2006/09/21 - 2006/09/27
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旅人のくまさんさん
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<2006年9月25日(月)>
この日のメモからです。5時30分目覚まし、5時45分起床、出発8時ホテル出発でした。今日は2つ目の主な見学地、世界文化遺産の平遥古城の見学が組み込まれ、少し早い出発となりました。平遥への途中で、僑家大院と呼ばれる、ロケ撮影で有名な観光スポットも立ち寄る計画です。朝から、天候の方も、申し分ありませんでした。
<ホテルの界隈>
出発まで、1時間以上余裕がありましたから、ホテル界隈を散歩しました。早い時間でしたから、通勤の人も疎らでした。小学生くらいのお子さんを自転車へ乗せて学校へ向かう若いお母さん達を、この時間帯でよく見かけました。教育ママといった感じのようです。
路上では、季節の果物を売る人が、早くもお店を出したり、行商の人も行き交い始めました。ホテルの前ですから、目に付いたようです。太原の駅も近いようでしたが、現地ガイドさんの注意に従って、その方向とは反対方向や、路地へ回って、写真を撮りました。出勤途中の若い女性の方が、横棒のシャッター越しに手を伸ばし、銀行端末を操作している場面も見かけました。日本では余り見かけない光景です。中国なりのセキュリティ手段なのでしょう。路地では、ホームレスの方も目にしましたが、その写真の掲載は差し控えます。
<平遥へ>
朝の散歩を終って、次は朝食です。複数のレストランが開いていましたが、昨日ガイドさんにお聞きした、2階の食堂を利用しました。後でお聞きした話では、泊まった階の食堂も利用できたようでした。
このホテルでは2泊しましたが、連続ではなく、平遥での宿泊を挟んで、1泊づつでした。立派なホテルでしたが、夜の騒音に悩まされました。
平遥へ向かう車の中で、現地ガイドの王さんが教えてくれた、太原について紹介しておきます。「カカア天下の風習があり、料理は男性の役割、毛沢東を迎える意味の「迎沢」印が有名、人口450万人で、漢民族が96%、他は満族、蒙古族など、汾酒と呼ばれる白酒が特産、38度から、最高72度まで、薬用酒の竹葉青酒も有名、食べ物では麺が特産品、刀削麺など、100種類以上の食べ方がある。大同市と同じように石炭も採れる」と言ったことでした。「歴史上、歴代皇帝を輩出し、楊貴妃もこちらの出身」との事でした。
<移動途中で、僑家大院見学>
僑家大院のことは、古いガイドブックには載っていませんでしたから、インターネット情報を元に概要を説明します。最初は、その成り立ちからです。
「喬家大院は、別名を喬在中堂宅院と言います。清朝末期から中華民国成立初期にかけて、大金融資本家であった喬家所有の大邸宅でした。金融資本家は、当時「票号」という呼称で知られていました。この喬家は「大徳通」と「大徳恒」という二つの大きな票号を経営し、全国各地に30以上の支店を構え、その最盛期には資本金11千万両の白銀を超えたと言われています」
インターネットでの解説記事を読みながら、現地ガイドさんの説明が、すぐに蘇ってきました。その票号の看板の写真を紹介しておきます。一つは説明とは違う票号です。レプリカではなく本物のようです。
次のことも、物語を示す模型の前で、現地ガイドの王さんからお聞きしたことと同じでした。ただし、末裔の話は(?)でした。
「喬家は、もともとは非常に貧しい家でした。その一族の中でも、早くに両親を無くした初代の喬貴発は、特に一族からも疎んじられ、今の内蒙古へ移住しました。彼はそこで一念発起し、意気投合した秦という人と二人三脚で蒙古貿易を拡大し、大きな財を築きました。その後、秦家はその放漫経営から次第に喬家に吸収されることになりました」
「喬家は7代、約200年に亘り繁栄しましたが、経済近代化の流れの中で没落しました。また、太原や平遥の中国内での経済・流通地位も低下して生活が立ち行かなくなったため、1937年には一族全員がこの地を離れていきました」
その末裔は、今でも北京、上海、雲南に住んでいるとされます。
ところで、僑家大院が有名になったのは、「単騎千里を走る(邦題)」で日本でも良く知られるようになった映画監督、張藝謀(チャン・イーモウ)監督作品の「大紅灯籠高高掛(94年公開・邦題は紅夢)」のロケ地として使われたことです。
製作総指揮は台湾の侯孝賢(ホー・シャオシェン)監督で、日本の制作スタッフも参加して作られた作品です。その粗筋も紹介しておきます。
「両替商で財を成したお金持ちの家に、第四婦人として嫁ぐ19歳の主人公を鞏俐(コン・リー)が演じています。豊かな生活の影では、社会から隔絶された屋敷内で繰り広げられる複雑な人間関係。次第に精神を病んでいく主人公。そして、色のない屋敷内の灰色の生活、閉ざされた冬場の白い雪景色。憎悪を象徴するような提灯の紅」チャン・イーモウ監督の色使いにも注目です。僑家大院へ向かう車の中で、ビデオを見ました。
僑家大院は、写真集で紹介しましたように国家指定の「AAAA」の観光地となっています。門前町のように商店街や露天が立ち並び、お土産品を売っています。季節柄、生の棗がお値打ちでした。大きな向日葵も売っていました。
ところで、地元の特産品はお勧めですが、日本へは植物検疫を受けなければ持ち帰れませんので、要注意です。ご注意ついでに、失敗談を一つ紹介しておきます。磁石を使った人形です。動きが面白く、半額に負けてもらいましたが、トリックがありました。僑家大院の見学の前に買って、帰りにそのトリックに気が付きました。
倒れこんだ人形が、急に立ち上がって面白い動きをしますが、立ち上がるのは磁石の働きではありませんでした。目に付かないように細いナイロン糸を張って、それを売り手の人が分からないようにコントロールしていました。立ち上がってしまえば、磁石の働きで、面白い動作になるようです。私の場合は、4個で20元の被害ですみました。
<平遥到着、葬式と結婚式>
平遥の古城の城壁が見える辺りまで来て、最初に出迎えてくれたのが、爆竹を鳴らしながら列を成して走る結婚式の車パレードでした。かなりの迫力でした。日柄がいいから結婚式かと思いましたが、同時にお葬式の場面も目にしました。こちらは、写真集の方に収録しておきました。
日本では、結婚式とお葬式の取り合わせが奇異に写りますが、飾りを見た限りでは、お葬式に暗いイメージは無く、赤色を始めとする原色の飾りが使われていました。
これは、私の全くの推測ですが、お葬式も前向きに捉え、明るく振舞うのであれば、結婚式と同様、良い日柄を選んで営まれるのかも知れません。あるいは、割り切って日柄に関係なく、都合のいい日が選ばれたのかも知れません。繰り返しますが、これは、全くの推測ですから、真偽の程は分かりません。
<平遥古城について>
平遥古城について、先に説明しておきます。インターネット情報を主に参照しました。
「かつて、中国の都市は城壁で囲まれていましたが、現在では西安、興城等のいくつかの都市を除いて現存する都市は僅かです。平遥古城は、その内の一つであり、昔、山西商人が活躍した地方経済都市です」
「街は横一線の城壁に囲まれ、全長6.4km、高さ8〜12m、壁上部の幅が3〜5mあり、外側に幅、深さともに4mの壕が巡らされています。
外側表面は全て磚(煉瓦)を築き、内側を「版築」という工法で築かれていて、城壁上部にも磚が敷かれています。城壁外側には頂部が凸凹の朶口(銃眼)があり、馬面と呼ばれます。72箇所の張り出しが造られています。馬面の上には、敵に襲われた際に身を隠しながら矢を放つ敵楼が建てられています。城壁の内側には、馬が駆け上がるためのスロープが設けられています」
東西南北に六つの門があり、西門の内側から城壁の上に登ることができます。城壁の保存状態は良く、西周時代から続くものとしては漢民族地域で最良とされています。これらのことが、平遥古城が世界文化遺産に登録された事由でしょう。
城壁以外でも街路、市場、商店など多くが明代の原型をとどめていて、城内には300余りといわれる史跡が残されています。現在は中学校として利用されている文廟は、金代(1163年)に再建されたものです。宋・金代の建築様式を今に伝えています。
今回は見学しませんでしたが、大街路北にある清虚観(道教寺院)の創建は、唐代(660年)にまで溯り、元、明、清代に再建されています。また、四合院形式の住宅を、各所で見ることができます。山西から始まったとされる金融機関「山西票号」も保存されています。
この街の中心にある市楼は高さ20m余り、二層三楼の壮麗な造りになっています。昔はここで日に三度、市が開かれていました。他にも街の守り神を祀る城隍廟、沙巷街の関帝廟など数多くの歴史的建造物が残されていて、全体として明清代時代の伝統的都市の雰囲気を感じることができます。
<平遥古城散策・街路>
城門を潜って、一歩古城の中に足を踏み入れますと、そこは全くの別世界でした。映画のロケ場面に足を踏み入れたか、数百年をタイムスリップしたような錯覚に襲われます。古い町並みには、伝統を思わせる看板の店が並び、普段の生活とはかけ離れた時が過ぎていくかのような錯覚です。
少し冷静になれば、これこそが、歴史的遺産を今に残した世界文化遺産そのものと言った雰囲気を味わえます。路地の片隅に目を遣れば、中国将棋を指しているご年配の方や、お店の中でひたすら家業に勤しんでいる方も目にすることが出来ます。
<平遥古城散策・商家址>
商家址のタイトルを付けましたが、「票号」と呼ばれる中国の金融業発祥の地の文化遺産です。平遥は、中国の銀行の発祥の地とも称されています。その建物や、文物が豊富に残されています。
その建物自体は、四合院と呼ばれる、中庭を中心とした伝統的建築物です。その四合院の一角で、机の前で筆を動かしているご年配の方をお見かけしました。後には江沢民さんとの写真も飾って在りました。伝統的な「票号」を認(したた)める方でした。
規定の2元を払って、ご一緒に記念撮影に収まりました。もう少しお金を洗えば、不渡り確実の小切手もその場で書いて戴けます。日本人であれば、「額面千両」の小切手だったりします。
Ykさんが、その小切手を注文されましたが、丁寧な筆字で小切手が発行され、表書きされた封筒に収めて渡されました。記念のお土産として、格好でした。
<平遥古城散策・行政府址>
1時間程の自由行動の後、場内の交差点で再集合しました。集合した後に見学したのが行政府址、県衙(が)と呼ばれる一角でした。文化大革命の嵐が吹き荒れた時には、封建制の名残などの理由で、真っ先に被害を受けたかもしれない建物でしたが、幸い難を免れました。
その理由は、学校として使用されていたことのようです。小学校か、中学校かは聞き漏らしましたが、今になってみれば幸運なことでした。問答無用の時代にも、うまくその難を逃れる術が働いたようです。中国4千年の歴史は、そう簡単には音を上げないようです。
入口の所で制服を着た若い係員の方と孫濱先生が話されていましたが、どうやら同郷の方のようでした。入口の左手には高い塀を巡らした牢獄址も残っていました。ここは、裁判所であり、刑務所でもあったようです。拷問の器具も展示してありました。
更に奥へ進むと、裁判所に相当する場所があり、厳めしい髭を生やした方が席に座っていました。裁判官に扮しているようでした。卓上に置かれた竹製の赤い籤が「死刑」、黒い籤は無罪だったようです。ガイドの王さんは顔見知りで、そのテーブルに座って、ポーズをとってくれました。
<平遥古城散策・城壁の上>
県衙(が)と呼ばれる行政府址を見学した後、電気自動車に乗って正門へ向かいました。平遥古城の見学の仕上げに、城壁に登るためです。ここへ登るには、別料金が必要でした。定員オーバーで乗りましたから、ガイドの王さん達は、後ろの立席でした。ひょっとしたら、これも定員の内に入っているかもしれません。時間は5分とかかりませんでした。
登った平遥古城の上からは、四方が遠くまで見渡せました。日本で言えば、景観規制によって、高い建物の建築が制限されているためでしょう。城壁の上には、百年か、二百年を経過したと思われる防御や、攻撃のための兵器類が展示してありました。歴史ドラマにそのまま使えそうな大砲や、槍襖の古代戦車などでした。
下から見上げた楼閣も身近に見ることが出来ました。城壁を守るための実用の建物というより、為政者の権威を示すための、装飾性が高い建築物でした。
<平遥での晩餐会>
平遥での夕食は賑やかなものとなりました。ここでも旅行社の夕食をキャンセルしての、S.P.先生主催の晩餐会でした。平遥では、ホテルのレストランで適当な場所が無いらしく、唯一といわれる市街地のレストランでした。
その席には、S.P.先生の旧知の皆さんが揃われました。平遥市の文化局長や宣伝部長、著述業の方(多少、肩書きは違っているかも知れません)などでした。女性カメラマンも同行されていて、カメラ取材を受けました。地元の新聞に掲載されるようでした。
メンバーの中に、醸造所の責任者の方も見え、小さなグラスに、その会社で作られた酒を注いでは、「乾杯」が続きました。「乾杯」を言った以上、飲み干して、そのグラスの底を見せなくてはいけません。
乾杯のお酒は、その会社の汾酒、「竹葉青酒」でした。白酒の一種です。45度ですから、ウイスキーよりも強いお酒です。癖が無い飲みやすい酒でした。全員、ホテルにお土産としてこのお酒が届きました。改めて謝謝。食事は麺類が多く、黒酢をたっぷり使って食しました。記念写真を撮って、晩餐会はお開きとなりました。
僑家大院で
提灯は灯され軒に懸られて古き時代の呪縛暗示す
ドラマ見し後で尋ぬる大院よ人の多きに我に帰りぬ
平遥古城で
石の門潜りて時は砕け散り古城の街に遊ぶ一日よ
夢の中復夢を見る如く古城の時は夢か幻
爆竹の煙従え飾りたる車列は潜る古城の門を
- 同行者
- その他
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国国際航空
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泊まった太原愉園大酒店の正面玄関付近です。広い歩道の一部は、駐車場に使われていました。大同市程ではありませんが、少し霞んでいました。
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玄関右横のレリーフです。ギリシャ神話当たりに題材をとっているのでしょうか。リアリズム芸術的な雰囲気もあります。
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ホテルの正面玄関、回転式ドアです。一流ホテルですから、24時間ドアマンが詰めているようでした。旅行社の徐さんは、「以前には無かったホテルが、いくつか建っていました」と教えてくれました。
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玄関横、正面入口の端にあった愉園大酒店の文字です。達筆ですから、愉と酒の文字は、単体だけでは読み取るのが中々難しいようです。
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ホテルの正面玄関前の光景です。早くも出発のためにバスが停まっています。バックパッカーの欧米からの観光客の方も、出発の様子です。
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手造り旅行記の方では掲載を省略しましたが、フォートラベルにはアップしておきます。泊まったホテルの部屋の窓際の光景です。
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今度はベッド付近からの入口付近です。太原市は大都会ですから、ホテルの設備、サービスは全く問題がありませんでした。清掃も行き届いていました。
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ホテルの建物を、正面から見上げた写真です。近代的な高層ビルです。
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朝の通勤時間帯に入ったようです。早い時間でしたから、まだ、人影も車も疎らです。車道に大きく張り出した街路樹が印象的でした。
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本通りから少し脇道に入った風景です。車で通った中心街では、超高層ビルが立ち並んでいましたが、こちらは中低層海のビルが中心です。
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平遥へ向かう車の中からの撮影です。太原市は人口450万の大都市ですから、朝のラッシュはさすがに混雑します。
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走る車の中から、対向車線の車を取るのは中々うまくいきませんでした。狙ったのは収穫したトウモロコシを一杯積んだ三輪車でした。
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駐車場前の商店街です。僑家大院接待処の文字が見えます。僑家大院は、これから見学予定の、映画撮影場所によく使われる建物群です。
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重ねて並べられた向日葵です。直径は40センチはありそうです。種をそのまま食べることも出来ます。搾って、向日葵油にもなります。
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ビニル袋に詰め込んで販売されていたのは、棗の実です。生の実を初めて口にしました。リンゴの歯ざわりで、さっぱりした味と仄かな甘みでした。
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前方にアーチ型入口の楼閣が見えてきました。僑家大院の事は、古いガイドブックには載っていませんから、最近クローズアップされたようです。
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整然と並べられたお土産店のテーブルです。残念ながら、手造りの品々ではなく、プラスチックを材料を主にした大量生産品が主でした。
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僑家大院には、国家等級旅游区「AAAA」の標識が付けられていました。国家レベルでの評価ですから、権威あるもののようです。
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バスの中で、この僑家大院が撮影現場に使われたビデオを見せてもらいました。その冒頭が、この入口の風景でした。
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この篆刻文字のような標識も撮影されていました。解説書が無ければ読めない文字です。
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入場して左側の壁には、映画の名場面の写真が並んでいました。残念ながら、チャン・イーモウ監督作品の邦名、「紅夢」を見ていません。
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車中で見たビデオでは壁にかけられた赤提灯が大きな役割を持っていました。灯りを点して、在宅を知らせる印に使われたようです。
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凝った庭には、奇石の配置が不可欠なようです。人口の滝が配された一角は、伝統的な中国庭園の雰囲気がありました。
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西洋風な雰囲気を持った一角です。ここにも名場面のパネルが展示してありました。写真には写っていませんが、お土産店もありました。
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全体に赤色基調で纏められた人力車です。この屋の女性の方が使用されたものでしょう。がっしりした木製の車輪には、滑り止めの切り込みが見えます。
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普段は降ろしてある赤い大提灯です。バスの中で見たドラマでも、幾度と無く、この提灯を強調した場面がありました。
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現地ガイドさんの説明を聞く皆さん達です。ガイドさんは、中国語、日本語と絶えず切り替えが必要ですから、中々大変なようです。
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赤い飾りがたくさん吊り下げられた灯りです。中心に丸いボールのようなものが見えます。既に電気に変わった時期の照明器具でしょうか。
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この説明パネルが、バスの中で見たドラマです。「大紅灯」や「僑家大院」等の文字が見えます。高倉健さんとの「単騎千里を走る」で話題になったチャン・イーモー監督の作品です。
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僑家大院に入場して、振り返っての一枚です。観光客が続々と入場してきました。さすがに人気の観光スポットです。
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