2011/07/14 - 2011/07/15
190位(同エリア370件中)
mingさん
1993年サラエボの街はセルビア軍に包囲されていた。その内戦から約20年経過したが、マンションの壁をよく見るとあたかも壁が標的であったかのように大量の銃弾の跡が残されていた。
【生活費】11万円
【飛行機】25万円
【通貨単位】1マルク=60円
【英語通用度】4人に3人
【旅程】10日間
7/12パリ→ザグレブ
7/13ザグレブ
7/14ザグレブ→サラエボ
7/15サラエボ
7/16ドブロヴニク
7/17ドブロヴニク
7/18パリ
7/19モンサンミッシェル
7/20パリ
7/21帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
(1)『サラエボに到着』
7/14 16:30サラエボ国際空港に到着した。空港からイリジャ(Ilidza)のトラム乗場まで6km離れており、タクシーで10分ほど移動した。(6マルク=360円) -
(2)『トラムに乗って』
トラムで市街地へと向かった。トラムで地球の歩き方の地図を見ていると、隣に座ったボスニア人が親切にバシチャルシャまでの行き方を教えてくれた。「もうすぐ川が右手に見えるので、そこを過ぎ細い道の裏側がバシチャルシャですよ。よい旅を!」と言ってバス停を降りていった。 -
(3)『ホテル・ハルヴァット』
17:30 トラムに30分乗り、市街地のバシチャルシャに到着した。
旅の拠点となるホテルは、バシチャルシャから徒歩5分と交通の便が良いハルヴァット(84マルク=5040円)に宿泊した。 -
(4)『オリンピックスタジアムへ』
バシチャルシャを散策した後、翌日のドブロヴニクへの夜行バスのチケットを買うために、バスターミナルへと向かった。道中バスの中から1,000人ほどの行進を見かけた。
バスの乗務員に「あれは何かのデモ行進か?」と尋ねると、「今晩のフットボールの試合に行く人たちだ。」との回答であった。サポーターの熱さに魅かれ、試合を観に行くことにした。(バックスタンド10マルク=600円)
スタジアムまで30分ほど、サポーターは野太い声で歌い続け、さらに試合が近づくにつれてボルテージは高まっていった。 -
(5)『旧ユーゴ対決』
ヨーロッパリーグの予選2回戦で、相手がマケドニアのチームという旧ユーゴ対決でもあり、サポーターは熱い声援でチームを後押ししていた。
ゼレニチャール(=ZELJEZNICAR)は、かつてオシム氏も選手として在籍していたサラエボもしくは旧ユーゴの名門チームである。
試合はカウンターの1点を守ったゼレニチャールが勝利し、大歓声とともに予選3回戦へと駒を進めた。 -
(6)『サラエボの夜景』
オリンピックスタジアムは小高い丘の上にあり、かつてここが戦場であったことが信じられないほどの美しい夜景が広がっていた。
オシム氏はサラエボの出身であるが、旧ユーゴの内戦に巻き込まれた1人であった。当時旧ユーゴの代表監督をしており、90年のワールドカップではストイコビッチらを擁しベスト8に進出した。92年のヨーロッパ選手権は優勝候補の1つでもあったが、大会直前に内戦のため旧ユーゴは出場取り消しとなっていた。代替出場したデンマークが優勝し、「シンデレラストーリー」として有名である。
旧ユーゴの内戦と日本が2人を通してつながっていたことに不思議な感覚を感じた。 -
(7)『バシチャルシャ』
トラムがセビリ(水飲み場)の前で止まると、石畳がまっすぐ伸び、その両脇に民芸品店やケバブ屋が並び、モスクの塔がより一層イスラム色を強めた街並みが目の前に広がった。 -
(8)『オスマントルコの面影』
バシチャルシャは15世紀に侵入したオスマントルコの影響を色濃く残した街であった。かつてはイスラム商人が休息のために訪れ、同時に商業や工芸が発展した面影を今に伝えていた。 -
(9)『トルコバザール』
バシチャルシャの中央部にベジスタン・バザールがある。宝飾品や土産物の店が並び、トルコのエジプシャン・バザールを思い出させた。
ここから西へ歩くと、街の雰囲気は一変する。ユダヤ博物館、カトリック大聖堂、セルビア正教会と、わずか500mの中に4つの宗教や文化が混在する独特な空間であった。
もともとサラエボは、西のカトリックと東のセルビア正教会の境界線上に位置していた。その後オスマントルコの支配によりイスラム教に改宗する者もいた。
ただ、オスマントルコが異教徒に寛大であったため、イベリア半島から受け入れたユダヤ人を加えて、トルコ支配後も4つの宗教が存在するようになった。 -
(10)『ボスニア風コーヒー』
ボスニア風コーヒーは専用の銅のカップにコーヒー豆と水を入れて、沸騰するまで煮立てる。粉が下に沈むのを待ち、ドロッとした苦いコーヒーをやや多めの角砂糖の入った小さなカップに注ぐ。甘くも苦くもあるコーヒーに、たまに交ざるコーヒーの粉が独特な味の変化をつけていた。 -
(11)『サラエボ内戦ツアー』
7/15 11:00ラティンスキー橋近くの旅行代理店(insider)で「失われた時間」のツアーに参加した。3時間でサラエボの内戦のあった現場を廻り、ガイドが解説してくれるというツアーであった。郊外のトンネル博物館も含まれて50マルク(=3000円)はお得であった。
オリンピックスタジアムそばの小高い丘に到着した。サラエボは周囲を山に囲まれた小さな街であり、セルビア軍は内戦時山の上に陣取って街を包囲し、長距離砲によって攻撃を行った。92年から95年の間にサラエボだけで11,000人以上が犠牲となり、そのうち2,000人の子供も犠牲となった。
写真の真ん中の白い部分は墓地である。さらにかつてのサラエボ五輪の補助グラウンドも犠牲者を埋葬する場所がなかったため、現在では墓地となっている。 -
(12)『ホリデイ・イン』
バスはスナイパー通りのホリデイ・インを通り過ぎた。このホリデイ・インは戦時中に砲撃を受けても営業を続けたサラエボ唯一のホテルであった。ホテル内は安全であり、世界中のジャーナリストのたまり場となっていた。
ただし一歩スナイパー通りに出ると、別の高層ビルに潜んだセルビア軍のスナイパーにより、子供や老人も関係なく動くものはすべて狙い撃ちされた。 -
(13)『トンネル博物館』
12:30 郊外のトンネル博物館に到着した。93年に4ヶ月で完成し、全長700mで高さ1.6m・横1mのせまいトンネルである。当時セルビア軍に包囲され孤立しており、サラエボは食糧不足となり物価も高騰していた。
トンネルを抜けた先にあるブラックマーケットでは、街の半値以下の値段で食糧や銃器を買い付け街へと運んだ。街の危険地域を通るため命がけであったが、サラエボの人たちの命をつないだ貴重なトンネルであった。 -
(14)『銃弾の跡が残る民家』
ツアーが終わり、ホリデイ・インの西側のスナイパー通りを歩くことにした。一見きれいに見えるマンションも、よく見るとあたかも壁が標的であったかのように大量の銃弾の跡が残されていた。
そんな事はなかったかのように、ベランダには洗濯物が干され、植物も育てられていた。一本奥の道に入ったサラエボ大学の敷地内では、校舎が破壊されたまま放置されていた。 -
(15)『バシチャルシャ南の住宅地』
バシチャルシャから南へ10分ほど歩くと、人の住まない建物や銃弾の残る家で生活している住宅地を通りがかった。丘を登るにつれて、かつてのセルビア軍との最前線であったことを生々しく伝えていた。
戦禍を免れた家では、銃弾の跡が残りつつも日常生活を送っていた。 -
(16)『ラティンスキー橋』
22:30のドブロヴニク行きの夜行バスまで、バシチャルシャを散策することにした。21:00を過ぎようやく暗くなり、ラティンスキー橋がライトアップされていた。
ここは1914年にボスニアを統治していたハプスブルク帝国の皇太子を狙撃し、第一次世界大戦が始まるきっかけとなった橋である。歴史に名を残す橋の割には小さいことに驚いた。
サラエボでは建物などの復興が進み、約20年前にあった内戦は遠い過去のように思えた。しかし一方で、壁に残された銃弾のように心や記憶の中にはまだ癒される事のない傷跡が残っているようにも思われた。
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