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迷路のような細い路地は400年間トレドを支配したイスラーム時代の名残である。16世紀で歩みを止めたトレド街並みはエル・グレコの描いた景色そのままの姿を残していた。<br />【生活費】10万円<br />【飛行機】15万円<br />【通貨単位】1ユーロ=160円<br />【英語通用度】4人に1人<br />【旅程】10日間<br />3/20マドリッド<br />3/21マドリッド→トレド→グラナダ<br />3/22グラナダ→アルヘシラズ<br />3/23アルヘシラズ→タンジェ→カサブランカ→マラケシュ(車中泊)<br />3/24マアミド→サハラ砂漠<br />3/25サハラ砂漠→マアミド→マラケシュ<br />3/26マラケシュ<br />3/27マラケシュ→カサブランカ<br />3/28カサブランカ<br />3/29帰国

【4】旅行記2 (1)古都トレド日帰りの旅

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2007/03/20 - 2007/03/21

532位(同エリア813件中)

旅行記グループ ヨーロッパ

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ming

mingさん

迷路のような細い路地は400年間トレドを支配したイスラーム時代の名残である。16世紀で歩みを止めたトレド街並みはエル・グレコの描いた景色そのままの姿を残していた。
【生活費】10万円
【飛行機】15万円
【通貨単位】1ユーロ=160円
【英語通用度】4人に1人
【旅程】10日間
3/20マドリッド
3/21マドリッド→トレド→グラナダ
3/22グラナダ→アルヘシラズ
3/23アルヘシラズ→タンジェ→カサブランカ→マラケシュ(車中泊)
3/24マアミド→サハラ砂漠
3/25サハラ砂漠→マアミド→マラケシュ
3/26マラケシュ
3/27マラケシュ→カサブランカ
3/28カサブランカ
3/29帰国

旅行の満足度
4.0
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.5
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
鉄道

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  • (1)『マドリッド到着』<br />3/20 18:00マドリッド・バラハス空港に到着した。空港に連結している地下鉄に乗り、ホテルのあるセビージャ駅へと向かった。<br />予約したオスタル・ビラールは、スペインでは珍しく英語が通じる点で宿泊することにした。

    (1)『マドリッド到着』
    3/20 18:00マドリッド・バラハス空港に到着した。空港に連結している地下鉄に乗り、ホテルのあるセビージャ駅へと向かった。
    予約したオスタル・ビラールは、スペインでは珍しく英語が通じる点で宿泊することにした。

  • (2)『バールで朝食』<br />3/21 8:00にホテルをチェックアウトし、近くのバールで朝食をとった。コーヒーとチュロスで3ユーロ(=480円)であった。<br />その日のトレドとグラナダ行きのチケットをとりにいくため、アトーチャ駅へ向かった。

    (2)『バールで朝食』
    3/21 8:00にホテルをチェックアウトし、近くのバールで朝食をとった。コーヒーとチュロスで3ユーロ(=480円)であった。
    その日のトレドとグラナダ行きのチケットをとりにいくため、アトーチャ駅へ向かった。

  • (3)『アトーチャ駅』<br />8:30にアトーチャ駅に到着し、荷物をロッカー(2.4ユーロ)に入れ、チケット売場へ向かった。<br />トレド行き(行き:8.60ユーロ、帰り:5.15ユーロ)と、夜のグラナダ行き(59.80ユーロ)を購入し、9:20発の高速列車で早速トレドへと向かった。

    (3)『アトーチャ駅』
    8:30にアトーチャ駅に到着し、荷物をロッカー(2.4ユーロ)に入れ、チケット売場へ向かった。
    トレド行き(行き:8.60ユーロ、帰り:5.15ユーロ)と、夜のグラナダ行き(59.80ユーロ)を購入し、9:20発の高速列車で早速トレドへと向かった。

  • (4)『レンフェでトレドへ』<br />トレドへはバスで行くと1時間20分ほどかかるが、高速列車のレンフェは35分で到着した。<br />天気も良く、「世界の車窓」さながらの田園風景が広がっていた。

    (4)『レンフェでトレドへ』
    トレドへはバスで行くと1時間20分ほどかかるが、高速列車のレンフェは35分で到着した。
    天気も良く、「世界の車窓」さながらの田園風景が広がっていた。

  • (5)『カテドラル』<br />トレドは周りをタホ川に囲まれ、560年に西ゴート王国の首都となった。その後1492年までイスラム教徒とキリスト教徒によって支配され、その文化の影響を深く残していた。<br />1561年に首都がマドリッドに移りまで、政治・経済の中心地として発展した。

    (5)『カテドラル』
    トレドは周りをタホ川に囲まれ、560年に西ゴート王国の首都となった。その後1492年までイスラム教徒とキリスト教徒によって支配され、その文化の影響を深く残していた。
    1561年に首都がマドリッドに移りまで、政治・経済の中心地として発展した。

  • (6)『アルカンタラ橋』<br />駅から20分ほど歩き、入口のアルカンタラ橋に到着した。<br />街の東のアルカンタラ橋は、788年にイスラム教徒によって造られた。<br />アルカンタラは、アラビア語でアーチを意味する。<br />街の西にあるサン・マルティン橋と合わせ、かつては東西2つの橋だけがトレドへの入口であった。

    (6)『アルカンタラ橋』
    駅から20分ほど歩き、入口のアルカンタラ橋に到着した。
    街の東のアルカンタラ橋は、788年にイスラム教徒によって造られた。
    アルカンタラは、アラビア語でアーチを意味する。
    街の西にあるサン・マルティン橋と合わせ、かつては東西2つの橋だけがトレドへの入口であった。

  • (7)『古都トレドの街並み』<br />街の中は細い道が入り組み、伝統工芸品のおみやげ屋やゴシック様式の建物が並んでいる。<br />迷路のような細い路地は、8世紀から400年間トレドを支配したイスラーム時代の名残である。

    (7)『古都トレドの街並み』
    街の中は細い道が入り組み、伝統工芸品のおみやげ屋やゴシック様式の建物が並んでいる。
    迷路のような細い路地は、8世紀から400年間トレドを支配したイスラーム時代の名残である。

  • (8)『ルネサンスに影響を与えたトレド』<br />トレドは14世紀のルネサンスに大きな影響を与えたと言われている。<br />中世ではヨーロッパよりもイスラームの方が学問が進んでおり、イスラームの医学や天文学などを積極的に翻訳し、コペルニクスの唱えた地動説にも影響を与えたと言われている。<br />トレドにしかない書物を求めてヨーロッパの知識人が殺到し、図書館にこもって本を書き写していった。<br />古都トレドを起点として、最先端の知識がヨーロッパ各地に広がり、ルネサンスの土台を築いていった。

    (8)『ルネサンスに影響を与えたトレド』
    トレドは14世紀のルネサンスに大きな影響を与えたと言われている。
    中世ではヨーロッパよりもイスラームの方が学問が進んでおり、イスラームの医学や天文学などを積極的に翻訳し、コペルニクスの唱えた地動説にも影響を与えたと言われている。
    トレドにしかない書物を求めてヨーロッパの知識人が殺到し、図書館にこもって本を書き写していった。
    古都トレドを起点として、最先端の知識がヨーロッパ各地に広がり、ルネサンスの土台を築いていった。

  • (9)『パエージャ・ランチ』<br />街を歩いていると、「パエージャ 6.10ユーロ(=976円)」の看板を発見した。10年前にバルセロナで、「パエージャは2人前からしか作らないよ。」と断られ、10年越しに本場のパエージャを食べるというリベンジを果たすことができた。<br />できるまで30分かかったため、食べ終わるまで1時間ほどかかってしまった。結局、トレド滞在2時間のうちパエージャが半分を占めてしまった。

    (9)『パエージャ・ランチ』
    街を歩いていると、「パエージャ 6.10ユーロ(=976円)」の看板を発見した。10年前にバルセロナで、「パエージャは2人前からしか作らないよ。」と断られ、10年越しに本場のパエージャを食べるというリベンジを果たすことができた。
    できるまで30分かかったため、食べ終わるまで1時間ほどかかってしまった。結局、トレド滞在2時間のうちパエージャが半分を占めてしまった。

  • (10)『アラベスク模様』<br />トレドを取り戻した王は宮殿の1つをここに置き、イスラームとの共存を図った。店内にも幾何学模様が施されており、キリスト教とイスラームが混ざり合い、2つの顔を持つ不思議な街が誕生した。

    (10)『アラベスク模様』
    トレドを取り戻した王は宮殿の1つをここに置き、イスラームとの共存を図った。店内にも幾何学模様が施されており、キリスト教とイスラームが混ざり合い、2つの顔を持つ不思議な街が誕生した。

  • (11)『対岸の風景』<br />トレドの街は、エル・グレコの傑作である「トレドの景観と地図」と変わることのない16世紀の景色をそのままの姿で残していた。<br />エル・グレコという名は本名とばかり思っていたが、ドメニコス・テオトコプーロスが本名で、ギリシャ人を意味する通称であると聞いた時には驚きであった。

    (11)『対岸の風景』
    トレドの街は、エル・グレコの傑作である「トレドの景観と地図」と変わることのない16世紀の景色をそのままの姿で残していた。
    エル・グレコという名は本名とばかり思っていたが、ドメニコス・テオトコプーロスが本名で、ギリシャ人を意味する通称であると聞いた時には驚きであった。

  • (12)『ソフィア王妃芸術センター』<br />13:30にマドリッドに到着し、ピカソのゲルニカで有名なソフィア王妃芸術センターへ向かった。縦3.5m×横7.8mのキャンバスに超巨大な絵画が展示されていた。<br />ゲルニカはスペイン北部のバスク国の小都市で、1937年4月ナチスによって、史上初めての都市無差別空爆が行われた。人口6000人のうち約600人が犠牲となった。ピカソは、あえて血の色を見せなかったことで戦争の悲惨さを強調させた。<br />その後、プラド美術館を1時間半ほど見て回った後、19:05発の高速列車タルゴでグラナダへと向かった。

    (12)『ソフィア王妃芸術センター』
    13:30にマドリッドに到着し、ピカソのゲルニカで有名なソフィア王妃芸術センターへ向かった。縦3.5m×横7.8mのキャンバスに超巨大な絵画が展示されていた。
    ゲルニカはスペイン北部のバスク国の小都市で、1937年4月ナチスによって、史上初めての都市無差別空爆が行われた。人口6000人のうち約600人が犠牲となった。ピカソは、あえて血の色を見せなかったことで戦争の悲惨さを強調させた。
    その後、プラド美術館を1時間半ほど見て回った後、19:05発の高速列車タルゴでグラナダへと向かった。

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