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今回の旅行で、初めてゆっくり出来た朝でした。昨日の内にブルーモスクも見学しましたので、今日の午前中はトプカプ宮殿、午後はグランバザール見学とボスポラス海峡クルージングです。夕方にはドバイに向けて帰国の途になります。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)

2008秋、トルコ旅行記2(36/47):10月20日(1):イスタンブール、トプカプ宮殿、表敬門、宮殿のネコさん達

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2008/10/14 - 2008/10/21

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旅行記グループ 2008秋、トルコ旅行記2(下巻)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

今回の旅行で、初めてゆっくり出来た朝でした。昨日の内にブルーモスクも見学しましたので、今日の午前中はトプカプ宮殿、午後はグランバザール見学とボスポラス海峡クルージングです。夕方にはドバイに向けて帰国の途になります。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)

同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス
航空会社
エミレーツ航空
旅行の手配内容
その他
  • トプカプ宮殿の紹介です。『トプカプ宮殿(土: Topkapı Sarayı)』は、『大砲の門宮殿』の意味とされます。15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。イスタンブール旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置します。(同上)<br />*写真は、トプカプ宮殿の出入り口上部の装飾光景です。

    トプカプ宮殿の紹介です。『トプカプ宮殿(土: Topkapı Sarayı)』は、『大砲の門宮殿』の意味とされます。15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿です。イスタンブール旧市街のある半島の先端部分、三方をボスポラス海峡とマルマラ海、金角湾に囲まれた丘に位置します。(同上)
    *写真は、トプカプ宮殿の出入り口上部の装飾光景です。

  • 『トプカプ宮殿』と呼ばれるようになったのは、19世紀に皇帝が去った後からとされます。それ以前は『ベヤズット・スクエア』に元々あった『宮殿(旧宮殿)』に対する『新宮殿』ということで、新宮殿を意味する『イェニ・サライ』、帝国新宮殿を意味する『サライ・ジェディード』と呼ばれました。(同上)<br />*写真は、同じくトプカプ宮殿の出入口付近のアラベスク文様です。

    『トプカプ宮殿』と呼ばれるようになったのは、19世紀に皇帝が去った後からとされます。それ以前は『ベヤズット・スクエア』に元々あった『宮殿(旧宮殿)』に対する『新宮殿』ということで、新宮殿を意味する『イェニ・サライ』、帝国新宮殿を意味する『サライ・ジェディード』と呼ばれました。(同上)
    *写真は、同じくトプカプ宮殿の出入口付近のアラベスク文様です。

  • 『トプカプ宮殿の歴史(その1)』:メフメト2世が、1460年代頃造営を開始し、1478年頃までに完成しました。メフメト2世がここに居を定めてからは、1453年にコンスタンティノープルを征服する以前からの宮殿が『旧宮殿』と呼ばれるようになったのに対して、この宮殿は『新宮殿』と呼ばれることとなりました。(同上)

    『トプカプ宮殿の歴史(その1)』:メフメト2世が、1460年代頃造営を開始し、1478年頃までに完成しました。メフメト2世がここに居を定めてからは、1453年にコンスタンティノープルを征服する以前からの宮殿が『旧宮殿』と呼ばれるようになったのに対して、この宮殿は『新宮殿』と呼ばれることとなりました。(同上)

  • 『トプカプ宮殿の歴史(その2)』:現在使われているトプカプ宮殿の名は、19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある『大砲の門』(土:トプカプ)』に因んで呼ばれるようになりました。宮殿は君主の住居であると同時に、オスマン帝国の行政の中心地として機能しました。(同上)

    『トプカプ宮殿の歴史(その2)』:現在使われているトプカプ宮殿の名は、19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある『大砲の門』(土:トプカプ)』に因んで呼ばれるようになりました。宮殿は君主の住居であると同時に、オスマン帝国の行政の中心地として機能しました。(同上)

  • 『トプカプ宮殿の歴史(その3)』:君主(のちには大宰相)が主催するオスマン帝国の最高意思決定機関である御前会議(ディーワーヌ・ヒュマーユーン)は、宮殿の『ドームの間(クッベ・アルトゥ)』と呼ばれる部屋で開かれました。古い時代にはさらに『ドームの間』の隣には中央政府の書記局と、帝国の公文書や宝物・税金を蓄える国庫が置かれました。(同上)

    『トプカプ宮殿の歴史(その3)』:君主(のちには大宰相)が主催するオスマン帝国の最高意思決定機関である御前会議(ディーワーヌ・ヒュマーユーン)は、宮殿の『ドームの間(クッベ・アルトゥ)』と呼ばれる部屋で開かれました。古い時代にはさらに『ドームの間』の隣には中央政府の書記局と、帝国の公文書や宝物・税金を蓄える国庫が置かれました。(同上)

  • 『トプカプ宮殿の歴史(その4)』:当初は、『後宮(ハレム)』は旧宮殿に残されていましたが、『スレイマン1世(在位:1520~1566年)』の時、トプカプ宮殿に移されました。ハレムの人々は、スレイマンの夫人ヒュッレム・スルタンを端緒として、16世紀後半頃から政治に介入するようになりました。17世紀には君主の母后が政治を自由に動かす『女人の天下』と呼ばれる時代を迎えました。(同上)

    『トプカプ宮殿の歴史(その4)』:当初は、『後宮(ハレム)』は旧宮殿に残されていましたが、『スレイマン1世(在位:1520~1566年)』の時、トプカプ宮殿に移されました。ハレムの人々は、スレイマンの夫人ヒュッレム・スルタンを端緒として、16世紀後半頃から政治に介入するようになりました。17世紀には君主の母后が政治を自由に動かす『女人の天下』と呼ばれる時代を迎えました。(同上)

  • 『トプカプ宮殿の歴史(その5)』:17世紀中頃に大宰相の執務所と書記官僚の文書行政機構が、大宰相公邸である大宰相府(バーブ・アーリー)に移ると、宮殿はオスマン帝国の最高政務機関としての実質を失いました。その後も、トプカプ宮殿は依然として皇宮であり、帝国の儀礼と公式行事の中枢でしたが、1853年に宮廷が西洋風の『ドルマバフチェ宮殿』に移ってからは放置され、荒廃しました。トルコ共和国は、1924年にトプカプ宮殿を博物館とし、修復して一般の人々の見学に開放しました。(同上)

    『トプカプ宮殿の歴史(その5)』:17世紀中頃に大宰相の執務所と書記官僚の文書行政機構が、大宰相公邸である大宰相府(バーブ・アーリー)に移ると、宮殿はオスマン帝国の最高政務機関としての実質を失いました。その後も、トプカプ宮殿は依然として皇宮であり、帝国の儀礼と公式行事の中枢でしたが、1853年に宮廷が西洋風の『ドルマバフチェ宮殿』に移ってからは放置され、荒廃しました。トルコ共和国は、1924年にトプカプ宮殿を博物館とし、修復して一般の人々の見学に開放しました。(同上)

  • 『皇帝の門』の上部のズームアップ光景です。トプカプ宮殿への入口門です。城壁の一部が門となっています。門の上部に黄金色の飾りとアラビア文字の模様がありました。オスマン帝国の紋章も掲げられていました。門の両脇はレンガ積の城壁となっていて、宮殿を守っていました。見応えのある門です。皇帝の門は、かつての宮殿の正門でした。1478年に建てられ、門の上には見張りの塔があったようです。(同上)

    イチオシ

    『皇帝の門』の上部のズームアップ光景です。トプカプ宮殿への入口門です。城壁の一部が門となっています。門の上部に黄金色の飾りとアラビア文字の模様がありました。オスマン帝国の紋章も掲げられていました。門の両脇はレンガ積の城壁となっていて、宮殿を守っていました。見応えのある門です。皇帝の門は、かつての宮殿の正門でした。1478年に建てられ、門の上には見張りの塔があったようです。(同上)

  • 『トプカプ宮殿の構造(その1)』:トプカプ宮殿は、大きな建物を持たず比較的小さな建物と部屋が連なり、また数多くの庭園と離れ(キョシュク:キオスクの語源)を持つ建造物群です。このことから、トルコ人の中央アジアの遊牧民的な伝統に基づいた宮殿である、と説明されることもあります。宮殿のある丘は、古代ビュザンティオンのアクロポリスのあった場所にあたります。(同上)

    『トプカプ宮殿の構造(その1)』:トプカプ宮殿は、大きな建物を持たず比較的小さな建物と部屋が連なり、また数多くの庭園と離れ(キョシュク:キオスクの語源)を持つ建造物群です。このことから、トルコ人の中央アジアの遊牧民的な伝統に基づいた宮殿である、と説明されることもあります。宮殿のある丘は、古代ビュザンティオンのアクロポリスのあった場所にあたります。(同上)

  • 『トプカプ宮殿の構造(その2)』:宮殿の外壁はこの丘を大きく囲み、外壁内の総面積は約70万m2ほどの面積です。宮殿の正門は、アヤソフィアの側にある『帝王の門(バーブ・ヒュマーユーン)』です。『帝王の門』を潜ると、『第一の中庭』と呼ばれる空間があり、オスマン帝国時代も現代も、一般の人々が自由に出入りできます。東ローマ帝国時代の遺構の聖イレーネ教会は『第一の庭』の一角です。(同上)

    『トプカプ宮殿の構造(その2)』:宮殿の外壁はこの丘を大きく囲み、外壁内の総面積は約70万m2ほどの面積です。宮殿の正門は、アヤソフィアの側にある『帝王の門(バーブ・ヒュマーユーン)』です。『帝王の門』を潜ると、『第一の中庭』と呼ばれる空間があり、オスマン帝国時代も現代も、一般の人々が自由に出入りできます。東ローマ帝国時代の遺構の聖イレーネ教会は『第一の庭』の一角です。(同上)

  • 『トプカプ宮殿の構造(その3)』:『第一の中庭』の他の「帝王の門」内の空間は、君主の庭園や離宮が営まれていて、タンジマートの指針を宣言するギュルハネ勅令が発布されたギュルハネ庭園が残されています。外壁内の宮殿敷地の内側には、第二の城壁で囲まれた縦横200m×400mほどの長方形の空間が、君主の私邸であるトプカプ宮殿の本体部分です。その内部は、行政と公式行事の行われる場である『外廷(ビルン)』と君主の私生活の場である『内廷(エンデルン)』、そして女性たちの住む『後宮(ハレム)』の三つの部分からなります。(同上)

    『トプカプ宮殿の構造(その3)』:『第一の中庭』の他の「帝王の門」内の空間は、君主の庭園や離宮が営まれていて、タンジマートの指針を宣言するギュルハネ勅令が発布されたギュルハネ庭園が残されています。外壁内の宮殿敷地の内側には、第二の城壁で囲まれた縦横200m×400mほどの長方形の空間が、君主の私邸であるトプカプ宮殿の本体部分です。その内部は、行政と公式行事の行われる場である『外廷(ビルン)』と君主の私生活の場である『内廷(エンデルン)』、そして女性たちの住む『後宮(ハレム)』の三つの部分からなります。(同上)

  • 第一庭園にある『アヤ・イリニ教会』の建物側面光景です。アヤ・イリニ教会は、4世紀に建てられた教会で1600年後の現在もその当時の建築様式を保っています。オスマントルコ時代、多くのキリスト教の教会はモスクへと姿を変えました。しかし、アヤ・イリニ教会はその大きさが中途半端であったために、モスクには造り替えられることなく倉庫などとして利用され、それが幸いし、建築当時の味わい深い姿を残しています。(同上)

    第一庭園にある『アヤ・イリニ教会』の建物側面光景です。アヤ・イリニ教会は、4世紀に建てられた教会で1600年後の現在もその当時の建築様式を保っています。オスマントルコ時代、多くのキリスト教の教会はモスクへと姿を変えました。しかし、アヤ・イリニ教会はその大きさが中途半端であったために、モスクには造り替えられることなく倉庫などとして利用され、それが幸いし、建築当時の味わい深い姿を残しています。(同上)

  • アヤ・イリニ教会は、ビザンティン時代で、最も古い教会とされます。コンスタンティノープル建都の祖であるコンスタンティヌス1世によって、ローマ帝政時代に造られた歴史ある教会です。アヤ・イリニ教会は、東ローマ帝国の教会、オスマン帝国の軍隊の武器製造所、軍事博物館、無宗教の博物館兼コンサートホール、という数々の歴史を歩みました。(同上)

    アヤ・イリニ教会は、ビザンティン時代で、最も古い教会とされます。コンスタンティノープル建都の祖であるコンスタンティヌス1世によって、ローマ帝政時代に造られた歴史ある教会です。アヤ・イリニ教会は、東ローマ帝国の教会、オスマン帝国の軍隊の武器製造所、軍事博物館、無宗教の博物館兼コンサートホール、という数々の歴史を歩みました。(同上)

  • 持ち場をパトロール中らしいワンちゃんの光景です。トルコの固有種か、その血統が濃いワンちゃんのようでした。大人しく、そして賢そうな顔付と、長い脚と尻尾が特徴でした。(同上)

    持ち場をパトロール中らしいワンちゃんの光景です。トルコの固有種か、その血統が濃いワンちゃんのようでした。大人しく、そして賢そうな顔付と、長い脚と尻尾が特徴でした。(同上)

  • 推定ですが、『頭巾烏(ズキンガラス)』のようです。スコットランド、北ヨーロッパ、中央ヨーロッパ、東南ヨーロッパおよび北西アジアに生息するカラスさんです。スズメ目カラス科カラス属に分類される鳥です。頭部・のど・翼・尾の羽毛・羽根は黒く、胴体部分の羽毛が灰色とされます。(同上)

    推定ですが、『頭巾烏(ズキンガラス)』のようです。スコットランド、北ヨーロッパ、中央ヨーロッパ、東南ヨーロッパおよび北西アジアに生息するカラスさんです。スズメ目カラス科カラス属に分類される鳥です。頭部・のど・翼・尾の羽毛・羽根は黒く、胴体部分の羽毛が灰色とされます。(同上)

  • ネコさんたちの重要会議か、内緒話のようです。手前が三毛猫、その奥の二匹が黒猫さんです。人を怖がらず、落ち着いた行動から、ノラ猫さんではなく、屋敷猫さんと呼んだ方が似合っているようです。(同上)

    ネコさんたちの重要会議か、内緒話のようです。手前が三毛猫、その奥の二匹が黒猫さんです。人を怖がらず、落ち着いた行動から、ノラ猫さんではなく、屋敷猫さんと呼んだ方が似合っているようです。(同上)

  • 前足をきちんと揃え、その足の先に尻尾がありました。端正な顔付のネコさんでした。猫の毛並みで検索してみましたら、『キジトラ』に該当するようでした。日本の猫にとくに多い柄とされ、猫の祖先の『リビアヤマネコ』に最も近い毛柄とされます。(同上)

    前足をきちんと揃え、その足の先に尻尾がありました。端正な顔付のネコさんでした。猫の毛並みで検索してみましたら、『キジトラ』に該当するようでした。日本の猫にとくに多い柄とされ、猫の祖先の『リビアヤマネコ』に最も近い毛柄とされます。(同上)

  • 『屋敷猫』さんたちは、厳しいしつけがされているんでしょうか、こちらのネコさんもきれいに前足を揃えていました。毛柄は、ミケ(三毛)でした。猫さんの基本となる毛柄は、13種ほどのようです。『屋敷猫』は勝手な呼び名ですが、『宮殿猫』の方がよかったかも知れません。(同上)

    『屋敷猫』さんたちは、厳しいしつけがされているんでしょうか、こちらのネコさんもきれいに前足を揃えていました。毛柄は、ミケ(三毛)でした。猫さんの基本となる毛柄は、13種ほどのようです。『屋敷猫』は勝手な呼び名ですが、『宮殿猫』の方がよかったかも知れません。(同上)

  • 『表敬の門』の近くで見かけた建物光景です。表示がありましたが、文字を読み取れませんでした。『表敬の門』のチケット売り場などがある箇所かも知れません。チケットの手配は、現地ガイドさんにお任せです。(同上)

    『表敬の門』の近くで見かけた建物光景です。表示がありましたが、文字を読み取れませんでした。『表敬の門』のチケット売り場などがある箇所かも知れません。チケットの手配は、現地ガイドさんにお任せです。(同上)

  • 前方に見えてきたのは『表敬の門』です。トプカプ宮殿内部への入口門です。表敬の門は、両側に塔がある重厚な石積の門です。門の上部と左右に黄金色でアラビア風の文様と文字が書かれています。トプカプ宮殿内部に入るにはこの門を通過します。門の手前右側に、宮殿ショップとチケット売り場があると紹介されていました。(同上)

    前方に見えてきたのは『表敬の門』です。トプカプ宮殿内部への入口門です。表敬の門は、両側に塔がある重厚な石積の門です。門の上部と左右に黄金色でアラビア風の文様と文字が書かれています。トプカプ宮殿内部に入るにはこの門を通過します。門の手前右側に、宮殿ショップとチケット売り場があると紹介されていました。(同上)

  • 『表敬の門』に向かって左側の尖塔の光景です。『表敬の門』は、トプカプ宮殿の中央門で、『バービュス・セーラム』と呼ばれています。かつてのこの門は、馬に乗ったまま通れたのはスルタンだけとされます。宰相や高官、各国大使などは、ここで下馬し、歩いて宮殿内に入る決めになっていたようです。(同上)

    イチオシ

    『表敬の門』に向かって左側の尖塔の光景です。『表敬の門』は、トプカプ宮殿の中央門で、『バービュス・セーラム』と呼ばれています。かつてのこの門は、馬に乗ったまま通れたのはスルタンだけとされます。宰相や高官、各国大使などは、ここで下馬し、歩いて宮殿内に入る決めになっていたようです。(同上)

  • 同じく、『表敬の門』に向かって左側の尖塔のズームアップ光景です。推定ですが、これだけの高さと規模を持っているのは、門の守備だけでなく、宮殿全体の見張り台と、守備を兼ねていたのかも知れません。(同上)

    同じく、『表敬の門』に向かって左側の尖塔のズームアップ光景です。推定ですが、これだけの高さと規模を持っているのは、門の守備だけでなく、宮殿全体の見張り台と、守備を兼ねていたのかも知れません。(同上)

  • 『表敬の門』の創建は1542年です。2本の塔は、『スレイマン1世(1494~1566年)』によって、16世紀に増築されたものとされます。この門より内部は、スルタン以外は徒歩での入場が義務付けられました。門の入口上部には、『トゥグラ』と呼ばれるスルタンの紋章が掲げられています。現在は博物館の入口になっていて、セキュリティチェックが行われています。(同上)

    『表敬の門』の創建は1542年です。2本の塔は、『スレイマン1世(1494~1566年)』によって、16世紀に増築されたものとされます。この門より内部は、スルタン以外は徒歩での入場が義務付けられました。門の入口上部には、『トゥグラ』と呼ばれるスルタンの紋章が掲げられています。現在は博物館の入口になっていて、セキュリティチェックが行われています。(同上)

  • トプカプ宮殿の中心部を囲う石造の城壁の光景です。手元のガイドブックを参照しますと、現在は、その一部が残されているようでした。三方を海に囲まれた地形から、城壁を必要としない部分もあるのかも知れません。その城壁の脇にあった樹木の光景です。(同上)

    トプカプ宮殿の中心部を囲う石造の城壁の光景です。手元のガイドブックを参照しますと、現在は、その一部が残されているようでした。三方を海に囲まれた地形から、城壁を必要としない部分もあるのかも知れません。その城壁の脇にあった樹木の光景です。(同上)

  • トプカプ宮殿の中心部を取り囲む城壁の光景です。その最上段部分です。翻っていた赤い旗は、トルコ共和国の国旗のようです。オスマン帝国時代のデザインが、踏襲された国旗です。元はタンジマートの改革により1844年に公式に定められた、帝国の国旗(1844~1923年)であり、ほぼ同じデザインです。(同上)

    トプカプ宮殿の中心部を取り囲む城壁の光景です。その最上段部分です。翻っていた赤い旗は、トルコ共和国の国旗のようです。オスマン帝国時代のデザインが、踏襲された国旗です。元はタンジマートの改革により1844年に公式に定められた、帝国の国旗(1844~1923年)であり、ほぼ同じデザインです。(同上)

  • トプカプ宮殿の『表敬の門』の光景です。この宮殿は、「門(土:カプ)』に、礼砲用の『大砲(土:トプ)』が置かれていたため、18世紀頃から、『トプカプ宮殿』と呼ばれるようになりました。また、『イスタンブール』という町の名前は、オスマン帝国の時代に知られるようになりますが、町の名前が正式に『イスタンブール』と決まったのは、第一次世界大戦が終わり、トルコ共和国になってからです。(同上)

    トプカプ宮殿の『表敬の門』の光景です。この宮殿は、「門(土:カプ)』に、礼砲用の『大砲(土:トプ)』が置かれていたため、18世紀頃から、『トプカプ宮殿』と呼ばれるようになりました。また、『イスタンブール』という町の名前は、オスマン帝国の時代に知られるようになりますが、町の名前が正式に『イスタンブール』と決まったのは、第一次世界大戦が終わり、トルコ共和国になってからです。(同上)

  • オスマン帝国の君主は、それぞれ『トゥグラ』というアラビア文字による花押のような署名をもっていたとされます。これが同時に帝国のシンボルとしても用いられていたようです。カリフの名前など、詳しいことは分かりませんでしたが、この文様が『トゥグラ』であることは間違いありません。(同上)<br />

    イチオシ

    オスマン帝国の君主は、それぞれ『トゥグラ』というアラビア文字による花押のような署名をもっていたとされます。これが同時に帝国のシンボルとしても用いられていたようです。カリフの名前など、詳しいことは分かりませんでしたが、この文様が『トゥグラ』であることは間違いありません。(同上)

  • 上が、アラビア文字にリズミカルな書体よる記述、その下の枠内の文様が『トゥグラ』です。先に紹介した『トゥグラ』とよく似ていますが、別のカリフの署名になるようです。もちろんカリフの自筆ではなく、サインをもとにした創作された装飾です。(同上)

    上が、アラビア文字にリズミカルな書体よる記述、その下の枠内の文様が『トゥグラ』です。先に紹介した『トゥグラ』とよく似ていますが、別のカリフの署名になるようです。もちろんカリフの自筆ではなく、サインをもとにした創作された装飾です。(同上)

  • 『表敬の門』で撮影した天井光景です。随分と凝った文様ですが、美的感覚では、イマイチといった感じがしました。殊に中央部の文様は凝り過ぎて、意匠が読み取れませんでした。その周辺部には、金箔を使ったらしい文様がありましたが、その効果も生かされていないようです。(同上)

    『表敬の門』で撮影した天井光景です。随分と凝った文様ですが、美的感覚では、イマイチといった感じがしました。殊に中央部の文様は凝り過ぎて、意匠が読み取れませんでした。その周辺部には、金箔を使ったらしい文様がありましたが、その効果も生かされていないようです。(同上)

  • こちらの文様も、『表敬の門』で撮影した天井か壁面の装飾光景です。アラベスクの1種のようでしたが、具象的な表現も残されているようでした。中心部分に描かれているのは、風景画のようにも見えました。(同上)

    こちらの文様も、『表敬の門』で撮影した天井か壁面の装飾光景です。アラベスクの1種のようでしたが、具象的な表現も残されているようでした。中心部分に描かれているのは、風景画のようにも見えました。(同上)

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