2005/04/22 - 2005/04/27
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旅人のくまさんさん
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<2005年4月25日(月)>
3泊した龍勝のホテルに別れを告げて、今日は桂林への移動日です。荷物を纏めて9時に出発の予定でしたが、全員準備が出来ましたので、少し早めの出発になりました。桂林までは約3時間の陸路です。
<龍勝出発、桂林へ>
ホテル出発の時には小雨が降っていました。その雨は、東方面の桂林に近づくほど強くなってきました。しかし、昨日のロデオ道とは違って、舗装され他幹線道路は、快適な走りでした。
1時間少し走ったところで、お手洗い休憩となりました。ガイドさんに言われて気が付いたことですが、昨晩も休憩に立ち寄った場所でした。昨晩は照明が無く、真っ暗でしたから気が付きませんでした。電気がまだ引かれていない場所のためでした。
今日は小さな売店も開いていましたので、つまみにピーナッツを買い求めました。三江に向かったロデオ道とは違って、今度は安心して紙コップのウイスキーを飲むことが出来ました。
メモには「11:40分、臨桂県通過」と記していました。龍勝を出発して2時間40分が経ちました。桂林はもう直ぐです。
<陸さんの桂林と中国の紹介>
バスの中で陸さんが話してくれた桂林紹介のメモです。箇条書きに纏めてみました。
?人口400万人、面積は2.8万平方キロ。
?4月から6月は雨が多い。年間雨量は1200mm程度。平均気温は19度C程度。
?桂林で高いビルを建てるのは難しい。概ね7階建てが限度。地下に空洞があり、毎年どこかで陥没がある。
?地震は無く、台風がたまに来ても、上陸して時間が経っているので大した被害は無い。
?雨が多いので、洪水被害は時々ある。
?工場は排水処理、排気ガス処理の関係で、順次、郊外に移転した。
?中国の中で生活しやすい都市として、いつもベストテンにランクアップされる。
?日本の熊本市と姉妹都市で、各種の交流がある。私も公式に日本を訪れたことがある。
?桂林の風景は、3億年ほど前は海底だった部分が、その後隆起し、侵食されて出来た風景。昔、桂林より南にこの風景が出現したが、侵食が進んで桂林まで北上してきた。やがて桂林は平らな地形となり、北へこの景色は移動すると予想されている。
陸さんに、住みやすい他の都市の例を質問したところ、
「北京、上海、広州などがランクアップされますが、本当に住みやすい町は桂林が一番」
との答えが戻ってきました。桂林の山が50mから100m程度と低いのは、浸食作用で削られて出来た山々だからです。
次に中国全体の話しです。まず徴兵制に関しての話です。
「中国には徴兵制は無く、全て公募です。徴兵制を敷かなくても、高い倍率の応募者が、農村を中心にあります」
応募者が多い理由として、次の補足をしてくれました。
「入隊のメリットは、在籍中に技術を身に付けることが出来、退役の時には、優先して就職を斡旋してもらえるからです」
最近の反日運動に関しては、
「中国人の多くは、日本人に対して友好の気持ちを持っています。また、大切な隣人として友好第一とも思っています」
との見解を話されました。日本語を勉強し、日本人を相手の旅行業務をされていて、日本贔屓になられているのかも知れません。しかし、実際にも、今回の旅行を通じて反日の場面を目撃したり、対応をされたことは、皆無でした。日本を発つ前に、中国の治安状況を心配してくれた方もいましたが、幸い杞憂に終わりました。
<遇龍橋見学>
陸さんのお話を聞いている内に、桂林に到着しました。まずは腹ごしらえです。場所は桂山大酒店でした。今晩泊まるホテルとは別です。入口には腎臓学会会場の大きな看板が掛かっていました。格式の高いホテルでした。案内された個室も広く、ゆったりとした気分で昼食を楽しむことができました。
食事の後は遇龍橋の見学です。生憎の雨でしたが、桂林の幻想的な風景には、むしろ好都合でした。その遇龍橋までの分岐路は、かなりひどいでこぼこ道でした。それだけに観光地化が遅れているのでしょうか、通常の観光スポットは一味違った風情が残っていました。
遇龍橋は石で出来た太鼓橋です。辺りの景色を含めて、実に長閑な農村風景が広がっていました。山あり、川ありの、風光明媚な景観地でもあり、絶好の撮影スポットにもなっていました。
橋の袂には小さな集落がありました。その風景を見ただけでも、普段は余り観光客がやって来ていないことが読み取れました。大きな樹の上では、小鳥が騒がしく鳴き始めました。ヒヨ鳥くらいの大きさの鳥でした。見知らない団体がきたので、警戒音を発しているようでした。その大きな樹には、巣を懸けていたのでしょう。産卵の季節か、子育ての最中だったかも知れません。
この遇龍橋見学では、水辺まで降りて竹で出来た筏を身近に見ることが出来ました。大きな孟宗竹を、火で炙って曲げ加工してありました。幅は一間足らずです。2つの籐椅子が横に並べて取り付けてありました。二人乗りの観光筏ということでしょう。
陸さんの話では、ヨーロッパの観光客はこの観光筏を使って、のんびりと桂林の散策を楽しむ人が多い、とお聞きしました。団体行動が多い日本人と違って、いい意味での個人旅行を楽しむ人が多いことが
<桃源見学>
一味違った桂林見学の、もう2つ目の見所が桃源クルーズでした。川なのか、湖なのか俄かには判断がつかない地形の場所を、船の上からの観光でした。
船が漕ぎ出すと直ぐに、右手の楼閣から民族音楽が聞こえてきました。遠目にも民族衣装と分かる衣服を身につけた若い男女が、手にした楽器で演奏し、歓迎してくれました。女性は赤色系統の服、男性は黒色系統の服でした。
楼閣はトン族の村で見学してきた黒屋根に白い漆喰を使った造りでした。演奏している人達も、トン族の若い人達だったようです。この時は分かりませんでしたが、後で、プリントした写真を見て分かったことです。
次に歓迎の踊りを見せてくれたのは、ピンク色の上着に青色のズボン姿の4人組の娘さん達でした。湖上にせり出した舞台の上で、赤い扇子を手にして踊っていました。観光客がやってくると踊りが始まり、遠ざかると休憩になるようでした。
船は天井の低い洞窟を潜りました。「潜り抜ける時に願い事をすると叶います」との話しも聞きましたが、写真を撮るのに夢中で、実現しませんでした。通り抜けた後、目に飛び込んできたのが赤い桃の花でした。桃源の名前の謂れとなっている桃であることをガイドさんが説明してくれました。花が咲いても、結実しない種類の桃だそうです。僅かな時間でしたので、あわててシャッターを切りました。
ところで、「桃源郷」を辞書で引きますと、「陶淵明の『桃花源記』に描かれた理想郷、世俗を離れた別世界」などと解説されています。まさに、その桃源郷の語源に相応しい別世界でした。一羽だけの鵜を乗せたご年配の方が操る漁り船ともすれ違いました。その後すれ違った若い漁師さんの船には、ブリキのバケツが積んでありました。そんな光景に出会って、別世界の想いが一層強く感じられました。
桃源にはもう1つ変わった見ものがありました。この地に棲み付いた先住民です。その正式な名称は聞き漏らしました。一見して、南方の海洋系と思われる部族でした。褐色の肌で、男子は全員、上半身裸でした。「色が黒いほど美人、美男と考える人達です」との説明を聞きました。
こちらの先住民の人達も歓迎の踊りがありました。トン族の人達とは全く違った雰囲気の踊りでした。岸辺にはトーテンポールや水牛などの頭蓋骨が飾られ、雰囲気も一変していました。家屋も、藁葺きの様な南方の島を思わせる造りでした。
大勢の人が踊りを披露してくれたメインの建物では、1艘ずつ船を寄せて、身近に見学することが出来ました。若い男性が多い勇壮な踊りでしたが、女性も一部混じっていました。桃源郷とは、およそかけ離れた戦いの踊りだったかも知れません。その迫力ある踊りは、写真集の方でお楽しみください。
終点は出発した場所とは違っていて、また、トン族の造った優美な建物でした。その中には民芸品の実演や即売が行われていました。絞り技法や、ロウケツ染めで作られた作品は、見飽きない出来栄えでした。日本の染め技法や、インドネシアのジャワ更紗等を連想しました。友達から海外旅行のお土産に頂いた、ろうけつ染めの仏像の飾りも思い出しました。インドで買い求められたものです。
<子豚の丸焼きの夕食>
最初は冗談話しかと思って聞いていましたが、この世の料理には子豚の丸焼きが出されました。2つのテーブルにそれぞれ1匹が用意されました。とっておきの桂林名物のようです。別の白い大皿には、金魚が泳ぐ様を描いた創作料理も出されました。こちらは大した出来ではありませんでした。このお店の名前は西苑レストランです。
子豚の丸焼きは、記念写真を撮って披露が済んだ後、部屋の片隅で捌いていただきました。削った皮を葱と一緒に薄皮で包むところは北京ダックと同じでした。ところが味付けは黄皿を使ってあり、かなり甘くしてありました。それで、豆板醤や唐辛子味噌のような辛い物をたっぷり添えた上で頂きました。
ここからは、私の推測です。外れている可能性の方が高いことを前提にお読みください。
普段の食卓に、子豚の丸焼きが出されることは、まず無いと思います。出されるのは、国や村の年に一度のお祭りとか、結婚式のような特別の席だけだと推測します。その席には大勢の子供達が、料理を心待ちにしている風景が目に浮かびます。
子供達は苦いもの、辛いものより、甘くて美味しいものが好物のはずです。そんな食卓のメインである子豚の丸焼きが、甘さを強調してあるのではと推測しました。私のように、甘い料理を辛くして食べることは出来ますが、辛い物を甘くして食べることは難しいことです。
もう1つの推測は、甘味料そのものが貴重品である可能性です。生活物資が乏しかった戦後の日本でも、甘味料が貴重な時代がありました。サッカリン、ズルチンなどの人工甘味料が使われていました。今では、発がん物質として、使用が禁止された物質です。
それにしても、随分と甘い味付けでした。貴重なご馳走を残しては申し訳ありませんので、皆で頑張って平らげました。私の前にあった豆板醤、唐辛子味噌は空っぽになって仕舞いました。
<桂林雑技観劇>
オプショナルでしたが、今晩は桂林の雑技観劇です。全員が躊躇無く観劇を申し込まれました。中々レベルが高く、演出家も高名な方とのことで、以前は相当に高額な公演だったようです。今回はお値打ちで、元でも円でも支払いができました。
早めに劇場に到着し、会館の前で待つことになりました。観劇は、総入れ替え制でした。正面玄関から、前の組の入場者が出口に殺到するのではと身構えましたが、杞憂でした。階段を登った2階の正面ロビーからではなく、1階から観劇を終えた人たちの退場が始まりました。入場は、奇数の番号か、偶数の番号かで左右に分かれる一寸代わった方式でした。私の場合、正面に向かって右手からの入場でした。
演技中は当然ですが、撮影禁止でした。それで、写真でお見せすることは出来ませんが、熱演の連続で十分に満足できる内容でした。高名な演出者のことは良くわかりませんでしたが、照明の使い方など、斬新なアイデアでの舞台であることが実感できました。殊に、観客も一体とするような演出方法には、新しい息吹を感じさせられました。いきなり舞台の両脇から薄い布が飛び出してきて、観客の頭の上を覆いました。私としては、始めて体験した演出でした。
印象に残った出し物を、思いつくままに書き記します。最初に椅子を使ったアクロバットです。高い天井にも届くほどに椅子を順番に積み上げ、その上で倒立やバランスのポーズをとっていました。さすがに危険な業なのでしょう、背中にピアノ線が付けられ、天井から吊ってありました。
積んだ椅子を1個ずつ落とす業も見事でした。落とした椅子は怪我をしないよう、手では受け取らず、二人で持った袋の中に入れて、受け取っていました。まだ若い男の子の演技でした。
帽子投げはグループでの演技と、個人技の披露もありました。最初は観客席の両脇から出て、観客の頭越しに帽子が飛び交うパフォーマンスがありました。女性のアクロバットでは、まるで、軟体動物のように体の柔らかさが強調した芸もありました。サーカスにつき物の道化師の芸もありました。扮装していたのは、若い女性二人でした。
トランポリンの芸では、左右に立てられた柱に飛びついたり、交差したりとめまぐるしい動きでした。段々と演技する人数が増えるに連れ、空中衝突をしないかと、はらはらさせられました。
演技中は撮影禁止でしたが、閉幕の後は出演者がロビーに並んで記念撮影に応じてくれました。やはり、素晴しい演技をした人は引っ張りだこでした。
この夜は遅い時間になって仕舞いましたから、真直ぐホテルに向かいました。ホテルでは、僅かに残ったシーバスリーガルを片付けてから就寝しました。
桃源で
洞窟を船で潜て桃源の謂れと言し赤き花咲く
桃の花咲ども終ぞ実を持ず過し船より赤き花見る
桂林の雑技を観て
身の軽き子等は次々業見せて記念写真のロビーに揃う
舞台では大人に優る大技の男子女子は未だ幼し
- 交通手段
- 観光バス
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この「龍勝温泉大酒店」には3泊しました。ここを拠点としての龍背棚田見学、でこぼこ道を走っての三江見学など、楽しい想い出が、一杯残りました。
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温泉の案内看板をバックに、Haさんに撮影していただきました。温泉の前の二文字は「龍勝」ですが、元の字とは大分イメージが異なります。
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今度はHaさんに入って頂いての記念写真です。チェックアウトの時に大分待たされましたが、出来立ての素晴らしいホテルでした。
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出発前のひと時です。籠に乗って登った龍背棚田の見学には満足しました。
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龍勝からは西方向へ向かって長い移動になりました。昨日の天気予報通り、雨模様になりました。
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半日をかけての桂林までの移動でした。到着したのは丁度昼食の時刻でした。昼食場所は、泊まるホテルとは別の桂山レストランです。
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昼食のレストランを利用したホテルのロビーです。旧正月などに飾る紅い雪洞のようなもので賑やかでした。
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このホテルでも、立派な別室が予約してありました。 広い食堂の脇を通って個室に向かいました。
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格式が高そうなホテルでした。玄関には腎臓学会開催の案内看板もありました。入口に青釉の磁器が飾ってありました。
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広い個室でしたからゆったりとした雰囲気での昼食が楽しめました。S.P.先生、Ya先生もこの個室にご満足そうな様子です。
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前菜が10種類ほど並べられたところでの記念撮影です。食事が始まってしまうと、つい、写真のほうも疎かになって仕舞います。
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広い個室でしたから、ゆったりとした気分で、この日の昼食を楽しむことができました。
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食事が終った後、この後の予定を説明される現地ガイドの陸さんです。終始、行き届いたご案内でした。
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休憩所の庭です。所狭しと鉢が並んでいました。盆栽風の仕立てのようです。
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少し遠くへ目を遣りますと、桂林特有の山並みが見えていました。
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休憩所での一コマです。これから、桂林での最初の見学地、遇龍橋へ向かって、もう一走りです。雨は一旦止みました。
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休憩所の光景です。大型バスが何台も駐車できる、広い駐車場がありました。
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バスに戻って、競輪での最初の見学地、遇龍橋への出発です。現地ガイドの陸さんが選んでくれた、一捻りした景勝地見学です。
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バスの中からでも幻想的な桂林の山々が見えてきました。浸食作用で出来た山ですから、50mから100m位の高さの山がほとんどです。
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幻想的な桂林の山々は、次々と姿を変えて現れました。程よく霞んで、幻想的な光景の連続でした。
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レストランから遇龍橋までの道はかなりのでこぼこ道でした。それでも短い距離でしたから、三江のときのようなロデオにはなりませんでした。
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桂林の現地ガイドの陸さんは、中々日本語がうまく、語彙も豊富でした。日本へも仕事で見えたことがあるそうです。
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傘を差して、何やら思案顔のMyちゃんです。強い雨ではありませんが、傘無しではいられない降り方でした。
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大きな樹では、鳥がしきりに鳴き声を上げていました。見慣れない訪問客に警戒音を発していたようです。
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脇道に目を遣りますと、白い壁に落書きに様な文字が見えました。文化大革命時のスローガンの名残のようです。
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この遇龍橋は真ん中が高い太鼓橋です。水位が高い時でも、船の通行を妨げない構造としたのでしょう。牛馬の通行の後も残されていました。
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石橋の一番高いところからの眺めです。幾筋かの電線が景観を壊しているのが残念でした。雨で霞んだ遠くの山が一層幻想的に感じられました。
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雨の日の見学も記憶に残ったものがあります。岡崎城の桜、銀閣寺などです。今回はそれにもう1つの記憶が追加されました。
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S.P.先生とYa先生は雨合羽の用意をされていました。雨の日を想定しての旅仕度のようでした。
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雨上がりの景色が一番とされますが、小雨に煙る山々の景色も風情たっぷりでした。
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旅行記グループ 2005春、中国旅行記7
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