2014/04/06 - 2014/04/06
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たびたびさん
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今回の京都街歩きは、中立売通りから、北野辺りをふらふら、一条通を西に妙心寺まで。その後、四条河原町に戻って、五条の寺町へ。
桜の時期でしたが、天気もイマイチだし、こんな時は、コースが優先。桜のスポットを目指すのもいいんですが、京都はどんな場所にも風情があって、ひょっこり桜の見どころもあるものなんです。むしろ、そんな隠れた風景を探すのが、もうひとつの京都の楽しみ方。今回も、とにかく歩いて、歩いて。いろんな発見をしてみたいと思います。
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今日の街歩きは、水火天満宮から。
名前の通り、水難火難避けの神といわれ地元の人には「水火の天神さん」として親しまれている神社です。
ここは、意外な桜の名所。朝早くから、カメラマンがちらほらやってきていました。しだれ桜が狭い境内の空を覆うような感じです。 -
大応寺は、隣りです。最寄りのバス停は、天神公園前。ここは、嵯峨天皇の皇后、檀林皇后が、悲田院を建てた地。悲田院は、貧病人や孤児等の救済施設で、光明皇后が建てたものが最も有名ですが、京都にもあったようです。
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境内は、とてもきれいに整備されていて、奥の墓地も石の菩薩像が美しいです。
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ここから聚楽第のあったエリアを回ります。
その前に、これは日之出さん。仲立ち売り通りに面した小さな老舗の和菓子屋さんです。お店は開けっぴろげだし、ご近所のお馴染さんと楽しげに話をしたり、アットホームな感じですねえ。 -
黒豆大福をいただきましたが、柔らかく煮た黒豆。少し固くて歯ごたえを楽しむタイプもありますが、「うちは柔らかく煮てます」のポリシーだそうです。で、まだ朝早い時間だったので、おまけということでうぐいす餅まで付けてもらいました。ありがとうございました。
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同じ中立売通り沿いにある浄土真宗の寺は、勝福寺。親鸞聖人は、布教のため関東にて約20年を過ごしますが、60歳を過ぎて京都に戻ってきます。京都では、居を転々としますが、この寺も、「清水庵」、「一條坊」 と呼ばれ、一時期住居とした旧蹟となっています。親鸞の歯も伝わっています。
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で、その勝福寺の奥さんから聞いた情報で、いくつかの隠れスポットを回ってみることにしました。これは、つゆの井。
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もう看板とかボロボロですが、聚楽第の遺構。聚楽第はほとんど何も残っていないのですが、このつゆの井がほとんど唯一残っている遺構なんだそうです。
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こちらは、黒田如水の屋敷跡。秀吉は、聚楽第の周囲に配下の大名を住まわせていました。大阪城の周辺にも、大名屋敷がありますが、こうした政策が江戸時代の参勤交代へと受け継がれていくことになるんですね。秀吉の発想が始まりです。
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こちらは、名和長年公遺跡。
名和長年は、隠岐を脱出した後醍醐天皇を船上山に迎え、幕府軍を撃退。その後、新田義貞によって、鎌倉幕府が滅亡すると京都に入り、建武の新政が始まります。
しかし、足利尊氏が反旗を翻すと、長年は、楠木正成や新田義貞らとともに京都を防衛することになるのですが、一度は九州へ追い落とした尊氏が再来。湊川の戦いで、楠木正成は討死。長年は、京都で防戦しますが、この辺りで討死したと伝えられます。 -
そして、聚楽第跡の碑は、正親小学校の中立売通りに面した場所にあります。
そもそも、聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅。天正15年(1587年)に完成します。
後陽成天皇の行幸や徳川家康の謁見もここで行われるなど、天下人秀吉の絶頂期を彩る建物でした。しかし、後継者とした秀次に譲ったものの、秀次の高野山追放、切腹の後は、秀次の居城であったことから、徹底的に破却。10年足らずの幻のような運命となったのです。 -
平安宮大蔵省跡の石標は、聚楽第跡の碑と並んでありました。
平安宮大蔵省とは、平安宮の北部にあった、金銭や物品の出納・収納などを職務とする官庁。源氏物語ゆかりの地の一つというのですが、ちょっとざっくりし過ぎているかもしれません。
全京都建設協同組合創立50周年記念事業として建立された石標です。 -
こちらの智恵光院は、むしろ「智恵光院通」という名前の方が知られていて、本当に智恵光院というお寺があることはあまり知られていないかも。
この寺は、五摂家の一つ鷹司家の始祖鷹司兼平が知恩院8世如空を開基として、自らの菩提寺を建立したのが始まり。 -
境内は意外に広くて、この地蔵堂には、小野篁作と伝わる六臂地蔵尊が安置されていました。
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湯沢山茶くれん寺は、千本今出川の交差点すぐ。
面白い名前ですが、これは秀吉にまつわるエピソードから。九州征伐の成功と聚楽第の完成を記念して開かれた北野大茶会。その際、秀吉はこの寺に立ち寄り、お茶を所望します。
しかし、住職は一杯目のお茶を出した後、2杯目以降は白湯を出し続けます。高名な茶人でもある秀吉に未熟な茶を出すのは失礼と考えたための行為だったのです。始めは驚いていた秀吉も住職の思いを悟り、笑って許したということです。 -
続いての清和院は、今出川通りを少し下がったところ。真言宗智山派の寺院で、
摂関政治の礎を築いた藤原良房の邸「染殿第」の南に文徳天皇が染殿后の請いにより仏心院を建てて地蔵菩薩を安置したのが始まり。
清和天皇が貞観18年(876年)に譲位後、御在所としたのに伴い改称されました。
重要文化財である木造地蔵菩薩立像(鎌倉時代)が本尊。朝のお勤めをしているところでした。 -
歩いていると、とようけ屋山本。はて?とようけ茶屋なら有名なんですが。。
尋ねてみると、ここが本店。とようけ茶屋は支店なんだそうです。そうだったんですか。 -
では何かいただきましょうと言うことで、豆乳ヨーグルトをいただきました。
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牛乳も入っているんだそうですが、どろんどろんの濃厚ヨーグルト。豆乳の香りはよく分かりませんでしたが、とにかくおいしいヨーグルトです。
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そして、到着したのは立本寺。平野神社の反対方向になるので、これまでなかなか縁がなかったのですが、今回初訪問です。
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桜の名所として知られているだけに、寺は桜に埋もれるような景色。
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ソメイヨシノだと思いますが、それにしては、枝が低く伸びていて、目線の高さ位にも花が咲いている。
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余計に、花が濃く感じる桜だと思います。
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北野天満宮近くの一条通商店街の中にオペラという小さなパン屋さんを発見。そのパン屋さんに、黒い焦げ目のきれいなクロワッサンがありました。
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イチオシ
そのシックな色合いはちょっと衝撃的です。そしていただくと、しっとりサクっとした歯ごたえにバターの香りも芳醇。エシレのクロワッサンと同じくらいうまいかも。これ、かなりの絶品だと思います。
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近くの宥清寺も桜の名所。本堂の前にあるしだれ桜が満開でした。ここにもしっかりカメラマンさんがいて、「いや、まだ満開はもう少し。満開だともっとすごいことになりますよ〜」と教えてくれました。そうなんですか。
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京都佛立ミュージアムは、さっきの宥清寺の関連施設。本門仏立宗が運営する施設です。広く仏教の考えに触れてもらいたいというコンセプトから、ハチドリの説話を紹介していました。
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森の火事を少しでも鎮めようとハチドリが羽に水を含ませ、せっせと水を掛ける。何の効果もないようにも思うのですが、自分にできることをやるだけとハチドリは言うのです。東日本大震災のパネル展もやっていて、小さな力でもバカにしてはいけないと訴えていました。
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北野東向観音寺は、真言宗泉涌寺派の寺院。北野天満宮の参道途中に入口があって、北野天満宮の境内の建物の一つかと思ってしまいました。
この寺は、延暦25年(806年)、桓武天皇の勅により創建したもの。本尊の十一面観音は菅公自作の尊像で、筑紫観世音寺から請来したものとされています。 -
で、奥にあるのが土蜘蛛灯籠。
平安時代中期。鬼の酒天童子を退治したことで知られている源頼光が病気になります。そこに怪しい僧が現れ、頼光に襲いかかります。頼光は、すかさず名刀で斬りつけると、僧は逃げて行きました。翌日。頼光が、僧の血痕を追って行き、北野神社の裏手で巨大なクモを発見しました。そして、その巨大なクモを退治すると、頼光の病気も治ったというのです。不思議な物語です。 -
では、ここから妙心寺に向かいます。
途中のイズミヤ白梅町店は、大阪に本社のあるスーパーイズミヤが初めて京都市内に出店した店舗。京都市内では京都の景観を乱さないように、色調などの規制がかけられていて、このイズミヤの外装もそれに従ったもの。本来は緑やオレンジの鮮やかな色調なのですが、ここではベージュや薄紫のシックな色合い。京都ならではの色調です。 -
一条通を歩きはじめると、すぐにあるのは衣笠会館。立派な門に、明治38年築のレンガ造り瓦葺2階建の建物が目立っています。
京都の基幹産業を担った機業家、藤村岩次郎氏の自宅3,500坪に建てられた洋館部分で、国登録有形文化財。公益財団法人 衣笠繊維研究所が所有。この日はお休みでしたが、内部の一般公開もしているようです。 -
さらに歩いて。
看板からすると仕出しのお店のようでしたが、この辺りで腹ごしらえをしないとまずいと思って、暖簾をくぐりました。しかし、中に入ると、普通のお寿司屋さんと同じ。カウンターがコの字型にあって、シンプルですが、いかにもお寿司屋さんの雰囲気です。 -
いただいたのは、上チラシ。京都のお寿司の特徴は何ですかねえとか話しながら、待つことしばし。いただくと、寿司飯に蟹でも混じっているんでしょうか。濃厚な味わい。聞けば、ハモのデンブを入れてあるよう。なるほど。いろんなところに、とにかく手を掛ける。これが京都の証でしょう。
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梅泉堂は、小さな和菓子屋さん。街歩きをしながら食べる、適当なお菓子はないかなあと選んだのは、桜大福。
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大福のお餅に桜の葉っぱを練り込んだようで、お餅がほんのり桜色をしていて、いい感じ。食べた時に、お餅と餡子が溶け合う方がいいか。別々の味わいを楽しむ方がいいか。大福のコンセプトを考える時に、関東と東京では違うのではないかという話をして、ちょっと盛り上がりました。練りきりとてごしの違いも聞いたりして、これも参考になりました。
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北野白梅町から一条通りを妙心寺の方に歩いている途中。ふと見ると、店先のショーケースにうまそうないなりが置いてあって、思わず寄って、買ってしまいました。千成餅食堂って、名前からすると、どこかの店の暖簾分けしたところなんでしょうね。たぶん、京都らしい伝統の味を守ってくれているんでしょう。
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パックに詰めたのを持って帰っていただきました。揚げの出汁がごはんにびちょびちょになるくらい沁みてしまっていましたが、揚げとご飯と出汁が一体になって、柔らかくてバッチリ。普通は、こんなになってしまうと味が落ちるものなんですが、そうなってもむしろおいしいというのは、やっぱり技なんじゃないかと思います。
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あー、これは焼きそばのジャンボですね。この辺りでは一番人気の食堂でしょう。ただ、量は多いのですが、私は、イマイチ。あまりいい印象は持ってません。。
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妙心寺の北総門を入るとまっすぐな参道両脇に塔頭が並んでいて、
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この奥にも、数えきれないほどたくさんの塔頭があるのが妙心寺です。
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まず向かったのは、
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この桂春院です。
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通年で公開されている塔頭で、慶長3年(1598年)、織田信長の嫡男、織田信忠の2男、織田秀則が創建した寺。
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玄関を奥に進むと、まずは、長浜城から書院ともに移築した茶室、既白庵です。
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正面は、侘の庭。そして、書院の正面から左にかけて縁が巡るのですが、
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左手はこんな具合。縁が一段下がって、そこを庭に出ると、さらに生垣の間を下って細い道が続く。
床の間を背にして、詫びの庭を眺めると、右から左にかけての大きな流れが仕込んであるんですね。静かな風景の隠れ道のようになっているように感じました。静の中に動。設計者の意図はそういうことだと思います。 -
既白庵から華頭窓の廊下を
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渡ると方丈です。
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狩野山雪による襖絵が、見どころの方丈です。
まずは、礼の間。明るくて軽快な印象です。 -
室中から、
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旦那の間です。
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さて、先ほどの侘の庭も含めて、桂春院の庭は、江戸時代の作庭。国の名勝・史跡に指定されています。
四つの庭があり、方丈北側の壺庭は、清浄の庭。方丈の東側の思惟(しい)の庭。方丈南側の庭園は、真如の庭という具合。 -
これが、正面の真如の庭。大刈込の皐月が谷に向かって落ち込んで豪壮な景色です。
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下へ降りると、奥に進む小道があって、こんな感じ。ただ、これはこれだけです。
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イチオシ
改めて、大刈込の方に戻ってくると、傍らに枝を一杯に張った大木です。
これはクロガネモチだそうで、節くれだって、すごい迫力ですね。詳しくは分からないようですが、何百年も経っている木だそうです。
上から眺めても、下から眺めても、それぞれに絵になっている。真如の庭も遊び心があふれています。 -
次に寄ってみたのは、大雄院です。江戸時代の初期、石川光忠が、父、光元、祖父、光重の菩提寺として創建。
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父、光元は、播磨国龍野城主だったのですが、関ヶ原の戦いで西軍に付いたため改易となりますが、光忠は、母が徳川家康に仕えたため、召しだされ、尾張藩の家臣として復活します。
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平成15年に特別公開された時に拝観しましたが、以来非公開かと思います。ただ、門を入って前庭の辺りは散策可能。シャクナゲがもう少しで開花するところでした。
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天気が良くなってきて、高いところに咲いている桜なんですが、わかりますか。
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この塔頭は、蟠桃院というんですね。
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門から覗くと、中はよく手入れされています。
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白壁が続く、
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こうした景色も妙心寺ならではです。
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今度は、大心院です。
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明応1年(1492年)、応仁の乱で有名な細川勝元の嫡男で、その後将軍をしのぐ実力者となったという政元が創建。塔頭にしては規模も大きく、意外に見所も多い寺です。
本堂の南庭は、切石の庭。 -
直線的な切り石の配置が見所ですが、
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結果として、隣りの開山堂が借景になっているのも面白いかも。
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大書院前の阿吽(あうん)の庭も有名で、
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白砂、岩、苔の美しい枯山水庭園なのですが、私的には、ちょっときれいにまとまり過ぎて、味気ないような。
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こちらの樹齢300年のキリシマも名物。現在の本堂を建てた時に植えたものだそうです。
以前来た時は、赤い花が満開でした。知らずに来たので、そんなもんかと思っただけでしたが、今思えば、貴重な眺めだったと思います。 -
妙心寺は、花園法皇がその離宮を改めて妙心禅寺としたのが始まり。そして、開山の関山慧玄(かんざんえげん)を迎えた時、参禅する場所として丈室の後方に新たに構えた建物が玉鳳院です。
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明暦2年(1656年)の再建ですが、山内最古の建物である開山堂、玉鳳院方丈などを有しています。非公開ですが、塀の向こうにそれらの建物の並ぶ姿が確認できます。
さっきの大心院からも遠景が見えていました。 -
イチオシ
この一角の塀の感じは、美しいだけではなくて、
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やっぱり、妙心寺の威風を示しています。
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こちらは、非公開ですが、
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これは桃の花ですね。
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イチオシ
真っ赤な花は、桜とは違って、個性的。自己主張がしっかりできています。
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妙心寺は、広い境内に塔頭が軒を並べていて、路地が入り組んで続きます。
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徳雲院は、またその奥を入って行くどん詰まり。ただ、その参道が程よい大きさの松の並木となっていて、それがとても風情がある。
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ついつられて、歩いてみた次第です。
なお、開祖は妙心寺第25世大休宗休(円満本光国師)です。 -
大法院は、普段は非公開なのですが、この日は特別公開をしていました。
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ここは、真田幸村の兄で、信州松代藩主であった真田信之の菩提寺。
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幕末の思想家、佐久間象山の墓も残る妙心寺の塔頭です。
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桜がいいあんばいに咲いていて、
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イチオシ
青空と組み合わさると、清楚な色合い。大木ではありませんが、どこか特別な風情を醸しています。もちろん、自然のものではなくて、ちゃんと品種を吟味して植えているんですが、名刹には、ここにこの品種が合うだろうといった目利きがいるので、それが強み。ちゃんと見てくれる観光客がいることが分かっているので、選りすぐりの桜で勝負するわけです。桜スポットをことさら探さなくても、いいところに行けば、いい桜があるといったのはこういうことなんです。
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本堂で、お茶とお菓子をいただきながら、本堂を囲む露地庭園を眺めます。
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庭に向かって右手から庭に降り、腰掛待ち合いから正面を横切って
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左手の茶室、有隣軒に至る。
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露地庭園としては途方もない広さですが、その全体が庭の景色となっているんです。面白い着想だと思います。
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さて、妙心寺はこれくらいで帰りましょう。
帰りに懐かしい塔頭です。春光院は、豊臣秀吉に仕え、その後、松江藩の実質的な初代となった堀尾吉晴が、長子堀尾金助を小田原の戦いで失ったので、その菩提を弔うために建立した寺。表に駒札が立っています。非公開ですが、事前の予約で拝観は可能です。 -
天球院は、岡山藩主、池田光政が伯母天球院のため建立。岡山、鳥取の両池田家の菩掟所でもありました。狩野山楽・山雪の作と言われる襖絵と杉戸絵あわせて152面が重要文化財で、特別公開の際に見ることができます。以前、拝見しましたが、現代画家の作品もあったりして、絵画に造詣が深い寺ではないかと思いました。
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亀屋重久は、妙心寺の北門を出てすぐのところのにある和菓子屋さん。
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東京で一般的な「練りきり」は、京都では「こなし」だと聞いたので、さっそくこのお店で確認してみました。こなしの方が、練りきりより少しゴワゴワ固いような。慣れもあるかもしれませんが、ちょっと違和感がありますね。桜をかたどった愛らしい仕上げはさすがです。
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三河屋は、一条通をさらに少し西に行ったところ。妙心寺の塔頭でお茶をいただきましたが、そこで使われていた「黒豆大福」はこのお店のものでした。白いお餅が少し透き通っていて、黒豆がボーっと浮かんで見えました。これは工夫をしました。面白い景色のお菓子です。
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今度は、龍安寺の近くまで移動して、これまで気になっていてなかなか来れなかった笹屋昌園です。
ここにわらび餅の最高峰という「極」という商品があるんです。 -
イチオシ
プルンとした寒天状のわらび餅は、ほんのり甘さがあって、うんまーい。黄な粉をたっぷりと掛けていただきましたが、黄な粉なしでもOKでしょう。しかし、敢えて言えば、癖のないうまさでやや平板かも。野趣のある宝泉のわらび餅と比べるとですけどね。。
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また少し歩いて、禅豆腐ろくたも竜安寺かいわい。豆腐屋さんです。
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一階の販売所で、豆乳をいただきました。豆乳は、これににがりを入れれば、そのまま豆腐になるんですよね。そういう意味では、豆腐屋さんの基本中の基本。手早く豆の元気をもらって、街歩きを再開しました。
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近くの民家でも庭木が満開。
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イチオシ
紅もくれんも見事です。
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龍安寺道は、これを確認しただけ。ここから、バスで四条河原町に戻ります。
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四条河原町に戻って。
南座から堀川通りの交差点を白川方面に少し上がったところ。北座跡という石標がありました。
北座は、江戸時代初期、四条河原での興行が許可された7か所の常設芝居小屋のひとつで、幕末には、そのうち、北座と南座が残っていたそうです。ただ、北座も明治26年に取り壊し。今は南座のみになっています。 -
白川の桜もチェックしましょうか。
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やっぱり、皆さん桜目当てで、集まっていますね。
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かにかくに碑は、昭和30年、吉井勇、谷崎潤一郎らによって建立された歌碑。
刻まれている歌は、吉井勇の作で、「かにかくに 祇園はこひし寝(ぬ)るときも 枕のしたを水のながるる」。
この辺りに、大友というお茶屋さんがあり、お多佳さんという名物の女将さんがいたそうです。この歌碑は、吉井の古希の祝いに、その大友のあった場所に建てられたもの。 「かにかくに祭」という祭りもあるようです。 -
桜はイマイチだったので、早々に切り上げて。
今度は亀屋清永です。もう、八坂神社のすぐ近く。 -
イチオシ
ここの名物、清浄歓喜団は、遣唐使が仏教の伝来と共に日本へ持ち込んだ唐菓子の一種。圧巻はその形。巾着袋のようなこの形は一度見ると忘れられない。強烈なインパクトがあるお菓子です。
米粉、小麦粉で作った外側は、胡麻油で揚げてあるのですが、けっこう固い。 -
中の餡子の甘さと練り込んであるという7種類のお香の香りが融合して、これまで味わったことがない不思議な感覚です。
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ここから、建仁寺の塔頭、禅居庵へ。
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建仁寺側に門があるのですが、ここは閉まっていまして。摩利支尊天堂の方は、いったん建仁寺の境内を出て、八坂通から自由に入ることができました。
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摩利支天は、開運と勝利の神。亥年生まれの守護神でもあり、狛犬ならぬ、狛イノシシがありました。
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この通りに、恵美須神社があります。臨済宗を伝えた建仁寺の開山、栄西禅師が宋からの帰路、暴風雨に遭った際、恵美須神を船中に祀り、暴風雨を鎮めたのだとか。
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これによって、建仁寺創建にあたり、建仁寺の鎮守として恵美須神を祀ったのが始まりです。
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ここから、五条に向かいます。
途中の五建ういろは、五条通に面した大きなお店。一階が販売所で、二階は喫茶室になっています。
創業は、安政年間。建仁寺や清水寺に詣でる客のために茶店を構えたのが始まりで、現在は五代目なんだそうです。 -
ういろうは、小豆が透けて見えたりして、景色がとってもいいですね。いろんな外郎があるんでしょうが、選んだ外郎は、ちょっとミルクが入ったような濃厚さと小豆の甘さの相性が抜群でした。うまいです。
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五条大橋を渡って、
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五條大橋の西詰、植え込みの中に扇塚というのがありました。扇が作られたのは平安初期。源平の合戦に敗れた平敦盛の室、蓮華院尼が余生に扇を作り、これが「御影堂扇」として人気を博し、以来、この界隈に扇の職人が多く集まったということです。
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本覚寺は、五条の寺の集まるエリアにある浄土宗の寺。
ここは、嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)の 河原院塩竃の第のあったところ。そのため、この辺りは本塩竃町という名前になっています。
駒札に、ここが河原院跡であることが書かれていました。 -
五条通りには寺町のような一角があって、これまであまり縁がなかったのですが、少し散策をしてみます。
その中で、上徳寺は、浄土宗の寺。徳川家康が、側室、阿茶局と息女の泰栄院の菩提を弔うために建立したもの。高さ2m余りの石地蔵の世継地蔵で知られます。 -
新善光寺は、かつては、来迎堂新善光寺と呼ばれ、多くの帰依者を集めたのですが、応仁の乱後は、兵火に遭い、寺地も転々。豊臣秀吉の命により現在の地に移ってきます。江戸時代には、幕府より御朱印の寺領も受けています。
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すると、仙月堂という小さな和菓子屋さんがあって。ほそぼそやっているような感じなんですが、どうなんでしょう。寄ってみると、元気のいい女将さんと傍らでは黙々と作業をするご主人の姿。なかなかいい感じです。
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薄皮まんじゅうのようなお菓子をいただきましたが、餡子がいい。ほっこりしたような温かみのある甘さで、小豆の香りが餡子に閉じ込められているような感じがしました。
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市比賣神社は、桓武天皇の時代、延暦14年(795年)の創建。市場の守護神であり、かつ、お祭りしてある祭神は全て女の神様なので、女性の守り神なのだそうです。
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ビルの奥に境内があって、近代的な感じですが、湧水、天之真名井にカード塚なるものもあって、ちょっとエンターテイメントの要素もある面白い神社かと思います
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長講堂は、名前は寺っぽくないのですが、西山浄土宗の寺院。元々は、後白河法皇が建てた持仏堂。六条西洞院にあった御所・六条殿に建立したのが始まりです。
法華長講弥陀三昧堂と呼ばれ、法華経を講義し、阿弥陀仏を念じるための施設。後白河法皇は、自らの荘園を長講堂に寄進し、後に「長講堂領」と呼ばれ、後深草天皇、持明院統が継承することなりました。 -
京都は、街中に稲荷神社の祠がひょっこり会って、それもいかにも京都の街らしい光景。文子天満宮のすぐにある、この高市稲荷もそんな稲荷の一つです。町家と町家の間に挟まれるように建っていて、ちょっと窮屈そうですが、ちゃんと誰かに手入れがされいている。きれいな赤色が目立っています。
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宗仙寺は、平安時代、源融の六条河原院が営まれていたという場所。大きなお寺で、京都の数少ない曹洞宗の寺院です。
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文子天満宮は、天神信仰発祥の神社。北野天満宮の前身とも伝えられています。
菅原道真は、太宰府へ左遷される際、自分の姿を彫刻し、自分の乳母を勤めていた多治比文子に与えます。道真は、太宰府で没するのですが、没後、多治比文子に「北野の地」に自らを祀るよう託宣があったのですが、貧しい文子は社殿を作ることが出来ず、自宅に小さな祠を建てて、この像を祀ったのだそうです。それがこの神社の始まりです。 -
マルチメディア京都は、平成22年にオープンした京都駅前のヨドバシカメラ。バカでっかいビルなんですが、やはり京都の街の景観への配慮が見られます。
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特に、すごいのは一階周囲のステンドグラスの窓。京都を代表する観光スポットを描いていて、なかなか楽しいものとなっています。
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京都タワーの一階にある京都タワー名店街。昔なら、ここも便利な場所だったでしょうが、今では駅ビルが立派になって、こんなところで買い物する人いるのかなあと思ってしまうのですが、外人さんでけっこう賑わっています。売り場が狭い感じの分、ごちゃごちゃと店が並ぶ感じで、外人さんには受けるのかも。確かに、このレトロな感じは駅ビルにはありません。
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京都タワー名店街の上の階にあるのが創作厨房 菜花亭。名物は、「ちびぎょうざ」というのですがどうでしょう。
小さな餃子だと結局は皮の割合が多くなってしまうんじゃないかなあとか、せこい心配をしていたのですが、このちびぎょうざはにんにくの香りとかも含めて旨味が濃厚。薄い皮で包んだのをカリッと揚げて、バランスがとってもいいですね。名物というのは、その通りだと思います。 -
京都駅まで帰ってきました。
時の灯は、京都駅の自由通路への改札を出た正面。スバコの入口といった場所。待ち合わせの場所として、徐々に定着してきているようです。灯りは、寺社の石灯籠、「鴨川をどり」の提灯等をイメージした柔らかい灯りとなっています。
さて、これで二日間の旅は終了。新幹線で東京に帰ります。お疲れ様でした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- たらよろさん 2014/07/19 21:18:58
- ふらり京都散歩♪
- こんばんは、たびたびさん。
先日はフォローいただき、またフォローもさせていただきありがとうございます。
たくさんあるたびたびさんの旅行記から、
京都散歩を拝見させて頂いてます!!
おっしゃるように、京都は目的も無くただ歩いているだけで素敵なスポットが発見できて、
思いがけず良い場所に出会えたりますよね。
桜の時期も、ついこの前なんですが、、、
随分暑くなって、もうかなり前のような気がします(笑)
大福もやっぱり京都の甘味は美味しいはず、、、
とようけ山本さんのお豆腐も美味しいですよねー
この季節になると
冷奴を毎日食べたくなります!
また、遊びにきますね。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
たらよろ
- たびたびさん からの返信 2014/07/24 10:47:14
- RE: ふらり京都散歩♪
- 京都のスイーツも随分前からかなりがんばって攻めてるんですが、むしろ、情報が増えると制覇なんて夢のまた夢。一方で、美玉屋の黒みつだんごも気になってるんですが、最低が10本なので、一人旅の私にはちょっとハードルが高いといったものもあるんです。いつも、気が遠くなるような感覚で歩いてます。
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