ゆっくりOm Koiさんへのコメント一覧(7ページ)全80件
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ラーオ☆パーマー
Om Koiさん、こんにちは。
遅くなりましたが、本日、ついに、Om Koiさんの旅行記を
完読しました。
どの旅行記も、おもしろかったですが、
私のまだ見ぬ、憧れのラオスの田舎、
う〜、読みながら唸りましたよ。
ラオスへは一般ツーリストに開放された20年ぐらい前に、
ビエンチャンへ行っただけです。当時は地方都市へはまだまだ
制限があった頃です。
そして、ツーリストが入れたのは、ノンカイからと
ビエンチャンの空港だけ。
この前も書きましたが、チェンコーンへ時々、行っていましたが、
当時、ゲストハウスは私が知る限り2軒?で、
その内の1軒のゲストハウスを定宿として、いつも、
ゲストハウスから川向うのフェイサイを眺めていました。
渡し船に乗って、外国人ツーリストは
フェエサイすら行けませんでした。
いつか、行ってみたいという長年の思い。
今回の旅行記で、フェイサイ、さらにその奥地の様子が
よく分りました。
20年前とはもちろん、インフラ等違うと思いますが、
電気が通っていて、近代的なガソリンスタンドがあり、
時代でしょうか、●国の力がかなり浸透しているようですね。
でも、道路の整備はまだまだって感じ。
引き返した川があり、後悔という記述があります。
「行ける時に行き、撮れる時に撮る」という鉄仲間の格言がありますが、
行かないと後悔することがあります。
ただし、今回のような川の流れや、登山等の自然相手では、
勇気ある撤退も必要です。
メーサイに初めて行ったのは1987年3月です。
その時、メーサイゲストハウスのバンガローに泊まりました。
ちなみに、トイレ・シャワー共同で30バーツでした。
この時も、川向こうのタチレクを眺めるだけ。
それ以降、メーサイにも時々行きましたが、
やがて、外人ツーリストもタチレクに入れるようになり、
今やタチレクから出るのですね。
次回、正式にビザを取得してシャン州のオフロードを
走破して下さい!!
PS チェンライ、落ち着きますね。
なぜか、魅かれます。
初めて行った1987年3月、優しい風が心地良かった。
では、次の旅行記、待っています〜。
ラオスかミャンマーか迷っています。
somtamさん。こんにちは。
今回も丁寧に読んで頂きまして有難うございます。
「次の旅行記がんばって書こう」と励みになります。
私がラオスに初めて行ったのは2002年のビエンチャンでした。
昆明からの空路でした。
当時、ツアーでラオスツーリングをしていた白人ライダー達が何組かすでに
いました。
バイクでのルアンプラバンへの山越えで山賊に遭い、身ぐるみ剥がされた
オーストラリア人が4人。
「本当にパンツ一丁で警察四駆で帰って来たらしいよ。」という噂で
持ち切りでした。
「まだまだ治安悪いんだ…」と思ったものです。
例の大国の影響はひしと感じられます。
ルアンナムター県シン郡のバナナのプランテーションは不気味でした。
完全な単相林で生態系や「その後」の農業が心配です。
「かなりの田舎」と言われるムアンシンでも日に4〜5便のバスがありました。
恐らくラオス中バスで旅行できると思います。
ただし、かなりのオンボロぎゅうぎゅうバスです。
20年前の新彊のバスを経験しているsomtamさんなら問題ないでしょう。
実はチェンコンはバイク旅を始めた去年に初めて行きました。
感想は普通に大きな町でした。
雲南にたむろしてた頃の勝手なイメージは「メコン河沿いの谷間の秘境」だった
ので少し吃驚でした。
バンコクでミャンマー査証を仕込み、再チャレンジします。
上手く行けば広大なシャン州を北上する事になります。
心配事は二つ。
ミャンマー国内の治安状況、特に辺境部の民族対立。
それとバンコクのデモ。
「行動力」以上に「運」も必要だと思われます。
追伸 〜「行ける時に行き、撮れる時に撮る」という鉄仲間の格言〜
「赤川鉄橋」…、写真撮りそびれてしまいました。
「家近いからいつでも撮れるサ…」と油断してました。
Om Koi2013年12月08日12時08分 返信する -
2013年北タイオフロード
Om Koiさん、こんにちは。
今日は、2013年北タイオフロードを読破しました。
まず、自身のバイクを正式に購入出来てよかったですね。
アジトも確保していますし、しばらく北タイ通いが続きますかぁ♪
さらに、隣国へと・・・
外国で大なり小なりの困ったことがあれば、
いつも助け舟が出ますよね。
特にタイでは!!
今回は宿の奥さんや、バイクショップの店員。
チャイ・ディー・マークか、ボリカーン・ディーと
言ったところでしょうか。。。。
よく考えて見れば、これは今年の話なのですね。
タイからしばらく遠ざかっている私は、
もはや浦島太郎状態(笑)で、とても新鮮です。
例えば、20年ぐらい前、クルンテープからチェンコンへ、
たまに行っていましたが、えっ!何に!?、橋が・・・
全然知りませんでした。
さっそく、ネット検索したら来月11日に正式開通とのこと。
当時は地元民だけが渡し船で行き来可能で、外国人はそれを
眺めているだけでした。
それにしても、いつも、ハラハラドキドキの山道。
体力的に消耗も激しいと思いますが、
達成感もかなり感じていると思います。
そして、衛星地図等で下調べも重要ですね。
somtam
ひたすら感謝。
somtamさん。
毎回、大事に読んで頂き有難うござうます。
書いたかいがあります。
20年前のチェンコンをご存知なのですね。
中国の西南辺境でたむろしていた頃、北上して来た旅仲間に話は聞いていましたが
興味が湧きませんでした。
恐らく、ルアンナムターまでの街道筋はダートだったのでしょうね。
これは言ってもキリがありませんが、何故あの頃バイクで北タイに行かなかったの
だろうかと悔やんでいます。
ところで今年のチェンコン、南の郊外にテスコ・ロータスができました。
ピカピカです。何でもあります。
ローカルな雰囲気木っ端みじんです。
でも、正直言いますとラオスから引き上げてスグにココに駆け込みました。
フードコートで簡単オーダーのタイ飯をむさぼっていました。
ぶっちゃけ、便利でイイです。
グーグルの衛星写真を自炊してタブレットで持ち込んでいます。
+バイク便で鍛えた方向感覚で何とか山岳地帯を乗り越えています。
気の張っている日中は意外に疲れません。
日が傾く頃、ホームシックの如くドッと疲れが出ます。
そして意外に寝付きは悪いんです。
ツーリング中はずっと寝不足でした。
Om Koi2013年11月23日19時50分 返信する -
も一度御邪魔します。
Om Koi様
早速のお返事を頂きまして有り難う御座います。
私が借りたのはKDX125ではなくて、D-トラッカーの方でした。4サイクルが好きなのでそれで行きましたが、125のオフロードで入っていく道としては2サイクルのKDXの方が適していた様です。
私が泊まらせてもらった寺子屋(寺ではありません)の夜は雨もあがり満点の星空でした。
Om Koiさんはチベットでツーリングした事があるのですか?
私は近年インドのレー(チベット世界)で少しだけ走りましたが、ザンスカールまで出来れば行ってみたかったですね。
ジュライ・楽宮も懐かしいです。台北旅社の一階の24時間やっていた雑貨屋の3姉妹たちはどこへ行ってしまったのでしょうね?
楽宮のお姉さんのOちゃんとはよく二人で映画観に行ったり飯喰ったりしてました。スワニーさんの所じゃないですよ。伊藤四郎は今頃何やっているのでしょうか?とても気になります。
PS; メーサリアンでバイク借りる事って出来るのですか?2013年11月21日22時18分返信するメーサリアンのレンタルバイク
こんにちはクラシアンさん。
KDX125は私の勘違いでした。
タイでのKawasakiの現行車はKLX125でしたね。
チベットやアフリカは行ったことはありません。
「海外ツーリング」で情報を集めていた頃、アジア・アフリカ横断のブログを見つけました。
この方は四駆での旅でしたが兎に角、「半径100キロ何もナシ」と驚いておられました。
荷物に限りのあるバイクでは厳しいと思いました。
西チベット(インド側)は私も以前から非常に興味がありました。
「天空の城」「最後の秘境」の異名のあるザンスカールは一度行ってみたいです。
タイのダートを完全制覇する前に興味が東南アジア全域に移ってしまいました。
西チベットを思い出すとインド方面へも機会が有れば行ってみたくなりました。
長大なダートが残っているならやはりヒマヤラ方面ですよね。
楽宮旅社は何度も遊びに行きましたが泊まったことは数回しかありませんでした。
「ツワモノ」揃いでしたから。
当時四天王レベルの有名人でしたね、伊東四朗さんは。
ただ、他の人から「その名で呼ばれるの嫌がってるよ」と聞いていたので
「四朗さんですよね」とは聞けませんでした。
新参者が常連を通名で呼ぶのを憚られる空気がありました。
ジュライホテルは痕跡がほとんど無くなり、今行っても解らないそうです。
他の方のブログで北京飯店の記事がありましたがまだ営業してたのですね。
吃驚しました。
日付は去年の記事でした。スワニーさん、まだ居るのかな…。
何か若い旅人でこの界隈に興味を持っているのが増えているみたいですね。
でも今の若いコ達は、楽宮のお姉さんとかインモラルな話は嫌がりますもんね。
メーサリアンはファランの旅行者が多いです。
白人パッカー向けのゲストハウスも川沿いのエリアに数軒ありました。
古いカブタイプならゲストハウスでレンタルがありました。
108号線と105号線と1194号線の変則四叉路、博物館と大きな生鮮市場のあるサイドが
Ban Mae Sariangです。
そこから1194号線を真直ぐ西に500mのもう一つの中心街がBan Katです。
有名な「インティーラ・レストラン」があります。
その並びにレンタルバイクの店がありました。2012年9月の話ですが。2013年11月22日12時15分 返信する -
おひさしぶりです。
Om Koi様
先日貴殿のブログに触発されて、チェンマイのオムコーイ郡までツーリングに行ってきました。
季節的に雨期の終わりでやや不安もあったのですが、兎に角行ってみようと行動開始いたしました。
タイ滞在が12日間で実質ツーリングに充てたのは5日程度でしたが、現地で購入した「PN MAP」と貴殿のブログにアップされた地図を頼りにチェンマイで125ccのカワサキのオフロードバイクを借りて出発しました。初日は南廻りでSamoengへ出てからBan Chanを目指しました。一部かなりの下り坂に幾重にも溝の深いクレバス状の道があり、路面の砂利がブレーキを強く掛けるとタイヤを滑らせるので少し気を使う所もありましたが難なくBan Chan村まで到達出来ました。宿泊は貴殿が門限アウトで泊まれなかった政府経営のリゾート?っぽい例のところです。テレビが付いていて400バーツでした。
翌日何とかオムコーイを目指してコースを間違えたりしながらも大きなトラブルもなく前半のダートをやり過ごすとBan Mae Sa辺りから舗装路になり日没前にOm Koi村に到着出来ました。宿のオムコーイリゾートは手作りの橋が可愛いお気に入りの場所になりました。
3日目は宿の前の道を西へ進み105号線まで出てメーサリアンまで行ければいいなと思って出発しました。途中Ban Na Kian村に寄りガソリンのペットボトルを買い補給していると雨が振り出しました。遠くの空は晴れていたので雨はじきに上りスタートしましたが道がぬかるんで2~3回すっ転んでしまいました。何とか進んでいたのですが、Huai Bong村の小学校(寺子屋)前を通過しようとしたとき泥に埋まっている状態の道にでタイヤがはまり込んで身動きがとれなくなり年長の男子数人に手伝ってもらいなんとか再スタートしたのですが続く上り坂でも同じ様になりこの状態が続けば105号はおろか野宿の可能性もつよく(その時点で15時半)なんの装備もない状態では最早これまでと思い、寺子屋に宿泊を御願いしたらあっさりOKしてくれました(日没後かなり強い雨が1時間以上も降りましたので泊めていただいて本当に感謝です)。日没までに一台の4WDがそこを通過して行きましたが、タイヤが斜面でスタックしまっくっていましたが一度バックさせて坂の下まで降りてきてから、ものすごい勢いで車体を揺らせながら登っていったのを見た時は感動してしまいました。現地人おそるべしと.....。結局、翌朝4WD車(村からの定期便)にバイクを積んででオムコーイ村へ戻って来ました。その後南下してMae Tuenからの西・東廻りルート等も面白そうだなーと考えたのですが、やはり私の運転技術や精神力・体力といまの路面状態との兼ね合いから今回は見送りました。結局1099号と108号でチェンマイへもどり107号でさらに北上してチェンダオで温泉に浸かりゆっくり一泊して1150・1001号の舗装路を帰って今回は終了としました。
PS; Mae SotからミャンマーのMiyawadiってMae Saiからタチレクに入国するのと同じ様に行く事が出来るのですか?
それとオムコーイ郡から東のほうへ行く場合Mae Tupの大貯水地帯を越えて行く事は可能でしょうか?
面倒臭い質問ですいません。
2013年11月20日17時33分返信する非常に嬉しいです。
クラシアン様。
ご無沙汰しております、タイにいらしてたんですね。
バイクでオフロードツーリング、如何でしたか。
私が旅行記に地図や道程を詳しく掲載するのは、いつか誰かに辿って
もらいたい願望からです。
私の旅行記が微力ながら参考になったのは嬉しいかぎりです。
レンタルしたのはKDX125でしょうか。
私も購入の候補に挙げていました。
狭い林道内での取り回しが楽だと思ったからです。
Ban Chan村のコテージは400バーツでしたか。
値上がりした様ですね。
食事に困ったのではないでしょうか。
私の時は日が暮れる頃には村の食堂も閉まっていました。
「宿のスグ前もダート」と言うのが最高でした。
もはやタイで最後のダート宿だと思います。
舗装はされていませんでしたか?
それだけがずっと気掛かりでした。
オムコイリゾートは私も気に入りました。
一番小さなバンガローが500バーツでしたが、あのバンガローは私には
少々狭かったです。
レストランにウイスキーとソーダ水と氷が常備されているのが素敵でした。
レストランのデッキから吊り橋を眺めて酒飲んでました。
WIFIの電波も良好(レストランのみ)で良い宿でした。
オムコイ中心街ーNa Kian村間が長く感じませんでしたか?
私は西からオムコイに入った時そう感じました。
雨期の走破は私も自信がありません。
多分、あのルートは無理だったと思います。
Huai Bon村から先、アップダウンは激しくなり簡易舗装もありません。
日没を控えて留まったのは正解だったと思います。
お寺さんで民泊をしたのですね。
私も一度やってみたいと思っていました。
クラシアンさんに先を越されました。
Mae Tuenから南の山越えも雨期は厳しいと思います。
Mae Tapとはプーミポンダム貯水池のことでしょうか。
私も東へのルートを探していたのですが、あの水系を渡る手段は無いと思われます。
Tuen川とピン川の合流地点(ダム湖)の集落までは道がありそうです。
ひょっとしたらその辺りの集落からプーミポンダムの堰堤まで船があるかも知れません。
未確認ですが…。
Mae Sot国境でもまだアライバルビザは貰えないと聞きました。
ただ、予めビザを取得していればその後自由にできる可能性のある国境だと思います。
もう一つは北のメーサイ。
来年はメーサイから入境に挑戦します。
バンコクでビザを用意してから行くつもりです。2013年11月20日20時05分 返信する -
Amphoe Om koi
Om Koiさん、こんにちは。
じっくり、味合うように、主に鉄出撃等のない週末に、
Om Koiさんの旅行記を読んでいます。(夜の時もありますが)
今日も頭の中は、大好きなタイの情景が浮かび、
旅途中のアーハン・タイの写真を見て、ニオイ、香りを感じています。
で、本日ついにここまで(2012年春・・最終回)読みました。
とりあえず、この時点では、今回の秘境ルートから、
Amphoe Om koiに到達出来ず、残念でしたね。
チェンマイ県のその方向は行ったことがなく、
機会があれば、行ってみたくなりました♪
もちろん、公共交通ですが・・・(笑)
いつも、古い方から、旅の順番に読んでいますが、
先ほど、東南アジアオフロード1 ミャンマー タチレクの
旅行記の紹介で、「各陸路の国境でビザを出すと・・・」
というフレーズが目に入って来ました。
憧れのシャン州、大変、気になります。
RE: Amphoe Om koi
somtamさん。
ごぶさたしてます。
去年の旅行記を読んで頂いて有り難うございます。
古い方の旅行記は地図も無く、誤字脱字も多いです。
しばらくしてから読み直すとおかしな所がワンサカでできます。
しかし「できるだけ修正せずそのまま残すのがいい」といわれました。
料理の写真を一々撮っている日本人客が時折顰蹙をかっているそうです。
私はブログの情報として食事の写真は重要だと思っています。
気を遣いながらコッソリと素早く撮るように心がけています。
Om Koi郡へはバスが出ているそうです。
今もOm Koiに住んでいらっしゃる日本人の方のブログ「タイ山岳民族の村に暮らす」
に詳しく紹介されています。
来年三月にバンコクに行きます。
バンコクの領事館ででミャンマー査証を取得する予定です。
本格的にミャンマーのダート探索をするつもりです。
期間は約一月半。
私はバンコクで「鉄分」を補給します。
場所はファランポーン駅とバンスー貨物ヤード跡地です。
日本最大と言われた吹田操車場とバンスーはどちらが大きかったのでしょうか。2013年11月17日19時55分 返信する -
サルウィン川
今回も、ハラハラ、ドキドキしながら、読みました。
この辺りは、あまりツーリストも入っていない地域。
私も一回行ったきり。
もちろん、自動二輪ではないので、Om Koi様のように、
深部には行っていません。
クルンテープでアパートを借りていた頃、
タイ国内旅行を楽しんでいました。
その時、チェンマイからメーホンソンへのトレッキングを
トライしようか、どうか、迷ったことがあり、
結局、やめました。
今となっては、トライしなかったのは後悔です。
たしか、1週間ほどだったと思います。
Om Koi様のチャレンジは、今後の活力になりそう。
RE: サルウィン川
somtamさん、お早うございます。
サルウィン河周辺での川渡りは「冒険的」なツーリングの初めでした。
乾期の水量だと安全です。
最悪一日歩けば大きな国道まで辿り着けるので「なんちゃって冒険」でした。
やはりロシアやチベット、アフリカに比べて遥かに狭いです。
治安もよくお手頃なエリアです。
パイ川の上流からメーホンソン東南山岳地帯へのトレッキングは今でも
人気だそうです。
ガイド付きで少数民族の集落で民泊の三日くらいのコースがオススメと
聞きました。
somtamさんがタイでお住まいの頃、私もタイを頻繁に旅してました。
ただその頃はオフロードに興味がなく、専ら「島派」でした。
パンガン島とタオ島がお気に入りでした。
宗谷本線のラッセル車はかっこいいですね。
実車は未だ見た事がありません。
DD51の重連で運行される緊急除雪「トクユキ」を思い出しました。
ガキ鉄の頃焦がれていた被写体の一つでした。
ただ、中坊には降雪期の北国行はかなり厳しかったのです。
情報も少なく、結局は撮影に行く機会はありませんでした。
Om Koi2013年10月27日10時45分 返信する -
タラート
こんにちは。
Om Koi様の旅行記を読んでいると、
以前より行きたかったメーホンソン県の最奥部等へ
また、行きたくなりますが、私は普通自動車の運転だけで、
オートバイには乗れません。
私が旅していた頃と情勢は違い、タイ・パーマーの国境は
安定していると思われ、ますます行きたくなります。
そして、タイ側からは入れませんが、正規のルートで、
パーマー側からメーホンソン県を眺めたいものです。
タラートで買うカップ・カオの味は絶妙です。
私もよくサイ・トゥングしてもらい、持ち帰りました。
タイの炭酸水事情も、以前と変わっているようですね。
メジャーですが、チェンライのタラートが好きです。
裏手からソンテゥが、次から次へと山へ戻って行く光景が、
感動的。
それにしても、PAIにコンビニとは、驚きました!
これも時の流れですね。
何度か行きましたが、初めて行ったのは25年ぐらい前で、
まだ、ゲストハウスがぽつりぽつりの状況。
まだまだ静かな村でした。
私は鉄道マニアで、ひとつ共通項があります。
いずれも、マニアの勝手な視線ですが、
それは旧式の方が良いということです。
ダートを走破するライダーは、整備された道よりも
あまり整備されていない道の方が良いとのことですが、
しかし、地元の人にとっては、整備された道の方が良い。
鉄道マニアは一般的に、旧式の車両の方を好み、
新型車両には目が向きません。
しかし、乗車する人にとっては、快適で早い新型車両を
より好みます。
では、また訪問します。
青春の山陰本線。
somtam様。
メッセージ有り難うございます。
私も鉄道少年でした。
元々四国の人間ですが親の仕事の事情で大阪と行ったり来たりでした。
旧国鉄時代、最長路線は東北本線でしたが「非電化路線」の雄は山陰本線でした。
その響きに魅せられ「懐古趣味」となりました。
今のオフロード趣味はこの頃から決定付けられていたのかも知れません。
中学の頃までは「昼行鈍行」最長の福知山発「824列車門司行き」が残っており
西日本自慢でした。
オハ60系の客車が最後の勇姿を誇っていました。
オープンデッキの最後尾車輌から停車寸前の駅に飛び降り、蹴つまずいて三回転。
駅員から「アホか、お前!」と怒鳴られた昔が懐かしいです。
旧型電機も好きでした。
阪和線で最後のEF15を写真に収める為に県境で遭難しかけました。
今となってはいい思い出です。
「25年前のPAI」をご存知なのですか。
私はまだ学生でした。
チェンマイーメーホンソン間がまだほとんど未舗装だったころなのでは。
世界遺産のモロッコ・フェズの地元住民の苦悶の話がよぎります。
観光客は「旧態依然」を求めますが、現実は「便利で快適な近代的なモノ」に
移行したいのが本音。
インフラ整備のおぼつかない「貧しい国」でいて欲しい、なんてのは我々観光客の
エゴですよね。
タイの生鮮市場(タラート)は大好きです。
お惣菜を大量に買い込んで、宿で独り呑みが私の愉しみです。
メーホンソンの市場は外見、中身、内容、ロケーションどれをとっても最高でした。
辛く無いソムタムと甘ーい焼き鳥、姿焼き、何種もある豚肉の煮物。
今でも想像しただけでビール大瓶イケます。
来春、ミャンマー(パーマー)に再チャレンジします。
メーホンソン郡に接しているミャンマー領はへ入るのは少し難しいと思いますが
機会が有れば行ってみたいと思います。
Om Koi2013年10月19日20時20分 返信する -
Om Koiさん、こんにちは
久しぶりにOm Koiさんのパワー全開の旅行記に触れ楽しい気分です。
日本に帰って来られてブルーなんですか?お気持ちよくわかります。私などは帰る2、3日前から既に落ち込んでいますよ。
Om Koiさんの場合愛車とのしばしのお別れもあるわけだし。
生き物でなくてよかったです。別れに泣かれたらたまらないですからねw
メーサイで野菜などの農産物を竹籠に入れて行商している姿を見かけますよね。貧しい風体の人たちです。私はその産地を、畑や農家をぜひ見たいと思っているのです。今回その一端の田んぼを見せていただいて感慨深いです。ミャンマーがもっと開放されたら農村を訪れてみたいです。
ミャンマーの人は精一杯働いているけどどこか悲しげな眼をしてるように感じます。生まれながらに背負ってるいわれなき困難というか。
メーホンソンの山奥で見たカレン族の難民キャンプの人々の悲しげな眼を思い起こします。
Om Koiさんの旅行記は、困難なことにわざわざ挑むエネルギーと困難を処理し解決していく能力を感じさせて独特のものがあります。自分の肉体をいじめながらのひとりぼっちのゲームですよね。
人はなんで便利な生活を離れて泥の道に突っ込んでいくんだろう、挑戦する者もそれを見る者もなんで夢中になって楽しむんだろうって思った休日でした。
最低、後五年は走りたいです。
お久しぶりです、ぎっ太さん。
メッセージ等有り難うございました。
到着日の高揚感が+10だとしたら帰国日の焦燥感は-50ではないでしょうか。
私のブログに関しまして、お褒めの言葉を頂きまして有り難うございます。
恐縮です。と言いますか少し照れます。
需要の少ないブログですが私にできる事、やりたい事を今後も発信していきたいと
思っています。
恐らく、ぎっ太さんもご存知と思います在チェンマイ(メーテン)の日本人の方の
ブログの情報でミャンマー・アライバルビザに挑戦しました。
現実は厳しく、今回は思っていた旅が出来ませんでした。
来年はバンコクでビザを仕込んで再チャレンジします。
話はそれますがこの方のブログは至極秀逸です。
天候、近辺の世情等情報量が多く、色々と参考になりました。
「ダート道」にばかりこだわっていました。しかし次回はもっと「ミャンマーの人々」
に接近してみようと思っています。
難民キャンプを二カ所だけ訪れた事があります。
「メラ」と「メラ・オン」です。
「メラ」はタイ国最大の難民キャンプですね。国道から眺めるだけでした。
「メラ・オン」は迷い込んだ先にあったので少し観察できました。
警戒感と疎外感をひしと感じました。
そして古老から向けられた視線に畏怖しました。
彼らの中にどれだけ踏み込むべきか、考えさせられます。
人間以外に「擬似的人格」をもって接するのは「ヤバい」前兆だと言われました。
バイクの話ですが…。
大事に扱うと魂が宿ると信じています。あと交通安全の女神様。
せめて後五年、無事にインドシナのダートを走り回りたいと思っています。
Om Koi2013年10月09日20時58分 返信する -
ウエラー
タイで、時間ちょうどで、コテージの受付が閉まるとは、
そういうこともあるのですね。
PAIまで行くと、ゲストハウスのレストランで
たくさんのツーリストが、夜ものんびりしているので、
どうにかなるかも。でも、距離的にはきびしそう。
20年以上前ですが、PAIで虹を見たことがあり、
今もその美しさが、心に残っています。「沈没組」て言われてました。
今晩は、somtamさん。
メッセージ有り難うございます。
イスタンブールー香港を陸路のみで一度制覇したきり、私のフットワークは
失われました。
雲南省大理の第二招待所、バンコクのジュライホテル。
二十代にて「良くナイ」旅に堕ちてしまいました。
今、バイクで精力的に走り回っているのはその反動かも知れません。
北タイチェンマイ県ののWat Chan村は良かったです。
何も無い村でした。
一部の不躾な来訪者 (恐らく白人ライダーのツアー)の為、少々排他的な空気も
ありました。
南からアプローチすると最後の30kmがダートなので「秘境」な空気が味わえました。
タイ国鉄の一等個室寝台はウワサに由ると「幸運次第」だそうです。
政府関係者、一部特権階級の急な需要のため「あっても売らない」のが多いそうです。
ジュライにたむろしてた頃、楽宮にもよく遊びに行きました。
楽宮のほうが「格上」て空気がありました。
「共同トイレ立て篭り事件」に遭遇し、見るに見かねた別の日本人客が
「オーイ、XXさーん。早く出てこーい。」と呼びかけ、奥の部屋住みのお姉さん達が
クスクス笑っていた光景が今も焼き付いています。
ジュライホテル前のシーフード屋台にも楽宮の常連達が良く来てました。
話しかけると大抵、機嫌良くしてくれました。
「あの頃の皆、何処へ行ったんだろう。」と想いに耽る事がよくあります。
Om Koi2013年10月08日01時25分 返信する -
こんばんは
北タイ、いいところですね。
大奮発の1等寝台車の乗り心地はどうでしたか?
私も一度、ホァラムポーンからチェンマイへ
1等寝台車で行きたいです。
最近、日本では寝台列車の旅は遠い存在になりました。
私はホァラムポーン22時発チェンマイ行きの
列車を好んで使いました。ノンエアコンの2等寝台車です。
寝台車内でビールを飲みながら、チャンマイへ向かいます。
いつも、2時間ぐらいの遅れでチェンマイに到着。
それで、国鉄を思い出す、広いチェンマイ駅の構内。
私は楽宮でお世話になっていました。
ジュライへは、たまに遊びに行きましたよ。
あの頃は、大変、活気がありましたね!



