2017/07/19 - 2017/07/24
1029位(同エリア2647件中)
mingさん
本場のエッグタルトに感動し、大航海時代の歴史に触れ、ファドでゆったりとした時間を過ごし、ロカ岬で大西洋の強風を体感したりと、ポルトガルを満喫した4日間であった。
【生活費】6万円
【飛行機】12万円
【通貨単位】1ユーロ=135円
【英語通用度】全員
【旅程】6日間
7/19成田
7/20リスボン
7/21ポルト
7/22リスボン
7/23リスボン
7/24帰国
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
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-
(1)『リスボンに到着』
7/20 10:30リスボン空港に到着した。
写真は、ジェロニモス修道院や発見のモニュメントなどの大航海時代の遺構が集結したベレン地区上空である。
旅の起点となるバイシャ地区のホテルに荷物を置いて、市西部のベレン地区へと向かった。 -
(2)『パステイス・デ・ベレン』
14:15 ロシオ広場発#714のバスに30分乗車し、ベレン地区に到着した。
エッグタルトで有名なパステイス・デ・ベレンは1837年創業で、ジェロニモス修道院で発明された小さなクリームパイのレシピを現愛に伝える老舗菓子店である。 -
(3)『本場のエッグタルト』
いつも行列が絶えないので、いつでも焼きたてのエッグタルトが食べられる。
イートインは400席ほどあるが、順番待ちとなった。
5分ほどで、待ちに待った焼きたてのエッグタルト(1.10ユーロ=148円)が登場した。
400℃で短時間に焼くためパリッとしたパイ皮の中に、甘さを抑えたシルキーなクリームがふわふわで味も食感もバランスが絶妙で感動する一品であった。 -
(4)『ジェロニモス修道院』
15:20 ジェロニモス修道院に到着した。
1502年にエンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえ、マヌエル1世の命によって着工された。
ジェロニモス修道院のハイライトは繊細な彫刻を施したアーチのある回廊である。
縄の結び目、波、珊瑚、異国の植物などが極めて詳細かつリアルに描かれている。
大航海時代の栄華がこの回廊にすべて凝縮されている。 -
(5)『ベレンの塔』
ベレンの塔は、遠い東洋やブラジルから苦難の末に故国にたどり着いた船長や軍人、船乗りたちを歓迎するために、1520年に建造された。
15世紀に始まった大航海時代は、エンリケ航海王子から4代に渡る国家事業として熱心で有能な王室の後継者に引き継がれていった。
1415年のエンリケ航海王子によるセウタ攻略によって、海外進出事業の土台を作った。
1487年にバルトメウ・ディアスが、暴風雨によってアフリカ最南端の喜望峰を偶然発見した。
1489年にエチオピアに派遣されたペロ・ド・コヴィリャンから、マダガスカルから偏西風に乗ってインド洋を一気に横断するルートがジョアン2世に報告されている。
その後を継いだマヌエル1世は、インド洋進出に対して多数の反対意見を押し切って、ヴァスコ・ダ・ガマに4隻の船(メインのカラベル船、補給用の随伴船、2隻の新造船)を用意した。 -
(6)『発見のモニュメント』
発見のモニュメントは、1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念して造られた。
16世紀にポルトガルはブラジルからインドまで広がる海洋王国を築き上げた。
その幕を切って落としたのは英雄ヴァスコ・ダ・ガマである。
1497年7月8日に、ヴァスコ・ダ・ガマがベレンから出帆して行った。
乗組員は約150人、4隻の船は修理を考慮して部品などに互換性を持たせていた。
逆風やアラビア商人の妨害を乗り越え、同年11月22日に喜望峰を通過した。
モザンビーク近辺で優れた水先案内人を雇い、南西の季節風に乗って1498年5月20日、ついに10ヵ月余の航海の末にインド東海岸のカリカットに到着した。
1499年9月に乗組員の3分の2が亡くなるという大変な苦労の末リスボンに帰省した。
その後のイスラム艦隊を殲滅し、エジプトからヴェネチアへと流れる香料ルートが遮断された。
ヴァスコ・ダ・ガマの航海の結果、インドからヨーロッパに持ち込まれる香料の4分の1がリスボンに持ち込まれるようになり、潤沢な富をもたらすこととなった。 -
(7)『ポルト到着』
7/21 11:00リスボンから3時間特急に乗り、ポルトのカンパニャン駅に到着した。
ポルトはローマ帝国の時代に重要な港町として発展した。
その時代にカレと呼ばれていたことから、カレの港「ポルトゥ・カレ」がポルトガルの由来となった。 -
(8)『かわいらしい観光バス』
11:30 旅の拠点となるアリアドス駅着に到着した。
ポルトの街を歩いていると、かわいらしい観光バスに遭遇した。
のどかな気分になったひと時であった。 -
(9)『トリペイロのモツ煮込み』
12:30 ポルト名物のモツ煮込みのランチを食べにトリペイロへ向かった。
モツがとても柔らかくクセもないため、ミネストローネスープに溶け込み、とても美味しかった。
モツ煮込みの由来は14世紀半ばにアフリカ北岸へ遠征航海を行っていた頃に遡る。
市民は町の中の肉類をすべて旅立つ船に持たせ、自分たちは残りの臓物で我慢したところが、トリッパ(=モツ)喰いのポルト人を意味する「トリペイロ」の由来となっている。 -
(10)『サン・ベント駅のアズレージョ』
20世紀初めに開業したサン・ベント駅のコンコースを飾るアズレージョ(=タイル装飾)は駅舎の装飾とは思えないほど豪華で、ポルトにまつわる歴史的な出来事が描かれている。
セウタ攻略のアズレージョ(写真)では、1415年のアフリカ北西端のセウタ遠征でのポルト生まれのエンリケ航海王子の勇姿が描かれている。 -
(11)『グァラニのレアチーズケーキ』
14:00 サンベント駅で翌朝のリスボン行きの電車を予約した後、グアラニでチーズケーキを食べた。
カップに入っており、固まっておらず、とても新鮮なチーズケーキが味わえた。
スイーツはどこもレベルが高く、石畳の街の散策と並んでスイーツの食べ比べはポルトガル旅行の醍醐味である。 -
(12)『ドン・ルイス1世橋』
15:10 メトロでジャルディン・ド・モーロ駅に到着した。
1886年にギュスターヴ・エッフェルの弟子のテオフィロ・セイリグによって設計された。
ドウロ川北岸の旧市街が丘(写真の右上)となっており、標高差があるポルトの街並みを考慮した二段構造となっているのが特徴的である。
上層は歩行者とメトロ用に、下層は自動車と歩行者用になっている。
高台にある修道院からの風景は、バロック様式の昔ながらの街並みに鋼鉄の橋が違和感なく馴染んでいるように感じられた。 -
(13)『ドウロ川とポルトの繁栄』
17世紀末にイギリス貴族間で流行したポートワインの輸出の急増によってポルトをさらなる繁栄へと導いた。
ドウロ川流域で収穫されたブドウを原料とした甘い食後酒によって、ポルトの街並みを彩るバロック建築や、教会内部の豪華な装飾などがもたらされたといっても過言ではない。 -
(14)『レロ・エ・イルマオン』
19:00 ハリーポッターの魔法学校のモデルとなったレロ・エ・イルマオン(入場料3ユーロ=405円)に到着した。
円形となった階段や凝ったインテリアなど本屋とは思えない幻想的な構造で、中世に迷い込んだような不思議な感覚が味わえる空間であった。 -
(15)『サント・ファド』
ホテルにあったファドのチラシの「ミニマムチャージ15ユーロ(=2.025円)で本格的なファドが楽しめます!」との記載を見てその日の昼に予約をした。
(リスボンではミニマムチャージが最低30ユーロであった。)
サント・ファドは地下のファド専用の部屋で、20:50から25分を4ステージとトークや休憩をはさみつつ、ギター生演奏とともにファド独特なゆったりとした時間が流れた。
今日の歌手はクラウディア・マデイラ(claudia madeira)でとても有名らしい。
母もファドの歌手で、「ファドは悲しい歌が多いが、ファドを歌っている時は母と一緒にいる気分になれるから、私はとても好きだ。」と、ファドに込められた思いが歌を通して感じられた。 -
(16)『ペーナ宮殿に到着』
7/22 13:45 午前中にリスボンへと戻り、ロシオ駅から45分乗車してシントラ駅に到着した。
さらに周遊バス(15.5ユーロ=2,092円)#434に乗車し、ペーナ宮殿(14ユーロ=1,890円)に到着した。
赤や黄色の色合いが印象的で、建築様式もイスラム・ゴシック・ルネッサンス・マヌエルなどが混ざり合い、おとぎ話の世界に迷い込んだような雰囲気であった。 -
(17)『ロカ岬に到着』
17:30 シントラ駅から#403のバスに40分乗車し、ロカ岬に到着した。
西経9度30分のユーラシア大陸の西の果てには、ポルトガルの詩人カモンイスの大叙事詩『ウズ・ルジアダス』の一節が石碑に刻まれている。
「AQUI... ONDE A TERRA SE ACABA E O MAR COMECA(=ここで陸地果て、海始まる)」(写真2段目) -
(18)『ユーラシア大陸の最西端』
ロカ岬は緑の草原の大地が高さ140mほどの断崖になり、大西洋に落ちている。
沖から寄せる白い波がアクセントとなっている。
大西洋の強風を体感して、インドやブラジルへの航海の大変さを実感するとともに、15分ほどの滞在で早々に帰路についた。
沢木耕太郎氏の『深夜特急』で目指したのは、ユーラシア大陸南西端のサグレス岬だと後に知ったが、ユーラシア大陸の果ての雰囲気を味わえたので満足であった。 -
(19)『サンタ・ジェスタのエレベータ』
7/23 10:00バイシャ地区中心のロシオ駅から南へ徒歩5分ほどの所にある、サンタ・ジェスタのエレベータ(5.15ユーロ=695円)に到着した。
20世紀初頭にエッフェルの弟子のフランス人建築家によって造られ、高さが45mありランドマーク的な役割を果たしている。
巨大な鉄塔の内部はクラシックな木製造りとなっており、レトロ感あふれるエレベータであった。
頂上は展望台になっており、リスボンのオレンジ色の街並みが一望できる絶景ポイントとなっている。 -
(20)『カテドラル』
12:00 路面電車#28に乗車して、ロシオ広場から東のアルファマ地区にあるカテドラルに到着した。
カテドラルは、リスボンをイスラム教徒から奪還した12世紀にモスクの跡地に建設された。
砦の役割もあったため、1755年のリスボン大地震でも崩れないほど頑丈な造りであった。
路面電車とカテドラルのツーショットは、いかにもリスボンらしい風景であった。
エッグタルトに感動し、大航海時代の歴史に触れ、ロカ岬で大西洋の強風を体感したりと、ポルトガルを満喫した4日間であった。
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