ももであさんへのコメント一覧(64ページ)全1,938件
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素敵な旅
ももであさん、はじめまして。
イタリア旅記事にイイネをありがとうございました。
こちらのドライブ旅での出会い、
とても気持ちが暖かくなりました。
(今日は酷暑ですが)
ブッキングドットコムのキャンセルの連絡って
あるんですね。びっくり。
でもそのままいって
よいオーナーさんのもといい時間を過ごせてよかったです。
おいも掘りの笑顔も最高ですね。
ことりsweet
熱中症警報発令
ことりsweetさん
暑さでトロケそうです。うちのご近所も38℃の高熱を発しました!
スミマセン。さらにハートウォーミングな話で、あっ38.5℃
Booking.comからのキャンセルの連絡ってぼくも初めての経験でしたが、まぁ車だし、いざとなれば車内で寝ればいいかと思いそのまま行ってみました。
結果は、ほんとに優しく思いやりのあるマダムで... あっ39℃
じゃがいもの軍団 あのおばあちゃん達の笑顔にはホントやられました。言葉は全く通じないのに、もう嬉しくて嬉しくて、今思い出しただけでも ひ〜っ40℃
る、ルーマニアにはご用心!!
ももであ2018年07月14日18時08分 返信する -
地図にありました。
11日の旅程を地図に書き込んだとき、唯一地図に地名があったのが、Bovallinoでした。それ以外はグーグル・マップで調べて地図に大体の位置を書き込みました。
この日は旅行と言うより、行軍か、探検に近かったのではないですか。
歯切れのいい文章に感心しました。短歌か、俳句のようでした。説明文がすくなく、全文がいわゆる「さび」でできています。ドライブは大変でしたでしょうが、それをこういう凝縮した文章にまとめるのは、もっと大変だったのではないでしょうか。
ところで、ログーディ突入、脱出のあたり、ナビゲータ席の奥様はなんとおっしゃっておられました?
さらに読み続けます。どこに行くかが分かっているので、多少安心して読めます。
RE: 地図にありました。
この旅以前も車を使っていましたので、他のトラベラーさんとは多少違ったところはあったと思います。でも自分の旅が劇的に変わったのはこの南イタリア旅からでした。それはすなわちガイドブックを手放すことだったと思います。ガイドブックに頼れば、'猫’も杓子も同じ経験・同じ感動。でもガイドブックの検証旅行をしてもつまらないと思えたのです。
シニアの旅人さんが、フィレンツェ郊外を訪問されマキアヴェッリと握手された。そんな自分がやりたいと思う旅をする。まさしくここに尽きると思います。初めての書き込みで、「シニアの旅人さんと言うよりシニアの達人さんですね」と申し上げた所以です。
文書へのお言葉、ひときわ感慨深く嬉しく思います。実はこのわずか10日間の南イタリア旅をブログにするのに2年を要しました。もちろん自分のズボラな性格が要因であるところが大きいのですが、この奇跡の旅は生涯自分の大切な宝物になると思い、自分自身が何度でも読み返したくなるようしっかり記録に残そうと思った次第だったのです。
家内もさることながら実はこの旅には家内の両親も同行していました。連日早朝から深夜までの強行軍に文句も言わずついてきてくれた家族には心から感謝です。2018年07月13日20時04分 返信するわかりました
10日間を2年かけて凝縮すればこうなるのですね。全文を「詩」で綴ったということです。俳句や短歌を含め詩というものは、地の文を省いた「さび」だけで出来ています。非演歌風に言えば「コーラス」ですか。私は反対にあくまで読む人を説得しようと、説明に努めます。多分、私の方が楽です。
奥様、そのご両親、いい思い出になったことでしょう。私も思い出を作るために旅をしています。思い出はしまっておくのに場所をとりません。2018年07月13日20時32分 返信する -
どんな大洪水だったのでしょうか
干上がった川から町の上部まで、100メートルはありそうです。そんな洪水は想像できません。山ははげ山のようですね。森が貯水できないとそうなるのでしょうか。 -
なんでここに住み始めたのか
どうしても分かりません。自然条件は今も昔も変わらないのに、よりにもよってこんな厳しいところに住み着いたのでしょうか。今でも人口の少ない地方でしょう、ほかにもっと条件のいいところはありそうなものですが。外部からの侵略を恐れたというのは分かりますが、その心配のなくなった今でも住み続けるというのは、私みたいに都会とプチ田舎しか知らない人間にはない郷土愛とでも言うものがあるのでしょうか。 -
読み続けます
地図で行く先々を調べました。11日はScillaからBovalinoまで長靴の先っぽを回ると言うことですね。廃墟ですね。北海道の根室近く、国道(道道かもしれません)142号線を思い出しました。廃屋がありました。なにより廃校になり無人の学校が痛ましかったです。それがきれいにメンテナンスされていました。



