はちのすけさんのクチコミ(137ページ)全3,564件
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投稿日 2019年04月12日
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投稿日 2019年04月12日
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投稿日 2019年04月12日
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投稿日 2019年04月12日
総合評価:3.0
今ある旭桜は二代目だという。初代は藩政期に大木のヤマザクラを加賀藩の家老が献上して移植されたものだという。見事な枝ぶりだったらしく、昭和初期に枯れるまではこの桜が兼六園を代表する景観だったという。その後、ひこばえが大きく成長し、現在の二代目に就任した。DNAは一緒なのだから、初代でもいいような気がするのだが。訪れたのが紅葉の時期で花見はできなかったのは残念。現在は通行できない雁行橋とのコンビが兼六園の象徴だっただけに、こちらのコンビ復活も望みたい。
- 旅行時期
- 2018年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
- 花見の時期ではなかった
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投稿日 2019年04月12日
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投稿日 2019年04月12日
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投稿日 2019年04月11日
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投稿日 2019年04月08日
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投稿日 2019年04月08日
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投稿日 2019年04月08日
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投稿日 2019年04月08日
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投稿日 2019年04月08日
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投稿日 2019年04月08日
総合評価:3.0
小杉一笑は江戸前期の俳人で、松尾芭蕉に師事。36歳で早世し、ここ願念寺に葬られている。「奥の細道」の 途上で、一笑の死を知った芭蕉は金沢で追善句会を催した。その時に詠んだ芭蕉の句「塚も動け 我が泣く声は 秋の風」の石碑が山門横に立っている。忍者寺と呼ばれる妙立寺横からにし茶屋街に向かう細い道をたどっていくと、このお寺の門前に出る。境内には子孫が建立した一笑の句碑もあった。とても静かなお寺だ。忍者寺の喧騒に少し疲れたので、気持ちがいい静けさだ。
- 旅行時期
- 2018年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- にし茶屋街に行く道すがら
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 静かでよい
- 見ごたえ:
- 3.0
- 芭蕉の句は胸を打つ
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投稿日 2019年04月08日
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投稿日 2019年04月08日
総合評価:3.0
寺町寺院群の中にあるお寺だ。「国指定重要文化財拝観所」の看板が門に掛かる。今でいう金山師の芋堀藤五郎が金で築いた富でこの伏見寺を建立。この地にいた行基が開眼法要を行ったことで、行基山を名乗るようになったという。籐五郎は兼六園にある金城霊沢でも聞く名前だ。籐五郎は掘り出した砂金を金城霊沢で洗っており、後年、その名を縮めて「金沢」の地名が付いたという。ここに立ち寄る前に兼六園で金城霊沢の説明を見聞していたので話がつながった。山門をくぐってすぐところに籐五郎の墓がある。有料だが、重要文化財の阿弥陀如来像は必見だ。
- 旅行時期
- 2018年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 寺町寺院群のメインストリートにある
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 参拝客は少なかった
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年04月08日
総合評価:3.0
2018年の大河ドラマでもやったばかりだが、明治11年に不平士族が大久保利通を東京・紀尾井町で暗殺した「紀尾井坂の変」の首謀者が集まった場所がこの寺だそうだ。首謀者は石川県士族5人と島根県士族1人で、集会所にちなんで彼らは「三光寺派」と呼ばれた。また、仁王門は石製で、何と仁王像は石彫で表現してある。作者は住職とか。仁王さまといえばごつい感じだが、どことなくユーモラスな表情だ。寺町寺院群にあり、寄り付きやすい場所にある。
- 旅行時期
- 2018年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 寺町寺院群にあるので寄り付きがいい
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- あまり参拝客はいなかった
- 見ごたえ:
- 3.0
- 仁王像は必見だ
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投稿日 2019年04月08日
総合評価:3.0
泉鏡花の小説『義血侠血』にちなんだ像と碑が立てられている。場所は『河は長く流れて向山の松風静かに渡る処…』と描写されている浅野川沿いで、「鏡花のみち」と名付けられた散策路だ。像は主人公「滝の白糸」で、スイッチを操作すると像の扇子から水が噴き出て秀麗な女芸人の水芸を再現する仕掛けだ。思ったよりも噴き出すので、写真撮影時はぬれる覚悟を。
- 旅行時期
- 2018年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 浅野川沿いだが、ひがし茶屋街の反対側
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
- 水芸のからくりは旅の思い出
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投稿日 2019年04月08日
総合評価:3.0
五十間長屋から見下ろすような場所だ。ちょうど城内を一周し、最後に訪ねた。この場所は前田利家夫人のまつ(芳春院)がある時、白い鶴が郭に舞い下りているのを目撃し、前田家が繁栄する吉兆であると喜び、鶴ノ丸と名付けたとされる。再建した金沢城ならではだが、鶴の丸にある休憩所はとても快適であり、ここから見る五十間長屋はいい角度だ。
- 旅行時期
- 2018年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 城内を一周した最後に
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年04月06日
総合評価:3.0
惣構は城下町を囲い込んだ堀や土居などの防御施設を指す。秀吉が造った京都の御土居が典型的な例ではないか。金沢城には内、外二重の惣構が築かれたという。主計町緑水苑が整備された際に、かつて築かれた西内惣構の堀をわかるように整備。堀の幅をこれまでの約2メートルから、藩政期当時に合わせて約10メートルに拡大し、土居を復元。江戸時代の規模に近づけたという。現地はポケットパーク的な雰囲気だが、防御施設の断面があるというのはここが城下町だと改めて実感させる。
- 旅行時期
- 2018年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 主計町茶屋街にある
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年04月06日
























