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洛東の八坂神社と円山公園の紹介の締め括りです。 <br />

2010春、八坂神社と円山公園(2/2):本殿、舞殿、円山神社・鴨・アオサギ、山鉾館

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2010/05/16 - 2010/05/16

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旅行記グループ 2010春~夏、京都散策

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

洛東の八坂神社と円山公園の紹介の締め括りです。

交通手段
高速・路線バス 新幹線

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  • 本殿に向かって、右端の光景です。近年の修復工事ですから、金箔などの輝きがあります。

    本殿に向かって、右端の光景です。近年の修復工事ですから、金箔などの輝きがあります。

  • 舞殿の軒下から眺めた本殿の光景です。舞殿は、本殿が修復工事の際、仮本殿とされていました。

    舞殿の軒下から眺めた本殿の光景です。舞殿は、本殿が修復工事の際、仮本殿とされていました。

  • 境内の光景です。観光日和になりましたので、日傘を差したり、日陰を歩く人が多くいました。

    境内の光景です。観光日和になりましたので、日傘を差したり、日陰を歩く人が多くいました。

  • 八坂神社の境内を東方面に向かって歩きますと、赤い鳥居が見えてきました。四方にある八坂神社の東側の入口です。

    八坂神社の境内を東方面に向かって歩きますと、赤い鳥居が見えてきました。四方にある八坂神社の東側の入口です。

  • 赤い鳥居付近の光景です。鳥居脇の小さな社には、狛犬ではなく、稲荷社のシンボル、狐さんが座っていました。

    赤い鳥居付近の光景です。鳥居脇の小さな社には、狛犬ではなく、稲荷社のシンボル、狐さんが座っていました。

  • 大きな鳥居脇に座っていたのは、毛がふさふさとした狛犬です。

    大きな鳥居脇に座っていたのは、毛がふさふさとした狛犬です。

  • 一対の狛犬の片方です。円山公園との境の赤い鳥居には、平成3年7月再建の文字がありました。

    一対の狛犬の片方です。円山公園との境の赤い鳥居には、平成3年7月再建の文字がありました。

  • ここからは円山公園の中の光景です。この樹木は、烏が根城にしているようでした。桜の古木でしょうか。

    ここからは円山公園の中の光景です。この樹木は、烏が根城にしているようでした。桜の古木でしょうか。

  • 八坂神社に隣接する円山公園の池です。鴨がいました。餌の水草を探しているようです。雄の方です。

    八坂神社に隣接する円山公園の池です。鴨がいました。餌の水草を探しているようです。雄の方です。

  • 顔を上げた鴨です。餌は採れたのでしょうか。マガモのようです。

    顔を上げた鴨です。餌は採れたのでしょうか。マガモのようです。

  • 鴨よりは一回りか、二回り大きな身体の鳥です。アオサギでしょうか。

    鴨よりは一回りか、二回り大きな身体の鳥です。アオサギでしょうか。

  • 毛繕いを始めたアオサギです。図鑑で見ますと、体長は90センチ前後のようです。

    毛繕いを始めたアオサギです。図鑑で見ますと、体長は90センチ前後のようです。

  • 毛繕いを続けていたアオサギです。養魚場では厄介者とされているようです。

    毛繕いを続けていたアオサギです。養魚場では厄介者とされているようです。

  • 円山公園の池の岸辺で咲いていた、花菖蒲の花のアップです。

    円山公園の池の岸辺で咲いていた、花菖蒲の花のアップです。

  • 円山公園の池の光景です。池の所々に岩が配置され、鳥が憩うには、もってこいのようです。

    円山公園の池の光景です。池の所々に岩が配置され、鳥が憩うには、もってこいのようです。

  • この赤い鳥居が、八坂神社と円山公園の大雑把な境を示すようです。円山公園は、明治時代に京都府が公園として整備し、その後、京都市に移管されました。

    イチオシ

    この赤い鳥居が、八坂神社と円山公園の大雑把な境を示すようです。円山公園は、明治時代に京都府が公園として整備し、その後、京都市に移管されました。

  • 鳥居付近から、円山公園方面を振り返っての撮影です。円山公園の直ぐ北には、知恩院などがあります。

    鳥居付近から、円山公園方面を振り返っての撮影です。円山公園の直ぐ北には、知恩院などがあります。

  • 八坂神社の境内に戻りました。山鉾を納めた倉庫です。『山鉾館』の名札がありました。山鉾は、地方によって山車、屋台、山笠や祭車など、色々な呼び方があります。

    八坂神社の境内に戻りました。山鉾を納めた倉庫です。『山鉾館』の名札がありました。山鉾は、地方によって山車、屋台、山笠や祭車など、色々な呼び方があります。

  • 山鉾の名前を書いた収納庫です。右が孟宗山、左が黒王山です。祇園祭で出されるようです。

    山鉾の名前を書いた収納庫です。右が孟宗山、左が黒王山です。祇園祭で出されるようです。

  • 本殿と舞殿がある場所に戻ってきました。境内は中々の賑わいでした。

    本殿と舞殿がある場所に戻ってきました。境内は中々の賑わいでした。

  • 本殿の周りを取り囲む塀でしょうか。檜皮葺の立派な屋根付です。施設保存のための柵がありました。

    イチオシ

    本殿の周りを取り囲む塀でしょうか。檜皮葺の立派な屋根付です。施設保存のための柵がありました。

  • 悪王子神社の額です。『悪王子』は、『スサノオノミコト』の荒御霊を指します。『悪』の文字には、元々『強い』の意味があったようです。ウィキペディアでも、源義朝の長男・義平は、その勇猛さから『悪源太』と称された例や、鎌倉時代末期における『悪党』も、『力の強い勢力』という意味の例を挙げています。

    悪王子神社の額です。『悪王子』は、『スサノオノミコト』の荒御霊を指します。『悪』の文字には、元々『強い』の意味があったようです。ウィキペディアでも、源義朝の長男・義平は、その勇猛さから『悪源太』と称された例や、鎌倉時代末期における『悪党』も、『力の強い勢力』という意味の例を挙げています。

  • 石灯篭が並ぶ境内の光景です。半ば推測ですが、石灯篭に蝋燭は灯らず、赤い灯篭に電球が灯るように見えます。

    石灯篭が並ぶ境内の光景です。半ば推測ですが、石灯篭に蝋燭は灯らず、赤い灯篭に電球が灯るように見えます。

  • 摂社や末社が連なる境内の中の通りです。正面は日吉社です。末社の方です。

    摂社や末社が連なる境内の中の通りです。正面は日吉社です。末社の方です。

  • 日吉社の小さな社です。日吉社は、京都の鬼門、北東を守る神として崇められているようです。祭神は、スサノオノミコトの子孫の神々です。

    日吉社の小さな社です。日吉社は、京都の鬼門、北東を守る神として崇められているようです。祭神は、スサノオノミコトの子孫の神々です。

  • 本殿の北側の通りです。この場所も境内の敷地内です。鬱蒼とした木々です。

    本殿の北側の通りです。この場所も境内の敷地内です。鬱蒼とした木々です。

  • 境内の光景です。この通路脇には、多くの末社等がありました。摂社は疫神社、悪王子社と冠者殿社の3つ、末社は、大国主社や日吉社を含めて十社以上があります。

    境内の光景です。この通路脇には、多くの末社等がありました。摂社は疫神社、悪王子社と冠者殿社の3つ、末社は、大国主社や日吉社を含めて十社以上があります。

  • 赤色系統の石を使った石碑です。『東山向かいて鉾を回しけり』の文字が読み取れました。ネットで調べましたら、現代俳句の後藤比奈夫氏の句でした。

    赤色系統の石を使った石碑です。『東山向かいて鉾を回しけり』の文字が読み取れました。ネットで調べましたら、現代俳句の後藤比奈夫氏の句でした。

  • もう一度、舞殿の建物のアップです。三段につりさげられた提灯がアクセントです。

    もう一度、舞殿の建物のアップです。三段につりさげられた提灯がアクセントです。

  • 八坂神社見学の締め括りは、南楼門です。こちらの楼門は文化財には指定されていません。この日は、西楼門から出て、バスで清水寺方面に向かいました。

    イチオシ

    八坂神社見学の締め括りは、南楼門です。こちらの楼門は文化財には指定されていません。この日は、西楼門から出て、バスで清水寺方面に向かいました。

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