2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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ボスフォラス海峡クルージングの締め括りです。欧州側は主に歴史的建物、アジア側は、オスマン帝国時代時代の別荘の『ヤル』をはじめ、近・現代の高級住宅が多く立ち並んでいました。天候にも恵まれ、最高でした。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
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帰路になる、ボスポラス海峡クルーズのアジアサイドの紹介です。旅行記の残りのページが少なくなったところで、オスマン帝国の歴史的建築家の「ミマール・スィナン(Mimar Sinan:1489~1588年)』の紹介です。すでに部分的にはしょうかいしましたが、100歳近くの長寿を全うした大建築家でした。このボスポラス海峡クルージングでも、代表的な建築物を目にしました。1490年前後にアナトリア半島のカイセリ近郊で生まれ、1588年7月17日にイスタンブルで亡くなりました。スィナン(シナン)が名前で、ミマールは建築家を意味するアラビア語由来の言葉です。『ミマール・スィナン』は、『建築家スィナン』を意味します。(同上)
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『ミマール・スィナン』の紹介がしばらく続きます。写真の景色は、アジアサイドの光景です。キリスト教徒の石工の家に生まれ、デヴシルメで徴用されてイェニチェリ(常備軍歩兵)の工兵になりました。一介の士官からあっという間に階級を上げ、軍団長にまでなりました。セリム1世、スレイマン1世、セリム2世、ムラト3世というオスマン帝国最盛期を代表する4代のスルターンに仕えました。(同上)
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スィナンの軍歴は、50年近く、遠征で赴いた土地は、西はバルカン半島東はメソポタミアまでに及び、各地の建造物を実見しました。前線に出ている間に土木工学に関する実践的経験を積み、道路や橋梁、水路といったインフラストラクチャーの構築を含む、あらゆる種類の要塞建築のエキスパートとなりました。50歳頃、帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)に任命されました。(同上)
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スィナンは、軍で培った技術的スキルを良質な宗教施設を創造することに用いることになりました。帝室モスクの代表作は、イスタンブルの『シェフザーデ・ジャーミイと『スレイマニエ・ジャーミイ』、そして、スィナンが最高傑作と自認した、エディルネの『セリミーエ・ジャーミイ』が挙げられます。スィナンは、晩年に、友人の文人サーイー・ムスタファ・チェレビーに自分の若い頃やイエニチェリになってからの仕事について詳細に語り、これを書き取らせて五つの自伝的回顧録を残しました。(同上)
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スィナンの軍歴の簡単な紹介です。1518年頃まで6年間を士官見習いとして過ごし、その後、セリム1世の最後の外征となったロドス島侵攻と、その2年後、スレイマン1世によるベオグラード攻略戦に従軍しました。ハンガリー侵攻にも従軍し、モハーチの戦いでは近衛騎兵の一員として戦場に赴き、近衛隊の隊長に昇進し、士官候補生からなる歩兵隊の指揮を任されました。(同上)
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スィナンの建築に関しての事績の紹介です。この紹介も、ほんの一部になります。工兵部隊での経験は、彼が建築に対して、理論的なものより、経験的なアプローチをとることに役立ちました。さまざまな資料に基づくと、スィナンが建築した建物は、少なくとも、モスク92箇所、マスジド52箇所、マドラサ55箇所、クルアーン学校7箇所、墓廟20箇所をはじめ、374の建築物にのぼります。(同上)
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スィナンは、オスマン帝国のすべての建築事業を監督する役目を担う帝室造営局長(ハッサ・ミーマーリ・バシュ)を、50年間近く務め、何人もの設計者や熟練した建築技術者のアシスタントを含んだ大きなチームで仕事を進めました。スィナンは、自伝で自らの仕事を三つの時期に分けて説明しています。「徒弟の時代」、「職人の時代」、そして「親方の時代」です。(同上)
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自伝によると、スィナンはエディルネの『セリミーエ・ジャーミイ』こそが自分の最高傑作と認識していました。このモスクは伝統的なオスマン建築の縛りに捉われず、古典期オスマン建築の絶頂であるとされ、スィナン建築の到達点を示しています。彼は、建築中に『アヤソフィヤより大きなドームは作れるわけなかろう、ましてやムスリムには』などとは金輪際言わないと語ったと伝えられます。(以上、同上)
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後方に見えているのは、『第二ボスポラス大橋』です。橋の右側(東側)が、イスタンブールのアジアサイドで、左手が新市街になります。その橋の袂に、ルメリ・リサールの城塞が見えていました。目の前で水の色が変わって見えるのは、白っぽい部分が、乗船したフェリーの航跡になるようです。(同上)
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『ヤル』と呼ばれる岸辺の別荘が並ぶ、アジアサイドの光景です。それぞれの建物に中・小型の桟橋が設けられていました。目の前の赤いボートのような船も、『ヤル』の桟橋から出発してきたようです。あるいは帰路かも知れ2人乗り乗りの小舟でした。(同上)
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オレンジ色の屋根と薄いベージュ色の壁面の建物光景です。海峡に向かっての窓が多く、別荘ではなく、ホテルのように思えました。ベージュ色は、極めて薄い黄色か茶色を表わすようです。ベージュ(beige)の語源は、フランス語で「未加工で自然のままの羊毛という意味とされます。(同上)
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イチオシ
アジアサイドに建つ、『ミフリマフ・スルタン・モスク』です。ミフリマフ・スルタンは、1522年、オスマン帝国を最盛期に導いた壮麗帝スレイマンとヒュッレム妃との間に生まれた皇女です。スレイマン大帝には何人かの息子はいましたが、ミフリマフは唯一の娘だったため、大変可愛がられて育ちました。ミフリマフは当時のオスマン宮廷に仕えていた建築家スィナンにモスクを建設するように命じました。実は、『ミフリマフ・スルタン・モスク』はイスタンブールに2箇所あります。初めにスィナンが建築したのはアジア側のユスキュダルにある1548年に完成したモスクで、歴史地区内にあるモスクは1570年に完成したものです。(同上)
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海峡側から眺めた、『ミフリマフ・スルタン・モスク』の正面光景です。『ミフリマフ』は、ペルシア語で『月の光』を意味します。モスク内部には、まるで彼女の名前の意味を連想させるかのような壮大な空間が広がっています(ネット写真で確認した、歴史地区内のモスク)。天蓋、ステンドグラス、その他の壁面宋祝など、見事の一言です。(同上)
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写真は代わりましたが、『ミフリマフ・スルタン・モスク』紹介の続きです。トルコ史上最高の建築家と評され、現在に生きる私たちにも多くの遺産を残してくれたミマール・スィナンは、宮廷建築家としてオスマン帝国時代に活躍し、モスクや霊廟、宮殿など合計374もの建築物を残しました。そんなスィナンが密かに恋心を抱いたと伝わるのが、皇帝スレイマン1世の娘・ミフリマフ・スルタンです。(同上)
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埠頭のすぐ近くにあり、船やバスなどを利用する人たちが毎日目にするため、ウスキュ・ダルのランドマーク的存在になっています。モスク内部は外の喧騒が嘘のように静謐な空間です。アーチの淡い色合いや窓の装飾など、ひとつひとつが女性らしく品があるデザインになっています。スィナンから見たミフリマを表現しているようなモスク、と紹介されていました。ネット検索で写真をご覧ください。(同上、以上)
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イチオシ
第一ボスポラス大橋の手前、アジア側に見えてくるのが『ベイレルベイ宮殿』です。オスマン帝国の第32代皇帝アブドゥルアズィズが1865年に建造しました。オスマン様式とバロック様式を織り交ぜた宮殿で、夏の離宮や迎賓館として使用されていました。(同上)
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『ベイレルベイ宮殿』は、ドルマバフチェ宮殿と比べるとコンパクトですが、ドルマバフチェ宮殿と同様に正門は海側に位置していて、クルーズ船に乗らなければ全貌を確認することはできません。また、宮殿内には国宝級の品々が数多く並んでいるようです。(同上)
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『第一ボスポラス大橋』の下を潜り抜ける時の光景です。かつては『ボスポラス橋(ボスポラス大橋)』と呼ばれましたが、二つ目の大橋が出来てからは、『第一ボスポラス大橋』の通称で呼ばれるようになりました。ボスポラス海峡への架橋は、1957年に当時のアドナン・メンデレス首相によって決定されました。完成は1973年10月30日、トルコ共和国建国50周年記念日の翌日のことでした。(同上)
(追記):現在の正式名称は、『7月15日殉教者の橋』です。2016年7月15日に軍の一部が起こしたクーデター未遂事件では兵士が橋を封鎖し、これに抵抗した市民が犠牲になるなど象徴的な場所となりました。7月25日、ビナリ・ユルドゥルム首相により、現在の名称に改称されることが発表されました。 -
『第一ボスポラス大橋』の下を潜り抜けた、西側のアジアサイドの光景になるようで。手元のガイドブックでは、この辺りの西側が『ウシュキュダル地区』になるようでした。江利チエミさん(1937~1982年)の「ウスクダラ」の歌は、歌詞の意味がほとんど分からない子供の頃か、その後に耳にしたのかも記憶にありませんが、『ウスクダラ・リデリケン』のフレーズが今も記憶に残っています。(同上)
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江利チエミさんの紹介が続生きます。亡くなったのは45歳、あまりにも突然過ぎる死に、チエミの親友だった「三人娘」のひばりといづみをはじめ、清川虹子や中村メイコらもショックを隠しきれずに号泣したとされます。明るい歌声で、元気いっぱいだった人だけに私も驚きました。江利チエミ14歳の時の「テネシーワルツ」の大ヒットが、30年のスター街道の始まりでした。(同上)
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輝くボスポラス海峡の水面(みなも)と、その背景のシルエットの街並み光景です。逆光での撮影だったようですが、素人なりに面白い構図になったようにも思えます。少し欲張れば、飛翔する鳥の姿か、航行する船の姿があったら、もっと良かったかも知れません。背景のシルエットには、モスクのミナレットもありました。(同上)
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対岸の新市街の光景だったようです。往きに撮影した、ドルマバチェフ宮殿が中央付近に写っているようでした。手元の地図を参照すますと、その背後にはヒルトンホテルや、スイスオテル・ザ・ボスフォラスなどの高層ビルがあるようでした。その左(西側)がタクシム広場になります。(同上)
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イチオシ
アジアサイドの海岸線に建つ、ホテルのような感じがする新しい建物の光景です。屋根のオレンジ色と、壁面の白色との対比が綺麗でした。上階は、ボスポラス海峡に張り出すような造りでした。慣習が定着したのか、法規制なのかは分かりませんが、目障りな看板類が一切ないのには好感が持てました。(同上)
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同じく、アジアサイドの海岸線に建つ、別荘ではなくホテルのような感じがする建物の光景です。外観の色合いは、先ほどと同じオレンジ色の屋根と白い壁です。一刈川の建物は、建物の縦と横の主要な構造部分もオレンジ色でした。右側の建物と一体になっているようでした。(同上)
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アジアサイドの海岸線に建つ建物光景が続きます。この建物は、規模からいって、別荘ではなく、ホテルのようでした。海岸線には桟橋もむけられているようです。逆光でない景色は、海峡の水の色でも判断が付くようです。背後の山並みには、うっそうとした木々が茂っていました。(同上)
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対岸の新市街方面の光景だったようです。白く輝く海。峡の水面に、白い観光船が浮かんでいました。新市街方面はクルージングの船からは、西方面ですから、夕刻が近くなると逆光になるようです。家並みも陰っていました。(同上)
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二つ並んだ『ヤル』の光景です。伝統的な造りではなく、『ヤル風の近代建築』かも知れません。それでも、十分に環境にマッチした建物に見えました。壁面を茶色にしたところなどが、『ヤル風』を強調していました。(同上)
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アジアサイドの光景が続きます。海岸線近くには別荘のような建物が立ち並び、その背後には別荘地と一般家屋を隔てるような林が立ち並ぶ光景です。一般家屋の背後には、高い塔や建物が立ち並んでいました。その方面が市街地中心になるような光景でした。(同上)
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対岸から遠謀で紹介した、灯台似ていた建造物のズームアップ光景です。先端の構造物は、照明器具ではなく、風速計のような回転機でした。推測ですが、気象観測用の展望塔のようです。これだけの高さと規模ですから、内部に小さなエレベーター科会談があるのかも知れません。(同上)
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海面近くをゆっくりと飛翔して海鳥さんの光景です。種類は判別できませんでしたが、カモメさんか、ウミネコさんの仲間当たりのようです。主翼の先が濃い色をしていましたが、飛翔姿では茶色に見えました。絶えず黒海から、マルマラ海に向かって海流があるらしく、水面は、細かな波で覆われていました。(同上)
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