2015/01/12 - 2015/01/12
40位(同エリア1319件中)
こあひるさん
1月半ばの3連休。ダラダラと過ごしていたわが家・・・3日目ともなると、近場でいいからちょっとお出かけしたくなってきた。
寝坊で出足の遅いわが家だから・・・近場に限る・・・そうだ!松島に牡蠣でも食べに行こっか?と思い立ち、それならば、今まで何度か松島に行ったものの、一度も訪れたことがない瑞巌寺にも!と考え、昼過ぎから松島へGo!!
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JRローカル
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仙台駅からJR仙石線に乗り、30分ほどで松島海岸駅に到着。
13時をまわっているので、まずは牡蠣を食べちゃおう〜!(観光地とはいえ、早く閉まっちゃう飲食店が多いし、売り切れて終わってしまったらガッカリなので・・・)と気合いを入れてきたので、あらかじめチェックしておいた、駅前ロータリーの「かき 松島こうは」に直行!
かき小屋で食べ放題!!のようなスタイルはちょっと苦手なので・・・割高かもしれないけれど、調理して適量が出てくるお店のほうが好み・・・。
といっても、か〜〜なり小さなお店なので、タイミングが悪いと、すぐには入れないことも・・・。営業時間も、けっこう気まぐれっぽそうです・・・。牡蠣フライが絶品! by こあひるさんかき松島 こうは 松島海岸駅前店 グルメ・レストラン
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テーブル2つとカウンター席が数個あるだけ。
こちらが1号店で、数軒お隣に2号店(そちらもそんなに広くはないです)があります。 -
牡蠣の半生くらいは、ちょっと匂いが苦手・・・と感じる時があるので、わが家は焼き牡蠣で・・・。
牡蠣3個とビール(またはワイン)で、1600円くらい。2000円くらいで食べ放題のようなかき小屋もありますから、決して安くはないのでしょうが・・・。
味噌、黒酢ポン酢、ガーリックの3種類のソースが乗せられて出てきました〜〜。
松島の牡蠣は、小ぶりだけど濃厚・・・なんてよく聞きますが、ちっとも小ぶりじゃなかったので、意外〜!
松島の牡蠣が小ぶり・・・というのは、秋の出始めの頃のことで、その時期はまだ子供なのでちっちゃいけど、今時期になるとだいぶ育って、Lサイズ級になっているそうです〜!(←こうはのご主人のお話)
大きさだけでいえば、夏ごろが一番デカいそうですが・・・大きいからって味はどうなのかわかりません・・・。20cmほどにまでなるそうですよ〜。
口に入れると、ぷっくり!ふわ〜り!とろ〜り!でと〜っても美味!!う〜〜ん!!うま〜〜い!! -
カキフライも頼んでみました。揚げたてでアツアツ〜〜!!
こちらもかなりのボリュームがあります。こちらのお店では、カキフライはいつも同じ大きさに統一していて、もし牡蠣が小さい場合には、2〜3個使って、同じ大きさで出すように決めているそうです。
ぎっしりみっちりと牡蠣の身がつまったフライ・・・かなり美味しいです!
かき松島こうはでは、1年中牡蠣が食べられます。
かき松島こうは
http://www.kakikouha.com/ -
もうすぐ14時。
今日はいい天気で、海面もキラキラです。 -
福浦島に渡る朱色の橋が見えます〜。あの橋を渡って、福浦島に行ってみよう!とず〜っと思っているのに、なかなか機会がなくて・・・。
今日も時間がないだろうなぁ・・・。福浦島 自然・景勝地
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寺院は、特に冬は閉まるのが早いので、急いで瑞巌寺に向かいます。
海岸沿いの道路に面した総門から入ります。慶長14年(1609年)に伊達政宗公によって建立された薬医門です。
瑞巌寺は、時代の流れに翻弄され、複雑な歴史をもっているお寺です。
そもそもは、天長5年(828年)に、慈覚大師によって開創された天台宗延福寺という寺で、奥州藤原氏の外護を受けました。
慈覚大師というのは諡号(死後つけられた名前)で、円仁のことです。円仁は、比叡山延暦寺・最澄の弟子で、東北では、平泉の毛越寺・中尊寺 、山寺の立石寺などを開きました。
鎌倉時代中期13世紀の半ばになると、執権北条時頼公により、法身禅師を開山とする圓福寺となり、臨済宗建長寺派の禅寺に取って替わられることになります。
圓福寺は、鎌倉幕府の庇護のもと大いに栄えましたが、戦国時代になると寺勢が衰え、その末期には臨済宗妙心寺派に属することになりました。
その後、仙台藩祖伊達政宗公が、慶長9年(1604年)から5年をかけて、現在の伽藍を完成させました。
伊達家の厚い庇護を受け、瑞巌寺は90余りの末寺を有し、領内随一の規模格式を誇りました。
しかし明治維新を迎え、廃仏毀釈が惹起されたことや、伊達家の版籍奉還による寺領の撤廃により、瑞巌寺を始め、松島の諸寺院が零落・廃絶・焼亡等の憂き目を見ることになりました。
それでも、瑞巌寺は時の住持太陽東潮の努力によってようやく維持されていたのです。
明治9年には、天皇の行在所となり内帑金千円が下賜され、復興することができました。瑞巌寺 寺・神社・教会
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総門を入ると、まっすぐに参道が延びています。両側には、杉木立が続きます。東日本大震災の際には、この杉木立の途中まで津波が来ました。
参道の左側の杉木立の方がやや低いため、震災後、左側の杉の木は、ほとんど枯れてしまい、今は右側の杉木立だけが鬱蒼としています。
明治維新前には、参道の両側に、片側6軒ずつの塔頭(子院)が並んでいたそうです。 -
総門を入ってすぐのところに、有料でガイドをしてくれるという案内があったので・・・目の見えない連れ合いにとって、寺についてよくわかっていない私にただついてくるよりも、説明されながらの方が楽しめるかな〜(私自身も勉強になるし)と思い、ガイドをお願いすることにしました。
まずは、参道の右側へ入って行ったところにある、岩窟群へ・・・。
五輪塔や笠付塔婆など無数の墓標が安置されたり、壁面に彫りつけられています。もともと岩窟群は、納骨や供養のための施設であり、鎌倉時代から江戸時代まで続きました。
今まで、この岩壁側の脇参道は、ライトアップの時にしか通ったことがなかったので、こんな風になっているなんてことを初めて見て驚きました。 -
人工的にいくつも掘られた四角い岩窟は、多くの修行僧が居住していた場所だそうです。
納骨や供養のための岩窟だとばかり思っていたので、それにはびっくり〜。ガイドさんのお話を伺うと勉強になりますね。
出入口のところには、簾のようなものを架けただけ・・・だったそうなので、冬にはさぞかし寒かったのでしょうね〜〜。 -
岩窟群の前には、西国三十三観音巡拝所が置かれています。
西国三十三観音霊場とは、三十三に変化し救済する観音の働きにちなんで、平安時代中期、花山院が始めたと伝えられており、和歌山県那智の青岸渡寺を第1番、岐阜県谷汲の華厳寺を結願としています。
後に、坂東および秩父に、また奥州・宮城・仙台など各地に霊場が定められました。松島でも、江戸時代後期に設置されました。
瑞巌寺の洞窟群前に安置されている石仏は、昭和9年に仙台の月田文治という方によって造られたもので、仙台・石巻・塩釜の観音講員の喜捨によって境内に安置されてたそうです。
講とは信仰集団のことを意味し、観音さまを信仰する人たちの集まりの寄附によってこの西国三十三観音が安置されたそうです。 -
天台宗とか真言宗のお寺の観音像を模した石仏が並んでいるようですが・・・鎌倉時代に、臨済宗が、天台宗の宗徒を追い出した(?)という説もあるののに・・・不思議な感じもしましたが・・・。
誰でもが行きたくても行くことができなかった三十三か寺の本尊を一ヶ所に祀ることで、体の弱い老人や女性でも、三十三か寺を巡拝したのと同じ功徳にあやかれるようにしたものです。
観音さまに対する、人々の篤い信仰の前には、お寺の宗派などは関係ないのですね。
日本では観音さまの人気がありますが、東北の庶民の間でも、観音さまは古くから信仰されてきました。 -
火を使った跡もあります。
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居住していた洞窟の中に置かれた如来や菩薩像は、後の時代に置かれたものなのでしょう。
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コントラストが大きくて見えにくいのですが・・・岩窟の住まいは、2階建てになっています。
写真左側にある坂道は、ほぼ埋もれてしまっていますが、階段になっていて、2階部分へ続いています。 -
岩窟群の左側には、杉並木。藩政時代からのものですが、あまり太くならない杉のよう・・・。
岩窟群に近いこちら側の杉木立は、やや高さがあったので、津波にやられなくて残りました。 -
鉄道殉教者弔魂碑だそうです。
ライトアップの時は真っ暗で、こんなに色々なものがあったり、貴重な遺構があったり・・・なんて全く気づかなかったので、今日は驚きの発見がたくさん! -
拝観受付所手前の岩壁には、法身屈と呼ばれる格子のはまった洞窟があります。
鎌倉時代半ばに、ここで法身禅師と執権北条時頼が出会ったといわれています。・・・ということは、天台宗から禅宗にとって替わられるきっかけになった場所ということかな・・・?
法身屈の前にある石碑には、観音さまが線描きで描かれています。
岩壁の上には、鐘楼があります。 -
現在、国宝の本堂は修理中で、全く見ることはできません。
平成20年から10年がかりで、本堂をはじめとした建物の修理の真っ最中。本堂の修理は、来年春ごろに終わる予定なので、来年春には本堂を見ることができます。 -
9番の本堂や、中門、御成門などメインのエリアはただ今見ることはできません。
その代わりに、これまで非公開だったピンク色の部分が特別公開となっています。それもある意味お得ですね。 -
境内の参道に敷いてあるのは、すずり石。
雨にぬれると、しっとりと黒ずんでとても美しいそうです。 -
私が仙台に来た時には、すでに本堂は修理に入っていたので、本堂がどんなものなのか全く知りません。
工事のフェンスに、本堂がどのようなものだったかを想像させる大きな写真が並べられています。
本堂は、正面39m、奥行き25・2mで、入母屋造りの本瓦葺き。部屋が10室に分かれています。慶長9年から5年かけて1609年に完成しました。
桧、杉、欅は熊野から運ばれ、100人以上の京都根来の大工衆が技を競ったそうです。 -
1600年に関ヶ原の戦いがあり、仙台城を築いたり瑞巌寺を造営したりしたのは、ちょうどその後まもなく・・・同じような時期です。
奥州の暴れん坊伊達政宗としては、まだまだ、隙あらば天下を・・・と諦めていなかった頃です。
瑞巌寺は、もし仙台城(青葉城)に何かあったときには、この瑞巌寺を砦(城)にすることも考えて造ったものだそうです。さすが政宗・・・。
なので・・・金ぴかで艶やかな絵が描かれた襖・・・細やかな彫刻を施した唐戸や欄間など・・・桃山様式の粋を尽した絢爛豪華な造りとなっています。
とてもじゃないけど、禅寺の本堂とは思えません(笑)。これは・・・城ですね。 -
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けっこう大きな本堂なのですね。
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本堂が工事中の代わりに、国宝の庫裡(くり)が特別公開されています。
煙出しのある建物が庫裡です。ガイドさんと一緒にそちらへ向かいます。 -
庫裡は、禅宗寺院の台所です。正面13・78m、奥行23.64m。
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本来は実用本位の建物ですが、唐草や花肘木の彫刻が施されており、政宗公の美意識がうかがえるものとなっています。
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天井が高く、がっしりとした梁がめぐらされています。庫裡の建築材料は、紀州熊野の山中から切り出した材料を、十六艘の筏に組み、海路を松島まで運びました。
食事時を告げる雲板が掛かっています。 -
内部は、フラッシュを焚かなければ撮影OKなんです。お寺内部で撮影OKっていう方が少ないので、ラッキー!と嬉しくなっちゃいます(じゃないと、すぐ忘れちゃいますので・・・)。
最初の頃は、撮影ダメだったんですけどね・・・今はOKになったんです・・・とガイドさん。早い時期に来なくてラッキーだったんだぁ・・・。
こちらは、昭和2年、高村光雲作の光雲観音。
宮城電鉄(現JR仙石線)が松島まで延線し、事業の発展と無事故を祈念して、松島海岸駅脇の八幡崎に奉祠されました。
彩色が大変美しい神秘的な雰囲気の観音さまです。 -
伊達家歴代の位牌が並んでいます。
瑞巌寺は、伊達家歴代の位牌を安置しています。本来は本堂に安置されているもので、三代綱宗から十二代斉邦(なりくに)および各正室の大位牌が安置されています。写真右側の小さめのものが正室の位牌になります。
本来の本堂内部は、撮影禁止だったようなので、今回は、こんな明るいところで間近に見ることができ(位牌を間近で見てもあまり嬉しくもないですが・・・)、撮影までできるのは、かえってラッキーなのかもしれません。 -
ガイドさんについて進むので・・・自分のペースであちこちキョロキョロしたり、写真を撮ったりする暇がいまいちないのが玉にキズ・・・ね。
繋がった廊下を通り、仮本堂(大書院)へ・・・。大書院は、新しめの建物です。
本堂修理中、仮本堂に安置されている三代開山木像、政宗公位牌、忠宗公(2代目)位牌、そして瑞巌寺ご本尊の聖観世音菩薩が、特別公開になっています。 -
三代開山像。
中央が法身性西(ほっしんしょうさい)・・・鎌倉幕府執権5代北条時頼の帰依を受け、禅宗円福寺を開創。
右が雲居希膺(うんごきよう)・・・1636年、政宗に招かれたが拒否、遺言を守った忠宗により松島に来て、99世に就任。領内に17ヶ寺、全国に173ヶ寺を開創。
左が洞水東初(どうすいとうしょ)・・・雲居下、15名の領袖となり、瑞巌寺100世、妙心寺177世。領内に12ヶ寺を開創。 -
御本尊の聖観世音菩薩。そんなには大きくはありません。
本堂にあるときには、もっと遠いところからしか見ることができず、もっと暗いので・・・こんなに近くでよく見ることができるのは、ほんとにお得ですよ〜とガイドさんが言っていました。
銅製のようです。 -
政宗公の大きな位牌。
瑞巌寺を建立した功績によって名づけられた「瑞巌寺殿前黄門貞山利公大居士」。脇に迦陵頻伽(女性の上半身と鳥の下半身を持つ想像上の生物)が彫られた華麗なものとなっています。 -
右側が2代忠宗公の位牌で「大慈院殿前羽林義山仁公大居士」。厨子の天女の絵がまだ色鮮やかに残っています。
忠宗公は、松島の円通院・陽徳院を建立しました。
ちなみに、さっきから、位牌や開山像のバックにある金ぴかの襖絵は、本来の本殿の襖絵のコピー(写真)を張ったものなので、レプリカどころじゃなく、反射してテカっちゃって・・・ちょっと安っぽいです(笑)。こちらの襖絵は、本物を見るしかなさそうです〜〜。 -
こちらは「松島方丈記」。
瑞巌寺の完成を記念して、慶長15年(1610)に制作されました。松島が古代からの霊場であったこと、法身が中国に留学した高徳であること、瑞巌寺建立の木材を紀州熊野から運んだことなどを記しています。
本堂文王の間の欄間に掲げられているものです。
政宗公の師傅であった虎哉(こさい)和尚による文章。 -
孔雀の間、鷹の間、墨絵の間の襖を複写したものを貼り付けています。仮だから仕方ないけど、ちょっと安っぽい感じに見えるね〜。本物は圧巻だと思いますよ〜。
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鷹の間は、三万人を数えた伊達軍団の中心を成した高位武士団の控室で、鷹はその武威の象徴とされています。
雉子(きじ)が追われているのは、雉子も鳴かずば撃たれまい・・・という意を含んでいるそうです。。 -
鴨が捕獲されているのは、(武士・人間として)鴨に騙されてはいけないので用心しろの意だそうです。
言葉の遊びを楽しんだ政宗公の警世を垣間見ることができます。
襖の引手も美しいです。 -
こちらのお部屋にあるのは「羅漢の間の位牌」。
羅漢の間は、本堂仏間の右側に隣接し、伊達政宗・忠宗に殉死した家臣の位牌を安置しているものです。
奥2基1対の位牌は、政宗公に殉死した20名、手前2基1対の位牌は、忠宗公に殉死した16名の法名が刻まれています。
中央の不動明王像は、当山101世鵬雲東搏の作と伝えられています。 -
桃山文化の趣好あふれた本堂の飾金具類なども展示されています。
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ここでガイドさんとはお別れです。
裏手に、国指定重要文化財の陽徳院御霊屋(寶華院)が特別公開されているということですので、この機会に見ておきましょう。
陽徳院とは、伊達政宗公の正室・愛姫(めごひめ)です。 -
岩のアーチを通り抜けて・・・
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茅葺の門構えの建物が「陽徳院」。
2代忠宗公が、母である愛姫(めごひめ)の修養道場として、慶安3年(1650)に開創したもの。
愛姫は、承応2年(1653)に86歳で亡くなり、陽徳院の裏手にある高台に葬られました。
陽徳院は、元禄10年(1697)に火災により焼失し、現在の建物は3代目だそうです。ここらの建物には立ち入ることはできません。 -
陽徳院の裏手の高台の上に御霊屋がありますので、そちらへ向かいます。
山の木々に遮られ、日陰になった陽徳院のお庭にはまだ雪が残っています。 -
上り坂をあがった先に陽徳院御霊屋があります。政宗公の正室の墓所です。万治3年(1660)に、孫の綱宗によって造営されました。
平成18年から3年をかけて、創建当初の豪華絢爛な姿に復元されました。外面全てが黒漆で塗られ、金や極彩色に彩られ、失われていた飾金具も復元されました。
政宗の墓所は瑞鳳殿になります、正室はずいぶん離れた松島に眠っているんですねぇ・・・。
瑞鳳殿に比べると、かなり小さいですが、同じ桃山様式の御霊屋です。 -
柵の中には入ることができないので、ちょっと遠目からぐるっと回って見るだけです。
内部は、三方板壁で金箔を貼り、天井等は極彩色の花が描かれ、須弥壇に念持仏と政宗・愛姫夫妻の位牌が安置されているそうですが、内部の一般公開は行わないそうです。 -
最後に宝物館(青龍殿)を見ていきます。こちらの内部は撮影禁止です。
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宝物館に入ってすぐのロビーに展示されている瑞巌寺の瓦だけは撮影可となっていました。
口を閉じた吽形の大鬼瓦は、本堂修復工事に伴い、本堂最上部の大棟左端から外されたものです。
江戸後期に製作されたと考えられ、体部と脚部の3つの部品から構成されています。総重量は120kg前後になります。
経年劣化による破損から、元に戻さないことになりました。代わりに大棟には、この大鬼瓦をもとにして、奈良県下の瓦工場で製作された新たな大鬼瓦が設置されることになっています。
この展示している大鬼瓦と一対で、大棟右側に設置されていた阿形大鬼瓦(大正7年作)は、破損が少なく再利用可能として、元の場所に設置されました。 -
本堂への門のひとつ「登竜門」。一般参拝客の出入り口のようです。
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登竜門の脇にいらっしゃるのは白衣観音さまでしょうか・・・?
瑞巌寺の境内から出ると、もう閉門していました〜〜〜。1月は15時半で閉門なんですね〜〜早っ!遅出のわが家・・・ギリギリだったのね〜。 -
門前町って・・・お寺が閉門する時刻に合わせて、終わるのが早いから・・・のんびりわが家のペースには合わないわ・・・瑞巌寺のそばにあるカフェ「洗心庵」で休憩しよう。
お汁粉を食べて温まろうかな〜〜!
わが家が入店直後・・・ここも営業終了になりました〜。ギリギリ〜(*´з`)!洗心庵 グルメ・レストラン
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円通院も、もう閉門になるだろうから・・・予想通り、今日は瑞巌寺だけで終わりだな〜・・・。
円通院の前に「御水主町(おかこまち)の民家」があります。ライトアップの時には、ここはライトアップされていなくて真っ暗なので、今まで全く気付きませんでした。
御水主町は、瑞巌寺の東に隣接した一画で、仙台藩主等が松島遊覧の際、御座船を操った水主衆が集団で住んでいました。
水主は、瑞巌寺造営当時(1605年)、地元や和歌山・静岡・愛媛などから雇用されてここに住み、往時には48軒を数えました。
彼らの住居は、藩の定めにより、茅葺、寄棟造り、表通りに面して出格子と蔀度(しとみど)を設け、冠木門等を構え、天井は上げませんでした。
昭和51年に、最後に残った1棟を、ここに移築復元したものだそうです。
ここ、茶屋として使われているようです。冬の間は、土日祝のみの営業みたいですが・・・そういえば、以前、昼間通った時、甘味処がこのへんにあったな。 -
御水主町の民家の向かいには、いぶき(柏槙・びゃくしん)が植えられています。
いぶきとは、ヒノキ科の常緑小高木。
こちらのいぶきは、幹の周囲1・8m、高さ3m、枝は東西7・6m、南北9mほどに広がっています。樹齢700年以上と推定され、臨済宗円福寺時代から今に伝わる名残りの樹木と言えます。
いぶきは、禅問答で取り上げられることから、禅寺で好んで植えられます。 -
こちらの小さなお堂は「三聖堂」。
秋の紅葉時にはライトアップされているので、こちらは知っていましたが、昼間に見るのは初めてかな。
天和2年(1682)、瑞巌寺101世鵬雲によって建てられたお堂です。
方3間の素木造り、屋根は宝形造りで茅葺き、正面に1軒の向拝のついた、質朴端正な建物です。
堂内正面中央に、聖観世音菩薩、左に達磨大師、右に菅原道真を安置したことから、三聖堂といわれます。
創建以来、屋根替え以外の修理は行われていません。 -
海岸のほうへ再び出ました。
16時をまわり・・・福浦橋の向こうの空がうっすら染まり始めているのが見えました。 -
すぐそばの五大堂って、閉門とかあるのかな?夕焼けが良く見えそうなので、ちょっと行ってみよっか・・・。
あら〜〜?16時半に閉門だって・・・閉門ってあるんだね〜〜。
まだ少し時間ありそうなので、急いで行ってみよう〜〜。またしてもギリギリ〜〜!
すかし橋が2つもあるから、目の悪い連れ合いには大変なんだけど・・・左右の足を、1本線をたどるような感じで歩いて!と急かして・・・。 -
ほらほら〜〜、ちょうど陽が沈んでいっていい感じ〜〜。
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五大堂。
大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征のとき、毘沙門堂を建立し、後に、慈覚大師円仁が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いたとき、「大聖不動明王」を中央に、「東方降三世」「西方大威徳」 「南方軍荼利」「北方金剛夜叉」の五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。
現在の建物は、伊達政宗公が桃山様式の粋を尽くして再建したもので、瑞巌寺に先だって建立されました。桃山建築としては、東北地方最古の建物です。・・・ということは、本来は極彩色など施された色鮮やかなお堂だったんでしょうねぇ。
秘仏とされる五大明王像は、五代藩主吉村が500年ぶりにご開帳した1700年代以降、33年に一度ご開帳されるようになりました。五大堂 名所・史跡
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うっすらと色づく夕暮れ色の空を見ると・・・美しいけどもの悲しいような・・・。
まだ16時半になるところですが・・・松島の町なかは、閉まっていくお店も多く、寂しくなってきました。
もう一軒ほど牡蠣を食べて帰る予定でしたが、わりとお腹がいっぱいになってしまったし・・・また近いうちに牡蠣を食べに再訪することにしました。 -
今日は、松島に初めて御朱印帳を持っていきましたので(いつも忘れちゃう・・・)、御朱印も頂いてきました。
瑞巌寺の本堂・・・来春に修理が終わったら、ぜひぜひ見に行ってみたいと思います。これは・・・観光スポットとしては一押し!となりそうな予感がします。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- nanaさん 2015/03/04 11:26:26
- 素敵〜
- こあひるさん、おはようございます
表紙の観音様のあまりのいろっぺ〜さに
じっくり拝見させていただきました。
白衣観音様というのですね。
こんな素敵な観音様初めてです。
座り方が色っぽい!!
牡蠣もおいしそうです。
おなかすいてきた〜(笑)
nana
- こあひるさん からの返信 2015/03/05 10:23:48
- RE: 素敵〜
- nanaさん、こんにちは〜!
いつもありがとうございます!
たぶん白衣観音だと思うんですが(頭に被り物してるので)・・・観音像には色々な種類がって、仏像の知識が乏しく、確実ではないのですけれど・・・。
人間のようなしぐさで色っぽいですよね〜、ほんと。観音さま、こんなんでいいんかい?って思うほど・・・(笑)。
牡蠣、生とか半生くらいがほんとは美味しいのでしょうが・・・どうも苦手で・・・十分火が通ったフライとかじゃないとダメなのが残念なのですが・・・また、そろそろ食べに行ってみたいね!と連れ合いと話しています。
こあひる
-
- orangeさん 2015/03/03 22:10:52
- 憧れです!
- 今晩は こあひるさん
今BS3 で毎週土曜日6時から 伊達政宗ドラマの再放送を楽しみに観ていますので、
こあひるさんの素敵なルポを拝見してとても参考になり、是非訪れたいと切望しきりです(牡蠣も食べたいし) 。 有難うございました。
orange
- こあひるさん からの返信 2015/03/05 10:18:25
- RE: 憧れです!
- orangeさん、こんにちは。
わが家も、独眼竜を再放送で見ています。伊達政宗があんなに暴れん坊な人だったなんて、ドラマを見て初めて知って(あくまでもドラマとしてですが)ちょっとイメージが変わりました。
仙台にいると、なんでも「伊達」とネーミングすることが多いし、伊達家所縁のスポットが多いので、ドラマ再放送はとても役に立ちます。
ぜひ、伊達政宗の面影を追いに仙台へいらしてくださいね!
こあひる
-
- aoitomoさん 2015/03/02 17:13:36
- 弾丸瑞巌寺!
- こあひるさん
瑞巌寺の閉門は1月は午後3時30分なんですね。
牡蠣を満喫して午後2時、1時間30分で瑞巌寺を見て「洗心庵」も滑り込みセーフなかなかきわどい。(笑)
今回の有料ガイドさんが付いて効率よく説明を受けることができたのですね。ガイドさんが付くと撮影に専念しにくいですがこちらもなんとかセーフですね。(笑)
『洞窟』
私もこあひるさんのライトアップ時のしかよく知りませんからから、一緒に驚きながら上側の岩窟を拝見しました。(笑)
四角い岩窟が修行僧が居住でもあったというのが確かに驚きます。
いい加減寒すぎますよね〜
『西国三十三観音巡拝所』
西国三十三ヶ寺を巡拝したのと同じ功徳にあやかれるというのは全国でよくみかけますね。
実際に昔には、たとえ健脚だったとしても西国三十三所を巡礼出来る人はそういないでしょうしね〜
こんな巡拝所はありがたい場所であったことと思います。
西国三十三所の話で例の花山院が出てきてなんか嬉しかったです。(笑)
『国宝の庫裡』
天井の昔ながらの梁が立派ですね。紀州熊野の山中の木材が使われていると思うと、これも和歌山人としては嬉しいです。
こちらの撮影OKなのもいいですね。
旅行記で目に触れてそれが観光客が増えるきっかけになるのですから、本来はフラッシュ無しの撮影許可はどんどん推進してほしいです。
伊達家歴代の位牌が見れて写真も撮れてしまうのが、凄い事だと思いますよ。
ありがたいことです。
襖絵なんてコメントで言われないと気づきませんでした。(汗)
『福浦橋』
夕陽が当たって鮮やかに染まっている福浦橋の写真がいいです。
ラッキーな瞬間という感じです。
日が沈むとシルエットとなって、空はいい色になるしこれも美味しい瞬間です。
島々がすでに絵になりますから、ここも色々な写真が撮れそうです。
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2015/03/04 09:42:59
- RE: 弾丸瑞巌寺!
- aoitomoさん、おはようございま〜す!
冬は、閉門が繰り上がるところが多くて、遅出のわが家にはよりつらいところです。
連れ合いの目的である牡蠣も、遅めだと、売り切れて終わりになっちゃったり、飲食店のほとんどの閉店が早く、ほんと・・・わが家のペースに合わなくて・・・。
どこであっても、ガイドさんがついてくれるととても勉強になるし、知らなかったことまで教えてくれるので、すごくいいのですが・・・思ったように写真を撮ったり、キョロキョロとあちこちを見たりするヒマがないので、どっちをとるか・・・難しいところです。出入り自由なところなら、一度説明を受けてから、そのあともう一度入りなおしてゆっくり見直すってこともできますが・・・(瑞巌寺ではそれもできますけれど、2度見する時間がないですね・・・)。
脇参道の岩窟群があんな様子とは、ほんとにビックリでした。西国三十三観音は、ライトアップされていたので見えますが、洞窟の奥や、岩壁の上の様子まではよく見えなかったので・・・。あの四角い穴が、修行僧の住居だったとは、もしガイドさんに教えてもらえなかったら、全く知らないでいたでしょう(説明板にもそういうことは一切書いてないので)。昔の僧侶の修行生活って、厳しいものだったんですね〜ぇ。
西国三十三観音拝礼所・・・時々同様の仕掛けのものを見かけたりしますが・・・一遍に1ヶ所で、全部まわったのと同じ功徳となる・・・って点については、私はちょっと共感できないのですが(こら!)・・・。
瑞巌寺の資材が、遠く熊野などから運ばれてきた・・・っていうのは、当時にしては壮大なスケールですね〜。
写真OKなのは、今回、とってもお得だと思いました。修理前、本堂は撮影禁止のようでしたし、内部を見るのには、かなり遠目からしか見ることができないようでした。修理後に、撮影OKになっていれば嬉しいのですが、寺院はたいがいダメでしょうねぇ・・・。
福浦島には、橋を渡って行ってみたい・・・といつも思っているのですが、毎度時間切れで行くことができません。それにしても、松島の夕焼けってのはなかなか素敵な景色ですね。
とても禅寺には見えない金ぴか内装の瑞巌寺本堂が、来春に再び公開となるのが今から楽しみです。
こあひる
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旅行記グループ 松島、塩竈
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