福沢諭吉がこの地で蘭学塾の教師にしたことから慶応義塾の歴史は始まります。
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- 旅行時期:2024/01(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
築地 クチコミ:25件
「慶應義塾発祥の地記念碑」へのアクセスは、東京メトロ日比谷線「築地駅」の3b出口を出て、右折し、「聖ルカ通り」沿いに290mほど道なりに直進すると、「居留地中央通り」と「聖ルカ通り」の交差点のところにある三角州のスペースに「慶應義塾発祥の地記念碑」があります。
「慶應義塾発祥の地記念碑」が何故ここに建立されたかというと、幕末の頃にまで遡ります。実は、現在の地(築地鉄砲洲)に「福沢諭吉」の出身である「中津藩中屋敷」があり、安政5年(1858年)に「中津藩中屋敷」内の蘭学塾に「福沢諭吉」が教師に就任したことが、「慶應義塾」のルーツということで記念碑が建立されました。そして、慶應4年(1868年)に、蘭学塾を芝の新銭座(現在の港区浜松町付近)に移し、イギリスのパブリックスクールにならって近代的学塾として、当時の元号にちなんで、「慶應義塾」と命名しました。そして、明治4年(1871年)3月23日に三田に校舎を移転し、「三田の慶応義塾」の歴史が始まりました。「慶應義塾発祥の地記念碑」は、昭和33年(1958年)4月23日に「慶應義塾創立100周年」を記念して、「聖路加国際病院」敷地内に建立されましたが、中央区の道路整備に伴って現在地に移されました。特徴的な書籍型オブジェには、「学問のすすめ」の初編初版本の活字と同じ字型で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の文字が刻まれています。また、その隣には「蘭学の泉はここに」の碑も立っています。ちなみに、築地鉄砲洲の「中津藩中屋敷」は、藩医であった「前野良沢」が「解体新書」を翻訳した地でもあるそうです。
01_【「慶應義塾発祥の地記念碑」の一口メモ】
所在地…〒104-0044 東京都中央区明石町11-11
02_【「慶應義塾発祥の地記念碑」へのアクセス】
⑴ 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約4分290m
⑵ 東京メトロ有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩約6分450m
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.0
- 東京メトロ日比谷線「築地駅」3b出口から徒歩約4分290m
クチコミ投稿日:2024/02/04
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