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<2005年10月16日(日)><br /><br /> 初日に現地ガイドのホウさんから、『チェックアウトは12時までに済ませて置くように』との確認があり、日本から持参したHI*さんのスケジュール表に、ホテルへの出迎え時間と一緒に、書き込んでもらいました。<br /> それで、出かける前は部屋でテレビを見ながらゆっくりし、10時にはチェックアウトを済ませました。荷物はバッゲージカウンターに預けて、身軽な格好で出かけました。<br /><br /><美術博物館><br /> 今日最初に訪れたのは、戦争証跡博物館でした。しかし、そのことは既に昨日の分で触れておきましたから、割愛します。<br /> 次に訪れたのが、美術博物館です。ここも統一会堂近くですから、その場所まで地図を頼りに、歩いての見学でした。もともとは中国人商家で、20世紀初頭に建てられたものです。黄色を基調にした、建物自体が鑑賞の価値があります。<br /> 最初に1階の入口から入りましたら、そこは個人アトリエで、作品が展示販売されていました。せっかくですから、一通り見学してから、正面に戻り、石段を登って2階の入口に向かいました。ところが、ここも無料の写真展が開かれていて、博物館ではありませんでした。<br /> それで、そのまま3階に上がろうとしましたら、ここで呼び止められました。階段の横にデスクがあって、ここで入場券を販売していました。3階以上が有料の美術博物館になっていました。作品の質は、正直言って、大したことがありません。会館者が少なく、ゆっくりと鑑賞できました。<br /><br /><再び、ベンタイン市場、昼食><br /> ベンタイン市場も2回見学しました。1回目の時に市場の中に食堂街がありましたので、ここで昼食を済ませることにしました。麺を食べてみたかったので、そのお店を探しました。<br /> 目的の店はすぐに見つかりました。「ヌードル?」と聞いてみましたら、カウンターの乾麺を2種類見せて、これを使った麺だといった仕草で、麺が出来ることが分かりました。やはり、ここでもタイガービールです。注文したら、お店には置いてありませんでしたが、別の女性の方が良く冷えた缶ビールを持ってきてくれました。後ろから首筋に当てられて、驚かされました。歩き回りましたので、よく冷えた缶ビールが最高でした。<br /> 麺は野菜がたっぷりで、スープも残さず平らげました。味付けは、席に置かれた調味料で、自分で微調整をするようです。缶ビールを運んできてくれた人が、お店のママに言われて、調整してくれました。お店のママが30代半ば、店員さんが20歳くらいでした。<br /><br /><ベトナム歴史博物館><br /> ベトナム歴史博物館は動・植物公園に隣接した場所にあります。統一会堂からは更に東に2キロ程の距離です。統一会堂付近からタクシーで出かけました。タクシーは、最初、ホーチミン市博物館の方向へ走りましたので、途中で地図を見せて行き先を変更させました。知っていての遠回りだった雰囲気でしたが、ほんの僅かの距離でした。<br /> ベトナム歴史博物館は日本語パンフレットが用意されていました。その裏面に「カメラ撮影禁止」と記されていましたので、入口横に展示してあった神鳥像と、知らずに撮影した最初の阿弥陀仏以外の写真はありません。<br /> 先史時代から現代に至るベトナムの歴史紹介のほか、先住民の文化も紹介されています。人間国宝だった故・加藤卓男さんの講演を名古屋でお聞きした時、正倉院御物の白瑠璃碗のルーツと同じように織部焼がベトナム経由で日本へ伝わったことを、その収集品を引用しながら論証されていました。その陶器類を探しましたが、残念なら、はっきりとしたことは分かりませんでした。もう少し北方面での出土品かもしれません。<br /><br /><動・植物園公園><br /> ベトナム歴史資料館を通り抜けますと、そこが動・植物園公園でした。一通りこちらを見学した後、歴史資料館の受付で入場券を見せましたら、又入場することが出来ました。<br /> 話を公園の方に戻します。よく手入れをされた公園は、巨木が生い茂り、花壇にはデンファーレ等の鉢植えの蘭が花を咲かせていました。緑豊かな都市部のオアシスです。園内には屋外ステージが設置されて、アクロバットやコミック劇が演じられていました。<br /> 動物園が併設されていることで、家族連れの入場者が多い公園です。時間があれば、のんびりとベンチに腰掛けて過ごしてみたい場所です。<br /><br /><ベンタイン市場横での夕食><br /> ベトナムではまだ、蟹料理や蝦料理を食べていませんでしたから、ベンタイン市場の横の屋台で、そのお店を探しました。動・植物園公園からこの場所へ戻ったのは、5時過ぎで明るい時間でした。丁度、屋台のテントを組み始めたところでした。市場の中は店仕舞いしたところが多く、昼間、食事をしたお店辺りもそうでした。うまく棲み分けていました。<br /> テントが立ち上がると、すぐにテーブルと椅子が運び込まれ、ネタケースも店の一番前に並べられました。店の数は20軒余りですが、1軒当たりで数十人は収容できますから、結構な規模になります。地元の家族連れや、外国人観光客が目当てのようです。<br /> 店の前では、準備中でも呼び込みが始まりました。一通り回った後で、元気のよさそうな蝦と蟹がガラスケースで泳いでいた店に決めました。注文は、その2種類にタニシのような貝にしました。値段はメニューを見ながら、その蟹と蝦が、スモールかビッグサイズかを確認しながら決めました。<br /> メニューではスモールサイズの蟹は14万ドンでした。お店の大将が、1匹なら7万ドン(約500円)でいいと、店の若い人が私に言った値段を訂正してくれました。同じように蟹も貝料理も注文しました。少し小太りで、お髭を蓄えた正直そうな店主さんでした。<br /> 注文した後で、辺りを見回しお手いましたら、隣のテントにはまだお客が入っていませんでしたが、こちらのテントの方はあっと言う間に10人以上になりました。はやっている店を選ぶ心理かもしれません。<br /> この店では、タイガービールの小瓶を3本飲んで、締めて30万ドン弱、日本円では約2千円でした。十分に満足できる屋台での晩酌でした。<br /><br /><最後の夜も勘八で><br /> 勘八に顔を出すのは、昨晩が最後の夜の積もりでしたが、つい、お酒を飲むためだけにお店を覗きました。既に店の外での立食パーティは終ったらしく、2階は静かでした。<br /> 今日も皆さんに構われながら、日本酒を楽しみました。手元に大分ベトナムドンが残っていましたから、そのお店に置いてあった一番高級なお酒を注文しました。お腹一杯で、もう食事は出来ないからと、酢の物と山芋の短冊だけをつまみに頼みました。<br /> 「もうすぐ、旅行社の人が迎えに来るから、それまでですよ」<br /> と話しながら、順番にお酌をして貰いました。<br /> 「このまま酔ってしまって、日本へ帰るのはもう少し先にしたら?」<br /> 「次はいつ、ホーチミンにみえますか?」<br /> 等の質問に答えたり、適当にあしらいながら、勘八での本当の最後の夜を惜しみました。<br /><br /><1階ロビーでオーストラリアの人達と><br /> 勘八のお店を出たのは9時過ぎでした。既にチェックアウトは済ませていましたが、バッゲージカウンターで荷物を受け取って、最後の出国チェックをしておくためです。そのチェックも直ぐに済みました。HISのガイドさんが迎えに来てくれるまでに、30分程の余裕が出来ました。<br /> それで、つい、1階ロビーのカウンターで軽く1杯飲むことにしました。今度はウィスキーです。棚にオールドパーが見当たりませんでしたから、ジョニウォーカーを頼みました。赤ラベルを注ごうとされたので、黒ラベルの方に変えて貰いました。<br /> 30分ほどの短時間でしたが、オーストラリアの宿泊客の人達と、このカウンターで一緒になりましたので、話に花が咲きました。一番良くしゃべっていたのが、フランセスさんでした。白紙を貰って、紙に地図を書いたりして、お互いも町のこと等を紹介しました。<br /> 名古屋市の人口が200万人と言ったら、驚いていました。皆さんは、ニュー・サウスウェールズ州の人口5千人のCobar(コバー)からの観光客でした。仕事仲間のようでした。フランセスさんの旦那さんは、電気の技術者でした。<br /> 日本へ戻って地図で調べましたら、シドニーから北西に6〜700キロ程の鉄道の終点駅でした。GoldやCupperが採れると、紙に書いて教えてくれましたが、世界地図にも金・銀・銅の鉱山のマークが付いていました。手書きの地図に記しをつけてもらった時、最初はエアーズロックに近い位置かと思っていました。<br /> 仲間の人達が4、5人合流した時、カウンターの直ぐ横のテーブル席に座られました。私にも盛んに「こちらで一緒に飲もう」と誘ってくれましたが、迎えに来てくれる時間が迫っていましたので、カウンターの席で話を続けました。<br /> ガイドさんと落ち合ってホテルを出る時、そのご夫婦と、その仲間の人達と手を振って別れを惜しみました。ガイドさんから、<br /> 「このホテルでお友達になられたのですか?」<br /> と、質問されましたので、<br /> 「そうです。30分ほど前に出会ったオーストラリアの人達です」<br /> と、教えましたら、少しびっくりされていました。<br /><br /><br />  ベトナム歴史博物館で<br /> 今は亡き加藤卓男の講演の探す焼物織部のルーツ<br /><br />  動・植物園公園で<br /> 鬱蒼と大木覆う公園の花壇の蘭の花愛で歩む<br /><br />  ベンタイン市場横の屋台で<br /> 蝦に蟹貝も頼んで一纏め最後の夜の屋台酒酌む<br /><br />  お寿司屋、勘八で<br /> 刻々と帰国の時間は迫りきて名残を惜しむ酒あと僅か

2005秋、ベトナム旅行記1(14):10月16日(1)ホーチミン・ベンタイン市場

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2005/10/13 - 2005/10/17

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<2005年10月16日(日)>

 初日に現地ガイドのホウさんから、『チェックアウトは12時までに済ませて置くように』との確認があり、日本から持参したHI*さんのスケジュール表に、ホテルへの出迎え時間と一緒に、書き込んでもらいました。
 それで、出かける前は部屋でテレビを見ながらゆっくりし、10時にはチェックアウトを済ませました。荷物はバッゲージカウンターに預けて、身軽な格好で出かけました。

<美術博物館>
 今日最初に訪れたのは、戦争証跡博物館でした。しかし、そのことは既に昨日の分で触れておきましたから、割愛します。
 次に訪れたのが、美術博物館です。ここも統一会堂近くですから、その場所まで地図を頼りに、歩いての見学でした。もともとは中国人商家で、20世紀初頭に建てられたものです。黄色を基調にした、建物自体が鑑賞の価値があります。
 最初に1階の入口から入りましたら、そこは個人アトリエで、作品が展示販売されていました。せっかくですから、一通り見学してから、正面に戻り、石段を登って2階の入口に向かいました。ところが、ここも無料の写真展が開かれていて、博物館ではありませんでした。
 それで、そのまま3階に上がろうとしましたら、ここで呼び止められました。階段の横にデスクがあって、ここで入場券を販売していました。3階以上が有料の美術博物館になっていました。作品の質は、正直言って、大したことがありません。会館者が少なく、ゆっくりと鑑賞できました。

<再び、ベンタイン市場、昼食>
 ベンタイン市場も2回見学しました。1回目の時に市場の中に食堂街がありましたので、ここで昼食を済ませることにしました。麺を食べてみたかったので、そのお店を探しました。
 目的の店はすぐに見つかりました。「ヌードル?」と聞いてみましたら、カウンターの乾麺を2種類見せて、これを使った麺だといった仕草で、麺が出来ることが分かりました。やはり、ここでもタイガービールです。注文したら、お店には置いてありませんでしたが、別の女性の方が良く冷えた缶ビールを持ってきてくれました。後ろから首筋に当てられて、驚かされました。歩き回りましたので、よく冷えた缶ビールが最高でした。
 麺は野菜がたっぷりで、スープも残さず平らげました。味付けは、席に置かれた調味料で、自分で微調整をするようです。缶ビールを運んできてくれた人が、お店のママに言われて、調整してくれました。お店のママが30代半ば、店員さんが20歳くらいでした。

<ベトナム歴史博物館>
 ベトナム歴史博物館は動・植物公園に隣接した場所にあります。統一会堂からは更に東に2キロ程の距離です。統一会堂付近からタクシーで出かけました。タクシーは、最初、ホーチミン市博物館の方向へ走りましたので、途中で地図を見せて行き先を変更させました。知っていての遠回りだった雰囲気でしたが、ほんの僅かの距離でした。
 ベトナム歴史博物館は日本語パンフレットが用意されていました。その裏面に「カメラ撮影禁止」と記されていましたので、入口横に展示してあった神鳥像と、知らずに撮影した最初の阿弥陀仏以外の写真はありません。
 先史時代から現代に至るベトナムの歴史紹介のほか、先住民の文化も紹介されています。人間国宝だった故・加藤卓男さんの講演を名古屋でお聞きした時、正倉院御物の白瑠璃碗のルーツと同じように織部焼がベトナム経由で日本へ伝わったことを、その収集品を引用しながら論証されていました。その陶器類を探しましたが、残念なら、はっきりとしたことは分かりませんでした。もう少し北方面での出土品かもしれません。

<動・植物園公園>
 ベトナム歴史資料館を通り抜けますと、そこが動・植物園公園でした。一通りこちらを見学した後、歴史資料館の受付で入場券を見せましたら、又入場することが出来ました。
 話を公園の方に戻します。よく手入れをされた公園は、巨木が生い茂り、花壇にはデンファーレ等の鉢植えの蘭が花を咲かせていました。緑豊かな都市部のオアシスです。園内には屋外ステージが設置されて、アクロバットやコミック劇が演じられていました。
 動物園が併設されていることで、家族連れの入場者が多い公園です。時間があれば、のんびりとベンチに腰掛けて過ごしてみたい場所です。

<ベンタイン市場横での夕食>
 ベトナムではまだ、蟹料理や蝦料理を食べていませんでしたから、ベンタイン市場の横の屋台で、そのお店を探しました。動・植物園公園からこの場所へ戻ったのは、5時過ぎで明るい時間でした。丁度、屋台のテントを組み始めたところでした。市場の中は店仕舞いしたところが多く、昼間、食事をしたお店辺りもそうでした。うまく棲み分けていました。
 テントが立ち上がると、すぐにテーブルと椅子が運び込まれ、ネタケースも店の一番前に並べられました。店の数は20軒余りですが、1軒当たりで数十人は収容できますから、結構な規模になります。地元の家族連れや、外国人観光客が目当てのようです。
 店の前では、準備中でも呼び込みが始まりました。一通り回った後で、元気のよさそうな蝦と蟹がガラスケースで泳いでいた店に決めました。注文は、その2種類にタニシのような貝にしました。値段はメニューを見ながら、その蟹と蝦が、スモールかビッグサイズかを確認しながら決めました。
 メニューではスモールサイズの蟹は14万ドンでした。お店の大将が、1匹なら7万ドン(約500円)でいいと、店の若い人が私に言った値段を訂正してくれました。同じように蟹も貝料理も注文しました。少し小太りで、お髭を蓄えた正直そうな店主さんでした。
 注文した後で、辺りを見回しお手いましたら、隣のテントにはまだお客が入っていませんでしたが、こちらのテントの方はあっと言う間に10人以上になりました。はやっている店を選ぶ心理かもしれません。
 この店では、タイガービールの小瓶を3本飲んで、締めて30万ドン弱、日本円では約2千円でした。十分に満足できる屋台での晩酌でした。

<最後の夜も勘八で>
 勘八に顔を出すのは、昨晩が最後の夜の積もりでしたが、つい、お酒を飲むためだけにお店を覗きました。既に店の外での立食パーティは終ったらしく、2階は静かでした。
 今日も皆さんに構われながら、日本酒を楽しみました。手元に大分ベトナムドンが残っていましたから、そのお店に置いてあった一番高級なお酒を注文しました。お腹一杯で、もう食事は出来ないからと、酢の物と山芋の短冊だけをつまみに頼みました。
 「もうすぐ、旅行社の人が迎えに来るから、それまでですよ」
 と話しながら、順番にお酌をして貰いました。
 「このまま酔ってしまって、日本へ帰るのはもう少し先にしたら?」
 「次はいつ、ホーチミンにみえますか?」
 等の質問に答えたり、適当にあしらいながら、勘八での本当の最後の夜を惜しみました。

<1階ロビーでオーストラリアの人達と>
 勘八のお店を出たのは9時過ぎでした。既にチェックアウトは済ませていましたが、バッゲージカウンターで荷物を受け取って、最後の出国チェックをしておくためです。そのチェックも直ぐに済みました。HISのガイドさんが迎えに来てくれるまでに、30分程の余裕が出来ました。
 それで、つい、1階ロビーのカウンターで軽く1杯飲むことにしました。今度はウィスキーです。棚にオールドパーが見当たりませんでしたから、ジョニウォーカーを頼みました。赤ラベルを注ごうとされたので、黒ラベルの方に変えて貰いました。
 30分ほどの短時間でしたが、オーストラリアの宿泊客の人達と、このカウンターで一緒になりましたので、話に花が咲きました。一番良くしゃべっていたのが、フランセスさんでした。白紙を貰って、紙に地図を書いたりして、お互いも町のこと等を紹介しました。
 名古屋市の人口が200万人と言ったら、驚いていました。皆さんは、ニュー・サウスウェールズ州の人口5千人のCobar(コバー)からの観光客でした。仕事仲間のようでした。フランセスさんの旦那さんは、電気の技術者でした。
 日本へ戻って地図で調べましたら、シドニーから北西に6〜700キロ程の鉄道の終点駅でした。GoldやCupperが採れると、紙に書いて教えてくれましたが、世界地図にも金・銀・銅の鉱山のマークが付いていました。手書きの地図に記しをつけてもらった時、最初はエアーズロックに近い位置かと思っていました。
 仲間の人達が4、5人合流した時、カウンターの直ぐ横のテーブル席に座られました。私にも盛んに「こちらで一緒に飲もう」と誘ってくれましたが、迎えに来てくれる時間が迫っていましたので、カウンターの席で話を続けました。
 ガイドさんと落ち合ってホテルを出る時、そのご夫婦と、その仲間の人達と手を振って別れを惜しみました。ガイドさんから、
 「このホテルでお友達になられたのですか?」
 と、質問されましたので、
 「そうです。30分ほど前に出会ったオーストラリアの人達です」
 と、教えましたら、少しびっくりされていました。


  ベトナム歴史博物館で
 今は亡き加藤卓男の講演の探す焼物織部のルーツ

  動・植物園公園で
 鬱蒼と大木覆う公園の花壇の蘭の花愛で歩む

  ベンタイン市場横の屋台で
 蝦に蟹貝も頼んで一纏め最後の夜の屋台酒酌む

  お寿司屋、勘八で
 刻々と帰国の時間は迫りきて名残を惜しむ酒あと僅か

同行者
一人旅
交通手段
タクシー
  • 泊まったホテル界隈の早朝の光景です。絶好の観光日和となりました。

    泊まったホテル界隈の早朝の光景です。絶好の観光日和となりました。

  • ホテルの向かい側のお店でも、仕事が始まりました。路上を走る単車を反映して、その関係のお店を多く見かけました。

    ホテルの向かい側のお店でも、仕事が始まりました。路上を走る単車を反映して、その関係のお店を多く見かけました。

  • 三輪車ですが、後方ではなく、前方に二輪が付いています。ハンドルは荷台の手摺りのような部分です。ハンドルが重そうです。

    三輪車ですが、後方ではなく、前方に二輪が付いています。ハンドルは荷台の手摺りのような部分です。ハンドルが重そうです。

  • 前方が2輪になった三輪車と、バイクが道路を横断中です。三輪車の荷台には、商売用の箱が積まれています。

    前方が2輪になった三輪車と、バイクが道路を横断中です。三輪車の荷台には、商売用の箱が積まれています。

  • 二人乗りは普通に見かけますが、これは三人乗りです。4、5人乗りを見かけたこともあります。

    二人乗りは普通に見かけますが、これは三人乗りです。4、5人乗りを見かけたこともあります。

  • 椰子の葉で編んだ三角帽子は、日本で言えば、麦藁帽子に相当するのでしょうか。これから道路横断です。

    椰子の葉で編んだ三角帽子は、日本で言えば、麦藁帽子に相当するのでしょうか。これから道路横断です。

  • ベンタイン市場に到着しました。タクシーを使いました。ホーチミン市最大の市場と称されています。

    ベンタイン市場に到着しました。タクシーを使いました。ホーチミン市最大の市場と称されています。

  • 1mを超える大きな魚です。以前読んだ、開高健さんの本の中に出てくるピラルクー等を思い出しました。アマゾンで獲れる怪魚です。

    1mを超える大きな魚です。以前読んだ、開高健さんの本の中に出てくるピラルクー等を思い出しました。アマゾンで獲れる怪魚です。

  • こちらのお店で扱っているのは肉類です。レバーのような物も見えます。内臓の専門店のようです。

    こちらのお店で扱っているのは肉類です。レバーのような物も見えます。内臓の専門店のようです。

  • 一番手前のお店は、葉野菜を積み上げています。その奥のお店は、肉がぶら下がっています。

    一番手前のお店は、葉野菜を積み上げています。その奥のお店は、肉がぶら下がっています。

  • 市場内の光景です。高い天井ですが、全て1階にお店が並んでいます。通路の中央が、明り採りになっていました。

    市場内の光景です。高い天井ですが、全て1階にお店が並んでいます。通路の中央が、明り採りになっていました。

  • 野菜屋さんの店先です。緑、赤や黄色のパプリカ、キュウリやトマトなどが見えます。蕪や柑橘類もあるようです。

    野菜屋さんの店先です。緑、赤や黄色のパプリカ、キュウリやトマトなどが見えます。蕪や柑橘類もあるようです。

  • 食料品を扱っているお店です。香辛料を扱っているのか、豆類を扱っているのか、判然としませんでした。

    食料品を扱っているお店です。香辛料を扱っているのか、豆類を扱っているのか、判然としませんでした。

  • この一角は服飾品のコーナーです。すらりとした欧風のマネキン人形がスーツを身に着けていました。

    この一角は服飾品のコーナーです。すらりとした欧風のマネキン人形がスーツを身に着けていました。

  • 花屋さんの店先です。隙間無くぎっしりと花で埋められていました。

    花屋さんの店先です。隙間無くぎっしりと花で埋められていました。

  • 同じお店の光景です。造花か、本物の花かは、俄かに判断が付きません。

    同じお店の光景です。造花か、本物の花かは、俄かに判断が付きません。

  • 花屋さんから一転して、魚屋さんです。アルミのお盆に小魚が盛られています。蝦が一番多いようです。

    花屋さんから一転して、魚屋さんです。アルミのお盆に小魚が盛られています。蝦が一番多いようです。

  • 少しだけカメラの目線を変えて、魚屋さんの店先の続きです。赤魚やぶつ切りの魚がありました。

    少しだけカメラの目線を変えて、魚屋さんの店先の続きです。赤魚やぶつ切りの魚がありました。

  • 南国フルーツの山です。ひょっとしたら果物の王様、ドリアンでしょうか。ドリアンとは、マレー語で「トゲのある物」という意味だそうです。

    南国フルーツの山です。ひょっとしたら果物の王様、ドリアンでしょうか。ドリアンとは、マレー語で「トゲのある物」という意味だそうです。

  • 大きな器にぎっしりと並べられていたのは、蟹でした。逃げ出さないところを見ますと、生きた蟹ではありません。

    大きな器にぎっしりと並べられていたのは、蟹でした。逃げ出さないところを見ますと、生きた蟹ではありません。

  • 日が当たる場所で、魚等の生物を売っているのを見ますと、少し心配になりますが、日除けの下ですと安心できます。

    日が当たる場所で、魚等の生物を売っているのを見ますと、少し心配になりますが、日除けの下ですと安心できます。

  • ベンタイン市場の中の見学を終えて、その周りの散策です。ますますの好天となってきました。

    ベンタイン市場の中の見学を終えて、その周りの散策です。ますますの好天となってきました。

  • ベンタイン市場付近の光景です。相変わらず多い単車ですが、初日に経験した量に比べれば僅かです。

    ベンタイン市場付近の光景です。相変わらず多い単車ですが、初日に経験した量に比べれば僅かです。

  • 道路を挟んだ先に円形の公園がありました。その中央に騎馬像がありました。

    道路を挟んだ先に円形の公園がありました。その中央に騎馬像がありました。

  • ベンタイン市場の前はロータリーになっています。その中央に立っていたブロンズの騎馬像です。必死の思いで道路を横断しました。

    ベンタイン市場の前はロータリーになっています。その中央に立っていたブロンズの騎馬像です。必死の思いで道路を横断しました。

  • ロータリーの花壇に咲いていた花を紹介します。紫がかった濃い色の花です。満開でした。

    ロータリーの花壇に咲いていた花を紹介します。紫がかった濃い色の花です。満開でした。

  • 先程の紫の花の名前は調べませんでしたが、こちらは鶏頭です。真っ赤な花を咲かせていました。

    先程の紫の花の名前は調べませんでしたが、こちらは鶏頭です。真っ赤な花を咲かせていました。

  • 道路を挟んだ場所からのベンタイン市場の全景です。時計台を中心に左右に建物が伸びています。

    道路を挟んだ場所からのベンタイン市場の全景です。時計台を中心に左右に建物が伸びています。

  • これで、一旦ベンタイン市場とはお別れです。ホテルから東方面、旧大統領府から近い位置にあります。

    これで、一旦ベンタイン市場とはお別れです。ホテルから東方面、旧大統領府から近い位置にあります。

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2005秋、ベトナム旅行記1

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