2008/01/01 - 2008/01/02
178位(同エリア358件中)
ぬいぬいさん
元旦の朝、東北自動車道で栃木の佐野にある実家へと帰省しました。関東平野の北のはずれにある佐野の町は、昔はただの田舎町でしたが、最近はインターのそばにできた佐野プレミアムアウトレットと、年に一度正月だけ賑わう、佐野厄除け大師で、大晦日から正月にかけては街中が大渋滞するんです。
いつもは戸越銀座の自宅から、車で1時間で着くのですが、この日は高速は順調で1時間かからずに料金所まで行ったのですが、料金所を出てすぐから大渋滞。全く動かず、アウトレットまでのわずか500mに満たない距離を20分もかけて通り抜けました。
経済効果は大変なものがあっても、正月は地元の人にはとても迷惑な時期なんです。
そんな田舎の町ですから、実家に帰っても、買い物以外はあまり出歩かないのですが、今回は私の生まれ育った町をも一度見直そうと言うことで、早朝の町を車で回ってみました。
ありました・・・私の大好きな古い建物が。車で回るうちに隣町の足利まで足を伸ばして歴史的建造物を見つけてきました。
東京から車で1時間の近さもあって、いつでも帰れる気安さからこのところ逆に足が遠のいていましたが、私が生まれ育った町もまんざら捨てたものではないなあと見直しました。
今度じっくり歩いてみたいと思います。
- 交通手段
- 自家用車
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私の生まれ育った佐野は、栃木県の一番南のはずれにある小さな町です。
昔は佐野厄除け大師のある町、ラーメンの町として多少は知られていましたが、最近は御殿場のアウトレットと同系列の佐野プレミアムアウトレットのある町として若い人には知れわたっているようです。
古くは小さな城下町であり、また、家康の没後、日光東照宮に幣帛を奉献するための勅使が通った、日光例幣使街道の宿場町であったことももあり、街道沿いには、土蔵建築の商家や出桁造りの商店がいまだに残っていて、なかなか趣のある町だったことに、町を離れて32年目にして今回初めて気づきました。
私の大好きな近代建築もしっかりありました。
まずこれは影澤医院 明治44年に開院した外科の医院で現在の先生は4代目だそうです。 -
よく見ると、2階腰壁には十字の飾りが取り付けられ、病院建築であることを何気なく主張しています。
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建物は木造2階建て寄棟和瓦葺きで、ベランダ車寄せ付き下見板張りの典型的な明治時代の洋館です。外観意匠はかなり凝っていて、車寄せ柱のエンタシスや、正面中央のペディメントには、デザイン化された病院名とそのイニシャルが入っています。
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この建物今回の一番のお気に入りです。
今思えば、子供の頃から、かなり気になっていた建物でした。 -
こちらは、影澤医院のすぐそばにあった日本基督教団佐野教会。国の登録有形文化財に指定されています。
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1934年(昭和9年)に建築された木造2階建て、塔屋付、鉄板葺 の教会です。下見板の塗装がずいぶん傷んでいて、ちょっと痛々しい感じの建物でした。
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佐野は昔から織物の町として栄え、第一次大戦直後にそのピークを迎え、町も大いに繁栄し、その繁栄の象徴として西洋館が新築されたそうです。
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昭和2年に建てられた、この小島邸は、マンサードの屋根と、外壁に漆喰の装飾が施された特徴ある建物です。
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天明町にあるこの建物、数年前までは確か中央労働金庫佐野支店だったはず。今はどうやら移転したようです。
ここ天明町は、鋳物の町として知れ渡ったところで、今から1000年前の天慶三年に起こった平将門の乱を鎮め、唐沢城の初代城主となった藤原秀郷公が、京から5名のすぐれた鋳物師を連れて来て、軍器等の鋳造にあたらせたのが天明鋳物の始まりと云われています。 -
このあたりは、出桁造の古い建物が建ち並ぶ一角です。
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こちらの建物も古そうです。
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旧例幣使街道に出てみると、古い街並みがずっと残っています。こちらの土佐屋は出桁造りの紙屋さんで、私も今の女房と結納を交わしたとき、このお店で結納の品を買ったのを覚えています。
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日光例幣使街道とは、徳川家康の没後、京の都から、東照宮に幣帛を奉献するための勅使が通った道で、京都から群馬県高崎の倉賀野宿までを中仙道、倉賀野を起点として、楡木宿までを例幣使街道、その先から壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと2週間近くかけて移動したそうです。
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この通りは、その10番目の宿場町の天明宿だった所で、今でもこんな古い街並みが残っています。
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今回初めて知ったのですが、佐野市は、平成5年「全国小京都会議」に加盟し、以来「万葉のふるさと・関東の小京都」を名乗っているそうです。
隣町の足利も確か関東の小京都と呼ばれていたようですが、どこが京都なのか・・・?
あのフリーペーパーR25に紹介された記事を見ると「
京都市に街並みや景観が似ている、京都と歴史的なつながりがある、伝統的な産業や芸能がある」といった条件のうち、ひとつを満たしていると全国京都会議に加盟でき小京都と名乗れるそうで、現在50の町が加盟しているそうです。佐野の場合は「伝統的な産業や芸能」なのかな? -
私の実家もこの街道を次の宿場町である、犬伏宿の手前にあり、私の子供のころは築100年を越えた出桁造りの商店で、江戸の頃から薬屋を営んでいた商家でした。その後織物の町として栄えた頃には住み込みの従業員を何人か抱えた繊維関係の工場をやっていました。今はそんな商売もやめ建物も解体してしまい、実家の周辺にはこんな建物はほとんど残っていません。
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先日会津で見たのと同じような黒壁の蔵を見つけました。
こうやって見てみると、私の生まれ育った町も、子供の頃は何もない片田舎の小さな町と思っていましたが、まんざら捨てたもんでもないなあ・・・と思いました。 -
両毛線の富田駅の国道沿いにあった大谷石の倉庫。
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ここ栗田美術館は30000坪の自然庭園の敷地内に、伊萬里、鍋島の磁器だけを展示する、世界中でも特異な存在の美術館です。
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収蔵品の数においては世界最大の美術館と言われています。私の子供の頃にはすでにできていたにもかかわらず、来た事がない理由のひとつは、入館料が1550円と割高なこともありますね。
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JR両毛線足利駅
両毛線の主要駅の中で、古い駅舎の残っているのはもうここだけでは?
昭和8年に建てられた木造の駅舎。なかなか風情があっていいですね。 -
最近の駅舎ではあまり使われなくなってしまいましたが、ステンドグラスが組み込まれています。
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こちらは正面の左右に伸びたウイングの上部についているステンド。
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駅入り口上部のステンドグラスは玉子を半分に切ったような形の三連となっています。
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地元の下野新聞の正月版にここ足利学校と足尾銅山が世界遺産にエントリーすべく準備を進めている記事を見て思わず来てしまいました。
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ここは、日本最古の総合大学として、あのフランシスコ・ザビエルによって世界に広く紹介されています。
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足利学校から鑁阿寺にかけての一帯は、蔵のある古い建物が連なる街並みとなっています。
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左側のお店の看板をよく見てください。どこかで見たことのある字だと思いませんか。
そうです あの相田みつをの書いた字です。
相田みつをはここ足利の出身で、このお店の蕎麦を生前こよなく愛したとか・・・ -
鑁阿寺山門に通じる石畳の参道。昔の風情を感じさせる落ち着いた通りです。
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鑁阿寺のすぐ前にあるこの土蔵 3層になっています。
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鑁阿寺は、源姓足利氏2代目義兼が建久7(1196)年邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祭ったのが始まりで、3代目義氏が堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺としました。
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約40,000?の敷地の周囲に、土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、、鎌倉時代の武家屋敷の面影を残しています。
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本堂の大御堂(大日堂)は、建久 7年(1196年)に 足利義兼 が建立した鎌倉時代の代表的な建造物で、本尊として 大日如来 、脇本尊として薬師如来、聖観世音菩薩、聖天様 を祀っています。
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多宝塔は、国内最大規模のもので、足利義兼の創建と伝えられていますが、現在の建物は江戸時代の元禄 5年(1692年)に再建されたものです
足利学校とともにここも足利氏にかかわる史跡として世界遺産登録を目指しています。 -
鑁阿寺への参道にある松村写真館
このレトロな写真館は、1921年(大正10年) に建てられたもので、小金井の江戸東京たてもの園にも、一棟古い写真館がありましたが、ここもかなり古いものです。
昔はどこの町にも、こんな古い写真館がありましたね。 -
鑁阿寺への参道はレトロな建物が建ち並ぶ一角。こちらは回転灯のついた床屋さんの建物。
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その先には蔵造りこの建物 不動産屋さんのようです。
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渡瀬川にかかる中橋 橋を渡ると東武伊勢崎線の足利市駅があります。
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向こうに見えるのが森高千里が歌った渡良瀬川の渡良瀬橋 はるか彼方に富士山も見えています。
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旧足利模範撚糸工場。
足利模範撚糸合資会社の工場として、明治1903年(明治36年)建てられました。 足利模範撚糸合資会社は、農商務省の出資により1902年(明治35年)頃、 全国に6ヶ所(京都、福井、富山、米沢、足利、 桐生)に設立された模範工場の1つで、現存するのはここだけだそうです。 -
大谷石がいい具合に風化して、なかなか年代を感じさせる風格を持った建物です。
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工場なのに、こんな窓も付いて意外におしゃれなデザインです。
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昔は工場だったこの建物も、今はアンタレススポーツというフィットネスジムとして使われています。
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こちらは、東武伊勢崎線の福居駅の脇にある旧足利織物の工場。こちらは赤レンガサラン工場として国の有形文化財登録を受けています。
建築されたのは大正2年から8年にかけての時代。 -
こちらののこぎりの歯のようなギザギザ屋根を乗せた建物は、赤レンガ捺染工場。同じ年代に建築されています。
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旧足利織物株式会社として建てられたこの建物は、その後、明治紡績株式会社の工場となり、戦時中は軍需工場に転用されました。 戦後、株式会社トチセンの所有となり、現在もその工場として稼動しています。
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この全くデザインも色も違う2棟の建物 旧木村輸出織物工場は、初代木村浅七が建設したもので足利では最も古い近代工場のひとつとして知られています。
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旧事務所棟は明治44年の建築と伝えられる木骨石造2階建て、寄棟石綿ストレート葺の洋風建築です。現在は助戸公民館として使用されています。
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明治25年に建てられた、旧工場は木造平屋建寄棟桟瓦葺。外観は伝統的な土蔵造り、小屋組に純様式の洗練された骨組みを用いているのが特徴の建物です。現在は、足利織物記念館となり、 当時の絹織物の資料が展示されています。
JR両毛線の佐野・足利・桐生にかけては織物の町として明治から戦前にかけて栄えた町なので、織物に関連する歴史的な建物が多く残されています。
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