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日月潭と文武廟の見学を終え、次は嘉義の呉鳳廟に向かいました。呉鳳は、清朝時代に阿里山の台湾原住民の首狩行為を止めさせる活動をしたと伝わる商人です。

2014春、台湾旅行記9(8/33):5月7日(3):日月潭、文武廟、嘉義、呉鳳廟、牽手樹

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2014/05/06 - 2014/05/10

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旅行記グループ 2014春、台湾旅行記9(上巻)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

日月潭と文武廟の見学を終え、次は嘉義の呉鳳廟に向かいました。呉鳳は、清朝時代に阿里山の台湾原住民の首狩行為を止めさせる活動をしたと伝わる商人です。

  • 金銅製のような外観を持った大きな線香立の光景です。文武廟(または開)の他に、国泰、民安、雨順、風調の文字が見えました。

    金銅製のような外観を持った大きな線香立の光景です。文武廟(または開)の他に、国泰、民安、雨順、風調の文字が見えました。

  • 文武廟を守る狛犬さんの横顔です。文武廟に向かって、右手に位置する狛犬さんですから、雄獅子のようです。

    文武廟を守る狛犬さんの横顔です。文武廟に向かって、右手に位置する狛犬さんですから、雄獅子のようです。

  • 同じく、文武廟を守る狛犬さんの横顔です。文武廟に向かって、左手に位置する狛犬さんですから、雌獅子のようです。

    同じく、文武廟を守る狛犬さんの横顔です。文武廟に向かって、左手に位置する狛犬さんですから、雌獅子のようです。

  • 文武廟で一番お仕事をしているように見えた狛犬のアップ光景です。気力満々、元気溌剌、初志貫徹と言っているような顔付きです。

    文武廟で一番お仕事をしているように見えた狛犬のアップ光景です。気力満々、元気溌剌、初志貫徹と言っているような顔付きです。

  • 雌雄を間違えたかもしれませんが、こちらが雌獅子の方のようです。健康第一、無病息災、家庭円満で頑張っているように見えます。

    イチオシ

    雌雄を間違えたかもしれませんが、こちらが雌獅子の方のようです。健康第一、無病息災、家庭円満で頑張っているように見えます。

  • 日月潭とその周りの光景です。1999年に起きた台湾921大地震では、島の面積が縮小してしまったようです。復興対策は検討されているようですが、着工はまだかもしれません。

    日月潭とその周りの光景です。1999年に起きた台湾921大地震では、島の面積が縮小してしまったようです。復興対策は検討されているようですが、着工はまだかもしれません。

  • 年次を追って、節目の管理委員会等の会合と委員の方の名前が刻まれているようです。重たい石碑を背負っているのは、亀さんではなく龍の子供の一人、贔屓です。

    年次を追って、節目の管理委員会等の会合と委員の方の名前が刻まれているようです。重たい石碑を背負っているのは、亀さんではなく龍の子供の一人、贔屓です。

  • 冬木立ではなく、枯れ木になった木を入れての日月潭の光景です。中央奥に見えるのは、台湾原住民のサオ族(邵族)の聖地、ラル(拉魯)島のようです。

    イチオシ

    冬木立ではなく、枯れ木になった木を入れての日月潭の光景です。中央奥に見えるのは、台湾原住民のサオ族(邵族)の聖地、ラル(拉魯)島のようです。

  • 無人島のような小島と、その右手に見える、人も立てないような、もっと小さな島の光景です。こちらの島は近い距離にありました。

    イチオシ

    無人島のような小島と、その右手に見える、人も立てないような、もっと小さな島の光景です。こちらの島は近い距離にありました。

  • これで文武廟と日月潭の見学はおしまいです。振り返って眺めた文武廟の光景です。1999年の大地震では大被害を受けた文武廟ですが、今はその痕跡はほとんど留めていませんでした。

    これで文武廟と日月潭の見学はおしまいです。振り返って眺めた文武廟の光景です。1999年の大地震では大被害を受けた文武廟ですが、今はその痕跡はほとんど留めていませんでした。

  • 日月潭の見学を終えて、次に向かったのは杢工芸品などのお土産店です。台湾一周の時には、毎回立寄りましたから、これで3回目となります。そのお土産店に前庭での撮影です。雨に濡れたノボタン(野牡丹)の紫の花です。

    日月潭の見学を終えて、次に向かったのは杢工芸品などのお土産店です。台湾一周の時には、毎回立寄りましたから、これで3回目となります。そのお土産店に前庭での撮影です。雨に濡れたノボタン(野牡丹)の紫の花です。

  • 黄色のハイビスカスの花です。アオイ科フヨウ属の植物です。ブッソウゲ(仏桑花)の和名を持ちますが、何となくイメージが合わないのか、使用されることは少ないようです。

    黄色のハイビスカスの花です。アオイ科フヨウ属の植物です。ブッソウゲ(仏桑花)の和名を持ちますが、何となくイメージが合わないのか、使用されることは少ないようです。

  • 一輪だけ咲いていた、濃いピンク色のバラ(薔薇)の花です。バラは、バラ科バラ属の総称とされます。

    一輪だけ咲いていた、濃いピンク色のバラ(薔薇)の花です。バラは、バラ科バラ属の総称とされます。

  • アリアケカズラ(有明蔓)らしい黄色の花です。アリアケカズラは蔓性ですが、低木のようにも見えますので、ヒメアリアケカズラ(姫有明蔓)の方かもしれません。

    アリアケカズラ(有明蔓)らしい黄色の花です。アリアケカズラは蔓性ですが、低木のようにも見えますので、ヒメアリアケカズラ(姫有明蔓)の方かもしれません。

  • 薄紫のスイレン(睡蓮)の花です。ブルー・ロータスと呼ばれる種類かも知れません。アフリカから東南アジアにかけて分布するとされます。スイレン科の水生多年草です。

    薄紫のスイレン(睡蓮)の花です。ブルー・ロータスと呼ばれる種類かも知れません。アフリカから東南アジアにかけて分布するとされます。スイレン科の水生多年草です。

  • 次の見学地は呉鳳廟ですが、その前に昼食のお店に立ち寄りました。嘉義の名物とされる、噴水鶏肉飯のお店です。

    次の見学地は呉鳳廟ですが、その前に昼食のお店に立ち寄りました。嘉義の名物とされる、噴水鶏肉飯のお店です。

  • 大衆食堂のような作りの店内光景です。お店に入ったのは、11時10分頃、少し早すぎる時間でしたし、次に食べたい料理とも感じませんでした。

    大衆食堂のような作りの店内光景です。お店に入ったのは、11時10分頃、少し早すぎる時間でしたし、次に食べたい料理とも感じませんでした。

  • 嘉義の噴水鶏肉飯のお店の前での撮影です。大きな看板が立っていました。忙しくなるのは、この後の時間のようです。

    嘉義の噴水鶏肉飯のお店の前での撮影です。大きな看板が立っていました。忙しくなるのは、この後の時間のようです。

  • 次の見学地、呉鳳廟に到着しました。その周りの光景です。不確かですが、帝王椰子と呼ばれる種類だったような記憶です。

    次の見学地、呉鳳廟に到着しました。その周りの光景です。不確かですが、帝王椰子と呼ばれる種類だったような記憶です。

  • 『第三級古蹟呉鳳廟』のタイトルの説明看板です。呉鳳廟、別名、阿里山忠王祠は、嘉慶25年(1820年)に創建され、民国74年(1985年)に『呉鳳廟』として、第三級古蹟に指定されたことだけが記されていました。清朝時代の呉鳳伝説には触れられていません。

    『第三級古蹟呉鳳廟』のタイトルの説明看板です。呉鳳廟、別名、阿里山忠王祠は、嘉慶25年(1820年)に創建され、民国74年(1985年)に『呉鳳廟』として、第三級古蹟に指定されたことだけが記されていました。清朝時代の呉鳳伝説には触れられていません。

  • 『牽手樹』のタイトルがあった説明看板です。手を繋いだように見える菩提樹の6本です。民国72年(1983年)、この樹を見た謝副総統により『牽手樹』と命名されました。

    『牽手樹』のタイトルがあった説明看板です。手を繋いだように見える菩提樹の6本です。民国72年(1983年)、この樹を見た謝副総統により『牽手樹』と命名されました。

  • 『牽手樹』、英名が『Hand-in-Hand Tree』の樹木光景です。仲良く手を繋いだように見える樹木です。

    『牽手樹』、英名が『Hand-in-Hand Tree』の樹木光景です。仲良く手を繋いだように見える樹木です。

  • 呉鳳廟の出入口門の光景です。現在は『阿里山忠王祠』と名前を改められているようです。呉鳳伝説に対する先住民からの否定的な意見が反映されたのかもしれません。

    呉鳳廟の出入口門の光景です。現在は『阿里山忠王祠』と名前を改められているようです。呉鳳伝説に対する先住民からの否定的な意見が反映されたのかもしれません。

  • 呉鳳廟の中の光景です。庭園のようでもあり、自然に任せたままの光景のようにも思えました。

    呉鳳廟の中の光景です。庭園のようでもあり、自然に任せたままの光景のようにも思えました。

  • 菩提樹の『牽手樹』に対抗するような、椰子の木の連樹です。こちらは枝の代わりに、手をつなぐのは丈夫な葉です。

    菩提樹の『牽手樹』に対抗するような、椰子の木の連樹です。こちらは枝の代わりに、手をつなぐのは丈夫な葉です。

  • 敷地境のような場所にあった門の光景です。『水光山色』の扁額がありました。隣の敷地には足を踏み入れませんでしたが、石碑が見えていました。

    敷地境のような場所にあった門の光景です。『水光山色』の扁額がありました。隣の敷地には足を踏み入れませんでしたが、石碑が見えていました。

  • 『仁必有勇』の文字が揮毫された扁額です。民国45年、厳氏の落款がありました。論語の『有徳者必有言 有言者不必有徳 仁者必有勇 勇者不必有仁』から引用されているようです。意味は、『修養して徳を得た人は必ず良いことを言う、しかし良いことを言う人は必ずしも徳のある人とは限らない、最上の人格者は必ず勇気がある、しかし勇気のある人がいつも人格者とは限らない』とされます。

    『仁必有勇』の文字が揮毫された扁額です。民国45年、厳氏の落款がありました。論語の『有徳者必有言 有言者不必有徳 仁者必有勇 勇者不必有仁』から引用されているようです。意味は、『修養して徳を得た人は必ず良いことを言う、しかし良いことを言う人は必ずしも徳のある人とは限らない、最上の人格者は必ず勇気がある、しかし勇気のある人がいつも人格者とは限らない』とされます。

  • 呉鳳伝説に関しては、政治的に創られた伝説として、反対論も根強いようです。その気持ちを代弁するなら、『仁(者)必有勇』の引用より、最後の『勇者不必有仁』の方かもしれません。

    呉鳳伝説に関しては、政治的に創られた伝説として、反対論も根強いようです。その気持ちを代弁するなら、『仁(者)必有勇』の引用より、最後の『勇者不必有仁』の方かもしれません。

  • 左から読むようです。『義取生舎』は、義のためには、命も省みないと解釈できそうです。『舎』は、日本では『舎兄』や『舎弟』等のように、自分の身内を謙遜して言う言葉に使われます。民国41年、蒋中正の落款がありました。

    左から読むようです。『義取生舎』は、義のためには、命も省みないと解釈できそうです。『舎』は、日本では『舎兄』や『舎弟』等のように、自分の身内を謙遜して言う言葉に使われます。民国41年、蒋中正の落款がありました。

  • 『義取生舎』の扁額があった祭壇の光景です。呉鳳伝説は、現地ガイドさんからも聞きましたが、あまりにも出来過ぎの話で、素直には信じることができない内容でした。

    『義取生舎』の扁額があった祭壇の光景です。呉鳳伝説は、現地ガイドさんからも聞きましたが、あまりにも出来過ぎの話で、素直には信じることができない内容でした。

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