風来坊之介さんのクチコミ(37ページ)全2,655件
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- 基本情報
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投稿日 2018年03月08日
総合評価:4.5
靖國神社拝殿前から右手 (北側) の一画にある軍事博物館です。
軍事博物館と言うと堅苦しく聞こえるが決してそうでなく、かつての火砲や戦闘機などの展示もあるものの、明治維新から太平洋戦争までの種々の戦いの関連資料や遺品などが順を追って展示されています。
玄関ホールは結構広くて良いが、展示室は狭く沢山あるのでややこしいものの展示品には心を打たれるものが多々あります。
また、展示品をじっくり見ていると時間が掛かるので気を付ける必要があります。
入館には時間に余裕をもって、玄関ホール (無料) から展示室 (有料) まで入ってみると、戦争の恐ろしさとともに今の平和のありがたさが分かる と思うので、時間は掛かるが全てをご覧になることをお勧めしたいところです。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 拝殿前から歩いて1分位なので地下鉄・九段下駅出入口1からだと徒歩で10分弱のところです
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 展示品が貴重なのは分かるが大人1,000円はやや高い感じがします
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 土曜日だったが意外と空いていました
- 展示内容:
- 4.5
- ここでしか見れないものが多く貴重品が揃っている と思います
- バリアフリー:
- 4.5
- 十分対応している と思います
-
投稿日 2018年03月08日
総合評価:3.0
千代田区富士見1丁目のとあるアパートの出入口左手の植込みにあるが、背が低いうえ碑文が薄くなり目立たないので、気を付けてないと見落としてしまいます。
薄くなっている碑文を何とか読み取ると
本学の前身である大東文化学院は, 大正10年の貴衆両院による「漢学振興に関する建議案」の決議に由来し、大正12年9月20日、 この地に設立された。
とのこと。
大東文化大学は、確か箱根駅伝で聞いたことがある位しか知らなかったが、漢学振興とか大正12年の設立とかを知り、歴史がある大学とともにスポーツでも頑張っていることが分かり、今後は応援したい と思った次第です。
石碑もだが場所も分かり難く、九段下交差点のほぼ西方向なので、靖国神社参道の北側にある白百合学園小学校の北側道路の北沿いです。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 九段下交差点から西方向に歩いて8分前後だが分かり難いところです
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 通り掛かった折は誰とも出会わなかったが近くの十字路で警察官が警備していました
- バリアフリー:
- 3.0
- 傾斜があるものの歩道が整備されているので大丈夫でしょう
- 見ごたえ:
- 3.0
- 立派な石碑だがあまり大きくなく目立たないのは惜しまれるところです
-
投稿日 2018年03月07日
総合評価:4.0
東京大神宮の神門右手に祀られていて、明治初年日比谷大神宮御鎮座に際しその境内に奉斎され昭和3年この地に奉還今日に至っている とのことなので、この東京大神宮とともに歩んできた由緒ある稲荷神社です。
衣食住と商売繁盛の守護神「稲荷大神」と土地の守護神「大地主大神」を祀り、芸能の神様としても崇敬されている 由。
縁結びの神様としてよく知られている東京大神宮と併せてお詣りすると、縁が結ばれ衣食住や商売繁盛、土地の守護とともに芸能にも長けること と思います。 (大盤振る舞い とは思うが・・・・)
東京大神宮をお詣りの際は、ここ飯富稲荷神社もお忘れなく!- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JRでも地下鉄でも飯田橋駅から歩いて4分位の東京大神宮神門の右手です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 東京大神宮は混雑しているがこちら飯富稲荷神社をお詣りする方はポツポツ程度でした
- バリアフリー:
- 2.0
- 正面からは石段があり迂回も出来るがやや遠回りの坂道です
- 見ごたえ:
- 4.0
- 決して大きくはないが由緒ある稲荷神社で多くの御神徳を授かれること と思います
-
投稿日 2018年03月07日
総合評価:3.5
北の丸公園の北側には、九段坂、中坂、冬青木坂と南側から順に3本並んでおり、ここ冬青木坂は一番北側でここも結構急な坂です。
左手にはビルが、右手にはホテルと屋敷の塀が並び、緑が多く全くといって良いほど車とも人とも会わない静かな坂道で、散策には持って来いのところでは と思います。
「冬青木坂」と書いて「モチノキザカ」と読むのは難読だが、坂途中に標柱があり、親切に (?) ローマ字と、外国観光客が多いのか英語でも分かるようになっています。
また、標柱の説明書きに、かつて坂の途中にあった武家屋敷に植えられていた古木が、モチノキであるということから名付けられた。などと記されています。
この冬青木坂は、結構急で3本のうち一番狭いとはいえ、車や人の通りが殆どなく緑が多く静かなので靖国神社の帰路などに、やや遠回りだが地下鉄・九段下駅へは下りとなるので通ってみては如何でしょう。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・九段下駅出入口7を出で九段北一丁目交差点を渡りそのまま北方に40m位進んだ左手が坂下です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 通った折は誰とも会いませんでした
- バリアフリー:
- 2.0
- 歩道と車道は区分されているが結構急な坂なので大変でしょう
- 見ごたえ:
- 3.5
- 途中にこれといったものはないが緑が多くとても静かなところです
-
投稿日 2018年03月07日
総合評価:3.5
北の丸公園から東京大神宮 (北) 方向への近道を通った折右手の角に、平屋と思うが素晴らしい建物のある広い屋敷を見掛けた。
門扉左手の大きな表札に「フィリピン大使館」とあり、覗いたが事務所らしき建物や人気もなく、どう見ても大使館には見えなかった。 後程分かったことだが、ここは大使館でなく大使館の公邸だった。
また、門扉右手には横文字とともに日本語のプレートがあり、フィリピン国立歴史委員会決議第1号により、フィリピン共和国の国家的歴史建造物に指定された 旨記されていた。
この建物が、フィリピン共和国の国家的歴史建造物 ということは分かったものの、日本の対応などに関しては何も見当たらず、ここに外国指定の国家的歴史建造物 があり、所有権の関係なのか日本の対応などが何もないようなのが、何故かなぁ~ と思ったところです。
この建物や広い屋敷は、歴史的にも貴重なものと思うので、国内外などに拘らず、公開などして欲しいと思うところです。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄・九段下駅出入口7を出て直ぐの九段北一丁目交差点の次を左折し細い坂道 (冬青木坂) を上がりきった右手角で歩いて3分位のところです。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 通り掛かった折は誰とも会いませんでした
- バリアフリー:
- 2.0
- この屋敷があるところは坂上なのでここまで来るのが大変でしょう
- 見ごたえ:
- 3.5
- 門扉の外から覗いただけでも立派な建物と広い屋敷の様子が分かります
-
投稿日 2018年03月05日
総合評価:3.5
千代田区富士見一丁目にあるここ東京ルーテルセンタービルは、昭和12年 (1937) に日本神学校として建てられ、既に80年が経過しているもののそうとは思えない綺麗な建物です。
白いコンクリート造りの4階建てで塔屋に十字架が見え、全体的にシンプルだがよく見ると細部にアーチやドームなどのデザインを取り入れた外観は素晴らしく、近くを通っただけでも直ぐ気付く と思います。
内部が見れないのが残念だが、中庭を取り込んで礼拝堂が通りに面している とのこと。 内装ともども外観と同じようにシンプルながら素晴らしいことと思い、機会があれば見てみたいと思うところです。
この建物は、築50年以上、景観づくりに重要、できるだけ建築当時の状態、外観が容易に分かる ことなどで東京都の歴史的建造物に選定されています。
現在90件程選定されている中の一つなので、東京大神宮なと近くに来られた折は、ここまで足を延ばしてご覧になることをお勧めしたいです。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄・飯田橋駅が一番近いと思うがほぼ南方向に歩いて5分位のところです
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 通り掛かった折数人の方と出会った位でした
- バリアフリー:
- 3.5
- 前の通りがやや坂道で建物の前には段差があるので気を付けましょう
- 見ごたえ:
- 3.5
- 白いコンクリート造りの4階建てで塔屋に十字架が見える綺麗な建物です
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投稿日 2018年03月05日
総合評価:4.0
ここ東京大神宮は、明治天皇のご裁断を仰ぎ 東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年 (1880) に創建された由緒ある神社だが、今はむしろ、、縁結びの神様 としての方がよく知られているのでは と思います。
そのためでしょう、若い女性が非常に多く、JR飯田橋駅方面から来られる方が殆どのように見受けます。
JR飯田橋駅方面からだと、確か社号標がなかったように思うので、今回も地下鉄・九段下駅から目白通り経由でお詣りに行った次第です。
理由は簡単で、目白通りから大神宮通りに入るところに大きな社号標が建ち、これから大神宮にお詣りに行くんだ という気分になれるからです。 (自己満足でしょうが)
そして、帰りに赤福を食べるのを楽しみにしているところです。
お詣りが目的か、赤福を食べるのが目的かはさておき、時折訪ね若い方々とお詣りするのも良いものなのでお勧めのところです。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR飯田橋駅からは歩いて4分位でしょうが地下鉄・九段下駅からは歩いて7,8分掛かります
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 大混雑ではないが結構混んでいました (赤福のところは空いていました)
- バリアフリー:
- 2.0
- 正面からは石段があり迂回も出来るがやや遠回りの坂道です
- 見ごたえ:
- 4.0
- 境内は広くはないが厳粛さを感じるところです
-
投稿日 2018年03月05日
総合評価:3.5
千代田区の飯田橋と三崎町の間を流れる日本橋川に、半世紀強振りに再建された地域住民願望の歩行者専用橋で、地域や近隣の会社員の方々には非常に便利になっていること と思います。
平成13 (2001) 年12月竣工なので未だ新しく橋桁がピンクの綺麗な橋で、地域住民の長年の願望が叶い、この立派な橋が再建されさぞ喜んでいることでしょう。
この橋は、両側の構造とともに雰囲気も違っているのが、何とも言えない感じがするところです。
橋の飯田橋 (西) 側は、再開発されて間もないので超高層ビルとともに綺麗な街並みで、三崎町 (東) 側は、出版社や倉庫などが並び人通りも少なく極普通の静かな町並みです。
また、道路面の高さが違うので橋の取付部も、飯田橋 (西) 側は、ほぼ平坦で歩道になっているが、三崎町 (東) 側は、階段を下りると車道なのでガードパイプが付いているとともに、階段にはスロープが付いているので安心です。
三崎町 (東) 側には、「あいあい橋の由来」のプレートがあり、橋の経緯や橋名の訳などが記されているのでとても参考になります。
なお行き方だが、JR水道橋駅西口のほぼ南側なので、駅の西 (飯田橋) 側の日本橋川に架かる新三崎橋の手前を左折しても行けるが、渡ってからの方が遊歩道があるのでこちらがお勧めです。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- JR水道橋駅西口を出て飯田橋駅 (西) 方向に歩いて1分強のところにある橋を渡り左折して遊歩道を2分強進んだ左手が橋の飯田橋 (西) 側です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折たまに出会う位で一寸寂しく思いました
- バリアフリー:
- 3.5
- 橋の取付部に階段があるがスロープが付いているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 橋桁や親柱など綺麗な橋で春には遊歩道の桜花とマッチし素晴らしい眺めになることと思います
-
配置は出土状況を再現とのことだがどう見ても分からないのですが・・・・
投稿日 2018年03月04日
総合評価:3.0
千代田区役所の前庭の一画に、説明板とともに礎石が並べてあり説明板を見ると概要だが
ここに設置した石は、平成16年の遺跡発掘調査で分かった米蔵の礎石の一部で、配置は出土状況を再現している。
礎石の配列から、二棟の東西に長い建物で 云々 。
とあり、礎石出土状況や復元模型などの写真も載っているものの、ここにある石はどう見ても説明板のようには思えずよく分からないのですが・・・・。
配置は出土状況を再現 などとせずに、単に 礎石の一部 とでもすれば、悩まなくて済むのにぃ~ と思った次第です。
場所が、区役所の前庭のうえ竹を配した非常に良いところなので、また、配置 (展示) の御苦労は分からないでもないが、もう一工夫して欲しいと思うところです。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 北の丸公園北側の九段下交差点から南東方向への内堀通りを歩いて3,4分行った左手・清水門正面の高いビルが千代田区役所です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折区役所のエントランスホールには結構居るが礎石を見ている人は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 通路はよく整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 2.5
- 配置してあるところが狭く説明板がないと礎石とは気が付かないのでは と思います
-
投稿日 2018年03月04日
総合評価:3.5
千代田区役所の前庭の一画に、早稲田大学の創立者である「大隈重信候 雉子橋邸跡」の記念碑が建ててあります。
この記念碑は、早稲田大学と千代田稲門会が創立125周年を記念して、2007(平成19) 年10月付のもので、早稲田大学らしく大隈講堂の時計塔を模したかなり背の高い立派な石碑です。
碑文には、明治新政府に出仕し、種々歴任などして近代国家の基礎作りに貢献した とか、1876 (明治9) 年10月から1884 (明治17) 年3月まで、この雉子橋邸宅に住み、早稲田大学の前身校の開校事務も行った ことなどが刻まれています。
ところで、ここ千代田区役所の建物は、2007 (平成19) 年2月の竣工と聞いているが、この年の10月に早稲田大学が創立125周年とは、たまたまなのか分かっていたことなのか興味が湧いてくるところです。- 旅行時期
- 2018年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 北の丸公園北側の九段下交差点から南東方向への内堀通りを歩いて3,4分行った左手・清水門正面の高いビルが千代田区役所です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折区役所のエントランスホールには結構居るが石碑を見ている人は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 通路はよく整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 大隈講堂の時計塔を模したかなり背の高い立派な記念碑です
-
坂名は半分 (五合) の半分 (五合) が二合半 だからのようです
投稿日 2018年03月04日
総合評価:3.0
北の丸公園から東京大神宮 (北) 方向への近道なので通った折、下り坂途中の歩道沿いの「二合半坂」との標柱に気が付いた。
説明書きを見ると概要だが
江戸時代、この坂の上からは日光山の半分を眺めることができた。
この坂から見える日光山は富士山の約半分、すなわち五合の高さで、その日光山の半分が眺められるので、二合半と名付けられたといわれている。
とのこと。
半分 (五合) の半分 (五合) で二合半 とはよく考えたものだ と感心するとともに、この坂からは方角的に富士山が見えないものの、日光山の高さを富士山を基準にしているのが、当時の富士山への憧れの表れでは と思います。
なお、坂途中だがこの標柱のところから坂下を見たが、霞んでいたためか高い建物があるためか分からないが、山らしきものは見えませんでした。
この坂は、上の方や途中はそれ程急ではないが、下の方は結構急なので上がるのには大変では と思います。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 坂下までは地下鉄・飯田橋駅が一番近いと思うが南東方向に歩いて5分位のところです
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 通り掛かった折一人二人の生徒と出会った位でした
- バリアフリー:
- 2.0
- 坂上や途中はまぁまぁだが坂下は結構急なので大変でしょう
- 見ごたえ:
- 3.0
- 坂下や両側にこれといったものが見えない人通りの殆どない普通の坂では と思います
-
投稿日 2018年03月04日
総合評価:3.5
千代田区富士見一丁目にある二合半坂を上り始めて直ぐの左手にある児童公園です。
結構急な坂沿いなので二段になっていて、上の方にはブランコが、下の方には砂場があり、感心したのは段差を活用しての近代的な (?) 螺旋形をしたトンネル滑り台などがあることです。
小ぢんまりした公園だが、これなら児童が喜ぶこと間違いなし と思います。
更に、少ないがベンチあり時計ありトイレもあるので、児童には申し訳ないが大人が一休みするのにも良いところです。
特に夏場など結構急な坂を上がる折などに、大人には好都合のところに間違いなし と思います。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄・飯田橋駅が一番近いと思うが南東方向に歩いて5,6分のところです
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 立ち寄った折は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 2.5
- 園内は平坦なので良いが結構急な坂途中なのでここに来るのが大変でしょう
- 見ごたえ:
- 3.5
- 小ぢんまりしているが遊具など結構揃っていてなかなか良い児童公園です
-
非常に手作り感がし大切にされていることが分かる綺麗な稲荷神社です
投稿日 2018年02月28日
総合評価:4.0
九段下交差点方面から東京大神宮にお詣りに行く折、目白通りから分かれて大神宮通りを歩いていると左手のビルの間の奥に赤い幟旗が見えたので、私有地と思ったが誰もいなかったこともあり入ってみることにした。
ビル間の狭い階段 (参道?) を上がると白菊稲荷神社があり、赤い幟旗とともに落葉など一つもなくよく掃除された綺麗な境内だった。
境内は非常に狭く、鳥居前にはビル壁が、社殿の左手には高い擁壁が迫り、奥の直ぐが高いビル脇なので祭礼の時などは大変だろう と思うところです。
出入口の扉や社殿の柱に、ラミネート加工された簡素な縁起やお稲荷さんとキツネの説明書きが取り付けられていて、非常に手作り感がし大切にされていることが窺えます。
なお、この縁起によると
大正15年 (1926)、地域の発展・繁栄のため有志200余名と相計い京都 伏見稲荷のご分霊を相受け御祀り奉り、白菊稲荷として現在の場所に鎮座せられました。
御紋章は水穂の國の稲穂を飾り、守護神となす。
とのこと。
神社名の白菊や場所の由来などが分からずやや残念だが、非常に親しみを感じる縁起の表示の仕方などからして、きっと地域の発展・繁栄をもたらしていること と思います。
場所が、私有地と思われるのでお勧めしていいか迷うが、機会があればお詣りしては如何でしょう。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 目白通りから分かれて東京大神宮への大神宮通りに入り1分弱行った変則な十字路の左手ビルの右手奥です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 立ち寄った折は誰とも会いませんでした
- バリアフリー:
- 2.0
- 10数段の石段があるので大変でしょう
- 見ごたえ:
- 4.0
- 小ぢんまりしたところだが非常によく手入れされ綺麗で大切にされていることが窺えます
-
投稿日 2018年02月28日
総合評価:3.5
千代田区飯田橋1,4と2,3丁目の間を走る目白通りは、「飯田橋散歩路」と言い歴史の標柱が13ヶ所あり、飯田橋の歴史的な遺産を紹介している とのことなので回ってみることにした。
その一つがここ「徽章業発祥の地」で、九段下交差点から左手 (西側) 歩道をJR飯田橋駅 (北) 方向に5分位進んだ東京大神宮への大神宮通り出入口角の目白通りの車道側に標柱が建ててあります。
その標柱の説明書きによると概要だが
この奥、大神宮通りに向かって左側に明治18年 (1885) 日本帝国徽章商会が創られ、これが民間の徽章業のはじめで、現在の徽章業の方々の大多数はこの商会の流れを汲み、徽章業は飯田町の日本帝国徽章商会から生まれた といわれている。
そして現在もこのあたりは徽章業に従事する人が沢山いる。
とのこと。
大神宮通りを歩いてもこれといったものが見当たらず町の様子は変わってしまっただろうけど、かつての日本帝国徽章商会の流れを汲む方々が、今も沢山いるということは素晴らしいことでは と思います。
場所が、目白通りから東京大神宮への大神宮通り出入口角なので、お詣りの折などにこの「徽章業発祥の地」の標柱も忘れずにご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 九段下交差点から左手(西側)歩道をJR飯田橋駅(北)方向に5分位進んだ乃至JR飯田橋駅からだと徒歩7分位の東京大神宮参道入口角の車道側です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 訪ねた折近くを通る人はいるものの見る人は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 歩道はよく整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 標柱が東京大神宮への大神宮通りの出入口角に建ててあり目立つとともに一つの目印になります
-
かつてここには乳牛が4,50頭もいる牧場があった とのことです
投稿日 2018年02月28日
総合評価:3.5
千代田区飯田橋1,4と2,3丁目の間を走る目白通りは、「飯田橋散歩路」と言い歴史の標柱が13ヶ所あり、飯田橋の歴史的な遺産を紹介している とのことなので回ってみることにした。
その一つがここ「北辰社牧場跡」で、九段下交差点から左手 (西側) 歩道をJR飯田橋駅 (北) 方向に4分半位進んだ右手の車道側に標柱が建ててあります。
その標柱の説明書きによると概要だが
榎本武揚は明治の始め、北辰社牧場をここに開き、最盛期には乳牛が4,50頭もいて新しい飲物、牛乳を提供していた。
とのこと。
また、榎本武揚は、幕府からオランダ留学を命じられ、当時のヨーロッパ事情や法律、化学などを広く習得し、幕府瓦解後、一時捕らわれの身になるが、新知識を惜しまれ新政府では幾多の要職を歴任した。 ことなども刻まれています。
榎本武揚といえば、確か、JR飯田橋駅近くに建つ「東京農業大学開校の地」の標柱にも名が挙がっていることを思い出し、幕末から明治にかけて非常に活躍された方だった ことが分かります。
それはそれとして、今この標柱の周りを見渡してもビルまたビルで、乳牛が4,50頭もいる牧場があったなどとても想像できないが、100数十年前には、ここ飯田橋周辺はきっとのどかなところだったのだろう と思います。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 九段下交差点から左手 (西側) 歩道をJR飯田橋駅 (北) 方向に4分半位進んだ乃至JR飯田橋駅からだと歩いて7分半位の車道側です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折近くを通る人は殆どおらず況してや見る人は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 歩道はよく整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 今標柱の周りはビルまたビルだが100数十年前にはこの辺りは大牧場だったことを思いながら見渡すとまた違う感じがしてきます
-
標柱があると思ったところに見当たりませんでした
投稿日 2018年02月27日
総合評価:2.0
千代田区飯田橋1,4と2,3丁目の間を走る目白通りは、「飯田橋散歩路」と言い歴史の標柱が13ヶ所あり、飯田橋の歴史的な遺産を紹介している とのことなので回ってみることにした。
その一つの「東京女子医科大学発祥の地」の標柱だが、建ててあると思ったところに行ってみたが、それらしきものはなく、場所を間違えたかと思い探したが見当たりませんでした。
何時からか分からないが、付近は工事中らしく移動か撤去されているのだろう と思い残念だが諦めました。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2018年02月27日
総合評価:3.5
千代田区飯田橋1,4と2,3丁目の間を走る目白通りは、「飯田橋散歩路」と言い歴史の標柱が13ヶ所あり、飯田橋の歴史的な遺産を紹介している とのことなので回ってみることにした。
その一つがここ「台所町跡」で、九段下交差点から右手 (東側) 歩道をJR飯田橋駅 (北) 方向に4分位進んだ飯田橋一丁目交差点を渡ったところの植込みの脇に標柱が建ててあります。
この植込みだが、交差点角とはいえ非常に広くその中央に花がありツツジで囲まれとても綺麗で、見ているとホッとするところです。
その標柱の説明書きによると概要だが
江戸の初めから元禄の頃まで、飯田町紙流通センターの所に江戸城の台所衆の組屋敷があり、その後大名や旗本の屋敷に移り変わったが、なお付近は台所町の名が残った。
とのこと。
ここでいう飯田町紙流通センターの所が分からないので何とも言えないが、標柱が建ててあるこの辺りがかつての台所町だったのだろうし、名は残っているものの当時の様子が分からないのが残念に思います。
ところで、13ヶ所の標柱を回っていて、今のところこの標柱が雰囲気の非常に良いところに建ててあると思います。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 九段下交差点から右手(東側)歩道をJR飯田橋駅(北)方向に4分位進んだ乃至JR飯田橋駅からだと徒歩8分位の飯田橋一丁目交差点の植込みの脇です
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 訪ねた折近くを通る人はいるものの見る人は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 歩道はよく整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 標柱がとても綺麗な植込み脇にあるものの当時の様子が分からないのが残念です
-
投稿日 2018年02月27日
総合評価:3.5
千代田区飯田橋1,4と2,3丁目の間を走る目白通りは、「飯田橋散歩路」と言い歴史の標柱が13ヶ所あり、飯田橋の歴史的な遺産を紹介している とのことなので回ってみることにした。
その一つがここ「歴史のプロムナード」で、JR飯田橋駅と九段下交差点の丁度中間辺りの東側歩道の車道側に標柱が建ててあります。
その標柱の説明書きによると概略だが
昔々、縄文時代の頃、このあたりは波の打ち寄せる入り江だったが、海が後退し葦の生い茂る広い湿地となり、徳川家康が江戸に来て大規模な築城工事が行われ、このあたりは湿地から旗本屋敷にかわった。
その後、町人の町よとして賑わい、一時大変さびれたが現在のようなビル街に変わった。
とのこと。
このあたりはかつて波の打ち寄せる入江だった とは、今は全く想像できない程変わり賑やかなところになっていて、家康が江戸に来たことが、ここ飯田橋など今日の東京の繁栄の礎となっているのか と感心します。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR飯田橋駅と九段下交差点の丁度中間辺りの東側の歩道に建ててあるので何方からも歩いて6分位のところです
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折近くを通る人は殆どおらず況してや見る人は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 歩道がよく整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.5
- 「飯田橋商店街振興組合」と標柱に載っていることからもその意気込みを感じます
-
投稿日 2018年02月27日
総合評価:3.0
千代田区飯田橋1,4と2,3丁目の間を走る目白通りは、「飯田橋散歩路」と言い歴史の標柱が13ヶ所あり、飯田橋の歴史的な遺産を紹介している とのことなので回ってみることにした。
その一つがここ「新徴組屯所跡」で、JR飯田橋駅東口を出て右手にそのまま進み目白通りの右手 (西側) 歩道を4分半位進んだ飯田橋二丁目交差点を渡った左手角に標柱が建ててあります。
その標柱の説明書きを見て分かったのは、新徴組がここの武家屋敷を屯所として幕末の江戸の警備に当たったことと、新徴組の大まかな顛末 位でした。
他は、幕末における浪士組とか新徴組、新撰組などと名が載っているものの、歴史に疎いためかその関連が今一ピンとこなかったです。
それはともあれ、ここ飯田橋の歴史的な遺産を紹介している標柱なので、他の標柱と併せてご覧になっては如何でしょう。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR飯田橋駅東口を出て右手にそのまま進み目白通りの右手 (西側) 歩道を4分半位進んだ飯田橋二丁目交差点を渡った左手角です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折近くを通る人は殆どおらず況してや見る人は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 歩道は整備されているので大丈夫でしょう
- 見ごたえ:
- 3.0
- 歴史に疎いためか少々難しく感じる説明書きです
-
投稿日 2018年02月25日
総合評価:3.0
千代田区飯田橋1,4と2,3丁目の間を走る目白通りは、「飯田橋散歩路」と言い歴史の標柱が13ヶ所あり、飯田橋の歴史的な遺産を紹介している とのことなので回ってみることにした。
その一つがここ「甲武鉄道飯田町駅」の標柱で、JR飯田橋駅東口を出て右手の目白通りの左手 (東側) 歩道を4分半位、又は地下鉄・飯田橋駅出入口A5を出て左手に1分半位進んだ飯田橋二丁目交差点手前の右手角に建ててあります。
その標柱の説明書きによると概要だが
明治22年 (1889) 新宿‐八王子間に甲武鉄道が開業、同28年 (1895) 飯田町駅が開業し現在の中央線の始発駅となり、同37年 (1904) 我が国で初めて飯田町‐中野間で電車を運転、同39年 (1906) 国有化され、昭和8年 (1933) 飯田町駅は貨物専用駅になった。
この奥のホテルエドモントが旧駅構内で、改札口は小石川橋側にあった。
とのこと。
ここには標柱のみで他に何もないので、奥 (北東方向) の再開発地にあるホテルメトロポリタンエドモント前 (北側で小石川橋側) に行ってみると、そこに線路はあったが説明書きなどが見当たらず、かつての線路が保存されているのかどうかなど分からないのが残念でした。
この標柱が建ててあるところは、どうも飯田町駅から離れているようで、再開発地の線路がある辺りが、旧駅前では と思うのでそこに標柱がある方が良いのではないのかなぁ~ と感じた次第です。
まぁ 人通りの多いメイン道路である目白通り沿いに建て、多くの人に見てもらおうとする気持ちは分からないこともないのですが・・・・。
この標柱を訪ねた折は、奥のホテル前まで歩いて2分少々なので併せて線路もご覧になることをお勧めしたいです。- 旅行時期
- 2018年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- JR飯田橋駅東口を出て右手の目白通りの左手 (東側) 歩道を4分半位進んだ飯田橋二丁目交差点手前の右手角です
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 訪ねた折近くを通る人は殆どおらず況してや見る人は誰もいませんでした
- バリアフリー:
- 4.0
- 歩道はよく整備されているので大丈夫です
- 見ごたえ:
- 3.0
- 旧駅構内近くに写真付きの説明板などあればより良いのですが・・・・




































































