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今回見学した五つ目の世界遺産の紹介です。チュニジア最大のローマ遺跡、ドゥッガ紹介の続きです。

2010夏、チュニジア旅行記(30/34):7月10日(10):ドゥッガ:神殿址、風の広場

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2010/07/07 - 2010/07/12

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旅人のくまさん

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今回見学した五つ目の世界遺産の紹介です。チュニジア最大のローマ遺跡、ドゥッガ紹介の続きです。

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観光バス

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  • 劇場址の見学の次は、神殿の見学です。その建物が前方に見えてきました。ユネスコの公式ページには、大劇場(The big theatre)や神殿(The Capitol)を始め、21の施設がリストアップされていました。<br />

    劇場址の見学の次は、神殿の見学です。その建物が前方に見えてきました。ユネスコの公式ページには、大劇場(The big theatre)や神殿(The Capitol)を始め、21の施設がリストアップされていました。

  • 神殿の側面の光景です。ユネスコの公式ページでは、この辺りの海抜は550メートルと紹介されていました。全盛期には、1万人位が暮らしていたようです。遺跡のコアゾーンは70ヘクタール、バッファゾーンは80ヘクタールとも記されていました。

    神殿の側面の光景です。ユネスコの公式ページでは、この辺りの海抜は550メートルと紹介されていました。全盛期には、1万人位が暮らしていたようです。遺跡のコアゾーンは70ヘクタール、バッファゾーンは80ヘクタールとも記されていました。

  • ローマ時代の神殿址に到着しました。その側面光景です。正面は左手になります。神殿の建設年は、紀元166年と特定されているようです。それほど大きくはありませんが、ローマ時代の特徴を留めた遺跡とされます。

    ローマ時代の神殿址に到着しました。その側面光景です。正面は左手になります。神殿の建設年は、紀元166年と特定されているようです。それほど大きくはありませんが、ローマ時代の特徴を留めた遺跡とされます。

  • 正面から眺めた神殿の光景です。ユネスコの公式ページには、柱と壁部分の高さ10メートル、荘重な6本の柱列と記されていました。6メートルほどの三神の大理石像は、現在はバルドー博物館にあるようです。

    正面から眺めた神殿の光景です。ユネスコの公式ページには、柱と壁部分の高さ10メートル、荘重な6本の柱列と記されていました。6メートルほどの三神の大理石像は、現在はバルドー博物館にあるようです。

  • 神殿の破風部分のアップです。西洋建築における切り妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分、和風建築では破風と呼んでいますが、ペディメントと呼ぶようです。ペディメントの特徴は、彫刻にあります。この神殿にも、レリーフの彫刻が見えます。

    神殿の破風部分のアップです。西洋建築における切り妻屋根の、妻側屋根下部と水平材に囲まれた三角形の部分、和風建築では破風と呼んでいますが、ペディメントと呼ぶようです。ペディメントの特徴は、彫刻にあります。この神殿にも、レリーフの彫刻が見えます。

  • 更にアップした破風の光景です。ぺディメントは、古代ギリシアの神殿建築が原型とされますが、古代ローマも、それに倣いました。中世時代には廃れましたが、ルネサンス時代に復活しました。教会や公共施設の正面入り口に使われるようになりました。

    更にアップした破風の光景です。ぺディメントは、古代ギリシアの神殿建築が原型とされますが、古代ローマも、それに倣いました。中世時代には廃れましたが、ルネサンス時代に復活しました。教会や公共施設の正面入り口に使われるようになりました。

  • 神殿の側面の光景です。こちら側が北側に当たるのでしょうか。神殿の一部である、背丈以上の石壁がありました。

    神殿の側面の光景です。こちら側が北側に当たるのでしょうか。神殿の一部である、背丈以上の石壁がありました。

  • コリント式の石柱と、その上の梁の光景です。ウィキペディアには、19世紀の神殿の写真がありましたが、柱などは直立し、梁なども残っている写真です。

    コリント式の石柱と、その上の梁の光景です。ウィキペディアには、19世紀の神殿の写真がありましたが、柱などは直立し、梁なども残っている写真です。

  • 部分的にアップした神殿の光景です。石柱の色と対比して、場違いと見えるような黒い石材が横たわっていました。

    部分的にアップした神殿の光景です。石柱の色と対比して、場違いと見えるような黒い石材が横たわっていました。

  • 同じく、部分的にアップした神殿の光景です。石柱の上部の構造です。逆光での撮影となりましたが、細かな彫刻も見えました。

    同じく、部分的にアップした神殿の光景です。石柱の上部の構造です。逆光での撮影となりましたが、細かな彫刻も見えました。

  • こちらが南側になるのでしょうか、神殿の石柱の先端部分のアップです。石柱は右側の前列が4本、その後ろの列が2本、合計6本です。

    こちらが南側になるのでしょうか、神殿の石柱の先端部分のアップです。石柱は右側の前列が4本、その後ろの列が2本、合計6本です。

  • 神殿の一番奥の光景です。ドーム型の窪みがありました。大きな石を使ったくさび構造のアーチです。恐らく、この場所に神殿の祭神像が祀られていたのでしょう。ユネスコ公式ページには、Jupiter(ジュピター:ユーピテル)、Juno(ジュノー:ユーノー) とMinerva(ミネルヴァ:ミネルウァ)の三神が祀られていたと記されていました。

    神殿の一番奥の光景です。ドーム型の窪みがありました。大きな石を使ったくさび構造のアーチです。恐らく、この場所に神殿の祭神像が祀られていたのでしょう。ユネスコ公式ページには、Jupiter(ジュピター:ユーピテル)、Juno(ジュノー:ユーノー) とMinerva(ミネルヴァ:ミネルウァ)の三神が祀られていたと記されていました。

  • 祭神の姿はりませんでしたが、アーチの上にはドバトがとまっていました。フンの痕が見えますから、ねぐらにしているのでしょうか。英語読みのジュピターは主神、ジュノーは女神、そしてミネルヴァも女神です。

    祭神の姿はりませんでしたが、アーチの上にはドバトがとまっていました。フンの痕が見えますから、ねぐらにしているのでしょうか。英語読みのジュピターは主神、ジュノーは女神、そしてミネルヴァも女神です。

  • 『風の広場』付近の遺跡光景です。1、2メートルで折れた石柱が、十数本立っていました。建物跡を示しているのでしょうか。その奥には、先端が斜めになった保存状態がよさそうな石積みが見えます。

    『風の広場』付近の遺跡光景です。1、2メートルで折れた石柱が、十数本立っていました。建物跡を示しているのでしょうか。その奥には、先端が斜めになった保存状態がよさそうな石積みが見えます。

  • 同じく、『風の広場』付近の遺跡光景です。首のない像が石段の上にありました。その葉に語には、四角や丸い石柱が見えます。

    同じく、『風の広場』付近の遺跡光景です。首のない像が石段の上にありました。その葉に語には、四角や丸い石柱が見えます。

  • 残念ながら頭が無くなってい田石像のアップです。切り取られ、持ち去られたのでしょうか。神官ではなく、当時の為政者の像のように見えます。

    残念ながら頭が無くなってい田石像のアップです。切り取られ、持ち去られたのでしょうか。神官ではなく、当時の為政者の像のように見えます。

  • 大きな建物跡を示しているのでしょうか、長方形の断面の石柱が立ち並んでいました。丸い石柱もその足元にあります。横たえられた石材も大型です。

    大きな建物跡を示しているのでしょうか、長方形の断面の石柱が立ち並んでいました。丸い石柱もその足元にあります。横たえられた石材も大型です。

  • 保存状態がいい小さめの建物です。木の扉がありました。最近まで人が棲んでいた証しでしょうか。屋根の上の小さな三角形の飾りも健在です。<br />

    保存状態がいい小さめの建物です。木の扉がありました。最近まで人が棲んでいた証しでしょうか。屋根の上の小さな三角形の飾りも健在です。

  • 神殿近くにある『風の広場』の光景です。ユネスコの公式頁には、『Square of Winds』と記されていました。

    神殿近くにある『風の広場』の光景です。ユネスコの公式頁には、『Square of Winds』と記されていました。

  • 『風の広場』の石畳の光景です。方角が12に分けて、文字で記してあります。その一つです。石の上にコンパスを使ったらしい同心円が刻まれていました。

    『風の広場』の石畳の光景です。方角が12に分けて、文字で記してあります。その一つです。石の上にコンパスを使ったらしい同心円が刻まれていました。

  • 同じく、『風の広場』の床の光景です。この文字ではありませんが、例えば『アフリカ』の風等のような表示もあるようです。

    同じく、『風の広場』の床の光景です。この文字ではありませんが、例えば『アフリカ』の風等のような表示もあるようです。

  • 『風の広場』の光景です。快晴に恵まれ、石畳の上にくっきりと建物の影が映っていました。

    『風の広場』の光景です。快晴に恵まれ、石畳の上にくっきりと建物の影が映っていました。

  • 左手が『石の広場』、その右は別の施設のようです。その境には段差があり、石柱の基礎が置かれていました。正面奥に、人が住んでいたらしい、保存状態の良い小さな建物が見えています。

    左手が『石の広場』、その右は別の施設のようです。その境には段差があり、石柱の基礎が置かれていました。正面奥に、人が住んでいたらしい、保存状態の良い小さな建物が見えています。

  • 『風の広場』付近の遺跡光景です。背の高い遺跡は見当たりませんが、石畳の広場の保存状態は申し分ありません。

    『風の広場』付近の遺跡光景です。背の高い遺跡は見当たりませんが、石畳の広場の保存状態は申し分ありません。

  • 神殿付近の遺跡光景です。近年までこの辺りに棲んでいた人達は、世界遺産に登録されたことで居住地を替えたとされます。

    神殿付近の遺跡光景です。近年までこの辺りに棲んでいた人達は、世界遺産に登録されたことで居住地を替えたとされます。

  • 世界遺産のマークが入った金具です。ロープを張るためのものでした。下部がしっかりと重石に固定されていました。

    世界遺産のマークが入った金具です。ロープを張るためのものでした。下部がしっかりと重石に固定されていました。

  • 神殿から眺めた遺跡とその周辺の光景です。背後には、斜面に沿ってオリーブ畑が広がっていました。その斜面の所々に住居跡らしいものが見えます。

    神殿から眺めた遺跡とその周辺の光景です。背後には、斜面に沿ってオリーブ畑が広がっていました。その斜面の所々に住居跡らしいものが見えます。

  • 同じく、神殿から眺めた遺跡とその周辺の光景です。赤茶けた場所は、耕作地でしょうか。その間を縫う小道が見えました。

    同じく、神殿から眺めた遺跡とその周辺の光景です。赤茶けた場所は、耕作地でしょうか。その間を縫う小道が見えました。

  • 同じく、アングルを変えて神殿から眺めた、遺跡とその周辺の光景です。修復作業が着手されていない石材が転がっていました。

    同じく、アングルを変えて神殿から眺めた、遺跡とその周辺の光景です。修復作業が着手されていない石材が転がっていました。

  • 神殿周りの遺跡の光景です。礎石や壁の址がありますが、建物の全体イメージは湧きません。持ち去られた石材が多いのでしょうか。あるいは、別の場所に運ばれ、片づけられたのでしょうか。

    神殿周りの遺跡の光景です。礎石や壁の址がありますが、建物の全体イメージは湧きません。持ち去られた石材が多いのでしょうか。あるいは、別の場所に運ばれ、片づけられたのでしょうか。

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