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 日光田母沢御用邸は1899年(明治32年)病弱だった嘉仁親王(のちの大正天皇)の静養のために造営され、1947年(昭和22年)に廃止されるまで三代に渡り天皇、皇太子の別邸として使われてきました。もともと日光出身の銀行家、小林年母が明治中期に建てた別邸に紀州徳川家の江戸中屋敷を移築してつなげたもので、江戸、明治、大正と三時代の建築様式を併せ持つ集合建築群で、なかなか見ごたえのあるものでした。

江戸・明治・大正  三時代の融合~日光田母沢御用邸~

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2007/10/28 - 2007/10/28

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旅行記グループ 近代建築散歩(関東エリア)

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

日光田母沢御用邸は1899年(明治32年)病弱だった嘉仁親王(のちの大正天皇)の静養のために造営され、1947年(昭和22年)に廃止されるまで三代に渡り天皇、皇太子の別邸として使われてきました。もともと日光出身の銀行家、小林年母が明治中期に建てた別邸に紀州徳川家の江戸中屋敷を移築してつなげたもので、江戸、明治、大正と三時代の建築様式を併せ持つ集合建築群で、なかなか見ごたえのあるものでした。

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  • 御用邸の入口の門は国道側の正門と、この東門の2ヶ所がありましたが、今日はこの東門から中に入ります。

    御用邸の入口の門は国道側の正門と、この東門の2ヶ所がありましたが、今日はこの東門から中に入ります。

  • もともと大正天皇が御用邸として利用していた当時は3万2400坪もあったそうですが、今の公園になってからは9000坪の敷地に縮小されたそうです。それでも9000坪 広大な敷地です。

    もともと大正天皇が御用邸として利用していた当時は3万2400坪もあったそうですが、今の公園になってからは9000坪の敷地に縮小されたそうです。それでも9000坪 広大な敷地です。

  • ここ田母沢御用邸の中心となった建物は、2つあり、ひとつは紀州徳川家江戸中屋敷ともうひとつは、日光出身の実業家小林年保の別邸です。つまり、もともと建っていた小林別邸に紀州徳川家別邸(後の赤坂御所)を移築し、新たの部分を加えて建てられた建物になります。

    ここ田母沢御用邸の中心となった建物は、2つあり、ひとつは紀州徳川家江戸中屋敷ともうひとつは、日光出身の実業家小林年保の別邸です。つまり、もともと建っていた小林別邸に紀州徳川家別邸(後の赤坂御所)を移築し、新たの部分を加えて建てられた建物になります。

  • この唐破風形式の格調高い御車寄は、皇太子嘉仁親王の花御殿(東宮御所)の玄関として、明治22年に増築されたものです。<br /> 

    この唐破風形式の格調高い御車寄は、皇太子嘉仁親王の花御殿(東宮御所)の玄関として、明治22年に増築されたものです。
     

  • 日光の田母沢に移築後も屋根は柿葺でしたが、昭和初期に銅版に葺き替えられました。随所に天皇家を表す菊の紋章が入っています。

    日光の田母沢に移築後も屋根は柿葺でしたが、昭和初期に銅版に葺き替えられました。随所に天皇家を表す菊の紋章が入っています。

  • 木組の先は胡粉塗で、照明器具は当時のものを仕上げ直したものがつけられています。ここは公式の玄関として使用されました。

    木組の先は胡粉塗で、照明器具は当時のものを仕上げ直したものがつけられています。ここは公式の玄関として使用されました。

  • こんなところにもキンピカな金物が使われています。

    こんなところにもキンピカな金物が使われています。

  • 部屋ごとに違ったデザインの照明が下がっています。

    部屋ごとに違ったデザインの照明が下がっています。

  • 美術工芸品も素晴らしい

    美術工芸品も素晴らしい

  • 車寄せから入ってすぐ左にある休憩所から眺める中庭

    車寄せから入ってすぐ左にある休憩所から眺める中庭

  • 中庭といってもかなりの広さがあり高木も生い茂っています。

    中庭といってもかなりの広さがあり高木も生い茂っています。

  • 御玉突き所は大正時代の増築部分にあり、赤坂仮皇居の初期に御玉突所を設け、明治の初めから皇室では、諸外国との交遊のために、ビリヤードをやっていたそうです。<br />  <br /> <br />

    御玉突き所は大正時代の増築部分にあり、赤坂仮皇居の初期に御玉突所を設け、明治の初めから皇室では、諸外国との交遊のために、ビリヤードをやっていたそうです。
     

  • ビリヤードは四ツ玉と呼ばれる競技台で、ポケットがありません。手洗いを除く、台と照明器具等が復原されました。

    ビリヤードは四ツ玉と呼ばれる競技台で、ポケットがありません。手洗いを除く、台と照明器具等が復原されました。

  • 壁に取り付けられた金色に輝くスイッチ。これだけ並んでいたら何のスイッチかさっぱりわかりません。

    壁に取り付けられた金色に輝くスイッチ。これだけ並んでいたら何のスイッチかさっぱりわかりません。

  • 謁見所は天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋です。玉座がありますが、陛下はお立ちになって引見されました。左の卓子は御帽子を置かれた台です。<br /> 床の間と天井は真の書院造りでありながら、畳敷きの上に英国製の絨毯を敷き、和洋折衷様式となっていました。<br /> 

    謁見所は天皇陛下が公式の来客との面会に使用された部屋です。玉座がありますが、陛下はお立ちになって引見されました。左の卓子は御帽子を置かれた台です。
     床の間と天井は真の書院造りでありながら、畳敷きの上に英国製の絨毯を敷き、和洋折衷様式となっていました。
     

  • なんとトイレは畳敷き 御つきのものがここでも世話をしたようです。手洗いにも水洗がなく、桶で汲んできた水で御つきのものが手を清めてくれたとか。

    なんとトイレは畳敷き 御つきのものがここでも世話をしたようです。手洗いにも水洗がなく、桶で汲んできた水で御つきのものが手を清めてくれたとか。

  • 御学問所の壁の丸窓 なんか不思議な光景です。

    御学問所の壁の丸窓 なんか不思議な光景です。

  • 御学問所は紀州徳川江戸屋敷の移築部分で、創られた当時から梅の間と呼び慣わされてきました。

    御学問所は紀州徳川江戸屋敷の移築部分で、創られた当時から梅の間と呼び慣わされてきました。

  • 書院様式に数寄屋風の意匠を取り入れることで、当主の好みを感じさせる私的な空間を作り出しています。<br />

    書院様式に数寄屋風の意匠を取り入れることで、当主の好みを感じさせる私的な空間を作り出しています。

  • 襖絵には見事な鶴が描かれています。

    襖絵には見事な鶴が描かれています。

  • この丸窓御用邸の中の一番のお気に入り部分です。<br />角度により丸窓を通してみる光景が違いすごくいい感じです。

    この丸窓御用邸の中の一番のお気に入り部分です。
    角度により丸窓を通してみる光景が違いすごくいい感じです。

  • ここからは2階になります。2階は寝室として使われていたところです。

    ここからは2階になります。2階は寝室として使われていたところです。

  • 開口部が大きく日当たりのよい部屋ですね。

    開口部が大きく日当たりのよい部屋ですね。

  • この部屋は寝室として使われていたところです。

    この部屋は寝室として使われていたところです。

  • 桜の襖絵、美術品としての価値も相当高そうです。

    桜の襖絵、美術品としての価値も相当高そうです。

  • 御座所は天皇陛下が日常的な公務を執った所で、居間にあたる部屋です。<br /> 

    御座所は天皇陛下が日常的な公務を執った所で、居間にあたる部屋です。
     

  • 高砂と題された襖絵

    高砂と題された襖絵

  • 各部屋ごとにいろんな襖絵が描かれています。

    各部屋ごとにいろんな襖絵が描かれています。

  • この絵など美術品として見ても素晴らしいものです。

    この絵など美術品として見ても素晴らしいものです。

  • こちらは皇后の御座所

    こちらは皇后の御座所

  • ここを訪れる3日前に、仕事で沼津に行った際に、沼津御用邸も見てきましたが、ここと同じく浴室は檜の板張りで、何故か浴槽がついていませんでした。どうやって入るのか不思議に思ってそばにいた施設の人に確認しましたところ、天皇は湯船には浸からず、お付きのものが別室から桶に入れたお湯を運び、着物を着たままで、ここで湯浴みをしたそうです。<br />湯船のないお風呂なんて我々下々のものでは、到底考えられないですね。

    ここを訪れる3日前に、仕事で沼津に行った際に、沼津御用邸も見てきましたが、ここと同じく浴室は檜の板張りで、何故か浴槽がついていませんでした。どうやって入るのか不思議に思ってそばにいた施設の人に確認しましたところ、天皇は湯船には浸からず、お付きのものが別室から桶に入れたお湯を運び、着物を着たままで、ここで湯浴みをしたそうです。
    湯船のないお風呂なんて我々下々のものでは、到底考えられないですね。

  • 庭には立派なしだれ桜の木がありました。

    庭には立派なしだれ桜の木がありました。

  • 皇后の寝室

    皇后の寝室

  • 建築延べ面積で1360坪もある木造建築で、江戸・明治・大正時代の最高の建築技術や最高の建築資材を使って建てられた和洋折衷のこの建物、今造ったら一体いくらかかるのか想像も付かないですね。

    建築延べ面積で1360坪もある木造建築で、江戸・明治・大正時代の最高の建築技術や最高の建築資材を使って建てられた和洋折衷のこの建物、今造ったら一体いくらかかるのか想像も付かないですね。

  • この部屋は女官たちが使った部屋です。

    この部屋は女官たちが使った部屋です。

  • 手前が東宮御所からの移設部分で奥が元からあった小林邸別邸の建物です。

    手前が東宮御所からの移設部分で奥が元からあった小林邸別邸の建物です。

  • このしだれざくらも由緒あるもののようです。説明がきがありましたが見落としてしまいました。

    このしだれざくらも由緒あるもののようです。説明がきがありましたが見落としてしまいました。

  • 頭がちょこっと突き出た感じで乗っている3階部分は、展望室になっているようで、今日は公開されていませんでした。

    頭がちょこっと突き出た感じで乗っている3階部分は、展望室になっているようで、今日は公開されていませんでした。

  • この位置からの写真が田母沢御用邸のベストショットポジションだそうです。

    この位置からの写真が田母沢御用邸のベストショットポジションだそうです。

  • 庭先にはかなり大規模な防空壕が掘られています。平成の天皇が疎開した頃に使われていたものです。

    庭先にはかなり大規模な防空壕が掘られています。平成の天皇が疎開した頃に使われていたものです。

  • 東側の庭には水も流れていて程よく苔むしていました。

    東側の庭には水も流れていて程よく苔むしていました。

  • 階段を下がったところについている木戸は、補修や管理する際の使用人や職人の通路になっている通用口です。<br />先週見た沼津の御用邸も見ごたえがありましたが、田母沢は沼津以上に立派な建物でした。<br />こんな馬鹿でかい別荘をもてるのはさすが皇室ですね。<br />でもこの維持管理費が我々の税金から算出されている事を考えるとちょっと複雑・・・。

    階段を下がったところについている木戸は、補修や管理する際の使用人や職人の通路になっている通用口です。
    先週見た沼津の御用邸も見ごたえがありましたが、田母沢は沼津以上に立派な建物でした。
    こんな馬鹿でかい別荘をもてるのはさすが皇室ですね。
    でもこの維持管理費が我々の税金から算出されている事を考えるとちょっと複雑・・・。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • 白い華さん 2007/10/31 18:09:47
    小学校の林間学校! 日光・田母沢本館 でした
     ぬいぬいさん、今晩は。
     東京も 突然の台風発生!で、週末の土曜日は 嵐!となりましたが、台風一過!の 日曜日は、素晴らしい!青空!に 恵まれましたね〜。

     「写真好き!の ぬいぬいさんは、日光行き!ドチラの 日に???」 なんて、なんだか とっても 心配!していました。(笑)
     晴天で、日差しが、田母沢御用邸の 部屋の中!まで 差し込む!ーーー絶好!の写真日和!!!  ほんとに、良かったデスね。
     どのお写真も、鮮やかで、また、一段!と、魅力的!ですね。 嬉しいです。

      私も、一昨年、「ご近所の 賑やかな ご一行様!と、町内のバス旅行」(笑)で、「日光の 神橋近辺!と 田母沢御用邸!」を 散策!したんですよ。 リニューアルされた!田母沢〜・・・、見応えアリ、で、私も、感動した!場所です。
     歴史的な建築物も、変化のある庭園も 素晴らしい!ですよね。

     
     昔、古〜〜い!「田母沢御用邸」は、隣に、「田母沢本館」といって、同じ、古〜〜い! 御用邸の 一角が、修学旅行の 宿泊施設と なっていてーーーー私が、小学校の時、日光・林間学校の 2泊宿泊!した 場所!なんです。
     小学生の私はーーー、「天皇様!の おトイレには、畳がある」と、毎度!トイレの 思い出!・・・・気になっちゃいました〜。(爆)
    (30年以上前のこと。 ぬいぬいさんとは、同世代で、どうやら 少しだけ、私が、年下のようですね(笑))

     「日光の いろは坂!  もの凄い!渋滞!」で、アッサリ!諦めーーーぬいぬいさんの 「田母沢御用邸と、神橋近辺 散策!」に 変更!って、とっても GOOD!な プラン! ですよね〜。
     この辺りも、魅力的な (ぬいぬいさん向き!な ポイント!) 沢山在るので、「さすがな 変更!だわ〜」って、思ったんです。

     来週は、北海道 なんですね〜。
    「奥様と、素敵な 旅!」ご夫婦 仲良く お過し下さいね。
     それでは また 

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2007/10/31 21:46:56
    RE: 小学校の林間学校! 日光・田母沢本館 でした
    へえ〜 林間学校が田母沢ですか?

    白い華さん ご出身は東京ですか?
    都心に近いところでは林間学校ってあるようですが、私は東京に住んで30年になりますが、もともと栃木の南のはずれの佐野の出身だったため、日光と言えば小学校5年生の遠足で行きましたが、周りが林間?なので山や湖でキャンプはしたものの、わざわざ「林間学校」と呼ぶようなものはなかったような気がします。
    昭和30年代の前半の生まれはそんな世代だったのかもしれませんが・・・。
    札幌と小樽のプチ北海道旅行は、3日後になりました。
    メインの土曜日が雨マークが付いていてお天気大丈夫でしょうか?
    旅先で雨 なんか楽しみも半減ですね。

    白い華

    白い華さん からの返信 2007/10/31 22:29:03
    RE: 小学校の林間学校! 日光・田母沢本館 でした
     今晩は。北海道の お天気! 良くなると、いいですね。まだ、何日かあるので、晴れ!に なるかもしれませんし・・・。デス。

     そうなんです。私は、東京出身!なんです。 そして、今は、東京近郊!に暮らしています。
     東京といっても 下町!です。
     上野にも 浅草にも 自転車なら 5分から8分で 行けるというーーー生粋!の 下町っ子!(今は、オバサンですが・・)
     
     先日、実家に行ったついでに、上野・松坂屋の 中で 「林家 正蔵」が、息子ちゃんといたので、ワタシ「師匠! 握手して下さい!」って、握手して貰いました。 とても、柔らかい!手! で、感じのいい!人でしたヨ〜。(笑)

     2,3年前に 初めて、上野公園の奥のほうの 歴史的建造物の 美しさ!に、驚きました。国際子供図書館は、中も入りましたが、素晴らしい1ですよね。
     いつもは、御徒町まで、自転車で、行って、周辺で 買い物!で・・・帰る感じ。
     上野の お山!には、足を踏み入れない!
     いつか、谷中・根津・千駄木も ユックリ・・・自転車で廻りたいものです。
     身近で、近過ぎると・・・、かえって、見えない!ッテ、ありますよね〜。(笑)
     実家周辺は、なぜか(?) 関西一周!みたいに フットワーク・軽くーーーー動けない!ワタシ。。。(爆)
     その節は、ぬいぬいさんの 旅行記、見てから 出掛けないと。。。

     これからも ヨロシク お願いします。

ぬいぬいさんのトラベラーページ

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