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シルバーウィークの4日目に、お彼岸の墓参りに実家に帰りました。<br />混雑を予想して早めに家を出ましたが、東北道は途中渋滞することもなく、1時間ちょっとで佐野に到着。<br />実家の玄関先でお土産だけ渡して、そのままお隣の群馬県の桐生市へと向いました。<br />桐生は古くは南北朝時代、桐生国綱が築城し城下町として発展しました。<br />16世紀になり桐生新町を建設し、絹織物、絹市場の町として栄え、我が国の織物産業を代表する町となりました。<br />江戸中期には、京の西陣から染色、紗綾などの織技術が導入されてから大きく発展し、江戸後期の最盛期には「西に西陣、東に桐生」とまで言われるようになり、白縮緬、御召、銘仙、帯地、刺繍物などを製造していました。<br />明治時代になると、織物により得た富によって、当時のステータスシンボルとしての洋館や公共建築物、工場、事務所棟などの洋風の建物を建築することが行われました。<br />現在も町のいたるところで見ることができる、大谷石やレンガ造りのノコギリ屋根の織物工場や擬洋風建築、洋館住宅などを見ていると当時の街の繁栄の面影を見ることができます。<br />しかし、戦後の繊維不況により、桐生の町は絹織物から機械工業都市に変わっていき、現在は織物よりもパチンコ台の大手メーカーが多く集まり、全国一のパチンコ都市として有名になっています。<br />

「西に西陣 東に桐生」 織物産業近代化遺産を訪ねて

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2009/09/22 - 2009/09/22

250位(同エリア390件中)

旅行記グループ 近代建築散歩(関東エリア)

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35

ぬいぬい

ぬいぬいさん

シルバーウィークの4日目に、お彼岸の墓参りに実家に帰りました。
混雑を予想して早めに家を出ましたが、東北道は途中渋滞することもなく、1時間ちょっとで佐野に到着。
実家の玄関先でお土産だけ渡して、そのままお隣の群馬県の桐生市へと向いました。
桐生は古くは南北朝時代、桐生国綱が築城し城下町として発展しました。
16世紀になり桐生新町を建設し、絹織物、絹市場の町として栄え、我が国の織物産業を代表する町となりました。
江戸中期には、京の西陣から染色、紗綾などの織技術が導入されてから大きく発展し、江戸後期の最盛期には「西に西陣、東に桐生」とまで言われるようになり、白縮緬、御召、銘仙、帯地、刺繍物などを製造していました。
明治時代になると、織物により得た富によって、当時のステータスシンボルとしての洋館や公共建築物、工場、事務所棟などの洋風の建物を建築することが行われました。
現在も町のいたるところで見ることができる、大谷石やレンガ造りのノコギリ屋根の織物工場や擬洋風建築、洋館住宅などを見ていると当時の街の繁栄の面影を見ることができます。
しかし、戦後の繊維不況により、桐生の町は絹織物から機械工業都市に変わっていき、現在は織物よりもパチンコ台の大手メーカーが多く集まり、全国一のパチンコ都市として有名になっています。

交通手段
高速・路線バス 自家用車 徒歩

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  • のっけから近代産業遺産とはちょっと違いますが、こちらは、明治11年に医学校併設の群馬県衛生所として建築された擬洋風建築の建物。

    のっけから近代産業遺産とはちょっと違いますが、こちらは、明治11年に医学校併設の群馬県衛生所として建築された擬洋風建築の建物。

  • もともと前橋市に建っていたものを、昭和4年この地に「相生村役場」として移築したものです。

    もともと前橋市に建っていたものを、昭和4年この地に「相生村役場」として移築したものです。

  • こちらは貴賓室。この当時のこういった建物には必ずといって良いほど貴賓室が設置されています。

    こちらは貴賓室。この当時のこういった建物には必ずといって良いほど貴賓室が設置されています。

  • 建物の特徴としては各部屋は独立してポーチやベランダから直接出入りできるようになっています。

    建物の特徴としては各部屋は独立してポーチやベランダから直接出入りできるようになっています。

  • 擬洋風建築とは、文明開化の明治初期の頃、洋風デザインを取り入れた建物を、大工の棟梁が、見よう見まねで作った建物。

    擬洋風建築とは、文明開化の明治初期の頃、洋風デザインを取り入れた建物を、大工の棟梁が、見よう見まねで作った建物。

  • あれっ! これはヴォーリズ?<br />と思ってしまうような外観のこの建物

    あれっ! これはヴォーリズ?
    と思ってしまうような外観のこの建物

  • 大正時代に輸出織物で活況を呈した桐生産業界が、大正7年に「桐生倶楽部」を発足させ、機屋の旦那衆たちの社交場として建設されたのがこの桐生倶楽部会館でした。

    大正時代に輸出織物で活況を呈した桐生産業界が、大正7年に「桐生倶楽部」を発足させ、機屋の旦那衆たちの社交場として建設されたのがこの桐生倶楽部会館でした。

  • 壁に埋め込まれているのは七宝でしょうか?<br />桐生のKの文字が中央に入っています。

    壁に埋め込まれているのは七宝でしょうか?
    桐生のKの文字が中央に入っています。

  • 建物のスタイルは、スペイン瓦の屋根、上げ下げ窓、小さな切妻の屋根をのせた四本の煙突

    建物のスタイルは、スペイン瓦の屋根、上げ下げ窓、小さな切妻の屋根をのせた四本の煙突

  • 玄関ポーチの4本のオーダー、上部を半円形の欄間とした出入口など・・・

    玄関ポーチの4本のオーダー、上部を半円形の欄間とした出入口など・・・

  • スパニッシュ・コロニアル様式の、瀟洒な外観となっています。

    スパニッシュ・コロニアル様式の、瀟洒な外観となっています。

  • 少しだけ場所を移動して、本町通を1,2丁目付近まで進んでいきました。<br />ここは江戸時代は桐生新町と呼ばれ、大いに栄えた通りです。<br />こちらの建物は森合資会社事務所。<br />外壁に白磁タイルを貼った建物で、大正3年に金融業の店舗として建築されたものです。

    少しだけ場所を移動して、本町通を1,2丁目付近まで進んでいきました。
    ここは江戸時代は桐生新町と呼ばれ、大いに栄えた通りです。
    こちらの建物は森合資会社事務所。
    外壁に白磁タイルを貼った建物で、大正3年に金融業の店舗として建築されたものです。

  • そしてここからは、織物産業の近代化遺産の象徴ともいえる、現在も市内のいたるところに260棟残っているノコギリ屋根の工場たちを紹介します。

    そしてここからは、織物産業の近代化遺産の象徴ともいえる、現在も市内のいたるところに260棟残っているノコギリ屋根の工場たちを紹介します。

  • 旧曽我織物新工場<br />大正11年に建てられた大谷石造鋸屋根の工場です。

    旧曽我織物新工場
    大正11年に建てられた大谷石造鋸屋根の工場です。

  • 旧住善織物工場は、鋸屋根工場としては唯一の鉄筋コンクリート造です。<br />

    旧住善織物工場は、鋸屋根工場としては唯一の鉄筋コンクリート造です。

  • 旧斎憲テキスタイル工場<br />昭和2年に建築された大谷石造の鋸屋根工場です。

    旧斎憲テキスタイル工場
    昭和2年に建築された大谷石造の鋸屋根工場です。

  • こちらは隣の煉瓦造の鋸屋根工場に併設する旧かなやレース工業事務所。<br />昭和初期の建築で、当時流行っていたスクラッチタイル貼りで、水平ラインを強調したライト風デザインとなっています。

    こちらは隣の煉瓦造の鋸屋根工場に併設する旧かなやレース工業事務所。
    昭和初期の建築で、当時流行っていたスクラッチタイル貼りで、水平ラインを強調したライト風デザインとなっています。

  • 煉瓦造のノコギリ屋根の工場としては、唯一現存する金谷レース工業鋸屋根工場。イギリス積みの煉瓦工場はもともと8連でしたが、現在は4連だけ残されています。

    煉瓦造のノコギリ屋根の工場としては、唯一現存する金谷レース工業鋸屋根工場。イギリス積みの煉瓦工場はもともと8連でしたが、現在は4連だけ残されています。

  • 大正8年に建築された工場ですが、現在はパン屋さんとしてリノベーションされ、ベーカリーレンガのお店として、蘇っています。

    大正8年に建築された工場ですが、現在はパン屋さんとしてリノベーションされ、ベーカリーレンガのお店として、蘇っています。

  • 内部のトラスは工場として利用していた頃のまま

    内部のトラスは工場として利用していた頃のまま

  • 鋸の折れた部分には明り取りのトップライトが設けられ自然光を取り入れていて、明るくなっています。

    鋸の折れた部分には明り取りのトップライトが設けられ自然光を取り入れていて、明るくなっています。

  • ちょうどお昼なので、ここで軽めのランチをいただきました。<br />焼きたてのパン3種類選べてサラダに、おかわり1杯サービスのコーヒーとコーヒーゼリーが付いて580円。<br />結構美味しいパンでした。

    ちょうどお昼なので、ここで軽めのランチをいただきました。
    焼きたてのパン3種類選べてサラダに、おかわり1杯サービスのコーヒーとコーヒーゼリーが付いて580円。
    結構美味しいパンでした。

  • 本町通りにある昔ながらの風情の一の湯。<br />もともと紡績工場を営んでいて、お抱えの染め物職人や女工や機械工を一気に入浴させるために作ったのがこのお風呂で、工場はとうの昔に廃業してしまい、一の湯だけが市内で数少ない銭湯として残っているそうです。

    本町通りにある昔ながらの風情の一の湯。
    もともと紡績工場を営んでいて、お抱えの染め物職人や女工や機械工を一気に入浴させるために作ったのがこのお風呂で、工場はとうの昔に廃業してしまい、一の湯だけが市内で数少ない銭湯として残っているそうです。

  • こちらは大正5年、国立染織学校講堂として建設された建物で、当時では珍しいゴシックスタイルのモダンな薄いグリーンに塗られています。<br />現在は群馬大学工学部同窓記念会館として利用されています。<br />

    こちらは大正5年、国立染織学校講堂として建設された建物で、当時では珍しいゴシックスタイルのモダンな薄いグリーンに塗られています。
    現在は群馬大学工学部同窓記念会館として利用されています。

  • こちらは大学の入口の、旧桐生高等染織学校門衛所<br />1916年の建築です。

    こちらは大学の入口の、旧桐生高等染織学校門衛所
    1916年の建築です。

  • こちらは、上毛電鉄西桐生駅<br />昭和3年に建てられたマンサード屋根の乗った駅舎で、格子の上げ下げ窓のついたなかなかおしゃれな建物です。

    こちらは、上毛電鉄西桐生駅
    昭和3年に建てられたマンサード屋根の乗った駅舎で、格子の上げ下げ窓のついたなかなかおしゃれな建物です。

  • 今もほとんどの設備が当時のまま使用されており、「関東の駅百選」に選定されています。<br />

    今もほとんどの設備が当時のまま使用されており、「関東の駅百選」に選定されています。

  • 一見フランク・ロイド・ライト風の外観のこの建物、昭和7年に配水事務所として建設されました。

    一見フランク・ロイド・ライト風の外観のこの建物、昭和7年に配水事務所として建設されました。

  • 桐生の近代化遺産として誇れる美しくモダンな建物で「桐生市水道山記念館」として公開されています。<br />あいにくこの日は休館日で閉まっていました。

    桐生の近代化遺産として誇れる美しくモダンな建物で「桐生市水道山記念館」として公開されています。
    あいにくこの日は休館日で閉まっていました。

  • 昭和9年に桐生織物会館として建てられたこの建物、当時流行のスクラッチタイル貼りの外壁を取り入れ、屋根は青緑色の日本瓦葺としたモダンなものでした。

    昭和9年に桐生織物会館として建てられたこの建物、当時流行のスクラッチタイル貼りの外壁を取り入れ、屋根は青緑色の日本瓦葺としたモダンなものでした。

  • この時代が桐生が一番繁栄した時代であり、大陸輸出の好景気に沸く市民は、競ってこのスタイルをまね、周囲には同じスクラッチタイル張りの事務所や住宅が残されています。

    この時代が桐生が一番繁栄した時代であり、大陸輸出の好景気に沸く市民は、競ってこのスタイルをまね、周囲には同じスクラッチタイル張りの事務所や住宅が残されています。

  • こちらは、大正6年に旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟として建築されたもので、現在は絹撚記念館となっています。<br /><br /><br />

    こちらは、大正6年に旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟として建築されたもので、現在は絹撚記念館となっています。


  •  模範工場桐生撚糸合資会社は、農商務省の出資により全国6ヶ所(京都、福井、富山、米沢、足利、 桐生)に設立された模範工場の1つで、日本絹撚株式会社と改称し、日本最大の撚糸工場に発展しましたが、 現存しているのは、事務所棟のみです。<br />

    模範工場桐生撚糸合資会社は、農商務省の出資により全国6ヶ所(京都、福井、富山、米沢、足利、 桐生)に設立された模範工場の1つで、日本絹撚株式会社と改称し、日本最大の撚糸工場に発展しましたが、 現存しているのは、事務所棟のみです。

  • 最後のこの建物は金善ビル。<br />大正10年頃建築されたこのビルは1階の階高を高くとり石張り風の意匠にして2階以上は白いタイルを貼っています。<br />

    最後のこの建物は金善ビル。
    大正10年頃建築されたこのビルは1階の階高を高くとり石張り風の意匠にして2階以上は白いタイルを貼っています。

  • 本町5丁目の通り沿いに建つこのビルは、今でも桐生のランドマーク的建物として目だっています。

    本町5丁目の通り沿いに建つこのビルは、今でも桐生のランドマーク的建物として目だっています。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • までさん 2009/09/28 11:06:02
    桐生!
    ぬいぬいさま


    こんにちは、お邪魔しまっす。
    桐生!先日友人とちょっと行ってみたいね〜なんて話していたところです。
    ステキですね〜。
    やっぱり近々行ってこないと!

    の前に、私にははずせないバリへ行ってきます(笑)

    まで

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2009/09/28 22:46:15
    桐生 なかなかいい町でしたよ
    までさん こんばんは

    実家に帰ったついでに行った桐生の町でしたが、予想以上にステキな町でした。

    まだ旅行記は作成途中ですが、3部構成でアップしますのでまた覗いて見てください。

    ところでバリはいつからですか?
    この夏2度目のバリに行って、ますますバリの魅力にははまってます。

    旅行記楽しみにしています。

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