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島根の観光といえば何を思い出すでしょうか。出雲大社や松江城に宍道湖・玉造温泉。足立美術館や森鴎外の津和野を思い出す人も多いと思います。一方で、出雲人にとって、島根の歴史を思う時、その誇りは、出雲風土記に伝承されている出雲神話の時代と大名・茶人であった風雅を愛する松平不昧公の時代の二つ。<br />これらを比較すると、人気の観光地はいずれも出雲人の誇りとなった時代にほぼ関係していて、これだけ外の県の人たちの関心と自分たちの誇りが一致しているのは、実はとても珍しいことなのではないか。いずれにしても、出雲を訪れる観光客は、意識するしないにかかわらず、基本的に出雲の歴史に魅力を感じ、それに引かれてやってきているように思うのです。<br /><br />ただ、そう考えると、もうひとつ忘れてならないのは出雲神話にも登場するヤマタノオロチとか、斐伊川の源流に息づいてきた鉄の文化。豊富な砂鉄が採れることで、たたらの鉄産業が生またわけですが、鉄の生産には大量の木炭が必要です。司馬遼太郎は、鉄の技術を持っていた一族は多分、朝鮮半島からここにやってきて、砂鉄に加え再生力が高くて豊富な森林資源に恵まれたこともあって、この地に土着したのではないかと主張します。<br /><br />石見銀山が世界遺産となり、最近はこっちが脚光を浴びることとなっていますが、島根県人にとっては、銀山なんかよりも砂鉄やたたらへのアイデンティティの方がずっと強い。さらには、斐伊川の上流、奥出雲といった地域へのリスペクトもまだそこそこ残っているように思います。<br /><br />ちょっと長くなりましたが、内外の関心がほぼ一致している島根県にあって、この砂鉄やたたらの文化だけが、地元では深く意識されているのに他県にはイマイチ知られていないというウイークポイント。このギャップを少しでも埋めれたらというのが今回の旅の思いです。さらに言えば、出雲は神話と現実の境目が曖昧模糊としていて、つまり、神話の世界が現実や今の時代につながっているようなリアリティーがある。同じ神話の国でも宮崎や常陸とは大きく異なっていて、その辺りも感じてもらうことができたらうれしく思います。 <br /> <br /><br /><br />

雲南から奥出雲、安来のたたら紀行~出雲の源流を訪ねる旅は、これこそが本物。島根の誇る鉄師御三家、田部家、櫻井家、絲原家を巡って、尼子もちょこっとおまけです~

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2017/05/27 - 2017/05/28

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たびたび

たびたびさん

島根の観光といえば何を思い出すでしょうか。出雲大社や松江城に宍道湖・玉造温泉。足立美術館や森鴎外の津和野を思い出す人も多いと思います。一方で、出雲人にとって、島根の歴史を思う時、その誇りは、出雲風土記に伝承されている出雲神話の時代と大名・茶人であった風雅を愛する松平不昧公の時代の二つ。
これらを比較すると、人気の観光地はいずれも出雲人の誇りとなった時代にほぼ関係していて、これだけ外の県の人たちの関心と自分たちの誇りが一致しているのは、実はとても珍しいことなのではないか。いずれにしても、出雲を訪れる観光客は、意識するしないにかかわらず、基本的に出雲の歴史に魅力を感じ、それに引かれてやってきているように思うのです。

ただ、そう考えると、もうひとつ忘れてならないのは出雲神話にも登場するヤマタノオロチとか、斐伊川の源流に息づいてきた鉄の文化。豊富な砂鉄が採れることで、たたらの鉄産業が生またわけですが、鉄の生産には大量の木炭が必要です。司馬遼太郎は、鉄の技術を持っていた一族は多分、朝鮮半島からここにやってきて、砂鉄に加え再生力が高くて豊富な森林資源に恵まれたこともあって、この地に土着したのではないかと主張します。

石見銀山が世界遺産となり、最近はこっちが脚光を浴びることとなっていますが、島根県人にとっては、銀山なんかよりも砂鉄やたたらへのアイデンティティの方がずっと強い。さらには、斐伊川の上流、奥出雲といった地域へのリスペクトもまだそこそこ残っているように思います。

ちょっと長くなりましたが、内外の関心がほぼ一致している島根県にあって、この砂鉄やたたらの文化だけが、地元では深く意識されているのに他県にはイマイチ知られていないというウイークポイント。このギャップを少しでも埋めれたらというのが今回の旅の思いです。さらに言えば、出雲は神話と現実の境目が曖昧模糊としていて、つまり、神話の世界が現実や今の時代につながっているようなリアリティーがある。同じ神話の国でも宮崎や常陸とは大きく異なっていて、その辺りも感じてもらうことができたらうれしく思います。 
 


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  • 出雲空港からレンタカーで。<br />まず向かったのは、加茂岩倉遺跡です。ここは、荒神谷遺跡と並んで、古代出雲のカギを解く遺跡。荒神谷遺跡は、銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個。これに対し、加茂岩倉遺跡は、銅鐸39個が出土して、これだけ大量の銅剣・銅鐸のが発見されたことは他の地域では例のないことです。<br />

    出雲空港からレンタカーで。
    まず向かったのは、加茂岩倉遺跡です。ここは、荒神谷遺跡と並んで、古代出雲のカギを解く遺跡。荒神谷遺跡は、銅剣358本、銅矛16本、銅鐸6個。これに対し、加茂岩倉遺跡は、銅鐸39個が出土して、これだけ大量の銅剣・銅鐸のが発見されたことは他の地域では例のないことです。

  • さて、駐車場から少し歩いて。遺跡はこの上です。

    さて、駐車場から少し歩いて。遺跡はこの上です。

  • 二つとも山の一部斜面を発掘したものであり、意外に規模は小さいんですね。

    二つとも山の一部斜面を発掘したものであり、意外に規模は小さいんですね。

  • この加茂岩倉遺跡も、頭の部分がちょこっと出ているだけでこじんまりした印象は否めません。

    イチオシ

    この加茂岩倉遺跡も、頭の部分がちょこっと出ているだけでこじんまりした印象は否めません。

  • 華々しい出土品ですが、見ようによっては、無造作にかためて埋葬したという風にも見えなくはない。近畿の大規模な古墳をイメージするとかなり違うように思いました。

    華々しい出土品ですが、見ようによっては、無造作にかためて埋葬したという風にも見えなくはない。近畿の大規模な古墳をイメージするとかなり違うように思いました。

  • 向こうに見える建物は、加茂岩倉遺跡ガイダンス。加茂岩倉遺跡のすぐそばにある小さな資料館で、遺跡から続く木道がこの施設まで自然に導いてくれるので、気持ちよく行くことができます。<br />

    向こうに見える建物は、加茂岩倉遺跡ガイダンス。加茂岩倉遺跡のすぐそばにある小さな資料館で、遺跡から続く木道がこの施設まで自然に導いてくれるので、気持ちよく行くことができます。

  • 展示は出土した銅鐸のレプリカが中心。

    展示は出土した銅鐸のレプリカが中心。

  • じっくり見ると表面に描かれた装飾文様には意外にいろんなタイプがあるのがよく分かります。

    じっくり見ると表面に描かれた装飾文様には意外にいろんなタイプがあるのがよく分かります。

  • 加茂岩倉遺跡ガイダンスから見た加茂岩倉遺跡です。<br />ちなみに、出雲神話のメインは国譲りの物語。高天原にいたアマテラスオオミカミは、オオクニヌシノミコトが治めていた葦原中国(アシハラノナカツクニ)は自分の子供が治めるべきと主張し、国譲りを迫るのです。オオクニヌシノミコトの父は、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト。スサノオノミコトはアマテラスオオミカミの弟で高天原を追放されて葦原にやってきただけですから、身内といえば身内なんですが、ここでさりげなく天上界と地上界という正当性を巡る問題提起がなされます。ただ、それはそれとして。。これを受け入れたオオクニヌシノミコトは、もう少し土地を広げるための国引きや天にも届く出雲大社を建てさせて、出雲の国に収まるのです。その子孫が出雲族ですが、国譲りによって出雲に引っ込む前は地上界を支配する力を確かに持っていたというのが、こうした遺跡が発掘されることによって次々と証明されている。それが、まさに最近の動きであり、出雲人にとって、これらは、今の自分たちの存在に直結するたまらない大発見なんですね。<br />神話の世界が神話だけでは終わらず、遺跡の発掘で現実の世界と結び付く。このドキドキするような感覚はローカルな地域ではまずないことだと思います。

    加茂岩倉遺跡ガイダンスから見た加茂岩倉遺跡です。
    ちなみに、出雲神話のメインは国譲りの物語。高天原にいたアマテラスオオミカミは、オオクニヌシノミコトが治めていた葦原中国(アシハラノナカツクニ)は自分の子供が治めるべきと主張し、国譲りを迫るのです。オオクニヌシノミコトの父は、ヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト。スサノオノミコトはアマテラスオオミカミの弟で高天原を追放されて葦原にやってきただけですから、身内といえば身内なんですが、ここでさりげなく天上界と地上界という正当性を巡る問題提起がなされます。ただ、それはそれとして。。これを受け入れたオオクニヌシノミコトは、もう少し土地を広げるための国引きや天にも届く出雲大社を建てさせて、出雲の国に収まるのです。その子孫が出雲族ですが、国譲りによって出雲に引っ込む前は地上界を支配する力を確かに持っていたというのが、こうした遺跡が発掘されることによって次々と証明されている。それが、まさに最近の動きであり、出雲人にとって、これらは、今の自分たちの存在に直結するたまらない大発見なんですね。
    神話の世界が神話だけでは終わらず、遺跡の発掘で現実の世界と結び付く。このドキドキするような感覚はローカルな地域ではまずないことだと思います。

  • 少し移動して。近くにある加茂中央公園は、小山を切り開いて作られたようなこの辺りではここしかないというような規模の大きな公園。野球の大会をやっていましたが、子供たちも応援する人も地元の人ばかりでしょう。選手たちは真剣ですが、やっぱりなんだか和やかな試合風景でした。

    少し移動して。近くにある加茂中央公園は、小山を切り開いて作られたようなこの辺りではここしかないというような規模の大きな公園。野球の大会をやっていましたが、子供たちも応援する人も地元の人ばかりでしょう。選手たちは真剣ですが、やっぱりなんだか和やかな試合風景でした。

  • 空外記念館は、国道沿いに大きな看板が立っていてそれを頼りに訪ねたのですが、なんかおかしい。近くにここの管理をしているお寺の方がいたので聞いてみると、公開しているのは10月の虫干しを兼ねた時期だけだということ。看板はそういう感じではなかったんですけどねえ。<br />ちなみに、空外というのは宗教家にして思想家。この施設ではいろんなお宝資料を保存しているのでしょう。全体が蔵のような面白い形。いろいろ想像しながら、外観を拝見しました。 

    空外記念館は、国道沿いに大きな看板が立っていてそれを頼りに訪ねたのですが、なんかおかしい。近くにここの管理をしているお寺の方がいたので聞いてみると、公開しているのは10月の虫干しを兼ねた時期だけだということ。看板はそういう感じではなかったんですけどねえ。
    ちなみに、空外というのは宗教家にして思想家。この施設ではいろんなお宝資料を保存しているのでしょう。全体が蔵のような面白い形。いろいろ想像しながら、外観を拝見しました。 

  • ここから、斐伊川の上流に向かって、どんどん進みます。<br />たてたには、ふと見つけたお菓子屋さん。

    ここから、斐伊川の上流に向かって、どんどん進みます。
    たてたには、ふと見つけたお菓子屋さん。

  • お店に入ると、ドーンと銅鐸最中の看板。迷わずそれをいただきました。

    お店に入ると、ドーンと銅鐸最中の看板。迷わずそれをいただきました。

  • ぼてっとした餡子には求肥が入っているんですが、柔らかいので餡子と一体になってしまい過ぎかなあ。変化を付けるためには、もう少し固くてもいいような気がします。まあ、敢えて言えばの話ですが。。

    ぼてっとした餡子には求肥が入っているんですが、柔らかいので餡子と一体になってしまい過ぎかなあ。変化を付けるためには、もう少し固くてもいいような気がします。まあ、敢えて言えばの話ですが。。

  • 再び先へ。<br />神原神社もそれなりに清々しい神社ですが、ここには移築された古墳があって、それが見どころ。大きな屋根で覆われた土塁のような山の中央に、何枚もの石を上手に組み合せた古墳がありました。

    再び先へ。
    神原神社もそれなりに清々しい神社ですが、ここには移築された古墳があって、それが見どころ。大きな屋根で覆われた土塁のような山の中央に、何枚もの石を上手に組み合せた古墳がありました。

  • 中には遺体がおける十分な空間も確保されていて、規模はさほどではありませんが、丁寧な美しい仕上がり。どうかすると芸術作品のような風に見えなくもないですね。これも洗練された技術のような気がします。

    イチオシ

    中には遺体がおける十分な空間も確保されていて、規模はさほどではありませんが、丁寧な美しい仕上がり。どうかすると芸術作品のような風に見えなくもないですね。これも洗練された技術のような気がします。

  • 道の駅 さくらの里きすきの農産物直売所「たんびにきて家」。<br />

    道の駅 さくらの里きすきの農産物直売所「たんびにきて家」。

  • 産直の傍らにあった

    産直の傍らにあった

  • 地元の名物という焼き鯖寿司を買いました。バラ寿しに焼いたサバの身のほぐしたのが混ぜてあるんですが、ただそれはあんまりインパクトはなくて、むしろ地味な味わいしか感じない。あんまり名物というほどのものではないような気がします。

    地元の名物という焼き鯖寿司を買いました。バラ寿しに焼いたサバの身のほぐしたのが混ぜてあるんですが、ただそれはあんまりインパクトはなくて、むしろ地味な味わいしか感じない。あんまり名物というほどのものではないような気がします。

  • ここから、峯寺へ。<br />こちらは、あの役小角が開いたといわれる真言宗の古刹。出雲三十三番観音霊場九番札所でもあります。<br />車で上まで上れるのですが、対向車が来るとどうなるんだろうというような細い道の連続。ひやひやしながら上りました。<br />

    ここから、峯寺へ。
    こちらは、あの役小角が開いたといわれる真言宗の古刹。出雲三十三番観音霊場九番札所でもあります。
    車で上まで上れるのですが、対向車が来るとどうなるんだろうというような細い道の連続。ひやひやしながら上りました。

  • 本堂と庫裏は山岳仏教の聖地といった雰囲気で、

    本堂と庫裏は山岳仏教の聖地といった雰囲気で、

  • 風雪に耐えた感がけっこうすごいですね。

    風雪に耐えた感がけっこうすごいですね。

  • 庭園は本堂の裏手。

    イチオシ

    庭園は本堂の裏手。

  • 松平不昧公の作庭で雲州流の名園というのですが、平庭に中央の石灯籠とつくばいがアクセント。背後の生垣から裏山への景色の抜け具合もうまくバランスが取れていて、確かに伝わってくるものがあると思います。

    松平不昧公の作庭で雲州流の名園というのですが、平庭に中央の石灯籠とつくばいがアクセント。背後の生垣から裏山への景色の抜け具合もうまくバランスが取れていて、確かに伝わってくるものがあると思います。

  • 続いての三屋神社は、これで「ミトヤジンジャ」と読みます。<br />建っている場所で、小さな集落の神社かと思ったら、出雲國風土記にも「御門屋社(ミトヤノヤシロ)」と記されるほどの古社。ここに大国主命の御殿があったとされる立派な由緒です。<br />

    続いての三屋神社は、これで「ミトヤジンジャ」と読みます。
    建っている場所で、小さな集落の神社かと思ったら、出雲國風土記にも「御門屋社(ミトヤノヤシロ)」と記されるほどの古社。ここに大国主命の御殿があったとされる立派な由緒です。

  • それに、拝殿は普通だったのでそれだけかと思ったら、奥の大社造りの本殿が見どころ。私は見落としてしまいましたが、お見逃しないよう。

    それに、拝殿は普通だったのでそれだけかと思ったら、奥の大社造りの本殿が見どころ。私は見落としてしまいましたが、お見逃しないよう。

  • この辺りを流れる斐伊川ですが、先ほどから触れているようにその上流は砂鉄が採れ、砂鉄から玉鋼を作るたたらが盛んに行われていた地域。ヤマタノオロチの尾から出てきたのが、天皇の三種の神器の一つとなる草薙剣。これもたたらと関係があるというのが定説です。<br />木次町の辺りの斐伊川は、のどかな田舎の原風景といった感じですが、木次町は、さくらの里というのがキャッチフレーズとなっていて、斐伊川堤防には桜並木が整備されています。歴史があって幹が太いとか、延々と長く続くとかそういった特別なものではないような気はしますが、それでも街の人たちが大事にしてきた桜並木。斐伊川ののどかな眺めとマッチしているように思います。

    イチオシ

    この辺りを流れる斐伊川ですが、先ほどから触れているようにその上流は砂鉄が採れ、砂鉄から玉鋼を作るたたらが盛んに行われていた地域。ヤマタノオロチの尾から出てきたのが、天皇の三種の神器の一つとなる草薙剣。これもたたらと関係があるというのが定説です。
    木次町の辺りの斐伊川は、のどかな田舎の原風景といった感じですが、木次町は、さくらの里というのがキャッチフレーズとなっていて、斐伊川堤防には桜並木が整備されています。歴史があって幹が太いとか、延々と長く続くとかそういった特別なものではないような気はしますが、それでも街の人たちが大事にしてきた桜並木。斐伊川ののどかな眺めとマッチしているように思います。

  • 三刀屋城は、尼子方の拠点として尼子十旗の一つに数えられた支城の一つ。<br />三刀屋市街からすぐ。細い道路があって、なんとか山頂まで車で上がりました。

    三刀屋城は、尼子方の拠点として尼子十旗の一つに数えられた支城の一つ。
    三刀屋市街からすぐ。細い道路があって、なんとか山頂まで車で上がりました。

  • 山頂からは、三刀屋の市街と斐伊川の流れを眼下に見て、意外にいい眺め。ただ、あんまり人は訪れてはいない感じ。草ぼうぼうとかではありませんが、やっぱり寂しい場所になってきている感は否めません。

    山頂からは、三刀屋の市街と斐伊川の流れを眼下に見て、意外にいい眺め。ただ、あんまり人は訪れてはいない感じ。草ぼうぼうとかではありませんが、やっぱり寂しい場所になってきている感は否めません。

  • 永井隆は、放射線の研究で白血病を患い、長崎で原爆にも被災。自らの治療の傍ら、原爆投下後の長崎の様子を克明に綴った「長崎の鐘」を執筆。これは戦争の被害者すべてへの鎮魂歌となりました。後に藤山一郎が歌った「長崎の鐘」も永井隆の心を引き継いだものです。<br />

    永井隆は、放射線の研究で白血病を患い、長崎で原爆にも被災。自らの治療の傍ら、原爆投下後の長崎の様子を克明に綴った「長崎の鐘」を執筆。これは戦争の被害者すべてへの鎮魂歌となりました。後に藤山一郎が歌った「長崎の鐘」も永井隆の心を引き継いだものです。

  • 記念館は、氏の故郷に建てられたもの。多くの遺品が残されていて、氏の人間性を伝えるものにもなっています。ただ、少し予備知識を持っておく方が感動は深まるように思います。

    記念館は、氏の故郷に建てられたもの。多くの遺品が残されていて、氏の人間性を伝えるものにもなっています。ただ、少し予備知識を持っておく方が感動は深まるように思います。

  • 八俣の大蛇公園は、木次町内の斐伊川のほとり。

    八俣の大蛇公園は、木次町内の斐伊川のほとり。

  • 小さな公園ですが、ヤマタノオロチとスサノオノミコトが戦う様のモニュメントがあって、ちょっと存在感を放っています。ヤマタノオロチの方はすぐ分かるのですが、

    イチオシ

    小さな公園ですが、ヤマタノオロチとスサノオノミコトが戦う様のモニュメントがあって、ちょっと存在感を放っています。ヤマタノオロチの方はすぐ分かるのですが、

  • スサノオノミコトはちょっと目立っていないので、気が付きにくい。しかし、ちゃんと正面に立っているので、よろしくお願いします。

    スサノオノミコトはちょっと目立っていないので、気が付きにくい。しかし、ちゃんと正面に立っているので、よろしくお願いします。

  • 來次神社は、「キスキジンジャ」。石段をしばらく登った先に社殿がありました。門と社殿が屋根のある渡り廊下風に繋がっているのが特徴だと思います。<br />

    來次神社は、「キスキジンジャ」。石段をしばらく登った先に社殿がありました。門と社殿が屋根のある渡り廊下風に繋がっているのが特徴だと思います。

  • 出雲国風土記にも、「支須支(きすき)社」と記載があって、延喜式神名帳にもある式内社でもあるようです。祭神は「大巳貴命(おおなむちのみこと)」ほか。ここは木次町。木次という名前は、大巳貴命が敵に追いつき、これを滅ぼしたから。追いつくことをかつては「きすき」と言ったのだそうです。

    出雲国風土記にも、「支須支(きすき)社」と記載があって、延喜式神名帳にもある式内社でもあるようです。祭神は「大巳貴命(おおなむちのみこと)」ほか。ここは木次町。木次という名前は、大巳貴命が敵に追いつき、これを滅ぼしたから。追いつくことをかつては「きすき」と言ったのだそうです。

  • さらに進んで、これは道の駅 掛合の里。レストランの棟を中心に建物が赤い瓦で統一されて、車で走っているとそれがまずは目に入ってきます。<br />

    さらに進んで、これは道の駅 掛合の里。レストランの棟を中心に建物が赤い瓦で統一されて、車で走っているとそれがまずは目に入ってきます。

  • 一角に産直所があって、掛合名物「杵搗きもち」と大書されていましたが、それは冬場の限定品なのだそう。残念でした。野菜の他には、クッキーもあったりします。

    一角に産直所があって、掛合名物「杵搗きもち」と大書されていましたが、それは冬場の限定品なのだそう。残念でした。野菜の他には、クッキーもあったりします。

  • 加茂岩倉遺跡の後は、細々とした観光スポットが続きましたが、もうちょっとメジャーなスポットがこの掛合酒蔵資料館。ここは、あの竹下登の実家なんですね。

    加茂岩倉遺跡の後は、細々とした観光スポットが続きましたが、もうちょっとメジャーなスポットがこの掛合酒蔵資料館。ここは、あの竹下登の実家なんですね。

  • 駐車場に車を止めて、さっそく中へ。

    駐車場に車を止めて、さっそく中へ。

  • 酒蔵の規模としては大きい方ではないかもしれませんが、一通りの酒造り行程の展示はあります。

    酒蔵の規模としては大きい方ではないかもしれませんが、一通りの酒造り行程の展示はあります。

  • 一方で、竹下登関係の資料館もありまして。竹下登の功績は消費税の導入。

    一方で、竹下登関係の資料館もありまして。竹下登の功績は消費税の導入。

  • 田中角栄をいわば出し抜いて天下を取ったわけですが、ちゃんとそれにふさわしい仕事はしています。今人気のダイゴのポスターもあって、ちょっと心が和みました。

    田中角栄をいわば出し抜いて天下を取ったわけですが、ちゃんとそれにふさわしい仕事はしています。今人気のダイゴのポスターもあって、ちょっと心が和みました。

  • お腹もすいてきたし、今度は道の駅たたらば。

    お腹もすいてきたし、今度は道の駅たたらば。

  • たたらばは、道の駅にある軽食のお店。たまごかけごはんがおいしそうだったので、それにしました。<br />

    たたらばは、道の駅にある軽食のお店。たまごかけごはんがおいしそうだったので、それにしました。

  • しかし、これはうーんどうでしょうか。卵のうまさが特別というほどではないし、ご飯もそう。それに、ご飯とたまごのバランスもご飯がちょっと多めで、これなら卵は二個あってもいいかも。正直言えば、イマイチのたまごかけごはんかなと思います。

    しかし、これはうーんどうでしょうか。卵のうまさが特別というほどではないし、ご飯もそう。それに、ご飯とたまごのバランスもご飯がちょっと多めで、これなら卵は二個あってもいいかも。正直言えば、イマイチのたまごかけごはんかなと思います。

  • もう一つの人気店、ままたまごは、地元の新鮮卵を使ったプリンなんかが超人気。

    もう一つの人気店、ままたまごは、地元の新鮮卵を使ったプリンなんかが超人気。

  • そのままたまごプリンをいただきましたが、これはいい。優しい味わいに卵と牛乳の香りが程よくて、派手ではないですが、家庭で作るような素朴な手作り感がいっぱいです。うまいです。

    そのままたまごプリンをいただきましたが、これはいい。優しい味わいに卵と牛乳の香りが程よくて、派手ではないですが、家庭で作るような素朴な手作り感がいっぱいです。うまいです。

  • さて、この辺りからがいよいよ鉄の文化を巡る旅です。<br />山内生活伝承館は、菅谷たたら山内とセットで回りました。菅谷たたら山内は有料ですが、こちらは無料。一方、カーナビでは山内生活伝承館の方が検索しやすいので、一旦こちらに来てここの駐車場に車を止めて、菅谷たたら山内の方に向かいました。<br />

    さて、この辺りからがいよいよ鉄の文化を巡る旅です。
    山内生活伝承館は、菅谷たたら山内とセットで回りました。菅谷たたら山内は有料ですが、こちらは無料。一方、カーナビでは山内生活伝承館の方が検索しやすいので、一旦こちらに来てここの駐車場に車を止めて、菅谷たたら山内の方に向かいました。

  • 山内生活伝承館は、駆け足になってしまったので、せっかくお茶を出してくれるということだったのに、それは失礼して。

    山内生活伝承館は、駆け足になってしまったので、せっかくお茶を出してくれるということだったのに、それは失礼して。

  • 係の人が、たたら製鉄で使われる木炭は半焼けのものを使う。

    係の人が、たたら製鉄で使われる木炭は半焼けのものを使う。

  • あまり温度は高くなり過ぎると製鉄がうまくいかないからといったことも手早く教えてくれました。

    あまり温度は高くなり過ぎると製鉄がうまくいかないからといったことも手早く教えてくれました。

  • そこから歩いて向かったのが、山内。

    そこから歩いて向かったのが、山内。

  • ここは、島根の誇る、伝統のたたら製鉄の施設を含む集落全体が保存された地区。

    ここは、島根の誇る、伝統のたたら製鉄の施設を含む集落全体が保存された地区。

  • 天和元年(1681年)の開設。高殿、元小屋、どう場、長屋などが限られたエリアに建っています。

    天和元年(1681年)の開設。高殿、元小屋、どう場、長屋などが限られたエリアに建っています。

  • 施設で入場料を払うと、案内人がいてそれぞれの施設の役割を説明してくれます。<br /><br />この菅谷高殿は、菅谷たたら山内の中心施設。

    施設で入場料を払うと、案内人がいてそれぞれの施設の役割を説明してくれます。

    この菅谷高殿は、菅谷たたら山内の中心施設。

  • この施設で鉄を溶かし、玉鋼を作るんです。<br />

    この施設で鉄を溶かし、玉鋼を作るんです。

  • 内部は吹き抜けの巨大な空間。

    内部は吹き抜けの巨大な空間。

  • 火を使うし、

    火を使うし、

  • 余計なものは置けませんよね。

    余計なものは置けませんよね。

  • 中央に据えられた製鉄炉は、両側にふいごが付いて、独特の形。

    中央に据えられた製鉄炉は、両側にふいごが付いて、独特の形。

  • そして、これが残ったのは、製鉄が行われなくなった後、木炭の生産に切り替えた時期があったからだそうですが、貴重な施設が残ったことで国の重要民俗文化財となりました。

    イチオシ

    そして、これが残ったのは、製鉄が行われなくなった後、木炭の生産に切り替えた時期があったからだそうですが、貴重な施設が残ったことで国の重要民俗文化財となりました。

  • 司馬遼太郎も街道を行くでこれを見ていて、たたらの現場の過酷さに思いを馳せていました。<br />つまり、たたら吹きは3日3晩の重労働。1回の操業で、2トンの?竕(けら)を産出しますが、その中から採れる良質な玉鋼は1割くらいしかないんです。<br /><br />なお、これらは田部家の持ち物だったもの。田部家はこうしたたたら場をいくつも持っていたということです。

    司馬遼太郎も街道を行くでこれを見ていて、たたらの現場の過酷さに思いを馳せていました。
    つまり、たたら吹きは3日3晩の重労働。1回の操業で、2トンの?竕(けら)を産出しますが、その中から採れる良質な玉鋼は1割くらいしかないんです。

    なお、これらは田部家の持ち物だったもの。田部家はこうしたたたら場をいくつも持っていたということです。

  • 続いての鉄の歴史博物館は、市街中心部。

    続いての鉄の歴史博物館は、市街中心部。

  • 田部家の並びにあって、古民家を利用したたたら製鉄全般を紹介する施設です。

    田部家の並びにあって、古民家を利用したたたら製鉄全般を紹介する施設です。

  • たたら製鉄の製法工程を現物資料も合わせて説明したり、

    たたら製鉄の製法工程を現物資料も合わせて説明したり、

  • 当時の古文書なども多く展示していますが、博物館のお勧めはたたら製鉄のビデオ。

    当時の古文書なども多く展示していますが、博物館のお勧めはたたら製鉄のビデオ。

  • 時間があまりなくて、はしょって拝見しましたが、たたらの現場を指揮する村下(ムラゲ)は過酷な重労働と劣悪な環境で長生きできることはなかったといいます。それでも、その仕事を誇りとし、自ら進んでその道に入っていく。そこには、鉄と人間の深遠な関係に思いを馳せざるを得ない世界がありました。

    時間があまりなくて、はしょって拝見しましたが、たたらの現場を指揮する村下(ムラゲ)は過酷な重労働と劣悪な環境で長生きできることはなかったといいます。それでも、その仕事を誇りとし、自ら進んでその道に入っていく。そこには、鉄と人間の深遠な関係に思いを馳せざるを得ない世界がありました。

  • 確かに、ちょっと感動的な内容だと思います。 

    確かに、ちょっと感動的な内容だと思います。 

  • 吉原亀栄堂は、鉄の歴史博物館のはす向かい。公園飴と書いた看板が気になって寄ってみました。

    吉原亀栄堂は、鉄の歴史博物館のはす向かい。公園飴と書いた看板が気になって寄ってみました。

  • いただいたのは、一里飴。ビー玉みたいな透き通った丸い飴で、時々、見かけるような飴ですよねと言ったら、こんなにちゃんと手作りしている飴なんかないですよとしっかり切り返されてしまいました。飴は強く噛もうとすると崩れないことはないくらいの硬さ。その後、少しづつ、味わっております。

    いただいたのは、一里飴。ビー玉みたいな透き通った丸い飴で、時々、見かけるような飴ですよねと言ったら、こんなにちゃんと手作りしている飴なんかないですよとしっかり切り返されてしまいました。飴は強く噛もうとすると崩れないことはないくらいの硬さ。その後、少しづつ、味わっております。

  • ところで、ここ雲南市吉田町の中心を走る通りはこんな立派な石畳。さりげなく、金がかかっていますね。

    イチオシ

    ところで、ここ雲南市吉田町の中心を走る通りはこんな立派な石畳。さりげなく、金がかかっていますね。

  • その途中にあるのが田部家土蔵群は、島根の誇る鉄山経営者、田部家の門前に建つ白壁の土蔵群。車で石畳の通りを走ると、突然、通りの脇にこの土蔵群が現れてびっくりします。<br />

    その途中にあるのが田部家土蔵群は、島根の誇る鉄山経営者、田部家の門前に建つ白壁の土蔵群。車で石畳の通りを走ると、突然、通りの脇にこの土蔵群が現れてびっくりします。

  • この土蔵群の奥の高台には、その田部家のお屋敷。島根の誇る奥出雲三大鉄師の筆頭格で、県知事も出した島根では誰しも認める一番の名家です。 

    この土蔵群の奥の高台には、その田部家のお屋敷。島根の誇る奥出雲三大鉄師の筆頭格で、県知事も出した島根では誰しも認める一番の名家です。 

  • 鉄の未来科学館は、吉田の市街からは少し離れた場所。周囲は公園のように整備されていて、駐車場もかなり広いです。

    鉄の未来科学館は、吉田の市街からは少し離れた場所。周囲は公園のように整備されていて、駐車場もかなり広いです。

  • 展示は、たたら製鉄の伝統を紹介するだけではなく、

    展示は、たたら製鉄の伝統を紹介するだけではなく、

  • イギリスの高炉とかもたぶん実物大の模型があったり、世界の製鉄の歴史まで含む壮大な内容。

    イギリスの高炉とかもたぶん実物大の模型があったり、世界の製鉄の歴史まで含む壮大な内容。

  • 館内の展示は一部屋にまとまっていますが、順路はアップダウンしながら見る立体的な展示となっていて、飽きがこない工夫があるように思います。

    館内の展示は一部屋にまとまっていますが、順路はアップダウンしながら見る立体的な展示となっていて、飽きがこない工夫があるように思います。

  • 可部屋集成館は、これも島根の誇る奥出雲三大鉄師の一つ、櫻井家に伝わる古文書や絵画などの文化財を紹介する施設。

    可部屋集成館は、これも島根の誇る奥出雲三大鉄師の一つ、櫻井家に伝わる古文書や絵画などの文化財を紹介する施設。

  • 櫻井家のルーツは尾張出身の戦国武将、塙直之の一族。鉄砲の製造にも関わっていたようで、その後、福島正則の庇護により、その下で鉄砲の製造に携わっていたところ、福島氏の国替えでは奥出雲に残り、今度は鉄師の道を歩むことになったよう。鉄師の家柄でも、かつては天下を巡る華々しい戦いにも関わっていたという気概のようなものが感じられました。そして、文化財も大名と同じような匂い。<br />私の個人的な思いかもしれませんが、三大鉄師の中では田部家や絲原家と違って、櫻井家は島根に根付いている感じがちょっと弱いような。展示の内容を見て、そのイメージもまんざら間違ってはいなかったような気がしました。

    櫻井家のルーツは尾張出身の戦国武将、塙直之の一族。鉄砲の製造にも関わっていたようで、その後、福島正則の庇護により、その下で鉄砲の製造に携わっていたところ、福島氏の国替えでは奥出雲に残り、今度は鉄師の道を歩むことになったよう。鉄師の家柄でも、かつては天下を巡る華々しい戦いにも関わっていたという気概のようなものが感じられました。そして、文化財も大名と同じような匂い。
    私の個人的な思いかもしれませんが、三大鉄師の中では田部家や絲原家と違って、櫻井家は島根に根付いている感じがちょっと弱いような。展示の内容を見て、そのイメージもまんざら間違ってはいなかったような気がしました。

  • 奥の櫻井家日本庭園も有料エリア。

    奥の櫻井家日本庭園も有料エリア。

  • 可部屋集成館で料金を払って、そこから回りました。<br />

    可部屋集成館で料金を払って、そこから回りました。

  • 母屋は土間から奥を見るだけですが、

    母屋は土間から奥を見るだけですが、

  • まずはそれをチェックして。

    まずはそれをチェックして。

  • 奥に進むと

    奥に進むと

  • 規模は小さいですが、

    規模は小さいですが、

  • よく整備された美しい日本庭園がありました。

    よく整備された美しい日本庭園がありました。

  • 裏山から流れ落ちてくる滝を中心に、豊かな緑に囲まれた池。奥の土蔵が少し背景のアクセントになっています。

    イチオシ

    裏山から流れ落ちてくる滝を中心に、豊かな緑に囲まれた池。奥の土蔵が少し背景のアクセントになっています。

  • なお、屋敷を巡る塀はこんな感じです。

    なお、屋敷を巡る塀はこんな感じです。

  • 続いての絲原記念館は、文句なく奥出雲では一番の見どころ。奥出雲三大鉄師の一つ、絲原家のお屋敷の一角にあって、絲原家の歴史・事業を紹介する施設です。<br />ちなみに、絲原家は鉄師としての歴史を終えると鉄道事業の支援とか地域貢献にも力を尽くす。名家の名家たる足跡を感じます。<br />

    続いての絲原記念館は、文句なく奥出雲では一番の見どころ。奥出雲三大鉄師の一つ、絲原家のお屋敷の一角にあって、絲原家の歴史・事業を紹介する施設です。
    ちなみに、絲原家は鉄師としての歴史を終えると鉄道事業の支援とか地域貢献にも力を尽くす。名家の名家たる足跡を感じます。

  • ただ、見どころはお屋敷の建物や庭園などの全般。

    ただ、見どころはお屋敷の建物や庭園などの全般。

  • この玄関入口はじめ、

    この玄関入口はじめ、

  • 映画、絶唱の舞台となった華麗な佇まいは今も健在です。

    映画、絶唱の舞台となった華麗な佇まいは今も健在です。

  • 式台玄関から、

    式台玄関から、

  • 自慢の庭の方に入ります。

    自慢の庭の方に入ります。

  • 出雲地方でも雪深い地域なので、

    出雲地方でも雪深い地域なので、

  • 緑の色が平野部とは違います。<br />

    緑の色が平野部とは違います。

  • さりげなく生えた岩松の緑なんかはここでしか味わえないものなんですよね。

    さりげなく生えた岩松の緑なんかはここでしか味わえないものなんですよね。

  • ちなみに、絶唱の主演女優は、浅丘ルリ子。

    ちなみに、絶唱の主演女優は、浅丘ルリ子。

  • 当時の銀幕のスターは大変な存在。

    当時の銀幕のスターは大変な存在。

  • こんな田舎にやってきたことに地元の人は驚いたし、

    こんな田舎にやってきたことに地元の人は驚いたし、

  • それだけこの庭に価値があるのだという再認識をしたはず。

    それだけこの庭に価値があるのだという再認識をしたはず。

  • それ以前には、与謝野鉄幹、晶子夫妻や近衛文麿などの著名人もここを訪れていますが、

    イチオシ

    それ以前には、与謝野鉄幹、晶子夫妻や近衛文麿などの著名人もここを訪れていますが、

  • そのインパクトは浅丘ルリ子と比較すべくもないでしょう。

    そのインパクトは浅丘ルリ子と比較すべくもないでしょう。

  • そういう意味では、絲原家には大きな歴史が刻まれたということかと思います。 

    そういう意味では、絲原家には大きな歴史が刻まれたということかと思います。 

  • 絲原家を見たら、これも外せない鬼の舌震へ。

    絲原家を見たら、これも外せない鬼の舌震へ。

  • いつの間にか

    いつの間にか

  • 大きな吊り橋ができていましたが、

    大きな吊り橋ができていましたが、

  • それはそれとして。

    それはそれとして。

  • ちなみに、鬼の舌震は、斐伊川の支流、大馬木川に展開する巨岩の谷。

    ちなみに、鬼の舌震は、斐伊川の支流、大馬木川に展開する巨岩の谷。

  • たぶん、大洪水のようなものが何度も起きて、

    たぶん、大洪水のようなものが何度も起きて、

  • 巨岩が浸食を受けながら流れ下っていったことで、できた景観だと思います。

    巨岩が浸食を受けながら流れ下っていったことで、できた景観だと思います。

  • いくつもの巨岩が集まったり、

    いくつもの巨岩が集まったり、

  • 重なり合ったり。

    重なり合ったり。

  • なかなかダイナミックですが、一方で崖に続く遊歩道はコンクリート造りでとてもしっかりしたもの。

    なかなかダイナミックですが、一方で崖に続く遊歩道はコンクリート造りでとてもしっかりしたもの。

  • 子供でも安心して、歩けると思います。<br />さて、後は出雲市に帰りがてらの観光です。

    子供でも安心して、歩けると思います。
    さて、後は出雲市に帰りがてらの観光です。

  • 尾原ダムは、斐伊川の上流。斐伊川は水害も多かった川のようですが、このダムも治水の目的で作られたようです。ダム湖はさくらおろち湖と命名されて、それなりに広いですが、ダムの迫力ある構造物は壮観。道路から間近に見えるので、車を止めてしばし眺めて、その景観を楽しみました。 

    尾原ダムは、斐伊川の上流。斐伊川は水害も多かった川のようですが、このダムも治水の目的で作られたようです。ダム湖はさくらおろち湖と命名されて、それなりに広いですが、ダムの迫力ある構造物は壮観。道路から間近に見えるので、車を止めてしばし眺めて、その景観を楽しみました。 

  • 農家レストラン ふるさと亭は、道の駅 おろちの里のメイン施設。広い駐車場にシンプルな建物が一棟建っています。産直とか、道の駅としての内容はあるのですが、

    農家レストラン ふるさと亭は、道の駅 おろちの里のメイン施設。広い駐車場にシンプルな建物が一棟建っています。産直とか、道の駅としての内容はあるのですが、

  • この道の駅の最大の特徴はダム湖の景色。中国山地に囲まれて、けっこう広々とした湖が美しい。展望所もきれいに整備されているので、気持ちよく眺められます。

    この道の駅の最大の特徴はダム湖の景色。中国山地に囲まれて、けっこう広々とした湖が美しい。展望所もきれいに整備されているので、気持ちよく眺められます。

  • 石照庭園は、地元の農家が運営する日本庭園。

    石照庭園は、地元の農家が運営する日本庭園。

  • 自分の花木園芸の趣味が高じて、こうした庭園を作ってしまったという感じ。山のふもとに滝を作り、池を作り。

    自分の花木園芸の趣味が高じて、こうした庭園を作ってしまったという感じ。山のふもとに滝を作り、池を作り。

  • よく見ると、素人の作ったものであることは見え見えなんですが、その心意気のようなものがあるので、まあ微笑ましくも感じてしまう。花が見ごろの時期に行く庭園だと思います。

    よく見ると、素人の作ったものであることは見え見えなんですが、その心意気のようなものがあるので、まあ微笑ましくも感じてしまう。花が見ごろの時期に行く庭園だと思います。

  • 奥出雲多根自然博物館は、奥出雲から松江に帰る県道沿い。田舎には似合わないおしゃれな建物が現れて、思わず寄ってしまいました。お目当てはここの博物館だったのですが、宿泊もやっているらしくてそっちのお客さんがちらほら。聞くと、この辺りはメガネの三城の社長の出身地。社員の研修施設として建てられたものだったんだとか。博物館の方は、その社長のコレクションを展示しているのだそうです。

    奥出雲多根自然博物館は、奥出雲から松江に帰る県道沿い。田舎には似合わないおしゃれな建物が現れて、思わず寄ってしまいました。お目当てはここの博物館だったのですが、宿泊もやっているらしくてそっちのお客さんがちらほら。聞くと、この辺りはメガネの三城の社長の出身地。社員の研修施設として建てられたものだったんだとか。博物館の方は、その社長のコレクションを展示しているのだそうです。

  • 恐竜の骨とかアンモナイトとか。

    恐竜の骨とかアンモナイトとか。

  • 美しい鉱石の類とか、学術的な価値というよりも見て面白いといったものを集めたのだと思います。それでも、学芸員のような人もいたりして、けっこうな充実度かなと思います。

    美しい鉱石の類とか、学術的な価値というよりも見て面白いといったものを集めたのだと思います。それでも、学芸員のような人もいたりして、けっこうな充実度かなと思います。

  • 海潮温泉は、雲南の名湯として知られる温泉。海潮温泉の一軒宿、海潮荘で最後に日帰り温泉を利用します。県道の脇の橋を渡って、本当にこんなところに温泉があるんだという感じでしたが、すぐにこの宿の前に到着。秘湯の宿という例の提灯が下がっていて、安心しました。

    海潮温泉は、雲南の名湯として知られる温泉。海潮温泉の一軒宿、海潮荘で最後に日帰り温泉を利用します。県道の脇の橋を渡って、本当にこんなところに温泉があるんだという感じでしたが、すぐにこの宿の前に到着。秘湯の宿という例の提灯が下がっていて、安心しました。

  • 風呂代の1000円を払って、奥の温泉へ。

    風呂代の1000円を払って、奥の温泉へ。

  • 石の色もあるんでしょうが、青く光った温泉は少しぬるめの湯加減も気持ちいいことこの上なし。予想外に癒されました。価値ありの温泉です。

    石の色もあるんでしょうが、青く光った温泉は少しぬるめの湯加減も気持ちいいことこの上なし。予想外に癒されました。価値ありの温泉です。

  • 無色透明、無臭の単純泉なんですが、ちょっとぬるめなのに、体に沁みる心地よさがはっきりありますね。大きく言えば、同じく島根の名湯、玉造温泉にも通じるところがあるような気がします。

    無色透明、無臭の単純泉なんですが、ちょっとぬるめなのに、体に沁みる心地よさがはっきりありますね。大きく言えば、同じく島根の名湯、玉造温泉にも通じるところがあるような気がします。

  • 須我神社は、県道を走っていたら目立つ看板が目に入ったので、寄ってみました。まっすぐな市街の通りのどんつまりのような場所に構えます。

    須我神社は、県道を走っていたら目立つ看板が目に入ったので、寄ってみました。まっすぐな市街の通りのどんつまりのような場所に構えます。

  • 夕方でしたが、本殿などに灯りがついて、ちょっといい感じになっていました。<br />ちなみに、ここは須佐之男命が八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに自分たちが住むための宮殿を建てて鎮まったという場所。日本初之宮とも呼ばれます。<br />

    夕方でしたが、本殿などに灯りがついて、ちょっといい感じになっていました。
    ちなみに、ここは須佐之男命が八岐大蛇を退治した後、妻の稲田比売命とともに自分たちが住むための宮殿を建てて鎮まったという場所。日本初之宮とも呼ばれます。

  • なお、須我は須賀。ここに来て、気分がすがすがしくなったという意味だそうです。<br />かなり押せ押せでしたが、以上、何とか予定をクリア。時間内にレンタカーを返すことができました。ふう。

    なお、須我は須賀。ここに来て、気分がすがすがしくなったという意味だそうです。
    かなり押せ押せでしたが、以上、何とか予定をクリア。時間内にレンタカーを返すことができました。ふう。

  • 翌日は、安来市広瀬地区へ。ここは、尼子の故郷。かつ、関ヶ原の戦い後、吉川広家に代わってやってきた堀尾吉晴もこの月山富田城に入ります。堀尾氏は、ほどなく、松江城を造りそっちに移るのですが、それまで出雲の中心はここだったんです。<br />道の駅 広瀬富田城は、普通の道の駅とはちょっと違って、食堂や生鮮品の産直所などはありません。敷地内に絣会館があって、ここでちょっとしたお土産物があるくらい。富田城へ向かうための駐車場と言った方が実態には近いかもしれません。

    翌日は、安来市広瀬地区へ。ここは、尼子の故郷。かつ、関ヶ原の戦い後、吉川広家に代わってやってきた堀尾吉晴もこの月山富田城に入ります。堀尾氏は、ほどなく、松江城を造りそっちに移るのですが、それまで出雲の中心はここだったんです。
    道の駅 広瀬富田城は、普通の道の駅とはちょっと違って、食堂や生鮮品の産直所などはありません。敷地内に絣会館があって、ここでちょっとしたお土産物があるくらい。富田城へ向かうための駐車場と言った方が実態には近いかもしれません。

  • 富田城へ向かう前に、広瀬絣センターへ。 

    富田城へ向かう前に、広瀬絣センターへ。 

  • 広瀬の絣の歴史は

    広瀬の絣の歴史は

  • 文政年間に弓浜絣の影響で作られるようになったということ。<br />

    文政年間に弓浜絣の影響で作られるようになったということ。

  • ちなみに、絣の文様は、縦糸で出すのと横糸で出すのがあるんですが、それを尋ねると、縦糸も横糸も、両方もありますとの答え。

    ちなみに、絣の文様は、縦糸で出すのと横糸で出すのがあるんですが、それを尋ねると、縦糸も横糸も、両方もありますとの答え。

  • 幾何学模様と絵のような模様に、純白部分があったり、多彩なデザインが可能になるのはそのためだったんですね。なかなか頑張っている絣です。

    幾何学模様と絵のような模様に、純白部分があったり、多彩なデザインが可能になるのはそのためだったんですね。なかなか頑張っている絣です。

  • 歴史資料館も隣です。富田城の歴史を概観してみようと訪ねました。

    歴史資料館も隣です。富田城の歴史を概観してみようと訪ねました。

  • しかし、展示は、安来市の歴史を縄文時代・弥生時代から説き興そうとするもの。小さな展示館なので、やっぱりちょっと無理があるような。結果、富田城の歴史は年表で解説するしかなくなって、ちょっとこれではイマイチ要点が分からない。

    しかし、展示は、安来市の歴史を縄文時代・弥生時代から説き興そうとするもの。小さな展示館なので、やっぱりちょっと無理があるような。結果、富田城の歴史は年表で解説するしかなくなって、ちょっとこれではイマイチ要点が分からない。

  • 1395年、京極氏が出雲守護職についた辺りから、既に出雲の実権は尼子氏に移って行くのだと思いますが、その辺りがぼんやりしています。つまり、尼子氏のルーツは、京極氏が支配していたに近江にあるし、そもそも京極氏は室町時代においては、出雲・隠岐・飛騨の守護を代々務め、四職の一つとして繁栄した家柄であり、尼子氏に支配権を奪わはしたもののれっきとした出雲守護。それが堀尾氏の後に松江藩主としてカムバックしてくるのですが、そうしたことさえちゃんと解説されていない。もうちょっと頑張ってもらいたいと思います。

    1395年、京極氏が出雲守護職についた辺りから、既に出雲の実権は尼子氏に移って行くのだと思いますが、その辺りがぼんやりしています。つまり、尼子氏のルーツは、京極氏が支配していたに近江にあるし、そもそも京極氏は室町時代においては、出雲・隠岐・飛騨の守護を代々務め、四職の一つとして繁栄した家柄であり、尼子氏に支配権を奪わはしたもののれっきとした出雲守護。それが堀尾氏の後に松江藩主としてカムバックしてくるのですが、そうしたことさえちゃんと解説されていない。もうちょっと頑張ってもらいたいと思います。

  • ここから月山富田城へ。

    ここから月山富田城へ。

  • 石垣とかも

    石垣とかも

  • それなりに残っていて、見ごたえがあります。

    それなりに残っていて、見ごたえがあります。

  • この山中御殿跡は、月山富田城の中心。少し手前まで車で行けて、ちょっとした駐車場もあります。<br />

    イチオシ

    この山中御殿跡は、月山富田城の中心。少し手前まで車で行けて、ちょっとした駐車場もあります。

  • ちなみに、これは「さんちゅうごてん」。山中鹿之助の山中とは関係ありません。大手門を上がったところの大きな平地で、

    ちなみに、これは「さんちゅうごてん」。山中鹿之助の山中とは関係ありません。大手門を上がったところの大きな平地で、

  • ここからは七曲りと呼ばれる山頂への道がまだ先に続いて、富田城は実は奥が深いのですが、ここを見ればまあまあ。手前の石垣も確認できるし、富田城の規模もそれなりに実感出来ると思います。

    ここからは七曲りと呼ばれる山頂への道がまだ先に続いて、富田城は実は奥が深いのですが、ここを見ればまあまあ。手前の石垣も確認できるし、富田城の規模もそれなりに実感出来ると思います。

  • 堀尾吉晴の墓は、道の駅広瀬富田城から少し先に行った巌倉寺の境内。

    堀尾吉晴の墓は、道の駅広瀬富田城から少し先に行った巌倉寺の境内。

  • 山門前の駐車場から石段を上って行きます。すると堀尾吉晴の墓の標識があるので、分かりやすい。途中の石垣はけっこう険しいもの。山中御殿の辺りの石垣より迫力があるくらいです。<br />

    山門前の駐車場から石段を上って行きます。すると堀尾吉晴の墓の標識があるので、分かりやすい。途中の石垣はけっこう険しいもの。山中御殿の辺りの石垣より迫力があるくらいです。

  • で、墓の方は、さすが大名の墓と言った堂々たるもの。

    で、墓の方は、さすが大名の墓と言った堂々たるもの。

  • これも一見の価値はあるでしょう。

    これも一見の価値はあるでしょう。

  • 一方、尼子晴久の墓は、月山富田城の山すそと言った場所。通りから脇道を入る道路があるのですが、その先、墓のすぐそばには広い駐車場があるので、そこまで入ればいいと思います。

    一方、尼子晴久の墓は、月山富田城の山すそと言った場所。通りから脇道を入る道路があるのですが、その先、墓のすぐそばには広い駐車場があるので、そこまで入ればいいと思います。

  • 墓は林と言うかやぶの中。苔むした小さな宝篋印塔で、ちょっと傾いてもいたり、出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆の守護大名だったにしては、ちょっと寂しい印象。尼子氏は晴久で絶頂期を迎えますが、大内氏への陶氏の謀反を他山の石として新宮党を粛清し、尼子の力が衰え始めたのもこの頃です。

    墓は林と言うかやぶの中。苔むした小さな宝篋印塔で、ちょっと傾いてもいたり、出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆の守護大名だったにしては、ちょっと寂しい印象。尼子氏は晴久で絶頂期を迎えますが、大内氏への陶氏の謀反を他山の石として新宮党を粛清し、尼子の力が衰え始めたのもこの頃です。

  • 市街に戻って。<br />祖田風月堂は、広瀬町の市街。小さな和菓子屋さんです。

    市街に戻って。
    祖田風月堂は、広瀬町の市街。小さな和菓子屋さんです。

  • 広瀬名物「鹿之助」をいただきました。「最近は何でも山中鹿之助ですよね」みたいな話をしたら、そうですねと笑っていらっしゃいましたが、確かに郷土の誇り。少しバターがきいた洋風のお菓子です。

    広瀬名物「鹿之助」をいただきました。「最近は何でも山中鹿之助ですよね」みたいな話をしたら、そうですねと笑っていらっしゃいましたが、確かに郷土の誇り。少しバターがきいた洋風のお菓子です。

  • 富田八幡宮は、広瀬町の市街の一番奥と言った場所。

    富田八幡宮は、広瀬町の市街の一番奥と言った場所。

  • 石の鳥居から正面の参道を進みましたが、

    石の鳥居から正面の参道を進みましたが、

  • 深い森を行く如しでなかなか勿体のある構え。

    深い森を行く如しでなかなか勿体のある構え。

  • そして、中門から

    そして、中門から

  • 本殿の建物の重厚さとか、

    本殿の建物の重厚さとか、

  • 出雲の中心が松江に移される前は、ここ広瀬が出雲の中心だったわけですが、それを彷彿とさせるような神社です。

    出雲の中心が松江に移される前は、ここ広瀬が出雲の中心だったわけですが、それを彷彿とさせるような神社です。

  • 地元の酒蔵の前を過ぎて、

    地元の酒蔵の前を過ぎて、

  • 今度は尼子経久の墓。

    今度は尼子経久の墓。

  • 広瀬の市街、洞光寺の境内にあって、本堂から奥の共同墓地に進むとその中ほどに、尼子清定・経久両公墓所という説明板が備わった宝篋印塔が建っていました。

    広瀬の市街、洞光寺の境内にあって、本堂から奥の共同墓地に進むとその中ほどに、尼子清定・経久両公墓所という説明板が備わった宝篋印塔が建っていました。

  • 山の斜面に建つ墓からは遮るものなく正面に月山富田城が見渡せます。<br />ちなみに、尼子経久は出雲守護京極氏の守護代であったが、後に独立。雲陽十一カ国の大守となった尼子躍進の立役者です。<br /><br />ところで、尼子氏は一つの時代を築くのですが、ただ、島根県人のアイデンティティという意味だと松平不昧公には及びません。出雲では普段の生活の中で抹茶を気軽に飲む生活習慣が浸透していたり、楽山焼や布志名焼だけに限らず風雅を愛する気風もそこはかとなく伝えられているのですが、それは松平不昧公の影響。今の生活スタイルにまでつながっていて、出雲人は不昧公の伝統を今でも強く意識しています。<br />つまり、島根では、歴史が歴史だけで終わらない。自らのアイデンティティや生活スタイルにつながる歴史を持っていることが大事であり、自慢なんですね。尼子を卑下するわけではありませんが、そういう意味で尼子は不昧公に及ばないのです。そして、奥出雲三大鉄師もそうした見方の延長線上に存在するもの。加茂岩倉遺跡でも触れましたが、出雲神話は神話の世界だけではなくて、しっかり実態を伴っていて。ヤマタノオロチやスサノオノミコトの出雲神話の世界は、最近の豊富な遺跡の発掘品とともに、奥出雲三大鉄師の伝統があることでさらにその実在性が増している。言い換えれば、鉄の文化は神話の国出雲を正しく理解するうえでは欠かしてはならない要素なんですね。私なりに「これこそが島根の本物」という所以です。

    山の斜面に建つ墓からは遮るものなく正面に月山富田城が見渡せます。
    ちなみに、尼子経久は出雲守護京極氏の守護代であったが、後に独立。雲陽十一カ国の大守となった尼子躍進の立役者です。

    ところで、尼子氏は一つの時代を築くのですが、ただ、島根県人のアイデンティティという意味だと松平不昧公には及びません。出雲では普段の生活の中で抹茶を気軽に飲む生活習慣が浸透していたり、楽山焼や布志名焼だけに限らず風雅を愛する気風もそこはかとなく伝えられているのですが、それは松平不昧公の影響。今の生活スタイルにまでつながっていて、出雲人は不昧公の伝統を今でも強く意識しています。
    つまり、島根では、歴史が歴史だけで終わらない。自らのアイデンティティや生活スタイルにつながる歴史を持っていることが大事であり、自慢なんですね。尼子を卑下するわけではありませんが、そういう意味で尼子は不昧公に及ばないのです。そして、奥出雲三大鉄師もそうした見方の延長線上に存在するもの。加茂岩倉遺跡でも触れましたが、出雲神話は神話の世界だけではなくて、しっかり実態を伴っていて。ヤマタノオロチやスサノオノミコトの出雲神話の世界は、最近の豊富な遺跡の発掘品とともに、奥出雲三大鉄師の伝統があることでさらにその実在性が増している。言い換えれば、鉄の文化は神話の国出雲を正しく理解するうえでは欠かしてはならない要素なんですね。私なりに「これこそが島根の本物」という所以です。

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  • 前日光さん 2017/12/28 22:46:38
    鉄!
    たびたびさん、こんばんは。

    これだけの場所を一日で回られたのですか?
    すごいです!
    奥出雲は特に、一つの場所から次の場所に移動するのに距離がありますので、大変だったと思います。

    私も行ったことのある場所、まだ未踏の場所。。。といろいろありましたが、今後奥出雲巡りをするときには、参考にさせてくださいね。

    私もこの秋、菅谷高殿に行ってきました。
    それから司馬遼太郎氏の「砂鉄のみち」も愛読書ですので、たびたびさんの解説に頷きつつ拝見させていただきました。

    今年の最後に、写真も素晴らしく(私と違って一点のピンボケもない(@_@))、解説も丁寧にされている旅行記を拝見できて、たいへんうれしかったです。

    ありがとうございました。
    良いお年を~


    前日光

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2017/12/29 17:26:27
    RE: 鉄!
    横田町の方ももう少し回りたかったんですが、一日だとここまでが限界でした。
    ところで、先日、奈良を回っていた時に、地元の観光ボランティアの人に「古事記や日本書紀とかの説明がありましたけど、奈良には神話ってないんですか?」と無茶振りをしたら、「うーん。日本書紀とかは史実ですからねえ」の答え。私が「出雲の神話は風土記なんですけどねえ」とさらに突っ込んだら、いわく「風土記も史実ですよ〜」。
    古事記や日本書紀は史実。風土記は神話と区別されていることの方がやっぱりおかしいんですよね。得たりという答えが返ってきて、とてもうれしく思いました。そうしたことも含めて、出雲風土記への理解がさらに進んでいけばと思います。

                               たびたび

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