非常勤講師でした。

    記念撮影に応じられていた、明治天皇の玄孫(やしゃご)の竹田恒泰さん(1975〜)です。現職は、皇學館大学現代日本社会学部非常勤講師のようですが、作家、タレントとしての活動がよく知られています。平成19年(2007年)から平成26年(2014年)までは、母校の慶應義塾大学大学院の憲法学の非常勤講師でした。

  • 竹田恒泰さんの胸には、紅白のリボンがありましたから、今日の2600年式典の来賓として橿原神宮に見えていたようです。シルクハットにステッキ、燕尾服の正装でした。平成27年(2015年)、一般女性の方と結婚されました。

    イチオシ

    竹田恒泰さんの胸には、紅白のリボンがありましたから、今日の2600年式典の来賓として橿原神宮に見えていたようです。シルクハットにステッキ、燕尾服の正装でした。平成27年(2015年)、一般女性の方と結婚されました。

  • 手水舎の光景です。記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、明治23年(1890年)4月に官幣大社として創建されたのが橿原神宮です。

    手水舎の光景です。記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、明治23年(1890年)4月に官幣大社として創建されたのが橿原神宮です。

  • 今日の一般参拝客の入場は12時まででした、締め切った後、境内の不審物などのチェックを行い、その後で、15時からの今上天皇の参拝に先立ち、境内が掃き清められるとお聞きしました。

    今日の一般参拝客の入場は12時まででした、締め切った後、境内の不審物などのチェックを行い、その後で、15時からの今上天皇の参拝に先立ち、境内が掃き清められるとお聞きしました。

  • 正面から眺めた、『南神門』の光景です。対向する『北神門との中間点の西側に外拝殿があり、その奥が幣殿と本殿です。

    正面から眺めた、『南神門』の光景です。対向する『北神門との中間点の西側に外拝殿があり、その奥が幣殿と本殿です。

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2016春、奈良の桜巡り

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