2005/10/13 - 2005/10/17
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旅人のくまさんさん
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<2005年10月14日(金)>
残念ながら昨日の外出は不調に終わりました。しかし、昨晩まで降り続いた雨は止んでいました。昨日申し込んだメコン川クルージングの出発に備えて、6時前には起床しました。十分に睡眠もとり、快調な朝を迎えました。
起き出した時はまだ薄暗い時間でしたが、4階のプールでは、既に道具を使って清掃が始まっていました。そこのほうに沈殿したゴミを吸い取っているようでした。その様子をカメラにも収めて置きました。
<ホテルの朝食>
ホテルのレストランは6時に開きますので、15分には出かけました。デジカメも持って、そのまま外出が出来るような準備をしました。ミールクーポンは小さな紙切れで、あらかじめ4日分、現地ガイドのホウさんから受け取っていました。それを受付の方に渡して、席案内を頼みました。
席案内をしてくれたのは、チーフのような女性の方でした。一人分の適当な席が無かったので、タバコを吸わないことを確認された上で、まだ誰も座っていないコーナーへ案内されました。最後まで、このコーナーは私一人だけでしたから、ゆっくりと、朝食を摂ることが出来ました。
席へ着いた後、コーヒーだけを頼んで、バイキング方式の料理を取りに席を立ちました。ベトナム郷土料理、お粥、中華料理、洋食と、品数は豊富でした。野菜類の品数はやや少なかったものの、フルーツは各種のトロピカルタイプの品が揃っていました。パイナップル、ドラゴンフルーツ、バナナ、パパイア等です。
パンもロールタイプ、クロワッサン、トースト、フランスパンなど申し分の無い品数でした。甘いタイプのものを避けて、何種類か席に運びましたが、残さず戴きました。マーガリンではなく、バターの方でした。マーマレード、蜂蜜、ジャムなども揃っていましたが、すべてパスしました。
コーヒーは、最初だけ無意識にミルクを入れました。しかし、その後は念のためにブラックコーヒーにしました。比較的最近、ミルクを入れてお腹の調子が悪くなった方の、お話を聞いていたからです。この日も念のため、持参の正露丸を、後で3錠服用しておきました。
<早朝の散歩>
7時前には朝食を済ませましたので、HISの車が迎えに来てくれる8時半には1時間以上の余裕がありました。それで、昨日とは反対方向への朝の散歩です。目的地は地図で調べておいたロータリー方向の小公園です。
昨日の午後は、広い通りの横断歩道を渡るのを散々苦労しましたが、今朝は大丈夫でした。その理由は、距離が300m以内と短かったことと、広い交差点を渡る必要が無かったためです。
本当に短い距離でしたから、公園には5分も経たない内に到着しました。その公園では、既にネットを張ってバトミントンに汗を流している人や、ベンチに座ってのんびりと朝の時間を過ごしている人など様々でした。
バトミントンはペアでの試合形式の組が殆どで、シングルでの試合は見かけませんでした。暫く観ていましたが、中にはかなりの腕前の方もいて、人気のスポーツであることが窺えました。
公園脇には花屋さんがありました。私の大好きな蘭を販売していましたので、暫くそのお店で写真を撮りながら、デンファーレやバンダ、カトレアなどの花を楽しみました。以前、名古屋にも国際蘭展に、ベトナムからの蘭の出展があったのを記憶しています。残念ながら最近は、ベトナムからの出展は見かけていません。この時撮った写真の方は、写真ページでご覧ください。
<メコン川クルージングへ、車窓の風景>
早朝の散歩からは早目にホテルに戻りました。それからは、いったん部屋に戻って迎えの車が来る時間を睨みながら、テレビを見て時間を過しました。昨日ホウさんが、私の予定表にメモしてくれた時間は、8時30分から8時45分の間に迎えに来るという予定でした。8時20分には1階のロビーまで降りて、迎えの車を待ちました。
迎えに来てくれたのは、ベトナム人現地ガイドのホアさんです。このホテルが最後だったらしく、バスには20人近くの人が乗っていました。パンフレットには、「HISの現地事務所集合」とかかれていましたが、昨日、ホテルまで迎えに来てくれることが確認してありました。ちょうど、メコン川クルージングへの順路になっていたのが幸いしたようです。
車窓から眺める景色もなかなか興味があるものでした。その都度、ガイドのホアさんが説明を加えてくれました。
たとえば、川を渡る時には、ベトナムでの河川汚濁、バイクでの大気汚染が深刻になっていることを説明してくれました。その前に市内の一角では、霊柩車がずらり並んでいる場所で、ベトナムでの葬式、お墓の事情などを教えてくれました。家の中に祀ってある人は裕福な家庭で、普通は費用が安い郊外に墓が作られていました。田んぼの中に白や黒色を基調としたお墓が見えた時、指差しで教えてくれました。
乗り合わせた女性の方から質問があったのは、ベトナムの「愛人」問題でした。ホウさんは、
「女性は結婚すると、みんな家の中に籠もってしまいます。経済的に余裕がある男性は、外で愛人を持つのが普通です。若い女性も、早くお金を手に入れたい人が多いので、簡単に交渉が成立します」
と、言った後に、
「愛人を持った男性は、愛人をバイクの後ろに乗せて走ります。女性は大きなマスクをしているので、顔が分かりません。他の人には、絶対ばれません」
と、説明された後の質問でした。何回か、質問と回答のやり取りがあった後で、
「本人たちが黙っているので、いつまで経っても真相は分かりません。公務員などで、ばれた場合は責任を取らされます。しかし、この国は一夫多妻制度も残っています」
との話が出て、この件はお終いになりました。さすがに「ガイドさん、あなたの場合はどうですか?」と言った質問までは出ませんでした。淑女の皆さん達でした。
霊柩車の話しです。最初はガイドさんが別のことを言い間違えているのではないかと思って、聞き流していました。しかし、ガイドさんが窓の外を指差した一角には、ライトバンを改造した霊柩車がずらり並んでいました。棺を運び込んでいる瞬間も目にしました。
<休憩所へ到着、ミトーの町へ>
メコン川クルージングの出発点までは、2時間程はかかりますので、途中で1回の休憩がありました。ホアさんの説明では、クルージングの後に戻って来て、昼食を摂るレストランでした。少し待ち時間がありましたから、前庭や、中庭の撮影をしました。実に立派な庭園でした。
季節を過ぎたブーゲンビリアが咲いていましたが、敷地境の庭には薄紫の花が咲いていました。余り目立たない、日本では観かけない花でした。写真を撮ろうと構えたところに虫が飛んできて、蜜を吸い始めました。直ぐに飛び去りましたので、その後の花の写真も撮っておきました。
15分ほどの休憩の後で、クルージングの出発点、ミトーの町へと向かいました。ミトーの町はホーチミン市から国道1号線を南西に、2時間ほどです。メコン川クルージングの出発点となる町です。休憩所からは余り時間がかかりませんでした。
ミトーの街中に入る時、ホアさんが、
「ミトーの町の中は速度制限がされていますからゆっくり走ります」
と、教えてくれました。街中に入ると、単車も四輪もゆっくりと走り、速度制限が徹底されているのが分かりました。感じでは徐行に近く感じますが、時速30km程度のようでした。
ミトーは新興住宅街か、高級リゾート地といった雰囲気を持った町でした。ゆっくりと車が走るので、この町を車中から見学するのに好都合でした。観光で潤っているようで、新しい家屋も、立派な建物が目立ちました。ホアさんは、
「ミトーの町は小さいですから、歩いてでも半日ほどあれば、すべて見学できます」
と、紹介していました。
<クルージング、タイソン島へ>
休憩したレストランから、ミトーの町を過ぎると、クルージングの出発地点は直ぐ近くでした。快晴という訳ではありませんが、クルージングには絶好の日和になってきました。
出発地点はメコン川の支流であるミトー川の桟橋です。この日帰りツアーに参加した人は20名余りでしたから、船は貸切でした。ミトー川は、予想した以上に濃い茶色をしていました。細かい赤土で混濁して、透明度は殆どありませんでした。
目的の島は、ミトー川に4つある中州の内のタイソン島です。画持参したガイドブックには「トイソン島」と表記してありました。どちらが原語の発音に近いのかは、分かりませんでした。
緩やかな流れなので、川を上っているのか、下っているのかもよく分かりませんでした。多分、往きが上りのようです。15分か、もう少しかかったかも知れませんが、配られたココナツ椰子の果汁を飲み干した頃に、タイソン島に到着しました。
撮影に気を取られて、ホアさんの話を半分聴きでしたが、ミトー川の水深は、20m程だったようです。
「カメラを落としたら、絶対に見つかりません」
の声だけが、耳に残りました。気温が上がってきましたから、ココナツ椰子の果汁が喉に染渡りました。
<タイソン島で見かけた風景>
タイソン島へ上陸した後、同じ場所には戻ってこず、船は別の場所で待機してくれるようでした。ガイドさんの指示に従って、全員、飲み終えたココナツ椰子の殻だけを船に残しました。
実は、ミトー川の赤茶色の濁りが細かい赤土のようなもので混濁していることは、この島に降り立った時に気が付きました。島全体が、細かい粒子の赤土で出来ていたからです。雨上がりで、あちこちに水溜りがありましたが、ぬかるむ感じではないところが予想に反していました。水を含んでも、ドロドロにならない性質のようでした。
この島で暮らす人達の自然な姿を見たとき、ベトナムの人達の穏やかな気質が一番理解できたように思えました。付録の写真にいくつかの表情を紹介しておきましたが、屈託の無い、明るい笑顔が実に印象的でした。犬も穏やか?蜂も穏やか?蛇も穏やか?と言った印象でした。
アジアの民族の中でも、日本人とベトナム人との民俗学的ルーツは近いという説があります。そのことが、なんとなく納得できるタイソン島での見聞でした。
<ココナツキャンディ工場>
ココナツキャンディ作りが、この島の大切な産業のようでした。観光客相手では、果物は滞在中に消費する分だけですから、量が知れています。ホテル滞在だと、毎朝たくさんのフルーツが出されますから、買う人も殆どいません。その点、ココナツキャンディは、格好のお土産物になります。ガイドさんの説明では、
「町の中で買ったココナツキャンディは、いつ製造されたものか分かりませんが、ここで買えば、正真正銘、新鮮です」
と言った、うたい文句でした。実際、原料のココナツ椰子からキャンディが出来るまでを、目の前で見学することが出来ました。椰子以外には、麦芽を使っているだけのようでした。色も天然物での着色です。例えば、緑色は若い椰子の葉の絞り汁です。
ココナツキャンディ工場と言っても、椰子の葉で葺いた小さな手作業の仕事場です。その中にあった品々を一通り撮影して、後は自分で製造工程を想像しました。それは、写真編をご覧ください。
この工場の中に売店がありましたから、お土産を買い求めました。5袋買うと、1袋おまけに付いてきました。値段は安いものの、結構重たい荷物になりました。押し売りみたいな雰囲気は無く、マイペースでの買い物が出来ました。
ツアーの皆さんから相談を受けたりしましたので、2桁下げて7掛けの概算を、暗算で日本円での価格を教えたりしました。例えば、5万ベトナムドンなら、2桁下げて500円、7掛けで350円と言った具合です。円が安くなれば、7掛けが、8掛けになったりします。
<椰子の密林をクルージング>
いよいよクライマックスの椰子の密林のクルージングです、今度は4人が定員の小さな船です。前後に一人ずつの船頭さんが付いて、竹の竿だけでの操船です。流れに逆らえば、結構大変は労働になりますから、支流でも、川下に向かっての操船でしょう。
メコン川の支流のミトー川、そのまた支流の川下りです。両岸に椰子の葉が生い茂って、「ベトナムにやって来た!」と言った感じがするクルージングでした。昼間のクルージングですが、真夜中だったら、相当に怖い経験をするかも知れません。
ふと、昔読んだ開高健さんの「夏の闇」の一節を思い出しました。真夜中の襲撃で、「ワアーッと声を上げて逃げ惑った」描写です。開高さん自身が九死に一生を得た体験です。その体験が文章化されたと言われる場面です。その開高さんも、早すぎた晩年は釣りとグルメに明け暮れ、期待されたノーベル文学賞の受賞は叶いませんでした。
椰子の葉で覆われた狭い水路は、小船がやっとすれ違える場所もありました。なんでもないように、上手に船を操って、すれ違っていました。途中、1箇所だけ小さな石橋を潜り、元のミトー川に戻ってきました。そこには、タイソン川まで我々を送ってくれた船が先回りして待っていてくれました。やはり、こちら側が川下のように思えました。その親船に乗り込むため、4艘ほどの横に並んだ小船を乗り越えて移動しました。
<エレファントフィッシュの昼食>
エレファントフィッシュは「象耳魚」のことです。メコン川クルージングの名物料理になっているようです。出された魚は、30cm以上はあり、意外と大きく感じました。唐揚にして、垂直に立つよう、わざわざ細工がされていました。ライスペーパーに包んで食します。
味付けの品が幾種類か用意されましたが、一番気に入ったのは「ヌクマム」です。魚を醗酵させた汁に唐辛子が浮かべてありました。ベトナム料理は概して甘味が効いていましたから、丁度このヌクマムが味付けに合いました。ヌクマムは色々と日本語表記されていますが、最初に目にしたのは25年以上前、開高健さんのベトナム料理に関する書籍でした。ニョクマムと表記してあったように記憶しています。
話しが前後しますが、このレストランに入る途中に、大きな籠に盛って、地元で採れる食材が展示してありました。赤米、白米、大豆、雑穀類、ミニ玉葱、大蒜、唐辛子等々です。10種類ほどありました。すべてを写真に収めましたが、その内の大蒜(ニンニク)と唐辛子だけを紹介しておきます。
話しを元に戻します。私には料理が少し甘すぎたので、ヌクマムのお世話になりました。しかし、概して女性陣には大人気でした。デザートもココナツミルクを使ったもののようでした。私以外、は皆さんが残さず食されていました。私はもっぱら、地元のタイガービールに合うつまみに絞って食べました。ふんだんに香菜、ハーブを使った料理でした。
隣席の若い女性の方も、この昼食は大いに満足だったようでした。ライスペーパーを使ったエレファントフィッシュの食べ方は、日本で練習されていたようで、実に上手に包んでいました。
「ライスペーパーを沢山買いましたが、安かったですよ!」
と言った話も、飛び交いました。2枚のライスペーパーで包んでいた人が、一生懸命一枚を剥ぎ取ろうとしていましたので、
「沢山ありますから、そのままでもいいですよ」
と、冗談で声を掛けましたら、
「二枚だと硬すぎて、食べるのが大変です」
との返事が返ってきました。二人参加されていたお子さんも、
「大勢で食べると美味しいね!」
と、感想を漏らしていました。すべてのエレファントフィッシュが完食で、立派に成仏できたようでした。倒れた魚は1匹も無く、まるで、上半身を起こして臨終を迎える、禅宗の高僧のようでした。
<レストランの庭園>
食事の後は暫く休憩時間がありました。このレストランには立派な庭園とお土産品売り場があるための旅行社の配慮のようでした。
先ず庭園です。午前中の休憩時間でのその一部を拝見して、見事さに気が付いていました。今回、ゆっくりと邸内を一周して写真に収めることが出来ました。
全体の手入れも申し分ありませんでしたが、卵を抱いた鳥、蛙その他の置物も配されて、遊び心も随所に取り入れてありました。椰子やバナナの木は南国情緒たっぷりですが、全体としては東洋の雰囲気が漂う庭園でした。配された池や、そこに掛かった木橋があったためでしょう。
その庭園の一角には、古い中国文物を納めた家屋がありました。最初は見過ごしましたが、ガイドのホアさんに教えられて見学しました。立派な額が掛かり、紫檀のテーブルなどの調度品が備えてありました。お土産店にも一通り見て回りましたが、買い込むのは止めました。地元の食材で欲しいものもありましたが、概ね壜詰めでしたから、持ち帰りに不便だったからです。
<ホテルへ帰着、ビンタイ市場へ>
往きは最後に乗せてもらい、帰りは最初にバスを降りました。私の泊まったホテルが一番西側に位置していたようです。皆さんにお礼を言って、ホテルの玄関でバスを降りました。時間は午後の3時頃になっていました。
いったん部屋に戻って、お土産のココナツキャンディを置いてから、直ぐに外出しました。歩いての外出は、とうに諦めましたから、ホテルの前でタクシーを拾いました。行き先は3キロほど西南に位置するビンタイ市場です。チョロン地区中心部の西の端にあります。市場見学が、私の旅行の楽しみの一つです。
ガイドブックからの予備知識です。「ビンタイ市場は1930年、中国のクァック・ダムが、泥地だったこの地を開墾したのが始まり」とされます。「チョロン地区最大のマーケット」とも称されます。建物全体の雰囲気もそうですが、中庭の龍や獅子の像に、色濃くその華人の人達の歴史が刻まれていました。
ガイドブックには、「2千店舗以上、更に数を増している」とも紹介されていました。このマーケットの密度の濃さ、エネルギーは並大抵のものではありません。一仕事を終えた女性の方が、電卓を使って仕入れや販売のお金を計算している場面を、度々目にしました。市場での財布の紐は、女性が握っているようでした。
<アンドン市場>
2つ目の市場見学はアンドン市場です。ホテルから1キロほど西南に位置しています。初日に、歩いて見学に行こうとして、諦めた市場です。こちらもガイドブックから少し引用します。
「ビンタイ市場とは対照的な近代的建物で、入口にあるエスカレーターが自慢」と紹介されています。市場の回りも洗練された商店街です。ビンタイン市場の中は、歩くのも大変な狭い通路と、商品の山でしたが、この市場でも品揃えは豊富でした。近いには飲食店街もありました。
この市場の前から拾ったタクシーは、いただけませんでした。ちゃんとしたメーターが付いていなかったので注意していましたが、ホテルまで1キロほどなのに、2キロ以上の距離を乗った場合の1.5倍くらいの高い料金を請求されました。被害額を日本円に換算すれば、100円以下のことですから、大したことではありません。しかし、10回以上使ったタクシーでは、唯一の不良タクシーでした。
<天后宮>
1970年に創建されたベトナム最古の華人寺の1つとされます。巨大な渦巻き線香の写真でお馴染みのお寺です。祀られているのは天后聖母(ティエンハウ)です。年中線香の煙が絶えない信仰の篤いお寺であるとも、ガイドブックに紹介されていました。
天后宮へもタクシーで出かけました。ビルの谷間、商店街の中のお寺と言う立地でした。間口は狭いですが、奥行きは結構ありました。しかし、狭い場所に立地したお寺と言った印象が残りました。狭いだけに、僅かなスペースでも密度の高い装飾で飾られていました。
やはりこのお寺の見所は、天井から吊り下げられた巨大な渦巻き線香です。1ヶ月は燃え続けるようです。見学中にも地元の華人らしき人が、敷石の上に平伏して熱心なお祈りを捧げていました。アメリカからの観光客も興味深そうに建物や飾りを見回していました。
メコン川クルージングで
肥沃なるメコンの川の恵受け民の笑顔は曇無き空
ココナツの果汁は喉に染渡り濁の川の旅は始まる
椰子の葉を掻き分け進む小船にてふと想いたる夜の暗さを
椰子の葉で葺し家屋のテーブルに今採立ての果実溢るる
旋律を覚える間も無く一曲を歌い終ては次の始まる
ビンタイ市場で
その昔泥地を拓き築きたる市場に残る華人の息吹
アンドン市場で
アンドンの言葉に韓の安東を想出したり漢字の絆
天后宮で
渦巻きの線香高く列を成し時は止りぬ街中の寺
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2日目の早朝です。6時に目覚ましをかけていましたが、3分前に目が覚めました。快調です。プールでは、まだ薄暗い中、掃除が始まっていました。
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昨日申し込んでおいたメコン川クルーズは8時半過にホテルまで迎えに来てもらう約束にしました。早起きで、1時間以上の余裕ができました。
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ボチボチ朝の通勤ラッシュの時間を迎えそうですが、まだ、単車の数は大したことはありません。
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昨日は2回の外出を、途中で引き返す結果となりましたので、今朝は東方面に向かって出かけました。目的地のロータリー近くの公園です。
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朝の公園は、若い人からお年寄りまで幅広い年代で賑わっていました。のんびりと朝の時間を過ごす人や、バトミントンで汗を流す人達でした。
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花の名前は分かりません。公園の端っこに咲いていた黄色の花です。どことなく、エンジュなどと同じ、マメ科の植物のような雰囲気がします。
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時間は7時を少し回ったところです。既にラッシュアワーが始まっていました。この車を掻き分けて、道路の向こう側へ渡る気はしません。
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朝の通勤時間帯ですから、一人乗りのバイクが殆どです。2人乗りまではOKで、市内はヘルメット着用も義務付けられていません。
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脇道からシクロと自転車がやってきました。この交通事情を見て、シクロを使っての市内見物は、とっくに諦めました。保険で済む問題ではありません。
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ホーチミン市の街路樹は、まるで枝打ちをした植林のように下枝が整理されています。かなりの背丈と幹周りの街路樹があります。
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講演の中の光景です。一部舗装されていて、沢山の単車が駐輪されていました。持参の椅子で寛ぐ皆さん達です。
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早朝からバトミントンで汗を流す人達です。相当に本格的で、コートもネットも整備されています。足で蹴る羽根突きのような競技も見ました。
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公園の片隅のような場所に花屋さんがありました。蘭を多く扱っているお店でした。この白とピンクの花は、デンドロビューム系のデンファーレです。
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写真が逆さまなわけではありません。株が吊り下げられているためです。この黄色の花は、バンダです。植え込み材料が要らない不思議な蘭です。
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写真が逆さまでないことが分かるように、今度はほかの蘭と一緒に写しました。店の中には鉢が沢山転がしてあり、奥までは入れませんでした。
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葉の形から推定しますと、みんなバンダの花のようです。日本では紫系の花が多く出回っていますが、赤からオレンジ系統まで彩り豊富です。
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三重になった生垣が刈り込まれていました。植木屋さんは見かけませんでしたが、刈り込まれた葉は、まだ掃除されていない状態でした。
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サンタンカの花でしょうか?町のいたるところで、見かけた花です。香港でも見ましたし、日本でも花屋さんで目にします。
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ホテルには昨日の約束どおり、8時45分には乗り合いのマイクロバスが到着しました。約20名を乗せてのメコン川クルージング出発です。
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暫くはバスの中からの市街見学です。目的地まではホーチミン市内を離れて約2時間の行程です。窓の外の人だかりは、青空市場です。
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既にホーチミン市内を離れたようです。民家が疎らになり、時々屋台の店を見かけるだけになりました。飲食店や土産物のようです。
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このお店はコカコーラの大きなパラソルを広げた飲食店です。この時期でも日陰が恋しい日差しです。後方で大型のブルドーザーが動いています。
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ベトナムの霊柩車です。争議屋さんが店を奈良別一角も通りました。日本のように黒塗りの車ではありません。小型トラックが多いようです。
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新しくできた高架道路に差し掛かりました。大きな川を越える部分のようです。ベトナムでは高度成長が続き、ここでもブルドーザーの出番です。
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メコン川クルージングの案内をしてくれた現地ガイドのホアさんです。この日もう一台の車と合わせ、40人程がHISのツアーに参加したそうです。
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もう一台のHISの車には、途中で先を越されました。右手に見えてきたのは高層マンションの建設現場です。裕福層の居住地になるそうです。
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こちら側のマンションは既に完成しているようです。高圧電線がその方向に向かっていますから、既に入居が始まっているかも知れません。
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郊外を走る送電線です。手前を走る線路は、烏帽子型鉄塔です。
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まだ田植えをされたばかりの田圃です。別の場所では、黄金に実った田圃も見かけました。2毛作か、3毛作かも知れません。細長いお米です。
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紅白の車線が入った中央分離帯です。可搬式にすることによって、戦時の小型機離発着も出来そうです。
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