2001/05/08 - 2001/06/23
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kojikojiさん
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楽しかったヴェネツィアは気がついたら1週間が過ぎようとしていました。そろそろ先に進まなければいけません。海沿いをキプロスまで行かなければならないからです。更に時間があればキプロスからイスラエルのハイファとエジプトのアレクサンドリアを巡るクルーズも考えていました。
トリエステの印象は駅を出た途端にここはイタリアでは無いなと感じた事です。スイス国境のティラーノなどで感じたのと同じ雰囲気でした。その思いは市内の広場に出るとさらに顕著で、建物のデザインにも強く表れていました。オーストリアを感じるトリエステとアクイレイアとグラードの小旅行の記録です。この先スロヴェニア経由でクロアチアのリエカに入り、フェリーでザダールとスピリット、コルキュラからドブロヴニクへ行く予定でしたが、地球の歩き方のも移動方法は掲載されていなく、参考になる本も当時はありませんでした。地図を見ていて多分トリエステからリエカ行きのバスは出ているだろうし、フェリーのチケットはトリエステの海岸近くにチケット会社があって買えるはずと思いました。ナポリやパレルモなどでもそんな感じでフェリーのチケットは買えたからです。今ではインターネットですがインスピレーションで旅していた頃が懐かしく思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
トリエステでは駅前のホテルローマに部屋を取りました。可も無く不可もない駅前ホテルと言った感じでした。フロントのおじさん達は親切で美味しいレストランなどを教えてくれました。鉄道駅の傍にはバスターミナルもあるので移動には便利な所でした。路面電車を見ても中欧の雰囲気を感じました。
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一見普通の路面電車ですが…、始発はトリエステ中央駅に近いオベルダン広場の海抜3mの所から全長5.2kmの路線で329mの丘の上にあるオピチーナまで高低差326mを登る登山電車なのです。もちろんこのままでは急勾配を登れないので別の軌道車と合体するそうです。1857年にトリエステまで全通したオーストリア南部鉄道は、オピチナからトリエステ市内までの敷設を諦めてこのようなトラムの路線を設けたそうです。
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近世まではオーストリア領であったトリエステですが、長いスパンで考えるとローマ帝国の一部だったと分かります。トリエステにはローマの遺跡が街のあちこちに残っています。ローマ劇場はこの当時草で覆われていますが、現在も使われているそうです。
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何とも坂の多い街です。それと非常に方向感覚が失われる街でした。いつもは地図を記憶していれば太陽の位置や方向で自分がどこに向かって歩いているか把握出来るのですがトリエステではそれが通用しませんでした。
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須賀敦子さんの言う「辺境都市」とはこんな雰囲気なのだろうかと肌で感じます。そしてまさに「トリエステの坂道」を体感しました。
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高台から見下ろすとここにもローマも遺構が残されていました。コラムの上に置かれた石には柱頭部の彫刻が施されているようです。
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海岸近くの引き込み線の終わりには使われなくなった客車が車と一緒に停まっていました。線路は撤去されずに残されているので往時はここから貨物が行き来していたのでしょう。スロヴェニア方面への列車はありますが、イタリアはここで終わるのだと感じます。
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広場に面した建物はイタリアと言うより中欧を感じさせます。ゴミが落ちていなく落書きが無い所もイタリアらしくありません。
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整然と並べられたカフェの椅子がイタリアの終わりを感じさせます。そうバールという呼び名よりカフェと呼んだ方が正しいような佇まいです。
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ウニタ・ディタリア広場(イタリア統一広場)に堂々と建つ市庁舎です。海に面した広場としてはヨーロッパ最大だそうです。ローマのナヴォーナ広場の噴水のように4大陸を表わす彫刻がありました。
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まるで定規で測ったようなカフェ・デリ・スペッキのイスとテーブルの配置です。上品なおばあさんが静かにコーヒーを飲んでいました。ここは1839年創業ですが、その頃からのカフェはたくさん残っているようです。
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イタリアだとバールを想像しますが、トリエステだとカフェと呼んだ方が似合うお店が多いです。でもイリーの創業者はトリエステ出身でした。街中でもイリーの看板をよく見かけました。
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サン・アントニオ・タマチュゴルド教会はヴィチェンツァのパッラーディオのロトンダの左右を切り取ったような印象でした。運河の突き当りに建つ姿が美しいです。
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この近くに想像した通りに旅行会社や貿易会社が並んでいました。ヤドロリニア(クロアチアのフェリー会社)のロゴを見つけた時は思わずニヤッと笑いました。
事務所に飛び込んだまでは良かったのですが、リエカからドブロヴニク間の国内線の予約はすぐに出来ましたが、ドブロヴニクからイタリアのバーリ間のフェリーは国際航路なのでパスポートが必要と言われ、ホテルへ取りに戻る羽目になりました。 -
冬場は寒くなるのでしょうかアーケードが多く見受けられました。でもトルコのハマムの天井の様な雰囲気もあります。
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翌日はバスに乗って郊外のお城に行きました。オーストリアのハプスブルグ時代にミラマーレ城を建てたのはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟マクシミリアンです。 今回はこことギリシャのコルフ島のアヒリオン・パレス(アヒリオン=アキレス)の2か所がハプスブルグつながりになります。
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マクシミリアンはナポレオン3世の要請によりメキシコ皇帝となります。メキシコ皇帝になったマクシミリアンは32歳で妻のシャルロッテは22歳でした。まだまだ先がある年齢ですが、メキシコ統治はうまくいかず、その3年後には処刑されてしまいます。
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シノワズリの部屋やアラブ風の部屋などマクシミリアンのセンスの良さを感じます。
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このお城には皇妃エリザベートも立ち寄ったそうです。多分コルフ島の自分の別荘への行き帰りだったのだろうと想像できました。
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この後にコルフ島まで行き、エリザベートの建てた古代ギリシャ風のアヒリオン・パレスも見学しましたが、お城としての風格はこちらの方が格段に上だと思いました。
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横の庭園には船着き場がありました。ここから眺めるのが対岸の建物が一番美しく思えました。ここでスケッチをしていると美術の授業で来ていた高校生の女の子たちにに上手い上手いと褒められました。
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こんな絵です。この旅でも時間がたくさんあったのでスケッチブックにチケットなどをスクラップして、日記をつけてスケッチまでしていました。妻と一緒に旅行するようになってからはさすがにスケッチは出来なくなりました。
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おじいちゃんとおばあちゃんとお孫さんでしょうね。パパとママの姿は見掛けませんでした。イタリアも少子化が進んでいるので至れり尽くせりなのでしょう。
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陽が落ちる前に市内に戻ってきました。夕方になって晴れて来ました。
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ウニタ・ディタリア広場を取り巻く建物のすばらしさは筆舌しがたいです。特に夕方の時間帯が素晴らしいです。イタリア半島でもアドリア海側で夕日がきれいなのはトリエステくらいかもしれません。
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パラッツオ・デル・ゴヴェルノは夕日が外壁のモザイクにあたって奇麗でした。ウニタ・ディタリア広場を取り巻く壮麗な建物の一つで、広場の北側に位置していてトリエステの県庁舎として使われています。もとはマリア・テレジアによって建てられた小さな宮殿があったそうですが、19世紀末に取り壊されています。その後ウィーンの建築家エミル・アルトマンの設計により1905年に完成した建物なので分離派の影響を感じます。3階と4階の外壁には細かなモザイクの装飾が施され、夕陽を浴びて黄金色に輝いていました。
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夜はホテルで教えてもらったレストランに行ってみました。レストランもイタリアの雰囲気と言うよりもオーストリアを感じさせます。分かりやすく言うと一人では居ずらい雰囲気です。でもこの店で教えてもらったカクテル、グロッピーノ(Sgroppino)は家でも再現して飲んでいます。
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グロッピーノはレモンシャーベットにウオッカを注ぎ、更にプロセッコを注いで泡だて器でクリーミーになるまで撹拌します。それをシャンパングラスに注いだら出来上がり。最高に美味しいデザートカクテルです。
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ほろ酔い気分でウニタ・ディタリア広場の夜景を楽しみます。
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夕暮れの広場も綺麗でしたが夜のライトアップも綺麗でした。当時はフィルムカメラを手持ちで撮っていたので美しさが伝えられないのが残念です。
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港の堤防の先に洒落たバールがありました。漁火を眺めながらアヴェルナを飲みました。トリエステの旅はアクイレイアとグラートを一日ずつ訪ねるとイタリアはほぼ終わりです。91年にユーゴの内戦で渡れなかったクロアチアへ行けると思うと気分は高揚してきます。
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翌日はTBSの世界遺産の番組で知ったアクイレイアに来る事が出来ました。トリエステからバスを乗り継いで来ました。当時はほとんど情報が無くバスの時間も悪かったのとアクイレイアとグラードの位置関係も分からずに移動時間ではだいぶ無駄をしました。
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挙句に帰りには国鉄のストライキにもぶつかってしまい、訳の分からない駅で降ろされて何所に行くのか分からないバスに乗せられて、気がついたらトリエステ駅に着いていました。
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アクイレイアのサンタ・マリア・アッスンタ大聖堂を小学生と一緒に見学です。新しいモザイクを修復したら下から古いモザイクが現れたそうです。何とも言えない歪みがあります。現在はガラスの見学路が設けられているようですが、当時はモザイクの上にカーペットが敷かれただけだったので足の裏で感じることが出来ました。
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みごとなモザイクが大聖堂の床をびっしり覆っている姿は壮観です。
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4世紀当時の人々がまるで生きているかのように色鮮やかに描かれています。
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実のなった小枝に留まる鳥の姿も色鮮やかです。鳥類には全く造詣が無いのですが分かる人には種類も判別できるのではないでしょうか。
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これらの人々は教会への寄進者なのでしょうか。
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当時のファッションやアクセサリーも伺い知ることが出来ます。
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精緻な幾何学模様も素晴らしいです。緻密なデザインでありながら一つ一つの色石は決して真四角ではありません。
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現在はかなり内陸になっているアクイレイアの町ですが、元々は海が近くまであったのでしょうか?漁業や魚をモチーフにしたモザイクが多かったです。
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実際にはこれも初期キリスト教のシンボルで、天使の網にかかった魚、すなわちキリスト教によって救われる信徒という意味です。
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これは何という魚でしょうか?これだけが見当もつきません。個人的には「ヘドラ」だと思ったのですが。1971年のゴジラシリーズに出てくる公害怪獣です。本当はシビレエイだそうです。
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多分甲イカだと思います。足の数が少ないのでタコかもしれません。水を表すのは黒と白の石なのですね。1700年経っても職人の想いは通じています。
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口の開け方はボラだろうかなどと想像してしまいます。
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教会の外は長閑な田園風景が続きます。あまりに綺麗な風景なのでしばらく散歩してみます。
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かなり遠くまで来てしまいました。乾燥していたヴェネツィアを離れてしっとりした風景の中を歩いていると落ち着きます。
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教会のそばにもローマに移籍が残されていました。往時はとても賑わった街だったのだと想像できます。TBSの番組では「ヴェネツィアになれなかった町」とナレーションにあったと記憶しています。
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クリプタ・デリ・スカーヴィ(Cripta Degli Scavi)は中世中期のクリプタ(地下礼拝堂)で、美しいフレスコが残されていました。
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壁面と天井を覆うフレスコも痛んではいますが、往時を偲ぶには充分です。
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表通りを挟んだ先には考古学博物館がありました。ここは小さいけれど見ごたえのある博物館でした。エジプトで造られたのではないかと思えるブロンズ像やローマ時代の指輪は興味深かったです。特に印鑑の代わりに使われたであろう彫の入った指輪の貴石は欲しかったくらいです。
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考古学博物館に収蔵されていたモザイクは非常に細かい精緻なものでした。使われている色石も貴石のようで明らかに教会の床のモザイクとは違います。
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子供たちがいなくなったのでもう一度見学します。
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犬のようですが蹄があるので牛なのでしょう。
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こちらはお皿に盛られたカタツムリ。料理前なので逃げ出している姿がユーモラスです。
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通路から写真を撮れる範囲は限られています。
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でもモザイクの上をダイレクトに歩けたのは素晴らしいことでした。足の裏で4世紀を感じることが出来ましたから。
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幾何学模様の捻じれのパターンは「永遠の命」をあらわすシンボルです。
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クジラに飲まれるヨナの話が題材です。クジラがとぐろ巻いてますけど、アドリア海にはクジラはいなかったのではないでしょうか。ヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)の向こうにいる怪物だったのではないでしょうか。
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翌日はグラートへ行きました。バスの乗り継ぎが悪いのと雨が降って来たので途中からはタクシーで移動しました。途中アクイレイアを通ったのでうまく計画すれば一日で両方とも観ることが出来たと思います。ただその当時は地図も無く、グーグルも無かったですから仕方ありません。
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ラグーナの上に架かる長い橋を渡るとグラード到着です。町の名前からでは無いでしょうがドイツ系の観光客が多かったです。後から考えると1815年から100年ほどはオーストリア領だったのでオーストリアの人だったのかもしれません。
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6世紀の聖エウフェミア教会の鐘楼です。尖塔の先には大天使ガブリエルが地上を見下ろしています。
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聖エウフェミアはグラートの守護聖人のようです。聖エウフェミアの聖骨箱はクロアチアから一度コンスタンチノープルに運ばれますが姿を消し、再びクロアチアのロヴィニに流れ着きます。ロヴィニはトリエステから近い南のイストニア半島にある町です。
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バシリカ様式のシンプルな外観ですが内陣の床は見事なモザイクで覆われています。
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教会の床にはグラードの町のモザイクが残っていました。
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不思議な形の家だと思っていたら、昔の城壁の一部が家になっているそうです。
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こちらの家もそうです。城壁としては残っていませんが。
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永遠の命を表す幾何学模様がここにもありました。
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陰翳礼讃という言葉を思い出します。
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水盤と鳩の組み合わせは昔見たラヴェンナのモザイクのモチーフのままです。ラヴェンナからこの辺りまでのビザンチンモザイクの残る街wもう一度ゆっくりじっくり廻ってみたいものです。
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グラードは松の木が美しい街でした。
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洒落た表札です。Calle Lunga通り37番地。
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港に行くと遊覧船が見えました。今まで遊覧船には絶対乗って来たので近づいてみると最低15人集まれば出港するとの事でした。「今何人目?」と尋ねると「一人目だよ。」と笑われました。
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一応の出港時間まで待ってみましたが通り過ぎる観光客もいないので諦めました。
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グラードは観光客も多いですが、漁師町としても生活が成り立つ漁村でもあります。
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午後いなってたくさんの船が漁に出掛けていきました。
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かと思うとヨットが通り過ぎて行ったり…。
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町の中心をY字型に運河が入り込み、漁船がたくさん係留されています。
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先ほどのヨットが戻ってきました。
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どこの国の漁師さんもかっこいいです。
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壁には大きな日時計がありましたが、この日は役に立っていませんでした。
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グラードでは自転車に乗った子供が多かったです。
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自転車で走り回るにはちょうどいい大きさの町かもしれません。車もほとんど走っていないので安全なのでしょう。
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ラグーナには小さい島が点々としていました。時間があれば行ってみたい風景です。
モスクワからトリエステの上空をアドリア海に抜けた後に見えたのはこの辺りだったのかと思いながら帰路を急ぎます。 -
来た時と同じルートで鉄道駅まで戻りました。勝手が分かったので帰路はバスに乗りました。
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途中に昨日行ったアクイレイアを通過しました。ようやく位置関係が分かった時にはトリエステを出発する時です。セルヴィニャーノ駅からトリエステ行きの列車に乗ったまでは良かったのですが、ストライキか事故か何かで列車を下されました。バスに乗り換えてどこか分からない所で下されて、また電車に乗り換えました。
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何処だか分らない駅です。やって来た電車に乗って20分ほどでトリエステ駅に着きました。知った場所に到着すると安心します。いよいよ明日からクロアチアの旅が始まります。
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