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 嘉義にある呉鳳廟紹介の続きです。清朝時代の呉鳳伝説に対する見解は、現在では賛否両論のようです。呉鳳廟の見学後、台南に向かいました。

2014春、台湾旅行記9(9/33):5月7日(4):嘉義、呉鳳廟、見学後に台南へ

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2014/05/06 - 2014/05/10

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旅人のくまさん

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 嘉義にある呉鳳廟紹介の続きです。清朝時代の呉鳳伝説に対する見解は、現在では賛否両論のようです。呉鳳廟の見学後、台南に向かいました。

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  • 清朝時代の呉鳳伝説に対する見解は、現在では賛否両論のようですが、呉鳳廟に展示してあるものを、賛否を保留したままご紹介します。馬に乗った人が呉鳳です。

    イチオシ

    清朝時代の呉鳳伝説に対する見解は、現在では賛否両論のようですが、呉鳳廟に展示してあるものを、賛否を保留したままご紹介します。馬に乗った人が呉鳳です。

  • 呉鳳伝説に関し、後年記された書のようです。右端の書は、呉鳳廟の落成記念に揮毫されたものです。『求仁得仁酬君当奉天人果』の文字です。『天地有正気雑然』で始まる長文の紹介は割愛し、その左は、『雖死不死寿世応同阿里山』の漢文、民国73年(1984年)の書です。

    呉鳳伝説に関し、後年記された書のようです。右端の書は、呉鳳廟の落成記念に揮毫されたものです。『求仁得仁酬君当奉天人果』の文字です。『天地有正気雑然』で始まる長文の紹介は割愛し、その左は、『雖死不死寿世応同阿里山』の漢文、民国73年(1984年)の書です。

  • 事務机のようなものが置かれたコーナーです。人はいませんでしたが、実務に使われているような雰囲気でした。

    事務机のようなものが置かれたコーナーです。人はいませんでしたが、実務に使われているような雰囲気でした。

  • 建物全体に施設された回廊の光景です。通路にはタイルが貼られていました。神社などのように、全体がベンガラ色に統一されていました。

    建物全体に施設された回廊の光景です。通路にはタイルが貼られていました。神社などのように、全体がベンガラ色に統一されていました。

  • 廟の裏面に当たる建物光景です。窓一つなく、全体がベンガラ色に装飾されていました。殺風景にならないよう配慮された盆栽が飾ってありました。

    廟の裏面に当たる建物光景です。窓一つなく、全体がベンガラ色に装飾されていました。殺風景にならないよう配慮された盆栽が飾ってありました。

  • こちら側が廟の表の光景です。右から、成仁取義、至行淑世と仁義永昭の文字が記された扁額がありました。調べてはいませんが、道教の教えに原典がありそうです。

    イチオシ

    こちら側が廟の表の光景です。右から、成仁取義、至行淑世と仁義永昭の文字が記された扁額がありました。調べてはいませんが、道教の教えに原典がありそうです。

  • 中央部分の扁額です。上の方の扁額が『深仁厚義』、その下の扁額が『成仁取義』の文字でした。日本で例えれば、道徳教育の四字熟語のようです。道教の教えに原典がありそうです。

    中央部分の扁額です。上の方の扁額が『深仁厚義』、その下の扁額が『成仁取義』の文字でした。日本で例えれば、道徳教育の四字熟語のようです。道教の教えに原典がありそうです。

  • 『呉鳳公神位』の文字が記された位牌のアップ光景です。『呉鳳伝説』は、戦前の日本、台湾と韓国の教科書に載り、教育されてきたようです。戦後暫くの間、台湾、韓国では登場人物を変えた物語を含め、教材とされたようです。

    『呉鳳公神位』の文字が記された位牌のアップ光景です。『呉鳳伝説』は、戦前の日本、台湾と韓国の教科書に載り、教育されてきたようです。戦後暫くの間、台湾、韓国では登場人物を変えた物語を含め、教材とされたようです。

  • 立派な造りの回廊と引き戸の光景です。回廊は、雨天時や盛夏時にも見学できるよう、建物全体を貫いていました。

    立派な造りの回廊と引き戸の光景です。回廊は、雨天時や盛夏時にも見学できるよう、建物全体を貫いていました。

  • 少し肩に力が入ったような揮毫の『碧血丹心』と、その下にある穏やかな筆使いの『義澤羣黎』の扁額です。『碧血丹心』は、このうえない忠誠心、あるいは真心の意味です。<br />(注)羣の文字の読みはグン又はクン、群れる意味です。<br />

    少し肩に力が入ったような揮毫の『碧血丹心』と、その下にある穏やかな筆使いの『義澤羣黎』の扁額です。『碧血丹心』は、このうえない忠誠心、あるいは真心の意味です。
    (注)羣の文字の読みはグン又はクン、群れる意味です。

  • 足元に『呉鳳公塑像』のプレートがあったブロンズ立像です。製作年代は分かりませんが、写実的に創られているようです。

    足元に『呉鳳公塑像』のプレートがあったブロンズ立像です。製作年代は分かりませんが、写実的に創られているようです。

  • 扁額があるだけで、何も置かれていない部屋の光景です。その文字は『義烈千秋』。民国74年(1985年)の揮毫です。

    扁額があるだけで、何も置かれていない部屋の光景です。その文字は『義烈千秋』。民国74年(1985年)の揮毫です。

  • 文字だけが記された、三枚の掛け軸です。右の書は『功非幸至名非幸成大勇若先生廟食自当昭百世』の文字、中央の書は1925年(民国第二乙丑)に揮毫された『移風易俗原非易』で始まる28文字です。左の書は、1924年(民国甲子)に揮毫された、『民正待蘇国正待復長図期志士銘勲一様永千秋』の全文です。

    文字だけが記された、三枚の掛け軸です。右の書は『功非幸至名非幸成大勇若先生廟食自当昭百世』の文字、中央の書は1925年(民国第二乙丑)に揮毫された『移風易俗原非易』で始まる28文字です。左の書は、1924年(民国甲子)に揮毫された、『民正待蘇国正待復長図期志士銘勲一様永千秋』の全文です。

  • 三幅の掛け軸の内、左右の2枚を紹介します。右は、『白馬紅帔忠肝義膽万古無叟真国士』民国74年(忠肝義膽万古無叟真国士』民国74年(1985年)の揮毫です。左は、『歳時伏臘走村翁黄様緑栗山遠水長』のようです。一部に読み間違いがあるかもしれません。三幅とも同じ方の筆跡に見えます。<br />(注)帔の文字の読みはヒ、垂れ衣の意味です。<br />

    三幅の掛け軸の内、左右の2枚を紹介します。右は、『白馬紅帔忠肝義膽万古無叟真国士』民国74年(忠肝義膽万古無叟真国士』民国74年(1985年)の揮毫です。左は、『歳時伏臘走村翁黄様緑栗山遠水長』のようです。一部に読み間違いがあるかもしれません。三幅とも同じ方の筆跡に見えます。
    (注)帔の文字の読みはヒ、垂れ衣の意味です。

  • 部屋の隅にも揮毫を収めた額がありました。右の文字は、『徳沐荒●教化宏思贏萬杞』のようですが、読み難い文字がいくつかありました。左側の書も同じ筆跡です。火付けは1925年(甲子)です。

    部屋の隅にも揮毫を収めた額がありました。右の文字は、『徳沐荒●教化宏思贏萬杞』のようですが、読み難い文字がいくつかありました。左側の書も同じ筆跡です。火付けは1925年(甲子)です。

  • 横から眺めた祭壇の光景です。祭壇を飾る華は、台湾特産品の赤色のファレノプシス、胡蝶蘭でした。

    横から眺めた祭壇の光景です。祭壇を飾る華は、台湾特産品の赤色のファレノプシス、胡蝶蘭でした。

  • 自由時間になって、もう一度写真を撮ることができましたので、いくつかの場面は既に紹介済みのものがあります。赤頭巾に赤服の呉鳳の肖像画が飾られた祭壇です。

    自由時間になって、もう一度写真を撮ることができましたので、いくつかの場面は既に紹介済みのものがあります。赤頭巾に赤服の呉鳳の肖像画が飾られた祭壇です。

  • 一度紹介した、廟の建物の裏面光景です。周りのヤシの木とマッチした風景になっていました。

    一度紹介した、廟の建物の裏面光景です。周りのヤシの木とマッチした風景になっていました。

  • 最上部に『改修呉鳳廟碑記』の文字が記された石碑です。日付が読み取れませんでしたが、呉鳳廟委員長名の石碑でした。

    最上部に『改修呉鳳廟碑記』の文字が記された石碑です。日付が読み取れませんでしたが、呉鳳廟委員長名の石碑でした。

  • 呉鳳廟の敷地の隅の部分の光景です。再建されたらしい赤レンガ造りの石塀で囲われていました。

    呉鳳廟の敷地の隅の部分の光景です。再建されたらしい赤レンガ造りの石塀で囲われていました。

  • 呉鳳廟の敷地内の建物と庭木の光景です。横にまがった樹木は台風の後遺症でしょうか、台湾は台風銀座に位置します。

    呉鳳廟の敷地内の建物と庭木の光景です。横にまがった樹木は台風の後遺症でしょうか、台湾は台風銀座に位置します。

  • 既に紹介した、6本の菩提樹からなる『牽手樹』とは別の場所に遭った樹木の光景です。こちらは上手く繋がらなかったようです。

    既に紹介した、6本の菩提樹からなる『牽手樹』とは別の場所に遭った樹木の光景です。こちらは上手く繋がらなかったようです。

  • これで、呉鳳廟の見学はおしまいです。最後に呉鳳伝説を掲載した教科書を1点ずつ紹介しておきます。ほぼ同様の内容とされます。<br />◎日本:文部省編纂教科書:『第二種尋常小学読本』(自習用乙第二課):1921年<br />◎台湾:台湾総督府編纂教科書:『公学校瑶国民読本』(第11巻24科):1914年<br />◎韓国:『普通学校国語読本』(巻8第6課):1923〜24年<br />

    これで、呉鳳廟の見学はおしまいです。最後に呉鳳伝説を掲載した教科書を1点ずつ紹介しておきます。ほぼ同様の内容とされます。
    ◎日本:文部省編纂教科書:『第二種尋常小学読本』(自習用乙第二課):1921年
    ◎台湾:台湾総督府編纂教科書:『公学校瑶国民読本』(第11巻24科):1914年
    ◎韓国:『普通学校国語読本』(巻8第6課):1923〜24年

  • 隣接した場所にあった『中華民族村』です。テーマパークとして施設されていたようですが、人影は少ないようでした。

    隣接した場所にあった『中華民族村』です。テーマパークとして施設されていたようですが、人影は少ないようでした。

  • ユリの花に似た赤い花を咲かせた植物です。葉は、ハマユウなど似た感じです。咲き終わった後に大きな種子が出来ていました。インドハマユウ(印度浜木綿)かも知れません。

    ユリの花に似た赤い花を咲かせた植物です。葉は、ハマユウなど似た感じです。咲き終わった後に大きな種子が出来ていました。インドハマユウ(印度浜木綿)かも知れません。

  • ここから場所が代わります。台南の赤嵌楼です。その案内看板です。ここは3回目の見学となりました。

    ここから場所が代わります。台南の赤嵌楼です。その案内看板です。ここは3回目の見学となりました。

  • 台湾の英雄、鄭成功に因む赤嵌楼の入口光景です。紅毛楼とも呼ばれる、オランダ人によって17世紀に造られた旧跡です。鄭成功が台湾を占拠すると、東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関となりました。原名は『プロヴィンティア(普羅民遮城)』でした。

    台湾の英雄、鄭成功に因む赤嵌楼の入口光景です。紅毛楼とも呼ばれる、オランダ人によって17世紀に造られた旧跡です。鄭成功が台湾を占拠すると、東都承天府と改められ、台湾全島の最高行政機関となりました。原名は『プロヴィンティア(普羅民遮城)』でした。

  • 赤嵌楼の建物光景です。1983年に台湾の国家一級古蹟に指定されています。現在、国家一級古蹟に指定されているのは24件です。

    イチオシ

    赤嵌楼の建物光景です。1983年に台湾の国家一級古蹟に指定されています。現在、国家一級古蹟に指定されているのは24件です。

  • 台座に『鄭成功義和図』の文字があるブロンズ群像です。1661年4月、鄭成功はオランダ人に通事として雇用されていた漢人の誘導により、鹿耳門を通過、台江内海を越えてプロヴィンティア(普羅民遮城)を攻撃し、攻め落としました。その時の講和の場面のようです。

    台座に『鄭成功義和図』の文字があるブロンズ群像です。1661年4月、鄭成功はオランダ人に通事として雇用されていた漢人の誘導により、鹿耳門を通過、台江内海を越えてプロヴィンティア(普羅民遮城)を攻撃し、攻め落としました。その時の講和の場面のようです。

  • 『鄭成功義和図』の文字があったブロンズ群像のアップ光景です。ここに9ヶ月滞在した鄭成功は、次にゼーランディア(熱蘭遮城、現・安平古堡)を攻略、38年に及ぶオランダ統治は終焉しました。

    『鄭成功義和図』の文字があったブロンズ群像のアップ光景です。ここに9ヶ月滞在した鄭成功は、次にゼーランディア(熱蘭遮城、現・安平古堡)を攻略、38年に及ぶオランダ統治は終焉しました。

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