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 香港に連泊し、日帰りでのマカオ観光です。マカオの世界遺産巡りは2回目です。聖ポール天主堂跡やナーチャ廟等を見学しました。

2013夏、中国旅行記23(11/22):7月21日(1):マカオの世界遺産巡り、聖ポール天主堂跡、ナーチャ廟、旧城壁

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2013/07/19 - 2013/07/22

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

 香港に連泊し、日帰りでのマカオ観光です。マカオの世界遺産巡りは2回目です。聖ポール天主堂跡やナーチャ廟等を見学しました。

  • 三泊したホテルでの朝食です。野菜や果物もありましたから、私にとっては十分でした。コーヒーとジュースの飲み物、トーストも程よく焼けました。

    三泊したホテルでの朝食です。野菜や果物もありましたから、私にとっては十分でした。コーヒーとジュースの飲み物、トーストも程よく焼けました。

  • 締め括りは果物です。スイカ一切れと、ドラゴンフルーツ2切れにしました。朝から食べ過ぎないのが一番です。

    締め括りは果物です。スイカ一切れと、ドラゴンフルーツ2切れにしました。朝から食べ過ぎないのが一番です。

  • 泊まったホテルのレストランの光景です。混み合っていませんでしたから、ゆっくりと朝食を楽しむことができました。

    泊まったホテルのレストランの光景です。混み合っていませんでしたから、ゆっくりと朝食を楽しむことができました。

  • ガラス窓越しに眺めたホテルの室内プールらしい光景です。ホテルの案内には、屋外プールは午前7時~午後9時が営業時間と紹介されていました。

    ガラス窓越しに眺めたホテルの室内プールらしい光景です。ホテルの案内には、屋外プールは午前7時~午後9時が営業時間と紹介されていました。

  • 泊まった部屋から眺めた外の光景です。リーガル・リバーサイド・ホテルの名前に因む川の光景のようです。川の名前は『城門河』、ホテルは香港郊外の沙田区になります。

    泊まった部屋から眺めた外の光景です。リーガル・リバーサイド・ホテルの名前に因む川の光景のようです。川の名前は『城門河』、ホテルは香港郊外の沙田区になります。

  • 8時頃にホテルを出発し、香港のフェリーターミナルに到着しました。電光表示の現在時刻は8時26分です。2番乗船口から出発時間が8時45分、マカオ到着が9時40分頃の予定です。

    8時頃にホテルを出発し、香港のフェリーターミナルに到着しました。電光表示の現在時刻は8時26分です。2番乗船口から出発時間が8時45分、マカオ到着が9時40分頃の予定です。

  • 香港~マカオ間を結ぶ高速のターボ・ジェット(噴射飛航)への乗船です。所要時間は55分です。乗船のチケットには、172香港ドル(連税)と記されていました。因みにマカオから香港への戻りの方は(連税)の文字はなく、163香港ドルでした。税金分の値段の違いでしょうか。

    香港~マカオ間を結ぶ高速のターボ・ジェット(噴射飛航)への乗船です。所要時間は55分です。乗船のチケットには、172香港ドル(連税)と記されていました。因みにマカオから香港への戻りの方は(連税)の文字はなく、163香港ドルでした。税金分の値段の違いでしょうか。

  • マカオに到着しました。ターボ・ジェットとフェリーポートの光景です。現在時刻は9時50分前、ほぼ定時に到着しました。振り返っての撮影です。

    マカオに到着しました。ターボ・ジェットとフェリーポートの光景です。現在時刻は9時50分前、ほぼ定時に到着しました。振り返っての撮影です。

  • 同じく、マカオのフェリーターミナルの光景です。桟橋の先に、フェリーターミナルのビルが見えていました。

    同じく、マカオのフェリーターミナルの光景です。桟橋の先に、フェリーターミナルのビルが見えていました。

  • マカオのフェリーターミナルの正面に見えるのは、『金沙娯楽場(サンズ・カジノ)』の光景です。ラスベガスサンズ社が運営する2004年5月にオープンした外資経営第1号のカジノです。

    マカオのフェリーターミナルの正面に見えるのは、『金沙娯楽場(サンズ・カジノ)』の光景です。ラスベガスサンズ社が運営する2004年5月にオープンした外資経営第1号のカジノです。

  • マカオのフェリーターミナルに停泊していた赤いフェリーの光景です。いかにも高速船らしい色と姿です。乗船したターボ・ジェットだったかもしれません。

    マカオのフェリーターミナルに停泊していた赤いフェリーの光景です。いかにも高速船らしい色と姿です。乗船したターボ・ジェットだったかもしれません。

  • 振り返って眺めた、フェリーポートの光景です。乗船したターボ・ジェットは、桟橋の右側の船のようです。

    振り返って眺めた、フェリーポートの光景です。乗船したターボ・ジェットは、桟橋の右側の船のようです。

  • マカオのフェリーターミナルビル内の光景です。ここでほかのツアー参加者の方と、現地ガイドさんに合流しました。

    マカオのフェリーターミナルビル内の光景です。ここでほかのツアー参加者の方と、現地ガイドさんに合流しました。

  • フェリーターミナルビルの天井光景です。現地時間で10時になりました。現地ガイドさんと合流し、最初の見学地の『聖ポール天主堂跡』に向かいました。数人だけの混成メンバーのツアーでした。

    フェリーターミナルビルの天井光景です。現地時間で10時になりました。現地ガイドさんと合流し、最初の見学地の『聖ポール天主堂跡』に向かいました。数人だけの混成メンバーのツアーでした。

  • 最初に見学したマカオの世界文化遺産、『聖ポール天主堂跡』です。『マカオ歴史地区』として世界文化遺産に登録された建物の一つです。

    最初に見学したマカオの世界文化遺産、『聖ポール天主堂跡』です。『マカオ歴史地区』として世界文化遺産に登録された建物の一つです。

  • 同じく、『聖ポール天主堂跡』の建物光景です。1582年から1602年にかけて、イエズス会士によって建築されたこの天主堂は、当時のアジア地区では最大のカトリック教会だったとされます。1835年の台風時の火事によって焼失しました。

    イチオシ

    同じく、『聖ポール天主堂跡』の建物光景です。1582年から1602年にかけて、イエズス会士によって建築されたこの天主堂は、当時のアジア地区では最大のカトリック教会だったとされます。1835年の台風時の火事によって焼失しました。

  • 『聖ポール天主堂跡』のファサードに飾られた聖人のブロンズ像です。ファサードの彫刻は、イタリア人のイエズス会士カルロ・スピノラのもとで、本国から追放された日本人キリスト教徒と現地の職人によって、1620年から1627年の間に彫刻されたと伝わります。日本では、江戸時代(1603~1867年)の初期になります。

    『聖ポール天主堂跡』のファサードに飾られた聖人のブロンズ像です。ファサードの彫刻は、イタリア人のイエズス会士カルロ・スピノラのもとで、本国から追放された日本人キリスト教徒と現地の職人によって、1620年から1627年の間に彫刻されたと伝わります。日本では、江戸時代(1603~1867年)の初期になります。

  • 『保民是頼』らしい文字が揮毫された扁額があった祠堂の光景です。民国21年の日付がありますから、1933年の書です。その祠堂の前に鼎脚の線香立がありました。1888年に建てられた仏教寺院とされますが、世界遺産としては『ナーチャ廟』として紹介されていました。

    イチオシ

    『保民是頼』らしい文字が揮毫された扁額があった祠堂の光景です。民国21年の日付がありますから、1933年の書です。その祠堂の前に鼎脚の線香立がありました。1888年に建てられた仏教寺院とされますが、世界遺産としては『ナーチャ廟』として紹介されていました。

  • マカオの世界文化遺産の一つ、『ナーチャ廟』の前に置かれていた鼎脚の線香立のズームアップ光景です。

    マカオの世界文化遺産の一つ、『ナーチャ廟』の前に置かれていた鼎脚の線香立のズームアップ光景です。

  • 中々うまい写真が撮れませんでしたが、マカオ歴史地区の世界遺産の一つ、『旧城壁』のピックアップ光景です。ナーチャ廟のすぐ脇の古い城壁です。

    中々うまい写真が撮れませんでしたが、マカオ歴史地区の世界遺産の一つ、『旧城壁』のピックアップ光景です。ナーチャ廟のすぐ脇の古い城壁です。

  • 『旧城壁』のズームアップ光景です。城壁には、『聖方済各斜巷(大三巴斜巷)』の青文字のプレートがありました。

    『旧城壁』のズームアップ光景です。城壁には、『聖方済各斜巷(大三巴斜巷)』の青文字のプレートがありました。

  • この辺りも、世界文化遺産の『旧城壁』の一部のようでした。ポルトガル人の居留が始まった頃、周囲から身を守るための保安目的で建設された城壁です。

    この辺りも、世界文化遺産の『旧城壁』の一部のようでした。ポルトガル人の居留が始まった頃、周囲から身を守るための保安目的で建設された城壁です。

  • 確認はできませんでしたが、この辺りも城壁の一部のようでした。ポルトガル人がマカオに上陸したのが中国の明朝時代(1368~1644年)の1553年、定住を開始したのが1557年でした。1572年、 明朝が毎年500両の地代を支払うことを条件に、ポルトガル人のマカオ半島南部での居留を公認しました。

    確認はできませんでしたが、この辺りも城壁の一部のようでした。ポルトガル人がマカオに上陸したのが中国の明朝時代(1368~1644年)の1553年、定住を開始したのが1557年でした。1572年、 明朝が毎年500両の地代を支払うことを条件に、ポルトガル人のマカオ半島南部での居留を公認しました。

  • 裏側から眺めた、『聖ポール天主堂跡』のファサードの光景です。ポルトガルによるマカオ支配の説明の続きです。ポルトガルがマカオの行政権を中国人官吏から奪取し、完全に植民地化したのは1849年のことです。アヘン戦争によってイギリスが香港植民地を獲得したのに刺激されたものとされます。その後、1862年になって初めて中国(清朝)もマカオにおけるポルトガル統治権を認め、1887年に友好通商条約を締結してマカオを第三国に譲渡しないことを条件に永久的な占有を承認しました。ただし、ポルトガルが得たのは統治権のみとされ、マカオの主権はあくまで中国(清朝)側にありました。このことは、1979年に中華人民共和国とポルトガルの国交が樹立される際、マカオの本来の主権が中華人民共和国にあることが確認されたことでも分かるようです。

    裏側から眺めた、『聖ポール天主堂跡』のファサードの光景です。ポルトガルによるマカオ支配の説明の続きです。ポルトガルがマカオの行政権を中国人官吏から奪取し、完全に植民地化したのは1849年のことです。アヘン戦争によってイギリスが香港植民地を獲得したのに刺激されたものとされます。その後、1862年になって初めて中国(清朝)もマカオにおけるポルトガル統治権を認め、1887年に友好通商条約を締結してマカオを第三国に譲渡しないことを条件に永久的な占有を承認しました。ただし、ポルトガルが得たのは統治権のみとされ、マカオの主権はあくまで中国(清朝)側にありました。このことは、1979年に中華人民共和国とポルトガルの国交が樹立される際、マカオの本来の主権が中華人民共和国にあることが確認されたことでも分かるようです。

  • 同じく、裏側から眺めた、『聖ポール天主堂跡』のファサード上部の光景です。1974年にポルトガル本国でカーネーション革命が起り、左派系の新政権が誕生したことで、海外植民地の放棄を宣言しました。1976年、ポルトガルはマカオを海外県から特別領に改め、立法会を設置するなど、大幅な独立性を認めました。

    同じく、裏側から眺めた、『聖ポール天主堂跡』のファサード上部の光景です。1974年にポルトガル本国でカーネーション革命が起り、左派系の新政権が誕生したことで、海外植民地の放棄を宣言しました。1976年、ポルトガルはマカオを海外県から特別領に改め、立法会を設置するなど、大幅な独立性を認めました。

  • 石畳の上に降り立って餌探しをしていた雀さんです。『国家主権と統治権との違い』は、なかなか複雑なようです。同一視されることもあり、その違いが強調されることもあるようです。因みに、日本国憲法では『統治権』には触れず、『主権が国民にある』ことを前文と第1条で規定しています。

    石畳の上に降り立って餌探しをしていた雀さんです。『国家主権と統治権との違い』は、なかなか複雑なようです。同一視されることもあり、その違いが強調されることもあるようです。因みに、日本国憲法では『統治権』には触れず、『主権が国民にある』ことを前文と第1条で規定しています。

  • こちらは脇道です。『聖ポール天主堂跡』が見える本通りを下ることにしました。中国がイギリスとの間で進める香港返還交渉と平行して、1986年からマカオ返還交渉が開始されました。翌1987年に両国は共同声明を発表し、1999年に行政権が中国に譲渡されることが決定しました。一国二制度が適用され、ポルトガルから受け継いだ現行の社会制度を返還後50年に亘って維持することとなり、返還は1999年12月20日に実現しました。マカオは中国の特別行政区となり、アジアから欧米の植民地は完全に姿を消しました。

    こちらは脇道です。『聖ポール天主堂跡』が見える本通りを下ることにしました。中国がイギリスとの間で進める香港返還交渉と平行して、1986年からマカオ返還交渉が開始されました。翌1987年に両国は共同声明を発表し、1999年に行政権が中国に譲渡されることが決定しました。一国二制度が適用され、ポルトガルから受け継いだ現行の社会制度を返還後50年に亘って維持することとなり、返還は1999年12月20日に実現しました。マカオは中国の特別行政区となり、アジアから欧米の植民地は完全に姿を消しました。

  • マカオの高層ビルの中でも、ことさら目を惹く建物です。『グランド・リスボア』と呼ばれるカジノホテルです。2008年にオープンした、高さ261メートル、53階建ての超高層ビルです。マカオのカジノは、アメリカのラスベガスを追い抜いて、世界一の売り上げを誇るようになりました。1974年にポルトガル本国で起きた、『リスボンの春』とも呼ばれる『カーネーション革命』についての補足です。1974年4月25日早朝、オテロ・デ・カルヴァーリョ大尉に指揮されたMFA(国民運動)は首都リスボンで決起し、市内の要所を占拠しました。カエターノ首相は投降し、スピノラ大将に権力を委譲しました。流血はほとんどないクーデターでした。リスボンの街角は花束で飾られ、市民たちはカーネーションを手に兵士たちと交歓しました。ポルトガルでは、4月25日は『自由の日』として国民の祝日になりました。

    マカオの高層ビルの中でも、ことさら目を惹く建物です。『グランド・リスボア』と呼ばれるカジノホテルです。2008年にオープンした、高さ261メートル、53階建ての超高層ビルです。マカオのカジノは、アメリカのラスベガスを追い抜いて、世界一の売り上げを誇るようになりました。1974年にポルトガル本国で起きた、『リスボンの春』とも呼ばれる『カーネーション革命』についての補足です。1974年4月25日早朝、オテロ・デ・カルヴァーリョ大尉に指揮されたMFA(国民運動)は首都リスボンで決起し、市内の要所を占拠しました。カエターノ首相は投降し、スピノラ大将に権力を委譲しました。流血はほとんどないクーデターでした。リスボンの街角は花束で飾られ、市民たちはカーネーションを手に兵士たちと交歓しました。ポルトガルでは、4月25日は『自由の日』として国民の祝日になりました。

  • 振り返ってもう一度眺めた、『聖ポール天主堂跡』のファサード光景です。一時期は、安全対策のため、取り壊しの計画があったようですが、マカオの世界遺産の中では、最も存在感を感じます。

    イチオシ

    振り返ってもう一度眺めた、『聖ポール天主堂跡』のファサード光景です。一時期は、安全対策のため、取り壊しの計画があったようですが、マカオの世界遺産の中では、最も存在感を感じます。

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2013夏、中国旅行記23

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