2013/12/07 - 2013/12/07
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たびたびさん
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伏見にも何度も行っているんですが、あまり丁寧に回ったことはない。なので、龍馬の寺田屋とかカッパカントリーくらいしか思い浮かびませんね。
今回は、意を決して回ってみたのですが、京都の一部と思っていた伏見は、そうではない。京都と大阪を結ぶ水運で栄えた歴史を持っていて、独自の歴史と文化を持っている場所であることが分かりました。灯台下暗し。今回もなかなか収穫の多い旅となりました。
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伏見に向かう前に、京都駅周辺も散策してみましょう。
本願寺伝道院は、東京の築地本願寺や平安神宮などを手がけた伊東忠太の設計。真宗信徒生命保険株式会社の社屋として,明治45年に建てられました。シンボルとなるドーム屋根を頂く八角堂を持つデザインは、本願寺の建物とは思えない個性的な姿です。 -
本願寺のさかさ銀杏。長い期間の剪定によって、こうなったんだとか。
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まだ紅葉の時は見たことがなかったんで、チェックしたんですが、ちょっと落葉が進んで、スケスケになってます。
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西本願寺の南隣は興正寺です。ほとんど西本願寺と一体になった景観をしていますが、それもそのはず、かつては西本願寺の脇門跡。その後、明治期に入って真宗興正派として独立しています。
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現在の伽藍は、不慮の火災の後、明治45年に再建されたものです。
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向かいにあるのは、西利。漬物屋さんの多い京都でも、もっともメジャーで有名な漬物屋さんでしょう。あちこち店舗があるのですが、西本願寺の正面、堀川通りに面した巨大ビルのここが本店です。
はっぴを着たお店が応対してくれる店内とかも老舗の香りがいっぱいで、一見の価値はあるのではないか思います。 -
龍谷大学大宮学舎は、西本願寺から歩いてすぐ。門の奥に、明治12年に竣工した、大宮キャンパスのシンボルであり、国の重要文化財にも指定されている本館が見えましたが、その美しさには一瞬ドキッとしてしまいました。
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イチオシ
門番の人はいますが、外観の見学は自由にさせてくれます。
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笹屋伊織の本店もすぐそばです。
しかし、何と現在工事中。残念でした。いつまでなのかはっきり書いてなかったのですが、しばらくかかるんでしょう。
ところで、ついでに紹介すると、ここは毎月20日21日にしか買えないというどら焼きが有名。東寺の弘法さんに因むお菓子です。 -
そして、こんなところに、「ふたば」ってなんだろうと思ってました。ふたばと言えば、出町ふたばですから。今回、確かめたら、このお店もふたばの暖簾分けをしたお店だそう。なるほど、そうだったんですね。西本願寺からも近いし、これは便利です。店の奥では、お店の人が何人か一生懸命作業をしていて、その雰囲気もちょっと出町ふたばに似ているように感じました。
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京都駅に到着。こんな時間に京都駅にいることはまずないんですが。
京都総合観光案内所は、京都駅ビル2階の南北自由通路沿い。これまでは行ったことはなかったのですが、初めて入ってみるとこれはいいです。観光スポットや施設の紹介だけでなく、開催中のイベントパンフレットなどがずらりと並んで、これはとても参考になる。京都に詳しいと思っていても、イベントまでのチェックはなかなか難しい。とても価値ある施設ですね。新発見でした。 -
京都駅からは近鉄で丹波橋駅へ。
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まずは、ここから桓武天皇柏原陵に向かいます。長い坂道を20分くらい登っていきます。 -
ちなみに、桓武天皇は、一時、長岡京の造営をしたり迷走もあったものの、最終的には平安京への遷都を断行した天皇。その他、坂上田村麻呂を征夷大将軍とする東北への軍事遠征や唐から帰国した最澄・空海の保護者としての役割など、多彩な業績を持つ天皇だったと思います。
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明治天皇陵も隣りです。しかし、道は、なかなか遠いですね。
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イチオシ
こちらが明治天皇陵。明治天皇は、現在の神宮外苑で大喪の礼が執り行なわれ、ここに埋葬されたとのこと。ここは豊臣秀吉の築いた伏見城の本丸跡地ですが、京都への埋葬は明治天皇の遺言によるものだったということです。
それにしても、天皇は明治維新以降、列強としのぎを削った激動の時代をどう思っていたんでしょう。薄氷を踏むような思いが本音だったような気もするんですが、いかがでしょうか。 -
では、久しぶりに伏見城も見ておきましょう。
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イチオシ
伏見城は、当時の城を再現されたものでも何でもなくて、特に価値はないもののようですが、やはり、ネームバリューはあります。
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イチオシ
伏見城は、3度の築城があって、指月山に築かれたものを指月山伏見城、これは地震で倒壊してしまい、直後の木幡山に再築されたものを木幡山伏見城と呼んで区別します。秀吉の隠居所として建てられたもので、秀吉は木幡山伏見城に移り、一年後にここで最期を迎えています。
なお、関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣、鳥居元忠が伏見城を守っており、壮絶な戦いもあった城です。 -
山を下って、伏見の市街に出てきました。
あれ、ゲベッケンは、泉涌寺の参道のところにもあるんですが、伏見にもあったんですね。見ると、出汁巻き卵のパンがイチオシのよう。ただ、そんなことより、ここのパンは基本的にとってもおいしいんですよね。 -
で、そのパンをいただくと、出汁巻き卵のおいしさはかなりのもの。これは確かにイチオシ間違いなしなんですが、やっぱりパンの最後までしっかり噛み切る歯ごたえや麦の濃い味わいなど、ここのおいしさを改めて実感しました。京都は新進堂というビッグな存在があるので、パンのレベルが高くなってなかなか難しいのですが、ここのお店は十分に存在感がある店だと思います。
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ここからは、例によってしらみつぶしで回ります。
本成寺は、伏見にある法華宗本能寺の末寺。本能寺の変後、創建された寺です。地蔵堂には、小野篁作と伝えられる木造地蔵菩薩像が安置されているほか、 -
境内には妙榮水という名水もありました。清らかな水に恵まれた伏見らしい風景です。
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伏見義民小林勘次碑は、京阪電鉄でもらった伏見の街歩きパンフレットに載っていたので、訪ねてみました。江戸の初期に、淀川船の通行料が値上げされた時、伏見町民の困窮を見かねて薪炭商小林勘次が幕府に直訴し、値下げが命じられます。ただし、命を記した朱印状を江戸から伏見に持ち帰る途中、小林勘次は急死しますが、暗殺であることも疑い、義民として顕彰したものだそうです。
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続いての大黒寺は、西郷隆盛や大久保利通らが宿泊した部屋が今も残り、薩摩寺とも呼ばれる寺。境内には、寺田屋騒動で亡くなった志士たちを弔うために西郷が揮豪したという薩摩藩勤王党有馬新七等九士の墓や木曽川治水工事の責任をとり、詰め腹を切った薩摩藩家老平田靱負の墓もあります。
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金札宮は、「きんさつぐう」と読みます。伏見でも、最も古い神社の一つであり、観阿弥の作と伝わる能の謡曲「金札」は、金札宮の縁起を表したもの。
桓武天皇の平安遷都の際、伏見の里に社殿造営のため、勅使が下向、神のお告を持っていると、天から金の御札が降ってきますと、金札には天太玉命がこの国を護るため、この地に住むと書かれています。天太玉命の降臨と、その神威を示し、天下泰平を讃えたものということです。 -
こんなところに、伏見の薩摩藩邸跡。濠川のほとりです。薩長同盟を成し遂げた2日後、坂本龍馬は寺田屋で幕府の捕り方の襲撃を受けますが、裸のお龍に急を告げられ、間一髪難を逃れます。そして、お龍はこの薩摩藩邸に助けを求めると、薩摩藩はすかさず船を出し、貯木場に隠れていた龍馬を救いだすことに成功するのです。
ちなみに、寺田屋と藩邸は300mくらいの距離です。 -
その濠川は、伏見区を流れ宇治川に注ぐ運河で、豊臣秀吉が伏見城の外堀として開削したのが始まり。京都から伏見を経由して、大阪に向かう輸送ルートは京都の生命線でもありました。
明治に入って琵琶湖疏水が開通すると、それと繋げられて琵琶湖の水が流されるようになり、今でも豊かな流れを保っています。 -
では、毛利橋を渡って、
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ちょっと市街中心部から離れます。
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こんな土手に出てきました。
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イチオシ
目当ては松本酒造。月桂冠や黄桜のある伏見の中心部からは少し離れますが、堤防沿いから見る煉瓦建造物の倉庫と煙突の景観は、伏見に来たらぜひ見たい景色の一つでしょう。春には堤防に菜の花が咲いて、黄色のコントラストが絶景となるそうです。
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これが正門です。
さて、再び、市街中心部に戻ります。 -
こちらは、坂本龍馬避難の材木小屋跡。寺田屋事件で龍馬が危機を逃れた場所。薩長同盟を締結した坂本龍馬は、長州藩の三吉慎蔵と寺田屋に潜んでいるところを伏見奉行配下の役人に取り囲まれてしまいます。ここで後の妻となるお龍の急報で、何んとか脱出をしますが、深手を負います。最終的には、伏見薩摩藩邸に駆け込むのですが、追っ手を逃れるため、一時避難したのがこの材木小屋です。
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龍馬を救った濠川のほとりです。
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そろそろお昼です。「焼うどん」の看板が目に入って、寄ってみました。焼うどんは、小倉のB級グルメなんですが、こちらはどうでしょうか。
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イチオシ
基本は、お好み焼き屋さんですが、真っ白のうどんを鉄板で焼いて、最後は醤油で味付け。これは小倉と同じですね。柔らかいうどんとマッチしていましたが、まあ、これもありかなという感じ。
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それにしても、小さな店なのにお客さんが次々。そこそこ人気店のようです。
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昼をいただいたら、次は甘いものですよね。駿河屋本店は、油掛け地蔵の筋にある老舗の和菓子屋さん。店構えもかなり雰囲気があります。
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いただいたのは、酒饅頭。この辺りには酒饅頭を扱う店がいっぱいあって、しのぎを削っています。が、ここの酒饅頭は真っ白で、焼き印もなく、至極あっさりしています。味わいの方もそんな感じ。肩肘を張らない自然な甘さで、逆に好感をもちました。
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このお店の角に建つのは電気鉄道事業発祥の地碑。
京都では、琵琶湖疏水を利用した水力発電所が既に完成しており、その電力を利用して、明治25年に日本で最初の電気鉄道、京都駅から伏見までの約6kmの路面電車が開通します。碑は、これを記念するものです。 -
そして、西岸寺、通称油懸地蔵は、伏見の名物。この油懸地蔵は、山崎の油商人が門前で転び、桶の油をほとんど流してしまいます。やむなく残った油を地蔵に懸けて帰ったところ、商売が繁盛して大金持ちになったというのですが、この噂が広まり、広く庶民の信仰を集めたという地蔵様。鎌倉時代の石仏とのことですが、長年にわたって油を懸けたためでしょう、ぬめっとしたような黒光りをしていました。
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さて、伏見の和菓子屋さんでは、酒まんじゅうの食べ比べ。幸餅加納では、白のほかに、黒砂糖を使った黒の酒まんじゅうがあります。
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白をいただきましたが、甘さがしっかりあって、ちょっと強烈。酒粕の香りも、甘さを強調しているように思いました。
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坂本竜馬が襲撃された寺田屋事件の寺田屋のすぐ東にあるのが蓬莱橋。この橋の北詰から始まるのが竜馬通り商店街です。道幅は3メートル程の石畳の小路ですが、ガス灯風街路灯・和風の統一看板、商店街の外壁の京・町家風造りなど、明治ロマンを演出する整備が重ねられた風情ある通りです。
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龍馬通りの入口にあるのがお登勢茶屋。本来は「安本茶舗」という、創業明治4年という老舗の宇治茶販売店がやっているお茶屋さん。賑やかな看板が楽しい雰囲気です。串に刺した茶団子をいただいて、ちょっと休憩しました。ちなみに、龍馬通りだとこんな店がいくつかあるんだろうと思ったら、ここだけのよう。そういう意味でも、けっこう貴重です。
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何組か、家族連れとかカップルとかも、ここで休んでいました。やっぱり、街歩きにはこうした場所が必要です。
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富英堂は、大手筋商店街の入口辺りにも支店があるのですが、龍馬通りのそばにあるこちらが本店です。茶団子も気になりましたが、さっきお登勢茶屋でいただいたので、今度は酒饅頭をチョイス。
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イチオシ
伏見の酒饅頭は酒粕を餡子に混ぜたもので、麹で膨らませる正統派の酒まんじゅうとは違います。こちらの餡子もほんのり酒粕の香り。あとで、アルコールが効いたような気がしました。いくつか食べた酒饅頭の中では、標準的な饅頭だと思いました。
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キザクラカッパカントリーは、黄桜の経営する施設。
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企業博物館である黄桜記念館では、
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酒造りの
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ジオラマです。
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よくできています。
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こちらの河童資料館では、
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全国のかっぱ伝説の紹介。
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ほか、ギャラリーでは
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イチオシ
黄桜のCMで使用された清水崑と小島功筆の原画も展示。
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一定の年齢以上だと、誰しも懐かしい思いが湧いて来ると思います。
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龍馬館は、伏見の龍馬通りにある名物ショップ。ただ、龍馬館という名前なのに、店頭で目立っているのは「誠之羽織」。白と青の羽織が並んいて、新撰組のショップみたいじゃありませんか。しかし、そうはいってもこれに代わる龍馬のシンボルは何かと考えても、確かにないかもしれません。
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さて、今度は酒蔵の方にも行ってみます。
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伏見は、酒造に不可欠な名水に恵まれた土地であり、かつ、水運も発達していたことから、灘と並ぶ大手酒造メーカーが集まる酒どころとなりました。
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月桂冠、黄桜は、その代表銘柄で、
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イチオシ
伏見十石舟が発着したという濠川沿いには、
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柳の並木と美しい酒蔵が立ち並んで、いかにも風情のある景色を楽しめます。 -
この脇にあるのは辨財天 長建寺。ここは、13代目伏見奉行、建部政宇が建部姓の一字と長寿を願いと名づけたのが寺の起こり。かつての中書島遊郭の一角にあるとのことですが、中国風の朱色の竜宮門も特徴的です。
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ちなみに、建部政宇は、伏見城が廃城になった伏見の復興のため、寺の門から北を歓楽地として遊郭や飲み屋、旅籠などを集め、大変な賑わいとなります。
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長建寺も淀川を往来する廻船の守護神として、また遊郭で働く遊女の技芸上達の神として信仰を集めたようです。
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変わっていますが、これは時の鐘です。
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堀川沿いを今度は戻って、伏見港の方に向かいます。
龍馬とお龍 愛の旅路像は、平成23年にできた像。龍馬は、寺田屋事件の際、お龍に助けられますが、ケガを負います。その療養のためもあって、ここから二人で三十石船に乗り、鹿児島・霧島への新婚旅行に旅立ちます。日本で最初の新婚旅行と言われています。 -
伏見長州藩邸跡は、禁門の変の舞台の一つ。幕末の1864年。長州藩家老の福原越後は、この藩邸から約500名の兵で京へ進軍。会津・薩摩の排除を目指しますが、敗退。伏見藩邸に逃げ帰り、態勢を整えようとしますが、彦根藩や他の連合軍の砲撃を受け、藩邸は焼け落ちてしまいます。
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京都と伏見を結ぶ竹田街道にかかる京橋のたもとにあるのは、伏見口の戦い激戦地跡。鳥羽伏見の戦いでは、薩長を中心とした新政府軍と、幕府歩兵隊・会津藩兵・新選組など旧幕府軍の間で激しい戦闘が行われたのですが、伏見の戦いではこの京橋付近が激戦地だったよう。幕府軍や新撰組は民家に火を放ちながら淀方面に敗走したため、大きな被害が出たということです。
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小倉山荘は、本店は長岡京市。けっこう不便な場所に、立派な店舗があって、ちょっと異様な感じを受けるんですが、もう全国ブランドのメジャーなお店なんですね。伏見のお店も、堂々とした構え。ふきよせなんか、見るからにかわいらしく、見事な完成度です。
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いただいたのは、小倉餡のどら焼き。餡子はさすがに、なんか華やかな甘さがあります。ただ、皮はもっちり。阿闍梨餅のパクリっぽいなあと思ってしまいました。
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小倉山荘に寄った後、はす向かいにあるこちらの宮本堂にも寄ってみました。
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いただいたのは、みたらし団子。しかし、このみたらし団子は、ただ者ではない。ちょっと大きめの団子は、モチモチした弾力があるんですが、ここまでモチモチ感のある団子はそうはないですよ。甘辛いたれが、そのモチモチ団子によく絡んで、うまい、うまい、うまい。このみたらしは、今日の一番ですね。伏見のお菓子屋さんはとっても、レベル高いです。
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さて、伏見みなと広場に到着。
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伏見の観光ルートからするとかなり外れるのですが、三栖閘門とか伏見が水運の要衝であったことが偲ばれる場所ということで訪ねました。
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三栖閘門は、宇治川と濠川の水位を解消し、船の通行を可能にした施設。水運で栄えた伏見の歴史を今に伝えています。
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これが宇治川。確かに水位がかなり違います。
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ここを船が通行したんですね。ただ、これが出来たのは明治以降です。江戸時代はこんなのなかったので、逆に基本的な水害の危険から逃れることはできなかったということでしょう。
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三栖閘門資料館は、伏見の治水事業の歴史を語る資料館。
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伏見では、木津川・宇治川・桂川が合流した淀川は、昔から氾濫を繰り返してきましたが、その治水は始まったのは伏見城を築いた豊臣秀吉から。秀吉は、伏見港も整備し、伏見の水運の要衝としての発展も始まります。
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なお、三栖閘門は明治になってからの治水事業で、宇治川と濠川が分断されたため、船を行き来させるために作られました。
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なるほど、伏見の歴史は、この伏見港を見ないと分からない。伏見は京都の一部という理解でしたが、それはちょっと間違いだったようです。
再び、濠川に沿って中心部に戻ります。 -
途中にあった三栖神社。ここは、直径1mもある大きなタイマツを燃やしながら練り歩く炬火祭が有名。
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毎年10月に行われる祭りで、のちに天武天皇となる大海人皇子が大友皇子と戦った壬申の乱で、大海人皇子の援軍が三栖を通過した時、かがり火を焚いて村人が歓迎したという伝説に由来するものだそうです。
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角倉了以水利紀功碑は、二条から鴨川の水を引き、伏見に達する高瀬川を開通させた角倉了以の功績を顕彰するために建てられたもの。
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ちなみに、角倉了以は、朱印船貿易を行った戦国時代の豪商。高瀬川の開通も私財を投じて行われたもの。そして、京都から伏見経由で淀川・大阪に水運がつながった功績は、京都・伏見にとっては計り知れないものであったこと。とても感慨深いものがあります。
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伏見土佐藩邸跡は石碑が建つだけですが、ここは、「山城国伏見街並近郊図」に松平土佐守屋敷と記されていた土佐藩邸の跡地。鳥羽伏見の戦いでは、藩主山容堂の命により、参戦を止められていたのですが、板垣退助の密命で一部の藩士が参戦したとされます。
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最後になってしまいましたが、これが月桂冠。
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月桂冠は、寛永14年(1637年)、酒屋「笠置屋」として創業しますが、月桂冠という名前になったのは明治後期。
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その後、
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灘の白鶴酒造とともに、
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日本最大の酒造メーカーとなった伏見を代表する酒蔵です。
月桂冠大倉記念館は、その歴史を説明する企業博物館。 -
「吟醸」「生」などの印を押す酒造用具類も目を引きました。
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展示物は
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どれもこれもが歴史の証言者。
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伏見の街の繁栄とともに歩んできた酒蔵であることが
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とてもよく感じられる内容です。
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こちらは、戊辰戦争で焼かれた跡から出土したものです。
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伏見夢百衆は、伏見の観光パンフレットや街中の地図にも載っている主要な観光スポット。この建物は、大正時代に建てられた月桂冠の旧本店社屋を改装したもの。入ると伏見のおみやげ処でもあり、奥にはレトロな喫茶エリアがあって、伏見の名水を使った水出し珈琲・紅茶がウリになっていました。
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伏見 両替町通りは、かつての金融街。両替町通の名は、1601年に徳川家康によって伏見に日本で最初の銀座が置かれ、流通通貨の全国統一を図ったたことが始まり。その後、京都にも銀座が置かれ、金融の中心は京都に移っていきますが、伏見の銀座も多くの両替商が軒を並べていたと云われています。
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写真は、かつての両替商の旧跡碑です。
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伏見奉行所跡は、石碑がポツンとあるだけですが、鳥羽伏見の戦いの際には、京都を追われた会津藩や新選組が、この伏見奉行所に立てこもり、新政府軍との激戦となります。
薩摩軍の本営は、御香宮神社。その薩摩軍の砲撃を受けて、伏見奉行所は炎上。幕府軍は敗走することとなります。 -
桃山餅は、御香宮神社の正面にあるみたらし団子のお店。
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イチオシ
店頭には大皿に載ったみたらしだんごがたっぷりのたれに埋もれていました。おいしそうですねえ。団子は、ちょっと小さめ。この方がたれの絡みがいいってことでしょう。味は問題なしというか、確かにおいしいです。しかし、歩きながら食べるにはもっと大きい方がいいように思いました。
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御香宮神社も寄ってみます。
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参道の奥が本殿。
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この本殿の
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極彩色の装飾が見事なんです。
小堀遠州が京都奉行を勤めていた時に作った庭もあるんですが、きんもくせいが見事なんです。ずいぶん昔に見たきりです。しばらく工事中で見学できなかったのですが、工事も終わったことを確認して今日は良しとしましょう。
これで、今日の予定は終了。では、晩飯を食って京都に帰りましょう。 -
と、伏見桃山駅のそばに本家駿河屋。油掛け地蔵のところにある駿河屋本店と紛らわしいのですが、別のお店です。
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酒まんじゅうの食べ比べもしていたし、ここのもいただきましょう。あれ?ここの酒まんじゅうの皮はふっくらしているだけじゃなくて、しっかり歯ごたえがありますね。まんじゅうを噛み切る時のしっかりした感じがあって、これはよくできています。この工夫には敬意を表したいと思います。伏見の酒まんじゅうではここが一番かもしれません。
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ところで、江戸幕府の崩壊を決定づけたのは、鳥羽伏見の戦いです。幕府軍の主力、会津藩の先鋒隊約200名は、戦いの前日夕刻、伏見京橋に上陸し、この伏見御堂を宿陣としました。会津藩駐屯地跡は、それを示すもの。
なお、伏見での戦いは、翌日、薩摩藩との間で小競り合いをしている最中に、鳥羽方面から聞こえた砲声に続いて、御香宮に陣を構えていた薩摩藩も伏見奉行所を砲撃。伏見の町でも戦いが始まったということです。 -
晩飯は饂の神。伏見の人気のうどん屋さんです。ちょっと居酒屋風の店構えなんですが、鍋ものとか食事のメニューは豊富です。
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うどんはツルツル、程よいコシもあって、讃岐うどんの特長がよく出ています。これは本場にあっても人気店になれるんじゃないかなあといった感じを持ちました。若いお兄ちゃんが感じが良いし、こんな店に伏見の街を盛り上げてほしいと思いました。
伏見のいい締めになりました。これで伏見は本当に終了。京都に戻ります。 -
京都駅から定宿はバスなんですが、いつもの音楽噴水「AQUA FANTASY」も見て行きますか。
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京都駅前のポルタでやっている噴水のイルミネーションなんですが、
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18:00から一時間おきに4回。祇園囃子などのオープニングから、愛の挨拶、おもちゃの交響曲、「カルメン」、きよしこの夜、ジングルベルと変化もあるし、けっこう楽しめます。
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伏見の理解が深まった一日に感謝しながら、眺めました。
明日は最終日。酒つながりで灘を歩きます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Antonioさん 2023/05/23 20:45:15
- 伏見
- こんばんは。伏見は実家があるので、この旅行記で紹介されていた場所は馴染みのあるところばかりでした。竜馬商店街の入口のお茶屋さんは数年前に閉業し、今は別のお店が入っています。竜馬商店街は最近新しいお店が色々と出店していますが、その直前に位置している納屋町商店街は一時期かなり錆びれていたのが、最近お店が増えてきたので、ほっとしますね。
明治天皇が京都での埋葬を希望したのは何となく気持ちがわかるような気がします。明治維新があって東京に移るまで、天皇家は千年以上京都の住人でした。時代と共に京都も変わってきていますが、今でも日本の都市で京都のように神社やお寺が密集しているところはないですね。
- たびたびさん からの返信 2023/05/27 22:24:12
- RE: 伏見
- 伏見がご実家とは。そうですか。
伏見といえば、灘、伏見。酒どころとして有名ですけど、伏見稲荷の辺りに、醍醐寺や淀城の方も伏見区ですからけっこう広い範囲ですよね。
この春、久しぶりに醍醐寺の桜を見てきました。三宝院の庭園が写真撮影可になってからでも初めてでしたが、やっぱり醍醐寺の桜は迫力が違いますね。改めてそう感じました。
一方で、歴史的には鳥羽伏見の戦い。戦死者を弔った寺があちこちにあって、少し回ったことがあります。戊辰戦争はここから始まるのですが、真に不退転の決意があったのは大久保利通と三条実美の二人。私的にはその辺りはもっと強調されてもいいように思っているんですけどね。
それから城南宮。鳥羽上皇の寵愛を受け、かつ、その莫大な資産を受け継いだ美福門院。保元の乱、平治の乱の影の主役といってもいいのではないかと思いますが、これも伏見ですよね。などなど
京都を知るということは日本を知ることと同義くらいの価値がある。近々また京都に行くつもりですが、どんな出会いがあるか楽しみにしているところです。
たびたび
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