2016/03/12 - 2016/03/12
31位(同エリア1321件中)
こあひるさん
日本三景のひとつ松島。
静かな湾の中に浮かぶ・・・松に覆われた多くの小さな島々。私たちは、その美しい景観を眺めるために松島を訪れる。
しかしながら・・・松島は、その歴史のほとんどの期間、極楽浄土行きを願う霊場・・・神聖な信仰の対象であった。
江戸時代半ばに、松尾芭蕉の「おくのほそ道」が発表されると、景色の美しさを求めて訪れる人が増え、霊場色が薄れていった。
明治になると、廃仏毀釈により、松島の寺院が衰退し、ますます霊場としての存在感が薄れ、「霊場」から、景観を愛でる「景勝地」へと変貌していった。
現在の松島で、一番の観光スポットである瑞巌寺や円通院を訪れただけでも、多くの岩窟があちこちに掘られ、その中に古い石碑や墓碑などが置かれているのを見ることができる。確かに・・・かつての霊場の面影は、いたるところに残されている。
しかしながら・・・そういう説明をされても、これまではなんとなくピンとこなかった。
今回の松島訪問では、雄島(おしま)という小さな島を訪れてみた。霊場・松島の中でも、特にこの島は、極楽浄土への架け橋となる神聖な島だった。
今でも島中に、供養塔や板碑が立ち、独特の神聖な空気を醸し出している。
いにしえの霊場としての松島・・・この雄島を訪れることによって、これまでの松島訪問では見えなかった・・・本来の松島の姿を感じ取れたような気がした。
【旅行記全体のコメントについて】
参考および抜粋、引用は「霊場と 松島と」(霊場松島プロジェクト)より。(←もし霊場としての松島に興味あれば、観光案内所でもらえるので是非)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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神聖な霊場・・・なんてことを言っておきながら、まずはともあれ食べ物から始まる旅行記。
久々に「かき松島こうは」でカキフライを食べよう!と、開店時間の12時にあわせて来たのに・・・12時半までの貸し切りがあるので12時半以降に・・・と・・・いきなりの撃沈!!やっぱり、こうはに来る際には、構えてきちゃいけな〜〜いのだなぁ(笑)。
12時半まであと20分ほど。どっか見てから・・・には中途半端だし、待つのも時間がもったいないし・・・今日は別のお店でカキを食べることにしよう!
・・・ということで、「かき松島こうは」のある駅前ロータリーから、表通りに出てすぐ目に入った・・・「たからや食堂」に入ります(決めるの早っ!)。
一応、松島のカキを使っている・・・って言うし、そろそろランチタイムだから、早めに入らないと混んでくるしね・・・。たからや食堂 グルメ・レストラン
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地ビールをね〜!これから歩くから、連れ合いと半分ずつ。
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お腹も空いたし、牡蠣コース(1800円)にしちゃいました。焼きカキだと、匂いのダメな時があるので、こういうふうに火が完璧に通ったカキなら大好き。
思っていた以上に、す〜っごいボリュームで驚き〜〜!
カキフライ5個、カキ丼にもカキ5つ、カキ汁にもカキ2つ入っていて・・・火が通っているのに、大ぶりなカキなので、これで1800円ならすごくお得だと思いました。もちろん、カキはプリプリで大きくて・・・大満足のメニュー!
通りがかりに何気に入っちゃったけど、このお店もお薦めです!
たからや食堂
http://www.takaraya-matsushima.com/index.html -
13時をまわって・・・ビールでちょっと酔っ払ったうえ、お腹がいっぱいすぎて、もう帰ってもいいって気分になっている連れ合いを叱咤して・・・雄島(おしま)へ向かいます。
駅前の観光案内所で、雄島のマップのはいったパンフレットをもらい、いつも行く瑞巌寺などとは反対方向へ・・・。
昨年閉園となった「マリンピア松島水族館」跡の更地の横を通って・・・あちこちに岩窟が見られますね〜。 -
マリンピア水族館跡の向かいの、こんもりとした松の丘の中に、小さなお堂がありました。
「解脱院」といい、江戸初期に建てられたお堂のようです。
このお堂は、最初は五大堂の裏手の丘にあったのですが、寛永17年(1640、一説には寛永19年)に、瑞巌寺第99世によって、水族館だった場所に移され、昭和12年、水族館の建設によって現在地に移されました。 -
御本尊は地蔵菩薩坐像。
扉の格子の間から地蔵菩薩が見えました。
彫刻年代は不明。高さ105cmのヒノキ造りの半跏像です。金箔が施され、造られた当時の輝きをとどめています。 -
お堂の後ろ側にも岩窟が・・・。このあたりでは、岩肌あるところに岩窟あり・・・といった感じで、ごく当たり前に存在しています。
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春のお花も目覚めてきている・・・。
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マリンピア水族館跡・・・ここ、このあと何か造るのかな。駐車場にするのかな?
振り返ってみると・・・このようなこんもりとした松の島の中に、解脱院があります。 -
雄島に入る小路の入口に、解説と地図の看板があります。
雄島は、東西40m、南北200mほどの小さな島。昨年訪れた福浦島よりもだいぶ小さいです。
この島は、諸国から松島に集まった僧侶、巡礼の人々が修行したところです。その代表ともいえる見仏(けんぶつ)上人が、法華経6万部を読誦した「妙覚庵(見仏堂)跡」があり、鳥羽天皇がその高徳を讃え、松の苗木1000本を下賜したので、御島=雄島と呼ばれました。
1000本の松の島という意味から、雄島が千松島とも呼ばれるようになり、後に千を略して松島と呼ぶようになった・・・という説もあります。そしていつの頃からか・・・この地方一帯を松島と呼ぶようになった・・・とか。雄島が松島の地名発祥の地と言われる由縁です。 -
初っ端から・・・いかにも〜!!の雰囲気でお出迎え。岩窟の中にいくつもの五輪塔が見えます。
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なんだか切り通し路みたいな道だな〜。左右は岩壁がそそり立つ・・・。霊場への入口としては雰囲気抜群で、ワクワク感がアップします!
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雄島に渡る「渡月橋」が見えました。まだ雄島に渡ってたわけじゃなかったのね〜。
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雄島に渡らないうちから・・・霊場ムードたっぷりの岩窟がたくさん〜。色々なものが彫られていますね。
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文字や図が彫られていても、長年風雨にさらしっぱなしなので、風化して判読できないものも多いし、文字を判読できても、どういう意味のことを書いてあるのかわからなかったりするものが多い中、こちらは・・・寛政八年八月・・・だけは読める・・・。
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岩壁に彫られた五輪塔も、風雨にさらされ・・・だいぶ風化して・・・立体感がほとんど消えてしまっているものも多い。
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法名のようなものが読み取れる・・・。
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渡月橋はこの先・・・。
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雄島とは渡月橋でつながっていますが、昔は、飛び石づたいに渡るか、小舟を使って行き来していたそうです。
松島の街側を眺めます。 -
渡月橋。
14世紀の半ばの絵画には、雄島にかかる橋が描かれているそうですが、橋がいつ頃架けられたのか、正確な時期は不明だそう。
現在の橋は、東日本大震災後(2013年)に再建されたものです。 -
渡月橋を渡ります。
正面に見える雄島・・・すでに岩窟やお堂・・・霊場の島という雰囲気が漂っています。 -
今は干潮なのかな。橋から砂浜のようなところも見えます。海のお水は、けっこう澄んでキレイです。
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橋を渡ったところには、左右の海岸線に沿って・・・岩窟が並び・・・その中でひときわ大きくて目立つ磨崖仏。
だいぶ風化が進み・・・強風でさらさらと・・・砂になって消えていってしまいそうな風情。 -
左右には、いくつもの部屋に分かれたような岩窟と・・・石仏が安置されています。
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かつて雄島内には、108ヵ所の岩窟があったと言われています。現在では50余りだそう。
岩窟の中には、卒塔婆、仏像、五輪塔、法名などが彫られたり安置されています。
いにしえより、諸国より集まってきた僧侶や巡礼の人々が修行した場所で、島全体が霊場でした。 -
岩を彫って造ったものの中には、もうこうして・・・風化してしまって・・・ほとんど形が残ってなく・・・跡だけ残っているものもあります。
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そもそも松島が歴史の表舞台に登場するのは平安時代です。
朝廷は、国府多賀城を拠点に、当時は蝦夷と呼ばれていた東北の地を徐々に平定し、国家の安定と発展を祈らせる官寺を要所要所に建立していきました。
松島には、延福寺(天台宗)・・・のちの瑞巌寺が置かれました。比叡山より遣わされた住持の教えを求めて、全国各地から修行僧が来るようになりました。これが霊場・松島の歴史の始まりです。
朝廷の勢力下とはいえ、当時の松島はいわば「秘境」でした。
辺境の寂しい山道を抜け、峠を越えた先に、松島の美しい光景が広がった時、人々はそこに神や仏の領域・・・当時の仏教的世界観でいえば、極楽浄土を見たことでしょう。
松島の噂はまもなく京の都まで伝わり、歌人たちはまだ見ぬ絶景を歌枕としました。
僻地奥地を行脚する修行者たちは、真の悟りを求め、こぞって辺境の地・松島を目指しました。そんな松島は「奥州の高野」とも称されるようになったのです。 -
さて・・・橋を渡って・・・島の内部へと入っていきます。歩きやすい遊歩道が整備されています。
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道を入ってすぐ左側の上方・・・渡月橋から見えていた建物は「真珠稲荷神社」でした。
古そうな石でできた鳥居です。昭和5年と書いてありました。 -
石段を上って小高くなったところに小さな祠があります。周りは平たんになっていて、石碑などがいくつも立っています。
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覆屋の中に、祠がありました。正確には「御島真珠稲荷大明神」なんですね。
真珠稲荷は、江戸からの船便が暴風に巻き込まれた際、以前助けた白狐に救われたという逸話から、海難防止の守り神とされています。
神社縁起としては・・・こんな怪異譚があるそうです。
昔、江戸に住んでいたある人が狐憑きとなり、「仙台に連れて帰ってほしい」と訴えました。これを聞き入れた一人の仙台藩士が、舟に乗せて送り返したところ、その人は、陸に着く前に雄島で降り、ひと声鳴いて狐の姿となった・・・ということです。 -
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石碑や板碑(いたび)・・・稲荷神社の周囲にもいっぱいあります。
板碑とは、日本の中世における石造供養塔の一種です。石材を加工・整形し、種子(梵字で書いた仏の名)、紀年銘、願文などを刻み、供養される者の極楽往生を祈願するものです。
雄島にある板碑は、13〜15世紀に建てられたものが多く、そのほとんどが死者の追善供養のためのものです。一方で、逆修供養といって、生前に建てられた碑も多く見られるそうです。これは、板碑を建てることで得られる功徳のうち、7分の6は供養する人=建てた人が得られると考えられていたためだそう。 -
雄島は、浄土に最も近い聖地・・・この世と浄土をつなぐ島と考られたため、遺髪や火葬骨の一部を納め、供養塔や板碑が建てられました。
この習慣は明治期まで続き、今でも、骨粉と思われるものが多数発見されるそうです。 -
神社の祠のあるところからも眺めがいいです。連れ合いは石段の下でじ〜っと待っています。
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渡ってきた渡月橋もよく見えます。
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神社のあったところから石段を下り、もとの道へ戻って先へ進みます。島の南側へ向かっています。
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遊歩道の右側が海に面していますが、そこから、崖になった海岸線に沿って・・・岩窟の部屋が並んでいるのが見えます。険しい崖のようなところにあるので、修行者が籠って念仏した場所なのでしょうか。
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悟りを求め、松島にやってくる修行者のなかに、伯耆国(鳥取県)の見仏(けんぶつ)上人がいました(平安時代)。1104年、見仏上人は雄島の妙覚庵(見仏堂)に籠って、法華経6万巻を読誦すること10余年・・・ついに神通力を会得したのです。
見仏上人の高徳を讃え、鳥羽天皇が、1000本の松を下賜したと言われています。この小さな雄島の名は、はるか京の都にまで知れ渡りました。
官寺だった延福寺は、鎌倉時代に臨済宗に宗旨を改め(寺号も円福寺に)、全国に名の聞こえた高僧たちが、代々住持を務めたことから、その教えを請わんとする修行僧が詰めかけるようになりました。
1285年頃、頼賢(らいけん)という求道者が、見仏上人も暮らした妙覚庵で22年間修業を続け、見仏上人の再来と崇められました。
極楽浄土のような絶景に加え、そこで見仏上人や頼賢のような半ば伝説的ともいえる高僧が仏法を極めたことで、松島はいつしか神聖視されるようになっていきました。 -
いにしえの人々には、徳の高い人物ゆかりの地を訪ね、また、その地に遺骨を埋めるなどして縁を結ぶ=結縁を行うことで、極楽浄土行きを願う習慣がありました。
戦乱の世が終わり、社会が安定してくると、それまでの修行僧や裕福層だけでなく、庶民たちも、高僧たちや仏との結縁(けちえん=将来の成仏の可能性を得ること)や極楽往生を願い、はるばる松島まで納骨供養にやって来るようになりました。
松尾芭蕉が訪れたのは、こうした「霊場」としての松島の姿だったのです。
ところが、芭蕉の足跡を追った後世の人々は、景観の美しさに目を奪われるあまり、古代よりこの松島の地に寄せられてきた信仰心、俗世を離れ松島にやってきた求道者たちの想いを忘れ去っていきました。
明治の廃仏毀釈の影響もあって、雄島に建てられた供養塔や板碑はいつしか引っこ抜かれ、割られ、海に捨てられてしまいました。
けれども、すべてが失われてしまったわけではありません。残された供養塔や板碑、岩窟など・・・かつて祈りと願いだけが宿っていた島の神秘的な空気は・・・いまだにここそこに漂っているようです。 -
遊歩道を進んでいくと・・・
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また小高いところへ上る石段があり、上ってみると「座禅堂(把不住軒)」があります。
寛永14年(1637)、瑞巌寺住職となった雲居禅師の隠棲所として建てられました。成仏していない霊が、禅師にすがった・・・とも伝えられています。
この付近を始め、島中に遺骨が散乱していた・・・と言われています。 -
かつて雄島は、遠くから見ると、鳥が群れているのかと見紛うほど板碑だらけだったそうです。
明治時代以降、廃仏毀釈や雄島の公園化事業が行われたこともあり、邪魔になった何千という板碑が海に捨てられてしまいました。
海底に沈んだ大量の板碑が10年ほど前に発見され、かなりの数のものを海底から回収し調査研究を行っているようです。 -
福浦島へ続く福浦橋も見えました。
福浦島の旅行記
http://4travel.jp/travelogue/11021816 -
いい眺めです〜!
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さて・・・遊歩道をさらに南へ進みます。
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島の南端・・・岬のようになっているところに建物が見えてきました。
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南端には、1307年に建立された「頼賢(らいけん)の碑」があります。国の重要文化財に指定されています。
どこに碑があるの〜??ってしばらく探してしまいましたが、この覆堂の中にあるってことをやっと理解できました。覆堂の内部は暗いし、全然見えません。
雄島で22年間修行して仏法を極め、見仏上人の再来と崇められた頼賢の徳行を、後世に伝えようと、弟子30余人が建てたもの。
中世奥州三古碑のひとつと言われるもので、高さ約3m、幅約1m、厚さ約0.2mあり、2つの龍の彫り物で上下に仕切られています。
上部の真ん中に梵字があり、右に「奥州御島妙覚庵」、左に「頼賢庵主行実銘並序」と書かれています。下部には、18行643字の碑文が刻まれています。頼賢の徳を讃えたもので、松島の古い時代の様子も書かれています。
また、碑の周囲には雷文と唐草文が刻まれています。
碑文は、松島の歴史を物語るだけでなく、鎌倉建長寺の10世で、唐僧の一山一寧の撰ならびに書になる草書の碑としても有名です。
説明坂を読んでも想像しづらかったのですが、高さ3mほどもあるかなり大きな石碑だということだけはわかりました。
この後訪れた瑞巌寺の青龍殿(宝物館)に、頼賢の碑のレプリカがあったので、それを見ると、あああ〜!こういうことかぁ・・・とわかります(碑文は草書だし、意味はわかりませんでしたが)。(←撮影禁止なので・・・雄島の帰りに、瑞巌寺に寄って、見ることをお薦めします!)頼賢の碑 名所・史跡
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骨塔。
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骨塔の後ろ側には穴があいており、この中に、火葬後の遺骨や遺髪を納めて供養するためのものだそうです。
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岬の縁にたくさんの板碑が建っています。まるで海を眺めているような・・・。
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風化してしまっていたり、こんな風に白い汚れがついていたりして、何が書いてあるのか見えないものが多いのですが、こちらの板碑には、彫ってあるものが見える部分がありました。
月輪と、その中に種子(梵字)、そして月輪の下に連座がはっきり見えます。 -
ここからの眺めも絶景です。
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頼賢の碑から、少し戻って・・・座禅堂のあたりで二手に分かれていた道のもう一方へ進みます。
この道だけは、自然のまんまだから・・・ちょっと足元に気をつけないと・・・。木々の根っこに足を引っかけないようにして・・・。連れ合いが崖から落っこちないように気を配りながら進みます。 -
また福浦橋が見えました〜。
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やや下りになった道を抜けると・・・また整備された遊歩道が見えてきて・・・たくさんの板碑や石碑も見えてきました。
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雄島(御島)は、古くから歌枕として和歌に詠まれていましたが、1689年、松尾芭蕉が瑞巌寺に詣でた後、この島を訪れています。
弟子の曽良による「松島や 鶴に身をかれ ほととぎず」の句碑があります。芭蕉は、松島では句を詠まなかったのですが、曽良の碑と並んで、「朝よさを 誰まつしまぞ 片心」という、奥の細道への出立前に、松島への想いを詠んだ句碑があります。どちらも江戸時代に建てられたもののようです。
芭蕉が見た雄島の光景は・・・松の木陰に、俗世から身を避け修行する人たちの姿が見え隠れし、粗末な住処でひっそりと生きる人たちの様子がうかがえる・・・私たちが今見ている雄島とは、全く違う光景でした。
今は失われてしまった光景は、松林に残された岩窟、板碑や供養塔などから・・・想像するしかありません。 -
こちらも歌碑のようですね。
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しばらく歩くと、また小高くなっているところがあり・・・上がってみると・・・わ〜ぉ!なんだか言葉を失うような雰囲気・・・。石窟で囲まれた・・・ちょっとした平地が現れました。
ここは「松吟庵跡」。
万治2年(1659)、瑞巌寺第103代・通玄和尚が26歳の時、兄・松岩道知が建てたもので、通玄和尚はここで悟りを開いたと言われています。
大正時代まで残っていましたが、失火により焼失してしまったようです。昭和になって再建されましたが、再び失火で失われてしまいました。
松尾芭蕉がおくのほそ道の中で、「落穂・松笠など打けふりたる草の庵」と形容した庵とは、松吟庵のことなのです。 -
周囲の岩窟群は、納骨堂の一種と考えられています。さほど嫌な雰囲気は感じませんが(←霊感まったくゼロの私)、なんだかしんみりした気分になります。とっても神秘的です。
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独特の雰囲気が漂っていますねぇ・・・。
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これは、土に埋まっていたもののようです(つまり、立っていなくて、土に寝かせておいてありました)。文字はわりとはっきり読めるのに、意味が全くわかんないなんて・・・同じ日本人が書いたものなのに・・・。
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この・・・打ち捨てられた感が・・・ある時、突然、それまでの価値観ががらりと変化してしまった・・・哀しさを表しているような気がします。
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かつて・・・松吟庵の北隣には薬師堂がありました。
元文元年(1736)に建てられ、慈覚大師円仁(延福寺を開創)作の丈六(約3・3m)の薬師大仏が安置されていました。
薬師堂は松吟庵と隣接しており、同様に火災で焼失してしまい、跡形もなくなってしまいました。 -
このあたりが薬師堂跡・・・(のはず)。
薬師堂にまつわる怪異譚があります。
薬師堂には、堂守りが住まいしていましたが、誰も長く続かず、次々と辞めていきました。なぜか?と問うと、夜更けになると「救ってくれ」という声がどこからともなく聞こえてきて、うるさくて眠れないのだ・・・と答えたと言います。
声が怖くて・・・というのではなく、うるさくて・・・というところがちょっと面白いです。 -
松吟庵、薬師堂ともに、小高くなったところに東の海を向いて建っていたようですね。
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さて・・・またもとの道に戻って・・・北へ進みます。東の海側の崖には・・・多くの板碑などがあります。
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こちらは、雄島で最古の板碑で、弘安8年(1285)8月の彼岸に建てられたものになります。よく判読できませんが、梵字らしきものがあるように見えます。
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島の北端あたりまで来ました。
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北端も、岬のようになっています。
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北端には「妙覚庵(見仏堂)敷」があります。こちらの場所にあった妙覚庵は、享保17年(1732)になってからここに新しく建てられたものですので、この後に出てくる見仏上人の旧跡の妙覚庵(見仏堂)跡とは異なります(紛らわしいですが)。
荒廃して何度か建て直された堂宇は、瑞巌寺に移築され、近年まで使用されていたようです。 -
鎌倉から室町時代のころ、円福寺の敷地は、五大堂から雄島周辺までの広大なものでした。
そのことから、今、観光地となって店が並んでいるあたりも、かつてはお寺の境内であり、おそらく塔頭寺院や僧坊などが立ち並んで、湾に面したエリア全体が、神聖な霊場だったのだろうな〜と想像できます。
下剋上の戦乱の中で荒廃しきった円福寺。それを復興再建したのが伊達政宗。5年をかけて造営し、寺号も瑞巌寺となりました。
その後、伊達家の庇護のもと、再び繁栄を誇り・・・松尾芭蕉が訪れた頃でも、瑞巌寺と雄島が一体となって霊場として機能していたようで、雄島は「瑞巌寺の奥の院」とまで言われるようになっていました。
しかしながら・・・江戸中期以降、各地で道が整備され、さらに財力のある民衆も現れ、かつて辺境の地であった松島を参拝に訪れる人も増えていきました。松尾芭蕉のおくのほそ道が発表されると、景色を求めて訪れる人がさらに増え、松島の霊場色が薄れていったのです。 -
小高くなった場所の向こうが岬の先端のようです。
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霊場から景勝地へという流れは、明治に入ってさらに加速します。神仏分離令の発令による廃仏毀釈により、松島の寺院は衰退していきます。これによって、霊場としての存在感はますます薄れ、松島は、極楽浄土行きを願う霊場から、景観を愛でる景勝地へと変貌していったのです。
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ここも眺め抜群です!
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小高いところに上がってみました。
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三方が海で・・・気持ちがいいです。
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北端ギリギリの崖。
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松島の街。
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下へ降ります。
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松尾芭蕉松島吟並序碑(寛政元年(1789))。瑞巌寺にある石碑と同じ「おくのほそ道」の松島部分の抜粋と、こちらには芭蕉の句が添えられています。
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来た道を少し戻り・・・さきほど見た松吟庵跡と薬師寺跡の北側には、今度は、下へ降りていく石段があって・・・降りていくと、低い部分に少し平けた場所があります。
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平安時代、見仏上人が法華経6万巻を読誦した・・・と伝えられる妙覚庵(見仏堂)の跡地とされるのがここです。
しかしながら、先ほど見た、少し高くなったところにあった松吟庵跡が、見仏上人の妙覚庵(見仏堂)跡だとする説もあるそうです。
このスペースも、岩窟に取り囲まれ・・・卒塔婆や石仏などがたくさん納められています。 -
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高いところでは3階建ての岩窟になっています。
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上の階まで納骨堂なのかなぁ。
瑞巌寺の岩窟の中には、修行僧が住んでいたという岩窟も混じっていたので、もしかしたら修行僧の念誦の場であったのかもしれません。 -
かなり風化しているものも・・・。
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いにしえの妙覚庵(見仏堂)跡は・・・霊場だった松島の雰囲気が最も残っているように感じる・・・凛としながらも空気が重いような・・・そんな場所です。
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かつて・・・修行僧が岩盤を削って作ったトンネルがあります。
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トンネルを抜けると・・・
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あ〜〜ぁ!島の西側・・・渡月橋を渡ったところ・・・左右に岩窟が連なっているところに出るんだ〜ぁ。近道をつくるために岩を削ったのですね。
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こちらの方がだいぶ高くなっているようで・・・上から先ほど見た妙覚庵(見仏堂)跡が見えます。
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渡月橋が見えます。
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海岸線の崖づたいに・・・岩窟がどこまでも続いてます。
最後にひとつ・・・怪異譚を・・・。
瑞巌寺には、「火鈴(こうりん)様」という、円福寺時代から続く大晦日の夜(〜元旦朝)の火伏の行事があります。
行者となる僧が鈴を鳴らし、般若心経を唱えながら明け方まで各所を周ります。この行者の姿を目にしたものは目がつぶれ、また、火鈴の音を聞かずに年を越すと五臓六腑が腐る・・・と言い伝えられています。
火鈴様の際、昔は途中で、行者(修行僧)が雄島に立ち寄って休憩をとっていました。休憩していると、翌年亡くなる人の生霊がやってきて、助けてくれとすがると言われています。
中世の松島一帯がこの世とあの世の中間点・・・霊場として存在していたことを感じさせる言い伝えや行事です。 -
雄島を出ます。
これまで、松島が霊場だったと聞いてはいたけれど、ピンときていませんでした。いにしえの松島の存在の中で、特に雄島は、死者供養の霊場として存在していた・・・ことをずっしり感じられる場所です。
松島の美しい景色を見るとき・・・極楽浄土を思い・・・その世界に生まれ変わりたい・・・亡くなった人がその世界に行かれますように・・・と願い、祈った人々・・・ここで悟りを開いた高僧に少しでもあやかりたいと結縁を請う人々・・・自分も悟りを開いて苦しみから逃れたいと、厳しい環境の中でひたすら修行を積む人々・・・松島の本来の姿は・・・そのような独特な世界だったのです。そして・・・そのような死生観は、実に日本的なものだと感じるのです。
これからまた松島を訪れて、美しい景色を見るときに、これまでとは違った想い・・・新たな目線で見ることができそうです。
いにしえの松島・・・今とはかなり違った意味を持っていた松島・・・この旅行記で、少しでも伝わったら・・・と思っています。
もしも霊場としての松島に興味をもって観光するならば・・・
「霊場と 松島と」というパンフレットを、観光案内所でもらってくださいね〜。とってもわかりやすくていいパンフレットです。 -
まだ14時半をまわったところ・・・まだ時間があるので・・・4月5日(火)に平成の大修理を終えた本堂がいよいよ公開となるので・・・その前に、今、特別公開(4月4日まで)している庫裡などをもう一度、見ておこうかな〜と思い、瑞巌寺へと向かいます。
雄島
http://www.matsushima-kanko.com/miryoku/shima/oshima.html
雄島の板碑について
http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/facilities/museum/research04.html
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カッコいい~っ!!おみこし船が、100隻のお供船を従えて海を颯爽と・・・ ☆塩竈みなと祭・神輿海上渡御(みこ...
2018/07/16~
多賀城・塩釜・利府
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この旅行記へのコメント (8)
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- duc teruさん 2016/03/27 14:59:08
- Positano の計画は進んでいますか
ご訪問ご投票ありがとうございました。
duc teru です、いつも有難うございます、お礼に参上しました。
陸奥の春は素敵ですね、何時もながらの素敵な写真と明快簡潔なコメントで楽しませていただきました。いつも癒されます。
又お邪魔します。
こちらは相変わらずのちんたら旅行ですがボケ防止にとそれなりに一生懸命です、老夫婦でなかなか思うに任せませんが、日本人でよかった、日本に住んでいてよかった、と思う場面がしばしばです、世界から見れば小さな日本ですが、先人たちの努力のお蔭をつくずく感じます。
それにしてもお隣の大国様の嫌われようは並ではありませんでした、どこに行ってもお隣様をたくさん見かけました、お隣さん100人に対し日本人5人こんな具合に大勢来て買い物もたくさんしているようですのに、少なくてもイタリアでは日本のようにありがたがってはいませんでしたね。
我身を振り返って後続の若者に迷惑をかけないように日本人が嫌われないように意識した旅でした。
- こあひるさん からの返信 2016/03/28 10:18:01
- RE: Positano の計画は進んでいますか
- dec teruさん、おはようございま〜す!
dec teruさんご夫妻の熟練された優雅な旅には、羨ましさと憧れを感じます〜。
最近では、どこに行っても(国内ですら時々)ここは上海か?(←上海にしか行ったことがないので・・・笑)と思ってしまう場面が多くなってきました。連れ合いなんて目が悪いので、耳で聴いていると、秋葉原や銀座にいると、ここは上海か?って錯覚するほどだそう。
かつてはヨーロッパでも、日本人によく出会いましたが、最近では、日本人は目立たないし大人しいし・・・大声で煩く振る舞う他の国にかなり負けてるな〜と感じます。海外でも、ニイハオ!って声かけられることが多くなったし・・・。
こあひる
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- たらよろさん 2016/03/23 21:33:27
- 雰囲気有りすぎ!!
- こんばんは、こあひるさん
一度しか訪れたことがない松島。
でも、牡蠣は大きくて美味しかったぁ〜〜
また食べたいわ〜〜
そうそう、笹かまぼこも美味しかった。。。
ところで、雄島のさすがの霊場雰囲気。
これは凄いですね〜
何かが憑りついてきそうなほどのリアル感。
武士の戦場シーンとか普通に撮影できそうだわ〜
こんな場所が残っているんだね〜〜
たらよろ
- こあひるさん からの返信 2016/03/24 10:06:51
- RE: 雰囲気有りすぎ!!
- たらよろさん、こんにちは!
2009年に、東北まで車でいらしたんですね〜〜!ビックリ!
笹かまは、ついそのまんま食べてしまうのですが、本当は、ああやって暖めて(焼き直して)食べるのが正しい(おいしい)らしいです。まだやったことないので、今度トライしてみよ〜っと。
瑞巌寺や円通院あたりでも、岩窟や、その中に収められた石碑などがいっぱいあって、かつては納骨供養の場だったんだな〜という雰囲気はあるのですが・・・雄島は、格別に、古来の霊場といった雰囲気があって凄かったです。霊感のある人は、もしかしたらなにか感じられるのかも・・・?といった空気感がありました。
こあひる
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- みかりさん 2016/03/22 16:08:59
- いつもとは違う松島
- こあひるさん、こんにちは!
東京は桜の開花宣言も出て来週辺り満開になりそうです。
風も強く寒い日もあるけれど、すっかり春の気分。
今回はいつもとは違った視点から見る松島が面白かったです。
松島が霊場だったとは・・・。思えば瑞巌寺とか岩窟沢山ありましたよね。
あまり意識してないで、スゴイ〜感覚でしか見た事がありませんでしたが。
松島観光と言えば、美味しい物を食べて瑞巌寺や円通院を参拝して
五大堂見て、遊覧船で島巡りが定番だと思っていました。
「ずんだシェーク」飲んで海をボォ〜と見るのも好きだし。(笑)
今回の雄島場所がわからなかったので調べましたが、あそこまで
歩いた事って1度も無かったかも。霊場を感じられる雰囲気がある
場所があったんですね。今度行った時は訪れてみたくなりました。
瑞巌寺の本堂も拝観できるようになるんですね。前回行った時は
工事中だったので、コチラも参拝したいな〜。まだまだ知らない事も
多い松島。なかなか奥が深いな〜と思いました。
みかり
- こあひるさん からの返信 2016/03/23 09:36:35
- RE: いつもとは違う松島
- みかりさん、こんにちは!
東京も、今週末頃には桜が見ごろとなりそうですね〜。こちらではもうちょっと・・・我慢かな。
松島といったら、まずは瑞巌寺や円通院や五大堂などに行くと思いますが、そこでも岩窟や、その中に収められた墓碑や石仏がたくさん見られますよね〜。岩窟が納骨供養のためのもの・・・という説明坂があるので、ふ〜ん・・・とは思っても、なかなかピンとこないですよね〜。
鎌倉にもこういう岩窟があったけど、ここまですごくなかったし・・・。
雄島は、瑞巌寺など観光スポットがある方向と、駅を挟んでちょうど反対側になるので、駅からは近いのに、なかなかそちら方面には行かないと思います。リピーター向けなのかも〜。島といったら、福浦島もあるし、五大堂の島もあるしね。
霊場としての松島の、最も古い時代を感じさせる雄島は、松島という場所がどういうところだったのか・・・原点を知るには、とても興味深いところです。お墓系が嫌いじゃなければ、感覚的に松島を味わえる場所なので、ぜひ次には足を延ばしてみてください〜!
本堂、どんな風なのか楽しみです〜。でもきっと撮影不可なので、そのすごさを伝えられないだろうな〜とちょっとテンション下がりますが・・・。
みかり
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- aoitomoさん 2016/03/18 19:38:04
- 霊場だった松島!
- こあひるさん
『渡月橋』を渡り『雄島』に訪れたのですね〜
以前にも岩窟の写真の旅行記は拝見してますが、その時はなんでこんなのがあるのかが、分かりませんでした。
単に神秘的な雰囲気に引かれた感じだけでした。
今回の旅行記でその理由が分かった気がします。
以前は『霊場』としての松島だったわけで、多くの人々が救いを求めてここに訪れたわけですね。
そう見ると板碑や石碑の多さも納得します。
特に『松吟庵跡』・『妙覚庵(見仏堂)跡』は水木しげるの絵に出てきそうな神秘的かつフォトジェニックな空間で面白いです。
しっかりと霊場松島に関するパンフレットも観光案内所にあるのが助かります。
松尾芭蕉も『雄島』にはちょっとビビっても、松島の美しさには卒直に感動した冷静な目を持っていたのでしょうね〜(笑)
aoitomo
- こあひるさん からの返信 2016/03/22 16:34:50
- RE: 霊場だった松島!
- aoitomoさん、こんにちは〜!
松島は、観光スポットの瑞巌寺とか円通院でも、岩窟や、その中に納ららて墓碑や石仏をよく目にするし、昔は霊場で、納骨供養をしていた・・・とも説明があるのですが、それでもやっぱりなんかピンときていなかったんですよね〜。
私も今回、パンフレットを見ながらじっくりと雄島を歩くことで、やっと松島がかつてはどんな場所だったのか理解することができました。
それでもやっぱり・・・いにしえの人々が、極楽浄土へ成仏することにどれだけ必死で本気だったのか・・・は、頭では理解しても、時代が違うこともあるし、自分に全く信心ないこともあり、その気持ちや想いまで、なかなか自分事のようには考えられません。
松吟庵跡や妙覚庵(見仏堂)跡は、ほんとに神秘的で・・・人によってはもしかしたら居たたまれないような気が漂っているのかもしれませんね〜。
かつて・・・遺髪や火葬骨の一部を納めに来た供養の場所だった・・・という松島の本来の姿は・・・なかなか新鮮で・・・興味深いものでした。
それにしても、明治になって時代が変わると、それまでの霊場としてのシンボルだった板碑などを、引き抜いて壊して海に捨ててしまう・・・という人間の心変わりの激しさ・・・価値観が変わった瞬間の極端さと恐ろしさ・・・など色々感じるものがあります。戦後、いきなりそれまでの教育がガラリと変わってしまった・・・それまでの価値観は何だったの・・・?という大変化と同じようなことだったんでしょうね〜。
こあひる
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