2005/10/13 - 2005/10/17
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旅人のくまさんさん
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<2005年10月15日(土)>
昨日のメコン川クルージングが、現地で申し込んだ唯一のツアーでした。今日からは文字通りオールフリータイムです。目覚ましも7時にセットして、朝の時間をゆっくりと過ごしました。ホテルを出たのは9時過ぎです。
今日の見学地は、旧・大統領府の統一会堂を中心に、ホテルからは東北方面を計画しました。距離にすれば2キロ程ですから、いくら渋滞していても30分とはかかりません。
<旧大統領官邸、統一会堂へ>
ホテル前でタクシーを拾う時、カードにユィン・トンニャット(統一会堂)と書いたベトナムの文字クオック・グーで書いたものを用意していました。昨日のビンタイ市場、アンドン市場、天后宮なども同じでした。もちろん出発点のエクアトリアルホテルのカードも準備していました。
この時乗せてもらったタクシーは、ホテルの前に駐車していたランドクルーザータイプの新しい車でした。運転手さんも若い人でした。ホテル前でユーターンをし、東へ向かって走り始めました。この車に乗る時、隣の車の運転手もやって来て、「統一会堂は、よく分かった」と言って、運転手さんの横に座るようドアを開けてくれました。後ろの席より、前の席に座るのが普通のようでした。
朝のラッシュは少し緩和されていたようですが、道一杯の単車が走る様子は、相変わらずのラッシュでした。四輪は中央車線を走るようです。単車が割り込んでくると、絶えずクラクションを鳴らしていました。さすがに大きな交差点では緊張します。力関係で交差する車の流れが決まってくるとしか思えませんでした。
統一会堂の正面で車を降りました。2万数千ドンでしたが、3万ドンを渡して、手を横に振ってお釣りを受け取らなかったら、笑顔で応えてくれました。多分、ベトナム語で「ありがとうございます」と言ってくれたのでしょう。これまでの乗ったタクシーの中では、一番安心な運転でした。
その門の前には係官の方のような制服の人がいました。横の小さな門を潜ろうとすると、「あちらに切符売り場がある」と、別の門のところを指差してくれました。入場料は1万5千ドンでした。日本円に換算すれば、約100円です。入場料は、殆どが1万か、1万5千ドンでした。
正面玄関から入場する前に辺りの風景も写真に収めました。石段を上ると、左手に受付の方の机が配置してありました。国名を英語で聞かれましたので「アイマ ジャパニーズ」と答えましたら、今度は日本語のパンフレットを渡した上で、
「どうぞ、ごゆっくり見学してください。写真はどこを撮影していただいても結構です」
と、流暢な日本語に変わりました。続いて、
「階段は左手の方にあります。屋上まで順番に上がることが出来ます。その後は、地下室の見学も出来ます」
と、説明してくれました。笑顔で「ありがとうございます」と返事をして、旧・大統領府の見学が始まりました。
最初は受付の直ぐ横の宴会室でした。シャンデリアが点いた広い部屋でした。中までは入ることが出来ませんでしたが、ドアはすべて開放されていて、見学に支障はありませんでした。団体客も一緒で、この部屋のことを説明されている最中でした。
2階、3階も順番に見学しました。大統領執務室、大統領の海外賓客応接室、同様に国内賓客応接室、大統領夫人応接室、副大統領応接室などでした。娯楽設備は複数あり、映画館もありました。豪奢を極めた南ベトナム政権時代の遺物がそのまま保存されていました。
見所は他にもありました。屋上の緊急脱出用のヘリポートや、地下要塞です。30年前に終結したベトナム戦争が、つい最近のことであったような錯覚さえ覚えさせました。
<戦争証跡博物館>
戦争証跡博物館は、この日を含めて2回見学しました。この日の見学が11時45分頃で、直ぐに昼休みに時間になってしまったからです。翌日の見学を含めて、まとめてここで紹介しておきます。
先ず場所ですが、統一会堂の北西になります。地図上では隣接するような位置ですが、統一会堂の正面で入口からは、歩いて10分近くかかります。この僅かの距離でも、シクロや単車に乗らないかと、客引きがひっきりなしにやってきます。これを断るのに一苦労します。
統一会堂の北角を回って、小学校の前付近の交差点を渡ると、そこが戦争証跡博物館です。前庭には、戦車や航空機類が、所狭しと展示してありますから、それと直ぐに分かります。チケット売り場は、門を潜って直ぐ左手です。
入口から正面の本館1階は、主に写真展示場です。全館、すべてベトナム戦争に関する展示です。1階にもいくつかの展示物があります。ガイドブックにもある「ホルマリン漬けの奇形胎児」や砲弾などです。正視に堪えないくらいの衝撃と痛みを感じます。枯葉剤を使ったための残留ダイオキシンの毒性がもたらした悲劇です。
ダイオキシンの毒性は、体がくっついて生まれた子供が、日本で分離手術を受けたことなどで、知られた事実です。塩化ビニール等を低温で焼却した時にも発生するので、社会問題になったことでも知られます。
写真は別棟にもテーマごとに展示してあります。日本の写真家、故沢田教一さんや、石川文洋さんのコーナーもあります。ベトナム戦争当時の世界各国の反戦運動のコーナーも目を引きます。
<統一会堂近くで昼食>
昼食のレストランは、統一会堂の近くにありました。道路を挟んだ東側です。かなり大きな店で、テントを張った前庭にもテーブルが30〜40以上は並んでいました。その間を若い店員さんが忙しそうに料理を運んでいました。
その店員さんの一人に「エクスキューズミー」と声を掛けましたら、ベトナム語以外は分からないと言った感じで、次の人を指差してくれました。その次の人もそうでした。結局4人目で、クーラーが効いた部屋の方に案内されました。この部屋は予約を取った団体客ばかりのようでした。「予約はしていませんが?」と告げると、今度は店長らしいベテランの方がやってきて、無事注文が出来ました。
メニューには英語表記もありましたから、魚が入った野菜サラダ、茸スープとタイガービールを注文しました。ビールは氷でよく冷やしてあり、団体客のテーブルの横には、それぞれ1ダースくらいは氷で冷やして用意してありました。私の席の横にも何本か氷が入ったバケツにビールが用意されました。
外は暑くて汗をかきましたから、よく冷えたビールが心地よく、料理も残さず平らげました。魚が入った野菜サラダは、大皿に野菜とハーブが盛られ、その上一杯に煎餅のような米菓子が載っていました。主食代わりの丁度いいボリュームがありました。値段も安く、地元の方が利用する大衆店でした。
<ホーチミン市博物館>
ホーチミン市博物館も、統一会堂から歩いて行くことが出来る距離にあります。新婚さんの記念撮影のメッカになっていました。カメラマンやスタッフ付きのカップルが、博物館の前の撮影用のクラシックカーの前や、正面玄関を始め、あちこちでポーズをとっていました。その邪魔にならないように気を付けながらの見学でした。
この博物館は、2つの独立戦争、つまり抗仏とベトナム戦争に因む展示が主になっています。この国にとって輝かしい独立の歴史場面が、絵画や彫刻、写真などで展示されているので、新婚さんの旅立ちの記念の場所として選ばれているようでした。
建物は1885年から5年の歳月を掛けて建設されたフランス風の堂々とした白亜館です。これも写真の引き立て役に不可欠な背景になっていました。
今は懐かしいラッパ型の蓄音機、LPレコード、古いポータブルラジオ等、19世紀から20世紀の中頃までの展示品の数々と、当時の写真などを見ることができます。
<今日もホテルで少し贅沢な夕食>
今晩も、晩酌はホテルのお寿司屋さんです。5階の部屋からエレベーテーに乗って2階で降りた時、余りの人だかりにびっくりしました。2階の広いスペースを使ってバイキング方式の立食パーティが行われていたからです。思わず、立ちすくんでしまうような熱気に包まれていました。
エレベーター近くまで大勢の人が談笑しながら食事をしていましたが、お寿司屋さんまでは、ホテルの係りの人が先導して案内してくれました。ジャニーズフーズか、チャイニーズフーズかを聞かれた後でした。一人だけでは、お店まで行き着くのが大変な状況でした。
先導してもらっても、人ごみを掻き分けるのが大変でしたが、お店の中は別世界でした。座敷に少人数の団体客がいただけで、いつもの席を自分で選んで座りました。2人掛けの一番小さい椅子席です。これで3日続けて通いましたから、お店の人は全員顔見知りになりました。
セット料金では一番高い「お任せコース」を注文しました。メニューは写真編でご覧ください。ボリュームもたっぷりでしたから、最後のほうの天婦羅と握りは、少し残してしまいました。 「美味しくなかったのではなくて、量が多過ぎたのでご免なさい」
と言って、器を下げてもらいました。
缶ビールのスーパードライを頼んだ後は、日本盛の燗酒にしました。やはり和食には日本酒が一番です。チーフの方は、かなり日本語が達者です。今日の係りになってくれた人は、朝食の時に1階のレストランで「ハウアーユー トゥデイ?」と笑顔で挨拶してくれた人です。お酌に来てくれる度に「ドウゾ」と日本語で話しかけてくれました。チーフの人が、「彼女は、今、日本語を勉強中です」と教えてくれました。
16日の夜遅く出発するので、今晩が最後になるかも知れないと、皆さんに話し、記念撮影をすることにしました。こちらの方も写真編をご覧ください。厨房からも板前さんが顔を出してくれました。値段は安くないお店ですが、ホーチミン市に滞在中、食事ではまったく不自由しませんでした。大いに楽しいひと時が過ごせました。
旧、大統領官邸で
万端の備はあれど戦終え主今無き栄華の館
ベトナムの地に赴し人なるか白髪混る夫人連たり
戦争証跡博物館で
焼身の袈裟の姿に合掌す炎の中で見開くその目
愚なる戦の言葉飲込んで苦難の歴史暫し見詰める
ホーチミン市博物館で
独立の歴史伝える白亜館門出の人を祝う青空
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- 観光バス 船 タクシー
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南ベトナム政権時代には、独立宮殿と呼ばれていた建物の全景です。今は統一会堂と呼ばれています。1962年から4年間で建設されました。
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建物の右手方向です。こちらが北西方面に当たります。建物をしのぐ樹木の高さです。赤い国旗が並び、観光バスが停まっています。
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こちらが旧官邸に向かって左側になります。駐車場としての場所はないようですから、前庭のロータリーに沿って駐車されていました。南西方向です。
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ここが正面玄関です。階段を上って左手に受付がありました。入場券は既に門の外で買いました。英語で国名を聴かれ、日本語ガイドを貰いました。
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正面玄関の上部のアップです。色とりどりの旗が飾ってありました。中央の一番高い位置の旗は、国旗かも知れません。
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玄関脇の鉢植えも紹介しておきます。盆栽のように、綺麗に枝が仕立てられていました。
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こちらも綺麗に仕上げられた鉢植えです。黄楊の樹の様に細かな葉をした植物です。丸く枝が仕立てられています。
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正面玄関側から、レユアン通り方面に向かっての撮影です。スピーカーのように見えるのは、統一会堂のライトアップ用の照明施設のようです。
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各部屋に案内看板がかかっていました。上から、ベトナム語、英語、フランス語、日本語(新字体)、中国語(旧字体)の順です。
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会議室でしょうか、卓上に沢山のマイクが並んでいました。楕円形にセットされたテーブルです。
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熱心に説明される現地ガイドさんです。私は日本語パンフレットを戴いて、一人で館内を回りました。
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1階にあったこの広い部屋は、「宴会室」の表示がしてありました。2灯の内、1灯のシャンデリアが点っていました。
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1階からの中庭の光景です。この中庭は、こじんまりとした空間になっていました。
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建物のコーナーから眺めた建物の壁面です。重厚な造りになっています。1、2階の階数が良く分からない構造です。
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片側が明り採りになった廊下の光景です。高い天井に、小型のシャンデリアがありました。
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看板は「ベトナム共和国大統領執務室」です。先客が室内を見学されていました。
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大統領執務室です。すぐ近くに隠し扉がありました。締め切ってありましたが、地下道か屋上への通路があるようです。
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大統領の椅子を横から眺めたところです。ゴ・ジェンジェムに始まり、歴代の大統領の席です。
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「版図館」と記された部屋ににありました。ビニルが被さって、その中身が良く見えなくなりました。作戦会議室の地図です。
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これが大統領個人のための隠し戸であると、案内の方が教えていました。その先に秘密通路があるようです。
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目を転じて吹き抜けの格子窓からの光景です。階段との間で、面白い幾何学模様にもなっていました。
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大統領に関する部屋の1つだった記憶です。カーテンの隙間から、廊下を歩く観光客の姿が見えます。
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大統領の外国人賓客の応接室です。他に大統領の国内賓客の応接室、大統領妃の応接室、副大統領の応接室などがありました。
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外国人賓客の応接室の応接セットのアップです。立派な壷がコーナーに配置されていました。
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大統領の外国人賓客の応接室の室内光景です。いかにも高級に見える調度品などです。
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「副総統外賓室」の案内看板がかかった部屋です。説明文には「副大統領の接見室」とありました。
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廊下の光景です。広い廊下です。大きな柱も各所にあり、この建物が特別な造りである事が垣間見えます。
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大統領応接室横の、敷物だけが置かれたロビー風の場所です。丸いカーペットは、立ち入らないよう注意書きがありました。
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開けられたカーテンの中央に、日本語で「総統内賓室」の文字と、「大統領の国内客の応接室」の説明文もありました。
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階を登るごとに眺めた前庭の光景です。玄関で見上げた旗が、目前に見える位置に来ました。
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