1987/02/17 - 1987/03/06
7369位(同エリア47237件中)
おぎゃんさん
この旅行記のスケジュール
1987/02/19
-
浦江飯店
1987/02/21
-
丁山賓館
1987/02/22
-
解放飯店
1987/02/23
-
莫愁湖公園
1987/02/26
1987/03/01
1987/03/06
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
(フィルムのプリント写真を絶賛スキャン中)
春休み。南京~無錫~蘇州~上海と3週間の旅。
春休みに入ってまもない2月の中旬、中国行きのスロウボートに乗って、上海へ。
中国査証を取るには香港へ行くか上海行きの鑑真号の中で取るしかない当時、2等室の雑魚寝フロア、学割価格の片道コースで向かうというのが学生バックパッカーの定番。
外国航路とは言ってもほぼ国内フェリーとほぼ同じ施設。豪華クルーズのように立派な食事がついているわけでもなく、大阪から持ち込んだお弁当、おにぎり、カップラーメンで過ごす日々。
大阪港から瀬戸内海を経由して関門海峡を越え玄界灘に入る頃からフェリーは冬の波に揉まれて揺れに揺れ、部屋の隅で気分悪そうに寝込んだ学生が徐々に増えてくる。
中国行きの自由旅行ガイドブックは日本国内にはまだ存在もなかったので、ほとんどの人はLonely PlanetのSurvival Kitのあの枕ガイドブックを持って旅した。
(「地球の歩き方」中国版はまだ出たばかりかその前後だったため。地元で手に入ったのは帰国後だった)
このサバイバルキット繋がりで、先んじて中国での自由旅行を楽しんでいた欧米旅行者とも情報を共有することもできた。インターネットも携帯電話すらもないけれど、それでも旅はできるんだとつくづく思う。
実のところ、事前学習一切なしの江蘇省行き。
とってもおおざっぱな中国地図を見ながら、南京~蘇州~上海ならそれぞれの距離が近いから夜行列車に乗らなくてもいいかも、という単純な考えでたたき出した仮ルート。
(無錫はたまたま切符間違えたりなど偶然の産物)
南京の革命的聖地であるとか、中国で列車の切符を取るのが恐ろしく大変なことだとか、サバイバルキットを全部読みこなせない者としてはまったく頭に入れないままの中国上陸とあいなった。
今考えてもむちゃくちゃな話だけど。
南京、蘇州、上海と、前回の韓国ではめぐり合わなかったそれぞれで旅する人たちと出会い、もっとひろい世界があるんだなぁと実感することになる。
今でも思い出すのは、全身人民服姿で共産党聖地詣でしていたW大学の学生@南京、年老いたお母さんとバックパックの旅をしていた司法修習中の弁護士の卵さん@蘇州(彼女とはその後日本全体を揺るがす大事件のかかわりで再会することに)、卒業式をブッチして旅行中の女子高生@上海etc。
みんな元気にまだ旅していたらいいな。
また上海では中学時代からの年上のペンパル君に初対面。
上海外語(英文系)を出て映画撮影所で通訳の仕事をしているとの話で、日文系を出た彼女(こちらも日本語通訳)の通訳を交えながらのおしゃべり。
スピルバーグの映画撮影を行っているとの情報で(後日公開されたのは、「太陽の帝国」だった)、映画撮影の様子をちょこちょこと見物に出かけた。
外灘を中心に、1920年代の名残を残す建物、オールドシャンハイ、場所ところどころに、大道具・看板などが設置されていてちょっと謎だったのが映画撮影のためだったというのがナルホド。
上海マンションに古めかしい「風と共に去りぬ」の看板があって、「何で今頃公開してるんだろうね~」と同室さんと話したものだ。
監督や出演者たちは和平飯店中心に泊まっていたらしく、「高松英郎見た!(※)」という証言もあり。何でスピルバーグ目撃談じゃないけど話題に(笑)
=======================================
(※)実際には出演していたのはこの俳優さんじゃなくて、顔が”濃い”系の伊武雅刀と勘違いだと思われる。とご指摘いただきました。
=======================================
上海政府バックアップの撮影のため、あっちこっちで路線バスのルートがめちゃくちゃにされていたのがいただけなかったけど…ね。
【スケジュール】
2月17日(火)大阪南港~[船中(鑑真号)泊]
2月18日(水)~[船中(鑑真号)泊]
2月19日(木)~上海[上海泊]
2月20日(金)上海=南京[南京泊]
2月21日(土)南京[南京泊]
2月22日(日)南京[南京泊]
2月23日(月)南京[南京泊]
2月24日(火)南京[南京泊]
2月25日(水)南京=無錫[無錫泊]
2月26日(木)無錫=蘇州[蘇州泊]
2月27日(金)蘇州[蘇州泊]
2月28日(土)蘇州[蘇州泊]
3月01日(日)蘇州=上海[上海泊]
3月02日(月)上海[上海泊]
3月03日(火)上海[上海泊]
3月04日(水)上海[上海泊]
3月05日(木)上海[上海泊]
3月06日(金)上海<中国民航>大阪
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- 中国東方航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
往路だけ購入。帰りは上海で買う予定。
往路は鑑真号と上海1泊がセットでないと査証が取れないというシステムにのっかったもの。
鑑真号のチケットと搭乗券。
2等雑魚ね部屋で冬の海はただつらかったのみ。
(この時はスタッフにも言われたのだけど、この年一番の大揺れだったそうな。時間も大幅に遅れ、2泊3日の航行中はスタッフ含み倒れている人多数)
フリーター時代にお世話になった中国関係の会社のヒトをフェリーで見かけたけど近づかず。
長江はお目にかかれず、黄浦江の茶色い水の向こうに見えるモダニズム建築に圧倒された。
まだ浦東はただの野原で湿地帯で何もなく。
上海最初の夕食は向かいの上海マンションのレストランで定食10元の贅沢。 -
上陸後、上海で1泊してから南京へ。
(浦江飯店ドミ@2000円。予約はフェリー内で出来た)
南京を目指したのはまったく意味はなし。
鑑真号の暇な船旅の途中、海外2回目の身のくせにお金に余裕がないまま飛び出した関係上飛行機での移動はまず考えなかったことと、中国地図をじーーーーっと眺めていると、江蘇省内だと大きな町の距離がそれぞれ近そうだったので、移動がらくちんそうに「見えた」からという次第。
7時19分発88次特快合肥行硬座に乗ったとあり。
朝ごはんはバナナ。
南京駅に着。地図を購入し駅裏の旅社を探し倒したものの、すべて外国人は宿泊を断られる。
※当時は中国人向けと外国人向けの宿泊施設が区別されていた。旅社はオフリミット。
しかたなく、適当な高そうなホテル(南京飯店と丁山賓館)へ。
あとで知ったが、実は戦前からの歴史あるホテルなんだそう。
丁山今ではこんなんになっているそう。
http://baike.baidu.com/view/723960.htm
ランチはドミのあった勝利飯店のレストランで、エビソーメンと水餃子。
夜は高いホテルレストランの高い飯。(南京飯店の写真はなし) -
翌日「没有房間」でホテルを追い出されてまた高いホテル。
ここもバックパッカーには居心地悪く、ご用達ホテルに早く行きたいと思っていたのだが…。 -
3泊目、ようやく新街口にある外国人バックパッカー専用ホテル・勝利飯店に泊まれる。1泊6元。
毎晩ホテルが変わってしんどい南京滞在。今で言うところのニーハオトイレ体験。
中国映画もぽつぽつ観始めていたころで(『芙蓉鎮』日本公開はこのあとのことだろうと記憶している)、新街口の映画館(ちょっとぼろっちかった)で『野山』(日本未公開)を観る。
映画雑誌なども販売しておらず、地元新聞やら街角のポスター頼りで、なんとか映画館にたどり着いたのが海外での初映画館体験。
主演の田舎娘を演じた岳紅の代表作になっているぐらい、当時の彼女は素朴でかわいかった。
勝利飯店ではかなりの日本の大学生たちと交流あり。列車のチケット探しから外文書店やらあちこち出かける。
ここで3連泊してる間、小吃部の水餃子ばかり食べていた。1杯2角5分。 -
ホテル探しから解放されて勝利飯店に移動してようやく観光。莫愁湖公園へ。
年季が入りすぎの湖紹介図。もうないだろうね。
洛陽の美女、莫愁が身を投げたという湖のはずだけど、南京にあるのは何かの間違い…?かな。 -
莫愁の像の前は中国人の方々がポーズをとりつつ記念写真するスポット。
写真撮ってくれたオジサン、必死で「もっと斜めにかまえて!ポーズとって!」とかいろいろ指示するものの、恥ずかしくて出来なかった。
あまりの寒さで上海で買ったどうみても地味でサイズ大のダウン(でも重い)を着て笑う。
(たぶん上海市第一百貨店で買ったと記憶) -
南京は不案内。
同宿の香港人によく分からないまますすめられた場所に行く。
当時出来たばかりで、訪れる人(地元中国人含む)ほとんど見かけず。
私めが日本人だと分かっていながらここをすすめた香港人ねえさんも、あんまり深く考えていなかったみたい。侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館 博物館・美術館・ギャラリー
-
とりあえずできたて。
日本人が来るのかどうか分からないけど、すでに日本語リーフレットもあった。 -
まだいろいろと工事中。
その事件の存在そのものが。写真の真偽がどうとかこうとか見解は述べない。(そういうブログじゃないので)でも訪れて損とかそんなことは思わなかった。侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館 博物館・美術館・ギャラリー
-
同宿の香港人ねえさんと。
中国大陸を自由自在(外国人許可証いらず)に回れる彼女らをひたすらうらやましがった。
また宿も旅社など中国人向けにローカル価格で泊まれたらしい。
南京駅の客引きに連れて行かれた旅社もたぶん香港人ならOKだったんだろうけど。
この時期の日本人は香港人のふりして安く旅行しようと四苦八苦していたね。でもほとんどの人は撃沈だったそうだけど。中山陵 史跡・遺跡
-
当時はそれほど中国&台湾史にそんなに詳しいわけではなかったので、中華民国の国父の墓があるのが不思議だった。
この頃はまだ三通(通商・通航・通郵)ではなかったし。
あとで調べると台湾住民の大陸訪問(香港経由)解禁が1987年と同じ年だったそうな。そりゃおらんわ。
このダウンジャケット、大陸の寒さに震えて南京で購入したもの。中山陵 史跡・遺跡
-
南京観光のメーンイベントたる中山陵へ。
中華民国の国父・孫文の墓陵。中山陵 史跡・遺跡
-
振り返ると長ーーーーい階段。
もう上るの無理だな。中山陵 史跡・遺跡
-
寒いせいなのか、上海に比べると人が少なくてちょっと落ち着いた印象。(新街口と駅前除く)
ただ南京はほとんど外国人ツーリストがおらず、若干の香港人(彼らは旅行証があればどこでも行けた…らしい)と、革命聖地詣での日本人しか会わず。
南京はもう行くことないかなぁな印象しか残らず。明孝陵 史跡・遺跡
-
明孝陵は梅林が有名だとか。
ちょうど梅の季節。明孝陵 史跡・遺跡
-
南京博物館。
人っけなし。南京博物院 博物館・美術館・ギャラリー
-
民国時代に出来た博物館だが、なんだか閑散としてあまり汚れていない。
南京博物院 博物館・美術館・ギャラリー
-
玄武湖公園にも。
とにかく広い。玄武湖公園 広場・公園
-
人混みを避けてのんびりと出来た。
玄武湖公園 広場・公園
-
南京から無錫に移動したのだけど、何で無錫に行ったのか謎。
太湖はちょこっと見た。ホテルに夜着いて1泊だけ泊まった)
そして南禅寺だけには来たようだ。(覚えないのに写真は残る)南禅寺 寺院・教会
-
翌日蘇州へ移動。
江蘇省内は移動時間が短いせいか、幹線だったせいか軟座切符があっさり取れた。
蘇州の宿。
楽郷飯店。
ここでは国家試験を受ける卵さんとその年配のお母様という、あまり見かけないバックパック旅の日本人親子さんと同室。(3人部屋)
最初北欧の(巨大)男性まじりの4人部屋に放り込まれたが(中国では外国人は男女混合の部屋によくされたのだ)、さすがにびびって部屋を変えてもらった結果。
数年前に蘇州再訪時、まだこの場所にこのホテル(さすがに建物は変わった)があったのに驚いた。繁華街の中なのでアクセスはとにかく良い。蘇州楽郷飯店(ローシアン) ホテル
-
蘇州・北寺塔の上から。
北寺塔 寺院・教会
-
同じく北寺塔の上から。
北寺塔 寺院・教会
-
運河や世界遺産にその後登録される庭園は余りこのころには観光地でもなかったので、寄っておらず。
除夜の鐘で有名な寒山寺や虎丘中心に。虎丘 建造物
-
江南の象徴みたいな運河のある町並みは後年整備されたものなんだそう。
虎丘 建造物
-
中国の「ピサの斜塔」こと雲岩寺塔。
虎丘 建造物
-
他にはパンダがいなかった蘇州動物園で東北虎や猫のコーナー見る。(写真はなし)
寒山寺でアヒルも。
夜にはホテル近所の映画館でダフ屋のおじさんからチケット買って、映画を見ている。寒山寺 寺院・教会
-
最後の上海。
買った地図。
南京西路の雑技場がまだあったころ。
ここではじめて芸をするパンダをみた。今でも貴重動物パンダは芸をしてるのでしょうか。
夜には解放前から営業しているという紅房子レストラン(フレンチ)や、和平飯店のオールドジャズメンたちの演奏を聞きに行ったり。同じお宿の仲間とウロウロ。
※2013年正月、20数年ぶりに上海を訪れ南京路の変貌におののきました。 -
まだトロリーバスが走ってる!
(from 浦江飯店の部屋から黄浦江を望ム)アスター ハウス ホテル ホテル
-
余り持ってこなかったフィルムをけちったので街角の写真が少ない中、貴重な街角自撮り。
-
浦江飯店向かいに建つ上海マンションに『風と共に去りぬ』の映画看板。
スピルバーグが「Empire of the Sun」(だったっけな。『太陽の帝国』)なる映画を上海で撮影中とのことで(これは映画撮影所で通訳していた中学時代からやりとりしていた中国人のペンパルくん情報。彼と彼の彼女に滞在中会う)、30?40年代の上海を再現したオープンセットが町のあちこちに出来上がっていた。
そのため、町中通行止めがあちこちに出来上がり、移動ができなくなったりと結構大騒ぎ…。
スピルバーグは和平飯店に泊まっていた模様で、和平飯店を覗くと西洋人らしき団体を毎晩見かける。でもスピルバーグはついに分からずじまい。ブロードウェイ マンションズ ホテル ホテル
-
1935年竣工のアールデコ様式ホテル。
1987年当時に見てもとっても立派な建物だったな。ブロードウェイ マンションズ ホテル ホテル
-
宿の中はドミ部屋ステイ。
歴代のらくがきなども残っていた。アスター ハウス ホテル ホテル
-
浦江飯店。普通の部屋タイプの部屋割りは国籍ごと扱いだった模様。
2階のダンスホールを改装したっぽい大部屋は男女国籍ごちゃまぜだったが。
病院ベッドが並ぶお部屋。激寒だったので部屋の中でも防寒着。
全員学生だったので修学旅行みたいだった。
夜には枕投げしたり…。アスター ハウス ホテル ホテル
-
浦江飯店、同室のお仲間たち。ソ連領事館ビューのお部屋にて。
(ほとんど女子大生、1人だけ女子高生も)
2012年の年末、浦江飯店にうん十年ぶりに行き、この泊まったお部屋を外から眺めました。
http://4travel.jp/traveler/doguhanaco/pict/27770113/
同国籍同性でまとめられて同じ部屋に放り込まれていた当時。
80年代はアジア系で自由に旅行していたのは日本人か香港人ぐらいしかいなかったので、どの宿に行っても日本人は必ずいた。
女子大生たちとは、その後もバックパッカー仲間同士で京都で良く飲み会したもんです。アスター ハウス ホテル ホテル
-
旧中国民航のチケット也。禁煙席。
チケットは上海の事務所で購入(元建て)して虹橋空港から帰国する。
帰国便機内で古傷(ヘルニア)が悪化。
旅行の思い出は痛みと共に終了。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (4)
-
- 井上@打浦橋@上海さん 2012/11/15 07:00:42
- 太陽の帝国
- おぎゃんさん、はじめまして。
こんな時代に上海周辺をうろついたんですか・・・・
いや、私も84年から86年にかけて中国国内うろつきました。
当時既に「地球の歩き方・中国編」はありましたので、
それを持ち歩き、参考にしていました。
今でも我が家には、86年度版が残っています。
84年度版は、もうありませんが・・・
ところで、そうか・・・「太陽の帝国」の撮影は、その頃なんだぁ・・
「風と共に去りぬ」のデカい看板は映画の中に出てきましたよ。
あの映画は1938年頃の上海の様子が描かれてるんですが、
それを表すために、あの看板が使われたんでしょう。
「風と共に去りぬ」は、日本で公開されたのは1950年代に入ってからですが、
上海ではアメリカで公開されてすぐ、上映されたそうで、大人気だったようです。
長崎に住む日本人の中には上海に行き、それを見に行った人もいるようです。
なお「太陽の帝国」には高松英郎さんは出ていません。
伊武雅刀さんだったのでは・・・
「太陽の帝国」の撮影スポットのいくつかを、私は探り当てました。
もし、興味あれば下記をご覧ください。
「太陽の帝国のスポットを探る」
http://4travel.jp/traveler/dapuqiao/album/10608425/
- おぎゃんさん からの返信 2012/11/15 10:06:49
- RE: 太陽の帝国
- 井上@打浦橋@上海さん
はじめまして。
つたない過去の話にお付き合いいただきありがとうございます。
> 今でも我が家には、86年度版が残っています。
私はこの旅行の帰国後手に入れました。実家にまだ残っているかも。早く見つけることができれば、もうちょっと楽に旅行できたかなぁと思っています。
サバイバルキットは重くて枕にしてたことが多かったかも。
「太陽の帝国のスポットを探る」の日記拝見させていただきました。
オールドシャンハイのような20世紀初頭の建物や映画や小説の舞台巡りが好きなので、年末に予定している旅行でぜひ訪れてみたい場所がたくさんあり参考になりました!でもキャンセル待ちなので果たして行けるかどうかです。
映画も休みにでもDVD鑑賞しようかと思います。
高松英郎さん出てませんでしたか…当時の浦江飯店のドミの同室さんたち全員勘違いしたままかも。
そういえば後年映画館で見たときに、伊武さんは目立つ役だなぁという印象でしたね。
またゆっくり旅行記拝見しに参ります。
コメントありがとうございました。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2012/11/15 15:57:25
- 上海物語に「風と共に去りぬが」
- おぎゃんさん、どうも。
先ほど[ 上海 風と共に去りぬ ]で検索しましたら、
出てきたのが、さだまさしの上海物語でした。
そして、その歌詞を見ましたら、
どうやら、1940年代初頭か30年代末の上海の様子を
描いてるようでした。
その1番の歌詞は・・・
あなたと歩いた黄浦江の散歩道
夜霧のガーデンブリッジ
ふりむけばブロードウェイ・マンション
淮山碼頭の汽笛はジャーディン・マジソン
南京路の新世界で観た
プレミアム・ショーの「風と共に去りぬ」
そうだキャセイホテルのバーがとても不思議だった
ジャズと軍歌の奇妙なハーモニー
同じテーブルで世界中の不安と欲望が
快楽のマティーニを飲み干した
焼き栗の香りとライラックの花と
四馬路(スマロ)の女達の香水で満たされた町
・・・さだまさしは長崎の人。
そしてお爺さんは中国で特務の仕事をしていたとか・・
またお父さんも中国で軍関係らしい・・・
お父さんかお爺さんに当時の上海のことを、
いろいろ聞いていたんでしょうね。
14年の上海生活から、今年の夏に横浜生活に切り替えて、
3か月しか経ってませんが、
もう、上海が懐かしくなってきました。
- おぎゃんさん からの返信 2012/11/15 19:21:01
- 「上海物語」聞いたことがありませんでした(><)
- 井上@打浦橋@上海さん、こんばんわ。
思わぬ情報でびっくりしました。
さだまさし=上海がなかなか結びつかないのですが(「長江」て映画ぐらいかな)、ご家族が大陸にいた方なら郷愁のある詩を書くこともできるわけですね。
歌詞に出てくる場所を訪れたら、20世紀初頭・上海の名残が楽しめそうです。
意外なガイドブックですね。
「風と共に去りぬ」は戦前外地にいた日本人には知られた映画だったと聞いたことがありましたが、特別な存在なんだなぁです。
> 14年の上海生活から、今年の夏に横浜生活に切り替えて、
チャンスがなかったので上海暮らしがうらやましいです。
縁あってまた滞在することができればいいですね。
書き込みありがとうございました。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
-
蘇州楽郷飯店(ローシアン)
3.08 -
アスター ハウス ホテル
3.65 -
ブロードウェイ マンションズ ホテル
3.37
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
4
36