はちのすけさんのクチコミ(5ページ)全3,564件
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投稿日 2025年02月23日
総合評価:3.5
奥山線は1914(大正4)年に開業した遠州鉄道の鉄道路線で、1964(昭和39)年に閉業した。約26キロの路線のうち市街地の3キロは奥山線跡遊歩道と整備されているが、交通量の多い国道257号を横断するための地下道として改修されたのが亀山トンネル跡だ。約70メートルで、幅は広くないが、美しくレンガ舗装され、明るいトンネルだ。入り口には歴史が紹介されており、走る機関車の煙突がラッキョウに似ていることからラッキョウ軽便の愛称で親しまれたーなどの写真が飾られている。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2025年02月23日
総合評価:3.0
浜松の人々にとって三方ケ原の戦いの舞台は三方ケ原ではなく、犀ケ崖なのかもしれない。三方ケ原には石碑と説明板しかないが、犀ケ崖には資料館のほか、三方ケ原で戦死した重臣の本多忠真、家康の身代わりとなって敵中に突入した夏目吉信の石碑が建立されている。惨敗した三方ケ原よりも、武田軍に一泡吹かせた犀ケ崖の出来事を後世に強調したいのではないかと思った。戦場の跡はあまりなく、武田軍を追い落とした崖が残されていた。ここにある理由はわからなかったが、ねずみ小僧次郎吉の供養塔が一角に建立されている。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2025年02月23日
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投稿日 2025年02月22日
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投稿日 2025年02月22日
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投稿日 2025年02月22日
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投稿日 2025年02月22日
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投稿日 2025年02月21日
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投稿日 2025年02月21日
総合評価:3.0
浜松城公園の東側にある引間城跡。その城跡に祭られた神社が元城町東照宮だ。引間城は遠江制圧に欠かせない拠点で、家康はここを攻め落としたことで三河一国の大名から大大名への一歩を踏み出した。この城を西側に大きく広げて築城されたのが、浜松城だ。明治維新後に旧幕臣が東照宮として建立し、その後、地域の神社として親しまれている。引間城には豊臣秀吉の伝説も残されており、家康の没後400年を記念して2015年に二人の像が建てられ、パワースポットとして人気だ。二人の像の間に立って、記念写真が撮れる。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2025年02月20日
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投稿日 2025年02月17日
総合評価:3.0
三河から浜松に移ってきた家康の命で1568(永禄11)年に創建された。転封したばかりの家康が、領民の人気を得るために建立したのだろうか。当時は東海道の引間宿がある場所で、経済的に栄えていた。神社名の分器はこの辺りの古い地名。分器は量りの意味で、一説には量りにかかわりのある役所や蔵があったことからこの名が付いたとされる。1604(慶長9)年には社殿が建立されたが、太平洋戦争満期の空襲で焼失した。門前には本多忠勝屋敷跡の碑もあり、この辺りが武家屋敷だったことを示している。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2025年02月16日
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投稿日 2025年02月16日
総合評価:3.0
五社神社・諏訪神社の北隣にあるお寺。五社神社は秀忠の産土神として家康が勧請した神社だが、心造寺は秀忠の母親(家康の側室)の発願で開創されたお寺だ。五社神社は参拝者が多くにぎやかな場所だが、心造寺は一転して静かな場所だ。手引観音霊場の石碑があるが、手引観音は安産・縁結びのご利益があるとされる。
浜松には家康関連の観光地が多いが、秀忠ゆかりの場所もある。このお寺もそうだが、ここからそう遠くない遠州電鉄の遠州病院駅の近くに秀忠産湯の井戸の跡がある。「秀忠の散歩道」ができそうだ。- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2025年02月16日
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投稿日 2025年02月16日
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投稿日 2025年02月16日
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投稿日 2025年02月16日
総合評価:3.0
三方ケ原の戦いから浜松城に逃げ帰った家康が鎧を脱いで松に掛けたとする伝説がある松だ。一息ついた場所という意味なのだろう。
ところで、武将が松に鎧を掛ける<伝説>は各地にある。熊谷直実は金戒光明寺の松に鎧を掛けて出家した。江戸百景には源義家が奥州平定の際に鎧を掛けた松が描かれている。四天王寺には義経が鎧を掛けた松がある。鎧ではないが、羽衣伝説で天女は松に羽衣を掛けた。思うに、神聖な鎧を掛けるにはやはり神聖な松の木でなければならないのだろう。松が日本文化に根付き、あちこちに植えられていることもある。さらに、城に植える松は修景だけでなく非常時の食料としても役立つ実用性があった。城と松はセットであることから、城に帰着したエピソードとして鎧賭けの松が登場するのだろうか。- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2025年02月15日
総合評価:3.5
1月三連休初日、11日に参拝したが、初もうで客が結構多くて驚いた。市民から親しまれているのだろう。五社神社と諏訪神社はこの地に隣接して建っていたが、第二次世界大戦末期の空襲で社殿が焼失した。戦後、二つの神社は合併して一つの法人となり、昭和50年代に社殿が再建された。二つの神社の社殿は焼失前に国宝に指定されており、威容を誇っていたという。ただ、再建された朱塗りの社殿も威厳あるもので、多くの参拝客の信仰を集めている。HPに詳しく特集されているが、境内のあちこちに焼失前から残る遺構があり、それを見るのも楽しみだ。印象に残ったのは狛犬。高く、大きい。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2025年02月14日
総合評価:3.0
浜松駅北口に出ると、今度はモザイクカルチャーの「出世大名家康くん」が。モザイクカルチャーは園芸アートの一種で、あらかじめ構築された金属フレームの像に多種多様な草花をデザイン通りに植え込んで作る。モチーフは人、動物、風景などのほか、二次元の緑花床で景観を創造することも。すぐそばの看板に「浜松はモザイクカルチャー発祥の地」とあるが、2009年にモザイカルチャー世界博が浜松市で国内初開催されたことによるものだろう。訪れた時は冬だったので花は咲いておらず「家康くん」は緑一色だったが、四季折々に咲く花によって色が違うのだろうか。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2025年02月14日
総合評価:3.0
浜松駅駅南口近くにある。小ぶりだが、観光情報がうまくまとめてあり、なかなか便利だ。浜松市には爆発的に人を集める観光地はないかもしれないが、周辺情報を知れば興味がわくような〝内省型観光地〟が多いような気がしており、センターの果たす役割は大きい。浜松市の市制100周年記念マスコットとして2011年に制定された「出世大名家康くん」の黄金像が置いてあった。ちょんまげはウナギ、羽織の紋はミカン 、袴はピアノだ。こののち浜松を旅すると、あちこちで見かけることになる。
- 旅行時期
- 2025年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0

















































