山城国分寺跡・恭仁京跡
名所・史跡
3.31
山城国分寺跡・恭仁京跡 クチコミ・アクセス・周辺情報
木津・加茂 観光 満足度ランキング 6位
クチコミ・評判
3.31
(18件のクチコミ)- アクセス:
- 3.54
- 車なら問題なし。 by しにあの旅人さん
- 人混みの少なさ:
- 4.15
- 2回とも観光客には会いませんでした。 by しにあの旅人さん
- バリアフリー:
- 3.21
- 見ごたえ:
- 3.47
- 石ころ一つに歴史を感じる方には最高です。 by しにあの旅人さん
1~17件(全18件中)
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恭仁京跡、山城国分寺跡、駐車場
- 5.0
- 旅行時期:2021/07(約4年前)
- 1
20年11月、21年7月の2回いきました。
国分寺跡の道路脇に縦に数台分の駐車スペースがあります。下記ブログのドローンを... 続きを読む飛ばした位置の青丸近くです。
赤丸近くにもスペースがありました。
すぐ近くの「くにのみや学習館」に駐車場があります。学習館の見学をかねてここに車をおくのがよいでしょう。
学習館は私たちが行ったときは2回とも閉まっていました。
石ころ一つに1300年の歴史を感じます。かつてここら辺りを聖武天皇、光明皇后、若き日の大伴家持が歩いておりました。
車が便利です。JR加茂駅から徒歩30分。加茂駅から和束町行きのバス(66系統)が1時間に1本くらい出ているようです。岡崎バス停から徒歩7分だそうです。 閉じる投稿日:2021/12/07
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くにのみや学習館
- 3.0
- 旅行時期:2019/06(約7年前)
- 0
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礎石とアートイベントの融合が見られた「山城国分寺跡と恭仁宮跡」
- 3.5
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
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約5年間都が置かれた地
- 3.0
- 旅行時期:2018/11(約7年前)
- 0
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恭仁京・山城国分寺跡に行きました
- 3.5
- 旅行時期:2017/10(約8年前)
- 0
JR奈良線棚倉駅から,三上山山頂(473.3M)を経由して3時間30分、恭仁京・山城国分寺跡に着きました。恭仁京は奈良時代... 続きを読む、聖武天皇が世情不安を打開するために、平城京から遷都しましたが、5年後には廃都となりました。その後は山城国分寺に再利用されました。現在は一部礎石が残っているのみで、説明版と石碑があるのみです。説明版と石碑が無いと、とても昔、都や国分寺あったとは想像できない場所でした。跡の所々にコスモスが植えてあり、満開で綺麗でした
山歩き 京都府木津市 三上山(標高473.3M)標高差430 M 全行程 3時間58分 棚倉駅~(55分) 平尾分岐~(45分)三上山山頂~(1時間24分)恭仁京・山城国分寺跡~(28分)加茂駅
「日時」2017年10月8日 快晴
「アクセス」JR奈良線棚倉駅
閉じる投稿日:2018/10/05
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三上山登山の帰りに恭仁京跡に寄りました
- 3.5
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
- 1
JR奈良線棚倉駅から,山頂手前の急登りを除いて、歩き易い「かいがけの道」登山道を登って1時間40分、三上山山頂(473.3... 続きを読むM)に到着。展望台があり加茂、木津市街が見える。下山は海住山寺、加茂神社を経由して恭仁京・山城国分寺跡に寄りました。恭仁京は奈良時代、聖武天皇が平城京から5年と短い間でしたが、都を移した所で、一部礎石が残っているのみです。本日のコース、標高差は430M強、距離も12KMと長くなく、アップダウンも少なく、急登りも山頂手前の7~8程度で楽なコースであった。足慣らしに良いコースである。ただし売りの少ないコ-スである
山歩き 京都府木津川市 三上山(標高473.3M)標高差430 M 全行程 3時間58分 棚倉駅~(55分) 平尾分岐~(45分)三上山山頂~(1時間24分)恭仁京・山城国分寺跡~(28分)加茂駅
「日時」2017年10月8日 快晴
「アクセス」JR奈良線棚倉駅
閉じる投稿日:2018/09/02
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弁当でも食べてゆっくりしたいところ
- 3.5
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
- 0
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国の史跡
- 3.0
- 旅行時期:2016/10(約9年前)
- 0
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帝の気の迷いか、隠された真実があるのか「遷都」には
- 4.0
- 旅行時期:2015/12(約10年前)
- 0
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5年の都の地
- 3.0
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
- 0
-
奈良時代に一時的に都が置かれた場所
- 4.0
- 旅行時期:2014/08(約11年前)
- 0
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本当に跡です。
- 4.0
- 旅行時期:2014/02(約12年前)
- 0
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大きな礎石が
- 2.5
- 旅行時期:2014/01(約12年前)
- 0
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京都府木津川市加茂町にある「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」
- 3.5
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 2
恭仁京(くにきょう)は、奈良時代の一時期都が置かれた山背国相楽郡の地で現在の京都府木津川市加茂町にある。
1957年に「... 続きを読む山城国分寺跡」として、国の史跡に指定され2007年には指定名称が「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」に変更されている。740年聖武天皇の勅命により平城京から遷都され741年に左京右京が定められ、並行して大極殿が平城京から移築・宮殿が造られ条坊地割りが行われたが都としては完成しないまま743年にはこの京の造営は中止されている。聖武天皇は近江紫香楽宮に移り742年には近江国で宮の建設が始まり744年に難波京に遷都、745年に都は平城京に戻された。748年恭仁宮大極殿が山城国分寺に施入された。この時期には短期間に遷都が繰り返された。
恭仁宮は平城宮を簡略化した程度で、南北750m、東西560mの南北に長い長方形であった。朝堂院も平城宮より東西に幅が狭く、板塀で囲まれていた。
遷都後、宮城跡地は山城国分寺として再利用されることになり大極殿は金堂に転用され南北約330m東西約275mの広大な寺域を有していた。現在は広大な平原となっており、金堂(大極殿)礎石と七重塔礎石が地表にのこされている。
閉じる投稿日:2013/04/01
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奈良時代の一時期都が置かれた「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」
- 3.5
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 4
恭仁京(くにきょう)は、奈良時代の一時期都が置かれた山背国相楽郡の地で現在の京都府木津川市加茂町にある。
1957年に「... 続きを読む山城国分寺跡」として、国の史跡に指定され2007年には指定名称が「恭仁宮跡(山城国分寺跡)」に変更されている。740年聖武天皇の勅命により平城京から遷都され741年に左京右京が定められ、並行して大極殿が平城京から移築・宮殿が造られ条坊地割りが行われたが都としては完成しないまま743年にはこの京の造営は中止されている。聖武天皇は近江紫香楽宮に移り742年には近江国で宮の建設が始まり744年に難波京に遷都、745年に都は平城京に戻された。748年恭仁宮大極殿が山城国分寺に施入された。この時期には短期間に遷都が繰り返された。
恭仁宮は平城宮を簡略化した程度で、南北750m、東西560mの南北に長い長方形であった。朝堂院も平城宮より東西に幅が狭く、板塀で囲まれていた。
閉じる投稿日:2012/06/30
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聖武天皇の勅命により平城京から遷都
- 3.5
- 旅行時期:2012/04(約14年前)
- 0
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いにしえの都
- 4.0
- 旅行時期:2009/04(約17年前)
- 0
1件目~17件目を表示(全18件中)
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