2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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今日の観光の締め括りは、ベリーダンス・ショーを鑑賞しながらのディナーでした。ツアー旅行の定番になっているようでした。ベリーダンスは、女性解放のシンボルとして世界各地に普及しているようです。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
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『オスマン建築の歴史:盛期の建築(その6)』:『ファーティフ・ジャーミー』の狂いない左右対称で広大な外庭には、多ドームで覆われたマドラサやデルヴィシュたちの宿舎や、慈善的な施設といった施設が配されていて、そのスケールは帝国的と形容されます。これはキュッリイェにも浸透していて、各施設が理路整然と、しかも対称的に配置されている様は、初期の段階のキュッリイェが無秩序に配置されていたのとは対照的です。(同上)
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『オスマン建築の歴史:盛期の建築(その7)』:キュッリイェとは、モスクを中心として多数の公共施設を一括して計画した、いわば複合都市施設ともいうべき構造のことを言います。この種の複合施設の発想そのものは、中世イスラム世界において珍しいものではないですが、ファーティフ・キュッリイェはオスマン朝下に建てられた最初のキュッリイェです。(同上)
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『オスマン建築の歴史:盛期の建築(その8)』:ここに見られる厳格な幾何学性は、オスマン帝国が当時アナトリアおよびバルカン半島にもたらしつつあった秩序と統一とを象徴するものでした。ひとつのプロジェクトにおいて、これほどまでの統制がなされたのは、オスマン帝国においてはこれが初めてとされます。ここでの秩序が、単なる独裁的な支配を超えたものであるということは、メフメトの建造物が、王立モスクかつ葬祭の場であるとともに、ひとつの大学であったことから明らかとされています。(同上)
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イチオシ
『オスマン建築の歴史:盛期の建築(その9)』:前述のように、モスク自体は後に再建されましたが、前庭の周囲は地震による影響を受けませんでした。広々として落ち着いた空間と、各施設に至る古風な柱に支えられた幅広い連続したアーチを見ることができます。礼拝ホールのポルティコとリワークには、ある種の区別がなされていますが、その構成はユチュ・シェレフェリ・モスクよりうまく融合したものになっています。当初の礼拝ホールの入口は、再建された新しい建築物の中に取り込まれています。そこでは、曲線が途中で途切れている上心アーチが一つ使われ、その外側を、長方形の枠が縁取っています。このキュッリイェは、現在も多くの信者を集め、市民の宗教・日常生活の中心となっています。(同上)
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『オスマン建築の歴史:盛期の建築(その10』:神秘主義教団と関わりの深かったバヤズィト2世は、教団の本拠地であるエディルネにジャーミーとキュッリイェを建設しました。バヤズィト2世のジャーミーは、外観は明らかにアヤソフィアの模倣ですが、内部の礼拝空間はペンデンティヴ・ドームによる単一ドーム形式で、アヤソフィアとはまったく異なっています。このような形式は後の会衆モスクの原型となりました。キュッリイェには、チリニ・キョシュクに似たタブハーネや、精神疾患の治療に充てられた病院ダール・シッファー、マドラサが建設され、ファーティフ・ジャーミーほど幾何学的形式で配置されてはいませんが、秩序立てて配置されています。(同上)
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『オスマン建築の歴史:壮麗王時代と建築家スィナン(その1』:ミマール・スィナンは、スレイマン1世による帝国最盛期のオスマン建築を代表する建築家です。彼は非イスラム教徒の家庭(ギリシャ系)に生まれたとされますが、デウシルメ制度によって徴集されてイスラームに改宗し、イェニチェリ(常備歩兵軍)の工兵隊に入隊しました。やがて建設の才能が認められて近衛騎兵隊に取り立てられ、1538年に帝室造営局長に任命され、以後宮廷建築家として才能を発揮しました。彼は、ほぼ同時代に生きたミケランジェロ・ブオナローティと比肩しうるほど非凡な才能を持った革命的建築家でした。(同上)
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『オスマン建築の歴史:壮麗王時代と建築家スィナン(その2』:スィナンは、それまでのオスマン建築が様々な形態を寄せ集め、結果的に曖昧な空間になっているのに対し、彼はそれを論理的に組み立て直し、全体を調和したものに変えてしまいました。オスマン建築は、彼によって完成の域に達しました。(同上)
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『オスマン建築の歴史:壮麗王時代と建築家スィナン(その3』:スィナンの初めての大きな仕事は、『シェフザーデ・ジャーミー』の設計でした。このモスクは、エディルネのバヤズィト2世のモスクのプランを下敷きにしていますが、四方に半ドームが付け加えられた、集中的な性格が強いもので、絶妙のバランス感覚の上に建設されています(同上)
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『オスマン建築の歴史:壮麗王時代と建築家スィナン(その4』:スィナン自身はこれを習作としますが、そのプロポーションは完成度がかなり高いものです。1550年、スィナンは代表作となるスレイマニィエのキュッリイェの建設工事の命を受けました。イスタンブールの七つの丘のうち、斜面から金角湾を望むうちの一つが敷地として選ばれ、中心となるモスクには高い記念性を要求されることになりました。スィナンは、シェフザーデ・ジャーミーを元にしたプランを計画しましたが、半ドームを四方ではなく前後の2辺に設置することによってアヤソフィアに近い構成にしています。しかし、アヤソフィアがギャラリーを持つことによって一定の方向性を持っているのに対し、スレイマニィエ・ジャーミーではギャラリーを廃して広々とした空間を演出しています。(同上)
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『オスマン建築の歴史:壮麗王時代と建築家スィナン(その5』:スィナンは、生涯に多くの建築を設計しましたが、その最晩年の建築が、エディルネのセリミィエのキュッリイェです。彼自身が最高傑作と称するモスクは、ドームの直径が31.28mに達する巨大なもので、平面はほとんど点対称です。構造的にも素晴らしく、ドームは8本の円柱とそれらに渡されたアーチによって支えられ、これをフライング・バットレスが支えることによって広大な内部空間を形成します。開口部もふんだんに穿たれ、内部は非常に明るい造りです。キュッリイェの他の施設は、モスクに付随する二つの建築物に収められていて、全体のプランは完全な対称性を保っていました。(同上)
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『オスマン建築の歴史:壮麗王時代と建築家スィナン(その6』:スィナン没後、帝室モスクはそのデザインの源泉をスィナンのあらゆる建築の中に求めましたが、決して彼の想像を超える建築物は造られませんでした。イェニ・ジャーミーはスィナンの後継者であるダウト・アーによって設計されましたが、彼は1599年に処刑されてしまいました。(同上)
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写真は、ベリーダンスのディナー・ショーで出された前菜です。スィナンの紹介の締め括りです。スィナン以後のモスクで最も有名なものは、スルタン・アフメト・ジャーミーで、国際的にはブルーモスクの通称で知られます。これは1609年にメフメト・アーによって設計されたもので、彼はイスラム教徒ではなく、西ヨーロッパ生まれのキリスト教徒でした。(同上)
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『ベリーダンスのディナー・ショー』の紹介です。艶やかなダンサーたちによるベリーダンスショーは、トルコでも人気のアクティビティの一つで、優雅な舞に魅了されます。ベリーダンスは世界最古と呼ばれるほど歴史の深い踊りとされます。(トルキッシュ・カルチュア・クラブ:トルコの豆知識・お役立ち情報)
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『ベリーダンスとは(その1)』:ベリーダンスは、エジプト発祥のダンスです。「ベリーダンス(Belly dance)」は英語名で、お腹を揺らしながら踊る特徴的な動きから『お腹(belly)の踊り』という意味で呼ばれるようになりました。本場エジプトでは『バラディ(国・故郷の意)』という名で親しまれています。(同上)
*写真は、ベリーダンスの前の、余興のトルコの民族舞踊だったようです。 -
『ベリーダンスとは(その2)』:ベリーダンスは、おもに中東・アラブ地域でメジャーなダンスですが、その美しさは多くの人を魅了し、世界中にダンサーがいます。そのためエリアごとにいくつか流派が存在しています。(同上)
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『ベリーダンスの効果(その1)』:ベリーダンスは、女性のダイエットに効果的とされています。ゆっくり見える動きでも実は運動量が多く、インナーマッスルが鍛えられるためです。インナーマッスルとは、インナーマッスルとは、深層筋とも呼ばれる、体の中心部分に近い筋肉の総称です。(同上)
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『ベリーダンスの効果(その2)』:ベリーダンスは、外見を美しく保つだけでなく、健康面でも効果的といわれています。ベリーダンス特有の体の細かい動きは、日々の生活で固まった筋肉をほぐし、血行を改善してくれます。ベリーダンスを習っている人のなかには、腰痛や肩こりが改善した方も少なくないようです。(同上)
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『ベリーダンスの基本の動き(その1)』:アンジュレーション:
〇上半身の動きのひとつ。胴体を前方向にせり出し、回すように波打たせます。胸からお腹にかけて、前・上・後ろ・下と動かします。(同上) -
『ベリーダンスの基本の動き(その2)』:スネークアームス:
〇その名のとおり、ヘビが動くように腕を動かす動作です。両腕を床と並行に伸ばし、肩からひじ、指先の順に、波がたつように動かします。両腕を交互に使ってウェーブさせることで、美しく舞うような動作になります。(同上)
*写真は、見学者飛び入りの踊りの稽古です。 -
『ベリーダンスの基本の動き(その3)』:ヒップサークル:
〇腰からお尻にかけて、床と並行方向に円を描くように回す動きです。円の大きさで強弱をつけることで動きにバリエーションが生まれます。(同上) -
『ベリーダンスの基本の動き(その4)』:チェストサークル:
〇胸を床と並行方向に回す動きです。床に対して角度をつけたり、上下に動かしたりと応用の動きもあります。(同上) -
『ベリーダンスの基本の動き(その5)』:ヒップドロップ:
〇お尻を上下に動かす動作です。両足を開き、どちらかを軸足にします。軸足でないほうの膝は軽く曲げてつま先立ちのような形にし、軸足で体重を支えましょう。この状態で足を曲げた方の腰を下に落とします。ベリーダンスのアクセントとして使われる動きです。(同上) -
『ベリーダンスの基本の動き(その6)』:フィギュアエイト:
〇骨盤を、おへそを中心にして8の字を描くように動かします。床と水平方向に動かすパターンと、垂直方向に動かすパターンの二種類があります。(同上) -
『ベリーダンスの歴史(その1)』:
〇~紀元前5世紀頃:ベリーダンス発祥(詳細な年代は不明)。
〇10世紀頃:ジプシーによりインドから西方へ伝来。
〇13世紀頃:オスマン帝国のハレムに定着・発展。
〇1960年代:アメリカ女性解放運動で注目され世界に広がる。 -
『ベリーダンスの歴史(その2)』:
〇1980年代~現代:習い事やエンターテイメントとして定着し、日本でも普及。
〇ベリーダンスの歴史は古く、口承によって伝わってきた部分も多く、厳密にはどこで発祥したのか定かではありません。紀元前5世紀のエジプトの壁画にベリーダンスを踊る女性の姿が描かれ、かなり古くから存在したことは確実です。(同上) -
『ベリーダンスの歴史(その3)』:起源:
〇女神に捧げる巫女の踊りだったとする説。
〇豊穣祈願の舞だったとする説。
〇婚礼や出産の準備のためのものだったとする説。
などの諸説があります。 -
イチオシ
『ベリーダンスの歴史(その4)』:ジプシーとの関わり:
〇10世紀ごろになると、歌や踊りを生業とするジプシー(ロマ)たちにより、ベリーダンスはインドから西へと伝えられていきます。彼らが世界中を移動するなかでさまざまな踊り・文化の要素を取り入れ、現在のベリーダンスの原型ができたと言われています。(同上) -
イチオシ
『オスマン帝国でのベリーダンスの発展』:ハレムとの関連:
〇13世紀末には現在のトルコの前身にあたるオスマン帝国が誕生し、600年以上に渡りその栄華を極めます。オスマン帝国には、スルタンのために集められた女性たちが生活する場である「ハレム」がありました。ベリーダンスはハレムでの女性たちの教養であり、美しさを競う武器でもあったようです。(同上) -
『現代におけるベリーダンスの評価(その1)』:
〇ベリーダンスは、女性解放運動をきっかけに現代化し、世界中に広まりました。1960年代のアメリカの女性解放運動では、女性の魅力を強調するベリーダンスは社会的に評価され、脚光を浴びました。(同上) -
『現代におけるベリーダンスの評価(その2)』:
〇アメリカから世界へ広がったベリーダンスは、現代の日本でも愛されています。1980年代ごろから広がりを見せ、日本舞踊と融合して生まれた独自のスタイルもあります。現在でも、日本国内の教室の発表会や、トルコ料理店の一部でベリーダンスを見ることができます。(同上)
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