2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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アヤソフィア博物館見学の続きです。キリスト教会として創建され、イスラムの時代にはモスクに改造され、その時代が終わった20世紀初めに博物館となった建物です。モザイク画などが見応えがありました。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
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アヤソフィアには、キリスト教会時代のビザンティン美術と、その後のイスラーム時代の美術が残されました。ビザンティン美術で代表的なものが、モザイク絵画、フレスコ画や、アヤソフィアの建築などです。イスラムの時代になった15世紀、アヤソフィアはモスクになり、4本のミナレットが建てられ、モザイク画などは塗りつぶされました。最初に、ビザンティン美術とイスラーム美術について紹介します。(同上)
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『ビザンティン美術(その1)』:ビザンティン美術と呼ばれる美術の範囲には、東ローマ帝国の内部で制作された美術作品のみならず、その勢力圏にあって強い影響を受けたルーシ(ロシア)、ブルガリア、ヴェネツィア、南イタリア(マグナ・グラエキア)、シチリアなどの美術も含まれます。一番の特徴は、同時代の西ローマ、西ヨーロッパの美術に比べて、東方的な要素を多く含んでいる点です。また、ビザンティン美術は、非常に優れたモザイク画を生みました。(同上)
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『ビザンティン美術(その2)』:宗教画は、様式化され写実的な描写に乏しいとされるものが多いようです。それは、神の世界の不変性を描くため、また偶像崇拝という批判を避けるため、あえて写実的なスタイルをとらなかったためとされます。しかし、末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」の時期には、古代ギリシャ文化の復興を受けて写実的なフレスコ画なども多く描かれました。これらの独特の宗教美術や、ドームを特徴とする建築様式は、いまでも正教圏各国に受け継がれています。帝国の滅亡後もその影響はギリシャなどの正教会の諸国に伝わり、東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン帝国のイスラム美術にも影響を及ぼしました。また末期の写実的な画法は、イタリア・ルネサンスの絵画にも大きな影響を与えました。(同上)
*写真は、上がトルコ語表記、下が英語表記の『アッパー・ギャラリー』の表示です。 -
『ビザンティン美術(その3)』:かつては宮殿に、皇帝の戦勝などを描いたモザイク画が描かれていましたが、宮殿は帝国滅亡後に破壊されてしまったため、現在ではコンスタンティノポリスの大宮殿の床を飾っていたモザイク画の一部が残っているに過ぎません。ただし、イスタンブールのモザイク博物館で見ることが出来ます。これらは宗教画と違って、古代ギリシア以来の写実的な技法で描かれています。世俗の絵画はほとんどが失われてしまったために、宗教画の特徴のみがビザンティン美術の特徴として伝わっていますが、近年これは誤った認識ではないかと言われてきているようです。(同上)
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イチオシ
『ビザンティン美術(その4)』:ビザンティン建築は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った建築様式です。5、6世紀頃から、コンスタンティノープルを中心に興りました。ビザンティン建築は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った建築様式です。6世紀頃から、コンスタンティノープルを中心に興りました。その特色は、正方形またはギリシャ十字形の平面、ドーム、金地の華麗なモザイク、大理石の張石などです。4世紀頃には帝国の特恵宗教であるキリスト教の儀礼空間を形成し、そのいくつかは大幅な補修を受けているものの、今日においても正教会の聖堂、あるいはイスラム教のモスクとして利用されています。(同上)
*写真は、キリスト教会からモスクに改修された後に造られた『ミンバル(説教壇)』の光景です。イスラム芸術の傑作とされる彫刻があります。 -
『ビザンティン美術(その5)』:ローマ建築円熟期の優れた工学・技術を継承し、早い段階で技術的成熟に達しますが、その後、東ローマ帝国の国力の衰退と隆盛による影響はあるものの、発展することも急速に衰退することもなく存続しました。キリスト教の布教活動とともに、ブルガリアやセルビアなどの東欧の東ローマ帝国の勢力圏のみならずロシアあるいはアルメニアやジョージアなど西アジアにも浸透していきました。その影響力は緩やかなもので、地域の工法・技術と融合しながら独自の様式を発展させました。また、初期のイスラーム建築にも影響を与えています。(同上)
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『ビザンティン美術(その6)』:東ローマ帝国においては、丸彫りの彫刻というものはほとんど作られていません。この傾向は、既に古代ローマ帝国の末期から始まっていて、古代ギリシャ・ローマ時代には良く見られた、人物像の彫刻は製作されなくなり、段々浮き彫り(レリーフ)のみとなっていきました。これに伴い、その製作技術も低下し、失われていきました。これは、偶像崇拝を禁じるキリスト教が国教化し、その影響が強まったためだと言われています。6世紀の皇帝ユスティニアヌス1世は、自らの銅像を首都コンスタンティノポリスの宮殿前広場に建てさせましたが、その彫像も古代の他人の像を改作したものだったようです。結局、8~9世紀の聖像破壊運動が終結した後も、キリストなどの像は作られず、平面なイコンや壁画のみが製作されました。(同上)
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『ビザンティン美術(その7)』:聖像破壊運動の時期に、身に付ける護符は聖人の像などではなく、十字架が奨励されました。このため、小さな十字架を鎖につないでネックレスのように吊るすことが流行しました。これは、『エンコルピア:エンコルピオン)』と呼ばれています。最高級品はエマイユで作成され、8世紀には『エマイユ・クロワゾネ』と呼ばれる技法が用いられました。これは黄金の土台の上に金線を融着させ、その上に粉ガラスを置いて熱し、研磨するものです。ビザンティン美術の傑作として名高いものです。エマイユ・クロワゾネはエンコルピア以外でも、王冠や聖遺物容器の装飾にも用いられました。900年前後には技法がかなり洗練されるようになり、さらに後には大型の作品が見られるようになります。(同上)
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『ビザンティン美術(その8)』:こうしたエマイユ・クロワゾネの最高傑作とされているのが、『リンブルクの聖遺物容器』(968年)です。これは皇帝ロマノス1世レカペノスの庶子で、ロマノス2世時代からバシレイオス2世の治世の始め頃まで事実上の宰相の立場にいた宦官・バシレイオス・ノソスが造らせたものです。コンスタンティノポリスの陥落の後、ドイツにもたらされました。それ以外にも、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院の祭壇の後ろに飾られた金色の背障パラ・ドーロが、ビザンティン美術の最も純化熟達した作品の一つとして世界的に認められているようです。(同上、以上)
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『トルコ・イスラーム美術(その1)』:イスラーム美術は、ヒジュラ(西暦622年)以降21世紀に至るまでの、スペイン、モロッコからインドまでに亘る『イスラーム教徒の君主が支配する地域で生み出された美術作品、もしくはイスラーム教徒のためにつくられた作品』を指します。域内での職人、商人、パトロン、そして作品の移動のために、イスラーム美術はある程度の様式的な一体性を見せました。イスラーム世界全域で共通の文字が用いられ、特にカリグラフィーが重用されることが一体感を強めています。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その2)』:装飾性に注意が払われ、幾何学的構造や装飾で全体を覆うことが重視される、といった共通の要素も際立っています。しかし、形式や装飾には国や時代によって大きな多様性があり、そのためにしばしば単一の『イスラーム美術』よりも『イスラームの諸美術』として捉えられることが多いようです。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その3)』:建築においては、モスクやマドラサのような特定の役割を持つ建物が非常に多様なフォルムで、しかしながらしばしば同一の基本構造に従って建設されました。彫刻はほとんど存在しませんが、金属、象牙、陶器などの工芸の完成度は高いとされます。聖俗双方の書物の中に見られるミニアチュールの存在も無視できないとされます。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その4)』:イスラームの美術は厳密に言えば宗教的なものではないようです。『イスラーム』のという言葉は宗教ではなく、文明として捉えられます。「キリスト教美術」や「仏教美術」のような概念とは異なり、「イスラーム美術」においては、直接に宗教美術が占める部分は比較的小さいとされます。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その5)』:また通念とは異なり、実際には人間、動物、さらにはムハンマドを表現したものも存在します。これらは基本的に、宗教的な場所や聖典(モスク、マドラサ、クルアーン)において禁止されていました。イスラーム美術の始まりは、7~9世紀になりますが、この領域の呼称の問題は、研究の初期から難しいものであり続けてきたようです。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その6)』:19世紀のヨーロッパでは「アラブ美術」「ペルシア美術」「トルコ美術」「サラセン美術(とりわけ「サラセン様式」という呼称として)」「ムーア美術」のように地理や民族により個別に名付けられていたものが、19世紀末にはオリエント学を背景に一つの「イスラーム美術」もしくは「ムスリム美術」として捉えられるようになりました。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その7)』:「マホメット美術」「ムスリム美術」のような宗教的な呼称は、「キリスト教美術」や「仏教美術」の場合と異なり、イスラームが礼拝のための聖像や聖具を持たず、作品の相当な部分が世俗的なものであったことから不適切であり、「イスラーム」という語が、その宗教的でなく文化的な受け取られ方により、20世紀後半には好まれるようになりました。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その8)』:しかしながら、そのような美術の一体性の問題は微妙なものであり続けています。このため美術史家は「イスラームの諸美術」(arts de l'Islam)という表現を好むようになりつつあるとされます。一方、「イスラーム美術」(art islamique)という表現も、依然として頻繁に出版物に見られるようです。写真は、モスク時代と思われるの文様のピックアップが続きます。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その9)』:一方、イスラーム美術という考え方そのものが、イスラームの側からではなく、外部の人々によって作り出された明らかに現代的な概念であるという指摘もあります。このあとは、トルコにおけるイスラーム美術についての紹介です。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その10)』:セルジューク朝トルコは、アナトリア半島に征服の手を伸ばしました。イランやシリアのさまざまな様式を折衷した建築や美術品は帰属の決定が困難である場合も多いようです。木工芸が主要な美術分野の一つとなっていて、また傑出した装飾写本も知られています。建築では、通商路にキャラバンサライを充実させ、建築装飾には人物や鳥獣などの具象的なモチーフが多く用いられました。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その11)』:トルコ東部のヴァン湖周辺の地域で遊牧生活を営んでいた、トルクメン人については極めてわずかしか知られていません。しかしながらタブリーズの青のモスクをはじめとする数々のモスクは、トルクメン人によるものであり、またルーム・セルジューク朝の瓦解後のアナトリアや、ティムール朝時代のイランにも影響を及ぼしています。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その12)』:13世紀以降のアナトリアでは、オスマン帝国が勃興し、建築に庇護が与えられました。建築では丸天井を用いることにより空間の統一を探求しようとしたものと思われます。陶芸でも、ミレトス陶器(ミレトス手)や、アナトリアの青と白と呼ばれるようになるオスマン帝国固有の特徴が現れました。(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その13)』:15世紀~19世紀の時期には、トルコを中心とするオスマン帝国、インド亜大陸のムガル帝国、イランを中心とするサファヴィー朝という三つの安定した大帝国が成立し、地方王朝を取り込んでいきました。これらは、いずれも遊牧トルコ系民族と関係する王朝であり、3大帝国とも総称されます、(同上)
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『トルコ・イスラーム美術(その14)』:オスマン帝国(1299~1922年)では、広大な地域と長い時代にわたり、多数の美術が存在しました。建築、陶器の大量生産(とりわけイズニク陶器)、宝石細工、ならびに多方面からの影響を受けた写本芸術などです。この時代には、イランや中国などの東洋およびヴェネツィアに代表される西洋の双方との交易が行われていました。(同上)
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『アヤソフィア博物館』のギャラリー紹介です。左上の写真は、このあと紹介する、『全能者ハリストス(部分)』のようです。ギリシャ語のキリストを意味する『ハリトリス』が、天上の王であり審判者である事を示しているものです。その右の写真は、外陣の回廊の列柱当たりのようです。(同上)
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『ベルガマの壷』です。高さが1メートル半もある大理石製の大きな壺です。伝説によれば、『ベルガマ(旧ペルガモン)の貧しい1人の農民が、農作業中に三つ掘り当てました。中には金貨があり、そっくりスルタンに差し出しました。その正直さにスルタンは感激し、金貨入りの壺を農民に授けましたが、農民は壺だけ受け取りました。この行為に感心したスルタンは、壺と金貨ばかりか土地まで与えました。農民は生涯裕福に暮らした』と伝わります。イソップ物語の『金の斧、銀の斧』のトルコ版の逸話です。(同上)
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イチオシ
『全能者ハリストス』のデイシス:
〇元々は2階廊の壁面いっぱいに画かれたもののようですが、下部はほとんど失われています。それまでのモザイク画に比べてキリストの顔が立体的に描かれているのが特徴です。そのほかにも、南窓からはいる光を効果的に利用するような工夫が成されているため、ビザンティン美術の最高傑作とされます。ミカエル8世パレオロゴスが、ラテン帝国に奪われていたコンスタンティノープルを奪回したことを記念して作られたとする説が有力ですが、文献がないため詳細は不明です。なお、デイシスとは、ビザンティン美術および後の正教会芸術において、伝統的なイコンのことです。また、『ハリストス』は、キリストのギリシャ語読みです。(同上) -
イチオシ
『聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス、皇后イリニ(部分)』:(1122年~1134年頃):
〇12世紀に作成された、コンスタンティノープルに残る唯一のモザイク画です。12世紀に東ローマ帝国領内で作成されたモザイクは、今日ほとんど残っていないため、貴重なものとされます。図像の配置や銘文は、側にある『キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ』に影響を受けていることがわかります。すぐ横の柱側面には、彼の長男アレクシオスの図像もあります。(同上) -
『聖母子と皇帝ヨハネス2世コムネノス、皇后イリニ』:(1122年~1134年頃):
〇ヨハネス2世コムネノスは、東ローマ皇帝のなかでも名君と評されています。1122年から1134年頃の作品です。コムネノスは、東ローマ(ビザンツ)帝国の貴族の家名です。1081年から1185年までの東ローマ皇帝を輩出し、コムネノス王朝を形成しました。(同上) -
『聖母子、ユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世』
〇西南の玄関入口上部にあるモザイク画です。ユスティニアヌスがアヤソフィアを、コンスタンティヌスがコンスタンティノープル(現イスタンブール)を、中央に建つ聖母子に捧げている様子が描かれています。作成の時期や動機は定かではありませんが、10世紀後半のものとされています。(同上) -
『聖母子、ユスティニアヌス1世とコンスタンティヌス1世(部分』
〇『ユスティニアヌス1世(482/483~565年)』は、東ローマ帝国ユスティニアヌス王朝の第2代皇帝(在位:527~565年)でした。正式名は、フラウィウス・ペトルス・サッバティウス・ユスティニアヌスです。後世、『大帝』とも呼ばれました。
〇コンスタンティヌス1世(270~337年)は、ローマ帝国の皇帝(在位:306~337年)でした。複数の皇帝によって分割されていた帝国を再統一し、元老院からマクシムス(Maximus:偉大な/大帝)の称号を与えられました。ローマ帝国の皇帝として初めてキリスト教を信仰した人物としても知られます。(同上)
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