2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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ボスフォラス海峡のクルージングの続きです。絶好の観光日和でしたから、1時間余りの間、潮風を感じながらデッキで撮影を続けました。歴史的に摩擦が起きてきたボスポラス海峡ですが、海峡を含む地域が平和であることを心から願います。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス 船
- 旅行の手配内容
- その他
-
既に紹介した場所を含めて、ボスポラス海峡の主な見どころの紹介です。旧市街のエミノニュを出発して、ボスポラス第2大橋で折り返すショートコースです。
〇『ガラタ塔』:新市街:新市街のランドマークとも言われる、1338年に再建された塔です。高さ53メートルの展望テラスがあります。
〇『ガラタ橋』:旧市街と新市街を結ぶ橋:魚釣りで有名な橋です。(同上) -
〇『スレイマニエ・モスク』:旧市街:オスマン帝国の第10代君主『スレイマン1世(在位:1520~1566年)』の命により、当時の宮廷建築家頭で、トルコ史上最高の建築家の『ミマール・スィナン』が設計し、1557年に完成したモスクです。
〇『ヌスレテェイエ・モスク』:新市街:新市街に建てられたオスマン帝国時代のモスクです。バロック様式とオスマン建築の融合が見事なモスクです。(同上) -
〇『ボスポラス大橋(第一大橋)』:新市街とアジアサイドに架かる橋です。アジアとヨーロッパを繋ぐ、世界最大級の橋です。
〇『ドルマパフチエ・モスク』:新市街:アルメニア人建築家のガラベト・バルヤンとその息子のニゴオス・バルヤンによって設計され、1855年に完成しました。
*写真は、『クレリ軍事高等学校』の白い建物です。後ほど紹介します。(同上) -
〇『ドルマパフチエ宮殿』:新市街:ドルマバフチェ宮殿が完成した1856年に、皇帝アブドゥルメジッド1世がトプカプ宮殿から移り住みました。その後、5人の皇帝がドルマバフチェ宮殿に住み、オスマン帝国の中心地でした。
〇『オルタキョイ・モスク』:新市街:1854年にオスマン帝国の第31代皇帝の『アブドゥルメジト1世(1823~1861年)』の命により建てられました。(同上) -
〇『ボスポラス大橋(第二大橋)』:第一大橋と同じく、新市街とアジアサイドに架かる橋です。今回のクルージングの折り返し点でした。
〇『ルメリ・ヒサール』:新市街:オスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル郊外(現在のイスタンブール)に造営した城塞です。『ローマ人の土地(ルメリ)の要塞』という意味を持ちます。(同上) -
〇『別荘地のヤル』:アジアサイド:『ヤル』と呼ばれる別荘は、アジアサイドのボスフォラス海峡の岸辺に数多くあります。オスマン時代の夏の避暑地でした。
〇『クレリ軍事高等学校』:アジアサイド:ボスポラス海峡のアジア沿岸にあるイスタンブールのチェンゲルキョイにあるトルコで最も古い軍事高校です。1845年9月にオスマン帝国のスルタンアブデュルメジド1世によって設立されました。(同上) -
〇『ウスク・ダラ』:アジアサイド:1953年にアメリカのアーサー・キットが歌ったトルコ民謡がベースのトルコの歌曲です。日本では、雪村いずみさんと、江利チエミさんの歌で大ヒットしました。アジアサイドの街です。
〇『ミフリマフ・スルタン・モスク』:アジアサイド:スレイマン大帝の娘に因むモスクで、歴史地区内にあるモスクは1570年に完成したモスクです。(同上) -
〇『ベイレルベイ宮殿』:アジアサイド:1865年に建造した、オスマン様式とバロック様式を織り交ぜた宮殿です。夏の離宮や迎賓館として使われました。
〇『クズ塔(乙女の塔)』:ボスポラス海峡の小島に立つ塔です。塔の歴史は古く500年頃には、税関の見張りの塔があったようです。目にしまをしていたものの、シャッターチャンスを逃してしまいました。(同上) -
紹介予定をしていたものの、シャッターチャンスを逃した見どころの紹介です。
〇『アナドル・ヒサール(要塞)』:アジアサイド:『ルメリ・ヒサール』と対になって、海峡閉鎖に使われた要塞で、1452年にメフメット2世により拡大されました。
〇『キュチュクス宮殿』:アジアサイド:小さな宮殿のようなので、見落としてしまったようです。(同上、以上) -
『得体の知れない建物』と形容したくなる不思議な施設の紹介です。見た瞬間のイメージは、大型船の赤い煙突と、その右手のマストの光景でした。しかし、その手前に見えるのは、白い建屋でした。ゆっくり見直しても、正しい答えが思い付かない、『得体の知れない建物』でした。濃い青色と、赤色に塗り分けられた煙突風の部分委は、錨のような白いイラストがありました。(同上)
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前方に、ボスポラス海峡のショート・クルージングの折り返し点の第二大橋が見えてきました。その少し手前の丘の上の建造物は、『ルメリ・ヒサール(砦)』です。『ルメリ・ヒサール(ルメリ・ヒサル)』は、オスマン帝国のメフメト2世がコンスタンティノープル郊外(現在のイスタンブール)に造営した城塞です。『ローマ人の土地(ルメリ)の要塞』という意味をもちます。(同上)
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『ルメリ・ヒサール』の紹介が続きます。ヨーロッパのお城のようにも見える要塞です。この要塞は、1452年にオスマン帝国の第7代スルタンの『メフメト2世(在位:1444~1446年、1451~1481年)』が、東ローマ帝国の首都・コンスタンティノープルを攻略するために建てました。三つの塔に小さな塔が13ある巨大な要塞は、1万人の労働者がわずか4か月で完成させました。(同上)
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当時のコンスタンティノープルは、古代ローマ帝国以来の堅固な城壁に守られた難攻不落の都市でした。そこでメフメト2世は、黒海からやって来る東ローマ帝国の応援艦隊を狙い撃ちすることを計画しました。ボスポラス海峡で最も海幅が狭いここに要塞を造り、対岸にすでにあったもうひとつの要塞と併せて両側から、大砲で攻撃をしようとしました。(同上)
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1453年、53日間の包囲の後に、コンスタンティノープルは陥落し、1000年続いた東ローマ帝国(395~1453年)は滅びました。街は支配者が代わって、オスマン帝国の首都となりました。現在の『ルメリ・ヒサール』は、野外ステージが設けられていて、夏になるとさまざまな催し物が開催されています。船の上から眺める要塞は、かつての攻防を想像させてくれます。(同上、以上)
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ショートツアーの折り返し点の『ボスポラス第二大橋(ファーティフ・スルタン・メフメット大橋)』です。ヨーロッパ側とアジア側を結ぶ二番目の橋で、1988年に開通しました。第二ボスポラス大橋は、日本政府による開発援助のもと日本トップクラスの技術を集結して建設した橋とされます。橋の名前は、イスタンブールを征服したオスマン帝国のスルタンに因んで付けられました。(同上)
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『ボスポラス第二大橋(ファーティフ・スルタン・メフメット大橋)』で折返して、アジアサイドの景色の紹介に変わります。アジアサイドの中心となる町は、『ウスキュダル』です。旧名はスクタリ、古名がクルソポリスです。現在は、イスタンブール県ユスキュダル郡の郡都で、人口は58.3万人(2007年)です。1950年代に世界的にヒットした民謡の『ウスクダラ』は、日本では江利チエミさんの歌唱でした。(同上)
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『ウスクダラ(Uska Dara)』は、1953年にアメリカのアーサー・キットが歌う楽曲になりました。この歌は、ユスキュダルへと旅していく女性と、その秘書についての物語を歌ったトルコの民謡の『キャーティビム』に基づきます。日本では、1954年8月、雪村いづみが『帰らざる河』のB面に『ウシュカ・ダラ』を収録し、同年8月、江利チエミは『ウスクダラ』として、大ヒットしました。(同上)
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『ウスクダラ』紹介の締め括りです。1976年10月、江利チエミは同じくキングレコード所属だった、ロックグループのムーンライダーズとのセッションで、アレンジ版の「ウスクダラ」「イスタンブール・マンボ」「シシ・カバブ」などを新録しましたが、当時のアルバム化は見送られました。(同上、以上)
*写真は、頂上付近にも別荘が立ち並んだ、アジアサイドの光景です。 -
イチオシ
『ヤル』と呼ばれる別荘です。アジア側のボスフォラス海峡の岸辺には、ヤルと呼ばれる避暑地の別荘地があります。『ヤル』は『水辺』を意味し、主にボスフォラス海峡沿岸の古い別荘建築を指しています。右側の濃い茶色の家が伝統的な造りのようです。手元のガイドブックには、『ヤル』は、アジアサイドでも、第二大橋付近が多い、と紹介されていました。(同上)
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手元のガイドブックからの、『ヤル』の紹介です。『ヤルは、出窓がある木造の伝統的な家屋で、海に面して玄関があり、ボートの艇庫があるのが特徴』、また、『中でも17世紀のもので、イスタンブールの現存する最古の民家とも言われるアムジャザーデ・ヒュセイン・パシャの別荘や、1760年に建てられた『ケブルスル・ムスタファ・エミン・パシャの別荘などが有名』、とも紹介されていました。(同上)
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推測ですが、近代的な造りの『ヤル』か、もしくは『ヤル風』のホテルかも知れません。この辺りに『ヤル』が多いのは、オスマン帝国時代に、この辺りが夏の避暑地だったことによるようです。ボスポラス海峡が、風の通り道になり、流れのある海水による冷却効果があるのかも知れません。(同上)
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イチオシ
『クレリ軍事高等学校』の立派な校舎の光景です。この学校は、ボスポラス海峡のアジア沿岸にあるイスタンブールのチェンゲルキョイにあるトルコで最も古い軍事高校でした。1845年9月にオスマン帝国のスルタンアブデュルメジド1世によって設立されました。(同上)
(追記):2016年のトルコクーデター未遂事件の後、クレリ軍事高校は他の軍事高校とともに閉鎖され、博物館になりました。2016年トルコクーデター未遂事件は、2016年7月15日にトルコで同国軍の一部がクーデターを画策し失敗に終わった事件です。民間人を含め、死者は290人に及びました。 -
同じく、『クレリ軍事高等学校』の校舎の光景です。クレリ軍事高校は、1845年9月21日に『Mekteb-iFünun-ıİdadiye』という名前でイスタンブールのマッカ兵舎に設立され、現在はイスタンブール工科大学で使用されています。
(追記):2021年2月4日:トルコのソイル内相は4日、2016年に起きたクーデター未遂事件について、背後に米国が存在していたとの認識を示しました。(同上) -
『クレリ軍事高等学校』についての説明が続きます。もともとはクレリ騎兵隊の兵舎だったクレリ軍事高校の建物は、オスマン帝国のアルメニア人建築家ガラベット・バリアンによって設計され、1843年に建設が完了しました。1868年に、すべての軍事高校が統合されることが決定され、当時、クレリを含む四つの軍事高校が統合され、ガラタサライ兵舎に移されました。しかし、この方策は失敗でした。(同上)
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オスマン帝国とロシアの間の露土戦争(1877~1878年)の間に、学校は病院に変わりました。そのため、クレリの学生と学術スタッフは、イスタンブールのパンガルティにあるトルコ軍士官学校の建物に引っ越しました。戦争が終わり、学校は1879年に軍事医学高校でチェンゲルキョイの建物に戻りました。軍事医学高校は、1910年にハイダルパシャに移されました。(同上、以上)
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白い屋根と白い尖塔、それに、少し赤みを帯びた茶色糸の壁面の建物です。推測ですが、地元のモスクのように見えました。屋根の色が、ここまで白い建物は、これまで目にしたことがありませんが、対候性や汚損対策が大変そうに思えます。現在は、まだ新しいようですが、白い屋根は間を置かずに汚れてしまいそうです。薄い灰色かも知れません。壁を白く塗った建物は、ギリシャなどで見かけました。(同上)
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右手に見える薄い緑色の屋根を持った建物は、ホテルか宮殿跡のような規模の建物です。手元のガイドブックには、キュチュクス宮殿や、ボスフォラス・パラス・ホテル等が、その付近に記されていました。ネット検索では、どちらも該当しないようでした。(同上)
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イチオシ
『ヤル』等で使われているボートでしょうか、岸辺に上げられて保管されていました。木造船ですと、フナクイムシ(船喰虫)対策かも知れません。この二枚貝類のグループは、細長い体に小さな貝殻がついている軟体生物です。海に流れてきた木や木造船を食べて、貝殻で穴を掘って住みます。その穴の掘り方は、見事な職人技と例えられています。フナクイムシは『海のシロアリ』とも呼ばれます。(同上)
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『フナクイムシ』の説明の続きです。水管が細長く発達しているため、蠕虫(ぜんちゅう)状の姿をしていますが、2枚の貝殻が体の前面にあります。貝殻は木に穴を空けるために使われ、独特の形状です。木材の穴を空けた部分には薄い石灰質の膜を張りつけ、巣穴にします。巣穴は外界に通じる開口部を持ち、ここから水管を出して水の出し入れをします。(同上)
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『フナクイムシ』の説明の締め括りです。危険を感じると、水管を引っ込めて尾栓で蓋をします。体内の特殊な器官『デエー腺:gland of Deshayes』内に共生するバクテリアから分泌される酵素により、木のセルロースを消化できます。前面貝殻は長くて2 センチほど、トンネルは直径1センチほど、長さは60 センチから1メートルほどです。トンネル掘削の、シールド工法の見本とも言われます。(同上)
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