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京都の世界遺産、清水寺紹介の続きです。清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の一つとされます。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場とされます。<br />清水寺に関することで、私の記憶に一番残っているのは、107歳の長寿を全うされた大西良慶師のTV出演での一言でした。生死に関する質問に答え、『人間生まれてきたから、死ぬ』と喝破されていました。100歳を超えられた昭和50年代のことだったと記憶しています。<br />今改めて、大西良慶師が残された名言を紐解きましたら、『ほっといたって、人問いつか死によるんやから、死ぬことなんか考えてないの!』の言葉がありました。ほかにも、『花は咲き、鳥は鳴き、虫は這い、すべて″今″に満足している。やっぱり″今″が最高やな』等の金言もありました。<br />

2010春、清水寺(2/4):本堂、大黒天、地主神社、百体地蔵堂、阿弥陀堂、奥の院

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2010/05/16 - 2010/05/16

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旅行記グループ 2010春~夏、京都散策

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

京都の世界遺産、清水寺紹介の続きです。清水寺は法相宗(南都六宗の一)系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺とともに、平安京遷都以前からの歴史をもつ、京都では数少ない寺院の一つとされます。また、石山寺(滋賀県大津市)、長谷寺(奈良県桜井市)などと並び、日本でも有数の観音霊場とされます。
清水寺に関することで、私の記憶に一番残っているのは、107歳の長寿を全うされた大西良慶師のTV出演での一言でした。生死に関する質問に答え、『人間生まれてきたから、死ぬ』と喝破されていました。100歳を超えられた昭和50年代のことだったと記憶しています。
今改めて、大西良慶師が残された名言を紐解きましたら、『ほっといたって、人問いつか死によるんやから、死ぬことなんか考えてないの!』の言葉がありました。ほかにも、『花は咲き、鳥は鳴き、虫は這い、すべて″今″に満足している。やっぱり″今″が最高やな』等の金言もありました。

交通手段
高速・路線バス 新幹線
  • 本堂の建物の裏側付近にあった額です。『慈眼視衆生福崇聚海無量』の十文字です。観音経の一節です。観音菩薩は一切の功徳を備えて、『慈悲の眼によって生ける者たちを見る。その福徳は海がごとく無量である』との意味のようです。

    本堂の建物の裏側付近にあった額です。『慈眼視衆生福崇聚海無量』の十文字です。観音経の一節です。観音菩薩は一切の功徳を備えて、『慈悲の眼によって生ける者たちを見る。その福徳は海がごとく無量である』との意味のようです。

  • 本堂の付近での撮影が続きます。修復工事中の建物の状況です。外周りに、これを覆う屋根が造られていました。『素屋根』と呼ばれているようです。

    本堂の付近での撮影が続きます。修復工事中の建物の状況です。外周りに、これを覆う屋根が造られていました。『素屋根』と呼ばれているようです。

  • 実用品ではない巨大な錫杖です。錫杖は、遊行僧が携帯する道具、比丘十八物の一つです。鉄製の履物もセットで置いてありました。

    実用品ではない巨大な錫杖です。錫杖は、遊行僧が携帯する道具、比丘十八物の一つです。鉄製の履物もセットで置いてありました。

  • 『国宝・本堂』の真新しい立札です。近世の清水寺は、『三職六坊』と呼ばれる組織によって維持運営されていました。『三職』とは、寺主に当たる『執行』、副寺主に当たる『目代』、寺の維持管理や門前町の支配などを担当する『本願』を指します。執行職は宝性院、目代職は慈心院、本願職は成就院がそれぞれ務めました。『六坊』はこれに次ぐ寺格で、義乗院、延命院、真乗院、智文院、光乗院、円養院の六つの寺院です。

    『国宝・本堂』の真新しい立札です。近世の清水寺は、『三職六坊』と呼ばれる組織によって維持運営されていました。『三職』とは、寺主に当たる『執行』、副寺主に当たる『目代』、寺の維持管理や門前町の支配などを担当する『本願』を指します。執行職は宝性院、目代職は慈心院、本願職は成就院がそれぞれ務めました。『六坊』はこれに次ぐ寺格で、義乗院、延命院、真乗院、智文院、光乗院、円養院の六つの寺院です。

  • 外から撮影できた大黒様です。大黒天は、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラが原点とされます。

    外から撮影できた大黒様です。大黒天は、ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラが原点とされます。

  • 外から撮影した本堂の光景です。修復工事の際に不要となった古い柱でしょうか。『奥の院・舞台古柱』等の立札がありました。

    外から撮影した本堂の光景です。修復工事の際に不要となった古い柱でしょうか。『奥の院・舞台古柱』等の立札がありました。

  • 本堂から眺めた奥の院の光景です。奥の院は、本堂と同時期の、江戸時代初期の寛永10年(1633年)に再建された重要文化財です。<br />

    本堂から眺めた奥の院の光景です。奥の院は、本堂と同時期の、江戸時代初期の寛永10年(1633年)に再建された重要文化財です。

  • 続いて、新緑に囲まれた奥の院の光景です。『奥の千手堂』とも呼ばれます。本尊の千手観音と脇侍地蔵菩薩、毘沙門天、二十八部衆、風神や雷神等を祀ります。

    イチオシ

    続いて、新緑に囲まれた奥の院の光景です。『奥の千手堂』とも呼ばれます。本尊の千手観音と脇侍地蔵菩薩、毘沙門天、二十八部衆、風神や雷神等を祀ります。

  • 少し場所を替えて本堂から撮影した、奥の院の光景です。清水寺開創を起縁する、音羽の滝の真上に建ちます。

    少し場所を替えて本堂から撮影した、奥の院の光景です。清水寺開創を起縁する、音羽の滝の真上に建ちます。

  • 少し斜めからアップした奥の院です。真言宗兼学兼宗を伝統して、弘法大師像も祀ってあります。この後、見学しました。

    少し斜めからアップした奥の院です。真言宗兼学兼宗を伝統して、弘法大師像も祀ってあります。この後、見学しました。

  • 奥の院の舞台のアップです。本堂を眺めるには格好の場所です。人で溢れていました。

    イチオシ

    奥の院の舞台のアップです。本堂を眺めるには格好の場所です。人で溢れていました。

  • 本堂の濡れ縁に相当する部分の光景です。この場所にいるときは感じませんでしたが、、奥の院から振り返った景色は、さすがに清水の舞台でした。

    本堂の濡れ縁に相当する部分の光景です。この場所にいるときは感じませんでしたが、、奥の院から振り返った景色は、さすがに清水の舞台でした。

  • 本堂の軒先の光景です。がっしりとした格子造りの軒先に、照明器具が吊り下げられていました。

    本堂の軒先の光景です。がっしりとした格子造りの軒先に、照明器具が吊り下げられていました。

  • 裏山の新緑光景です。シルエットになった、檜皮葺の本堂の軒下からの撮影です。

    裏山の新緑光景です。シルエットになった、檜皮葺の本堂の軒下からの撮影です。

  • 本堂から眺めた、京都市街地方面の遠景です。中心付近に京都駅前の京都タワーが見えました。

    イチオシ

    本堂から眺めた、京都市街地方面の遠景です。中心付近に京都駅前の京都タワーが見えました。

  • 寺院等ではお馴染みの光景ですが、狛犬などと同様、いつも撮影している絵馬の光景です。本物の馬に代わって奉納され始めた風習のようです。

    寺院等ではお馴染みの光景ですが、狛犬などと同様、いつも撮影している絵馬の光景です。本物の馬に代わって奉納され始めた風習のようです。

  • 本堂から、奥の院に移動する途中での撮影です。縁結びの神社がありました。地主神社です。

    本堂から、奥の院に移動する途中での撮影です。縁結びの神社がありました。地主神社です。

  • 歴代住職のお墓でしょうか。格式が高そうな卒塔婆がありました。元々はサンスクリット語のストゥーパが語源です。五輪塔なども同じ起源です。

    歴代住職のお墓でしょうか。格式が高そうな卒塔婆がありました。元々はサンスクリット語のストゥーパが語源です。五輪塔なども同じ起源です。

  • 地蔵尊の額があった小さな祠です。中までは除いてみませんでしたが、石の地蔵さんがあったのでしょうか。

    地蔵尊の額があった小さな祠です。中までは除いてみませんでしたが、石の地蔵さんがあったのでしょうか。

  • 国の重要文化財の阿弥陀堂でしょうか。江戸時代初期、寛永8〜10年(1631〜1633)に再建された建物です。三間四方、入母屋造り、桟瓦葺き屋根です。<br />

    国の重要文化財の阿弥陀堂でしょうか。江戸時代初期、寛永8〜10年(1631〜1633)に再建された建物です。三間四方、入母屋造り、桟瓦葺き屋根です。

  • 尾に瓦のアップです。奥の院の手前の瓦葺の建物でした。

    尾に瓦のアップです。奥の院の手前の瓦葺の建物でした。

  • 朱の柱に掛けられた表札には、『阿弥陀堂』の文字がありました。浄土宗を開かれた、法然上人が日本最初の常行念仏を修した所とされます。

    朱の柱に掛けられた表札には、『阿弥陀堂』の文字がありました。浄土宗を開かれた、法然上人が日本最初の常行念仏を修した所とされます。

  • 同じく阿弥陀堂の軒下の光景です。重要文化財に指定されています。

    同じく阿弥陀堂の軒下の光景です。重要文化財に指定されています。

  • 百体地蔵堂の正面の光景です。釈迦堂と阿弥陀堂との間の奥に建ちます。子供を亡くした親たちが、子供そっくりの地蔵を探しあてて崇拝を厚くするとされます。夏の地蔵盆会に賑うようです。<br />

    百体地蔵堂の正面の光景です。釈迦堂と阿弥陀堂との間の奥に建ちます。子供を亡くした親たちが、子供そっくりの地蔵を探しあてて崇拝を厚くするとされます。夏の地蔵盆会に賑うようです。

  • 奥の院近くの石垣の光景です。お城並みの立派な造りの石垣でした。

    奥の院近くの石垣の光景です。お城並みの立派な造りの石垣でした。

  • 念仏道場の額が架かった建物です。奥の院の手前の建物だった記憶です。

    念仏道場の額が架かった建物です。奥の院の手前の建物だった記憶です。

  • 奥の院の軒下と、屋根上野光景です。本堂と同じ檜皮葺です。

    奥の院の軒下と、屋根上野光景です。本堂と同じ檜皮葺です。

  • 奥の院の檜皮葺の屋根の上にあった鬼瓦のアップです。瓦葺の屋根の鬼瓦と遜色のない造りです。

    奥の院の檜皮葺の屋根の上にあった鬼瓦のアップです。瓦葺の屋根の鬼瓦と遜色のない造りです。

  • 横から眺めた奥の院の光景です。五間四方、寄棟造り、桧皮葺屋根の建物です。

    横から眺めた奥の院の光景です。五間四方、寄棟造り、桧皮葺屋根の建物です。

  • 奥の院近くにあった卒塔婆です。聖堂も使われた、かなり立派な造りでした。それほど古くはないようです。歴代住職のものでしょうか。法華塔の文字もありました。

    奥の院近くにあった卒塔婆です。聖堂も使われた、かなり立派な造りでした。それほど古くはないようです。歴代住職のものでしょうか。法華塔の文字もありました。

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