2001/05/08 - 2001/06/23
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kojikojiさん
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普通のサラリーマンが月金働いて土日休むところ、特殊な仕事なので1月から4月まで休みなく早朝から深夜まで働いて、5月6月休むという仕事の仕方を40歳くらいまでしていました。それを年に2回行っていたので長期の海外旅行に出られました。今回はお馴染みになったアエロフロートでモスクワで1泊してヴェネツィアに入りますそこからトリエステ~リエカ、フェリーに乗ってザダールとスピリット経由でドブロブニク。イタリアのバーリに戻ってブリンディジ、またフェリーでコルフ島、アテネからフェリーでロードス島経由でリマソルへ。キプロスでしばらくのんびりするという45日間の旅程です。3度目のヴェネツィアは経費節約でリド島にしばらく滞在して近郊の島々や周辺の今まで行っていない都市と遺跡巡りをしました。ムラーノ島ではヴェネツィアンガラスの茶器を注文するために何日か工房に通ったり面白い旅のスタートが切れました。今回リド島にホテルを取ったのは値段が安かったのと、値段の割に良いホテルが多いのと、バポレット(水上バス)の1番線のスタートがリド島なので72時間券を買っておけば移動は楽だったからです。別ルートでムラーノ島へも簡単に行けます。そしてリド島と言えばヴィスコンティの「ベニスに死す」の舞台となったところでもあります。旅の前に映画を見直していましたが、アドリア海を望む海岸線に建つ豪華なホテルと海水浴用の小屋を見ると感慨深いものがありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 船
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
経費節約で選んだアエロフロートで、いつものようにモスクワのノヴォテルで1泊し、翌日の便でヴェネツィア入りしました。何となく予感がして右側の窓側の席にしてもらいました。後方の席にしたのはアエロフロートがまだギリギリ機内でタバコが吸えたからだったと思います。思った通りにトリエステ上空からアドリア海に出て、グラートやアクイレイアの海岸線を眺めつつヴェネツィアの上空で大きく旋回する着陸までの景色は最高でした。
テッセラ空港からはアリラグーナの黄色い船でリド島へ向かいます。これも今回リド島にホテルを予約した理由でもあります。本当の中のホテルも良いのですが、荷物の移動は本当に面倒でした。上空からの景色といい、ターミナルを出るといきなり船着場で(今はターミナルが少し離れましたが)、船で乗りつけるヴェネツィアは旅情をかきたてます。 -
空港からは干潟の中の白い杭の間を進み、ムラーノ島にも停車します。フォンダ・メンタ・ヌオーヴォから左にルートを変えてリド島に停まり、最後はサンマルコ広場まで船は進みます。
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本島の高くて星の少ないホテルに泊まるのを避けて、今回はリド島の3星ホテルに1週間弱の滞在です。本島の2つ星より安い値段で日当たりの良い快適なホテルに泊まれます。ヴァポレットの乗り場に近ければ不便さは全くありません。サンマルコ広場まで15分か20分のクルーズです。ムラーノ島へもフォンタメンタ・ヌゥオーヴォ経由で意外と近いことも分かりました。
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ホテルに荷物を置いて72時間の船のチケットを購入して本島へ出発です。混雑するサンマルコを避けて一つ手前でヴァポレットを降りたので、溜息橋が最初に出迎えてくれました。
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ドゥッカーレ宮殿の内部の見学は今回が初めてでした。という事で溜息橋の中を渡るのも初めてでした。改めてアドリア海や東地中海を制覇したヴェネツィアの力を感じました。今回の旅のルート上のコルフ島やキプロス島にも数々のヴェネツィアの遺構が残されています。
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ここから始まったサンマルコの像はコルフ島やキプロス島でもお目にかかることになります。
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5年振りのサンマルコ寺院です。いろいろな所でビザンチンのモザイクを見てきましたがここの物を越える物は無いでしょう。唯一シチリアのモンレアーレの物が匹敵するくらいでしょうか?内部は撮影出来ないのが残念ですが信仰の場なので仕方ありません。
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福音記者サン・マルコが本を携えた姿で聖堂の上に立っています。その姿を大天使がたたえています。
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一度並んで入り口まで着いた後に荷物を預けるように言われ、中に入るために再度並ぶのはどうにかならないでしょうか。アクア・アルタ(高潮)で広場が水没した日にはもうどうにもなりません。
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この日はかなり空いていたので並びましたが、妻と来た4回目のヴァネツィアはアクア・アルタ(高潮)のせいで大混雑していて入るのを諦めたほどです。
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この後に前回泊まったホテルの辺りを通りがかりました。手前にあったフェニーチェ劇場は滞在していた数ヵ月後に火災に遭っていました。2001年のこの時も修復中でした。自分の思い出までもが焼け落ちてしまった気分でした。
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アカデミア橋までやってきました。途中のアンティーク屋で何軒も引っ掛かってしまいました。古地図の良い物がありましたが流石にヴェネツィアです。高い。
1点どうしても気に入った溜息橋を描いた銅版画を購入しました。 -
サルーテ教会の前にアカデミア美術館に入ります。ヴェネツィア派の絵画はあまり好きではなかったのですが、3回の滞在で延べ3週間近く居るのに一度も行かないのも何なので入ってみました。
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実はゴンドラも1回も乗っていません。妻と来た4回目も乗りませんでした。何故か乗る気になれません。運河を渡る立乗りのゴンドラは何度も乗りましたけど。
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サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂はどっしりとした美しい教会です。ヴェネツィアへクルーズ船で戻ってくると最初に迎えてくれるのはこの教会です。
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教会の前の階段でしばらく運河を眺めていました。乗りたくなくてもゴンドラは被写体としては最高です。
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アカデミア橋の上からのカナル・グランデ。団体でヴェネツィアに来てゴンドラに乗れるのは羨ましいですね。
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アカデミア橋から細い路地をわざと迷子になるように歩き回ります。そして見つけた風景に感嘆します。ヴェネツィアは一人で旅しても寂しくないかもしれません。
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リアルト橋の近くに出ました。どんな裏路地を歩いていてもしばらくすると大運河に出てしまいます。
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この辺りは大運河に面した美しいパラツッオがたくさん並んでいます。中には庶民からは窺い知れない世界があるのでしょうね。
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1991年に初めて来てこの通りを何十回歩いたか分かりません。鉄道駅からサン・マルコ広場行きの看板を頼りに歩くと必ず通る道です。その中でも小さい運河に沿って歩けるのはこの辺りだけです。夜は特にきれいです。
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翌日はリド島からバポレットの1番に乗って魚市場まで行ってみます。カナル・グランデを通るヴェネツィアで一番の景観を見ることが出来るルートです。
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まずはサン・マルコ広場です。この時はドゥッカーレ宮殿の外観は修復中でした。写真を見ているだけでバポレットの揺れを体に感じます。
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前日に行ったサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂です。
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サルーテ聖堂は巨大なビザンツ風の八角形の建物で、10万個の木片を組み合わせた土台の上に建っているそうです。建材はイストリア産の白大理石とマルモリノと呼ばれる大理石の粉末で表面を覆ったレンガで出来ています。
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カナル・グランデのパラツッオの美しい外観を眺めながらバポレットは先へ進みます。
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リアルト橋が見えてくると目的地は近いです。
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魚市場の辺りでバポレットを降ります。この辺りの市場のディスプレイがとてもきれいなので何度も通っています。旅行者なので買えるのはドライトマトとか乾燥ポルチーニや塩くらいなのですが。
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グランセオラと呼ばれるクモガニです。これおいしいですよね。妻と旅した20世紀最後の旅だったパリのレストランでいただきました。これは身をほぐしてサラダで食べるのが一般的です。
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そしてシャコ。甲殻類好きにはたまりません。シャコはイタリア語では、「カノッキエ」で、ヴェネトでは「カノーチェ」と呼ばれます。
この後渡しゴンドラに乗って対岸からフォンダメンタ・ヌオーヴォに出て、ムラーノ島へ渡りましたがそれはまた次の旅行記で。 -
カフェ・フローリアンのアコーデオンのおじさんは一体何年ここで演奏しているのでしょうか?4回のヴェネツィア旅行のうち3回の写真に写っています。
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ヴェネツィア商人はアレクサンドリアにあったマルコの聖遺物を、ヴェネツィアに運んだことから聖マルコはヴェネツィアの守護聖人となります。ヴェネツィアの国旗は聖マルコを指す聖書を持った有翼の金のライオンなのでシンボルとして掲げられています。夕日に天使の翼と黄金の有翼のライオンが輝いて美しいです。
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ヴィスコンティの「ベニスに死す」の舞台であるリド島のホテルも夏の準備中です。ホテル・デ・バーン(Hotel DES Bains)は経営難から2009年にアメリカ資本に買い取られ、2010年に閉館したと聞きます。もうの姿を見ることは出来ないのでしょうか。
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ストライプのカバナを見ると映画の中でタジオという美少年が着ていたボーダーのセーターを思い出します。そういえばタジオ役のビョルン・アンドレセンは妻と同い年でした。
23歳の時に初めて見た妻の姿は今でも思い出せるほどきれいでした。というか思い出せなければやってられません。 -
ストライプのカバナを見ると映画の中でタジオという美少年が着ていたボーダーのセーターを思い出します。そういえばタジオ役のビョルン・アンドレセンは妻と同い年でした。
23歳の時に初めて見た妻の姿は今でも思い出せるほどきれいでした。 -
昨年行ったバリ島のヴィラを思い出させます。
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リド島のお屋敷の門には美しい藤の花が満開でした。
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ザッカーリアへ向かう途中は練習中のボートが沢山見えました。9月の第一日曜日のレガッタ・ストリーカを思い出します。あの時のカナル・グランデを行き交う中世のガリオン船や当時の衣装を着た人々、拍手に応えてオールを立てる漕ぎ手の人たちを思い出します。
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ザッカーリアへ向かう途中は練習中のボートが沢山見えました。9月の第一日曜日のレガッタ・ストリーカを思い出します。あの時のカナル・グランデを行き交う中世のガリオン船や当時の衣装を着た人々、拍手に応えてオールを立てる漕ぎ手の人たちを思い出します。
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教会のおじいさんが操作するエレベーターで鐘楼の上まで上がります。
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棟の上からはサンマルコの鐘楼とは違った景色が望めます。
大型客船でここを通過すれば同じような景色が眺められるのだろうと思いました。季節によってはヴェネツィアからトルコのイズミールへ行くフェリーがあったはずだと思いました。 -
ヴェネツィアの町がミニチュア模型のように見えます。
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ムラーノ島のファーロ(灯台)までが手に取るように見えます。
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5月のこの日曜日は母の日だったのを忘れていました。花屋さんの前を通りがかって思い出しました。毎日の絵葉書とは別に母へカードを出しておきましょう。この旅では家に45枚以上、まだ結婚していなかった妻にも同じ枚数出したので切手代と絵葉書代もさることながら、文面を考えるのが大変でした。
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「インディジョーンズ・最後の聖戦」では図書館として出てきたサン・バルナバ教会です。映画の中では十字軍に遠征し聖杯を守っていた三兄弟の一人が地下に眠っているという設定でいた。年配の方には隣の小さな土産物店の方が印象深いでしょう。映画ではアンティークショップでした。キャサリン・ヘップバーン主演の「旅情」です。
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ムーア人のドアノブです。一体どれくらい前の物でしょうか。
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運河の側を歩いているとレース仕様のボートが沢山通ってゆきます。
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9月のレガッタ・ストリーカを彷彿させますが、船の数も大きさも比にはなりませんが懐かしくなって立ち止まって眺めていました。
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運河沿いから拍手が上がるとこうやってオールを立てて応えるのです。1991年の9月1日の日曜日、ウィーンからの夜行列車で初めてヴェネツィアに着いたのが「レガタ・ストリーカ」のお祭りの日でした。
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当時の地球の歩き方の表紙のイラストが気になって探して行きました。リアルト橋ととサンマルコ広場の中間のコンタリーニ・デル・ボーヴォロ宮という建物の螺旋階段でした。
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螺旋階段の上から見たサンマルコ広場の鐘楼です。これじゃヒントにならないですね。
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アカデミア美術館の裏側のドルソドゥーロでお昼を食べて、そのトラットリアの近くにゴンドラ工場があります。
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修理中のゴンドラもポカポカ陽気で日光浴しています。
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こんな所でゴンドラは整備されています。後年ダン・ブラウン原作の「インフェルノ」という映画を観ていて、ラングドン教授がWHOを裏切ったブシャールに殺されようとしている場面はここだと確信しています。「天使と悪魔」のローマの数々のシーンや「インフェルノ」に出てくるフィレンツェやヴェネツィアやイスタンブールの場面は行った事のある場所ばかりで興奮します。
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この当時はまだ「ダビンチ・コード」が出版される前のことです。
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この頃はいつかヴェネツィア発着のクルーズ船に乗ってみたいと思っていました。
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夢は意外に早く叶い、翌々年には妻と一緒に乗船することが出来ました。
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こちらのフェリーは書かれた文字からトルコからやってきた船のようです。このフェリーにも乗ってみたかったのです。ヴェネツィアからフェリーでイスタンブールまで行って、黒海のサムスンやシノップを経由してトラブゾンまで行く船に乗り換えて、ジョージヤやアルメニア国境辺りを旅してみたいと考えていました。
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今回の旅のテーマはアドリア海とエーゲ海を定期航路のフェリーで移動しながら海運国家ヴェネツィアの足跡をたどることでした。
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とりあえずは今回一番小さいトラゲットという渡しゴンドラからスタートしましょう。
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トラゲットはゴンドラより一回り大きくて立ち乗りです。この当時クライアント500リラぐらいだった記憶があります。
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まあ死ぬまでに1回くらいゴンドラに乗っても良いかと思います。
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この当時はデジカメも画素数が少なく、フィルムカメラで撮影していました。夜景は本当に上手く撮れませんでした。
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橋の欄干の上にカメラを置いて30秒露出してこんな具合でした。リアルト橋の同じ位置から後年デジタルカメラの手持ちで撮った写真の方が雰囲気があります。帰国してからドキドキしながら現像してもこの程度でした。
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夜のサンマルコ広場から溜息橋を越えた辺りの船着き場からリド島に戻ります。リドの船着き場にはカジノのネオンサインが出ていましたが、一度も行きませんでした。
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