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2026年のスペイン旅行はバレンシア往復で、アラゴン、カステリア・ラマンチャ、カステリア・イ・レオンのセゴビア県、エストレマドーラ、アンダルシア、ムルシア州の3000km近くを車で巡る周遊旅行となりました。

2026年スペイン周遊紀行 コルドバ編1

14いいね!

2026/05/12 - 2026/05/28

300位(同エリア886件中)

旅行記グループ 2026年スペイン半周旅行

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2026年のスペイン旅行はバレンシア往復で、アラゴン、カステリア・ラマンチャ、カステリア・イ・レオンのセゴビア県、エストレマドーラ、アンダルシア、ムルシア州の3000km近くを車で巡る周遊旅行となりました。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
レンタカー
航空会社
JAL
旅行の手配内容
個別手配
  • 5月21日。<br />前日は到着が遅くなり、十分に観光する時間がありませんでした。そこで、少しでもロンダの空気を感じるため、朝の散歩に出かけることにしました。<br /><br />向かったのは、カサ・ムセオ・ドン・ボスコ(ドン・ボスコの家博物館/Casa Museo Don Bosco)の正面にあるマリア・アウキシリアドラ広場(Plaza de María Auxiliadora)です。広場には「サン・フアン・ボスコ(聖ヨハネ・ボスコ)の記念碑」が建っています。<br />この場所は、単なる小さな公園ではありません。タホ川が刻んだ深い峡谷の底へと下りていく遊歩道の入口でもあり、ロンダの雄大な自然を間近に感じられる場所です。

    5月21日。
    前日は到着が遅くなり、十分に観光する時間がありませんでした。そこで、少しでもロンダの空気を感じるため、朝の散歩に出かけることにしました。

    向かったのは、カサ・ムセオ・ドン・ボスコ(ドン・ボスコの家博物館/Casa Museo Don Bosco)の正面にあるマリア・アウキシリアドラ広場(Plaza de María Auxiliadora)です。広場には「サン・フアン・ボスコ(聖ヨハネ・ボスコ)の記念碑」が建っています。
    この場所は、単なる小さな公園ではありません。タホ川が刻んだ深い峡谷の底へと下りていく遊歩道の入口でもあり、ロンダの雄大な自然を間近に感じられる場所です。

    ボスコの家 建造物

  • タホ峡谷の遊歩道にも、できれば足を延ばしてみたいと思い、朝の散歩を兼ねてパラドールからこの広場まで歩いてきました。<br /><br />

    タホ峡谷の遊歩道にも、できれば足を延ばしてみたいと思い、朝の散歩を兼ねてパラドールからこの広場まで歩いてきました。

  • しかし、想像以上に続く坂道に、今回はここから眺めるだけにしました。それでも、断崖に囲まれたロンダの地形を感じるには十分な場所でした。<br />眼下に広がる深い峡谷と、その縁に建つパラドールの姿を眺めることで、ロンダという街がどれほど劇的な地形の上に築かれているのかを実感することができました。

    しかし、想像以上に続く坂道に、今回はここから眺めるだけにしました。それでも、断崖に囲まれたロンダの地形を感じるには十分な場所でした。
    眼下に広がる深い峡谷と、その縁に建つパラドールの姿を眺めることで、ロンダという街がどれほど劇的な地形の上に築かれているのかを実感することができました。

  • パラドールでの朝食には少し戸惑いもありました。<br />チェックインの際、朝食会場には定員があるため、10時からの時間帯でお願いしたいと言われました。これまで多くのホテルに宿泊してきましたが、時間変更もキャンセルもできないと言われたのは初めての経験でした。<br /><br />ただ、当日にキャンセルが出た場合は変更できる可能性があるとのことでした。そこで朝食会場の係の方に確認したところ、幸いにも席を用意していただき、出発前に朝食をいただくことができました。

    パラドールでの朝食には少し戸惑いもありました。
    チェックインの際、朝食会場には定員があるため、10時からの時間帯でお願いしたいと言われました。これまで多くのホテルに宿泊してきましたが、時間変更もキャンセルもできないと言われたのは初めての経験でした。

    ただ、当日にキャンセルが出た場合は変更できる可能性があるとのことでした。そこで朝食会場の係の方に確認したところ、幸いにも席を用意していただき、出発前に朝食をいただくことができました。

  • 今日はコルドバまで移動する予定です。途中で立ち寄る場所は、ロンダから北へ約110km、車で1時間半ほどの距離にあるエシハ(Écija)だけです。<br />エシハは、アンダルシア州セビリア県に位置する歴史ある街で、「太陽の街(La Ciudad del Sol)」「塔の街(La Ciudad de las Torres)」という愛称でも知られています。<br />

    今日はコルドバまで移動する予定です。途中で立ち寄る場所は、ロンダから北へ約110km、車で1時間半ほどの距離にあるエシハ(Écija)だけです。
    エシハは、アンダルシア州セビリア県に位置する歴史ある街で、「太陽の街(La Ciudad del Sol)」「塔の街(La Ciudad de las Torres)」という愛称でも知られています。

  • 車を市の中心にあるエスパニャ広場(Plaza de España)の地下公共駐車場に止めて広場に出ます。エシハはアンダルシア地方のなかでも特に日差しが強い街として知られています。その強い陽光も、この広場に舞台セットへ迷い込んだかのような贅沢な空間を演出していました。

    車を市の中心にあるエスパニャ広場(Plaza de España)の地下公共駐車場に止めて広場に出ます。エシハはアンダルシア地方のなかでも特に日差しが強い街として知られています。その強い陽光も、この広場に舞台セットへ迷い込んだかのような贅沢な空間を演出していました。

  • 広場からはエシハの旧市街の中心的な通りになるマス・イ・プラット通り(Calle Mas y Prat)をサンタ・クルス教会(Iglesia Mayor de Santa Cruz)を目指して歩きます。

    広場からはエシハの旧市街の中心的な通りになるマス・イ・プラット通り(Calle Mas y Prat)をサンタ・クルス教会(Iglesia Mayor de Santa Cruz)を目指して歩きます。

  • セビリアとコルドバの中間に位置するこの街は、現在ではバロック様式の美しい教会や鐘楼が並ぶことで知られています。しかし、その歴史は古く、ローマ時代にはアステギ(Astigi)として栄え、長い歴史の中でさまざまな文化が重なってきました。

    セビリアとコルドバの中間に位置するこの街は、現在ではバロック様式の美しい教会や鐘楼が並ぶことで知られています。しかし、その歴史は古く、ローマ時代にはアステギ(Astigi)として栄え、長い歴史の中でさまざまな文化が重なってきました。

  • エスパニャ広場のすぐ近くにある公設市場、プラサ・デ・アバストス(Plaza de Abastos)です。かつて修道院があった場所に、1844年に建てられました。この先で通りの名前はサンタ・クルス通り(Calle Santa Cruz)へと変わります。<br />

    エスパニャ広場のすぐ近くにある公設市場、プラサ・デ・アバストス(Plaza de Abastos)です。かつて修道院があった場所に、1844年に建てられました。この先で通りの名前はサンタ・クルス通り(Calle Santa Cruz)へと変わります。

  • エシハの中心に建つサンタ・クルス教会は、かつて西ゴート時代の聖堂やイスラム時代のモスクが存在した場所に建てられた、歴史の層を重ねる教会です。現在の建物は18世紀に再建されたもので、バロック様式を基調としながら、古代から続くこの街の宗教的な記憶を今に伝えています。

    エシハの中心に建つサンタ・クルス教会は、かつて西ゴート時代の聖堂やイスラム時代のモスクが存在した場所に建てられた、歴史の層を重ねる教会です。現在の建物は18世紀に再建されたもので、バロック様式を基調としながら、古代から続くこの街の宗教的な記憶を今に伝えています。

  • サンタ・クルス教会の鐘楼は、セビリアのヒラルダの塔から着想を得たとされるエシハを代表する景観のひとつです。高さ約50メートルの塔は、イスラム建築の影響を残す装飾的な意匠とバロックの華やかさを融合させ、「塔の街」と呼ばれるエシハの象徴となっています。

    サンタ・クルス教会の鐘楼は、セビリアのヒラルダの塔から着想を得たとされるエシハを代表する景観のひとつです。高さ約50メートルの塔は、イスラム建築の影響を残す装飾的な意匠とバロックの華やかさを融合させ、「塔の街」と呼ばれるエシハの象徴となっています。

  • 現在の教会は、1755年のリスボン地震で被害を受けた旧教会に代わって18世紀後半から建設された新古典主義建築で、このクーポラもその特徴をよく表しています。

    現在の教会は、1755年のリスボン地震で被害を受けた旧教会に代わって18世紀後半から建設された新古典主義建築で、このクーポラもその特徴をよく表しています。

  • クーポラを見上げた後は、主後陣へ向かいます。正面には金色に輝く壮麗なレタブロが据えられ、白を基調とした聖堂の中でひときわ目を引きました。

    クーポラを見上げた後は、主後陣へ向かいます。正面には金色に輝く壮麗なレタブロが据えられ、白を基調とした聖堂の中でひときわ目を引きました。

  • 主祭壇には金色に輝く壮麗なレタブロがそびえ、その手前には古代ローマ時代の石棺を再利用した祭壇が据えられています。異なる時代の歴史が一つの聖堂に共存する光景が印象的でした。

    主祭壇には金色に輝く壮麗なレタブロがそびえ、その手前には古代ローマ時代の石棺を再利用した祭壇が据えられています。異なる時代の歴史が一つの聖堂に共存する光景が印象的でした。

  • 主祭壇の前には、1885~1886年、礼拝堂の工事中に地下約6メートルから発見された5世紀の初期キリスト教石棺が安置されています。正面には「イサクの犠牲」「善き羊飼い」「ライオンの穴のダニエル」が彫られ、救済をテーマとした初期キリスト教美術の傑作として知られています。現在の教会は18世紀の建物ですが、その足元には千年以上も古い信仰の歴史が静かに息づいていました。

    主祭壇の前には、1885~1886年、礼拝堂の工事中に地下約6メートルから発見された5世紀の初期キリスト教石棺が安置されています。正面には「イサクの犠牲」「善き羊飼い」「ライオンの穴のダニエル」が彫られ、救済をテーマとした初期キリスト教美術の傑作として知られています。現在の教会は18世紀の建物ですが、その足元には千年以上も古い信仰の歴史が静かに息づいていました。

  • サンタ・クルス教会の前にあるヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ小広場(Plazuela de Nuestra Señora del Valle)です。広場の名前は、教会のシンボルでもある「谷の聖母(Nuestra Señora del Valle)」に由来しています。聖母を祀るチャペルはミサが行われていたため撮影は控え、教会を後にしました。

    サンタ・クルス教会の前にあるヌエストラ・セニョーラ・デル・バジェ小広場(Plazuela de Nuestra Señora del Valle)です。広場の名前は、教会のシンボルでもある「谷の聖母(Nuestra Señora del Valle)」に由来しています。聖母を祀るチャペルはミサが行われていたため撮影は控え、教会を後にしました。

  • 写真はザフラー宮殿ビジターセンター(Medina Azahara Centro de Recepción de Visitantes)の公共無料駐車場。観光バス等のスペースも備えた大変大きな駐車場です。エシハからは60km、45分ほどで到着します。

    写真はザフラー宮殿ビジターセンター(Medina Azahara Centro de Recepción de Visitantes)の公共無料駐車場。観光バス等のスペースも備えた大変大きな駐車場です。エシハからは60km、45分ほどで到着します。

  • ビジターセンターの入口正式名称はザフラー宮殿ビジター センター(Visitor Center Medinat al-Zahr)です。半地下の大きな倉庫のような建物です。入場のチケット販売。展示室、休憩施設等を備えています。

    ビジターセンターの入口正式名称はザフラー宮殿ビジター センター(Visitor Center Medinat al-Zahr)です。半地下の大きな倉庫のような建物です。入場のチケット販売。展示室、休憩施設等を備えています。

  • 建築自体は2008年に完成し、2009年に新しく建てられてオープンしました。近くの遺跡の景観を妨げないようあえて「見えない」デザインをしています。イスラム建築の伝統である「中庭(パティオ)」をデザインしたロビーからの眺め。<br />遺跡の見学はEU市民は無料。その他の一般は3ユーロでシニア割は1.5ユーロです。また遺跡までの往復は専用のバス運行があり、シニア割で往復1.5ユーロかかります。一般は3ユーロになります。

    建築自体は2008年に完成し、2009年に新しく建てられてオープンしました。近くの遺跡の景観を妨げないようあえて「見えない」デザインをしています。イスラム建築の伝統である「中庭(パティオ)」をデザインしたロビーからの眺め。
    遺跡の見学はEU市民は無料。その他の一般は3ユーロでシニア割は1.5ユーロです。また遺跡までの往復は専用のバス運行があり、シニア割で往復1.5ユーロかかります。一般は3ユーロになります。

  • こちらは売店です。書籍やガイドブックのほか、イスラム美術をモチーフにした雑貨やお土産なども販売されていました。

    こちらは売店です。書籍やガイドブックのほか、イスラム美術をモチーフにした雑貨やお土産なども販売されていました。

  • ビジターセンターの展示室です。入館料に含まれているので、まずはこちらを見学してから遺跡へ向かいました。

    ビジターセンターの展示室です。入館料に含まれているので、まずはこちらを見学してから遺跡へ向かいました。

  • 遺跡から発掘された柱頭や壁面装飾の石材と、それらをもとに復元された作品が展示されています。ここで見た復元展示のおかげで、ザフラー宮殿が最盛期にはどれほど華麗な装飾に彩られていたのかを想像することができました。

    遺跡から発掘された柱頭や壁面装飾の石材と、それらをもとに復元された作品が展示されています。ここで見た復元展示のおかげで、ザフラー宮殿が最盛期にはどれほど華麗な装飾に彩られていたのかを想像することができました。

  • ビジターセンターに展示されている、10世紀のイスラム建築を彩ったアーチと壁面装飾「アタウリーケ(Ataurique)」の復元です。美しい馬蹄形アーチの周囲には、植物のツタや葉をモチーフにした精緻なレリーフが隙間なく彫り込まれています。イスラム美術では人物像ではなく、このような植物文様や幾何学文様によって空間を華やかに演出しました。<br /><br />ザフラー宮殿の壁面は、かつてこうした美しい大理石や石灰岩の彫刻で埋め尽くされていたといいます。考古学者たちは、割れたパズルのような無数の破片を一つひとつ組み合わせ、失われた装飾を見事によみがえらせました。その気の遠くなるような作業に思いを馳せると、思わず感動してしまいます。

    ビジターセンターに展示されている、10世紀のイスラム建築を彩ったアーチと壁面装飾「アタウリーケ(Ataurique)」の復元です。美しい馬蹄形アーチの周囲には、植物のツタや葉をモチーフにした精緻なレリーフが隙間なく彫り込まれています。イスラム美術では人物像ではなく、このような植物文様や幾何学文様によって空間を華やかに演出しました。

    ザフラー宮殿の壁面は、かつてこうした美しい大理石や石灰岩の彫刻で埋め尽くされていたといいます。考古学者たちは、割れたパズルのような無数の破片を一つひとつ組み合わせ、失われた装飾を見事によみがえらせました。その気の遠くなるような作業に思いを馳せると、思わず感動してしまいます。

  • 葉や渦巻きをモチーフにした、10世紀・後ウマイヤ朝カリフ時代の大理石製柱頭です。繊細で高度な彫刻技術が見事に表れています。

    葉や渦巻きをモチーフにした、10世紀・後ウマイヤ朝カリフ時代の大理石製柱頭です。繊細で高度な彫刻技術が見事に表れています。

  • 発掘された柱頭の展示品です。上部の角は丸く摩耗し、ところどころが欠けています。こうした傷跡からも、長い年月を土の中で眠っていたことがうかがえました。

    発掘された柱頭の展示品です。上部の角は丸く摩耗し、ところどころが欠けています。こうした傷跡からも、長い年月を土の中で眠っていたことがうかがえました。

  • ザフラー宮殿での発掘品から復元した柱頭のレプリカです。古代ギリシャ・ローマ建築のコリント様式に見られるアカンサス模様を手本としながら、イスラム独自の繊細な美しさを加えて発展させています。イスラムでは人物などの彫刻は行いませんが、植物文様についてはロマネスク様式と共通する美意識を持っていたことをうかがわせます。

    ザフラー宮殿での発掘品から復元した柱頭のレプリカです。古代ギリシャ・ローマ建築のコリント様式に見られるアカンサス模様を手本としながら、イスラム独自の繊細な美しさを加えて発展させています。イスラムでは人物などの彫刻は行いませんが、植物文様についてはロマネスク様式と共通する美意識を持っていたことをうかがわせます。

  • 象牙製のこの箱は、「ヒシャーム2世の小箱(Arqueta de Hišām II)」の精巧なレプリカです。カリフ、ハカム2世が息子ヒシャーム2世への贈り物として宮殿の工房で制作させたもので、オリジナルは現在、スペイン北部のジローナ大聖堂宝物館に収められています。箱全体にはイスラム美術を代表するアラベスク文様が精緻に彫り込まれ、植物のツルや葉が途切れることなく優雅に絡み合っています。イスラム美術がキリスト教世界で大切に受け継がれたことを物語る貴重な作品です。

    象牙製のこの箱は、「ヒシャーム2世の小箱(Arqueta de Hišām II)」の精巧なレプリカです。カリフ、ハカム2世が息子ヒシャーム2世への贈り物として宮殿の工房で制作させたもので、オリジナルは現在、スペイン北部のジローナ大聖堂宝物館に収められています。箱全体にはイスラム美術を代表するアラベスク文様が精緻に彫り込まれ、植物のツルや葉が途切れることなく優雅に絡み合っています。イスラム美術がキリスト教世界で大切に受け継がれたことを物語る貴重な作品です。

  • 展示室の見学を終え、駐車場へ戻ってきました。シャトルバスの運行間隔は混雑状況によって異なるようですが、私が訪れた日は約30分おきに運行されていました。

    展示室の見学を終え、駐車場へ戻ってきました。シャトルバスの運行間隔は混雑状況によって異なるようですが、私が訪れた日は約30分おきに運行されていました。

  • シャトルバスを降りると、いよいよザフラー宮殿の遺跡へ向かいます。遺跡はビジターセンターから約2km離れており、一般車で入ることはできません。丘の上から階段を下り、その先に広がる遺跡へと歩いて向かいました。

    シャトルバスを降りると、いよいよザフラー宮殿の遺跡へ向かいます。遺跡はビジターセンターから約2km離れており、一般車で入ることはできません。丘の上から階段を下り、その先に広がる遺跡へと歩いて向かいました。

  • 929年、アブド・アッ=ラフマーン3世は、イスラム世界最高権威である「カリフ(預言者ムハンマドの後継者)」を称しました。<br />西方イスラム世界におけるカリフとしての正統性と、圧倒的な富と権威を国内外に示すため、従来の首都コルドバの宮殿では不十分となり、威信をかけた新たな宮殿都市の建設が計画されました。

    929年、アブド・アッ=ラフマーン3世は、イスラム世界最高権威である「カリフ(預言者ムハンマドの後継者)」を称しました。
    西方イスラム世界におけるカリフとしての正統性と、圧倒的な富と権威を国内外に示すため、従来の首都コルドバの宮殿では不十分となり、威信をかけた新たな宮殿都市の建設が計画されました。

  • 936年頃、コルドバの西約8km、シエラ・モレナ山脈南麓の丘陵地で建設が始まりました。<br /><br />アラビア語で「輝くもの」「花」を意味する「メディナ・アッ=ザフラー」と名付けられたこの都市は、その後数十年にわたって整備が進められ、後ウマイヤ朝の栄華を象徴する壮麗な宮殿都市となりました。

    936年頃、コルドバの西約8km、シエラ・モレナ山脈南麓の丘陵地で建設が始まりました。

    アラビア語で「輝くもの」「花」を意味する「メディナ・アッ=ザフラー」と名付けられたこの都市は、その後数十年にわたって整備が進められ、後ウマイヤ朝の栄華を象徴する壮麗な宮殿都市となりました。

  • しかし1009年、後ウマイヤ朝内部の王位継承争いに端を発した内戦によって、メディナ・アッ=ザフラーは略奪と破壊を受け、かつての栄華は失われました。<br /><br />1031年、カリフ制の廃止とともに後ウマイヤ朝は滅亡し、この都市も歴史の表舞台から姿を消しました。その後、建築資材は各地へ運び去られ、長い年月の間に地中へ埋もれていましたが、20世紀初頭から本格的な発掘調査が進められ、現在ではイスラム黄金時代を伝える重要な遺跡として、世界遺産「メディナ・アサーラのカリフ都市」に登録されています。

    しかし1009年、後ウマイヤ朝内部の王位継承争いに端を発した内戦によって、メディナ・アッ=ザフラーは略奪と破壊を受け、かつての栄華は失われました。

    1031年、カリフ制の廃止とともに後ウマイヤ朝は滅亡し、この都市も歴史の表舞台から姿を消しました。その後、建築資材は各地へ運び去られ、長い年月の間に地中へ埋もれていましたが、20世紀初頭から本格的な発掘調査が進められ、現在ではイスラム黄金時代を伝える重要な遺跡として、世界遺産「メディナ・アサーラのカリフ都市」に登録されています。

  • 遺跡は時計回りに見学しました。最初のエリアは、遺跡への入口となる北門からです。坂を下ると最初に目に入るのが、「上部バジリカ式建造物(Edificio Basilical Superior)」です。10世紀のカリフ時代に建てられた、国政の行政中枢(官庁や重要会議の場)と考えられている、メディナ・アサーラを代表するモニュメント建築です。

    遺跡は時計回りに見学しました。最初のエリアは、遺跡への入口となる北門からです。坂を下ると最初に目に入るのが、「上部バジリカ式建造物(Edificio Basilical Superior)」です。10世紀のカリフ時代に建てられた、国政の行政中枢(官庁や重要会議の場)と考えられている、メディナ・アサーラを代表するモニュメント建築です。

  • 別名として、軍隊の館を意味する「Dar al-Yund(ダール・アル=ユンド)」や、大臣たちの館を意味する「Dar al-Wuzara(ダール・アル=ウザラー)」とも呼ばれています。

    別名として、軍隊の館を意味する「Dar al-Yund(ダール・アル=ユンド)」や、大臣たちの館を意味する「Dar al-Wuzara(ダール・アル=ウザラー)」とも呼ばれています。

  • この建物は、後ウマイヤ朝の初代カリフであるアブド・アッラフマーン3世の治世の終わり頃、国家の行政組織を大きく改革する一環として建設されました。

    この建物は、後ウマイヤ朝の初代カリフであるアブド・アッラフマーン3世の治世の終わり頃、国家の行政組織を大きく改革する一環として建設されました。

  • 内部は南北方向に延びる5つの身廊で構成され、中央の3つが主要な空間、両側の2つがそれを支える側廊となっています。

    内部は南北方向に延びる5つの身廊で構成され、中央の3つが主要な空間、両側の2つがそれを支える側廊となっています。

  • 次は大門(Gran Pórtico de Medina Azahara)です。壮大な儀式用の正門で、外国から訪れた使節団がカリフに謁見する際、最初に通る象徴的な入口として使われていました。

    次は大門(Gran Pórtico de Medina Azahara)です。壮大な儀式用の正門で、外国から訪れた使節団がカリフに謁見する際、最初に通る象徴的な入口として使われていました。

  • イスラム建築の特徴である、赤いレンガと白い石を交互に積み重ねた美しいアーチが使われています。連なるアーチの中央には、一回り大きな馬蹄形アーチが設けられ、外国から訪れた使節団を迎える宮殿の正門にふさわしい威厳を感じました。

    イスラム建築の特徴である、赤いレンガと白い石を交互に積み重ねた美しいアーチが使われています。連なるアーチの中央には、一回り大きな馬蹄形アーチが設けられ、外国から訪れた使節団を迎える宮殿の正門にふさわしい威厳を感じました。

  • メディナ・アサーラ遺跡の最下段(東側テラス)に位置するアルハマ・モスク(Mezquita Aljama de Medina Azahara)です。

    メディナ・アサーラ遺跡の最下段(東側テラス)に位置するアルハマ・モスク(Mezquita Aljama de Medina Azahara)です。

  • 主に宮殿に仕える人々のためのモスクでしたが、一般市民もともに礼拝を行う共用の礼拝所として機能していました。

    主に宮殿に仕える人々のためのモスクでしたが、一般市民もともに礼拝を行う共用の礼拝所として機能していました。

  • 現在は建物の姿は失われ、基壇や柱の礎石、壁の一部が残るのみの遺跡となっています。しかし、発掘調査によって建物の平面構成が明らかになり、地面に描かれた設計図を見るように当時の姿を想像することができます。

    現在は建物の姿は失われ、基壇や柱の礎石、壁の一部が残るのみの遺跡となっています。しかし、発掘調査によって建物の平面構成が明らかになり、地面に描かれた設計図を見るように当時の姿を想像することができます。

  • 大門の向こうには、青々と茂るハバル・アル=アルース(アラビア語で「花嫁の山」)の斜面が広がっています。山肌を削って築かれたメディナ・アサーラのひな壇状の都市構造が、この一枚からよく分かりました。

    大門の向こうには、青々と茂るハバル・アル=アルース(アラビア語で「花嫁の山」)の斜面が広がっています。山肌を削って築かれたメディナ・アサーラのひな壇状の都市構造が、この一枚からよく分かりました。

  • 大門を望む一枚です。写真の南側には、「サロン・リコ(Salón Rico)」と呼ばれる大広間の遺跡があります。現在も修復工事が続いており、見学できるのは土日限定・時間指定のガイドツアーのみ。平日に訪れた私は、残念ながら内部を見学することはできませんでした。

    大門を望む一枚です。写真の南側には、「サロン・リコ(Salón Rico)」と呼ばれる大広間の遺跡があります。現在も修復工事が続いており、見学できるのは土日限定・時間指定のガイドツアーのみ。平日に訪れた私は、残念ながら内部を見学することはできませんでした。

  • プールの家(Casa de la Alberca)。建物の中心にはプールのある中央の中庭がり、これが建物の名前の由来となっています。

    プールの家(Casa de la Alberca)。建物の中心にはプールのある中央の中庭がり、これが建物の名前の由来となっています。

  • 中庭に面した2つの門が残されておりそれぞれ3つの馬蹄形アーチで構成されアラベスク模様で装飾されています。

    中庭に面した2つの門が残されておりそれぞれ3つの馬蹄形アーチで構成されアラベスク模様で装飾されています。

  • ジャファーの家(Casa de Yafar)10世紀の当時の最上級大臣(宰相)の邸宅跡です。10世紀後半の大臣ジャファーが建てた邸宅跡です。ここで大臣は、お役人や来客を迎えて政治の仕事をしていました。

    ジャファーの家(Casa de Yafar)10世紀の当時の最上級大臣(宰相)の邸宅跡です。10世紀後半の大臣ジャファーが建てた邸宅跡です。ここで大臣は、お役人や来客を迎えて政治の仕事をしていました。

  • 3連アーチが印象的な大きな門が残されています。ここに出てくるジャファーは、ディズニー映画に出てくるジャファーとは別人です。アラジンのジャアファーはバクダットの宰相ですが、このジャファーは ジャファー・イブン・アル・ラフマーンという名の後ウマイヤ朝のカリフ「ハカム2世」に仕えた大宰相です。建築の責任者として、この美しい都市や、コルドバのメスキータの超豪華な拡張工事を指揮した人物です。

    3連アーチが印象的な大きな門が残されています。ここに出てくるジャファーは、ディズニー映画に出てくるジャファーとは別人です。アラジンのジャアファーはバクダットの宰相ですが、このジャファーは ジャファー・イブン・アル・ラフマーンという名の後ウマイヤ朝のカリフ「ハカム2世」に仕えた大宰相です。建築の責任者として、この美しい都市や、コルドバのメスキータの超豪華な拡張工事を指揮した人物です。

  • 石のパーツごとに完璧に計算し尽くされた植物文様が、パズルのように美しく敷き詰められています。

    石のパーツごとに完璧に計算し尽くされた植物文様が、パズルのように美しく敷き詰められています。

  • 当時のコルドバは、西ヨーロッパ随一の繁栄を誇る国際都市でした。この優雅な馬蹄形アーチと精緻な装飾は、その栄華を今に伝える貴重な遺産です。もしこの壮大な建築計画が最後まで完成していたなら、イスラム建築史は、私たちが知るものとは違った姿になっていたのかもしれません。

    当時のコルドバは、西ヨーロッパ随一の繁栄を誇る国際都市でした。この優雅な馬蹄形アーチと精緻な装飾は、その栄華を今に伝える貴重な遺産です。もしこの壮大な建築計画が最後まで完成していたなら、イスラム建築史は、私たちが知るものとは違った姿になっていたのかもしれません。

  • ザフラー宮殿から約8km。宿泊した「ホテルNHコルドバ・カリファ(Hotel NH Córdoba Califa)」は、コルドバ中心部に位置する、快適性と利便性を兼ね備えた4つ星ホテルです。

    ザフラー宮殿から約8km。宿泊した「ホテルNHコルドバ・カリファ(Hotel NH Córdoba Califa)」は、コルドバ中心部に位置する、快適性と利便性を兼ね備えた4つ星ホテルです。

    NH コルドバ カリファ ホテル

    車でのアクセスがしやすい by クリスさん
  • 客室は清潔で快適に整えられており、観光の拠点として申し分ありません。地下に専用駐車場を備え、歴史的なユダヤ人街(フデリア)の入口に位置するため、主要な観光スポットへのアクセスにも優れています。駐車場は到着が遅いと満車になる可能性があると聞いていたため、この日は午後2時には到着し、無事に駐車することができました。

    客室は清潔で快適に整えられており、観光の拠点として申し分ありません。地下に専用駐車場を備え、歴史的なユダヤ人街(フデリア)の入口に位置するため、主要な観光スポットへのアクセスにも優れています。駐車場は到着が遅いと満車になる可能性があると聞いていたため、この日は午後2時には到着し、無事に駐車することができました。

  • バスタブはありませんが、水回りは新しい設備で、シャワーの水量も十分あり、快適に利用できました。

    バスタブはありませんが、水回りは新しい設備で、シャワーの水量も十分あり、快適に利用できました。

  • チェックインを済ませた後は、昼食に出かけます。ホテルは街を南北に貫く主要幹線道路、ビクトリア通り(Paseo de la Victoria)から少し入った場所にあります。昼食に向かったビクトリア市場(Mercado Victoria)は、この通り沿いにあり、ホテルから200mもない距離です。

    チェックインを済ませた後は、昼食に出かけます。ホテルは街を南北に貫く主要幹線道路、ビクトリア通り(Paseo de la Victoria)から少し入った場所にあります。昼食に向かったビクトリア市場(Mercado Victoria)は、この通り沿いにあり、ホテルから200mもない距離です。

  • ビクトリア市場は、コルドバ名物から世界各国の料理まで一度に楽しめる、おしゃれで活気あふれるガストロノミー市場です。ここでタパスをいくつか注文し、昼食を済ませました。

    ビクトリア市場は、コルドバ名物から世界各国の料理まで一度に楽しめる、おしゃれで活気あふれるガストロノミー市場です。ここでタパスをいくつか注文し、昼食を済ませました。

  • 昼食の後は、ホテル近くのユダヤ人街を通ってメスキータまで歩きます。

    昼食の後は、ホテル近くのユダヤ人街を通ってメスキータまで歩きます。

  • ユダヤ人街にあるカルデナル・サラサール広場(Plaza del Cardenal Salazar)に建つ、モハメド・アル・ガフェキ(Mohamed Al-Gafequi)の像。12世紀に活躍したアラブ系の著名な眼科医で、白内障手術の先駆者の一人として知られています。彼の死後800年を記念して、1965年に建てられた胸像モニュメントです。

    ユダヤ人街にあるカルデナル・サラサール広場(Plaza del Cardenal Salazar)に建つ、モハメド・アル・ガフェキ(Mohamed Al-Gafequi)の像。12世紀に活躍したアラブ系の著名な眼科医で、白内障手術の先駆者の一人として知られています。彼の死後800年を記念して、1965年に建てられた胸像モニュメントです。

  • ユダヤ人街は、まるで迷路のように細い路地が入り組み、白壁の建物に色鮮やかな花鉢が飾られた、アンダルシアの美しさを象徴するエリアです。

    ユダヤ人街は、まるで迷路のように細い路地が入り組み、白壁の建物に色鮮やかな花鉢が飾られた、アンダルシアの美しさを象徴するエリアです。

  • お土産店、銀細工の工房、タパスが楽しめるバルなどがずらりと並んでいます。

    お土産店、銀細工の工房、タパスが楽しめるバルなどがずらりと並んでいます。

  • メスキータのすぐ西側を走るトリーホス通り(Calle Torrijos)まで来ると、鐘楼が姿を現しました。

    メスキータのすぐ西側を走るトリーホス通り(Calle Torrijos)まで来ると、鐘楼が姿を現しました。

  • ここはメスキータ コルドバ大聖堂(Mezquita-Catedral de Córdoba)北側のカルデナル・エレーロ通り(Calle Cardenal Herrero)。正面にそびえる塔がメスキータの鐘楼(ミナレット)で、その左下に見える立派な門が、メインエントランスである「免罪の門(Puerta del Perdón)」です。

    ここはメスキータ コルドバ大聖堂(Mezquita-Catedral de Córdoba)北側のカルデナル・エレーロ通り(Calle Cardenal Herrero)。正面にそびえる塔がメスキータの鐘楼(ミナレット)で、その左下に見える立派な門が、メインエントランスである「免罪の門(Puerta del Perdón)」です。

  • 免罪の門から、「オレンジの木の中庭(Patio de los Naranjos)」へ入ります。南側にはメスキータの本堂があり、残る三方を回廊が囲んでいます。

    免罪の門から、「オレンジの木の中庭(Patio de los Naranjos)」へ入ります。南側にはメスキータの本堂があり、残る三方を回廊が囲んでいます。

  • 回廊の壁に掲げられている木製の梁は、メスキータの礼拝堂内で実際に天井を支えていた、1,000年以上前のイスラム時代のものです。8~10世紀のウマイヤ朝時代に作られたもので、表面には植物をモチーフにした繊細なアラベスク文様が彫刻されており、当時の彩色の跡も残されています。

    回廊の壁に掲げられている木製の梁は、メスキータの礼拝堂内で実際に天井を支えていた、1,000年以上前のイスラム時代のものです。8~10世紀のウマイヤ朝時代に作られたもので、表面には植物をモチーフにした繊細なアラベスク文様が彫刻されており、当時の彩色の跡も残されています。

  • オレンジの木の中庭はイスラム教徒が参拝の際、モスクに入る前に手足を清めるための「ウドゥ(精神浄化の洗礼)の場」でした。元々はオリーブの木やヤシの木が植えられていたそうですが、15世紀頃から現在の名前の由来であるオレンジの木が植えられ始めたと記録されています。

    オレンジの木の中庭はイスラム教徒が参拝の際、モスクに入る前に手足を清めるための「ウドゥ(精神浄化の洗礼)の場」でした。元々はオリーブの木やヤシの木が植えられていたそうですが、15世紀頃から現在の名前の由来であるオレンジの木が植えられ始めたと記録されています。

    オレンジの木の中庭 散歩・街歩き

  • 中庭の中央にある「棕櫚の門(Puerta de las Palmas)」。

    中庭の中央にある「棕櫚の門(Puerta de las Palmas)」。

  • 通常は閉鎖されていますが、特別な行事・ミサの時のみ使用される形になっています。

    通常は閉鎖されていますが、特別な行事・ミサの時のみ使用される形になっています。

  • 北側の壁沿いにあるメスキータの当日券を購入できる自動券売機で当日券を購入してメスキータの中に入りました。どうやら平日の午後であれば予約は必要ないようです。

    北側の壁沿いにあるメスキータの当日券を購入できる自動券売機で当日券を購入してメスキータの中に入りました。どうやら平日の午後であれば予約は必要ないようです。

    メスキータ 寺院・教会

  • イスラム教の史料によると、イベリア半島がイスラム勢力に征服される以前、この場所にはサン・ビセンテ大聖堂が建っていたと伝えられています。786年、後ウマイヤ朝を興したアブド・アル・ラフマン1世がここに最初のモスクを建立しました。その後、958年には初代カリフのアブド・アル・ラフマン3世が新たなミナレットを建設し、さらに息子のアル・ハカム2世がメスキータで最も豪華な空間として知られるミフラーブとマクスーラを増築。971年に完成し、現在見る壮麗な礼拝空間の基礎が築かれました。

    イスラム教の史料によると、イベリア半島がイスラム勢力に征服される以前、この場所にはサン・ビセンテ大聖堂が建っていたと伝えられています。786年、後ウマイヤ朝を興したアブド・アル・ラフマン1世がここに最初のモスクを建立しました。その後、958年には初代カリフのアブド・アル・ラフマン3世が新たなミナレットを建設し、さらに息子のアル・ハカム2世がメスキータで最も豪華な空間として知られるミフラーブとマクスーラを増築。971年に完成し、現在見る壮麗な礼拝空間の基礎が築かれました。

  • 見渡す限り規則正しく並ぶ円柱と赤白のアーチは、「柱の森」と呼ばれるメスキータ最大の見どころです。礼拝空間を何度も拡張した結果、この迷路のような空間が生まれました。同じ形がどこまでも繰り返される光景は、歩くたびに表情を変え、まるで森の中をさまよっているような不思議な感覚を味わわせてくれます。

    見渡す限り規則正しく並ぶ円柱と赤白のアーチは、「柱の森」と呼ばれるメスキータ最大の見どころです。礼拝空間を何度も拡張した結果、この迷路のような空間が生まれました。同じ形がどこまでも繰り返される光景は、歩くたびに表情を変え、まるで森の中をさまよっているような不思議な感覚を味わわせてくれます。

  • この一角では、低く連なるイスラム時代のアーチと、高くそびえるキリスト教大聖堂の身廊を同時に見ることができます。征服や改築を経ても、それまでの建築を完全に壊すことなく受け継いだことで、異なる文化が一つの空間に溶け合うメスキータならではの景観が生まれました。

    この一角では、低く連なるイスラム時代のアーチと、高くそびえるキリスト教大聖堂の身廊を同時に見ることができます。征服や改築を経ても、それまでの建築を完全に壊すことなく受け継いだことで、異なる文化が一つの空間に溶け合うメスキータならではの景観が生まれました。

  • イスラム教のモスクとして建てられたメスキータは、1236年のキリスト教勢力によるコルドバ征服後、大聖堂へと姿を変えました。16世紀に造られたこの壮麗な主祭壇は、その歴史を象徴する空間です。イスラム建築を完全に壊すことなく取り込んだことで、世界でも他に例を見ない建築が誕生しました。

    イスラム教のモスクとして建てられたメスキータは、1236年のキリスト教勢力によるコルドバ征服後、大聖堂へと姿を変えました。16世紀に造られたこの壮麗な主祭壇は、その歴史を象徴する空間です。イスラム建築を完全に壊すことなく取り込んだことで、世界でも他に例を見ない建築が誕生しました。

  • メスキータの内部では、イスラム建築とキリスト教建築が融合した空間の中で、こうした精巧なキリスト教美術品も間近に見ることができます。写真は、16世紀初頭にドイツ出身の金銀細工師エンリケ・デ・アルフェが、金・銀・数多くの宝石を用いて制作した移動式の聖体顕示台です。聖体祭などの重要な祭日や聖体行列で使用されます。

    メスキータの内部では、イスラム建築とキリスト教建築が融合した空間の中で、こうした精巧なキリスト教美術品も間近に見ることができます。写真は、16世紀初頭にドイツ出身の金銀細工師エンリケ・デ・アルフェが、金・銀・数多くの宝石を用いて制作した移動式の聖体顕示台です。聖体祭などの重要な祭日や聖体行列で使用されます。

  • 聖テレサ礼拝堂(Capilla de Santa Teresa)(カルディナル・サラサール礼拝堂〈Capilla del Cardenal Salazar〉とも呼ばれます)にあるこの絵画は、1713年頃に画家アシスクロ・アントニオ・パロミーノ(Acisclo Antonio Palomino de Castro y Velasco)によって描かれた《聖王フェルナンド3世によるコルドバ征服》です。<br /><br />1236年、キリスト教徒の国王フェルナンド3世がコルドバを無血開城させ、メスキータをカトリック大聖堂として聖別した歴史的な場面が描かれています。

    聖テレサ礼拝堂(Capilla de Santa Teresa)(カルディナル・サラサール礼拝堂〈Capilla del Cardenal Salazar〉とも呼ばれます)にあるこの絵画は、1713年頃に画家アシスクロ・アントニオ・パロミーノ(Acisclo Antonio Palomino de Castro y Velasco)によって描かれた《聖王フェルナンド3世によるコルドバ征服》です。

    1236年、キリスト教徒の国王フェルナンド3世がコルドバを無血開城させ、メスキータをカトリック大聖堂として聖別した歴史的な場面が描かれています。

  • この写真は、メスキータ内部に設けられた「サン・ビセンテ博物館」という特別な展示エリアで見られる、初期モスクの建築遺構です。むき出しになった古い壁面には、初期の馬蹄形アーチの一部や、当時描かれた幾何学模様のフレスコ画がそのまま残されており、メスキータ創建当時の姿を今に伝えています。歴史の重なりを肌で感じられる、大変興味深いスポットです。

    この写真は、メスキータ内部に設けられた「サン・ビセンテ博物館」という特別な展示エリアで見られる、初期モスクの建築遺構です。むき出しになった古い壁面には、初期の馬蹄形アーチの一部や、当時描かれた幾何学模様のフレスコ画がそのまま残されており、メスキータ創建当時の姿を今に伝えています。歴史の重なりを肌で感じられる、大変興味深いスポットです。

  • この日のメスキータの見学は、ひとまず終了。明日の朝、無料開放の時間に改めて訪れます。<br /><br />コルドバ陥落から大聖堂建設までには、およそ300年の時の隔たりがあります。そのことにも少し触れながら、続きは次回へ。

    この日のメスキータの見学は、ひとまず終了。明日の朝、無料開放の時間に改めて訪れます。

    コルドバ陥落から大聖堂建設までには、およそ300年の時の隔たりがあります。そのことにも少し触れながら、続きは次回へ。

  • メスキータの見学を終えて、免罪の門から外へ出ました。

    メスキータの見学を終えて、免罪の門から外へ出ました。

  • 免罪の門の上部には、大きな尖頭馬蹄形アーチが設けられ、その左右にはカスティーリャ王家の紋章が掲げられています。さらに上部の小さな三連アーチには、中央に聖母マリア、その左右に大天使ミカエルとラファエルが並んでいます。

    免罪の門の上部には、大きな尖頭馬蹄形アーチが設けられ、その左右にはカスティーリャ王家の紋章が掲げられています。さらに上部の小さな三連アーチには、中央に聖母マリア、その左右に大天使ミカエルとラファエルが並んでいます。

  • すぐそばのカフェで、暑さと喉の渇きを癒やすためにアイスクリームでひと休みです。

    すぐそばのカフェで、暑さと喉の渇きを癒やすためにアイスクリームでひと休みです。

  • 夕食はユダヤ人街のレストランで、サラダと小魚のフライをいただきました。ドリンクはレブヒート(Rebujito)。辛口のシェリー酒を炭酸飲料で割った、アンダルシアで親しまれているカクテルです。<br /><br />この日の観光はこれで終了。明日は丸一日、コルドバを巡ります。

    夕食はユダヤ人街のレストランで、サラダと小魚のフライをいただきました。ドリンクはレブヒート(Rebujito)。辛口のシェリー酒を炭酸飲料で割った、アンダルシアで親しまれているカクテルです。

    この日の観光はこれで終了。明日は丸一日、コルドバを巡ります。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • ミータさん 2026/07/12 18:50:00
    コルドバ
    詳しい説明、ありがとうございます。私もコルドバのメスキータに立ち寄りました。15年前のスペイン旅行でも訪れた場所ですが、やはり馬蹄形アーチが林立する様子は圧巻ですね。しかし、クリスさんの旅行記を読んで「そんな物が有ったのか」と、色々気付かされます。確かに、宝物ぽい物が有るなとは思ったような。
  • ミータさん 2026/07/12 18:49:59
    コルドバ
    詳しい説明、ありがとうございます。私もコルドバのメスキータに立ち寄りました。15年前のスペイン旅行でも訪れた場所ですが、やはり馬蹄形アーチが林立する様子は圧巻ですね。しかし、クリスさんの旅行記を読んで「そんな物が有ったのか」と、色々気付かされます。確かに、宝物ぽい物が有るなとは思ったような。

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